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ドミナント・ネガティブ現象

2007-10-06 09:12:49 | 折々の随想
最近話題になっている本の1つに、福岡伸一著、「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)があります。この本はタイトル通りに、生命の成り立ちを、遺伝子レベルから分子レベルまで、これまでの研究者の逸話も交えながら、比較的分かりやすく書かれております。

研究者間の研究発表先陣争いでの桎梏なども面白く描かれており、DNAの画期的な増殖法であるPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)を生み出した、ラボテクニシャン(分子生物学などの実験に特化した職種)のキャリー・マリスが、このノーベル賞を射止めるに至ったPCRのアイディアを、ドライブ・デート中に思いついたという逸話も初めてこの本で知りました。

中でも、この本で最も印象に残ったのは、タイトルにあるドミナント・ネガティブ現象です。皆さんは、「ノックアウトマウス」という言葉を聞いたことがありますか?

30億塩基対もあるゲノムの中のほんのわずかな異常(コピーミス)が、難病などを引き起こす訳ですが、このゲノムが構成するヒトの場合に2-3万個もある遺伝子の1つを、わざと欠損(ノックアウト)させて誕生したマウスのことです。

この本で著者は、プリオンタンパク質遺伝子をノックアウトしたマウスを使って実験をしたところ、意外にも予想したような狂牛病と同じ歩行障害などの神経障害が出なかったのです。
どこにも異常が見つからず、普通のマウスと同じように生活をして寿命も同じ程度だった。ここから著者のさらなる探索が始まります。まずプリオンタンパク質遺伝子を、全部ではなく頭の三分の1だけ部分欠損させて再実験をします。すると、この場合にはマウスに致命的な異常をもたらしてしまったのです。

この著者の秀逸なところは、引き合いに出す例がとても分かりやすいことです。このノックアウトしたマウスの予期せぬ結果に対しては、テレビの受像器の例を引き合いに出します。「テレビの回路を構成する素子に関してこのような事態はありうるだろうか」と。テレビの場合は、音声回路素子などを別にして、ある1つの素子をそっくり取り去っても映像が映る、その素子を少しだけ壊した場合は映像が全く映らない、こうしたことはありえません。

ここから先の著者の考えのひらめきも素晴らしいものです。それは、これまでの重大な錯誤は、実は「生命とは何か」という基本的な問いかけに対する我々の認識の浅はかさだということに気がつくのです。生命とはテレビのような機械(メカニズム)ではない、それが大きな錯誤であったのだと。そして、見落としていた「時間」という言葉を思いつきます。

ここのところが「生物と無生物のあいだ」というタイトルの本質に迫る箇所なのですが、生物と無生物を分けるものは、DNAの2重螺旋において見られるコピー機能と、もう1つの重要なことは、「動的平衡」という機能であることに話が進みます。このことを著者の言葉で「時間」に沿って箇条書き的にまとめてみます。

1.私たちの生命は受精卵が成立した瞬間から行進が開始される。それは時間軸に沿って流れる後戻りのできない1方向のプロセスである。

2.生命現象をつかさどる様々な分子は、ある特定の場所に、特定のタイミングを見計らって作り出される。そして、形の相補正に基づいた相互作用が生まれる。

3.その相互作用は常に離合と集散を繰り返しつつネットワークを広げ、動的な平衡状態を導き出す。

4.一定の動的な平衡状態が完成すると、そのことがシグナルとなって次の動的平衡状態へのステージが開始される。

こうした時間の流れをまず頭に入れておいた上で、項目2のある特定の場所で特定のタイミングである分子が作られなかったとしたらどうなるのか?

ここが生命の素晴らしいところですが、何とその欠損した分子を何とか埋め合わせようとして、動的な平衡状態はその平衡点を移動して調整を行おうとするのです。この「緩衝能」が動的平衡というシステムの本質、つまり生命の本質なのです。これは欠損に対してだけでなく、過剰と言うことに対しても働く動的平衡システムなのですね。

ここのところだけを見れば、例えばインターネットのルーティングについても多少は似たところがあるようです。我々がインターネットで送る、例えばメールデータが辿るインターネットの経路は、ある経路が混んでいれば別の経路を辿って、最も効率よく短時間で所定のネットワークハブにまで行き着くようになっております。

それを可能にしているのは、このインターネットにはネットワーク上の重複や過剰が組み込まれているためです。言い換えると余分なリソースが過剰に重複して混在していることが、それを可能にしているとも言えます。

生命も実は、このことと全く同じ過剰や重複が、動的平衡システムに埋め込まれているため、同じ生産物を得るために、類似する遺伝子が複数存在し、異なる反応系が存在しているという訳です。

さて、ここからは本題のドミナント・ネガティブ現象の話に入ることになります。

動的平衡システムは、偶発的な欠損や過剰に対しては、システムを最適化するための応答性と可変性を実に柔軟に発揮してその埋め合わせをしますが、こうした動的平衡システムの許容性が逆に作用することがあるようなのです。要するに人工的に手が加えられた「紛い物(まがいもの)」までは、このシステムは想定していないのです。3分の1だけ部分欠損したプリオンタンパク質遺伝子は、そのまま首尾良く組織化が進んだと思いこんで、次の段階に進んで行きます。この時間は不可逆的です。元には戻れません。

この時の説明をジグソーパズルの例で著者は説明しておりますが、あるピースの周囲にあいたわずかな空隙は、次の段階まで進んでしまえば時既に遅しとなります。それどころか、そのわずかな空隙を最少化しようとしてピースが不規則にずれれば、その動きは別の部位に新たな空隙を作り出し、そのひずみは時間の経過と共に、より大きな全体へと波及してしまい、やがて平衡することが不可能な致命傷を、その生命のネットワークに与えてしまうのです。

これが、プリオンタンパク質遺伝子の全欠損よりも部分的な欠損の方が、ドミナント(優位)に害作用(ネガティブ)を与えるという意味で、分子生物学でのドミナント・ネガティブ現象と呼ばれているものです。

ここまでで終わりにしますが、この生命の持つ素晴らしい働きと、それを乱す紛い物、この比喩は様々な示唆を我々に与えてくれます。インターネットでのウィルスはまさに紛い物です。時間が後戻りできないというのがまさに生命の本質ならば、行き着くところまで行き着くのが、幸か不幸かこの世に生まれ出た者の本来の定めでしょう。何があろうともです。しかしながら、紛い物は排除しながら、地球上のあらゆる生態系を含む周囲との相互作用でうまく折りあっていくのが、その生命を生きながらえさせる道であることも確かです。

こうしたことに再度思いを馳せることができるのも、読書の大きな楽しみの1つですね。
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