都営地下鉄の三田線は、長らくJR田町駅に程近い東京都港区の三田を起点に、超巨大団地で知られる板橋区の高島平方面へ向かう路線で直流1500V・架線集電方式に20m車体の4扉車が運用される路線ながら起点・終点のどちらからも他社への直通運転を行わない単独の路線でした。一番最初に開通した区間は都営6号線として巣鴨~志村間(現在の高島平)間で、その先の西高島平までは東武鉄道の高島平線として計画されており埼玉県の大和町(現在の和光市)まで建設の上、東上線と直通運転を実施、都心側も現在の浅草線の西馬込方面へ延伸し東急大井町線・田園都市線方面へ直通する予定でした。このような経緯から三田線は先述の規格で建設されましたが、1965年に突然東急が直通運転の計画を銀座線(後年半蔵門線に変更)に改め中止を申し入れ、さらに東武鉄道も有楽町線との直通に舵を切り、三田線と東武東上線・東急田園都市線との計画は実現しませんでした。しかし1968年に再度延伸が計画され、1985年には最終的に路線を目黒までとし、東急目蒲線(現在の目黒線)との直通が決定的になり現在に至ります。
散々振り回された感がある三田線の計画ですが、路線は変更になったものの当初の東急乗り入れは2000年9月26日より開始され、直通開始直前の8月10日には全区間でATOによるワンマン運転とホームドアの使用が開始されています。これらに対応するべく、初代車両の6000形の置き換え用として2000年6月から大量に増備されたのが写真の6300形3次車で、VVVF制御の半導体素子をGTOサイリスタからIPMに変更し、導入コストを下げるために一部の設備を簡素化しているため初期車両とは様々な相違点が生まれています。
目黒線に乗り入れて複々線区間を行く6300形。製造当初より8両編成化が想定されている設計で、車両番号も5・6号車が欠番になる方式でしたが、残念ながら本形式については登場以来の6両編成のままの運用に留まり、1・2次車は廃車、3次車も新横浜までの運用となり相鉄線への乗り入れは行わないことになりました。
車内設備は初期車を踏襲する部分も多いですが、座席配置はすべてロングシートとし車端部に設置されていたボックスシートは廃止されました。また化粧板仕上げのドアはステンレスのメーカー標準品を使用しているものの写真でも判るように都営地下鉄独特の四角形の手掛けは何故か採用されているのが面白い点です。
車内案内表示器はLED2段式のスクロールタイプです。東急や東京メトロではLEDからLCD(液晶画面)への換装が進行していますが、こちらはそのままの状態を保っています。
残念ながら8両化が達成出来ず置き換えとなってしまった6300形ですが、残る3次車もいつまで活躍出来るか注目ですね。
※2018年の記事を加筆・修正