今日は瀬戸大橋を渡って
港の前の釣具屋さんでリールと針と餌を買って…ゴカイは無理!
フグ。
釣れました。次男がベラ。
夫がカサゴ。
30cm超えのコブダイ。
持ち帰って、下処理してくれたのを私が揚げて
オリーブオイルとにんにくとうちの庭のローズマリーで揚げました。
の「鱒」op32D550は、1817年20歳の時に作曲されました。
淡路島に渡って釣り…といっても海洋生物学科を卒業した次男以外はほぼ初心者。
港の前の釣具屋さんでリールと針と餌を買って…ゴカイは無理!
餌をつけてもらって、言われるままに釣り糸をたらして一時間。
何も釣れない。とがっかりしていたら小さな
フグ。
フグは食べられないので帰します。
この辺にいるはず。
と、移動して
と、移動して
釣れました。次男がベラ。
夫がカサゴ。
それから一時間でカサゴ8匹、ベラ5匹。
ただし私は坊主。
もう帰ろうかと言っていたら
私の竿で小さなベラがやっと釣れました。
「もうこれで満足!」と私。
「もうこれで満足!」と私。
「帰る前に餌を全部使おう。」と夫が言うので、仕方なくもう一度海に竿を入れて一息ついたら、
いきなり強い引き、竿を持っていかれそうになって次男に助けを求めて引き上げたら
30cm超えのコブダイ。
びっくりしました。
小さなオキアミと小魚用の針。
これは釣りハマってしまうかも。
持ち帰って、下処理してくれたのを私が揚げて
オリーブオイルとにんにくとうちの庭のローズマリーで揚げました。
後は、お味噌汁、お刺身であまさず美味しく頂きました。
幸せ!
フランツ シューベルト(1797-1828年)神聖ローマ帝国リヒテンタール生まれ、オーストリア帝国ウィーン没
の「鱒」op32D550は、1817年20歳の時に作曲されました。
ドイツ リート(ドイツ歌曲)の一つです。
3節からなるシュトローフェンリート(有節歌曲形式)といって今では当たり前ですが、一つの旋律を1番、2番、3番と繰り返す方式で作られています。
3節だけ変化があります。
クリスティアン フリードリヒ ダニエル シューバルト(1739-1791年)神聖ローマ帝国バーゾントハイム生まれ、神聖ローマ帝国シュトゥットガルト没
痛烈な政治批判、王侯批判を繰り返し、投獄されたこともある詩人の詩に曲をつけたものです。
シューベルトは600曲目ものリートを書き、それは詩からイメージした歌曲で、まるでオペラの一シーンのように、ストーリーがあったりドラマティックでベートーヴェンやモーツァルトの歌曲をロマン派へと一歩進めたものでした。
1819年この「鱒」をテーマにピアノ五重奏D667に自ら編曲しました。
こちらの方はシューベルト死後、出版されました。
シューベルトは、シューバルトの詩の最後の節を取り除いて作曲しています。
最後の節は鱒が女性で釣り人は男性で騙されて釣り上げられないように気をつけなさい。という意味になっています。
あまりにも直接的だと思ったのでしょうか?
それを入れないことで「男女」の駆け引きにとどまらす、
大きな力を持つものが卑怯な罠を仕掛けて、力の無いものを引っ掛ける。
そのことへのシューベルトの怒りが、普遍的な力を持って訴えて来るような気がするのです。
「鱒」
音の転がし方が柔らかいと思いました。
鱒 を初めて 字幕で詩を追いながら聴きました。
釣り人が水をかき回して濁らせるところでは曲調も不安気というか緊張したものになるのですね。
しかし、その結果釣り上げられた鱒を見つめる場面では 曲調はまた、元の明るく柔らかいものに戻るのですね。
澄んだ水の中の鱒も 釣り上げられた鱒もシューベルトは同様に美しいものとして眺めていたのではないでしょうか。
なので、fluteangel16さんが おっしゃるように女性は男性に騙されないようにというところはシューベルトにとってはいらないものだったのだと思います。
今日 (日付が変わったので昨日)はスーパーマーケットで山梨産のニジマスが特売に出ていました。
もうすぐ(五月五日)立夏ですね。
短い歌曲の中に物語と表情があって、この二人は見事に表現されていると思います。
また、それを受け取って下さるのも素晴らしいことだと思います。