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シューベルトの釣り人と魚

2022-05-03 22:52:08 | 名曲
今日は瀬戸大橋を渡って




淡路島に渡って釣り…といっても海洋生物学科を卒業した次男以外はほぼ初心者。

港の前の釣具屋さんでリールと針と餌を買って…ゴカイは無理!
餌をつけてもらって、言われるままに釣り糸をたらして一時間。
何も釣れない。とがっかりしていたら小さな

フグ。
フグは食べられないので帰します。
この辺にいるはず。
と、移動して


釣れました。次男がベラ。


夫がカサゴ。
それから一時間でカサゴ8匹、ベラ5匹。
ただし私は坊主。
もう帰ろうかと言っていたら

私の竿で小さなベラがやっと釣れました。
「もうこれで満足!」と私。
「帰る前に餌を全部使おう。」と夫が言うので、仕方なくもう一度海に竿を入れて一息ついたら、
いきなり強い引き、竿を持っていかれそうになって次男に助けを求めて引き上げたら


30cm超えのコブダイ。
びっくりしました。
小さなオキアミと小魚用の針。
これは釣りハマってしまうかも。

持ち帰って、下処理してくれたのを私が揚げて


オリーブオイルとにんにくとうちの庭のローズマリーで揚げました。
後は、お味噌汁、お刺身であまさず美味しく頂きました。
幸せ!

フランツ シューベルト(1797-1828年)神聖ローマ帝国リヒテンタール生まれ、オーストリア帝国ウィーン没

の「鱒」op32D550は、1817年20歳の時に作曲されました。
ドイツ リート(ドイツ歌曲)の一つです。
3節からなるシュトローフェンリート(有節歌曲形式)といって今では当たり前ですが、一つの旋律を1番、2番、3番と繰り返す方式で作られています。
3節だけ変化があります。

クリスティアン フリードリヒ ダニエル シューバルト(1739-1791年)神聖ローマ帝国バーゾントハイム生まれ、神聖ローマ帝国シュトゥットガルト没


痛烈な政治批判、王侯批判を繰り返し、投獄されたこともある詩人の詩に曲をつけたものです。

シューベルトは600曲目ものリートを書き、それは詩からイメージした歌曲で、まるでオペラの一シーンのように、ストーリーがあったりドラマティックでベートーヴェンやモーツァルトの歌曲をロマン派へと一歩進めたものでした。

1819年この「鱒」をテーマにピアノ五重奏D667に自ら編曲しました。
こちらの方はシューベルト死後、出版されました。

シューベルトは、シューバルトの詩の最後の節を取り除いて作曲しています。
最後の節は鱒が女性で釣り人は男性で騙されて釣り上げられないように気をつけなさい。という意味になっています。

あまりにも直接的だと思ったのでしょうか?

それを入れないことで「男女」の駆け引きにとどまらす、

大きな力を持つものが卑怯な罠を仕掛けて、力の無いものを引っ掛ける。 

そのことへのシューベルトの怒りが、普遍的な力を持って訴えて来るような気がするのです。


「鱒」
ドイツ語原詩日本語大意

Die Forelle
In einem Bächlein helle
Da schoß in froher Eil
Die launische Forelle
Vorüber wie ein Pfeil.
Ich stand an dem Gestade
Und sah in süßer Ruh
Des muntern Fischleins Bade
Im klaren Bächlein zu.

Ein Fischer mit der Rute
Wohl an dem Ufer stand,
Und sah's mit kaltem Blute,
Wie sich das Fischlein wand.
So lang dem Wasser Helle,
So dacht ich, nicht gebricht,
So fängt er die Forelle
Mit seiner Angel nicht.

Doch endlich ward dem Diebe
Die Zeit zu lang. Er macht
Das Bächlein tückisch trübe,
Und eh ich es gedacht,
So zuckte seine Rute,
Das Fischlein zappelt dran,
Und ich mit regem Blute
Sah die Betrog'ne an.


明るく澄んだ川で
元気よく身を翻しながら
気まぐれな鱒が
矢のように泳いでいた。
私は岸辺に立って
澄みきった川の中で
鱒たちが活発に泳ぐのを
よい気分で見ていた。

釣竿を手にした一人の釣り人が
岸辺に立って
魚の動き回る様子を
冷たく見ていた。
私は思った
川の水が澄みきっている限り、
釣り人の釣り針に
鱒がかかることはないだろう。

ところがその釣り人はとうとう
しびれを切らして卑怯にも
川をかきまわして濁らせた
私が考える暇もなく、
竿が引き込まれ
その先には鱒が暴れていた
そして私は腹を立てながら
罠に落ちた鱒を見つめていた







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2 コメント

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詩を見ながら聴くと (takobouzhirose)
2022-05-04 00:51:28
ピアノの人  いい感じと思いました。

音の転がし方が柔らかいと思いました。

鱒 を初めて 字幕で詩を追いながら聴きました。

釣り人が水をかき回して濁らせるところでは曲調も不安気というか緊張したものになるのですね。

しかし、その結果釣り上げられた鱒を見つめる場面では 曲調はまた、元の明るく柔らかいものに戻るのですね。

澄んだ水の中の鱒も 釣り上げられた鱒もシューベルトは同様に美しいものとして眺めていたのではないでしょうか。

なので、fluteangel16さんが おっしゃるように女性は男性に騙されないようにというところはシューベルトにとってはいらないものだったのだと思います。

今日 (日付が変わったので昨日)はスーパーマーケットで山梨産のニジマスが特売に出ていました。

もうすぐ(五月五日)立夏ですね。
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Unknown (m-fluteangel16)
2022-05-05 08:04:23
@takobouzhirose さん、ありがとうございます。
短い歌曲の中に物語と表情があって、この二人は見事に表現されていると思います。
また、それを受け取って下さるのも素晴らしいことだと思います。
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