ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

米国気功初体験事情

2010年10月25日 | 米国○○事情
生まれて初めて、気功というものを体験してきた。

旦那が仕事をしているオフィスは、うちから車で5分ぐらいの所の、大きなギリシャレストランの二階にある。
そこは、健康に関することならなんでもありまっせ~空間で、それと同じ階にある、ヨガや各種エクササイズをしている大部屋を借りて、マリアムという元ピアノ教師が気功を教えるというので、旦那と一緒にそのクラスを受けることにした。
マリアムには以前、彼女の自宅で行われている太極拳を教えてもらっていたのだけど、木曜日の夜というタイミングがどうしても合わずに尻切れとんぼになっていた。

薄暗い照明の中、中高年の男女7名、思い思いの服装で参加していて、どうも初めてというのは、大柄の黒人のおっちゃんとわたしだけの模様……とほほ。
でもまあ、太極拳に比べると動きがシンプルだし、彼女が言っていることもわかりやすいので、なんとかなるべ、と集中する。

海水をすくいあげたり波を押したり、月を引き寄せたり、大地、天からの良いエネルギーを体の中に取り入れては、いらないもの、悪いものと一緒に体の外に押し出す。
イメージすることがとても大切。
そういうのってけっこう好きな方だから、もしかしたら続けられるかもしれない。
旦那はというと、んなこと言われてもさぁ~と思う方なので、さてさていかに……。

今日教わったことは全部、わたしにとっては初めてのことだけど、中でも自分で自分の内臓を癒すための気功が一番興味深かった。
肺や心臓や腎臓や肝臓、それから消化器官のある場所に気を集中させて、ちょっと変わった動きをするのだけれど、それぞれに色と音が決まっていて、その臓器を癒すことは怒りや哀しみ、心配症やはしゃぎ過ぎを緩和するのだそうな。
前に少し、内臓と感情のつながりを学んだことがあったけれど、多分これも同じところからきている考え方だと思う。


さて、始めたからには、少しぐらい気功のことを知っておかにゃ~と、ウィキペディアを覗いてみた。

すると、なにやらとても恐ろしいことが書かれていておったまげてしまった。
『法輪功』という、1980年以降にできた宗教気功の中の一つの団体なのだが、共産党に批判的だったため、中国政府はこの法輪功を弾圧し、それが高じて1999年の法輪功事件に至った、という話。
この『法輪功』という名前を、もし中国で検索しようものなら、懲役を食らう可能性もあり、ということらしい。ししははちゃん、やっちゃだめだよ!

この政府による弾圧は今現在も続いていて、国連拷問特別調査官のノーワック氏の立ち入り調査書には、『法輪功学習者たちは、心不全を起こす薬物を注射され、臓器を摘出されている間、あるいはその後に殺害されている』と記載されていた。
ノーワック氏は、「強制労働収容所に監禁されている人の大多数は法輪功学習者で、彼らは裁判を受ける権利も与えられない。また、法輪功学習者は国内の拷問被害者の約3分の 2を占めている。これらの状況は、自分自身が中国から出た後も、まったく好転していない」と現在も訴え続けている。

新聞もウィキペディアも丸々素直に信じてはいけない、と重々承知だけれど、そもそも心身を癒すために行われている気功が、なにか思想や宗教観の違いでこんなふうに迫害を受け続けながらも、世界各地で根を広げていることに驚いている。
来週行ったら、彼女にこの『法輪功』のことを尋ねてみよう。
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米国リスも嬉しいインディアンサマー事情

2010年10月24日 | 米国○○事情
ふふん、今日はなんかぬくたいな~。


下でおっさんがずっと本読んどるし、おばはんはあっちゃこっちゃ歩いて写真撮っとるし、ちょっとアタシもかわい子ちゃんポーズ。


リスっちだってヨガ!なんちて……。



ポールの家のカエデの葉が、端っこの方から茶色くなってチリチリと丸まってきました。








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冬の前の贈り物

2010年10月24日 | お家狂想曲
毎年この季節にやってくるインディアンサマー。季節外れの暖かな日が数日続きます。
今年は今日を入れて木曜日までの5日間、最高気温が20℃を少し越える暖かな日になります。
そして金曜日にはストンと下がって10℃少し。多分朝晩は一桁、0℃近くにまで冷えるでしょう。

ということで、旦那は朝から外に出っぱなし。散歩したり瞑想したり本を読んだり。
一瞬、近くにある店一軒だけというのを条件に、カーテンの下見に行ってもいいと言って、わたしが出かける準備をしながら洗濯物を少し片付けている間に外に出て、やっぱりこんなにいい日に買い物なんて……と気が変わり、今もまた、玄関前の階段に座って本を読んでいます。

なのでわたしもあきらめて、インディアンサマー記念写真を撮りに庭に出ました。

今年も残ってくれた白樺の木。


すごく大きなハチさんが、それはそれは夢中で花粉を集めていました。
 

メイプルの老木の葉もすっかり乾き、ハラハラと高い所から落ちてきます。


見るたびなぜだか日本を思い出してしまう、この家が所有していた庭。売れてしまったけれど、未だ手つかずで残っています。木の神様のおかげです。


サクサクといい音がする落ち葉のじゅうたん。


後ろの庭にも小さな紅葉が見られます。


ちょっと拡大してみましょう。


我が家の家番号(One)No.1。なんだか嬉しいのは単純だから?

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息子とかたづけとさびしさと

2010年10月23日 | 家族とわたし
今朝起きたら拓人が家に帰っていた。
昨日寝る間際に、なんとなぁ~くそんな気がしていた。
彼の部屋のベッドの一切合切を洗濯してしまっていたので、ベッドの上にはなぁ~んにも置いていなかった。
そして、それがちょっと気になってもいた。

夜中の2時ぐらいまでベッドの中で眠れずにいると、なんとなく足音がして、トイレの水を流す音がして、ああ誰かが帰ってきたのだな、と思ったけれど、拓人のいつもの足音では無かったので、ああ恭平だと思い、それなら布団の心配はないな、と安心して眠った。

朝起きて一階に下りていくと、玄関ドアの前に拓人の靴があり、あ~あやっぱり拓人だった!三階のあの部屋にはヒーターも無いのに、いったいどうやって眠ったやら……。
起きてきた彼は思いっきり風邪をひいていて、けれどもそれは一週間前からだということで、ホッとするやら?腹が立つやら。
「帰ってくるならくるで連絡しなさい!」
「昨日、飲みに行ってて、たまたまニュージャージーの子がそこにいて、送ったろかって言われて、ふ~ん、IKEAに行こうと思てたし、帰ってもええなあって思て、出かけたまんまで急きょ帰ってん」
ふむ……そういう事情ならまあ仕方があるまい。


「お金が貯まってから買おうと思てた家具やけど、やっぱりカードで買うことにした。きちんと返済できる分の額だけな」
ということで、彼と一緒にまたまたIKEAに出かけた。

ソファとコーヒーテーブルと本棚とラグ。
あの長方形の部屋にうまく配置できるよう、本人が時間をかけて考えた見取り図に合う物を探して、ショールームをぐるぐるぐるぐる。
どうやって車で運べるかが一番の課題だったけれど、ソファひとつでもなかなか無理っぽかったので、店員さんに尋ねることにした。
「ああ、どんだけでも好きなだけ買って、それを配送部まで持ってったらいいよ。70マイルまでだったら70ドルで届けるから」
「へ?」

ということで、配送料と税金込みで千ドルちょっとのお買い物。これがクレジットカードの返済額になるということが、かなりドキドキの様子の拓人。
小さい頃から、ビルからカードのことをうるさく言われてきたので、買い物を借金してすることにすごい抵抗感があるようだ。
わたしは横でニマニマしながら、「しっかりお気張りやっしゃ~」と励ますのみのお気楽オカン。


家に戻り、野菜てんこ盛りの豚汁を大鍋で作った。
風邪をひいて少々しんどそうな拓人には言いにくかったが、その間に、三階の部屋を徹底的に掃除するように言った。
彼が家を出て行くたびに、散らかり放題の部屋をわたしが掃除してきたのを黙って見ていた弟の恭平が、「今回もおかあさんが拓人の部屋を片付けるん?」と、声の中に「また甘やかすつもりか」という抗議の気持ちをたっぷり込めて聞いてきた。
「いや、今回ばかりは拓人にさせる」
「ならええけど……」

三階のゴミを大袋に入れては降りてきて、野菜の切り方、炒める手順などを確かめたり、鍋の中を覗きにきたり。
これから自炊を本格的に始めようと決めたので、料理そのものに興味がある。
彼が通っていた大学は、全米でも三本の指に入るほど、学生の食事環境が充実していたので、自炊をする必要があまりなかった。
なので、今度こそはの自炊生活なのだ。がんばれよぉ~!

今夜も泊まるとばかり思っていたら、「明日友達と約束してるから、今晩はアパートメントに帰る」と言って、掛け布団を抱えて行ってしまった。
昨晩、彼が適当に使った布団やシーツを片付け、今度いつ、突然戻ってきても、暖かく眠れるように整えた。
拓人と恭平の部屋の間にある、今は筋トレをする機材が置いてある部屋も、ついでにガガッと片付けた。
太陽の光が無いのでわからなかったけれど、よほど埃が舞っていたのだろう、鼻の奥が熱くなって目が痒い。思いっきりの埃アレルギー。

拓人が遠く離れた大学に入り、初めて家から出て行った後、こんなふうに鼻の奥を熱くして、目をごしごし擦りながら、それでも手を休めずに、わたしは一心不乱に、彼が居なくなった部屋を片付けていた。
そうやって片付けることで、自分の心の中も整理していたのかもしれない。

旦那もそれがわかっているので、こういう場合はいつものように、「今頃までなにやってるん?」とか、「こんな時間にそんなことしたらまた眠れなくなるのに」とか言って、途中でやめさせようとはしない。
まあ、「あんたはほんとに思いついたまんま、やりたいだけやってしまう人やなあ」と呆れてはいるけれど……。
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うまれる

2010年10月23日 | 世界とわたし
映画『うまれる』より


わたしがもし、助産院での出産を選んでいたら、親子ともども24年も前に、この世とおさらばしていた。
強い陣痛促進剤を、妊婦のためではなく、自分のスケジュールの都合で投与した医者も医者だが、実際には子宮口が4センチあまりしか開かないという運命を持ち合わせていたこの体のせいもあって、帝王切開という手段でしか出産ができなかったからだ。
けれども、極期という産む寸前の痛みも充分に味わった。帝王切開が必要だとは、本人はもちろん、医者でさえも思いも寄らなかったことだった。
だから皆が、なんの疑いも無しに、極期の陣痛に襲われっ放しのわたしを二日半の間も、ビデオの中の助産婦さんのように、「痛いなあ、痛いなあ」と同情しながらも、ただただ眺めていたのだった。
安産体型と、娘の頃から周りから言われ、自分でもてっきりそうだと決めつけていたことの恐ろしさ。
人は出産のこととなると、どうしてだか非科学的になり、思い込みが激しくなる。

おまけに、なかなか妊娠できない体質、もしくは心の持ち主でもあった。
不妊治療の苦しさは物質面にも精神面にも重く覆い被さり、心身ともに痛み続けた。
避妊などする必要のない不妊症の辛さは、なってみないとわからないものだと、なってみて初めて思い知った。
やっと授かったと喜んだのも束の間、その命は育たないまま血みどろの塊となってパンツの中に堕ち、それをかき抱いて泣き叫んだ。
その塊をそぉっとそぉっと手のひらに乗せ、なんとか自分の子宮に戻せないものかと思いながら、便器の前に呆然と、何十分もの間突っ立ったままでいた。

ついさっき、コメントをくれた美代子さんに返事をしながら、『不妊と流産を乗り越えて』というビデオのタイトルを眺めていたらふと、不妊と流産を乗り越えられなかった人にとっては辛いなあと思った。
乗り越えるとかこぎ着けるとか、いろいろな困難を経てゴールに到着したようなイメージ、出産をゴールに例えている言い方はどうなんだろう。
不妊、あるいは子供を生まないことを選択することもまたその人の個性と捉えて、それぞれの個性を認め、尊重することができる社会になればきっと、自分を責めたり誰かを恨んだりしながら鬱々と暮らしている女性が少しでも減るのではないだろうか。

などと、いろいろと考え込んでしまったけれど、なによりこの映画が伝えようとしていることは、人という生き物がこの世にうまれるという神秘、奇跡、感動を、今一度思い出して欲しいということだと思う。
人には生まれながらにして、本当に不思議な能力や制度が備わっている。
いったい誰が、こんな精密でわけがわからないほどに複雑な生物を造ったのか、それはわたしの知るところではないけれど、お互い素晴らしい存在同士、地球の上で穏やかに、平で和やかな毎日を過ごしていけたらいいのに。



『うまれる』というこの映画(http://www.umareru.jp/)、もうそろそろ子育ても終わろうとしているわたしにもう一度、うまれてきてくれてありがとう、という息子達への気持ちを、噴水のように吹き上げさせてくれた。
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米国コリアンマーケット事情

2010年10月22日 | 米国○○事情
↑なんてたいそうなことではなくて、我々の好物でもある、コリアンマーケットならではの食品をご紹介。

コーン茶(大袋160円なり)


麦(これも大袋250円なり)


韓国風味付け(胡麻油と塩)海苔(12枚切りのパックが12個で420円なり)


ライスケーキ(かぼちゃ・豆各種・野菜各種入り)(300円なり)



他に、なぜだか牡蠣がバカバカしく安いので、冷凍牡蠣を買いました。
ものすごくおっきなカボチャも200円ちょっと。あれだけ大きいと、煮付けやスープやケーキにと、いろいろと楽しめそうです。

家計の味方コリアンマーケット。明日から頑張っていろいろ作るぞぉ~←わたしって、なんて単純なんだろか……
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秋のおいしいものたち

2010年10月22日 | ひとりごと
今日は本当に久しぶりに、本気の買い物に出かけた。
どうして本気の、などと言うかというと、10月はじめのコンサートまでの間は、なにかのついでだとか、行っても本当に必要な物だけ掴んでレジに即行という、バタバタで楽しくも何ともない買い物をしていて、だから料理を作る意欲もどんどん低下していった。
日本の食材が無いと全くやる気が起こらない。応用が利かない上に工夫しようとも思わないナマケモノなのである。えっへん!

正午前に、オフィスに居た旦那から電話がかかってきた。
「今アードリィ(彼の姉、といってもわたしより6才年下)の治療をするところだけど、もう買い物には行ったん?」
「いや、まだ行ってない」
「え?今日の仕事は何時から?」
「4時から」
「今から行っても向こうでゆっくりできひんやん」
「しゃあないやん。今日の午前中にはどうしてもウ◯チを出さなあかんかってんもん」
「……?」
「2日便秘しとってんもん」
「ああ、そりゃ大事やな」
「せやから多分1時ぐらいに出て、4時前にはこっちに戻る」
「そんなバタバタと、楽しないやん」
「行き帰りに1時間かかるとして、向こうで2時間たっぷりあるから大丈夫」
「ボクらも一緒に行こうと思てるのに……」
「ほんならよけいに1時ぐらいでいいやん」
「まあそやけど……」

ということで、弟に会いに来がてら、治療も受けに来たアードリィも一緒に、二台の車でミツワに向かった。
行きはわたしと一緒に、帰りは旦那と一緒に行きたいと言うので、まずはわたしの車に乗り込んできたアードリィ。
ニュージャージー州の、全米で一番運転が荒いというので有名なドライバー達(わたしもその中のひとりなのだけど)のやりたい放題に、助手席でカタマリまくりのアードリィ。目を閉じといた方がいいよ、とアドバイスした。

ミツワに着いた途端、わたしはすっかり買い物マシーンモード。カートをぐいぐい押して棚から食品を掴み取る。
「一緒にランチを食べようよ」と誘われたけど、帰りの車の中で食べながら帰るからとお断りして、ひとりで売り場をグルグル回った。
ミツワでしか買えない物(梅酢沢庵、有機栽培のこんにゃく、がんもどき、魚の開きの一夜干し、薄切りの肉、六穀米、ゴボウ等々)と、セールだった米酢とみりんと日本産の干し椎茸、それから黒豆煎餅を買って幸せの絶頂に……ポワ~ン。
帰り道にある韓国マーケットで野菜と果物を買って来て欲しい、と旦那に頼み、わたしは家に向かった。

旦那が買ってきてくれた秋のおいしいもの。


わたしの仕事が終わる頃に戻ってきたアードリィと旦那。
芥子菜と牛肉を、ごま油とにんにくと生姜で炒め、お塩だけで味付けしたおかずを作った。アードリィは重度のピーナッツアレルギーで、大豆も一切食べることができない。なので醤油も味噌もだめ。でも、それなりに美味しくできたので良しとしよう。

さて、明日からの二日間、どうにかうまく騙くらかして、旦那をカーテン売り場に連れていくことができるかどうか……。
とりあえず諦めず、しつっこく様子を見ることにしよう。
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冬とカーテンとキリギリス

2010年10月22日 | お家狂想曲
朝風呂に入っていた旦那が、「やぁ~きれいきれい!」と嬉しそうな声を上げたので、ドドドッと階段を落ち、いや、落ちたらえらいこっちゃ、下り、カメラを手に二階の風呂場に突入しました。
浴槽にゆったりと横たわりながら、目の前の窓を指差す旦那。ほほう、なかなかの景色です。

前に9年暮らしていたモントクレアの家は一階でしたが、窓という窓の向こうに大きな日本紅葉の老木が植わっていて、秋になると燃えるような赤色に包まれ、紅葉狩りを家の中に居ながらにしてできるという、とても贅沢な思いを味わっておりました。
それと比べると、ここブルームフィールドは、家の周りには木がいっぱいなのだけど常緑樹と紅葉しない木が多く、二階や三階に上がらないと、紅葉を見ることはできません。

網戸の編み目模様が少々怪しい雰囲気をかもし出していますが……風呂場の窓を開けることはできなかったので……。



さて、葉っぱがきれいに色づいてくると、もちろんそれは冬の到来ということになります。
日中はなんとか暖かさを得ることはできるけれど、朝晩はもう5℃以下の世界です。
ヒーティングはとっくに始まっていて、今年はいったい暖めるためのオイルを買うのに、どれくらいのお金を使うことになるのか、今から心配しまくり。

それで、今年の冬こそは、一階の部屋の大きな窓にカーテンを取り付けようと、秋に入った頃から考えているのですが、思いを行動に移すのが大変で大変で。
    

『買い物嫌い&週末は誰かと会って語り合いたい、もしくは楽しいことをしたい&カーテンは部屋の顔になるので、いい物をつけたいがお金を使いたくない』旦那に、「カーテンを買いに、あるいはせめて下見に行こう」と誘いかけるのは至難の業になるのです。

でも、気温はどんどん下がってくるし、今が一番余暇がある(ほんとは練習せにゃいかんのですが……)わたしとしては、11月に入るまでになんとか片をつけておかねばと、どんどん焦ってきてしまい、とうとうカーテンの話を口から漏らすと……、

見事に想像通りのリアクションでもって旦那の機嫌がみるみる悪くなりましたとさ……はぁ~~~

そんなにイヤならイヤで、わたしに任せてくれるんならそれはそれでいいのだけれど、それもイヤ。自分のお眼鏡にかなった物でなければイヤなのです。
「インターネットで探せばいいやん」と言うけれど、色や質感がすべてなのに、それを手に取ってみることができない画面上の写真を見て選ぶなんて、とわたし。
挙げ句の果てに、「いつか壁を塗り替えるのに、またそれで合わなくなったらどうする……」などとブツブツ。
うんがぁ~ほなら、どっちの色にも合いそうなんを選んだらええねんやん

わたしだってね、お金をできたら使わずに済ませたいですよ。けれども、光熱費のことを考えたら、部屋のあちこちにある素っ裸の大きな窓にカーテンを付けることは、長い目で見ると節約につながる正しい行為だと思うのですよ。
週末だってね、できればわたしだって、溜まった家事をしたり買い物をしたりして疲れたくないですよ。のんびりと楽しく過ごしたいです。
でも、時にはどうしても必要なことってあるでしょう?やりたいことだけやってると、どっかのキリギリスさんみたいに困ることになるんだから。

さて、今年の冬、うちにカーテンがつくのでしょうか。

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鉢入り娘

2010年10月20日 | ひとりごと
かあちゃん、気分直しにこんなんどう?

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燻製された怒りの矛先は

2010年10月20日 | ひとりごと
今朝、真っ暗な部屋の中で目が覚めた。パチンという音がするくらい、きっぱりとした目覚めだった。

首がまた痛み出したのか?
いや、枕の設定方法をひろさんに教えてもらってから、痛みは鈍痛に移り変わり、今では顔を左右に大きく動かした時ぐらいにしか痛まなくなっている。

では右下の奥歯が原因か?
初夏の日本旅行の直前に奥歯が欠けて、急いで治療してもらいに走ったのだが、治してもらったすぐ後からなにかまたおかしいまま放っている。

などとくよくよ思い出した。これは危ない。気持ちがどんどん暗闇に同化しようとしている。
やめようと思った。そうしないとまた、あの、ひどい不眠で悩んだ夜中の再現になってしまう。

『どうしてわたしはまだ、ピアノの鍵盤を戻してもらえないでいるのだろう……』

しまった!一番行ってはいけない所に気持ちの手が伸びて、その部屋のドアを開けてしまった。

毎週月曜日になると、今週こそは片をつけようと思い、修理を担当しているマイケルに再度メールを送ろうとか、マイケルとわたしの中に入っている調律師のアルバートに連絡しようとか、旦那にもう一度頼んで、適切な英語でメールを送ってもらおうとか思う。
なのに、気がつくと週末になっていて、心の底で、どうして彼は、我々からのメールに全く答えることもせず、向こうの状況を知らせようともしないのだろう……と不満をたっぷり含ませた煙で怒りを燻製し続けては、行動できなかった自分を呪っている。

鍵盤をマサチューセッツにある彼の工場に送ったのが8月の4日。そしてその時、マイケルから伝え聞いた修理費をチェック(個人小切手)で送るようにアルバートから言われたのだけど、その額をきちんと確認したかったわたしは、マイケル本人に確認のメールを送った。

『すぐにチェックを送りたいのですが、この額で良いのですか?確認ができたらすぐに送ります』

それからまるで彼と連絡が取れなくなった。
鍵盤が無事に届いたのか、仕事に取りかかってもらっているのか、心配でならなかったが、夏のバカンスの時期でもあったので、旦那に落ち着けと言われて我慢した。

結局鍵盤は無事に届いていて、わたしのメールには一切返事をしないマイケルも、旦那のメールには2回ほど返事を送ってきた。

『今取りかかっている』

けれどもそこにも、修理費についての答は無くて、わたしももう何度も尋ねるのがバカらしくなって、多分仕事が全部終わってからでないと修理費の金額を出せないのかもしれないと、自分で自分を納得させたりしていた。

二台ピアノ曲の練習ができなくなって、予定していたコンサートを二度も見送った。パートナーもわたしと同じく待たされていてうんざりしている。
いったいわたしは何を待っているのだろう。何を躊躇しているのだろう。こんなにも怒りをためながら……。

周りが明るくなって起きたらすぐに、チェックを書いてマイケルに送ろう。
多分それが原因だったのだ。金額がどうのこうのと悩んで、それを教えてくれないからと、一向に送ろうとしないわたしがアホだったのだ。
職人としては腕のいいことで有名だけれど、うまく会話ができない人なのかもしれない。
普通、こうしたらああするだろうに……なんて期待を抱いて、それが全く叶わないからと、カッカカッカと怒っている自分がアホなのだ。

チェックを送ろう。

チェックに金額を書き入れ、今回のことで待ち疲れていることを手紙に書いているところへ旦那から電話がかかってきた。

「元気?今なにしてるん?」
「マイケルに払うためのチェックを送るから、それに同封する手紙書いてるとこ」
「なんで?まだ向こうから返事が届いてないのに」
「もう待つのはイヤになった。今朝方もそのこと考えて鬱々としてしもて眠れんかったし」
「けど、向こうが◯◯払ってって言うてきてへんのに」
「もうええねん。言わへん人なんやから。それに、この金額は、鍵盤を送る時にアルバートから聞いた額やから、ほぼ合ってると思うし」
「でも、待った方が」
「もうイヤ!もしかしてこのチェックが原因で仕事が遅れてるか後回しにされてるかもしれへん。最悪、まだ始まってへんかもしれへんねんから!送るったら送る!」
「でも……」
「電話はアルバートが中継ぎせなできひんし、かといってメール送ってもろくに返事してけえへんし、そんなん相手に待ってても意味ないし、なによりわたしがもうこれ以上待ちたくないねん!」
「ちょっと待って。今からボクがマイケルに電話するから。落ち着いて」
え?電話よりメールってずっと言うてたのに……。


……チェックの件は全く原因ではなくて、ただ単純に、すごく忙しくて遅れている、のだそうだ。
あと一週間ほどで仕上がるので、そのあと向こうから請求書を送る、のだそうだ。

とても腕が良くて、鍵盤修理の世界では名が知れている人なのだろうけど、二度と頼まないだろう、多分、いやきっと。

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