日限山4丁目日記

横浜市港南区日限山4丁目は美しい町です。美しい庭・家は町を美しくし、人々を幸福にします。まちびと

強風の時の火事は非常にこわい

2016年12月24日 | 日記
12月22日の糸魚川市の大火を見ると、強風の時の火災は飛び火対策が重要ということがわかります。
消防は出火元の消防に全力をつくすことはできますが、どこへ飛ぶかわからない飛び火に対しては手が回らないことがあります。
住民が飛び火を見張り、見つけたらすぐ消すことが大事と思います。

飛び火は火の「粉」というより、しばらくは燃え続ける大きい燃焼物と言ってよいと思います。
これが燃え上って、遠く飛び、どこかの家などにひっかかります。
そこが可燃物だとそこから延焼がおこる恐れがあります。
瓦の隙間に入り込んで延焼をおこすこともあります。

飛び火対策として家庭用消火器、水道、貯水、消火栓が有効です。
日限山4丁目は消火栓の使い方の訓練がよく行われています。
まずは出火しないことが大事ですが、もし火災が生じたら、消防に任せるだけでなく、自分ができることはやるべきです。

ところで糸魚川の大火の原因は中華料理店の人が、鍋に火をつけたまま外出し、鍋が空焚きとなり、火事になったようです。
日限山4丁目でも台所で火をつけたまま、誰かとおしゃべりに夢中になったり、別の仕事をやって火のことを忘れたりして、天ぷら油に火が回ったということがときどきあると聞いています。
幸い火事になる前に消火できたようですが、決して火を使いながら、別のことに夢中になってはいけません。
別のことをやるなら短時間ですむと思っても火を消してからやる習慣づけが大事です。

冬季は暖房も要注意です。
特に電気ストーブは、予想以上に輻射熱が強く、距離があると思ってもある時間がたつと非常に熱くなり、可燃物が発火する恐れがあります。
部屋を出る場合は電気ストーブを消す、寝るときは絶対電気ストーブを使わないなどの習慣づけが大事です。
町の人から、電気ストーブで布団が燃え出し、危うく火事になるところだったというお話しを聞いています。

設備が古くなり、一部が熱を持ち、木部やプラスチック部が燃えたという事例はかなりあるようです。
日限山4丁目は高齢化とともに住宅および設備が老朽化しています。
目に見えない部分はどうなっているかわかりませんから心配です。
少なくとも目に見える部分は熱くなっていないか、焦げていないか調べ、お金がかかっても修理することが大事と思います。
コンセントの前にいろいろものを置き、差し込んだプラグが緩くなっていると、接触不良が続き、発熱していることに気づかないことがあります。
コンセントは見える状態にしておき、異常にすぐ気づくようにしておくべきです。
重いものを置いた裏側のコンセントは使うべきではありません。
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葬儀

2016年12月16日 | 日記
日限山4丁目は非常に老人割合が高く、40数%に達しています。
亡くなる人が増えています。

誰かが亡くなると、西洗自治会は、亡くなった人が所属する班で班長が葬儀の予定などを回覧します。
その他の班には回覧しません。
また、日限山いぶき会(老人会)に所属する人が亡くなると、老人会が会員に回覧します。
そのほかの組織は詳細はわかりません。
何らかの形で情報が流れていると思います。
西洗自治会や日限山いぶき会が会として葬儀に協力することはありません。

近年は家族葬が増えています。
誰かが亡くなっても家の人が自治会などに連絡せず、小さく葬儀を行うことが増えています。
仮に連絡したとしても家族葬にすると言って香典供花焼香をお断りすることが増えてます。

あるとき隣人が亡くなり、班から何の連絡もなかったのですが、その家の人から個人的に情報が流れてきました。
家族葬にするから班長には連絡しないとのことでした。
香典供花焼香はおことわりとのことでした。
私は何も持たず、すぐ訪問し、お別れだけ言いたいと申し入れると、家の人は即座にどうぞと言って亡くなった方が横たえられている部屋に案内してくれました。
亡くなった方と二人だけにしてくれました。
お別れを心のなかで言って、その後、家の人とほんのちょっとお話しをして帰りました。

家族葬は趨勢なのでしょう。
葬儀より生前の交流が重要です。
ボランティア組織に参加したり、サークル活動に参加したり、催しごとに参加したり、訪問し合ったり、道で会ったら雑談したりして、町で明るく仲良く楽しく生きることが大事と思います。
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日限山4丁目の昔の地形

2016年12月08日 | 日記
新しく来た人は町の名前が日限山4丁目で、現状は高台のようになっているので、自分の町は日限山という山の南端部と思うかもしれませんが、日限山という山があった訳ではありません。
近くに日限地蔵尊があるので、高台状の新町に日限「山」という名前をつけたのでしょう。
日限山の前は上永谷町という名前でした。
‏日限山4丁目の南側の地域はいまだに上永谷町という地名が残っています。

日限山4丁目は昔は複雑な谷戸構造でした。
山を削り、谷を埋めて平らにしました。
谷戸構造は近くの舞岡公園の山谷の構造を見ることで想像できます。
具体的にどのような谷戸構造であったかは、横浜市建築局都市計画課がインターネットで公開している「横浜市三千分一地形図」(昭和40年3月修正:横浜市作成)を見るとよくわかります。
いっぱい地形図がありますが、日限山4丁目は「75-5下倉田(昭和40)」の右上の部分です。
これは日限山4丁目の宅地造成が行われた前の地形図で、等高線が表示されているので山部の高さ、谷部の深さがよくわかります。
この古い地図上で自分の家がどこにあるかは、"Google Earth"というGoogleのソフトを使って、「下倉田(昭和40)」の地図と、現在の上から見た町の重ね合わせを行うとわかります。
「下倉田(昭和40)」のKMLファイルをダウンロードし、このファイルをGoogle Earthで開くと重ね合わせができます。

「下倉田(昭和40)」の地形図をみるだけでも自分の家の位置はわかります。
昔も今も変わっていない地点を2か所見つけます。
まず現在の地図上でその2点から自分の家まで直線を引きます。
三角形ができます。
次に「下倉田(昭和40)」の地形図で2点を底辺とする相似の三角形を書きます。
頂点が自分の家の位置です。

家を建てるとき業者は地盤の硬さを測定します。
山を削った部分は硬いデータ、谷を埋めた部分は軟らかいデータが出ます。
私の宅地は、東側が硬く、西側が軟らかでした。
つまり、東側が削られた部分、西側が埋めたてられた部分ということがわかります。
「下倉田(昭和40)」で確認した位置と符合しています。

上永谷駅の近くに貞昌院という曹洞宗のお寺があります。
上永谷町の昔の航空写真が廊下に飾ってあります。
複雑な谷戸構造がわかります。
山部はほとんどが山林だったことがわかります。
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