先月の4月14日(4のつく日)、日限地蔵尊に行ってみたが、日限茶屋が閉まっていたので、今日、改めて行ってきました。
みどりの日、舞岡公園に行って新緑を楽しむのがいいのですが、明日、5月5日、10:00-12:00、舞岡公園小谷戸の里で「こども谷戸まつり」があるので舞岡公園は明日行くことにしました。
ところが、今日、近くに住んでいる娘家族が庭でバーベキューをやっているので来てと言ってきました。そこでお昼まで娘家族の庭でバ―ベキューを楽しみ、14時ごろ地蔵尊に行きました。
さすが、ゴールデンウィークの中日(なかび)、しかも4のつく日です。地蔵尊の駐車場は車がたくさん駐車していました。
地蔵尊の坂道を登りつめ、左に曲がると、小屋っぽい(安っぽい)建物がありますが、その一番、端の部屋で日限茶屋が店を開いていました。
結構、中は広くて、テーブル・椅子のコーナー、座卓のコーナーがあり、奥が厨房になっていました。
運営は福祉団体さわやか港南のボランティアで、5人ぐらいが、料理をつくったり、接待をしたりしていました。お客さんは7人入っており、結構、賑やかでした。
私は、おしるこを頼み、そこで食べ、おでんを持ち帰ることにしました。おしるこは、量、甘さがほどよかったと思いました。おでんも、晩、家で食べましたが、味が、大きな大根などによくしみ、おいしくできていました。
15時前ぐらいまで店にいましたが、ボランティアとお客さんの間で雑談が弾んでおり、楽しい居場所になっていました。外国人の若い女性が若い男性と来ていて、誰かが、女性に「お国はどちらですか」と聞きました。女性は日本語がまだわからないようで男性が代弁しましたが、何とウクライナということで、また雑談が広がりました。アジア諸国の言語の違い、類似、コオロギの餌料化、食材化、書道の指導の仕方など雑談が展開し、誰かが、「今日の雑談は文化水準が高いわね」と言っていました。日限茶屋は地域の居場所として機能していると思いました。ボランティアはみんなご老人です。地域に人々の居場所をつくるため頑張っています。全員、経験知識の豊富な人達で、雑談は、知識交換に近く、楽しくもあり、勉強にもなります。
日限茶屋を出て、前回見なかった、昔の本堂ではないかと思ったお堂に行ってみました。昔は破棄されたお堂でしたが、今は手入れして、歓喜天(かんぎてん)を祀っていました。しかしこれは違和感を感じました。地蔵尊に歓喜天はないでしょうと思いました。日限地蔵と異質の仏集めは地蔵尊の特徴を弱めます。
歓喜天は、もとは古代インドにおける仏教者を誘惑する魔物でした。それが、やがて仏教に取り入れられて、仏になりました。わが国では真言宗系の寺院に祀られ、多くは秘仏(男女が抱き合う姿など)とされています。ここの地蔵尊は今は真言宗系です。現在の住職が歓喜天を持ち込んだのではないでしょうか。ご利益(りやく)は、あい納得ですが、難病治癒、夫婦和合、子を授かるなどです。
このお堂から南に下る小道があり、気持ちよい散策路だった記憶がありますが、今は立ち入り禁止になっています。住職の私的庭園になっているのでしょうか。代わりかどうかわかりませんが、現在の本堂の西にある林の中に小道が設けられ、その奥にお地蔵さんを祀った小さな祠があります。林は、小高い丘の上にあり、巨木となった桜が多く、やはり巨木になったみずきが混じっていました。下草はきれいに刈り込まれ、小道の脇にはシャクナゲなどが植えられていました。
現在の住職は、信者を増やすことに熱心なようで、実際、昔に比べると信者は増えたと感じました。観光地としては横浜ではまだ下位に甘んじているようです。日限茶屋ですが、安っぽい物置のような建物でやっていますが、福祉団体さわやか港南は、住職とよく相談し、何らかの方法でお金を集め、ちょっとしゃれた茶屋らしい建物にし、隣の饅頭屋も吸収一体化すると、一段と集客力を上げ、投資に成功し、さらに日限地蔵尊の集人力を上げることになるのではないかと思いました。
ボランティアが高齢化しており、日限茶屋の運営に若い人を入れることは必要です。住職が中心となり、となりの饅頭屋(若い女性が3人も店番をやっていました)を日限茶屋に吸収一本化し、日限地蔵尊の茶屋としてはもちろん、さらに地域の茶屋、居場所として展開した方が、地蔵尊にとっても地域にとっていいことではないかと思いました。
そのほか、地蔵尊は、境内の美化に一段の工夫努力を行うといいと思いました。