西洗公園は街区公園、つまり主に日限山4丁目の住民のために設けられたまちなかの公園です。人口2000人ぐらいの町に、樹木公園、芝生公園、遊具公園の特長をバランスよく持った美しい公園があることは住民にとって嬉しいことです。自治会館用地は1㎡も提供しない横浜市が、公園用地は4300㎡も提供しています。しかも美しい公園を完成して提供してくれました。これはすごいことですね。新町誕生の50年ぐらい前のことです。横浜市は公園を重視していたと思います。
しかし、アメリカ・ヨーロッパなどの公園に関する都市行政を見て、横浜市は見栄を張った面もあるでしょう。自治会館軽視の原因は、アメリカ・ヨーロッパなどに行政提供の自治会館がなかったからでしょう。アメリカ・ヨーロッパなどには、住民がキリスト教会をまちなかに設ける慣習がありました。
昔の日本は、神道・仏教が盛んで、町あるいは村は神社仏閣を建て、そこで町などのことを考え、行事を企画実行していました。神主や僧は町などのことを考えました。
しかし、戦後、農業から工業・商業へ経済構造が大きく変化し、地方経済が、都市部経済、全国経済、外国経済、世界経済になり、人々が激しく流動しました。私は、静岡県西部の磐田という農業地方に育ち、学校では化学工業を学び、化学会社に就職し、東京本社勤務になりました。子供の頃、学んだ慣習は東京では役に立ちませんでした。自分で東京に順応するしか生きようがありませんでした。
30台で横浜の新町日限山4丁目に移住しました。自分なりに住環境がいいと思い、戸建住宅の町をいいと思い、通勤不便を覚悟し、ここに移住しました。
新町です。町にはもちろん神社仏閣はありません。町の人々が集う場所がありません。故高木武栄氏は、大規模宅地造成を横浜の南の広大な山林で行った京急と関係が深かったようで、1974年、初代西洗自治会長に就任し、3年にわたって町の体制づくり(西洗自治会づくり)に貢献しました。同時に彼が注力したのは自治会館づくりでした。昔の神社仏閣づくりのようなものだったでしょう。行政との交渉、京急との交渉に彼は情熱を傾けました。成功し、狭い敷地、小さい建物ながら、西洗自治会は日限山3丁目の港南プラザ自治会と共有の形で自治会館を持つことができました。現在の自治会館は2代目で、初代木造平屋が、今は鉄骨構造2階になっています。残念ながら狭い敷地はそのままです。2代目も間取りが不自由で、便所の不備は今も問題になっています。
行政が十分大きな自治会館を町に提供する考えは今もないと思います。日限山4丁目の住民に、自治会館建設のために喜んで寄付する動きはないと思います。
日限山4丁目に住んだ初代は、若い間はそれなりに町づくりを頑張ったが、65歳以上は老人との政府の定義を聞いたら、急にみんな老人っぽくなり、できない、やらないの合唱がはじまりました。2000年以降、西洗自治会は、建築協定から地区計画に移行するという住環境保全に失敗、まとまりを失い、お祭りは中止の危機、防災訓練はやった振りという悲惨な状態でした。美しかった西洗公園も雑草公園になりました。
町崩壊の危機を感じたのは老人の中の町のボランティア精神に富んだ人達でした。元気老人でした。2006年頃から元気老人は、自治会班長・役員に代わって、まずお祭りの維持に成功しました。2009年頃から防災機能の改善に取り組み、これも成功しました。住民が、50mmのホースを展開し、消火栓を使った初期消火ができる町は横浜でも数少ないでしょう。もちろん装備不備で、初期消火か延焼防止しかできませんが、老人の町ができるというのは驚きです。
2013年頃から、町の老人ボランティアによる西洗公園の雑草とりが始りました。当時、仰天ですが、町には公園の雑草をとってはならいという気ちがいじみた自治会の不文律がありました。ボランティアは自治会に断固反対の姿勢で雑草取りを継続しました。困った自治会は、雑草とり反対者を呼び、公園に関心ある人を集めて大会議を開催しました。結果、公園雑草取り反対者はマイナー、声が大きいだけと判明しました。2013年、自治会の公園の雑草はとってはならないという不文律は、とるという不文律にかわりました。
西洗自治会が、毎月1,2回の当番班2班による公園清掃において、楽な落ち葉掃除重視から苦しくても雑草取り重視に方針変更したのは今年度5月からです。第2世代の活躍が目立つようになってやっと若い世代へ活動主体が移行する動きがでてきました。
元気老人が活躍する時代は過ぎ去ろうとしています。元気老人もどんど消えています。
第2世代は、社会的孤立者が多い、人口が少ないなどの問題があり、依然、西洗自治会の危機は続いています。
しかし、町の仕事をする人がいかに少なくなっても、自治会館の維持管理、公園の維持管理は非常に重要なことです。町の人々をまとめる中核施設です。昔の日本の神社仏閣、西洋のキリスト教会・公園・広場などに相当します。
いかに流動社会になっても、子供達を育む町の役割は大きいと思います。老若男女が協働する町は、必ず、元気で生き生きした人を育みます。内向的な人を減らします。
4300㎡の西洗公園は、日々働く数人の園丁(西洗公園愛護会員)がいれば、今後50年、維持管理改善は実行可能です。年金生活者が、年金が報酬と思って、園丁仕事で老人生活を楽しむことは、一つの幸福な生き方と思います。園丁になるということは、自分が西洗公園を居場所、活動場所として活かすことになります。楽しいことだと思います。