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音楽の喜び フルートとともに

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東大野球部と桑田さん

2013-06-14 23:10:47 | 音楽

実家のゼニアオイが満開。もうちょっと、夏になってからのはずですが、今年はもう夏とみまがう暑さ。
暑いと涼し気な花もちゃんと咲いてくれるから。自然はうまくできています。

クローズアップ現代で、東大野球部を教えることになった桑田真澄さんのドキュメントをやっていました。
歴史に残る連敗記録を更新し続けているこの野球部をどう教えるのか?

と思ったら、いきなり「練習やり過ぎてますね。」と桑田さん。

どういうことだろう?と思っていたら、「5時間も6時間も練習をしていたら、普通は体が疲れて続かない。続かないものを続かせようと思うと、はじめから5時間続く練習の身体での練習になってしまうんです。」

5時間集中して全力で練習する。というのは、かなり大変なことです。とにかく5時間続かせなくてはならないととしたら、無意識に力をセーブして、集中力を落として練習してしまう。

・・・心当たりあります。

集中するといったら、一つのものしか見ず、何も考えず、力を入れてする。と思っている自分があります。

しかし、禅の修行僧は、座禅を組んでいたら、すべての感覚が、研ぎ澄まされて360度の方向に開かれている。といいます。部屋の隅でピンが落ちてもわかる状態。

長時間の練習の時、自分の感覚がどうなっているか?というと、ボウッとして、機械のように指が動いているだけ。一つ一つの音に、自分の身体のすみずみまで意識できているか?というと、疲れすぎて全く反対。ということがあるかもしれません。

人の体は、危機に対応するのに向いています。
一度でもそういうことがあると、本人の意思とは関係なく、脳は、全身に血流がいかず、疲れすぎることを回避しようとします。
そうなると、次回から、疲れすぎないように力をセイブするように脳から指令がでます。

それが、習慣ずいてしまうと、やれば、やるほど、下手になる。ということが起きてきます。

さて、どうすればそこから抜け出せるのか?

私たちはスポーツを楽しみ、音楽を楽しみたい。
プロの試合を楽しんだり、演奏を楽しむのは、そこに生命の輝きをみるから。
疲れてくたびれ果てた悲壮感の塊のような演奏や試合を見たいでしょうか?

達人は何時間やっても疲れない。しかし、人の身体に限界はあります。限界ギリギリのものを見たいという欲望もあるけれど、それも、安全、安心といものを保証された上のこと。

「野球は頭のスポーツだ。」とさらに桑田さんはいいます。

「頭を使って練習する。自分で考えること。」

その言葉の意味は、私は、感動することだと思います。自分の下手さに感動し、上手さに感動し、成功に感動し、失敗に感動する。どんなことも、この世は発見に満ち満ちています。
興味深く観察し、考察し、実験する。簡単なことです。


失敗

2013-06-13 20:58:01 | Weblog

旧宅の庭に地植えで植わっていた白バラ。大輪の正雪。人がいないとやはり、虫にやられて、貧弱になっていました。なくなってしまう前にと、枝を何本か切って新宅に植えてみましたが、ついたのはこれ一本。
まだ葉も少ないので花は小さく、大輪とはとても言えません。このまま、うまくついてくれるといいのですが。

父の日のプレゼントにと、帽子を買ってきたら、なぜかSサイズ。父のサイズは56.5cm。
知っていたから、Mサイズを掴んだはずなのに、帰ってみてみたらSサイズ。びっくり!
無意識の行為の恐ろしさ。

Sでも行けるかもと思って、かぶってもらったらやっぱり少し小さいです。
30代でハゲ初めた父の頭は、M字に薄くなって、今では頭頂部にはほとんど毛がありません。
導尿をしてから、ひきこもりがちな父を外に連れ出すには、帽子は必須アイテムです。

前回、帽子を見せたらうれしかったらしく、「これは、なんや。わしのか?」と、見るたびに聞いてきました。これは、次までには替えておかないと。

ということで、今日。イオン久御山まで、次男と交換に行ってきました。
「サイズが合わなかったので、交換して欲しいのですが。」
と、レジで言ったら、「いいですよ。レシートありますか?」
「売り場で見てきてください。」

よかった。簡単に替えていただけました。

親切な店員さんとイオンに感謝です。

でも失敗って悪くない。親切を感じられたり、感謝を感じるから。次は気をつけます。





心はブラックボックス

2013-06-12 22:31:47 | 音楽

先週最後に植えたのが、ミニパプリカ。ピーマンではありません。
パプリカは好きなのですが、地産地消を理想と思っているので、国産をと思ってもあまり手に入りません。お店で苗を見たときにそこに究極の地産地消を思いついたのでした。

ゆでたパプリカを、プロセッサーで潰して豆乳を加えて、冷やしたおいしいパプリカスープをいただくのが、この夏の目標です。想像しただけでヨダレが・・・食い気とともに生きている私です。

「心はブラックボックス」アドラー心理学の野田俊作さんは、言っていました。

他人の心の中は誰にもわからない。ただ、出てきたもので推し量るしかないけれど、それが当たることなどほとんどない。それならば、心のことは少し置いておいて、言動だけを取り扱いましょう。

心理学の権威の言葉とも思えない。
と、思ったものです。

愛しているといいながら、殴ったり、脅かしたりする人がいます。他の人からは狂っているとしか思えないことが、人の心の中では行われています。

心と言動が一致して、幸福を追求していれば人は幸せになれますが、殴るのが愛しているの表現方法だと、間違えて覚えてしまったような場合は、表現において何が「愛」なのか修正しないと、これは相手があることなので、どんなに愛を表現しているつもりでも、伝わらない。

殴ってしまうのが愛だと思ってしまう心は、誰にも変えられないし、大人になってしまうと本人にも変えられないかもしれない。

だから、そこは触らなくても良い。でも、人の中で生きていて「愛」を相手に伝えたいなら、常識的な愛の表現、言動を学んだ方が良い。常識を科学する学問が心理学。っていうような意味なんだろうなぁと、今は、自分の中で整理しています。

音楽の表現も、長い年月多くの人が関わって伝わってきた表現法には、楽譜に書かれているものをこう読むというような常識があります。

その常識は、その国文化や歴史でもあるし、自然の一部でもある人間の体の理にかなっているような表現にもなっています。

特別な、異様な奇跡のような何かを思っている人はがっかりするかもしれません。
実際は長く伝わってきた名作ほど、特別なことはありません。
多くの人が支持し、愛したものが、人に理解できないほど突飛なことは有り得ないからです。

名作ほど、時代や、国、文化を超えて、多くの人が自分の人生に引き寄せて共感できるものなので、つまらないほど常識的です。

その時代の常識の一歩だけ先を、どう使いこなしているか?
それでも、オリジナリティや、こう聞いて欲しいという作者の個性は、絶対に消えない。演奏家はもっとそのことがわかっています。楽譜もやることも同じなのに、誰が演奏したのかで、全く違います。

作曲家の言いたかったことはもう誰にもはっきりとはわからないけれど、小さな音の変化や、一つの音符の中の変化に感動する。共感することで、何か伝わってくるものがあります。

人は思っているよりもっと繊細です。作者の小さな違いを学び、知り、共感できれば、できるほど、聞き分け、細かい心のひだに入り込む演奏ができていくのではないか?と思っています。





子育てサロン6月

2013-06-11 23:09:44 | 子ども

トマトを植えました。サントリーの作った苗で、「たんさんがんば」という名前です。簡単でたくさんとれるというキャッチコピーにつられて買ってしまいました。もうすでに実がついています。楽しみ。

今日は子育てサロン。
地元、幼稚園でのサロンです。

今日は、天候があまりよくありません。
集合場所に行ってみると、スタッフのTさん、Yさん、Mさんが受付グッズを取り出してくれていました。6月にしか出せないカエルと紫陽花の壁面飾りをもって、幼稚園へ。

行く途中に、Mさんが「もう取ってきたん?すぐ行くわ。」校門の外から声をかけてくれました。
園長先生にご挨拶して、例によってお掃除。
幼稚園生には、OKの砂埃も、ハイハイの子どもにとっては無理。
雑巾がけは必至です。

天気のせいで、出足はやっぱり悪いですが、開始時間の10時近くになると、少し晴れ間も。おかげで、そこそこの集まりでした。

今日は、サロンの歌の後、お母さんたち同士、仲良くなってもらうために、自己紹介ゲームをしました。
そして、園庭で遊べる数少ない機会に用意したしゃぼん玉遊び。

雨が降らないうちにどうぞと出しましたが、それから一向に降らないので、たっぷり遊べました。

花王ファミリーフレッシュコンパクト:PVA入りの水糊:水=1:7:10 の割合で配合したしゃぼん玉液は、安くてもちがいいので、たくさんのこどもたちとたっぷり遊べます。

幼稚園にたらいをお借りして、骨だけにしたうちわを液につけて振ると、簡単にこれでもかというほど、たくさんのしゃぼん玉ができます。
サロンに来るのは、1歳,2歳の子が多いのですが、これだと小さな子どもでもしゃぼん玉がつくれます。

それから、二組みのお箸の先に2mほどの輪にした太い紐を、輪にしたしつけ糸に通してしゃぼん液につけて、ゆっくり引き上げて、ゆっくりゆすると、大きな、大きなしゃぼん玉ができます。

ちょっと難しいですが、できると歓声があがります。

Tさんが、サロンの前に、いつも少し話してくれるのですが、「助けが欲しい時は、誰でもあります。家族でも友達でも、両親でも、お姑さんでも、行政でも、「助けて」って言ってください。とにかく、誰でも声を上げることが大事。」という事を今日は話してくれました。

誰にでも、身に余ることはあります。そんな時、「助けて」、もらうことは、ちっとも恥ずかしいことではありません。世の中は回りまわってできています。

生まれた時は誰も助け無しには2分と生きられない。老いてくると、やはり助けなしで生きることはできない。壮年で、元気でバリバリ働けている時にしても、人の作ったものを食べ、人の作ったものを着て、人の作った制度の上に働けているのです。

「助ける」機会はすぐにやってくるし。「助けられる」機会もです。
だから、ためらわずに、辛いときは助けてもらいましょう。そして、できれば、助ける側にもまわりましょう。それが、仲間になるということだと思うのです。
私もそうやって助け、助けられて子育てをしてきました。そして、今はスタッフのみんなに助けられています。
人生は楽しいことばかりではありませんが、仲間がいると暖かく楽しいですよ。
サロンはそのことを伝えるためにも、あるのだと私は思うのです。


学び続ける

2013-06-10 23:16:13 | 哲学

花が終わった水仙の球根を掘り出して、バジルの苗を植えました。
昨年味わった美味しい思いが、忘れられません。ちゃんとお世話すれば、二匹目のどじょうは、必ずいるのです。

NHKのクローズアップ現代で、登山家の三浦雄一郎さんがなぜ、80歳でエベレストを登頂できたのか?というテーマで、いろいろな科学者が三浦さんの研究をしていました。

60代の時、糖尿、肥満、心臓疾患と、目標を失い、体の調子も崩していた三浦さんは、父敬三さんの、姿に目を覚まされたといいます。

敬三さんは90歳を過ぎて、モンブランをスキーで滑空するという目標を掲げ、日々のトレーニングに励み、ついに達成します。

その父を見て、自分も負けていられないと、エベレスト登頂を目標に揚げて、トレーニングを再開します。
しかし、はじめは体がなまってしまい300mの山でも、息が切れたといいます。

足に2キロの重りを巻き、背には30kgのリュックを背負い、毎日街を歩いたといいます。8時間も歩き続けたこともあるそうです。
「山を歩いているみたいで楽しい。」と三浦さんはいいます。

しかし、三浦さんは5年前崖から落ち、骨盤を3箇所も骨折してしまいます。
「寝たきりになるかもしれない。」という主治医の心配をよそに、病室の中は、トレーニングジムのようなありさまになり、見事、三浦さんは復活します。

12年間、三浦さんの体力の記録を取ってきた教授は、エベレスト登頂前の状態を最高だといいます。
握力、背筋、脚力すべて自己ベスト。

脳のMRIを撮ったら、80代の脳は萎縮がかなり進んでいるらしいですが、三浦さんの場合はほとんど萎縮が進んでいないそうです。歩くことと脳の認知能力の向上は相関関係があるそうです。

最後に心理学者が、三浦さんに生活状況や、心理状況を調べます。
すると、他の多くの80代の人になく、三浦さんにだけある特徴が浮かび上がってきたそうです。

それは、三浦さんには、目標があるということだそうです。

目標があって、それに向かって体を鍛え、人の意見を聞き、本を読み、学び、努力する。そのことが三浦さんの体を向上させ、脳を活性化しているのです。

「人間はいくつになってもここまで、成長できるのだ」ということを、すべての登場者が驚きをもって語っていました。

人間は、みんな年をとって、最後には死ぬ。それは動かしがたい真理。
グチグチ年を口実に学ばない人は、若くても、環境が整っていても、何か他のことを理由に学ばないし、成長しようとしないものです。
いつからでも、いつでも、何からでも学ぶことはできるし、人間は変わることができるし、成長することができる。

私は三浦さんは80歳になってエベレストに登ったことだけが素晴らしいのではなく、いくつになっても、日々の生活の中で努力し、成長し続ける姿が、人の生き方として、美しく素晴らしいのだと、感動しました。


中国のお土産

2013-06-07 23:24:07 | Weblog

ドイツのお土産話が終わらない内に、台湾に行って帰って、それから中国に行った夫が帰ってきました。
お土産は、スルメとタラの干物。
「中国なのに、海のもの?!」と言うと、「青島だからね。」
人口871万人 面積10654㎡ 人口密度818人/k㎡
ちなみに枚方市は
人口40万人 面積60㎡ 人口密度 6024/k㎡
やっぱり、中国は広いです。

1月に行った時には、青島ビールを1ケース24缶、スーツケースに入れて重さに「うん、うん。」うなりながら欲に駆られて、持ち帰って来ましたが、今回は、ブドウを発酵させたお酒を1瓶先に頂いたそうで、「これが、重かった~。」って、それもそのはず、中身も重いですが、瓶がぶどう型の陶器。
重いはずです。

で、なぜか、中国食材の写メがお土産です。

アメリカザリガニの山

これは、貝類ですが、夫が「ヒトデ、ヒトデ。」と言うのでよく見ると、一番奥の赤っぽいのがそうです。

さすが、青島魚介類が豊富です。


しかし、道端では、肉も売っています。何の肉かは、こういう形状での肉を見慣れていない私たちにはわかりませんが…。


中国とはいろいろなことがありますが、こういう写真を見ると、国ではなく、そこに住む人の生活が見えてきます。

井原西鶴は、商人は笑人。笑顔でないと商いはできない。奪い合うのではなく、お互いが納得して笑顔になるのが商い。と書いています。
お互い、笑い合えるような関係が続くことを祈らずにはいられません。


モーツアルトの音

2013-06-06 22:49:40 | 音楽

夫のドイツ土産、もう一つありました。モーツアルトチョコレート。姉のナンネルチョコレートと対です。
ピスタチオ、アーモンド、栗を潰して練って生チョコを包み、その上からもう一度、チョコレートでコーティング。丸い球体。ヨーロッパらしく、日本人離れしたコッテリ感があります。
友達が来る度にコーヒーのお供に出して、写真撮る前に中身は、もう食べてしまいした。

Gdurのコンチェルトを練習していると、このコッテリとした、華やかな感じがなかなか出ません。
一昨年、マクサンス・ラリュー氏御年76歳だったか。来日公演、モールアルトの、音が忘れられません。

楽譜は私たちのと同じ、リズムも、オーケストラは京響。
それでも、あのコッテリとした華やかな音、少女漫画世代の私が舞台を見ていると、ラリュー氏が花を背負って見えました。

文化や歴史、民族の違いって簡単ではないです。
しかし、できないって言いたくない。

憧れの音があるって、幸せです。
やっていればいつかは近づけるかも。あの音。






走る

2013-06-05 23:12:37 | 音楽

今年のアリッサムの最高値。


5月6日のことでした。ノースポールも勝手に生えています。

今は、暑すぎてこんな感じではありませんが、まだ、がんばっています。

いい音で吹きたいという意識が大きすぎて、アンブシャーのことや、呼吸の仕方、立ち方、持ち方、腕の角度、肩をあげたり下げたり、足の位置、1ミリの何分の1単位で変えてみたり、いろいろなことを、一音づつ変えてみたり。

それはそれなりに効果はあがるのですが、繊細ではあるけれど、音量がイマイチ上がらなかったり、音のキレが悪くなったり・・・ちまちまとした臆病な演奏になって抜け出せなくなってしまうときがあります。

そんな時は、よく言われていることですが、私も「走ります。」

私の場合、狭いリビングのものをできるだけ片付けて、グルグル回ったり。一番長い一辺を、ダッシュして、止まって、またダッシュ。

3分から5分もすれば、息が切れてきます。

それで、吹くと、細かいことは考えられなくなります。つまり、アンブシャーも持ち方も適当。
ブレスも息が切れて長くはありません。

それで吹こうとすると、注意できるのは呼吸のことだけ。
しかも、シャッフルされて小さな筋肉は力が勝手に抜けています。
つまりコントロールできるのは横隔膜だけ。しかも、そんなにコントロールもできません。

コントロールしてガチガチだった演奏が、自分でもびっくりするくらいフリーになります。
脳と、本能に任せるというか。自分の身体を信じるというか。

何か今までとは違う力の使い方が発動します。
これは面白いです。ぜひ試してみてください。


廃園

2013-06-04 22:51:31 | 子ども

ヒべりカム・ヒドコート 大輪金糸梅が、このあたりでは今が満開です。中でも、量といい、元気さといい、ここのが一番かな?近くのマンションのエントランスの金糸梅です。

昨日、看板、やっと完成しました。



やったー!

ピアノのTさんの分も完成。
ニスを塗って、光っています。Gさんとの合作。どこがGさんで、どこが私かわかるかな?

生徒さん募集中です。

3人でいると、当然のように、子どもたちが通った幼稚園の話になります。
公立で、お弁当持ち、毎日送り迎え。手作りの通園バッグに、お弁当袋。
お祭りの準備、バザー、ステンシルのカーテンや、倉庫の動物の絵、トールペイントで描いたクラスの看板。今も、幼稚園にはその時に、私たちが作ったものが残って、使われています。

トールペイントもその時に、始まったのでした。

しかし、枚方市の方針で、来年3月の子どもたちの卒園と共に、廃園です。
私たちの子どもが通っていた時は、40名2クラスだった園も、少子化の上、保育園や、3年保育に子どもが移動し、今や、年長、年少1クラスずつの2クラス。

小学校も地域の活動の拠点でしたが、毎日親子で顔を合わせ、直接話すことのできた2年間で、地域デビューするのは、親の私たちの方でもありました。

手作りを面倒くさい、大変と嫌う親が増えているそうですが、地域活動だって、子育てだって、面倒くさくって、大変な中に、大きな喜びが、あると気づかせてくれたのが、親になって初めてした主体的な地域活動。幼稚園のPTAでした。

自分のことばっかり考えていた私が、我が子のために、環境を作りたいって、やっと自分と子どもくらいの視野をもって、地域活動を始めると、「あそこの子どもが気になるねんけど、どうかな?」と、よその家の子どもにまで、気遣っているママがいて、「子どものためにパトロールしたい。」って、自分の子どもは、何年も前に卒業しているのに、パトロールしてくれるおじさんや、おばさんが居たりして。

だんだん、私のことも、地域活動をするうちに、一緒くたに育ててもらって。人とのつながりを感じさせてもらって。
みんなと出会って、

子どもが小さい時や、高齢者がいたりして、一人では抱えられないことができた時こそ、人とつながるチャンスなんだけどなぁ。





今を生きる

2013-06-03 21:28:04 | 哲学

デンドロビウム キンギアナム 
「こんな、高価なもの、いただけないわ。」
「大丈夫、たくさん、あるから。」とSさん
「本当?」
「大丈夫、大丈夫。」・・・って、頂いてしまった。申し訳ない、本当に、ありがとうございます。とっても綺麗で、うれしいです。

今朝、母から電話で、「お父さんが、また管抜いたから、迎えに来て。」
「今日はショートステイじゃないの?」
「そうなんだけど、施設から電話で迎えに来てって。」

行ったら、手を上げて、ニコニコ笑って、「悪いな。」って。

「じゃあ、病院行くよ。」
「家帰るんとちがうんか。」
「帰る前に、病院にいかなきゃ。」
「なんでや。」
「管抜いたでしょ。入れてもらわないと。」
「えーっ。入れてもらわんとあかんのか。」
「そうだよ。」
「そうなんか。」
「そうなんや。」
漫才みたい。最後は、おかしくなって笑ってしまいます。

病院に行って、看護師さんに「自分で抜いたんですか?無意識?それとも意識的?」と聞かれて、「ふーん。どっちやったかなぁ?」
「自分で抜いたんです。」と私が言うと、「はい、そうです。」と言ったものの、
看護師さんが去ってから「わし、自分で、抜いたんかなぁ?」って
「抜いたんよ。」
「抜いたんか。」
「抜いたんよ。」
「抜いたんや。」
やっぱり、おかしくなって、笑ってしまいます。

車に乗って、病院から帰るときも「こんな道、覚えられへんわ。どこやここ。」
「運転しても、迷うな。」って。おおっ!お父さん、まだ運転する気なんだ。
父が見ている世界は、どんななのだろう?

瞬間、瞬間が新しく。過去は遠く、未来は無く、今があるだけ。
「お父さん、毎日新鮮でいいね。」
「そうかな。」って嬉しそうに笑っています。今に生きるのも、そう、悪くない。と思う私です。