ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

生きるか死ぬかの瀬戸際に追い詰められた者の必死の抵抗に、良識や行儀良さを強要する事が暴力的ではないか

2011年10月18日 | 日本とわたし
ツィッターで知り合うた大好きなMitsuharuさんが、今朝、こんなメールを送ってきてくれました。
彼は、やらなあかんこと(原稿書きとか学会の資料作成とか)が山積みの癖に、夜中に妄想、いや、失礼、夜想をする癖のある人です。
その夜想の量たるや……脳ミソどないなってんねん?と思うこと多し。
けれども、ちょっと、読んでみてください。
ほんで、みなさんもそれぞれ、考えてみてください。


ストライキ考(『外泊』をめぐって)

「2007年に、韓国のスーパーマーケットで起きた、女性労働者たちによるストライキ闘争を追った、ドキュメンタリー映画『Weabak:外泊』(キム・レミ監督)の上映と、討議(10月16日、in大阪大学)に参加して少し考えたこと」


・韓国の大手スーパーから突然首を切られた、レジ係の女性たちによる、500日間の闘争を描いたドキュメンタリー『外泊』の、監督さんを囲んだ上映会。
討議の場で、参加者の一人から、レジの周囲に座り込んで闘う女性たちのやり方が行き過ぎではないか、という問いかけがあり、少なからぬショックを覚えた。
 
・女性たちは、自分たちが働いていたレジ周辺に座り込んでストを決行。 
対する企業側は、レジ経験の浅い別の社員をレジに送り込む。
しかし、カード払いに対応できない、などの不手際を次々と露呈し、それを、レジ係の「プロ」である、ストに参加している女性たちがヤジる。
お客さんはなかなか買い物ができない。

・女性たちのストのやり方に、疑問を呈したその参加者は、とくにこの場面を取り上げて、お客さんに迷惑がかかるようなそうしたやり方は行き過ぎではないのか、と問いかけたわけであるが、
彼女たちのこうしたパフォーマンスは、ストの表現としてはこの上なく効果的であったことが、画面から見てとれた。

・私は、その問いかけに唖然として、ストというのは、文字通りのサボタージュであり、自分の労働を拒絶することにより、企業の運営を麻痺させ、それによって、雇い主の側に反省を迫ることを目的としているのだから、
あなたの言っていることは、ストという行為自体を否定することになるのではないか、と反論した。

・私はついかっとなって、ぶっきら棒に「正論」をぶつけてしまったが、
監督のキム・ミレさんは、ストの権利が、法律で保障されていることを丁寧に説明した上で、
彼女たちがストをしないことと、お客さんに迷惑がかからないことと、どちらがよいことかよく考えてみてください
、と穏やかな口調で問いかけた。

・私と監督の、どちらの言い方が、説得力をもったかは明らかだろう。
よくよく考えると、ストという言葉が、ほとんど死語のようになっている今の日本社会においては、
お客さんの邪魔になるようなストに関して、あの参加者のような疑問を感じることの方が普通だし、自然なことなのだろう、ということに思い至った。

ここまでのMitsuharuさんのつぶやきに、ochaさんという方が語りかけてきました。

†2009年に、土屋トカチ監督を招いて、映画『フツーの仕事がしたい』の上映会を開催した時、
ある参加者から「組合の口調ややり方が乱暴だ。相手側の企業やヤクザと変わらないように見える。いかがなものか」という趣旨の発言が出たことがある。

†土屋監督は、「確かに、生きるか死ぬかの瀬戸際に追い詰められた者の必死の抵抗は、傍から見ると暴力的なように見えるかもしれない。
しかし、そうせざるをえない被害者の立場や苦しみをわかってほしい。
そこに「良識」や「行儀良さ」を強要することが、暴力的ではないか」
と答えた。(発言うろ覚え)

そしてさらに、sakichokoさんという方が加わり、 

*日本の消防職員って、主要国で唯一、労働組合をつくる権利(団結権)がないので、それを認めろという流れにはなってると思うんだけど、
実現してもすんなり受け入れられるか、という問題にぶち当たる気がする。
日本は、「迷惑がかかるかもしれないこと」を、真っ先に避けようとするから。

*続)南米のどこかの国では、教師がストライキしてて、数ヶ月授業無し、とかいうのも読んだ。
それはまさしく、「授業よりも大切な教育の実践」といえる気がする。
日本の世間はかくも、デモやストライキの力を抑制する力を持っているのか、という想いと、日本式体制迎合教育の成果を恨む気持ち。

そしてMitsuharuさん再び。彼はユダヤ学者さんでもあります。
 
・イスラエルはその点で、スト先進国と言えそう。
毎年、学費値下げ闘争で、1学期の開始が1,2カ月遅れるのは当たり前。
空港もしょっちゅうストしてて、2,3日飛行機が飛ばないのもザラ。

*南米のどこかの国では、教師がストライキしてて、数ヶ月授業なしとかいうのも読んだ。

・ストに出くわして、生活に何らかの支障がきたしたとしても、それで怒るイスラエル人はまずいない。
彼らは怒るのではなく、運が悪かったとあきらめるだけである。

・イスラエルの最大の問題は、イスラエル人のデモは大目に見るが、パレスチナ人のデモには決して目をつぶらないことだ。

・たいていの場合、ストをするということは、たんにストを通した労使間の闘争というだけでなく、
憲法や法律で保障されたストの権利を、社会に認めさせる闘争でもある。

事故で電車が止まった時や、デモで交通整理がなされる時や、ストでバスが運転されない時などに、日本人がときおり見せる怒りは、とても尋常とは思えない。

・この国には、いざという時には、異常なほどの、冷静沈着なあきらめのよさを見せる一方で、
ささいなことについては、短兵急な怒りと、不寛容さと、忍耐力のなさを見せつけるタイプの人が、多いように見受けられるのは、気のせいだろうか。


sakichocoさんがこれからつぶやく言葉の中に、わたしが言葉にできなかった思いがいっぱい詰まっています。

*「知事は辞職せよ。そうすれば5日後に授業を再開する」http://t.co/LYmcIoxb ⇒これは、2006年のメキシコの状況を伝えたニュースだけれど、
7万人の教員がストライキを行なって、社会団体のほとんどもそれに同調し、州知事と対決している、というもの。

*続)教員の要求に同調している、130万人の生徒が、6カ月前から授業を受けていない。
市庁舎、公共施設、ホテル、空港が占拠され、平和的な市民的不服従が呼びかけられ、行動の先鋭化が進んでいる。
生きることは、学ぶことより当然優先されるべきなのだ、ということを改めて思う

そして、迷惑をかけないデモ、迷惑をかけないストライキというのは、社会になんの痛みや不自由を味あわせることのできない、儀礼的な演武みたいなものになってしまうのではないかと思う。
世間に迷惑をかけるな、ではなく、世間に波風を立てることが、むしろ必要だと思う。







気休めと希望(除染とともに/を越えて)
http://togetter.com/li/202372

私たちは放射能という見えざる敵に、四六時中、四方八方から包囲されている。
こうした意識や無意識は、この先何十年も、いや、死ぬまで続くのだろう。
そう思うと、将来を悲観したくもなってくる。
将来への悲観とは、自殺の最もありふれた理由の一つである。
ここでは、偽りの希望など何の役にも立たない。

暗く厳しい見通しに圧倒されそうな今だからこそ、私たちは、真の希望を見つけなければならない。
真の希望とは、一体何だろうか。
原発のない世界だろうか。
もちろん、それは大きな希望だ。
けれども、たとえ近い将来に、原発がすべて止まったとしても、いったん汚されてしまった大地は、そう簡単には戻ってこない。

人は、希望なしでは生きられない。
ありとあらゆる困難にもかかわらず、それでも人生は生きるに値するのだという確信、いや、予感を抱くことができなければ、
私たちは、絶望という、死に至る病に侵されてしまうだろう。

気休めと希望は、根本的に異なる。
気休めは、一時的なその場しのぎであり、決して長続きすることはない。
気休めは、幻想に囚われた、偽りの希望に過ぎず、厳しい現実の前で、すぐに化けの皮が剥がれてしまう。
ただし、気休めにも、それなりの効用はある。
絶望するしかない状況で、一時的な鎮痛剤の役目を果たすことが。

現状について言えば、除染がまさしくその気休めに当たる。
除染は、局所的、かつ相対的に過ぎないとはいえ、 土壌や家屋の汚染を、一定程度改善するという意味では、現状における、最上の気休めと言えるかもしれない。
だが、それはあくまで応急処置であって、根本的な解決とはほど遠いことを忘れないでいよう。


最良の気休めであっても、気休めであることに変わりはない。
もしかすると、気休めは、希望の萌芽となり得るかもしれない。
だが、希望そのものに成り変ることができるだろうか。
希望とは、気休めを越えた何ものかではないのか。
気休めが、気休めにもならなくなった時ですら、失われない何ものかではないのか。


汚染地帯に人が住み続ける限り、除染はやるに越したことがないだけでなく、やらないという選択肢がおよそ考えられないような応急処置、と言えるだろう。
けれど、何京ベクレルという、想像を絶する放射能が撒き散らされてしまった今となっては、
限りなく、ドンキホーテ的な作業であるかのようにも感じられる。

政府やマスコミは、連日のように、除染のことを話題にしている。
こうしたことが繰り返されると、この応急処置の積み重ねによって、あたかも、人が安心して暮らせる環境が、そう遠くない将来に戻ってくるかのような幻想を、私たちは抱いてしまうのではなかろうか。
だとすれば、それは明らかに、偽りの希望である。


気休めとは、自分に都合よく現実を解釈すること、とも言い換えられる。
たとえばこの場合、除染を地道に継続することによって、曲りなりにも人が暮らせる環境を取り戻すことができるはずだ、という希望が表明される。
しかし、これが気休めにしか過ぎないのは、人々が被爆し続けることに変わりはないからだ。

多かれ少なかれ、気休めは幻想に基づいているが、にもかかわらず、そこには合理的な計算も働いている。
気休めとはいわば、幻想に基づいた打算のことだ。
ここに、気休めの矛盾した性格が見てとれる。
なぜなら、不合理な幻想に則りながらも、気休めが表明する「希望」の方は、徹底して計算ずくなのだから。

気休めの、この矛盾した性格こそは、希望との本質的な違いではなかろうか。
希望は決して、安易な幻想に飛びつくことはないが、打算とも無縁である。
こう言ってよければ、希望とは、気休めを徹底的に排した先に、なお残る直感、
あるいは、悲劇的な状況にあってもなお生きようとする、盲目的な意思のようなもの。

3.11以降において、希望とは、悲劇的な現実を直視し、悲観的な見通しを立てながらもなおかつ、
それでも私たちが生きるに値する、人生や社会を取り戻すことは可能だと、祈るような気持ちで信じることではなかろうか。
たとえそれが、限りなく困難に見えたとしても、私たちには生き抜く力があるのだと信じて。
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米国アキレス腱ちゃいまんねん秋ですけん事情

2011年10月18日 | 米国○○事情
うちの車、数ヶ月に一回、故障しやがらはりますねん。
今回も、やっぱり三台いっぺんに……でしてん。
ちょっと走るのも危ないっちゅうやつから順に、整備工場に入院。
もちろん、健康保険なんかあれへんから、ほんで、この国からしたらガイシャやから、部品代も修理代も切ないほど高いですねん。
そんなんで、今朝は起きた時から相方の機嫌がごっつぅ悪かったんです。
まあ、それは別にどうでもええことなんやけど、一台の車で、ふたりの大人が、おんなじ時間帯に全く別のとこで用事がある場合、そらやっぱり、生活かかってることの方が優先ですやん。
そやし、ピラテスしにエクササイズ用のマット抱えて、飲み水持参で、もちろん旧式の重たいデジカメも一緒に、YMCAまで行くわたしが、譲りましてん。
行きだけ送ってもろて、帰りは循環バス乗って帰るっちゅうことにして、とりあえず町中歩いても格好わるないような服装で行きましてん。

さて、YMCA近くのバス停で待つこと15分。
暇やし、自分のすぐ横のん撮ったろ。


やっと来たので、運転手にわたしが行きたいとこに止まるか聞いたら、「止まらん」と言われたので諦め、
またまたかなり待ってやっと来たバスに乗ろう思たら、「料金は2ドル35セント」と言われて、
相方から聞いたんは1ドル50セントやったから、丁度それだけしか持ってのうて(何才やねんっ!)、すごすごとまた降りて、
そしたらなんかもう、待つのんめんどくさなってきて、天気も上々やし、運動ついでに歩いて帰ったろ、という気になりましてん。

車で10分のとこを、キョロキョロしながらだらだらと歩いてたら、1時間半近うかかってしもて……おまけに途中で足が痛うなってわややってんけど、
でもまあ、秋がいっぱい、あっちゃこっちゃでおすましして待ってくれてたんで、嬉しいやら楽しいやら。
って……はっきり言うて、こんなことしてる場合かあんた?っちゅう気もせんでもないのですが……。

ほんじゃ~いきまっせ~。

噴水のあるお庭。


こないだ隠しといたん、どこやったかいな……。最近物忘れが酷うてかなわんな。


今年の紅葉は、なんかバラバラな感じ。すっかり枯れて落ちてしもてるのやら、まだまだ緑の気分満々のやら。


きみどりみどりふかみどりよりどりみどりのはたけやまみどり←古っ!


天に向かって真っ赤っかな顔して咲いてる薔薇。


紅葉コンテスト。えっへん、わたしが一番!


このモワモワ見たらつい触りとうなるのはわたしだけか?


松葉も紅葉。


赤うなる前にほとんど落ちてしもてます。


とんがり帽子。


線香花火のおじいさん。


仲良く記念写真。


こんな色、どないして作ってるんやろ。


やっとこさ着いた家のご近所。ハロウィーンの準備も万端。




ふっふっふ、五つ子妊娠中。


やっぱ秋は赤やね。
コメント (4)
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