ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

これでいいノダ!私は世にも稀なる阿呆でウソツキで臆病な男なノダ!

2011年12月16日 | 日本とわたし
野田総理大臣が、「原子炉は『冷温停止状態』に達した」と述べ、事故の収束に向けた工程表の『ステップ2』を完了したことを宣言した。

アメリカ『ニューヨーク・タイムズ』(電子版)
「専門家は『冷温停止状態』の宣言を強く疑問視している」
「年内にステップ2を達成するという公約を果たすための、現実を無視した宣言であり、原子炉の安全性への脅威から目をそらせることがねらいだ」

アメリカ『CNNテレビ』
「冷温停止は象徴的な節目ではあるが、放射性物質の除染など、事故の完全な収束には10年以上かかる可能性があり、状況が大きく変化するわけではない」
「日本政府や東京電力は、何とか国民をなだめようとしているが、国民の間には強い怒りや批判の声が渦巻いている」

アメリカ『ワシントン・ポスト』
「問題の切迫性が小さくなっただけ」
「いまだに放射性物質が海に流出することもあり、一時しのぎの冷却装置は地震に脆弱だ」

イギリス『BBC』
野田総理大臣の記者会見の模様を生中継で放送した。
「冷温停止は1つの節目だが、それは汚染された地域の除染や、福島第一原発の廃炉といった、今後の長い道のりの中の一歩にすぎない。
避難を余儀なくされている人々が、故郷に戻って普通の生活を始められるめどは立っていない」

フランス『AFP通信』
「事故収束へ向けた長い道のりの重要な一歩」(東京特派員の記事を配信)
『冷温停止』の定義を詳細に説明したうえで、「安全が確保されたという意味ではない」と解説。
「巨大な津波の記憶が消えない疲れた国民にとって、救いになることを日本政府は望んでいる」

フランス『フランス24』(東京特派員による記事)
「重要な節目だが、除染など長い期間を要する課題が山積している」

フランス『ルモンド紙』
(電子版)
「チェルノブイリ以来、最悪の原子力事故の解決へ向けた重要なステップだが、原子炉の解体、環境の回復には相当の時間を要する」

フランス『公共ラジオ』
「しかし、何も終わってはいない。
周辺地域の除染作業には40年かかるとの専門家の予測もあり、原子炉6基の解体にも最大500億ドル(およそ3兆9千億円)の費用がかかる可能性がある」
「事故後の修理は一時しのぎのもので、予兆なく破綻する可能性がある」

ドイツ『DPA通信』
「フクシマの原発の廃虚が制御された」
「燃料棒が溶融し、圧力容器を破って地上に漏れているともみられ、まだ安全な状態には程遠い。
これで冷温停止を宣言するのは意図的なウソと紙一重。日本政府は国民をミスリードしている」(オーストリアの専門家)

中国『国営・新華社通信』(英語版)
「損傷した原子炉内の温度を正確に測定することはできず、原子炉がどれほど安定した状態にあるかを断定することはできない」
「世界の人々に間違った印象を与えるおそれがあり、日本政府はステップ2を年内に達成するということに固執しすぎるべきではない」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブラインドは近きにありて遠いもの

2011年12月15日 | お家狂想曲
この家に引っ越してきてから三度目の冬。
前のオーナーから、ありのままで、というのを条件に、比較的安い値段で買った。
我々が直したのは、一階と二階の床板だけ。
百年以上も前に張られた板を研磨してもらったら、びっくりするぐらいに美しい木目が現れた。

窓はみんな、売り家として体裁良く見えるように、新しい窓が入っていた。
けれども、多分、一番安手の物なんだろう。
新しいのに隙間ができていたり、簡単に窓枠から外れてしまったり、鍵でとめておかないとズルズル上から落ちてきたりする。
二冬越してみて、窓の付近からハンパじゃない冷気が入ってくることに気づいた。
本当は去年、できたら和紙でできた、アコーディオンの蛇腹みたいなブラインドをつけたかったのだけど、
経済状況が芳しくなかったのであきらめて、今年は絶対に、なにがなんでも、借金してでもつけるぞ!と意気込んでいたのだが……。
さらに状況が芳しくなく、借金嫌いの旦那はつける気毛頭無し。

で、去年台所だけ試して、かなり良い効果が得られた、けれども残念ながらかなり不細工な、保温作戦を実行することにした。

今日は幸いにして、曇り空だけど気温がそれほど低くない。
なので思い切って、これから数ヶ月磨けない窓をゴシゴシ。
この二重窓、こんなふうにコテンとひっくり返ってくれるので、外側も簡単にきれいにできる。


ポンちゃん側のでっかい窓。
磨いているうちにバランスを崩してしまい、上の方の窓が外れてしまった。
旦那とふたりで修復に励むも、窓がでかいだけに二人でも持ちきれず、それで何度も失敗をして、旦那は二度ほどゴリラのように吠えた。


まずはこんなふうに、窓枠に両面テープを貼り、その枠にビニールの端をくっつけ、余分な部分を切り取り、


絵の右下にあるように、貼付けたビニールにドライヤーの熱をブォ~ッと当てると、あらあら不思議、パツッパツのピンピンに張る。


前半の作業は面倒なだけでイライラしてくるけれど、最後の楽しいドライヤー大作戦でそれが帳消しになる。

けど、やっぱ不細工……。


よっし、来年こそは!

ええんちゃう~べつにこれで。なかなかぬくとうてええ感じやん。お財布にも優しいしにゃ♪
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしらの声が届かんのなら、届いてても無視されるなら、もう腹括って自分らで動くしかないやん!

2011年12月15日 | 日本とわたし
栃木県・那須野が原公園で放射性物質調査 地上5センチで毎時16.8マイクロシーベルト

毎日新聞 2011年12月15日 地方版

◇那須塩原市議会、県へ対策要望へ

『福島第1原発事故による放射性物質の汚染が懸念される、那須塩原市千本松の県営「那須野が原公園」(59.4ヘクタール)で14日、
市議会放射能対策特別委員会(関谷暢之委員長)が25地点を測定したところ、1地点から毎時17マイクロシーベルト近い放射線が測定された。
ただし、高さ5センチの地点。だが、同委は県に対し放射線量表示や除染などの対策を要望するとしている。【柴田光二】

25地点中、高さ5センチの13地点で、1マイクロシーベルト以上を検出。
最高値は、公園正面の駐車場の隅にある、排水口の落ち葉や土が集まった部分で、
高さ5センチで測ったところ毎時16.8マイクロシーベルトを検出。
このほか、同じ高さで山林3.8マイクロシーベルト
正面入り口の土の上2.6マイクロシーベルト
人工芝2.39マイクロシーベルトだった。

同公園は、広大な自然を利用した娯楽施設で、アスレチックやオートキャンプ場、テニスコート、プールなどを備え、休日には子供連れの家族らでにぎわう。
原発事故を機に、放射線の汚染を心配する市民から、閉鎖も含めた対策を求める声が上がっていたが、県は具体策を示していなかった。

こうした背景から、市議会の特別委が、県に対策を求めるために測定に踏み切った
この日は、関谷委員長ら12人が6班に分かれ、6台の簡易測定器を使って、
市民らが近づく可能性のあるそり遊びの人工芝、滑り台などの遊具の近くや、芝、植え込みなどを対象に測定した。

市内の他の施設では、測定した放射線量を表示している。
このため同委は県に対し、公園でも放射線量を表示するよう求め、高い地点では立ち入り制限措置や除染などの対策を取るよう求める、としている。
委員の一人は「市民が指摘していたが、その通り、高い数値が出た。県は即刻対策を取るべきだ」と話していた』

*******       *******       *******

続いてこれは東京新聞 2011年12月15日掲載記事

放射線量の各測定値 地図に落とすと… 中原で「高め」目立つ 


赤く丸で囲み、線を引いて数値を示しているのが、毎時0.10マイクロシーベルト以上の地点。
赤く塗りつぶした点は同0.09マイクロシーベルト。
中原区から幸区にかけての多摩川沿いに多めに見られた。


『福島第一原発の事故を受け、川崎市は10~11月に小中学校や公園など約450カ所で放射線量を一斉測定し、施設名と数値をホームページなどで公表している。
しかし、「数字が羅列されているだけで分かりにくい」「もっと分析を」などの市民の声が聞こえてくる。
そこで「もっと分かりやすく」を目指し、公表されている数値を地図上に落とす作業を試みた。
すると、多摩川沿いの地域で線量が高めの地点が目立つなど、ぼんやりとだが、特徴的な傾向が浮かび上がってきた。【山本哲正】

市の調査では、雨どい下など、除染対象となる毎時0.19マイクロシーベルト超の「ホットスポット」ばかりが注目された。
しかし、今回地図に落とす作業では、そうしたいかにも放射線量が高くなりそうな地点の数値を除外し、
校庭や園庭、公園などの中央部の数値(いずれも地表5センチの計測)に限定して調べた。

すると、毎時0.10マイクロシーベルト以上の地点が約30地点あり、半径約1キロの円内に4地点と最も多く集中したのは2つの地域だった。

一つは中原区から幸区にかけての多摩川沿い。
もう一つは中原区中央部で、いずれも今回の一斉測定で最高の同0.12マイクロシーベルト地点を含み、
同0.08~0.09マイクロシーベルト地点も他地域より目立った。


汚染の原因を探るのは難しく、市危機管理室も「分からない」として言及していない。
しかし、測定値の高い地点の散らばり具合からは、ごみの焼却施設の影響もあり得ると思えてくる。

例えば、主に北からの風を想定すると、多摩川沿いの集中地は、東京都大田区の多摩川清掃工場から半径2.5キロ範囲
同3.5キロに広げると、毎時0.10マイクロシーベルトの地点は3カ所増える。
また、川崎区西部でも、堤根処理センターの半径2.5キロ範囲には同数値以上の地点が2カ所ある。

現に市内の焼却施設の焼却灰からは放射性物質を検出。
「灰の中にとどまっているから大丈夫」との見方もあるだろうが、より微細な粒子のガスの飛散など、周辺への影響は不透明だ。
放射能を心配する母親らは「焼却の影響は気掛かり。東京都で被災地のがれきを受け入れ、大田区で始まった試験焼却も不安だ」と語る。

中原区中央部は、高津区の橘処理センターから約3.5キロ地点にあたる。
地元住民からは「高層ビルが山の役割を果たし、事故後に風に乗って飛んできた放射性物質がビルに当たって落下したのかも」との声もある。

市危機管理室では「ごみの焼却ではバグフィルターで灰を捕らえるので、周囲に影響は出ないと思う」としている。
しかし、ガスなど捕らえきれていない部分がある可能性は認める。

一方、集中具合は中原区の2つのエリアより低いものの、多摩、高津、川崎区の多摩川沿いでも同0.10マイクロシーベルト以上の計測値が点在。
市には、多摩川に沿うとされる「風の道」の影響を示唆する声も出ている。

市の調査地点は、主に小中学校と保育園、幼稚園を対象としているため、「人口の多い地域に偏りがちで地域的傾向を出すのは難しい」との指摘もある。
しかし、市はその偏りを是正するため、学校がない地点の公園でも測定しており、調査地点は全域をまんべんなくカバーするよう工夫されている』



東日本は思てる以上に汚染されてしもてるのかもしれん。
最近は、ホットスポットという言葉を読んでも、ドキッともせんほど慣れてきて、
線量の◯◯マイクロシーベルトも、なんや気温の数字でも読んでるみたいに、あ、ちょっと高いな、とか思うだけになって、
あかんやろ!こんなことに慣れたら!

高そうやから、心配やから、一刻も早う調べてください言うてる人がいっぱいいることわかっててもグズグズしてたり、
一応詳しい調べてるけど、それをまあ、なんでここまで解りにくう書くかっちゅう書き方でしか公表できひんかったり、
ほんま、東日本一帯の自治体、なにやってんの?
寝てんのか、300日近う経ってるっちゅうのに。
あんたらは三年寝太郎か?

被災地の瓦礫っちゅうけど、もうあれは、これまでの被災地の瓦礫とはわけがちゃうねん。
これまでの被災地には、原爆の何倍もの放射能がくっついてないねん。
今回の瓦礫はもう、被災地とはなんの関係もない、おびただしい被ばくをした放射性物質やねん。
ものすご危険やねん。
被災した人達にこんなこと言うたら酷やけど、あの瓦礫はもうおぞましい怪物に成り果ててしもてん。
世界一ええ加減な原発狂団のせいで。

そんなもん、今ある場所から一歩も動かしたらあかんねん。
燃やしたらあかんのに燃やして、ご丁寧に汚染をまた増幅させて、実際に付近の線量高なってるのに、市危機管理室は「分からへん」言うて放ったらかし。
そんなええ加減な奴らに危機管理なんかさせんな!

牛乳の汚染かて市民団体が見つけた。
国や組織やバカ会社や県に期待すんのはもうやめような。
もうあかんねん。ほんまにあかんねん。
町や村や市の、市民のみんなで、それぞれを大切に守るために動いてえな。
待ってたらじわじわ殺されるで。
待ってたら弱っていく人らの苦しみを見なあかんことになるで。

はっきりせんけど、焼却炉の近所の線量が上がったんやったら、はっきりするまで燃やすなって言おうな。
バグフィルターなんかでガス状になったもん捕らえられへんねん。
知事も素人、焼き場で働いてる人も運んでる人も素人。わたしらも素人。
そやし対等やねん。言うこと聞いておとなしいしてんでもええねん。
もう汚されたからって、汚れ方を選ぶ権利はまだ残ってるんやで!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『『絆』連呼に違和感』に一票!

2011年12月14日 | 日本とわたし
『絆』連呼に違和感精神科医・斎藤環
 
◇自由な個人の連帯こそ

3月の震災以降、しきりに連呼されるようになった言葉に『絆』がある。
『3.11』『帰宅難民』『風評被害』『こだまでしょうか』といった震災関連の言葉とともに、今年の流行語大賞にも入賞を果たした。

確かに私たちは被災経験を通じて、絆の大切さを改めて思い知らされたはずだった。
昨年は流行語大賞に『無縁社会』がノミネートされたことを考え合わせるなら、震災が人々のつながりを取り戻すきっかけになった、と希望的に考えてみたくもなる。

しかし、疑問もないわけではない。
広辞苑によれば『絆』には、
(1)馬・犬・鷹(たか)など、動物をつなぎとめる綱
(2)断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。ほだし。係累。繋縛(けいばく)、
という二つの意味がある。

語源として(1)があり、そこから(2)の意味が派生したというのが通説のようだ。
だから『絆』のもう一つの読みである『ほだし』になると、はっきり「人の身体の自由を束縛するもの」(基本古語辞典、大修館)という意味になる。

訓詁学(くんこがく)的な話がしたいわけではない。
しかし被災後に流行する言葉として、『縁』や『連帯』ではなく『絆』が無意識に選ばれたことには、なにかしら象徴的な意味があるように思われるのだ。

おそらく『絆』には、二つのとらえ方がある。
家族や友人を失い、家を失い、あるいはお墓や慣れ親しんだ風景を失って、それでもなお去りがたい思いによって人を故郷につなぎとめるもの。
個人がそうした「いとおしい束縛」に対して抱く感情を『絆』と呼ぶのなら、これほど大切な言葉もない。

しかし「ピンチはチャンス」とばかりに大声で連呼される「絆を深めよう」については、少なからず違和感を覚えてしまう。
絆はがんばって強めたり深めたりできるものではない。
それは「気がついたら結ばれ深まっていた」という形で、常に後から気付かれるものではなかったか。

つながりとしての絆は優しく温かい。
利害や対立を越えて、絆は人々をひとつに包み込むだろう。
しかし、しがらみとしての絆はどうか。
それはしばしばわずらわしく、うっとうしい『空気』のように個人を束縛し支配する。
たとえばひきこもりや家庭内暴力は、そうした絆の副産物だ。

もちろん危機に際して第一に頼りになるものは絆である。
その点に異論はない。
しかし人々の気分が絆に向かいすぎることの問題もあるのではないか。

絆は基本的にプライベートな『人』や『場所』などとの関係性を意味しており、パブリックな関係をそう呼ぶことは少ない。
つまり絆に注目しすぎると、『世間』は見えても『社会』は見えにくくなる、という認知バイアスが生じやすくなるのだ。
これを仮に『絆バイアス』と名付けよう。

絆バイアスのもとで、人々はいっそう自助努力に励むだろう。
たとえ社会やシステムに不満があっても、「社会とはそういうものだ」という諦観が、絆をいっそう深めてくれる。
そう、私には絆という言葉が、どうしようもない社会を前提とした自衛ネットワークにしか思えないのだ。

それは現場で黙々と復興にいそしむ人々を強力に支えるだろう。
しかし社会やシステムに対して異議申し立てをしようという声は、絆の中で抑え込まれてしまう。
対抗運動のための連帯は、そこからは生まれようがない。

なかでも最大の問題は『弱者保護』である。
絆という言葉にもっとも危惧を感じるとすれば、本来は政府の仕事である弱者救済までもが『家族の絆』にゆだねられてしまいかねない点だ。

かつて精神障害者は私宅監置にゆだねられ、高齢者の介護が全面的に家族に任された。
いま高年齢化する『ひきこもり』もまた、高齢化した両親との絆に依存せざるを得ない状況がある。
そして被災した人々もまた。

さらに問題の射程を広げてみよう。

カナダ人ジャーナリスト、ナオミ・クラインが提唱する『ショック・ドクトリン』という言葉がある。
災害便乗資本主義、などと訳されるが、要するに大惨事につけ込んでなされる過激な市場原理主義改革のことだ。
日本では阪神淡路大震災以降になされた橋本(龍太郎)構造改革がこれにあたるとされ、
さきごろ大阪市長選で当選した橋下徹氏の政策も、そのように呼ばれることがある。

人々が絆によって結ばれる状況は、この種の改革とたいへん相性が良い。
政府が公的サービスを民営化にゆだね、あらゆる領域で自由競争を強化し、弱者保護を顧みようとしない時、
人々は絆によっておとなしく助け合い、絆バイアスのもとで問題は透明化され、対抗運動は吸収される。

もはやこれ以上の絆の連呼はいらない。
批評家の東浩紀氏が言うように、本当は絆など、とうにばらばらになってしまっていたという現実を受け入れるべきなのだ。
その上で私は、束縛としての絆から解放された、自由な個人の『連帯』のほうに、未来を賭けてみたいと考えている。

以上、毎日新聞 東京朝刊にて毎週日曜日掲載の『時代の風』12月11日の記事を転載させていただきました。



みんな、
お手上げを決めてかかってる政府の肩代わりさせられてんねんで。わかってる?
「助け合おう」やの「応援しよう」やの「絆を大切にしよう」やの、あいつらはそんな言葉で自分らの嘘や過ちや無能を包み隠して、ほんまは自分らがせなあかんことを全部、みんなに押し付けてるねん。
『絆はがんばって強めたり深めたりできるものではない。
それは「気がついたら結ばれ深まっていた」という形で、常に後から気付かれるものではなかったか』
ほんまそう思うわ。余計なお世話やわ。
国民を散々騙して、核兵器のための劣化ウランやらプルトニウムやら、非核三原則なんかそっちのけで米軍のご機嫌とって、
その間、金をわんさか儲けて高笑いしてたんは誰?
電力会社なんかもう会社とちゃうわ。役員は阿呆揃い。詐欺に隠匿に汚染事故のオンパレード。
おかげで日本列島、核物質の宝庫になってもうた。
今でも日本中の原発(というてもたった8基やけど)で事故が頻繁に起きてるねんで。放射能漏れも然り。
今までは完全に隠し通せてきたけど、もうそうはいかんわ。
原発狂団の連中は、金儲けには長けてるけど、原発に関しては阿呆丸出し。

なあ、どういうことを助け合うて、どういうことを応援していかなあかんか、それを考えるぐらいできるやろ?
裏であの連中が「ひひひ」とほくそ笑むようなこと、もうせんとこうな。
あの連中の裏かいて、ギャフンと言わしたろうな。
あいつらがせなあかんことをあいつらにさせる。
自分らの過失も責任も労働も、全部みんなに押し付けて知らん顔してる恥知らずのあいつらに、『絆』なんて言葉を口にされとうないと思わんか?
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

燃やしたらあかん!絶対にあかん!それぐらい抵抗して止めさせて自分を守りぃな日本人!

2011年12月14日 | 日本とわたし
このブログを読んでくださっているたおるさんと話していて思い出した話。

自分の人生を思い返してみると、ほぼ12年周期で、親の都合や事故や病気、あるいは自分自身の意志で、大きな転換期を迎えている。
そのたびに、同じ屋根の下で暮らすメンバーの顔が変わった。
大人になるまでは、父の連れ合いが5回も替わったので、そのたびに、居心地の悪い思いをしながら「おかあさん」と呼ばなければならなかった。
一家離散してからは、暮らす顔が親戚であったり、友人であったり、ひとりぼっちであったり、
そんなこんなの、12年周期の三回目に突入した辺りの出来事。

わたしはその頃、ある田舎の、兼業農家の嫁をしていた。
村の中でも高台にあるその家の窓からは、名阪国道の向こうの山々が一望に見渡せた。
石女だの、よそ者だの、病弱だのといびられながら、その通りなので居直るしかなかったわたしが、結婚8年目にして妊娠し、男の子を産んだ。
それまでに何度か、やはりここはわたしが生き続けていく場所ではなかったと、出ていく決心をしたのだが、
そのたびに、普段には到底望めなかった、比較的意味のある話し合いがあり、家族会議があり、仲人(夫の親族)からの説得があり、
ならば自分で自分を納得させて、できれば自分の気持ちや考え方を変えて、農家の嫁として村に馴染んでいこうと、懸命にもがいたりもした。
けれども結局は、跡継ぎの男の子を産んだことで周りの状況が様変わりし、わたしはわたしで初めての子育てに夢中になり、村の生活が自分にとってどうなのか、などというところにまで気が回らなくなった。

次男が続いて生まれ、仕事への復帰も済ませ、サイドビジネスも波に乗り、祖母が寝ていた離れを壊して我々一家の家を新築することになった。
義父母との同居からの解放!
持ち山の木を伐採し、皮を剥ぎ取り乾燥させ、家造りの木材に仕上げるという、日にちをかけた準備が始まった。
竹を切り取り、乾燥させ、八つ裂きという名前通りの道具を使い、竹を一瞬のうちに八つ裂きにする。
その作業が楽しくて、何回も手伝わせてもらったりした。

そんな毎日を過ごしている時、村に産廃業者からの問い合わせがあった。
「お宅の村の外れに、廃棄物処理場を作らせてくれ」

村はとても貧乏で、過疎化が進んでいた。
まだ土葬や寄木の習慣が大切に受け継がれているような村だった。
葬式というと、丸三日、朝から晩まで、隣近所の人達を招き、三度の食事を振る舞っていた。
その時の村長は、村でただ一軒の、食料品兼なんでも屋の店の主人だった。
当然、村の人達は反対した。
美しい空気と水は、田畑と茶畑、養蚕で細々と暮らしを営んでいる村人達の命であり誇りだった。
公民館で何回も会合が行われた。
反対が多数を占めていることを聞き、ホッと胸を撫で下ろしていた。

突然村に、大きなダンプカーが何台も入ってきて、大騒ぎになった。
何事かと近所の人に尋ねると、「村長が許可してしもたんや」と言った。
許可してしもたって……それではあの話し合いはなんだったのか……。
しかも、許可したことで村に支払われた金は三百万程度だ、ということだった。
穴一回埋めて、それが一杯になったらもう終わり。そういう約束やからと。

それから毎日毎晩、どこからかの廃棄物が大きなトラックで運び込まれた。
村長が言った一回目の穴はあっという間に埋まり、案の定二つ目の穴が掘られ、そこもまたあっという間に満杯になった。
山そのものが削り取られ、大きな穴が空いていたはずの所に、今度はコンクリートで周りを固められた人造の山が出現した。
しかもその山からは始終、辛抱ができないほどの異臭が放たれていた。

長男が保育園に通い出す頃にはもう、風向きによっては、窓を開けていられないほどの悪臭が村全体を覆うようになった。
保育園までの、長い道程の丁度真ん中辺りに、そのおぞましい産廃の山があった。
車で通り過ぎる時でさえ、その山の辺りでは窓を閉め、空調を止めるぐらいなのに、その麓を小さな子供達がよちよちと歩くのだ。
わたしはどうしてもそれが許せなくて、わざと寝坊をし、車で息子を送って行った。
もちろん、訳は言わなかったので、都会から来た、チャラチャラと耳飾りをつけて仕事に行くよそ者の女のしそうなことだと、またイヤミを言われたりした。

見た目はまるで変わらない美しい村が、臭い村になってしまった。
低地で田畑をやっている人達が、水のことを心配し始めた。
自分の所で作った物は口にできない、と言い出す人もいた。
体の不調の原因が、産廃場にあるのではないか、と心配する人が出てきた。
けれども、もうなにもかも遅かった。
独断で許可してわずかな金を村に入れ、とっとと辞めてしまった村長に、文句を言ったところで現実は何も変わらない。

美しい自然に恵まれた村を、尊いものだと思っていた。
息子達の故郷として、ずっとこの景色が残っていて欲しいと願っていた。
けれどもやはり、わたしはともかく、息子達が一生を終える場所では無いと思ったので、義務教育が終わったら外に出そうと思っていた。
産業廃棄物で埋まった山を持つ村は、その期限をうんと早めることになった。
命の元になる空気と水が汚された所で、かけがえのない子供達を育てるわけにはいかない。
どうにかして出なければと、心の中で強く願うようになった。
そのための資金を捻出するために、サイドビジネスの方に全力を注いだ。
睡眠時間が3時間ぐらいしかとれない日が続き、始終微熱を出していたが、寝込んだりはしなかった。
急がなくてはならないと思っていた。

そしてある日突然、そのチャンスの元と出会った。


それが思い出した話。

劣化ウランやプルトニウム、なんていうものからすると、桁違いの、とるに足らない昔話。
だけど、なんか通じるもんがあるように思えてならない。
あの時の村人達の怒り、あきらめ、辛抱、そしてやけくそな気持ち、お金に対する弱さと狡さ。
そして、大きなモノ達のゴリ押しの強さ、やり口の汚さ、行動の素早さ、恥知らずな誤摩化しとあからさまな嘘。

アメリカからすると日本は、格好の手下で、原発と金儲けを押し付けときさえすりゃ、核兵器の原料作りにせっせと励むやろと目論んだ。
目論み通り、強慾で無知な連中がハエのように群がってきて、あの手この手を尽くし、弱ってる自治体を狙ては羽交い締めにした。
弱ってた自治体も、大金、それも夢のような大改革プラン付きの話を前に、一気にその気になって、良識ある反対意見や人を踏みつけにした。

地震国とわかってても、自分らが生きてる間にまさか、千年に一度級の大地震なんか起こらんやろっちゅうええ加減な思い込みで、
活断層の近くや真上に、しかも津波に襲われるに決まってる海岸沿いに、次々に原発を建て、
故障や人為的ミスはことごとく隠し、隠せへん事故はウソの情報で誤摩化して、近辺の海水と空気をじわじわと汚していった。

万が一事故が起こった時には、なんていう対策は何一つ立てられてなかったから、
事故から9ヶ月以上経った今も、できもせんことをできると言うたり、わかってもせんことをわかった風に、しかもそれが何の根拠も無いデタラメやったり、
除染やの再興やの、今の時点でやっても無駄なことに予算つけて、それを事もあろうに、事故を起こした会社が儲かるように企てたり、
人の健康や命を屁とも思てない、適当な数字を並べて、安全です大丈夫です、後で多分おかしなると思いますけど直ちにはなりませんからと、無責任極まりないことを平然と口にする役人。
今じゃとうとう、放射性物質がベタベタひっついた瓦礫や物を、「他のもんと混ぜて燃やしたら大丈夫」と言い出した。
燃やしたら絶対あかんのに。
どんな優れた除去装置がついてたとしても、放射性物質を燃やすことはタブーとされてるのに。
しかも、事故から9ヶ月も経った今も、新たに放射性物質除去用の装置を完備した焼却炉が日本には無いって?
なんで?
技術力に優れ、作業の早さには世界でも定評のある日本人やのに?
けど、丁度良かったわ。
そもそも、燃やしたらあかんねんから、そんな焼却炉を作る必要もあらへん。
瓦礫は埋める。もしくは固めてそこを徹底的に閉鎖する。
もうそうするしか今の人間の力では仕様が無いと、世界の常識ではそうなってるねん。

燃やしたらあかんで!
瓦礫引き受けます言うてる自治体の近所の人、どうしても引き受けるんやったら、燃やさんと埋めさせなあかんで!
放射性物質について、どこまで知識があるんか確かめて!
線量が少ないのだけ選んでくれるとか、分けて燃やすから大丈夫とか、そういうレベルの話とちゃうねん!
ちゃんとした知識と経験の無いもんが、できる作業とちゃうねん!
絶対燃やさしたらあかんで!
国は変えられへんかもしれんけど、自治体ぐらいは変えられるはず!
早々とあきらめたら、あんただけやない、あんたの子供、そのまた子供、日本の国の未来が無くなってしまうんやで!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

除染は原発狂団の新しい収入源!

2011年12月14日 | 日本とわたし
除染は原子力村の新しい収入源になっています 小出裕章(ルモンド紙)

2011年12月8日、フランスのルモンド紙が小出裕章氏のインタビューを掲載しました。
訳出は、ブログ「フランスねこのNews Watching」さんです。
海外の原発関連の記事を日本語訳してブログに掲載されています。
以下、ブログ記事を転載いたします。(注釈は日本人が読むときには不必要と判断し省いてあります)

*******       *******       *******

「除染は原子力村の新しい収入源になっています」ルモンド紙による小出助教へのインタビュー(12月8日)

ルモンド紙は12月8日、京都大学原子炉実験所の小出裕章助教へのインタビューを掲載しました。
ここではその一部をご紹介します。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

京都大学原子炉実験所の小出裕章助教は、日本の原子力分野で最も注目される人物の一人だ。
日本政府の原子力政策に異を唱えたために、他の同様の考えを持つ科学者たち同様、ほぼ40年間にわたって科学界の「牢獄」に閉じ込められてきた。
小出助教は何の責任も任されず、少しの予算しかあてがわれない「助手」に留められてきた。

原子力の危険性に警笛を鳴らす小出助教の著作は(長い間)世間の注意を集めることなく置き去りにされてきた。
しかし福島で起きた悲惨な事故の発生以来、小出氏の2冊の著作―『原発はいらない』と『原発のウソ』―は現在も上位6位以内に入るベストセラーとなっている。
又、小出助教による発言が掲載されているブログは、福島原発事故に関するブログ類の中でも最も読まれているものの一つに数えられる。


● 福島原発事故から9ヶ月が過ぎました。どんな教訓を引き出すべきでしょうか。

原発は人間が操作する機械です。
失敗が起きないということは有り得ません。
大学で勉強した後、僕は自分の人生を原子力に捧げたいと思っていました。
僕は、どちらかと言えば保守的な学生だったと思います。
そうしているうちに、1970年代の初め頃、女川原発の建設に反対するデモに同席する機会がありました。
なぜ反対するのか、僕には分かりませんでした。
しかし自分で調べるうちに、少しずつですが原子力の危険性について自覚が芽生えて行ったのです。
日本に地震や津波があるから危険だと言うだけではありません。
現在のレベルの科学では、原子力発電は危険なのです。
どんな場所にあっても。



●日本政府の態度についてどう思いますか?

恥ずべきものだと思います。
日本政府による福島原発事故への対応は、複数の面で非難を免れません。
危険の過小評価、情報隠し、当初は原発から半径3キロ以内の地域の住民に対してのみ「念のため」避難するように勧告した、といった被災者の救出に関する遅れがありました。
そして避難区域は同心円状に拡大されて行きました。
放射能は風の流れによって(北西方向へ)動いて行ったのに、です。


●日本政府は今後、どうすべきでしょうか?

今すぐ全ての原発を停止すべきです。
福島原発事故のレベルの事故がもう一度起きたら、日本はもう立ち直ることはできません。
原発で発電しなければ電気が足りなくなる、という脅しは嘘です。
現在停止させられている水力発電や火力発電の施設を以前のように稼働させれば、従来通り電気が確保できるのです。


●日本の研究者の大多数が政府の原子力政策を支持してきたのはなぜですか?

原子力の推進は政府の政策です。
学術界やメディアはそれに追随してきました。
そして、科学者たちは自分たちの世界に引きこもって、社会的責任を放棄してきたのです。
政府と原発を動かす電力会社は、事故は起きないと信じようとしました……事故は起きないと信じるリスクの方を取ったのです。


●あなたは、原子力の歴史は差別の歴史だと発言しています。

原子力による発電は、特定の社会層を犠牲にすることで成り立っています。
原発は電気を使う都市の近くではなく、自らを守る術をもたない人々が住む地方に建設されています。
そして、大多数が組合に参加している正社員ではなく、請負労働者に大部分の被曝リスクが押しつけられているのです。
原発で働いたことにより被曝に苦しめられている被害者の86%が「原発ジプシー」、すなわち請負契約の労働者なのです。



● 日本政府は「新しい段階」へと移りたがっています。「復興」や「除染」といった言葉が何度も繰り返し聞こえて来ます。

原子力推進のロビー勢力―私たちは「原子力村」と呼んでいますが……は同じ場所に居座り続けています。
除染が彼等の新しい収入源となり、「復興」は建設会社にとっての思いがけない贈り物となりました。
本当に除染をやるというなら、福島県内の全ての地区でやらなければなりません。
でも、放射能に汚染された土をどこに持って行くと言うのでしょうか。

引用元:ブログ「フランスねこのNews Watching」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月の光

2011年12月13日 | 音楽とわたし


16才の女の子エラがやってきた。
彼女と初めて出会ったのは、彼女がまだ7才だった頃で、
1回目のレッスンをしに彼女の家の玄関のドアを開けて中に入った時、恥ずかしそうに母親の後ろに隠れていた。
クリクリの大きな目の目尻が少しだけ下がっていて、それはそれは可愛い女の子だった。
おとなしいけれど、芯が強くて負けず嫌いだった。
よく練習をして、最初のうちは調子良く進んだ。
けれども、多分わたしがペースを見誤ったのだろう。
10才になったある日、他のやりたい事とバランスが取れなくなったので、ピアノを中断したいと言ってきた。
とてもよく弾ける生徒だったのでがっかりしたけれど、父親が音楽大学を出た人で、引き続き家で、自分のできる範囲で教えるからということで、彼女の希望をきくことにした。

彼女の弟のオーウェンは、お姉ちゃんのレッスンをずっと、別の部屋で聞いていた。
おしゃべりな子で、母親によく「静かにしなさい!」と叱られていた。
お姉ちゃんの数年後にピアノを始めた彼も、きちんとではないけれど、彼独特のスタイルで、聞き応えのある演奏ができる子になった。
エラの様子は、オーウェンから、母親から、そしてたまに送り迎えをする父親から聞いていた。
ジャズ、ロックンロール、ヘビメタ、バンドを次から次へと作り、あちこちで演奏していた。
マーチングバンドに入り、マリンバを担当した。

そして突然、彼女は15才になって戻ってきた。
チビだったのに、わたしより背が大きくなっていた。
クリクリの目をぐるりと黒い線で囲み、口紅とマニキュアをつけていた。
髪の毛が緑色だったり真っ赤になったり、虹色の筋がいっぱいだったりした。
パンクな女の子に変身したエラは、「またクラシックに戻ってみようかと思って」と、低くなった声で言ってにっこり笑った。


「まうみ、わたし、今日はこの曲をみてもらいたいんだけど……」
と言って、ドビュッシーの『月の光』のページを開いたエラ。
「ボーイフレンドに、クリスマスのプレゼントに弾いてあげたいと思って」

ほほぉ~、いいねいいね、プレゼントに『月の光』!……とニヤニヤしていると、
「彼はわたしに絵を描いてくれてるの」
「へぇ~、どんな絵?」
「鉛筆画で、でもこんなおっきいの」と言って、両手で四角を描いてくれた。確かにおっきい。

一通り彼女が弾いたのを聞いて、う~ん、さて、どんなふうに手伝えるかなと考えた。
まずは時間が足りない。クリスマスまではあともう二週間を切っている。

「エラ、彼はピアノが弾けるの?」
「ううん、サックスを演奏してるけど、ピアノは弾けない」
「クラシックに詳しい?」
「それほどでもないけれど、彼は芸術に関してはうるさい方」

なるほど……。
それじゃ、テンポやら音ミスやら、それはもうできる範囲でいいことにしよう。
けれども、最初の左手のファとラの♭から次の右手のファとラの♭を弾いた瞬間に、ある絵が浮かぶように弾いてみよう。
「絵?」
「うん、色、といってもいいけど、やっぱり絵かな」
「……」
「まず、時間はいつかなあ」
「夜。それも夜中」
「場所は?」
「湖」
「それで充分だと思う」
「まうみは?」
「わたしも、湖の畔の、ちょっと窪んだ岸辺に立っていて、そこには痩せた木がいっぱいあって、その湖は岸辺から少し入るとぐっと深くなる」
「ああ、その感じ、わかる!」
「エラはそこに誰といるの?」
「誰もいない。わたしだけ」
「わたしも多分ひとりっきり。もしかしたら、わたし自身もいないのかもしれない」

だから、鍵盤を押し込んじゃだめだよ。湖と月の合間を漂ってる霧のような心で、響きが闇の中に溶けていくような感じで。

エラの『月の光』を聞いて、ボーイフレンドはどんな絵を心の中に描いてくれるだろうか。
若いふたりの、すてきなクリスマスを思い浮かべながら、ニヤニヤしている。
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

杉並で9万ベクレル?!この狂気の沙汰ニュースの中の、小学校の子供達は?その親は?その近所の人達は?

2011年12月13日 | 日本とわたし
杉並の小学校 極めて高い放射性物質
12月13日 18時6分 NHKニュース

東京・杉並区の小学校で、ことし4月上旬まで校庭に敷かれていた芝生の霜よけシートから、
1キログラム当たり9万600ベクレルの、極めて高い放射性セシウムが検出されたことが分かりました。
この数値は、国がそのまま埋め立てることができるとしている、1キログラム当たり8000ベクレルの10倍を超す数値で、
杉並区はこのシートをほかのごみと混ぜて焼却する方向で検討しています。

1キログラム当たり9万600ベクレルの、極めて高い放射性セシウムが検出されたのは、
東京都の杉並区立堀之内小学校の校庭で、芝生の上に敷かれていた霜よけシートです。
このシートは、震災のあとのことし3月18日から4月6日にかけて芝生の上に敷かれたあと、先月初めまで体育館の脇に置かれていて
杉並区が先月シートの周囲の放射線量を測定した結果、1時間当たりの平均で、
シートから1メートルの高さのところで1.13マイクロシーベルト、
1センチの高さのところで3.95マイクロシーベルトの放射線量が検出されました。

このため、杉並区がシートそのものを測定した結果、1キログラム当たり9万600ベクレルの極めて高い放射性セシウムが検出されたということです。
区は現在、このシートを、施錠した倉庫で保管しているということです。
放射性物質が付着したがれきや、一般ごみを燃やした灰について、
環境省は、放射性セシウムが1キログラム当たり8000ベクレル以下であれば、そのまま埋め立てることができるとしています。
このため杉並区は環境省と協議した結果、
「シートにほかのごみを混ぜて焼却して、8000ベクレル以下にすれば埋め立てられる」として、このシートを焼却する方向で検討しています



もうこれ、どういうこと?
なに言うてんの?
この小学校どこにあんの?
調べたら、東京二十三区のど真ん中やんか!
そんなとこの、小学校の、校庭の芝生の上に敷かれてたシートに、いったいどんだけの放射能かかってたと思てるん!
9万600ベクレル……そんな数字言われたかてピンとけえへんわ。
けど、普段ええ加減な、しかも世界が憤慨するような世にもおぞましい8000ベクレルより上で、さすがのあいつらも極めて高いって言わざるを得んような危険な量ってことだけは確かやんか。

で、なに?
学校閉鎖せえへんの?
ひとまず休校とかにもせえへんの?
生徒を避難させへんの?
近所の線量とかを徹底的に調べへんの?

そんなもん燃やすって、ほかのごみと混ぜて燃やすって、他のごみ混ぜてベクレルを8000以下にするって、
そんなことするのにいったい、どんな焼却炉使うん?
放射性物質をきちっと除去できるフィルターついてる焼却炉が杉並区にはあるん?
ニュースを書いてる人、言うてる人、記事にするんやったらもうちょっと書き方言い方があるんちゃうん?
こんな、なんか落としもんが見つかったみたいな、まあちょっとは気になるんやけどもみたいな風に記事にすなよ!
人間の心あるんか?
大人の分別あるんか?
報道してる者としての誇りあるんか?

東京の杉並の小学校で、こんな数字出てんねん。
そのことがどんな意味をもってんのか、なんで書かへんねん!なんで言わへんねん!
放射能はシートだけ狙て落ちてるんか?
なんでそこまでの酷い汚染が、杉並の小学校で見つかったことから考えなあかんこと、調べなあかんこと、対処せなあかんことがいっぱいあるやろ!

マスコミのアホったれ!役所のアホったれ!
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

被災地の復興をことごとく妨害するバカの壁の正体ここにあり!

2011年12月13日 | 日本とわたし
皆既月食と一本松。陸前高田にて。


被災地の本当の話を知るべし! 
陸前高田市長が見た『規制』という名のバカの壁とは?(日刊サイゾー)

東北地方に甚大な被害を与えた東日本大震災。
発生から半年近い年月がたとうとしている今も、復興のめどは見えてこない。
死者・行方不明者2,000人以上の被害を出した陸前高田市でも、がれきの撤去にはまだ数年を要するとさえ言われている。
同市の戸羽太市長は、著書『被災地の本当の話をしよう-陸前高田市長が綴るあの日とこれから-』(ワニブックス)の中で、
復興を阻害するさまざまな法規制の存在を冷静な視点で記している。
被災地の復興をことごとく阻む壁の正体とは何なのか。
これまで報道されてこなかった被災地の現実について、戸羽市長に語ってもらった。
(聞き手=浮島さとし/フリーライター)

――被災地を取材していますと、どこへ行っても「法律や条例の壁があって何もできない」といういら立ちの声を耳にします。
戸羽市長もそれをずっとお感じになってきたのではないでしょうか。

戸羽市長(以下、戸羽) 
その繰り返しに尽きますね。
たとえば、がれきの処理というのは復興へ向けた最重要課題のひとつなわけですが、
現行の処理場のキャパシティー(受け入れ能力)を考えれば、すべてのがれきが片付くまでに3年はかかると言われています。
そこで、陸前高田市内にがれき処理専門のプラントを作れば、自分たちの判断で今の何倍ものスピードで処理ができると考え、
そのことを県に相談したら、門前払いのような形で断られました。

――県が却下した理由は何なのですか。

戸羽 
現行法に従うといろいろな手続きが必要になり、仮に許可が出ても建設までに2年はかかると言うんです。
ただ、それは平時での話であって、今は緊急事態なんですね。
こんな時にも手続きが一番大事なのかと。
こちらも知り合いの代議士に相談をし、国会で質問をしてもらったのですが、当時の環境相も「確かに必要だ」と答弁してくれた。
さぁ、これで進むかと思うと、まったく動かない。
環境省は「県から聞いていない」と言い、県は「うちは伝えたけど国がウンと言わない」と言う。
そんな無駄なやりとりを繰り返すうちに1カ月、2カ月が過ぎてしまう。
ですから、どこが何をするかという基本的なことが、この国は全然決まっていないんですよ。

――そういう場合に、県や国は決して代案を出しませんよね。「ダメ」「無理」で話が終わる

戸羽 
そうなんです。
がれき処理に限らないことですが、プランを練り上げて持って行って「ダメ」と言われたら、我々は振り出しに戻るしかない。
せめて「この部分は方法論として無理だけど、代わりにこうしたら目的は果たせますよ」と、解決の道を一緒に模索してくれたら、あっという間に決まるんです。
よく国会議員の方々は「未曾有の国難」とか「千年に1度の災害」とか口にされていますが、
であるなら、千年に1度の規制緩和をしてくれと、未曾有の国難に対応できる法律を早く作ってくれと、
3月11日からずっとそれを言い続けてきてる
わけです。

――規制緩和といえば、陸前高田市に最近、スーパーマーケットがプレハブの仮設店舗で再開したと報じられましたが、
あれも農地転用(農地を農地以外の目的に転用すること。農地法により農水相か県知事の許可が必要)で大変だったと聞いていますが。

戸羽 
あれはOKが出るまでに4カ月かかりました。
津波で流された量販店さんが、プレハブの仮設店舗で営業を再開してくれると言ってくれまして、食料が枯渇していた時期でしたから、市としても大変ありがたいと。
そこで民間の方の農地を借りてスタートしようとなったら、国から「待った」がかかった。
その土地は中山間(地域等)直接支払制度が適用された農業振興地域の農地だからダメだ、と言うわけです。
ようするに、補助事業で整備した農地なのだから、どうしても店を作りたいなら補助金を返還しろと。
しかも農地転用にも時間がかかると。

――復興の支援どころか邪魔をしているだけですね。
何が被災者のためになるかではなく、現行法を守ることにしか関心がない。

戸羽 
ふざけるなと言いたいわけですよ。
食料の調達は死活問題ですよと、あくまで緊急の仮設の店舗なんですと、いくら言っても「絶対にダメ」としか言わない。
それを新聞やテレビで私が言い続けているうちに世論が動き始めて、県を批判する声が高まると、ようやく4カ月たって規制を緩和してもらった。

――メディアが報じて世論が騒がないと動かない。

戸羽 
残念ながらそれが現実です。
被災地が生死の境目で声を上げ続け、やっと4カ月たって動く。
じゃ、あなたが4カ月前に「絶対にダメだ」と言って守っていたものは何だったのと

許可が出てうれしいというより、逆にガックリきちゃうんですよね。
だからよく「一喜一憂」と言いますけど、実感としては「一喜三憂」くらいの印象ですね。

――それと、これも著書を拝見して唖然としたのですが、
ガソリンを送ってくれた省庁が「そのガソリンは自衛隊に触らせるな」と言ってきたそうですね。

戸羽 
あれも本当に……。
被災直後はとにかくガソリンがなくて、内閣府の東(祥三)副大臣が来られたときに相談したら、
彼は行動派ですぐに担当省庁に電話してくれまして、ガソリンがドラム缶で届くことになったんです。
その後、自衛隊の連隊長と私と東副大臣で現地を車で回った時に、あまりに壮絶な現場を見た副大臣は「作業も相当危険なものになる」と心配されたんですが、
連隊長に「われわれがやりますから大丈夫です」と力強く言っていただき、本当にありがたいと思いまして、話はまとまったわけです。

――それには当然ガソリンがいるわけですが。

戸羽 
そうなんです。
それで「副大臣の配慮で明日にもガソリンが届きますから」と連隊長にお話ししたんですが、
その日の夜に担当省庁から連絡が入り、ガソリンは送るけど自衛隊にノズルを触らせるなと言うんですよ。

――何が問題だと言うんですか。この期に及んで危険物取扱資格のことですか。

戸羽 
表向きはそうなんでしょうが、簡単に言えば縦割りですよね。
自衛隊は防衛省からガソリン送ってもらえ、ということでしょう。
そんなこと言ってる場合じゃないんですよ。
あの頃はまだ、今生きている人が明日死ぬかもしれないという極限状態で、そこを自衛隊が体を張って助けてくれると言ってくれた。
やっとガソリンも届く。そう喜んでたら、その言葉ですからね。
担当省庁が言うには、空になったドラム缶を自衛官が片付けるために転がすのはいいけど、ノズルで給油するのはまかりならんと。
もう、あきれましたね。
仕方なく、危険物取扱資格を持っている方を急きょ探したりと、もう考えられないことがたくさんありましたよ。

――官僚も官僚ですが代議士も代議士で、現地に来て記念撮影して帰っていった人もいたとか。

戸羽 
そういう方はかなりいました。
職員から「○○さんという代議士が見えています」と言われて行ってみると、初めてお会いする方が「市長、一緒に写真を撮ってくれ」と。
私とのツーショット撮影が終わったら「よし行くぞ」と帰ってしまった。
被災地の現状なんて何にも聞かない。
資料一枚持っていかない。
中には、破壊された庁舎の前でVサインして記念撮影して帰られた東北出身の議員さんもおられますよ。

――そういった信じられないバカげたことが、3月の震災以来、被災地でずっと起き続けてきたということが、著書を読むと嫌と言うほどわかります。

戸羽 
もちろん、一所懸命な代議士さんもおられますし、フレキシブルに対応していただいた省庁もあります
東北地方整備局(国土交通省の出先機関)の整備局長さんからは、
(大畠国土交通)大臣から何でも対応しろと言われていますから、要望を言ってください」と言っていただき、
本当に何でもいいですか、国交省の業務と関連性がないことなんですが」と聞くと「大丈夫です」と。

――国交省と関係ない何をお願いしたのですか。

戸羽 
その時は棺桶をお願いしたんです。
当時はご遺体が学校の体育館に満杯の状態でして。
棺桶なんて全然ないので、火葬の際にベニヤの上にご遺体を寝かせ、段ボールで囲むというような状態でした。
ご遺族も辛かったろうと思います(編注:戸羽市長も震災で奥様を亡くされている)。

――整備局は棺桶を手配してくれたのですか。

戸羽 
すぐにしてくれましたね。
本当にありがたかったです。
ですから、すべての議員さんや関係機関をどうこう言うつもりはないんです。
ただ、あまりにひどい話が多過ぎるというのも事実なんです。
私がこういった批判的な意見を言うと新聞に出ますよね。
そうすると記事のコピー持って県の人間が飛んでくるんです。
こんなこと言っちゃ困ると。でも、残念なことに言わないと何も変わらないんですよね。

――そうした中で、復興までの目標年限を、市長は8年と区切りました。

戸羽 
もちろん8年で完全に復興するなんて思ってません。
とにかく家や職場、交通網がある程度回復し、なんとか普通には住めるという次元までに8年というのが目標です。
早いもので、震災からもうすぐ半年がたちますが、がれきがほんの少し減っただけで、事態は何も変わっていないんです。
そのことを皆さんに知っていただきたい。
これから徐々に報道も減ってくると思いますが、被災地の存在をどうか忘れずに、これからも見守っていただきたいというのが私たちの強い思いです。

●とば・ふとし
1965年、神奈川県生まれ。
東京都町田市育ち。1995年から陸前高田市議を務め、07年に助役に就任。
11年2月の市長選に初出馬、初当選を果たす。
市長就任の直後に東日本大震災が発生。
陸前高田市は甚大な津波被害を受けた。



被災地に瓦礫処理専門のプラントを作る。
このアイディアのすごさは、汚染を広げないこと。処理の時間を最短にできることやと思う。
瓦礫は燃やしたらあかん。
燃やさずに元の場所に固め、放射能物質対策を万全にする。
瓦礫を燃やしたら、放射能どころか、混じってる不純物(金属やプラスチック等々)からも化学的な毒物が出て来る。
瓦礫はバラまかず焼かず!
そのためには、地元での処理が一番理想やけど、今大変な目に遭うてはる人達にそんなことまで押し付けてええのかどうか。
そやから余計に、この陸前高田の戸羽市長はすごい人やと思う。 
市長になった直後に大震災に遭い、奥さんをそのことで亡くしながら、生死の境を彷徨う住民のため、行政の不条理と今までずっと闘うてはる。

それにしても……この役人気質はなに?
阪神大震災の時も、実際これに殺された人が何人もいた。
手続き、書類、許可、現行法令、条例、規制……。
役人は全然危機やなんて思てへん。
思てるようなふりするために、思てもせん言葉を並べるから、余計に言うてることがわからんし気持ちがこもってない。
国語の教師からゲンコツ食らうような、意味不明の言い訳やら押しつけやら。
そんな連中抜きで行動できたら、今頃とっくにもっとマシな状態になってるわ。
役立たずで邪魔なだけの役人、退場!!
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

命を税収の数にしか考えてない自治体と、マニュアルと数字さえ出したら解決や思てる役人に殺されたいか?

2011年12月12日 | 日本とわたし
放っておいても2年で40%減るのに、大金をつぎ込んで被曝しながら10%しか減らない除染事業。誰がやりたいのかな?by ケン。


吉本クリエイティブ・エージェンシー所属の芸人さん、マコとケンさんのブログ、おしどりマコ・ケンの「脱ってみる?」の記事を転載させていただきます。

元医大生だったマコさんの、原発事故以降の学びは凄まじく、いつもわたし達の先を歩みながら、的確で冷静沈着なインタビューでもって、
わたし達が知りたいことを、役人や学者を相手に、辛抱強く聞き出し、コツコツと解明してくださっています。

放っといても2年後に、40%下がると言われている放射能汚染。
なのに除染だ~除染だ~と大騒ぎし始めた政府。
すでに被ばくを強いられたまま9ヶ月経つ地元の住民や、自衛隊の人達を巻き込んで、いったいこのことにどんな意味があるのか……。

以下↓のインタビューから聞こえてくる、役人の、役人らしい、役人でないと到底できない無責任な返答っぷり。
これが『"思いやり"と"助け合い"と"絆"の具をクタクタになるまで煮た毒入り鍋』の料理人。
そんなもんに箸突っ込んで食べとったら死んでまうで!


第116回放射線審議会
ほっといても2年後に40%下がるのに除染するの?の件。

日にちが前後しますが、11月22日は、第116回放射線審議会に走っていってきました。
「脱ってみる?」第29回でもちょこっと書いたやつ、延期になっていた回がやっと開催されたのです。

案件は、環境省が1月1日から施行する『放射性物質汚染対処特措法』の概要や、それに基づく放射線障害の防止に関する技術的基準について。
ICRPの関連のパブリケーションや、産業廃棄物について読み漁って張り切って伺ったものの、肝心の質疑応答がほとんど聞こえない! 
傍聴席なんて名ばかりじゃーん。
他の記者さまがたはそんなに質疑を聞くそぶりは無く、資料をお読みになることに没頭。
そういうものなの?

資料で気になったもの。(ちなみに配布資料はここでもチェックできます)
「平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う原子力発電所の事故により放出された放射性物質による環境への汚染への対処に関する特別措置法の概要 」 の資料にある「責務」という欄。

:原子力政策を推進してきたことに伴う社会的責任に鑑み、必要な措置を実施。
地方公共団体:国の施策への協力を通じて、適切な役割を果たす。
関係原子力事業者:誠意をもって必要な措置を実施するとおもに、国又は地方公共団体の施策に協力。

と、あります。

これを飯舘の仲良しに電話で話したら、「わーびっくりした! ほんとにそんなこと書いてあんの?」と驚いていました。
どこに驚いたかというと、「国:原子力政策を推進してきたことに伴う社会的責任に鑑み」という一文。
「はっきりそう書いてあると、これからの私たちの考え方、動きにだいぶん関わってくるよね」と話し合いました。

そして、審議会では委員のお一人が(多分、山本英明委員だと思うんだけど)
環境中の放射性物質は除染しなくても、自然減衰で最低40%は低減されるが、そのうえ除染する意味は?」というようなご質問をされました。
わーそれ、私も以前から疑問だったの!と思いワクワクしながら回答を待ちましたが、回答は聞こえず、それに、何か資料をお読みになっただけ。
いずれ議事録が上がるだろうけど、それまで待てないなぁ!と思った私は、オブザーバーとして出席されてる方で、知ってる方を発見! 
安全委員会の加藤審議官の後ろにいつも控えておられる通称「専門家」。
そうだ、放射線審議会は文科省の管轄だし、合同会見で聞こうっと。

というわけで11月24日の政府・東京電力統合対策室合同本部記者会見でお聞きしてみました。

ーー先日第116回放射線審議会があったのですが、福島原発事故由来のセシウムは134と137、半減期2年と30年のものが、ほぼ1対1で出ておりますので、
大体何もしなくても、物理学的半減期により「2年後には40%から60%減衰するだろう」と言われておりますが、
前回の審議会で確か、山本委員だったかと思いますが「除染をしても元々物理学的半減期での自然減衰のパーセンテージしか落ちないのなら、何故除染をするのか」という質問があがりました。
しかし、審議会の中で説明者側の回答が聞き取れず、そして聞いたところによると、配られた資料をお読みになっただけでしたので、回答として少し不十分なものでした。
ですので、この点の質問は、福島の住民の方々も大変疑問に思っておられますので、
大体文科省として、セシウム134、137が1対1で出てる福島は2年後、元々何もしなくてもどれくらい減衰するのか、そして除染をしてどれくらいまで減らすのか、ご回答いただけたらと思います。
宜しくお願いいたします。

文科省・伊藤審議官
「22日のあの、放射線審議会でのやりとりについては、私自身承知をしておらない訳でございますが。
ご質問にありました、今後福島県におけるその、線量低減の見通し、というご質問だったと思います。 
あの、私が答えるのもあれですが、8月26日に原子力災害対策本部の方で『除染に関する緊急実施基本方針』というのを出しておりまして、
まあそこではですね、今後2年後をめどに、一般公衆の被曝線量をまあ50%減少した状態を実現すると。
50%の内訳なんですけども、放射性物質などの物理的減衰、あるいは風雨など自然要因による減衰、ウェザーリング効果(風雨などによる自然要因による減衰効果)というものによって2年間でまず40%減少する。除染によって更に10%を削減して50%を達成する、というのが政府全体としての目標として掲げられてるところであります」

(ウェザーリングで減少、といっても、雨や風で撒き散らされるだけで、実質の量は減らないんですけどね。
ある一部分のところは減ったようになっても、風雨でどっかにいくだけ
)

――自然減衰、ウェザーリングで40%、除染で10%ということで、わかりました。
この減衰で元々50%低減するのではないか」という専門家もいらっしゃいますが、
すいません、もしよければ関係省庁として安全委員会の方もこの放射線審議会にご出席されていたので、
安全委員会としても、減衰、ウェザーリングで40%、除染で10%という事でよろしいでしょうか。

安全委員会・加藤審議官
「それについてはですね、私たちはそのお話を聞いた時に助言を出しておりまして、
まあそれは一つの予測であって、ちゃんとモニタリングを行なって、予測の正しさを常に見直していくように、という助言をしております

――わかりました、ありがとうございます。
この8月26日に線量低減の指針を出された所は、すいませんこれは政府として、もしくは文科省としてのどちらだったんでしょうか、伊藤さん宜しくおねがいします。

文科省・伊藤審議官「原子力災害対策本部ですので、文部科学省は一院ではありますけれども直接の作業には加わらなかったと思います」

――わかりました、ありがとうございます。災害対策本部ということで、園田政務官、お願いいたします。
現在福島の住民の方々が、自分たちが被曝しながら除染をして、しかし放っておいても物理学的に減衰をするので、
あまり自分たちが被曝しながら除染をしても、そんなに変わらないのではないか」という声を飯舘村、いわき、伊達市、南相馬などで聞きますが。
これは園田政務官、減衰で40%、本人たちが除染をしながら10%というのは妥当だとお考えでしょうか。

園田政務官
「はい、政府全体としてこのまず50%を、あのー減衰で40%、プラスアルファーといいますか除染で10%というところと、
あと子供(小学校や通学路など)に関しては更にプラスアルファーを10%、さらにといいますか、自然減衰と合わせて60%まで減衰をするという目標を掲げさせていただいた所でございます。

したがって少しでも、早くそういったところが達成できるように、私共としても当然ながらやっていかなければならないというふうに考えておりますので、
そういった意味では、これから本格的な除染、警戒区域内とそれから計画的避難区域内においての部分がありますのでそこの、
地域住民の方々――避難されておりますので被曝はされないと思いますけれども――、
当然業者であるとかそういった方々が入る時には、当然その被曝は避けられるような措置をしていくように、気を付けるようにといったマニュアルもですね今、環境省の方で作って頂いてると考えております

したがって、一日でも早くそういった避難をされておられる方々が、ご自宅にお戻り頂けるような環境を私共としては作り上げて行くというのが、政府の責任、国の責任ではないかというふうに考えます」

――この40%+10%というのは、現在避難されてる避難区域の方だけではなく、福島県全域伊達市などでの説明会でもこの数字がよく上げられているのですが。
それは住民の方々が除染をされます。

園田政務官
「はいはい、あのそういった方々に関してはですね、当然ながら警戒区域や計画的避難区域とはまた低い線量の部分でありますけれども、
しかしながら、被曝には気を付けていただく必要がありますので、その方々に対しても、まあいわゆる避難警告といいますか、無用な被曝をしていただかないような注意喚起という物はさせていただいておりますし、そういったマニュアルも配布はさせていただいて周知徹底をしている所だ、というふうに聞いております

――では避難区域そして避難区域外、伊達市、いわき市などでも含めての住民の方々の声なのですが、
「放っておいても40%下がり、多大なるお金を突っ込んで除染をして10%程度しか下がらないのであれば、除染をしないという選択肢も与えてほしい」と仰られるのですがいかがでしょうか。

園田政務官
「ま、あの、各市町村からですね、まだそういった『除染をしない』というお声というのはちょっとすいません私は聞いておりませんでしたので、そういった面では各住民の…」

――あの!各住民の方々の説明会では(そうした声が)多大に上っております。

園田政務官「あ、そうですか、すいません。あのー……」

――はい、あの自治体の長は予算の関係で除染を推進しておられますが、えー例えば飯舘村など8割が、除染に反対であったりしますので、
それは多分、園田政務官の方にまでお耳に届いていない、ということだと思います。

園田政務官
「少なくとも、そういったところは、自治体が除染を遂行されるということで、私共としては財政的な支援と技術的な支援、そしてまた防御的な考え方をお示しをするという形で説明をさせていただいて、
自治体の方々がご納得をいただいていると聞いておった所でございますけれども、
もう少しそういった自治体の皆さん方からも聞く必要があるということであるならば、伺わせてはいただきたいというふうに思います。
いずれにしても当然、これは自治体の皆さん方と住民の皆さん方が共同で行なっていただけると、いうふうに聞いておりますので、
その自治体がやらない、という事であるならば、それはそれで私たちも受け止めなければいけないことかもしれません」

――ありがとうございます、えー、すいません私の質問の仕方が悪かったみたいで。
自治体として一つの意見にまとめるのではなく、個々の住民の「除染をしたい」「いや、除染をしたくない」という、また「避難をしたい」という希望を聞いていただけないか、ということです。
自治体として一つの意見に(まとめて)、人力で除染をして10%の効果しか出ない、という事について、多大な予算をつぎ込み、
それでも半分しか下がらない線量の中で我慢をしながら暮らす、という選択肢を強いないでほしい
、ということなんですがいかがでしょうか。
自治体として意見をまとめないでほしい、ということです。

園田政務官
「はい、その辺は現地の支援チームがですね、自治体、あるいは福島県ともご相談をさせていただきながら、色々な可能性を私共からご提示をさせていただいて、それを選択をされた、という事でございました。
したがって、そういった声がですね、自治体を通じてどういう形で私共に……また、まあ機関の決定という……これは実施主体が自治体でございますので、
その自治体がどういうご判断をされるのかというのは、もう少し私共としても、お聞かせをいただけていればな、と思っております」

――あ、わかりました。結局自治体としての意見ということですね、自治体としての声しか聞かないという事で。
分かりました、ありがとうございます。

園田政務官
「いや、自治体の声しか聞かないというよりも、自治体が実施主体でございますので、
その自治体が、住民の皆さん方とお話をされるというのは当然ながら、住民の皆さま方の声を代弁して、自治体が本来ならば動くべきではないか、ということを申し上げた
わけでございます」

――自治体に任せるということですね。
自治体が100%の住民の方々の同意を得る事はかなり不可能であり、
今回の福島原発由来の放射線の事は、100%の同意をまとめるべきことではない
、と思うのですが、
自治体が主体ということですね。わかりました、ありがとうございます。


なぜ、こんなに食い下がったか、というと、除染して住む、という選択肢しか住民の方々に渡されてないからです。
そうではない意見も本当に多数聞きます。
例えば、飯舘村で今でも10μSV/hのところの方は、除染して50%下がったとしても5μSV/hです。
そんなところには住みたくない、という方もいらっしゃる。
高齢の方は自分は住むけど、孫や子どもは住ませたくない、とおっしゃる。
若い方は、そこで出産をし子どもを育てるリアリティは無い、とおっしゃる。
とても年配の方は、高い線量でもしょうがないとあきらめるけれど、除染して10%しか下がらないのなら、庭の木や山の木を切るのはイヤだ、とおっしゃる。


なので、年代や生活状況によって本当に意見は分かれるので、全住民のアンケートを取ってほしい、と度々お願いしているのですが、その必要はない、と村長はおっしゃるのです。
除染して村民を戻すと。
今は、村民はあちこちに避難しているので、役場側の協力がないと全住民アンケートが取れないのですが、実行は絶望的な状況。

福島県の自治体の役人の方にお聞きしたのですが、福島県の自治体というのは現在、とても矛盾している、とのこと。
住民の幸せを考えるのがそもそも自治体の仕事なんだけど、住民が避難して移住してしまうと、税収が減るでしょう? 
自治体にとって住民は、お客さまの側面があるのです。
自治体の収入は、税収と行政からの予算なので、だから、多額の予算がつき、住民を移住させない除染政策にのっとってるんだ、自分の家族は避難させていても、ですって。
「避難した住民は市民、村民として扱わない」と明言した自治体の長までいらっしゃいます。

原発事故に関しては、住民の方々の意見は1つにとりまとめるべきことではないように思います。
そうすることで、我慢を強いられる方がたくさん出てくるからです。
いつも思いますが、正確でたくさんの情報と、判断するための公平な知識と、そして様々な選択肢が与えられるべきことだと思います。

あと、まぁ、自然にほっといても40%下がるんですよ? 
何億も何兆も除染の予算にお金を使って、そして10%しか下がらないなら、他の選択肢もあってよくない? 
他の選択肢に予算が行くべきでない? 
それに、ほっといても40%、人力で除染して10%って、ちゃんと住民の方々に周知されてるのかしらね? 
ていうか、これをお読みになってるアナタはご存知でした?


*******       *******       ******* 

この日の会見のあと、安全委員会の加藤さんとこにぶら下がろうとしていたら、文科省の伊藤審議官から「ちょっとおしどりさん、聞きたいことがあるのでいいですか?」
と呼び止められました。
おぉ!逆ぶら下がり!?

文科省・伊藤審議官
「先ほどの質疑の中で、疑問だったんだけど、除染をしたくない、っていう住民の方がいるってどういうことなの? 避難したいってこと?」

――もちろん、避難、移住したいという希望もありますが、それだけではなく、放っといても2年後に線量が40%下がるなら、今から急いで除染するのではなく、
2年間どこかに避難して2年後に戻ってきてそこから除染するとか、
2年後にもう一度考えるとか、
もしくは高齢の方なら除染しても10%しか下がらないのなら、庭の木や山の木を切り刻んで除染したくない、とか、
本当に様々なのです。
せっかく2年後に40%自然に下がるのに、この2年間で何億もつぎ込んで10%下げる意味はあるのか? 
もっと他のことに予算を使わせてもらえないのか? 
など、今の「除染して住む」政策には疑問の声が多い
んです。

文科省・伊藤審議官
「なるほど、よくわかりました!それはおっしゃるとおりですね、そうお考えになるのもよくわかります。しかし自治体の長の声と全然違いますね。」 

――そうなんです!自治体は予算の関係からか、除染政策一辺倒なのですが……。

文科省・伊藤審議官
「その自治体の長を住民が選んだ、ということですからね……うーむ、なんというか、そこは民主主義の悩ましいところなんですよね!」

(わー、悩ましいとかおっしゃってる場合じゃないでしょ、切実ですよ、こっちは!)

――ですので、全住民アンケートなどをとって、自治体側の要望だけではなく、住民の要望も聞いてほしいのですが、
自治体側がそれを頑としてしてくださらず、自治体がピックアップした住民の声だけが外にアナウンスされている、という状況が多いようです。

文科省・伊藤審議官
「なるほど、その必要性はありますね。状況がよくわかりました、ありがとう」

とおっしゃって去る伊藤審議官を見ながら、案外、伊藤審議官が聞いてくださって良かった!と思いました。

*******       *******       *******

12月に、除染関連の様々な予算が決定されようとしています。
そして、年が明けたら特措法が施行され、除染計画はどんどん進む
でしょう。

除染は悪いことだとは思わないけど、どんな除染を行なうか、どういう目的のためにやるか、どれくらいお金を使うか(費用対効果はどれくらいか)、どれくらい被曝するのか、などなど、きちんと考えていかねばならないでしょう。

例えば、0.23μSV/h以上の地域が除染実施区域となるのですが、その考え方は、

 自然界(大地)からの放射線量:0.04μSV
 事故による追加被曝放射線量:0.19μSV

として、一日のうちに屋外に8時間、屋内(木造家屋、遮蔽効果0.4倍)に16時間滞在するという生活パターンを仮定して、

 0.19μSV/h×(8時間+0.4×16時間)×365日=年間1mSV

という式が載っていました。

自分で計算してみると、998.64μSVになりましたので年間1mSV以下でしょう。
でも待って。
これは追加被曝のみだよね?
 
自然界の放射線量とあわせた0.23μSV/hで計算すると、1208.88μSVになりました。
年間1mSVは超えてしまいます。
 
そして重要なことは、これは空間線量、外部被曝のことだけしか考慮してません
食べ物による内部被曝は現在、年間5mSVが線量限度となっています。
これはやっぱり高いので、来年の4月をめどに1mSVに戻す、と厚労省は言っているけれど、おかしいよね。
 
なぜなら、チェルノブイリ事故後のベラルーシの基準は内部被曝・外部被曝合わせて、とにかく被曝は年間1mSVまで!という考え方なのに、
日本は食べ物は食べ物で、土地は土地で、空間は空間で、水は水で、のような基準になっている
からです。

この辺りは、チーム飯舘顧問の、ロシアの怪人のブログをご覧あれ!

そして、8000Bq/kg以下の廃棄物は、そのまま埋め立て地や、コンクリートや、園芸土に使われるとのこと。
どれも、年間の被曝線量1mSV以下だから大丈夫、といえど、それぞれ1mSV以下なだけで、
総合すると、ひょっとしたら怖いかもよ?ということをお見知りおきくださいませ
。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする