昨日、桜宮高校体育系の入試中止を、橋下市長が要請したことについての記事を書いた。
その記事に、反論のコメントが寄せられた。
腐った学校組織のことを勉強もせず、恐ろしい無責任集団を庇うような、変な正義感と安っぽいヒューマニズムで、ことの本質を見誤らないで下さい、と書かれてあった。
そして、宮台氏による反論を、重ねて教えてくれた。
それがこれ↓。
それから、以下の意見は、板垣 英憲氏が自身のブログ「マスコミに出ない政治経済の裏話」に書き込んでおられたもの。
大阪市の橋下徹市長が、「犯罪空間」桜宮高校体育系の入試中止を市教委に要請したのは正しい
2013年01月21日
◆大阪市の橋下徹市長が、体罰自殺者を出した市立桜宮高校の体育系2科の入学試験中止を市教委に要請したことから、物議を醸している。
市教委はもとより、学校関係者や受験生の保護者は、猛烈に反対している。
だが、冷静に考えてみると、この高校では、教師による体罰が日常的に行われてきたと言い、この高校全体の空間が、「暴力を許す犯罪空間」になっていたことを物語っている。
刑法上、暴行罪、傷害財、最悪の場合殺人罪にもおよびかねない犯罪の巣と化していたと言わざるを得ない。
いわば、恐怖の学校である。
この犯罪の空間(巣)は、学校長を始めとする教職員、これを監督指導している市教委の教育委員長・教育委員、教育長ら事務局全体が、秘密のベールに包み、事件を隠蔽し、あるいは、「なかったこと」にしてしまう。
教職員と生徒の関係は、いわゆる「特別権力関係」にあるので、生徒と保護者は、弱い立場に立たされている。
事件を表沙汰にするには、マスメディアに垂れこむか、司直に告発・告訴するしかない。
しかし、学校・教委に隠蔽工作されると、事件化するのは、難しいし、後難が恐ろしい。
成績の評価などで何をされるかわからないからである。
それどころか、桜宮高校でも、体罰自殺事件が丸でなかったかのように風化させてしまおうという空気が支配的だという。
しかも、校長はじめ教職員のだれも傷つかないように、この事件をうやむやにして、闇に葬ろうとしている。
改革の意識はもとより、改革を行おうという動きは、皆無という。
これに対して、橋下徹市長が、激怒するのは、当たり前である。
何かとパフォーマンス好きで、サプライズを打ち上げるのが、得意な橋下徹市長のことであるから、「またか」と思われたとはいえ、その怒りが、本物であることは間違いない。
予期していた通り、というか、案の定、「市長の予算執行権」を振りかざしてきた。
実は、このことは、正しい。
マスメディアは、橋下徹市長に猛烈に批判の矢を浴びせているけれど、私は、橋下徹市長に声援を送りたい。
とにかく、「犯罪空間(巣)」は、破壊しなくてはならない。
思い切って「体育系2科」は、即刻廃止すべきである。
◆それよりも、理解し難いのは、受験生や保護者の無神経さ、自分だけよければよいという身勝手さである。
何が無神経であるのか。
言うまでもなく、よく平気で「犯罪空間(巣)」に飛び込んでいく気になれるなということだ。
受験生はもちろん、保護者も怖くはないのであうか。
万が一、体罰に遭って、自殺に追い込まれるようなことになったらどうするつもりなのか。
その神経が信じられない。
マスメディアも、気楽である。
「犯罪空間(巣)」をそのままにして、「入学試験を実施しろ」というのであるから、これほど無責任なことはない。
毎日新聞社毎日jpは1月20日午前2時30分、「社説:桜宮高校の体罰 入試中止要請は筋違い」という見出しをつけた社説を次のように配信している。
「大阪市立桜宮高校の体育科の生徒が、教諭から体罰を受けた後に自殺した問題で、
橋下徹市長は、来月実施の体育科とスポーツ健康科学科の入試を、中止するよう市教委に求めた。
体罰容認の風潮を残したままで新たに生徒を受け入れられない、というのが橋下市長の考えだ。
体育系2科の希望者をいったん普通科で受け入れ、入学後に編入を検討するよう提案し、市教委が中止しなければ、市長権限で入試に関連する予算を支出しない意向を示している。
しかし、体育系2科と普通科では入試科目や配点が異なり、編入もスムーズにいくか分からない。
受験生だけでなく、在校生への影響も大きい。
受験生や生徒たちに負担を与えてはならない。
入試中止は筋違いであり、再考すべきだ」
毎日新聞社は、「教育の森」「教育を追う」という長期連載で評価を高め、「教育の毎日」と言われてきた。
私も、「教育を追う」取材班で記事を書いたことがある。
この意味で、受験生や保護者のことを心配する気持ちはわかるが、「犯罪空間(巣)」に飛び込む危険まで背負わせるべきではない。
◆大阪市に限らず、全国の教育現場では、「いじめ自殺事件」が跡を絶たず、それどころか、今度は、とても信じられない事件が起きている。
朝日新聞が1月20日付け朝刊「38面」で、「薄めた塩酸飲ませる 愛知の教諭 実験失敗の生徒に」と報じている。
たとえ薄めたとはいえ、劇薬を「罰として」飲ませるとは、恐ろしい教師がいたものだ。
これは、まかり間違えば、傷害罪、殺人罪あるいは、未遂罪になり得る大事件である。
とにかく、学校という外部から遮断されて、「特別権力関係」にある「空間」が、危なくなっている。
↑以上、転載おわり
この桜宮高校が、学校としての役割を果たさず、遠の昔から荒れに荒れていて、入試はもちろんのこと、教師も全面的に入れ替えをしなければならないほどに暴力にあふれてたのなら、
なぜ、新聞は、それをきちんと書かんのやろう。
なぜ、橋下市長は、そのことをはっきりと詳しく説明せえへんのやろう。
この学校が、話し合いの余地もなく、知らずに入学しようもんなら、命の保証は無いほどにとんでもない所やと、上のふたりは言うてるのやから。
そのことを知ってる人間は、いったいどれぐらいいるのやろう。
ほんで、日本に、この高校と似たり寄ったりの学校は、どれぐらいあるのやろう。
17才の子どもが、受けた暴力に生きる気力を削がれて、自ら命を絶った。
この子と親御さんの無念は、誰にも計り知れん。
そして親御さんは、これから一生、数えきれんほどに、子を救えんかった自分を責め続けることになる。
こんなことはもちろん、絶対に起こったらあかんこと。
そやから、もし、どうしようもなく崩れてしもて、学校という張りボテの建物にすがってるとこがあるのなら、
この機会に、徹底的に、桜宮だけやない、犯罪空間などと揶揄されるほどに荒れてる学校を徹底的に精査して、外部からの専門家も交えた対策を練ってほしい。
わたしが日本に暮らしてた時、歩いて5分ぐらいのとこに、それはそれは荒れてた学校があった。
校長が入れ替わりして、いろんなことを試し、良くなったりまた戻ったり、そんなことを繰り返してたけど、結局は大きな事件を起こし、有名になった。
そやから、その学校が、すでに学校としては存在するべきでない所にまで堕ちてたなら、緊急に、という意味はわかる。
いろいろやっても、結局は良い結果に結びつかんかった例も何校も知ってる。
それでも、そやからこそ、
生徒が自殺に至った経緯を含め、その現場で日常的にどんなことが起こっていたのか、
今後、その学校も含む教育の世界で、同じようなことが起こらんようにするためにどうすればよいか、
広く、まんべんに、立場や年令の違いを超えたところで論議されていくべきで、それをすっ飛ばして、廃校やの廃止やのと、単純な制裁で終らせたらあかんと思う。
そしてその論議は、公開の場で行われるべきで、この問題について、地域を超えた改善への道を見出してほしいと思う。
その記事に、反論のコメントが寄せられた。
腐った学校組織のことを勉強もせず、恐ろしい無責任集団を庇うような、変な正義感と安っぽいヒューマニズムで、ことの本質を見誤らないで下さい、と書かれてあった。
そして、宮台氏による反論を、重ねて教えてくれた。
それがこれ↓。
それから、以下の意見は、板垣 英憲氏が自身のブログ「マスコミに出ない政治経済の裏話」に書き込んでおられたもの。
大阪市の橋下徹市長が、「犯罪空間」桜宮高校体育系の入試中止を市教委に要請したのは正しい
2013年01月21日
◆大阪市の橋下徹市長が、体罰自殺者を出した市立桜宮高校の体育系2科の入学試験中止を市教委に要請したことから、物議を醸している。
市教委はもとより、学校関係者や受験生の保護者は、猛烈に反対している。
だが、冷静に考えてみると、この高校では、教師による体罰が日常的に行われてきたと言い、この高校全体の空間が、「暴力を許す犯罪空間」になっていたことを物語っている。
刑法上、暴行罪、傷害財、最悪の場合殺人罪にもおよびかねない犯罪の巣と化していたと言わざるを得ない。
いわば、恐怖の学校である。
この犯罪の空間(巣)は、学校長を始めとする教職員、これを監督指導している市教委の教育委員長・教育委員、教育長ら事務局全体が、秘密のベールに包み、事件を隠蔽し、あるいは、「なかったこと」にしてしまう。
教職員と生徒の関係は、いわゆる「特別権力関係」にあるので、生徒と保護者は、弱い立場に立たされている。
事件を表沙汰にするには、マスメディアに垂れこむか、司直に告発・告訴するしかない。
しかし、学校・教委に隠蔽工作されると、事件化するのは、難しいし、後難が恐ろしい。
成績の評価などで何をされるかわからないからである。
それどころか、桜宮高校でも、体罰自殺事件が丸でなかったかのように風化させてしまおうという空気が支配的だという。
しかも、校長はじめ教職員のだれも傷つかないように、この事件をうやむやにして、闇に葬ろうとしている。
改革の意識はもとより、改革を行おうという動きは、皆無という。
これに対して、橋下徹市長が、激怒するのは、当たり前である。
何かとパフォーマンス好きで、サプライズを打ち上げるのが、得意な橋下徹市長のことであるから、「またか」と思われたとはいえ、その怒りが、本物であることは間違いない。
予期していた通り、というか、案の定、「市長の予算執行権」を振りかざしてきた。
実は、このことは、正しい。
マスメディアは、橋下徹市長に猛烈に批判の矢を浴びせているけれど、私は、橋下徹市長に声援を送りたい。
とにかく、「犯罪空間(巣)」は、破壊しなくてはならない。
思い切って「体育系2科」は、即刻廃止すべきである。
◆それよりも、理解し難いのは、受験生や保護者の無神経さ、自分だけよければよいという身勝手さである。
何が無神経であるのか。
言うまでもなく、よく平気で「犯罪空間(巣)」に飛び込んでいく気になれるなということだ。
受験生はもちろん、保護者も怖くはないのであうか。
万が一、体罰に遭って、自殺に追い込まれるようなことになったらどうするつもりなのか。
その神経が信じられない。
マスメディアも、気楽である。
「犯罪空間(巣)」をそのままにして、「入学試験を実施しろ」というのであるから、これほど無責任なことはない。
毎日新聞社毎日jpは1月20日午前2時30分、「社説:桜宮高校の体罰 入試中止要請は筋違い」という見出しをつけた社説を次のように配信している。
「大阪市立桜宮高校の体育科の生徒が、教諭から体罰を受けた後に自殺した問題で、
橋下徹市長は、来月実施の体育科とスポーツ健康科学科の入試を、中止するよう市教委に求めた。
体罰容認の風潮を残したままで新たに生徒を受け入れられない、というのが橋下市長の考えだ。
体育系2科の希望者をいったん普通科で受け入れ、入学後に編入を検討するよう提案し、市教委が中止しなければ、市長権限で入試に関連する予算を支出しない意向を示している。
しかし、体育系2科と普通科では入試科目や配点が異なり、編入もスムーズにいくか分からない。
受験生だけでなく、在校生への影響も大きい。
受験生や生徒たちに負担を与えてはならない。
入試中止は筋違いであり、再考すべきだ」
毎日新聞社は、「教育の森」「教育を追う」という長期連載で評価を高め、「教育の毎日」と言われてきた。
私も、「教育を追う」取材班で記事を書いたことがある。
この意味で、受験生や保護者のことを心配する気持ちはわかるが、「犯罪空間(巣)」に飛び込む危険まで背負わせるべきではない。
◆大阪市に限らず、全国の教育現場では、「いじめ自殺事件」が跡を絶たず、それどころか、今度は、とても信じられない事件が起きている。
朝日新聞が1月20日付け朝刊「38面」で、「薄めた塩酸飲ませる 愛知の教諭 実験失敗の生徒に」と報じている。
たとえ薄めたとはいえ、劇薬を「罰として」飲ませるとは、恐ろしい教師がいたものだ。
これは、まかり間違えば、傷害罪、殺人罪あるいは、未遂罪になり得る大事件である。
とにかく、学校という外部から遮断されて、「特別権力関係」にある「空間」が、危なくなっている。
↑以上、転載おわり
この桜宮高校が、学校としての役割を果たさず、遠の昔から荒れに荒れていて、入試はもちろんのこと、教師も全面的に入れ替えをしなければならないほどに暴力にあふれてたのなら、
なぜ、新聞は、それをきちんと書かんのやろう。
なぜ、橋下市長は、そのことをはっきりと詳しく説明せえへんのやろう。
この学校が、話し合いの余地もなく、知らずに入学しようもんなら、命の保証は無いほどにとんでもない所やと、上のふたりは言うてるのやから。
そのことを知ってる人間は、いったいどれぐらいいるのやろう。
ほんで、日本に、この高校と似たり寄ったりの学校は、どれぐらいあるのやろう。
17才の子どもが、受けた暴力に生きる気力を削がれて、自ら命を絶った。
この子と親御さんの無念は、誰にも計り知れん。
そして親御さんは、これから一生、数えきれんほどに、子を救えんかった自分を責め続けることになる。
こんなことはもちろん、絶対に起こったらあかんこと。
そやから、もし、どうしようもなく崩れてしもて、学校という張りボテの建物にすがってるとこがあるのなら、
この機会に、徹底的に、桜宮だけやない、犯罪空間などと揶揄されるほどに荒れてる学校を徹底的に精査して、外部からの専門家も交えた対策を練ってほしい。
わたしが日本に暮らしてた時、歩いて5分ぐらいのとこに、それはそれは荒れてた学校があった。
校長が入れ替わりして、いろんなことを試し、良くなったりまた戻ったり、そんなことを繰り返してたけど、結局は大きな事件を起こし、有名になった。
そやから、その学校が、すでに学校としては存在するべきでない所にまで堕ちてたなら、緊急に、という意味はわかる。
いろいろやっても、結局は良い結果に結びつかんかった例も何校も知ってる。
それでも、そやからこそ、
生徒が自殺に至った経緯を含め、その現場で日常的にどんなことが起こっていたのか、
今後、その学校も含む教育の世界で、同じようなことが起こらんようにするためにどうすればよいか、
広く、まんべんに、立場や年令の違いを超えたところで論議されていくべきで、それをすっ飛ばして、廃校やの廃止やのと、単純な制裁で終らせたらあかんと思う。
そしてその論議は、公開の場で行われるべきで、この問題について、地域を超えた改善への道を見出してほしいと思う。