ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

もう二度とこんなことのないように祈りをこめて反省しよう

2011年10月01日 | 音楽とわたし
8才からピアノを弾き始めた。

途中、家の事情や事故や病気で、何年も中断したことはあったけど、結局今も弾いている。

8才の誕生日の直前に、プロになってかかった費用を返すのを条件に、徹底的な英才教育を受けさせてもらうことを両親が約束してくれた。
彼らの夫婦仲が破綻してしまうまでの7年間、とても厳しいレッスンやクラスを受け、わたしの音楽の基礎ができた。

その後、習い事どころか、生きることさえままならなかったり、事故に遭ったり、やくざに追いかけられたり、その日一日が無事に終わるかどうか、確信が持てない日が続いた。

だからもちろん、音大には行けなかった。
けれど、師匠には恵まれた。
某音楽振興会の講師になって、学歴が無い分、がむしゃらに頑張った。
認めてくださる人がいて、それなりの名誉も持てた。

それら一切を無かったことにして、また一から人生を立て直したのは今から20年前のことだった。
生きるために、その日の食事にありつくために、ピアノを教えた。
自分の演奏を聞いてもらう、あるいは、どこかで演奏するチャンスは、どこからもやって来なかった。
もちろん、それどころではなかった。
息子達を育て、生活費を稼ぎ、その日その日を無事に、けれども今度こそ、地に足をつけた、家族同士の心のつながりが感じられる暮らしが続くよう、そのことに集中した。

こちらに越してきた翌年の2001年に、また厳しい状況が突然襲ってきた。
日本で居た時とどっこいどっこいの苦しい経済状態が続き、再び、食べて生きることに集中しなければならなかった。
旦那がついに鍼灸師になると決め、学校に3年間通った後、ぼちぼちと仕事が軌道に乗り出したのが今から数年前。
わたしはすでに50才になっていた。

自分の人生に、ピアニストと呼ばれることは無いだろう。

ピアニストは、広義では、ピアノを弾く人のことをいう。
けれども、狭義(特に日本)では、職業的なピアノ奏者のイメージが強い。
だから、自分では絶対に「わたしはピアニストです」と言わなかった。
そんなことを言うと、「どこが?」とバカにされると思っていた。

ところがこちらに来てから、人からよく「ピアニストですか?」と聞かれるようになった。
わたしが「いいえ、違います。ただのピアノ教師です」と言うと、その人は首を傾げて、「でも、ピアノを弾くんでしょ?」と言った。
そうやって、人から「ピアニストでしょ?」と言われ続けているうちに、それはもちろん広義の意味だったのだけど、「はい、ピアニストです」と答えてもいいのかも、と思い始めた。

その頃、地元のブラスバンドで、クラリネットを演奏し始めた。
息子達はふたりとも、同じブラスバンドで演奏していた。
本当は、彼らが演奏していた時期に入って一緒に演奏したかったのだけど、まだそういうことをする心とお金の余裕が無かった。
彼らが退団して居なくなってから、やっとバンドに入り、One of them ではあるけれど、また人前で演奏する楽しみが持てるようになった。
ある年の定期演奏会の際に、誰かが冗談のように「まうみはピアノ弾けるんでしょ?ガーシュインのラプソディ・イン・ブルーって弾ける?」と聞いてきたので、深く考えもせずに、「多分」と答えた。
それが、今の、演奏三昧の暮らしの最初のステップだった。

必死、という言葉がまだ足りないぐらいに練習した。
そのうちに、バンドのマネージャーが、「まうみ、あれだけピアノが弾けるんだから、マンハッタンのACMAというグループがメンバーを募集してるから尋ねてみたら?」と教えてくれた。
アマチュアのグループだから、学歴とかも関係がない。
居心地が良くて、月に一回開かれるコンサートに、毎回のように出演した。
だんだん仲間も増え、わたしはその協会のディレクターのひとりになり、定期演奏会がカーネギーで開かれるようになってからは、会員数が激増した。
会員の演奏の質も急激に上がり、数年前の会の発足時に、頬を赤らめてたどたどしく弾いていた初心者の人達は、だんだん足が遠のいていった。

カーネギーホールは3ホール。
一番小さいのは客席数300弱の、どんな人でも団体でも、程度を問わず、代金さえ払えば使えるホール。
中間のは、客席数600の、カーネギー側が実績を精査して、許可が下りた人あるいは団体、あるいはカーネギーが呼んだプロが使えるホール。
一番大きいのが、世界中の人が「カーネギー」と呼んでいる、あのホール。

ACMAは、去年から、中間の『ザンケルホール』を使わせてもらっている。
一番小さいホールでやったコンサートを観察に来ていたカーネギーのマネージャーが、ザンケルに見合うものとして認めてくれたからだ。

今日はその、コンサートの合同通しリハーサルがあった。
場所は、我々ACMAのパートナー団体、Orchestra of St.Luke's が建てた、クラシック音楽のためのビルディングの中にある『Cary Hall』


ピアノは、シュタインウェイのコンサートピアノ。新品なので、まだ音が充分にピアノ本体に響いていなかったけれど、すごくいいピアノだった。

で、

わたしは、わたしのピアノ人生史上最低の演奏をしてしまった。
パートナーのサラに申し訳なくてたまらなかった。
自分で自分が可哀相なぐらいだった。
譜めくりをお願いしていた人が、急にできないと断ってきたので、それでは譜めくりがいらないよう、半分ほどを暗譜し始めたのもいけなかった。
暗譜が今日には間に合わなかったので、今日だけは楽譜を見て弾くことにし、譜めくりを頼んだ。
ところが、楽譜を見たいのか見たくないのか、それが曖昧になっていたので、今まで見ながら弾けていた所が見ると弾けなくなったりした。
脳の混乱が心の混乱を招き、その混乱を受け止めるわたし自身が弱過ぎた。
自分でも驚いているほどに酷かったので、明日から、痛む小指に注意をしながら、二週間後の最後の合同リハーサルまでの間、本番で崩れないよう、方法を変えて練習をしようと思う。
それは多分、ただ弾く練習ではなくて、弾いている時の心の持ち方だとか、
どんな精神状態であっても、いつもと同じように弾ける、無意識の領域までに至った指の運動能力だとか、
もっと根本的なところで、エネルギーを保持できる強い体作りだとか、
そういうこと……。

さあ、とりあえず吐き出した。
これで眠れるかな。
コメント (4)
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