緑の葉っぱをつけた大きな木の枝が次々に切り落とされ、
まるで墓標のような短い幹だけになった。
この桐の老木は、3階建の家の屋根を遥かに超える、とても大きな木だった。
そして消えた。
葉っぱがいっぱい落ちていた。
こんな小さな黄色い実をつけていたなんて知らなかった。
とうとう跡形もなく木屑となってしまった。隣にあった八重桜も…。
木が切られるのを見るのは辛い。
どんなにそれが必要であっても、切られるのを見ていると気が萎える。
木と気はつながっているのだなあとしみじみ思う。
どんなにそれが必要であっても、切られるのを見ていると気が萎える。
木と気はつながっているのだなあとしみじみ思う。
この木は庭続きの隣人宅の後ろの庭にも根を張って、彼らの地下室に問題を生じさせていた。
わたしたちがここに引っ越してからずっと、この木を切って欲しいと言われていた。
いい返事をしない我々に業を煮やした隣人は、この木の根っこに塩を撒いたりして、なんとか弱らせようとし始めた。
大きな木はその根や葉や枝振りで、人を困らせることが多々ある。
毎秋、ハラハラと落ちてくる巨大な葉っぱもその一つ。
隣人はそれでなくてもわずかしかない庭に、大きな木が二本(一本は隣家の敷地にはみ出したわたしたちの桐の木の枝、もう一本は隣家の八重桜の古木)もあったので、家庭菜園がほとんど楽しめなかった。
その八重桜も、毎年濃いピンクの花を見事に咲かせてくれた木で、毎回楽しませてもらった。
道に出された木の幹。
撫でるとまだしっとりしていた。
ごめんね、ごめんねと言いながら撫でていたら涙があふれて止まらなかった。
木を切る人たちは、昨日の朝8時にやって来た。
いろんな道具や働く車と一緒に。
一番嫌いなのがこれ。
どんどんと運ばれていく。
カエデの爺さんは負担を少なくするために、出張っている枝をさらに切り取ることになった。
爺さんの背もめちゃくちゃ高いので、大きなクレーン車がドライブウェイに横付けされた。
作業開始。
遥か上からドサドサと落ちてくる。
終了。
ついでに松と百日紅の木も散髪。
カエデの爺さんはとうとうちょっと形崩れした綿菓子みたいになってしまった。
けれども、彼のどっしりした、大人3人の腕を広げてちょうどいいぐらいのぶっとい体に耳を当てて話すことはまだできる。
そしてわたしはこの家の二階の部屋で、カエデの爺さんに横目で見守られながら一生を終えられたら、最高に幸せだろうと思っている。
しぶとく生きようぜ、爺さん!