団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

誕生日プレゼントに、同じような帽子を買いました。

2019-04-25 02:25:22 | 日記
 昨日の朝 かみさんが「誕生日祝いに帽子欲しい?」と訊きますので、
「欲しい」と返答しました。

 誕生日祝いに毎年帽子を買って貰っていますが、今年の2月に靴を買って貰っていますので、今回の誕生日は遠慮しました。
「帽子を買うなら、今日しかないね」と言いましたので、車でイオンまで行きました。
去年もイオンに入っている帽子屋さんで買っています。

 下記の2枚の写真が、今回買った帽子です。
夏用ですので、これから被れます。










 下の写真は以前から被っている帽子です。
ほとんど今回の帽子と同じです。
こちらの帽子は、長く被っていますので、色褪せていますが。









 ほとんど同じ形、色ですので、新しい帽子かどうかわかりませんね。(苦笑)
この帽子の形・色が気に入っていますので、今回もこのタイプの帽子にしましたが、
欲をいえば、もう少し色が青ければと思いました。

 話はかわって月曜日の夕方、今年高校生になった長男の孫が我が家に立ち寄りました。
疲れた顔をしていたので、「どうしたんだ?」と言いましたら、
「口内炎」だと言いました。

 以前 私が風邪をひいたときに病院からもらった”トローチ”がありましたので、それを
渡しました。
帰り際に「インフルエンザが、流行り出したようなので気をつけろよ」と言いました。

 翌日の夜 息子の嫁さんから電話があり、学校から昼間電話があり、熱があるので迎えにきてくださいと
言われ、長男の孫を迎えに行ってきたようです。
そのあと病院へ行ったら、インフルエンザだったとのことです。

 かみさんに「〇〇(孫の名前)、インフルエンザだったらしい」と言いましたら、
「もうインフルエンザの予防注射の効力も消えている」と言いました。

 今のところ大丈夫なので、私たちには移っていないと思います。
何か孫の行っている高校で、インフルエンザが流行っているらしいです。

 4月の下旬なのに、まだインフルエンザが流行るなんて。(苦笑)

 孫はお医者さんから、今週の土曜日には部活をしても大丈夫と言われたようです。









大橋純子 シルエットロマンス
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心優しいお二人の出会いが、子猫ちゃんたちの命を救いましたね。

2019-04-24 02:55:09 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「命のバトン」というタイトルで41歳のパートの女性が投稿されていました。




 9年前の冬の夜、愛知・蒲郡駅近くのコンビニで泣いていた女の子へ。

 心優しいあなた、目やにだらけで、衰弱しきった子猫二匹をかわいそうに思って、
でも事情があっておうちでは飼えないからと、一人で泣いていましたね。
もうすっかり日も暮れて、寒い夜でした。

 私は、あなたが迷子になって泣いているのかと思って声をかけました。
でも、あなたは弱った子猫をおいていくのが忍びなく、泣いていたのでしたね。

 私は二匹の子猫をレジ袋に入れて、取りあえずお姉ちゃんが病院に連れて行くから
泣かないで、と言いました。

 それからずっと、その二匹の猫と暮らしてきました。
その後、私は結婚し出産しても、二匹とずっと一緒でした。

 でも先日、そのうちの一匹、サスケが死にました。
彼が幸せだったかどうか分からないけれど、
私なりにあなたから受け取った命のバトンを、大切にしてきたつもりです。

 残った一匹は拾ってすぐ、片目が見えなくなりました。
でも今日も元気にしています。
名前はマサムネです。

 あなたの優しい気持ちが、猫を生き延びさせ、天寿を全うさせ、
私たち家族を幸せにしてくれました。
心から感謝しています。


 以上です。



 9年前の冬の夜 女の子は拾った子猫を自宅に持ち帰り、
親から「捨ててきなさい!」と叱られて、駅近くのコンビニで
捨てる事も出来ず、泣いていたのでしょうか?

 私なら関わりたくないので知らないそぶりをしているでしょうが、
心優しいお姉さんとの出会いが、子猫たちの命を救いましたね。

 このお姉さんが命のバトンをしっかり引き継いでくださり、
一匹の猫は幸せのうちに天寿を全うしたと思います。
また二匹の猫ちゃんが、このお姉さんのご家族に幸せをもたらしてくれたようです。

 心優しいお二人の出会いが、子猫ちゃんたちの命を救いましたね。







Matt Monro - Love is a many splendored thing (慕情 / マット・モンロー)
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焦るな!と言いたいです。

2019-04-23 03:10:20 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「歩行者優先を守ろうよ」というタイトルで64歳の男性が投稿されていました。


 信号のない横断歩道を渡ろうとして車が止まってくれないことが少なからずあった。
歩行者の立場からすると困ったことだ。

 私は車の免許を取得して40年以上になる。
千葉県で働いていた若い頃は車で通勤し、
月1回は名古屋の実家へ帰るために車を運転してきた。
これまで横断歩道での一時停止は守ってきたつもりだが、
後継車が車間距離を詰めてクラクションを鳴らされて怖い思いをしたこともある。
ドライバーが横断歩道で一時停止しづらい場面があることを十分に理解しているつもりだ。

 だが、やはり横断歩道は歩行者が優先のはずだ。
ドライバーも車を降りれば歩行者の一人だ。
ハンドルを握る時は心してもらいたい。


 以上です。



 私は免許を持っていませんが、かみさんの運転で助手席に座っていることが
しょっちゅうあります。
横断歩道で人が渡るのを一時停止していると、この投稿者さんのように、後継車が車間距離を詰めてきて、
クラックションを鳴らされることが度々あります。
どうして一時停止しているかわかりそうなものなのに。(苦笑)
焦るな!と言いたいです。


>信号のない横断歩道を渡ろうとして車が止まってくれないことが少なからずあった。
歩行者の立場からすると困ったことだ。

 名駅から私の勤務していた会社へ歩いて行く際、信号のない横断歩道が
ありました。
車が止まってくれると思い横断歩道を渡ろうとすると、車が止まらずに
突っ込んでくることが度々ありました。
ここの横断歩道は車が止まらないんだ!と思い、注意した覚えがあります。

 最近 87歳の高齢者が自転車に乗った親子を撥ねて死亡させるという
痛ましい事故がありましたが、この親子は信号が青で横断歩道を渡ろうとして
撥ねられました。
信号が青でも油断できないですね。
暴走車が、いつやってくるか分かりません。
とんでもない事が起こるようになってきました。








Al- Di- La Jerry Vale
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足や手が、赤チンまるけの時もありました。

2019-04-22 04:34:32 | 日記
 中日新聞の「中日春秋」というコラムを読みました。

 作家 ねじめ正一さんの短編に「赤チンの午后」がある。
野球で遊ぶ少年が、走塁中に勢い余り鉄条網に突っ込む。
太ももあたりを切った。
やってしまった、と怖くなるが、仲間のひと言で心が軽くなる。

 <赤チンつければ治るよ>
昭和に育った方ならば、懐かしくうなずくのではないか。
ちょっとした傷なら治してしまいそうな、あの赤の安心感、万能感である。
赤チンが、間もなく姿を消すらしい。
正式にはマーキュロクロム液というそうだが、
国内最後の三栄製薬が来年末までに生産をやめるというニュースが流れた。
生産の過程で水銀を含む廃液が発生することなどから規制が強化され、
原料の入手も難しい。
売れ行きは落ちていて、かって赤チン1本だった三栄製薬も現在の事業での比率は1%以下である。

 需要は低迷していても、赤チンには記憶を喚起する強い力があるようだ。
「塗っときなさい」の母の声、勢い余って転んだあの空き地・・・。
ニュースを見て思い出した。
塗ってもらうことも、友人たちとむちゃをすることもないのだという、
ちょっとした感傷もおぼえつつだ。

 「親に塗ってもらったのを思い出した」
「やめないで」という手紙などが同社にも次々に届いているそうだ。
昭和の記憶を呼び起こす物は多いが、大いに人をしんみりさせる赤である。


 以上です。


 私も赤チンの生産中止のニュースを知って、1本買っておこうかなと思いました。(笑)
今時、赤チンは使わないですよね。
今は、消毒液とかバンドエイドなどを使っています。

 昔はちょっとした傷には、必ず赤チンを塗っていました。(笑)
足や手が、赤チンまるけの時もありました。
赤チンはなかなか消えなかったです。


 小さい頃、親父に赤チンを塗ってもらった記憶もあります。
赤チンは、傷の万能薬でした。

 そういえば、かみさんの花嫁道具の中に、赤チンが1本入っていました。
お母さんが「持って行きなさい」と言われたようです。(笑)










灰田勝彦 野球小僧 1973
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受け取り拒否されたイチゴ

2019-04-21 02:48:36 | 日記
 昨日のブログに東京にいる娘が木曜日手術したことを書きましたが、
かみさんが金曜日に退院したら、何も食べるものがないと思い、イチゴを3箱買って送る予定をしてました。

 木曜日の手術後は連絡とれず、翌日の金曜日 退院後 娘と連絡が取れました。
娘は「宅急便屋さんが来るのを家で3時間ぐらい待たなければいけないのでいらない!」と拒否しました。(苦笑)
かみさんは、訊いてからイチゴを買えばよかったと後悔してました。
イチゴを買ったのは、娘に”何かしてやりたい”という、かみさんの思いからでしょうね。

 昨日の朝の朝食に、受取拒否されたイチゴが出ました。




 ちょっと小粒のイチゴで、買ったのが木曜日ですので少し悪くなっていました。
3箱も買ったので、あと2回ぐらい食卓に出てきそうです。(苦笑)




 ところで、中日新聞の「くらしの作文」に「東邦高校の優勝に思う」というタイトルで専門学校非常勤講師・62歳の女性が投稿されていました。


 このたびの「東邦高校、選抜高校野球優勝」のニュースで、私はあることを思い出した。

 実は今から65年ほど前、私の両親は東邦学園が経営する東邦保育園に勤めていて、それが縁で二人は結婚。
私と弟が生まれた。

 そして、両親は自分たちの理想の保育園をつくろうと仕事に熱中し、私たち子どもの世話は
父方の祖母に任せっきりだった。

 そんな父に関する唯一の思い出は、東邦高校が甲子園に出場するたびに言っていた言葉だ。
「仕事が暇になったら、東邦の応援に甲子園に連れてってやる」

 何度もそのチャンスはあったはずなのに、そのたびに「今度な、仕事が暇になったらな」と。

 今から30年前の平成元年の優勝の時も、父はまだバリバリ仕事をしていたので、
「次に出たときこそ、連れていってやる」と言っていた。
だが、ついに一度も連れていってもらうことなく、父は8年前に亡くなってしまった。

 こんな経緯から、私は東邦高校優勝のニュースを聞いて、すぐに父の顔が頭に浮かんだ。

 「お父さん、平成は東邦の優勝で始まり、東邦の優勝で終わりましたよ」と、天国の父に伝えたい。


 以上です。



>そんな父に関する唯一の思い出は、東邦高校が甲子園に出場するたびに言っていた言葉だ。
「仕事が暇になったら、東邦の応援に甲子園に連れてってやる」
 何度もそのチャンスはあったはずなのに、そのたびに「今度な、仕事が暇になったらな」と。


 失礼ながら笑ってしまいました。
連れて行くお気持ちはあったと思うのですが、約束を実行できませんでしたね。
お仕事が暇になることはなかったようで。(苦笑)

 私も他人のことを言えません。
3年前 息子の嫁さんに「家族全員北海道へ連れて行ってあげる」と約束したんですが、
株が儲からず約束を果たせていません。(苦笑)

 今年は孫たちの受験がないので、今年こそが出掛けるチャンスなのですが実行できそうもないです。
安易な約束はしない方がいいですね。(苦笑)









DREAMS COME TRUE - 未来予想図 ~VERSION‘07~ (Live from DWL 2003)
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