ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

日本をこれ以上弱らせんように、元気なわたしらでなんとかしような!

2011年10月17日 | 日本とわたし
武田邦彦氏のブログ記事の中に、放射能汚染を心配しながら暮らしておられる方々の移住のヒントになる内容が書かれていましたので、紹介したいと思います。


これからの生活の計画のために (1) 岩手県

2011年3月12日の原発の爆発から半年が経ち、今後の生活の計画を立てる時期になりました。
3月、4月に避難した人と、事情で動けなかった人ですこし違いますが、地区ごとに解説をしていきます。
群馬大学の早川先生の地図を、主として参考にします。



岩手の人もまた、政府と東大教授の「虚偽」の犠牲になりました。
おそらくは、「遠くに逃げろ」とか、「距離の二乗に反比例する」という科学的な間違いを信じて、
「もし、放射線が来るとすると、宮城から徐々に岩手に来るだろう」と思っておられたのでしょう。

しかし、汚染や被曝は「距離」ではありません。
「死の灰」が飛んできて、どこで落ちるかが問題なのです。
もし、正しい知識を持っていたら、田畑にビニールを敷くとか、気象庁と連携をとって、危険な時には児童を待避させる、などの措置ができたはずです。
残念です。

岩手県一関に落ちた死の灰は、宮城県沖から牡鹿半島を通ったものと、奥羽山脈にそって北上したものがあるようです。
それが2回に渡っているのか、一緒なのかも、今のところ明らかではありません。

さらに残念なのは盛岡です。
一関から北上川を北上した死の灰は、盛岡で落下しました。

都市部は、人間が住んでいますので、ビルがあったり、周辺と温度が違ったりしていて、死の灰が落下しやすい傾向にあります。
関東の柏市、東京の新宿などと同じです。

自治体・教育委員会単位で実施することは、
1) 一関付近の0.5マイクロシーベルトの場所は、自治体がさらに詳細に測定し、危険な箇所に標識をたて、児童を被曝から守ること、
2) 汚染地域には、できるだけ作物を植えないこと、植えた場合は、ベクレルを測定すること、
3) 0.125マイクロ以上の場所は、自治体が警戒区域にして、詳細なマップを作り、市民の被曝を抑制してください、
4) 子供の給食は、北海道などの、汚染されていない食材を使ってください
(子供と土地は、郷土の宝です)、
です。

個人レベルでは、
1) ホットスポットの面積が小さいので、できるだけその場所から引っ越しをすること、
2) 買い物やレジャーに行く時には、汚染されていない場所に行くこと、
3) 付近で、線量率の高いところを避けることができるように、マップを作ること、

です。

法律的(放射線防護の法律のことです。もし、自治体の人で法律を知らない人は、武田に聞いてください)に言えば、
0.5マイクロシーベルト以上のところは、セシウムが4万ベクレル以上ある危険性が高いので、直ちに東電に電話してください。
法律では、事業者に、次のような義務を課しています。

『放射性物質がこぼれたとき等の措置
第二十八条 事業者は、粉状又は液状の放射性物質がこぼれる等により、汚染が生じたときには、直ちに、その汚染が拡がらない措置を講じ、かつ、汚染のおそれがある区域を標識によって明示したうえ、別表第三に掲げる限度(その汚染が放射性物質取扱作業室以外の場所で生じたときは、別表第三に揚げる限度の十分の一)以下になるまで、その汚染を除去しなければならない』


スポット的に汚染されても、「法律を守り、冷静、科学的」に対応すれば、被曝を最小限に抑えることができます。
児童は大人と違い、感度が3倍、被曝チャンス3倍で、約10倍の被曝を受けます。
岩手の方が一致協力して一関、平泉、奥州市、盛岡の子供たちを助けることを願っています。
(平成23年10月15日)


これからの生活の設計のために (2) 宮城県と山形県

宮城県に比較すると、山形県のこれからは、設計がしやすい。
山形は、奥羽山脈が自然の要害となって、放射性物質の流れを止めた。

奥羽山脈は、東北の中心を南北に伸びる山脈だが、福島と山形を分けるところには、吾妻山系と蔵王がある。
吾妻山系は、地元にも親しまれている、なかなか大きな山だ。
その後、山形県の北部の山形市には、宮城を迂回した流れがあり、現在では弱い汚染が見られるが、山形県の大半は、汚染されずにすんだ。

このことは、山形の人はもとより、福島の人にも朗報である。
福島から逃れるときに、山形という目と鼻の先に、汚染されない大地が拡がっているのだから、山を越えれば、汚染されていない大地が待っている。
その意味で、今後も、山形を汚染しないことが、福島、宮城の人にとってもとても大切だ。
山形には、ぜったいに汚染物質(瓦礫など)を、運び込まないようにすること
だ。

福島の人の被曝を減らすためには、福島の森林の枝を切り落として焼却することだが、
山形の場合は、雪解け水が田んぼに入らないまえに、危険な山林は、枝を伐採して焼却しておく必要がある。
来年の春からの水で、山形の大地が汚染されないためだ。

それに比べて、宮城は難しい。
福島ほどには汚染されていないし、そうかといって、0.125(法律の限界は、外部だけで0.11)以上ある場所が、宮城の中央部をグルッと囲んでいる。
どこからでも、中央部に進出する構えである。
なかなか大規模に、放射性物質の進入を防ぐことも難しい。
従って、宮城県は、いそいで細かいマップを作り、ホットスポットの位置を覚えて、生活の中でできるだけ近づかないような工夫が必要となるだろう。

以上をまとめると、
1) 山形は、必死で汚染を食い止める、
2) 宮城は、県庁が頑張って細かく対策を練る、ということに尽きるだろう。
宮城の場合は、もっとも汚染されているところで0.25だから、2ミリ程度になり、まずは我慢できる(法律は1年1ミリだが、5年間で回復ができるから)範囲に収まるだろう。


仙台で生活している人は、
1) できるだけ、北の方で生活をすること、
2) 食材、特に魚を食べないこと、
3) 新米を警戒すること、
4) 幼児、妊婦も含めて、移動は必須ではないこと(急に移動しなくても良いこと)、
5) ときどき、汚染されていない山形のどこかで遊ぶこと、
などが大切と思う。

農家や漁業の方は、日本の子供の健康が万が一にも損なうことがないように、1年1ミリ(食材は1キログラム40ベクレル以下)を守ってください。
この根拠は、宮城の場合、外部線量で0.4ミリは行きますから、水で0.1、粉じんで0.1とすると、残りの0.4を食材にあてるので、ほぼ40ベクレルが限度になります。


政府は、500ベクレルなどを基準にしています。
理由は「食材が無くなるといけない」ということ
ですが、この際、そんな理由に従わず、法律を守って、同じ日本人として、東北の子供を大切にしたい。(平成23年10月17日)



DDS社会 福島と世田谷 

世田谷で、1時間3ミリシーベルト程度の放射線の場所が発見されて、大騒ぎとなった。
原因は古いラジウムだったが、なぜ大騒ぎになったのだろうか?

福島では、3月から6月ぐらいの時期には、3マイクロ以上の地点はいくらでもあったし、今でも3マイクロ以上のホットスポットは、無数と言ってよい。

でも政府は、世田谷なら、翌日にラジウムを運び出したが、福島はほったらかしている。
世田谷に住む人の健康は問題だが、福島の人はどうでも良い、というダブルスタンダードだ。
こんなことは、私には理解できない。

放射性物質がこぼれたとき等の措置
第二十八条 事業者は、粉状又は液状の放射性物質がこぼれる等により、汚染が生じたときには、直ちに、その汚染が拡がらない措置を講じ、かつ、汚染のおそれがある区域を標識によって明示したうえ、別表第三に掲げる限度(その汚染が放射性物質取扱作業室以外の場所で生じたときは、別表第三に揚げる限度の十分の一)以下になるまで、その汚染を除去しなければならない。


法律では、汚した人が、すぐ片付けることになっている(この条文でいう事業者というのは、東電である)。
世田谷を、文科省が片付けたとき、「法に基づきしかるべき機関が移動する」といった。
「違法に放置されている放射性物質を、引き取るしかるべき機関」は存在するのである。
福島の汚染物質も、直ちに持って行けるのだ。


福島の人が、世田谷の人と同じ日本人であることを、政府は行動によって示して欲しい。
日本国憲法は、法の下の平等をうたっている。
おそらく政府が、福島を見捨てているのは、福島の自治体自身が放射性物質を受け入れる、というコメントを複数出していることもあるが、東京の人の方が大切と思っていると思う。
ダブルスタンダードは、現在の日本では当たり前になってしまった。(平成23年10月18日)



見えへん恐怖が見える恐怖に変わってしまう前に、見える恐怖に苛まれるちいちゃい子供が増える前に、
女も男も、行動に出なあかん時が来てる。
ほんまはとっくの昔に来ててんけど、行動してる人の数が少な過ぎるまま日にちが経ってしもてるねん。
自分とこには放射能が来てへんからそれでええん?
今まで通りの、なんも変わらん毎日を、なんも無かったかのように安心して生きていけるん?
ちゃうねん。もう7ヶ月前までの世界は終わってん。
そこも安全とちゃうねん。
汚染はじわじわとしみ出してくんねん。
放射能は、県境も国境も関係ないねん。
回り回って、何年も何十年もかかって、律儀に、執拗に、徹底的に、そいつの命が尽きるまで、あんたの頭の上や足の下にしみ込んで、
動物や植物や魚にもまんべんなくしみ込んで、
皮膚の外側から、内側から、あんたも、あんたの家族も、あんたの友達も、考え無しの人間やったら特に好んで入り込んでくるねん。
小出氏が、子供だけは助けたい。けど、大人はもうあきらめるしかないと言わはる。
それ聞いて、なんちゅうこと言う人やと最初は思たけど、この人は核物質の専門家で、原発廃止を40年も訴えてきはった人や。
その人がこんなことを公に言うには、それ相応の、それもかなり真実な現実が見えてはるんやと思う。
大人はもうあきらめるしかない。
これを勘違いして、ヘロヘロになったらそれこそ阿呆やで。
あきらめるっていうのは、覚悟を決めて、守るべき者のために行動に出ろ!いうことやで。

政治家が、電力会社が、それから御用学者やマスコミが、いつまでもこんなことしてたらヤバいんちゃうかと焦りだすような、ものすごい動きが今ほんまに必要やねん。
それには、困ってる人が、「困ってる困ってる」って訴えてるだけではまるで足らんねん。
今はとりあえず困ってない人が、敵から見たら、なんであの人が血相変えて訴えなあかんねん、と思うような人が、
それこそめちゃくちゃ、ワラワラと全国から集まってきて、困ってる人のかわりに、おまえら、ええ加減にせんとしばくぞ!と怒鳴り込んだらなあかんねん。
国は本気で、もしかしたらただの阿呆で、大勢の人が死んでも病気になってもかまわんと思てる。
数字を好きなように変えて、そのデタラメの数字を大真面目に垂れ流すマスコミもまた、自分のとこさえ良かったらええと思てる。
まともに、健康に生きられる人が国の半分ぐらいになって、毎日自分の近くの原発が事故起こしたらどないしょうと怯えながら暮らしたいか?
これまでも、いろんな天災から見事に復興してきた日本やけど、原発はその日本の強さと美しさを無惨にも奪い取ってしもた。
被害に遭うてないわたしらが、闘うたらな、支えたらな、日本はほんまに弱ってしまう。


小出氏の言葉をもう少し。
「特に政治の場所にいる人、経済界の人たちは、未だに原子力は必要だと、
経済を右肩上がりに持続するためには、原子力がなくてはならない、というような発言をしている方々がいるのですけれども、
ほんっとに呆れたことだと私は思います。
これだけの悲劇を目の前にして一体どれだけの経済的な損失を私たちは払わなければいけないのか」
コメント
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