ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

米国Occupy Wall Street at Washington Square事情

2011年10月08日 | 米国○○事情


池田氏のレッスンの後、コネチカットからマンハッタンに戻ってサラを家まで送り、旦那とウェストヴィレッジで待ち合わせをした。
どちらも車で来ているので、路上駐車が大変!
最近、日曜以外は無料で停められる通りが激減したので、余計に難しい。
しかも、待ち合わせ場所は、超がつく迷路で有名なウェストヴィレッジ……。
すでに場所を見つけた旦那に、スピーカーフォンにした携帯を通話状態にして、今わたしがどこを走っているのか、通りの名前を叫びながら運転をした。
ラッキーなことに、とりあえず偶然に、彼が待っている通りに着いた時にゃ、思わず神さんにお礼を言った。
近くのフレンチレストランで軽い食事をして、それでもまた考え込んでしまうわたしに、
「今日はワシントン・スクエアに、例のウォール街のデモが移動してるらいしよ。行く?」と旦那が聞いてきた。
もちろん!

「9月の17日に始まったこのデモは、それからずっと毎日、どこかで続けられ、今や全国、世界中にまで広がりを見せている。
このデモをまとめているサイトに行ってみると、来年、いや多分再来年までもの、ミーティングやデモの予定が組まれているのがわかる。
それも、毎日なのだ。
この本気度はすごいと思う。
だから、強烈に伝わるのだと思う。
どこからか集まってきた老若男女の思いが、インターネットを駆使した、時代に合った伝達方法によって広がっていく。
見事だと思う。
単発でない、マイクや鳴りものもない、人間の声だけの集会。
これは本物だ。
集会の端っこのベンチの上に立ちながら、そう思った」

スクエア近くの歩道のど真ん中でくつろぐ、かなり恰幅の良い猫。


まだ公園の入り口だけど、かすかに人の声が聞こえてきた。


うわぁ~いるいる!


公園の警備員さん。かなり孤独っぽい。


大勢の人にぐるりと囲まれた中央にも、ものすごい数の人達が座っている。


前に立った若い女性が短い言葉を言い、それをまず中央の人達が、そしてそれを周りの人達が繰り返す、という方法。
マイクもスピーカーも無い。鳴りものも無い。人の声の力を感じた。


今日はインディアンサマーと呼ばれる、秋に突然やってくる夏日の初日。日差しがきつい。


皆、思い思いのメッセージを掲げている。


違う角度から。


なんちゅう青空!


より良い世界を求める手、手、手!


中央の人達も立ち上がった!


集会が終わって。


少し離れたベンチでもデモ!


ワンちゃんもデモ!


派手なスニーカーのおばちゃんもデモ!


ワシントン・スクエアの名物、チェスゲームの達人達。


カメラで撮ったビデオなので、画質も音質も良く無いけれど、熱気を感じてもらえたら。





息子Tが休日出勤をしているというので、会社見学をさせてもらいに、ミッドタウンの近くの通りまで移動した。


世界120カ国に450のオフィスを持つこの会社を、あのデモの後で目の当たりにすると、少し違和感を感じた。


入り口を開けてもらい、受付でサインをし、


息子の指紋で無事入館。


いつも利用しているカフェテラスとジム。


緊張しながらプロジェクトを発表する部屋。


オフィスからの景観(ハドソン河方面)


面白い椅子を見つけて、さっそく座り心地を調べる旦那。付き合う息子。


突き当たり奥は図書室らしい。本棚のデザインがおもしろい。


こちらは東側の景観。


仕事場のあれこれ。


誰やねん?!こんなとこでドラム叩いてるんは?!


誰やねん?!このおっさんは?!


壁がちょっとおしゃれ。


社員全員にあてがわれている椅子。なにやら一脚900ドル近くもするらしい。


無事見学も終わり、


クレジットカードを紛失して、現金が底をついた息子に、夕飯をおごる心優しい父と母。



いろんな世界を見た、インディアン・サマー初日のマンハッタンだった。
コメント (4)
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わたしが今一番しっかりと持たなければならない責任は?

2011年10月08日 | 音楽とわたし
個人レッスンから長い間遠のいているサラ(ほとんどわたしと同じぐらいの長さ)に、どうしても素晴らしいバイオリニストのレッスンを受けてもらいたいと思っていた。

コネチカットで開かれた夏の音楽祭で演奏された、東京クァルテットのバイオリン奏者池田氏が、ブログで知り合ったMさんのご主人だと知り、
厚かましいにも程があるのだけれど、とにかくお願いだけでもしてみようと、メールを送った。
すると、大学での教鞭と、米国各地、そして世界各国での演奏旅行でいっぱいいっぱいのスケジュールの中、休日のレッスンならと、引き受けてくださった。

嬉しくて、ドキドキして、先週の土曜日のトラウマをとにかく振り払えるよう、懸命に練習をした……つもりだった。
合同リハーサルで、譜めくりを頼んだ方が演奏に差し支えることがわかり、曲の半分を暗譜した。
完全に覚えられた……つもりだった。

朝、まずはサラを迎えにマンハッタンのハドソン河沿いの通りまで行き、彼女を乗せ、コネチカット州の池田氏のお宅に向かった。
地図も調べて持って行ったのだけど、とりあえずナビに頼って走り出した。
そしたら……なんと……どこでんねん?な所ばかりに連れて行かれ、かなり不安なまま運転をすることになってしまった。
隣のサラは、担任のクラスの小学生達から風邪をうつされたかもしれない、と言って、スヤスヤと眠っている。
仕方がない。おかあちゃんに任せなはれ!
腹を決めて、ナビの言う通りに車を走らせた。

余裕で着くはずが、5分も遅刻してしまった。
けれども、池田氏もMさんも、にこにこと出迎えてくださった。
天気は上々。インディアンサマー到来の、いきなりの夏日。
おふたりは、森の中のようなすてきな町の、すてきなお家に住んでおられる。
いくらブロガーだといっても、さすがに、レッスンをしていただく先生のお家をバチバチ撮るほどの勇気も時間も無く(当たり前だ、遅刻してたのだから)、バタバタと家の中に入れていただいた。

そして大緊張の中、演奏を始め、またまたわたしは崩れてしまった。
もうどうしようもなく、先週の土曜日のソレよりも酷く、次の音がまるで出てこなくなって止まってしまった。
覚えた音はどこへ消えてしまったのだろう。
指がまるで惚けたように、鍵盤の上で右往左往するだけで、心をこめて歌った旋律や和音やベースラインを弾いてくれない。
アリ地獄でもがく、みっともない自分に愛想が尽きた。

そんなわたしの情けない演奏を聞きながら、少しでもいい音楽になるよう、セクションごとに細かく指導してくださった池田氏に、心の底から感謝している。

やはり、感情やエネルギーを抑えることを、また指摘された。
これはもう、全体像を見て曲を作り上げることが苦手なわたしには、本当に大切な教え。
それと、自分でも気がつかなかったモヤモヤが、この一言↓でスッと晴れた。
「作曲者のフランクの中に、フランスとドイツの文化が色濃く流れていて、曲の中にもその色合いの違いがはっきりと出ています。だから、ピアノもどんどん遠慮なく、弾き分けをすればいいじゃないですか」
そしてもちろん、バイオリンの専門的な奏法や、一音でも、歌いたいと思うなら思いっきり歌えばいいじゃないか!というような、表現の根本のこと、
不安気に彷徨っているような気持ち、パアッと明るい世界が目の前に開かれたような気持ち、明るいのだけれど気持ちがしんとしている様子などなど、
練習するのが楽しみになることを、たくさん教えてくださった。

指のことに悩みながら長い時間が過ぎてしまった。
痛みを恐れるあまり、練習時間がいつもよりもうんと少なかった。
そして、あの日に決めた『独りデモ』を充実させたいばっかりに、それに長過ぎる時間を費やしていた。
先日、ツィッターで、「ギャーギャーうるさい!アメリカ人になったくせに。日本に住めっちゅうの。現実の事情もなんにもわからんボケが!」と、厳しい言葉をかけられた。
わたしが一番聞くのが恐かった言葉が並んでいた。
その通り。
わたしは日本に暮らしていない。
だから、日本の汚染地区で、毎日悩み、苦しみながら暮らしている人達にとって、わたしの言うことなど戯言にしか聞こえないのかもしれない。
けれども、ひとりでもいいから、勇気を出して欲しい。元気を取り戻して欲しい。気がついて欲しいと、そのことだけを願いながら毎日つぶやいた。
ブログに、少しでも有益な情報が載せられるよう、ツィッター上に溢れている情報から選んではチェックしたり、そんなことをしているとあっという間に◯時間単位で時間が過ぎてしまう。
そのことで、寝不足になったり、練習の時間が減ったりしていることもわかっていた。
でも、止められなかった。
放射能は毎日毎日出ていて、日本は毎日毎日汚されていく。
人も植物も食べ物も、山も林も森も川も海も湖も。

でも、今日という今日は、他の人との共演で舞台に立つ自分の、演奏者としての責任をじっくりと考えた。
このままではいけない。
わたしは、こういう時間の過ごし方をするわけにはいかない。
あと3週間だけ、カーネギーの舞台で、自分が納得できる、そして願わくば幸せな時間を過ごせるよう、お客さまにも喜んでいただけるよう、神経と体をその一点に集中しようと思う。

独りデモは多分、何日か置きになるかもしれない。
ブログは、もはやわたしにとっては日課のひとつなので、多分軽く続けていくと思う。


池田氏は、レッスンの終わりの方で、こんなエピソードを話してくださった。
以前、なにかの記念公演で演奏することになった時、知り合いのピアニストの方から共演のお誘いがあったのだそうだ。
それで、池田氏が、「じゃあフランクのソナタをやりましょうか」と提案したところ、「いやあ、あの曲はかんべんしてください」と言われた、というもの。
それだけ、バイオリニストだけではなく、ピアニストにとってもこの曲は難しい、という、優しい慰めの気持ちが伝わってきて、胸がジンとした。
そしてあとひとつ、コルトーという有名なピアニストでさえ、最後の数小節は音を外しまくって、それがしっかりレコードに収まっている、という逸話も。
「それはちょっと、わたしにとっては、軽い呪いのような話です」、と苦笑いしながら聞いた。

池田さん、レッスンにならないような演奏をしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。
明日から、今まで以上に本気で取り組みます。
もう聞いてはいただけないと思いますが、今日は本当にありがとうございました!
コメント (6)
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