音楽の喜び フルートとともに

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美しきアーモンド

2024-04-18 21:06:00 | ルネッサンス
水曜は塚口t-raumでハープのレッスンでした。
21日馬車の扉でのカフェコンサートに出るのでさあ大変!
ゴセックのガボットをずっと練習していますが…。
「ファイト!」と先生はニッコリ。

後少し。頑張ります。

t-raumのナガミヒナゲシ

塚口駅近くのパン屋さんカスカードで抹茶ラテとサンドイッチ、マンデルアッケを食べて帰りました。





マンデルアッケ、ナッツ好きにはたまりません。
少し甘めですが、美味しかった。

ドイツ語でマンデル(Mandel)はアーモンド、エッケ(Ecke) は角。
アーモンドの三角。

アーモンドと桃はもともと同一の原種であったものだったそうです。
太古の地殻変動により隆起した中央アジア山脈が中東と東アジアを隔ててから、それぞれの地域で異なった進化を遂げてきました。

アーモンドの花

桃の花

桃は中国の比較的湿度の高い低地を中心に生育する様になり、アーモンドは乾燥した西アジアから中央アジアの砂漠や丘峰の斜面に、様々な品種に分かれながら自生する様になりました。

これらの初期の原種アーモンドは、天山山脈西方の山裾からチグリス・ユーフラテス河の流域にかけて更に進化を続け、小さな、とげのある木に、硬い殻に覆われた小さな苦い実をつける様になりました。

西アジアから中央アジア一帯における乾燥した暑い夏と雨が多く比較的温暖な冬を持つ地域でアーモンドはバラエティに富んだ風味を持った実をつける植物となって分布する様になりました。

アーモンドはチグリス・ユーフラテス流域からヨルダン、イスラエルといった地中海沿岸へと栽培が広がっていきました。

その後地中海に沿ってシナイ山麓からナイル川沿いのエジプトやヒッタイト(現トルコ)へと栽培が広がり、やがてアーモンドはギリシャを始めとしたヨーロッパの地中海沿岸の諸国へともたらされることになります。

ギリシャ神話でもフリュギア(現在のトルコ)で昼寝をしているゼウスから生まれた女神キュベレ(Kybele)の体の一部から熟した実をつけたアーモンドの木が生えたといわれています。

女神キュベレ
アレキサンダー大王が諸国を征服した時期(紀元前350~323年)に、アーモンドの栽培がギリシャから更に西方へと広まっていきました。

アレキサンダー大王(紀元前336-紀元前323年)

古代ローマの人たちはアーモンドのことを”グリークナッツ(ギリシャの木の実)”と呼んで親しんだといわれます。

こうしてアーモンドは温暖で多湿な冬、乾燥した穏やかな夏というヨーロッパの地中海沿岸地域の気候によく順応していき、ギリシャ、イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、トルコ、モロッコ、チュニジアなど果樹栽培の盛んな地域で、アーモンドの栽培は根付いていきました。

ギリシャやイタリアでは何世紀もの間にわたり、地中海地域の丘陵でアーモンドは生産される事となりました。

スクアルチャルーピ コーデックス(Squarcialupi Codex)写本が、1410-1420年頃に渡って作られました。

オルガニストで作曲家のアントニオ・スクアルチャルーピ(Antonio Squarcialupi 、1416 - 1480年)
が所有していた文書を元に作られたのでその名がついています。彼は編纂はしていません。

フィレンツェのトレチェント(イタリアの1300年代に起きた多声音楽文化のこと)の世俗音楽を収録したものです。

14 人の有名なイタリアの作曲家による 352 作品を、金で装飾された肖像画で紹介したものです。


フランチェスコ・ランディーニ、
バルトリーノ・ダ・パドヴァ、
ニッコロ・ダ・ペルージャ、
エギディウス、
アンドレア・ダ・フィレンツェ、
ヤコポ・ダ・ボローニャ、
ロレンツォ・ダ・フィレンツェ、
ゲラルデッロ・ダ・フィレンツェ、
ドナート・ダ・カッシャ、
ジョヴァンニ・ダ・カッシャ、
ヴィンチェンツォ・ダ・リミニ、
ギリエルムス・デ・フランシア

ジョバンニ ダ カッシャ(1270-1350年)(Giovanni da Cascia)
活動時期は1340年頃 - 1350年頃

は、14世紀イタリア、トレチェント音楽の初期の音楽家。
イタリアに初めて多声音楽をもたらした作曲家の一人です。

ミラノの僭主ルキーノ・ヴィスコンティ

18世紀の想像画
の宮廷に出入りし、マギステル・ピエーロやヤコポ・ダ・ボローニャとともに活動しました。

1350年頃、ヴェローナのスカラ家のマスティーノ2世の宮廷

において、ヤコポ・ダ・ボローニャ
と音楽を競い合ったという記述が残されています。

ジョヴァンニ・ダ・フィレンツェ(Giovanni da Firenze)、ヨハンネス・デ・フロレンティア( Johannes de Florentia)など幾つかの別称が知られていて、フィレンツェとの関連が深い事のではないかと思われますが、出身は現在のイタリア中央部ウンブリア州の町カッシャ(Cascia)と考えられています。

18曲のマドリガーレ(この内2曲がカノン)、スクアルチャルーピ写本(Squarcialupi Codex)、パンチャティーキ写本(Panciatichi 26)、ロッシ写本(Rossi 215)、レイナ写本(Reina Codex)等に残されています。

「猟犬も沢山、鷹もいっぱい連れて」(Chon brachi assai e chon molti spaveri)、その他に2声のマドリガーレ「美しき星」(La bella stella)は、多くの写本に残されていることから有名であったと思われます。

ジョバンニ カッシャ作曲
マドリガルのSedendo all'ombra d'una bella mandorla(美しきアーモンドが日陰に座って)




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4 コメント

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Unknown (angeloprotettoretoru)
2024-04-18 09:21:38
おはようございます🌞
14世紀をトレチェントと呼ぶのはイタリア風でとても好きです。音楽のこと以外でも1200年代以降の文化は〇〇チェント、と呼ぶのがあちらでは普通ですね。そしてアーモンドの花は地中海地方でのさくら🌸みたいなものですね。樹形はソメイヨシノと違うし、もっと白っぽいけれど、咲いた風情はよく似ていますし。
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ルキーノ ヴィスコンティ (takan32)
2024-04-18 18:36:20
久米さんへ、ルキーノ ヴィスコンティは映画監督でしたが、同じ名前の歴史上の人物がいたんですね。(^^)
返信する
Unknown (m-fluteangel16)
2024-04-22 08:34:20
@angeloprotettoretoru さん、おはようございます☀
〇〇チェント、そうなのですね!
おもしろいですね。
アーモンドの花は地中海地方の🌸みたいなもの…そうなのですね。
最近のアーモンドはほとんどアメリカ産ですが、戻って来ないかな?
高騰してますね。
近所で植えておられる方がいて、毎年きれいな花が咲きます。
実は見てないですが…実が欲しいので植えようかな。と思っています。
返信する
Unknown (m-fluteangel16)
2024-04-22 08:44:12
@takan32 さん、ルキーノ ヴィスコンティ、素晴らしい監督ですね。
彼は1200年代のマッテーオ ヴィスコンティ(ルキーノヴィスコンティの従弟?)の16代目だそうです。
びっくりしますね。
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