マーブルチョコレート。
鍋に入れ、
火を止めてラム酒(入れなくてもいい)を加えます。
(森永乳業)
(キナリノ)
1847年にショパンがシャルロットの父ジェムス・ド・ロチルド男爵のフェリエール宮殿滞在中にシャルロットに作曲の手ほどきをしていたときに書かれた作品であり、この作品を含む「4つの小品」が1870年から1872年に出版されたと推定されます。
5歳児がお母さんに持たされていたおやつです。
すみっコぐらしのスティックキャンディ付き。
帰園後8:00までうちで保育なので、お腹すくかと思われたようです。
別に困りはしなかったのですが、「マーブルチョコレート一本は多い気がするから、自分でお皿にいるだけだしてね。」というと、お皿に今日食べるだけを出してくれました。
懐かしいですね。マーブルチョコレート。
字の書いている当たりと無いハズレを当てっこしたり、「赤と青どっちが勝つと思う?」と対戦させたり、充分楽しんで食べました。
18世紀にはチョコレートは貴族のおしゃれな飲み物に。
ヴェネツィアの画家ピエトロ・ロンギの絵画「朝のチョコレート」(1775-1780)
ショパンは毎朝「ショコラ・ショー」chocolat chaudという、チョコレートと牛乳で作るホット・チョコレートを飲むのが日課でした。
スミレの花の砂糖漬け(クリスタリゼ)をショコラ ショーに入れるのが好きだったそうです。
花がいっぱい活けられた部屋で高価なマホガニーの家具に囲まれ、毎朝お気に入りの陶器のカップでスミレの砂糖漬け入りのショコラ・ショーを飲むなが習慣だったショパン。
恋人のジョルジュ・サンドは、数々の男性と浮き名を流す肉食系女子でしたが、ショパンとつきあい始めると彼の健康を気遣い、細やかな心配りをしました。
毎朝ショコラ・ショーを作ってベッドまで運んだそうです。
(ontomo室田尚子さんより)
ショコラ ショーの作り方
チョコレートを刻みます。
鍋に入れ、
ココアパウダー、牛乳を加えて絶えず混ぜながら沸騰直前まで温めます(決して沸騰させない。)
火を止めてラム酒(入れなくてもいい)を加えます。
(森永乳業)
すみれの砂糖漬け
1.スミレの花は優しく洗い、キッチンペーパーで水気をふきとっておきます。
2.軽く切るように卵白をほぐし、お好みでバニラエッセンスを加えます。
3.卵白を刷毛でスミレの両面に塗り、グラニュー糖をまぶします。
4.日陰で2~3日、乾燥させてできあがり。
(キナリノ)
フレデリック ショパン(1810-1849年)ワルシャワ公国ジェラゾラ・ヴォラ生まれ、フランス共和国パリ没
ワルツ第19番AminorB150遺作は
1843-48年シャーロット・ド・ロチルド(英語ロスチャイルド)夫人あるいはその娘のために作曲されました。
初版は、ショパンによるこのワルツのスケッチ(裏面に『夜想曲第21番 ハ短調 KK. IVb-8』の自筆草稿と清書譜、『夜想曲 ハ短調』の製版用自筆譜を所持していたシャルロット・ド・ロチルドが私家版で出版しました「ナタニエル・ド・ロチルド男爵夫人によるピアノのための4つの小品」(パリ、ジャック・マオ社)
1847年にショパンがシャルロットの父ジェムス・ド・ロチルド男爵のフェリエール宮殿滞在中にシャルロットに作曲の手ほどきをしていたときに書かれた作品であり、この作品を含む「4つの小品」が1870年から1872年に出版されたと推定されます。
1872年には「4つの小品」のうちこのワルツ(第3曲)と第4曲の編曲が「ナタニエル・ド・ロチルド男爵夫人によるピアノとチェロのための2つの小品」(パリ、ジャック・マオ社)として私家版で出版され、オーギュスト・フランショームに献呈されました。
シャルロット・ド・ロチルドの死後、所持していた自筆譜は1901年に遺族によりパリ国立音楽院図書館に寄贈され、1964年以降はフランス国立図書館音楽部門の所蔵となりました。
清書譜には "Walec" [sic], "Allegretto" のタイトルと速度記号が付され、全56小節が片面に書かれています。
作曲年の1847年は28歳の時に出会ったジョルジュ サンドとの10年に渡った交際が終わった年です。
クラシックはピアノを弾いてみて思ったのが本当に奥が深いんですよね
また機会と時間あったらピアノを再開したものです
ラム酒って・・お洒落==って感じ
美味しいのでしょうね。
ココアパウダーとチョコ相性良さそうですね。
ありがとうございます。
ピアノ弾かれるのですね。また、ぜひ演奏してくださいね😉👍
いかにもショパンっぽい🎶
ココアパウダーとチョコ、濃厚そうですね。