ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

親子でタイ!

2013年01月14日 | 家族とわたし
去年の暮れに、母が突然、今生の最後の旅行として、弟とわたしとの3人だけで、どこかあったかいとこに旅行に行きたいと言い出した。
去年の夏に、たったひとりでここに来て、ちょっと自信がついたらしい。
持病の膠原病や、メニエールからくるふらつきなどがずっと続いてたから、近所の店や病院に行くにも、必ず誰かの付き添いが必要やったのに、
いきなり行くと決めて、ほんまにひとりでやって来て、空港のゲートから出てきた母を見た時に、胸がじーんとしたことを覚えてる。

「もうこれが、最初で最後やから」と言う78才の母。

12年前、母は、生き別れたっきりの息子と35年ぶりに再会し、一緒に、ここアメリカにやって来た。
行き帰りの飛行機の中では、ほとんどしゃべらなんだと言うてたけど、わたしの運転でナイアガラの滝まで行って、泊まったホテルの部屋で写真撮ったら、
怪しい心霊写真みたいなんが撮れて、その心霊が、どう見ても父そっくりやったから、うわっ!ついて(憑いて)きよった!などと言うて大笑いした。
父と母は、別れる前の数年間は、それはそれは憎み合うて、毎晩喧嘩をしてた。
いつなんどき、最後の線を超えてしまうかもしれんと、びくびくしながら、弟とわたしは、廊下の隅っこで、彼らの詰り合う声を聞いてた。
そんなわけで、父は最後の最後まで、母に会いとうないと言い切って死んでしもたし、母もまた、父の死を悲しまなんだ。

父と母が、いよいよ離婚すると決めた時、わたしだけ居間に呼び出され、出て行く母についていくか、父と家に残るかを決めさせられた。
父には多分、勝算があったのやと思う。
わたしは当時、ピアノの英才教育を受けてた。
そもそもピアノは、やめるわけにはいかんもんやった。
7才の誕生日の前日、五つの習い事からピアノを選んだのは、それで成功して生計を立て、投資してくれた両親に返金するという約束が、それやと果たせると考えたからやった。
そやから、そんなわたしが、無一文で追い出されるであろう母について行くわけがない。
しかも、大の仲良しの弟は、姉から離れるわけがないことを知ってるわたしが、母の重荷になることを選ぶはずがない。
おまけに父は弱虫で、ひとりで残されたりした日にゃ、次の日まで生きてるかどうかも怪しかった。

そんなこんなで、わたしははっきりと、「父と家に残る」と答え、母は黙って頷いた。

わたしが選んだことで、結局弟には、えらい思いをさせてしもた。
もちろんわたしもえらい目に遭うたけど、弟のそれと比べると、まだマシやったと思う。
ふたりともに、ティーンエイジャーの6年間は、えげつないことがいっぱいふりかかった。
もしグレてても、行方不明になってても(わたしは実際に数年なったけど)、死んでても、誰も不思議に思わんかったやろ。

そんな時、一緒に暮らしてた父は、ほとんど家から逃げてたし、母は離ればなれに生きてたから、
自分らの娘と息子が、当時どんなふうに生きてたか、どちらもほとんど知らんままにいる。
どちらともなく、別にそうしようと言い合わせたわけでもなく、弟もわたしも、昔のことをひっぱり出してきて、恨みつらみを言う気も無い。

母と弟とわたしだけの、お局様に付き添う弥次喜多旅行。
行き先は、はじめ西海岸がハワイになり、ハワイからタイに行き着いた。
母は母で、いろいろと調べてくれるのはええのやけど、わたしが思てる旅行とどんどんかけ離れていく。
日本の旅行会社とこちらの旅行会社では、進め方も旅行の内容もかなり違う。
そのうち、日程にもあれこれ問題が出てきて頓挫に次ぐ頓挫。
冬時間の14時間時差も痛い。
ずれたまんま、気がつくと数日が経ってしもて、そのストレスというたらなかった。

楽しいことのためにやってるのに、なんじゃこの完璧なカオスは?!

母と弟は、名古屋から台湾経由でタイへ。
そのチケットを、こちら時間の夜中の0時から4時半までの三者スカイプで、文字通り四苦八苦しながら、ネット購入を完結した。
パソコン画面への情報打ち込みに何回も失敗して、疲れ果てた母が「もうこんなん無理や、やめよかな~」と言い出した時、すでに3時間が経過してた。
「そんな……こんな夜中に起きて、画面の前で付き合うてるわたしの3時間を返してくれ!」と、思わず言いそうになったりした。

とにかく、これでやっと、ふたりのタイミングに合う自分のチケットを買えると、意気込んで調べてみたら……あかん……あらへん。
これまた4時間半かかって、最安値というのをあきらめて、とりあえずまず日本まで飛び、そこからふたりと同じ飛行機に乗り、台湾経由でタイに行くことにした。
そやからその日は、というか、その三日間は、ニューヨークからシカゴ、シカゴから成田、成田から名古屋、名古屋から台湾、台湾からタイ、ということになる。
わたしは今月の26日の早朝にここを出発し、27日の晩にふたりと合流し、28日の早朝にタイに向かう。
そしてタイで9日間過ごし、2月6日に日本に戻り、7日の朝にこちらに戻る。
体力をつけとかなあかん。

タイでの日程は、友人の、アジア地域専門のエージェントさんにお願いした。

亡くなった父の最後の旅行もタイやった。
ただし、父は多分、それが最後の旅行になるやなんて、全く思てなかったと思う。
自分とおんなじような頭してる象さんの隣に立ち、その長~い鼻をつかんで笑てる父。
ちっちゃい子どもみたいな、ちょっと照れくさそうな、可愛らしい笑顔の66才の父。

またついてくるかなあ……。
コメント (6)
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