団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

トロンボーンを吹けるなんて羨ましい(笑)

2017-06-25 04:17:34 | 日記
今朝も中日新聞の「くらしの作文」からです。
今回は71歳のパート男性の投稿です。
タイトルは「第三の人生」です。


 会社を定年退職後、第二の人生として、地元の介護サービスの送迎運転手を
10年余り無事に務め、近く退職することになりました。

 そんな折、隣町に住む息子夫婦から、「地元の公民館で演奏会があるから、
聴きに来ない」と言われ、家内と出かけました。

 息子夫婦がともに、音楽の趣味があることは知っていましたが、
演奏を聴くのは初めて。
二人のフルートと、孫娘のピアノ演奏に感激し、帰り際
「僕も高校の時、トロンボーンやってた」と言ってしまいました。

 家内にも話していなかったので、皆びっくり。
その場で、「いつかファミリーコンサートをやろう」ということになってしまったのです。

 後日、話を聞いた娘婿が、中古トロンボーンを購入してくれました。
懐かしい。
ブラスバンドで、当時は学校の備品として共有でした。

 五十余年ぶりのマウスピース。
「音が出ない」「音階がわからない」。
こんなはずでは。

 楽しみにしている息子家族には、「少し時間をくださいね」と言ってあったけれど、
リクエストしたビゼーの「アルルの女」の演奏に向けて、
トロンボーンを抱えて、孤軍奮闘。
第三の人生の始まりです。

  以上です。


 この男性、思いがけないことから第三の人生が始まりましたね。(笑)

>その場で、「いつかファミリーコンサートをやろう」ということになってしまったのです。

微笑ましいご家族ですね。
娘婿さんも中古トロンボーンを購入してくださったりと。

 私の中学・高校は吹奏楽部なんてありませんでした。
地方の貧しい学校は、そんなお金がかかる設備はなかったです。(苦笑)
吹奏楽部があれば、音符は読めませんが音楽は好きなので入ったと思いますが。

 小学校4年生の時の担任の男の先生は、音楽好きで自分でトランペットを買われて、自慢げに私たちクラスの
生徒に見せてくださいました。
確か秋の学芸会は、ブラームスの「ハンガリー舞曲第5番」でした。
私はハーモニカを吹いたのですが、一生懸命でした。
今でも練習を頑張った思い出が残っています。
小4の子供には、ちょっと難しかったですが。

 学芸会の日 先生は指揮をされましたが、髪をふりながら指揮棒を振られているのが子供心に
かっこいいと思ったものでした。
ハーモニカ以外の楽器はできないので、この男性のようにトロンボーンを吹けるなんて羨ましく思います。
ファミリーコンサートが実現するように、トロンボーンの練習を頑張って欲しいです。(笑)










ハンガリー舞曲 第5番 (ブラームス)
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一度も会ったこともないのに結婚させられた時代

2017-06-24 04:16:18 | 日記
 先日の中日新聞の「暮らしの作文」という読者投稿欄に64歳の女性のパートさんの記事が載っていました。
「笹島ステーション」というタイトルで書かれていました。


 あおなみ線ささしまライブ駅周辺の開発が進んでいるという記事を読み、
私は母の生前の昔話を思い出しました。

 昭和18年、双子の母たちが17歳のある日、両親から
「明日、お前たちの結婚式だ」と突然告げられた。
戦時中で、適齢期の男子が少なくなっていることを心配して、
二人一緒に嫁入りを、という親心だったのだろう。

 だが「一度も会ったこともないのに、絶対いやだ」と、
母たちは眠れぬ夜を過ごし、二人は意を決して結婚式の朝、家出を決めた。

 家から約1キロ離れた国鉄笹島駅へと走った。
行く先はどこでも構わないと。
だが切符は買えなかった。

 すでに笹島駅は貨物駅になっていて、客車の乗り入れは、
現在の名古屋駅前に移転していたからである。
 うろたえる世間知らずの双子の娘たち。
追いかけてきた両親に見つかり、連れ戻されたという顛末だった。

 「あのとき汽車に乗ってたら、あんたたちとは会えなかったねえ」。
これがいつもの母の話のオチだった。

 笹島駅は、「笹島ステーション」と呼ばれていたという。
今、お母ちゃんがささしまライブ駅周辺を見たら、どういうかしら。
きっと「笹島ステーションはどこ」と、また迷うかも。


 以上です。


 このタイトルなっている笹島駅は、私はほとんど知らないです。
私は若い頃 一度この駅周辺を歩いたことがあるだけです。
笹島駅は貨物駅で、ただただだだっ広い敷地があり、何もなかったように思いました。
通勤で使われる自転車が何百台も放置されていたのを覚えています。(苦笑)
 名古屋駅の近くにあるわりに、なかなか開発されずにいましたが、
今はだいぶ再開発が進行しているようです。

 貨物駅だった笹島駅の跡地に設置されているのがささしまライブ駅で、名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線(あおなみ線)の駅だそうです。
私はこの駅へは、まだ行ったことないです。



 ところで、この作文に「二人一緒に嫁入りを、という親心だったのだろう。」
と書かれていましたが、
 親心?
親の価値観を子供に押し付けただけでしょう。
昔はこれが許された時代ですね。
結婚すれば幸せになるとは限らないのに。(苦笑)
自分の家に結婚を逃した娘がいるのが嫌だったからでは?
そう思うと、今は良い時代になったように思います。
ただ親の敷いたレールに乗らないのは、これはこれで大変だとは思いますが。(笑)








愛はかげろう。
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同級生が羨むほど綺麗でも,人生何が起こるかわからない。

2017-06-23 05:33:47 | 日記
 昨日の朝食時 かみさんが「旅行を終わって1週間経つね」と言いました。
「1週間、俺は出発してから1週間経ったかなと思った」と言いました。
まだ私は四国旅行の感想文をブログに載せ終えたばかりなので、やっと旅行が終わったという気持ちがあります。(苦笑)

 ブログで旅行記を書くと、撮った写真を見ながら旅行を振り返りますので、旅行の記憶が蘇り、まだ旅行に行っているような
錯覚に陥ります。(笑)
ブログで旅行記を書くと、人の2倍旅行を楽しめたことになるかも。(笑)

 旅行へ行く前、多治見で弟と妹に会いました。
帰り妹とJR中央線に乗って大曽根まで一緒でしたが、
妹は私たちに会う前に40年ぶりに高校の友達に会って喫茶店で2時間ほど話をしたようです。
その際、同級生の中に目をみはるほど美しい女学生がいたとのことで,その女性の話題が出たようです。

 その女性は40歳の時に、ご主人が亡くなってしまい残された3人のお子様をだかえて大変苦労されたそうです。
その話を聞いて、私は「結婚前にどこか悪いところがあればいざ知らず、人の寿命はわからないからどうしようもないなと言いました」。
 結婚前に彼が病気を患っていらっしゃればともかく、結婚する際 彼が若死にするなんて思いもしません。
長く幸せが続くと思います。
私は妹に「まだ40歳だったら、再婚という手もあったな」と、余計な事を言いました。
 せっかく同級生が羨むほど綺麗でも、幸せな結婚生活になるとは限らないですね。

 私は小学校の頃 心臓弁膜症を患い、死にそうになりました。
心臓に不安を持っていますので、結婚した直後生命保険に入りました。
十分な金額とはいえないですが、当分食べるのに困らないようにと考えました。
まだ平均寿命までは生きていませんが、ここまで生きればかみさんも子供達もそんなに困らないと思います。









野口五郎 / 私鉄沿線
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父の日の贈り物

2017-06-22 04:12:40 | 日記
先週の日曜日は「父の日」でした。
「父の日」の前日の土曜日の午後に息子と嫁さんがやってきました。
嫁さんが「父の日のお祝いを持ってきました」ということで、
茶の間に上がってもらいました。

 嫁さんがこちらに来るのは久しぶりです。
土・日の休みは子供の野球クラブの試合や練習についていかなければならないようで大変です。

 かみさんが以前「野球をすると親も駆り出されるよ」と嫁さんに注意したようですが、
小6の孫が「どうしてもやりたい」ということですし、野球をやらせているお母さんに訊いたところ
「それほど大変でないよ」という話で野球クラブに入れたようです。

 小6の孫は小4からやっていますので、やりだして丸2年です。
小4の孫もやりだして丸1年になります。

 最近は息子も審判をということで時々駆り出されているようです。(苦笑)
小6の孫は野球クラブをあと1年で卒業ですが、小4の孫は兄貴が卒業したらどうするんでしょうか?
まだまだ試合に出させてもらえないので、続けるのかどうかわかりません。

 1時間ほどよもやま話をしました。
私が「3人の孫のうち一番下の小4の〇〇(孫の名前)だけがメガネをかけていないな」と言ったところ、
息子が「〇〇ちゃん(嫁さんの名前)のところは、全員メガネをかけていないよ」と言いました。
うちの家系は全員がメガネをかけているので、小4の孫がメガネをかけていないのは嫁さんの方の遺伝子をもらったようです。(笑)

 私が白内障でいつか手術しなければいけないことを話しましたら、息子が驚いていました。
そういえば、息子に白内障にかかっていることを話したことがなかったなぁと思いました。

 息子達夫婦帰った後、嫁さんが持ってきた箱を開けました。

 「父の日」のプレゼントはフランポワーズというケーキでした。



いちごの色は悪かったのですが、味の方はまぁまぁでした。(笑)

 「母の日」プレゼントは毎年息子がかみさんに持ってきますが、「父の日」プレゼントはあまりもらった覚えがないです。(笑)
金曜日 四国で買ったお土産をたくさん息子の家へ持って行った効果があったのかな?(笑)










☆池上線/西島三重子
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四国旅行 3日目(最終日)

2017-06-21 05:24:05 | 日記
最後の朝の朝食もバイキングでした。


 和食中心でしたが、そんなに美味しいバイキングでなかったです。(苦笑)
ナスの辛子漬けは、美味しかったですが。(笑)

 食事を終えて8時に出発しました。
来島海峡クルーズのためです、船は9時30分に出るとのことでした。



 船に乗船すると寒いとのことでジャンバーが貸し出されていましたので、お借りしました。
船には救命具が一人づつ備えられていますので、ジャンバーの上に着込みました。
6月ですが、船が走り出すと風を受けて寒い!寒い!
3月頃でしたら、寒くて乗ってられないのでは。





船の天井の窓から来島海峡大橋を見ることができます。








 まだ完成途上のようで、船のスクリューを見ることができました。



今治造船所で船を作っています。

 




 芸予要塞のあった小島には、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」のロケで使用された28サンチ榴弾砲のレプリカが設置されています。
真ん中に写っているのが28サンチ榴弾砲のレプリカです。



 いよいよ渦巻きです、でもガイドさんによると午前中は小さい渦巻きのようです。
午後からは大きな渦巻きが出るようです。





 約1時間のクルーズでした。

 見学も全て終わり、帰ることになりました。
帰りは愛媛県今治市大島の来島海峡の船場から、7時間かかって帰ってきました。(苦笑)
トイレ休憩だけであとはバスに座りっぱなしなので、エコノミー症候群になってしまうんじゃないかと懸念しました。(苦笑)
昼食はバスの中で弁当を食べました。
 家に6時半頃着きました。
狭いながらも我が家が一番です。(笑)



 買った土産です、半分近くは翌日息子の家へ持って行きました。
「いつもより土産の金額が少なかった」とかみさんが言っていました。(笑)






 

船のガイドさんが最後に瀬戸の花嫁を歌われました。なかなかお上手でした。(笑) 瀬戸の花嫁(歌詞付き) 小柳ルミ子
コメント (8)
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