日限山2,3,4丁目と南舞岡は約50年前に誕生した新町で、道路は計画的に建設され、周囲は環状緑地帯に囲まれ、非常に恵まれた住環境です。各家庭は、美しい町に住んでいると自覚しているからだと思いますが、美しい庭・家づくりに熱心です。
すべての人が周囲の環状緑地帯を美しいと感じていると思いますが、その現状に満足してしまっていると思います。もし私達が工夫努力すれば、もっと美しい、将来も確実に存在する、人々の健康生活に役立つ環状緑地帯に改善することができます。理想は老人も歩ける比較的アップアンドダウンが少ない緑道で公園を結んだ本格的環状緑地帯です。
横浜市は、市の緑被率がどんどん低下するのを心配し、日限山地区・南舞岡周囲の緑地帯を横浜市有数の緑地帯にしたいと考えています。推進に必要なことは、資金と横浜市民、特に近隣住民の具体的な改善意欲です。近隣住民の中には確実に日限山4丁目の人々も入ります。
現在の舞岡公園は、当初、日野公園墓地のような大規模公園墓地にする計画でした。その証拠が、現在舞岡公園の南端近くにポツンと存在する久遠寺の墓地です。ここには寺院はなく、小さな墓地だけが存在します。見る人は、何でこんなところにポツンと墓地があるのかと不可解に思います。横浜市が広大な公園墓地を建設すると言うので久遠寺はその南端近くに土地を買い、墓地を建設したと思います。
久遠寺の墓地建設計画を知り、西洗自治会は町をあげて墓地反対運動をおこしました。住宅地に隣接する墓地は問題というに認識です。非常に激しい反対運動で、建設業者が非常に高くて長い塀を日限山4丁目との間に設けましたが、西洗自治会は一夜にしてこの塀を分解撤去してしまいました。久遠寺は激しく怒って裁判に訴えました。
西洗自治会が久遠寺の墓地建設を知った時、すでに市は久遠寺に建設許可を出していたので市も久遠寺も西洗自治会の反対を受け入れませんでした。裁判長は、西洗自治会は負ける、示談に入った方がいいと提言し、西洗自治会は多少の譲歩を受けて墓地建設を認めました。
この反対運動のため西洗自治会は何度も横浜市や横浜市会を訪問し、住宅地に隣接する墓地建設反対を訴えました。大勢の西洗自治会の女性達も市役所に行き、必死に反対を訴えました。この過程で、市では、現在の舞岡公園を、実は大規模公園墓地にする計画が進んでいることがわかりました。幸いにもこちらは決定になっていませんでした。久遠寺の墓地建設現場の塀の破壊行為に及ぶような西洗自治会の激しい反対運動に市も市会も驚きました。当時、公園墓地は衛生局、自然公園は緑政局の管轄で、緑政局は何とか自然公園にしたいと思っていました。緑政局は西洗自治会の激しい墓地反対運動に助けられ、力を盛り返し、最後は舞岡公園は公園墓地でなく農業・自然公園とすることを市・市会は決定し、現在の舞岡公園が誕生しました。
このように近隣住民の意欲は市政に反映されます。町の周辺の環状緑地帯について市は本格的緑地帯(公園・緑道)として未来に残したいと思っています。市は、近隣住民がこの環状緑地帯をよく歩いて町自慢にしてほしいと思っています。
町の人々が、現状に満足せず、周囲の緑地帯をよく散歩し、町を囲む本格的緑地帯(自然公園・緑道)を建設したいと思うようになると市・市会も動きやすくなります。