ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

今年もこつこつ『放射脳人間』続けます宣言!ど~ん!

2013年01月02日 | 日本とわたし
あざらしサラダ(愛知県がれき受け入れ問題)というブログに出会いました。
瓦礫の広域処理の反対運動に携わってこられたことにより、学んだことを簡潔にまとめて書いてくださっています。
↓以下に、転載させていただきます。

瓦礫広域処理の反対運動を20ヵ月続けてきて学んだこと 2012年 12月 31日

12/29に、高知で行なわれた勉強会で、私が瓦礫広域処理の反対運動を20か月続けてきて学んだことについて話した。(以下はそのポイント)

①製造メーカーが保証出来ないと言っているのに、バグフィルターで安全です、と開き直る相手に、安全面の問題で追及してもムダだと悟った。
・放射性物質に化学物質にアスベスト、どれだけ問題点を示しても、最後は「安全だから受け入れます」という答えしか返ってこない。

②お金でしか物事を考えられない相手には、お金の問題で追及するに限る。
・がれき広域処理は、復興予算の被災地外流用と、無駄遣いであることが判明している。
・復興予算は、全国民の所得税、住民税増税で賄われており、おかしな使われ方に対して反対の声をあげるのは、納税者として当然の権利。


③自治体が瓦礫を受け入れたいのは、補助金目的。
・がれきの受け入れを検討しただけで、被災地でなくても、交付金と特別交付税により、ゴミ処理施設の整備費を国が負担する。
・この予算にも、復興予算が流用されている。


④環境省が広域処理を進めたいのは、予算を余らせたくないから。
・総量見直しで、がれきの総量が、当初から3~4割も減ったのに、瓦礫処理予算を減額する気が無い。
・一度認められた予算は、意地でも使い切ろうとする予算消化主義により、瓦礫の処理よりも、「広域処理」が目的化している。


⑤政府が瓦礫を拡散したいのは、放射能汚染の規制を緩和したいから。
・クリアランス制度は、まだ社会に定着しておらず、これまで原発で出た廃棄物は、100Bq/kg以下でも全て、六ヶ所村に運んで厳重に管理していたが、
・特措法により、8000Bq/kgまでは、放射能汚染されていない廃棄物として処理できるように規制緩和された。
・この既成事実化により、現行クリアランス制度を、なし崩し的に規制緩和するのが狙い。


⑥規制緩和の目的は、損害賠償責任の回避と、廃炉コストの削減。
・事故前の規制で厳格に対応しようとすると、政府、及び東電の損害賠償責任が膨大に膨れ上がる。
・さらに、今後の原発廃炉で必要となる、最終処分場建設の負担も減らしたい。
・規制緩和の目的は、これらをふまえた経済合理性に基づく、「コスト削減策」である。


⑦市民運動は、誰かの指示や義務感ですると長続きしない。
・市民運動は、自分の時間とお金を使って、無償で行うのが基本、仕事ではないので対価を求めない。
・そのかわり、義務感で行動する必要はないし、誰からも指図を受ける必要もない。


⑧運動の目的は、自分や家族の為であって、世の為、人の為と思って運動をしない。
・長く運動を続けていると、壁にぶつかったり、非難されたり、嫌な事ややめたいと思う事が必ずある。
・世の為、人の為と思って運動していると、なんで私がこんな思いをしなければいけないのか、と誰かに恨み言を言いたくなるが、自分や家族の為と思って運動していれば、誰も恨まないで済む。


⑨運動の為の組織やリーダーを作らず、市民が情報ネットワークで繋がって、自分の判断でやりたい運動をする。
・組織や特定のリーダーに頼ると、人任せの運動になる。
・自分で考えて運動するためには、有益情報の共有が重要。
・また運動への協力を強制せず、あくまで呼び掛けに応じた方による、自発的な運動が基本。


↑以上、転載おわり


たまに、思います。
わたしはいったい、なんでこんなことやってるんやろと。
けど、そう思た後すぐに、いっつもおんなじことが思い浮かんでくる。
おかしなことはおかしい、あかんことはあかんと、いっぺんも表立って言うこと無しにきたわたしみたいな人間が多過ぎたから、こんな日本になってしもて、
それをそっくり継がなあかんのが今の子ども達で、うんと日が経ってから歴史の本とかに、世にも稀なる無責任世代とかいうて載ったりして、
いや、それはかなんと。
なんとかせなあかんと。
生きてるうちになんとかなるかどうかはわからんけど、せめてその道筋だけでもつけとかなあかんと。
それぐらいの責任果たしてからでないと、ほなさいならって言うてこの世からおさらばできひんと。

そやから続けます。
人を変えることなんかできひんから、とにかくコツコツ伝えます。
誰に頼まれたわけでもないし、時々見ず知らずの人から、ボケとか悪魔とか地獄に堕ちてまえとか、余計なお世話やとか言われたりもするけど、
これはわたしが考えて考えて、考え抜いて決めたことやから。
ほんでこれは、世のため人のためなんかと違て、自分と自分の家族のためやから。

『放射脳』と呼びたかったら呼んでください。
利己主義やと非難したかったらしてください。
祖国日本を、心の底から大切に思うから、未来を担う人達に、放射脳と呼ばれた人間のひとりとして思い出してもらえたら本望です。
コメント (4)
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日本国民は『戦争と武力による威嚇・武力の行使』、これらを永久に放棄する!

2013年01月02日 | 日本とわたし
九条の会というオフィシャルサイトから。


第二次世界大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)民政局のスタッフとして、日本国憲法の起草作業を手伝わはった、ベアテ・シロタ・ゴードンさんが亡くなった。
彼女は主に、男女平等に関する条項を書き上げはったらしい。

娘のニコルさんは、
「母は生前、憲法の平和、男女同権の条項を守る必要性を訴えていた。改正に総じて反対だったが、このふたつ(の変更や削除)を特に懸念していた」と言う。
お悔やみのお供物の代わりに、『九条の会』(護憲団体)に寄付してほしいというのもきっと、ベアテさんの遺言なんやろう。

国際的ピアニストであるレオ・シロタ氏の娘としてウィーンに生まれた。
著名な作曲家山田耕筰氏から、東京芸大教授に招かれた父親と一緒に、6才の時に来日、その後の10年間を日本で過ごした。
大学進学のために、米国カリフォルニアに留学、その時に米国籍を取得し、卒業後は米誌タイムの助手を経て、終戦後の45年末に、GHQ付の通訳・翻訳官として再来日した。

憲法の起草作業に関わったのは、なんと22才の時。
24条(両性の平等)などの、人権に関する条項を書き上げはった。

日本の憲法は「歴史の英知」として、戦争放棄をうたった9条を擁護

長女のニコルさんによると、最期の言葉は、
「日本国憲法に盛り込まれた平和条項と、女性の権利を守ってほしい」という趣旨やった。

 
 
ベアテさんはきっと、憲法九条に誇りを持ってはったんやと思う。
九条に、世界平和の実現を担える希望を抱いてはったんやと思う。
22才で起草作業に加わってから、89才で亡くなる直前まで、平和憲法と女性の権利を守りたいと願てはった。

彼女の遺志を、ひとりの女として、おかんとして、大人として、しっかり受け取らなあかんと思う。
受け取るだけやのうて、次の世代に継いでもらえるよう、守り抜かなあかんと思う。
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