ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

再稼働さえ阻止できたら、日本の原発の息の根を止められるで!がんばってみいひんか?

2011年12月06日 | 日本とわたし
NANOHANA(ナノハナ)とおっしゃる方が、何ヶ月も前に、ご自身のブログで、こんなすてきなアイディアを教えてくれてはった。
↓以下は転載させてもろた記事です。

再稼働STOP作戦 これなら原発を止められる!




日本中に原発54基(もんじゅと常陽いれて56基)があるというけれど、

現在実際に動いてるのは9基だけです!!


意外に少ない。

電力にしたら全体のわずか5%!

止めても電力も不足しない。

しかも、残りの9基も、定期検査のため1年以内にすべて止まるのです。
年内に48基が止まり、来年の9月ころには全部止まる。



現在稼働中の原発が停止する予定日

四国電力 伊方1号 9月  
関西電力 高浜2号 11月
九州電力 玄海1号 12月
関西電力 大飯2号 12月16日
関西電力 美浜2号 12月18日
九州電力 玄海4号 12月25日(故障のため10月に自動停止、11月に闇討ち的に再稼働)
中国電力 島根2号 2012年1月
四国電力 伊方2号 2012年1月
関西電力 高浜3号 2012年2月20日
東京電力 刈羽5号 2012年3月
東京電力 刈羽6号 2012年4月
北海道電力 泊3号 未定(2012年9月?)


現在運転中の原発と、定期検査で停止する予定期日の一覧は下記の通りです。

2011年9月2日 :九電の川内2号基が、定期点検に入り停止。これで残り12基に!
2011年9月4日 :四国電力の伊方1号基が、定期点検に入り停止。これで残り11基に!
2011年10月4日:九州電力の玄海4号基が、故障のため自動停止。これで残り10基に!
2011年11月1日:国と九電は、故障停止していた玄海4号基を、反対世論が持ち上がる時間を与えず、闇討ち的な再起動。残りは11基に!
2011年11月25日:関西電力の高浜2号基が、定期点検に入り停止。これで残り10基に!

2011年12月1日:玄海原子力発電所1号基が、定期検査を行うため、原子炉を停止。これで残り9基に!


なんと、何もしなくても来年9月には原発は自動的に止まる。

だから、今止まっている原発を、運転再開させないようにすれば、1年後にはすべての原発を止めることができるのです!

動いている原発を止めるのは、なかなか大変そうですが、
止まっている原発の再稼働を許さないことなら、実現の可能性がずっと高い。

私はこのことを喜納昌吉チャンプルーズのブログで知りました。

そして、これなら行けると思った。

原発停止のための具体的な道筋が見えた気がして、うれしくなりました。

どうでしょう?なんだか出来そうな気がしませんか?

実際に、震災後、どこの県でも県民世論に配慮しており、運転再開した原発は1基もない。

(追記)
残念ながら、震災前から調整運転(原子炉稼動状態)にはいり、そのまま長期にわたり、根拠のない調整運転を続けていた北電泊3号基が、通常運転を再開。

すでに震災時、原子炉を動かしていたとはいえ、法的には定期点検からの運転再開第一号となりました。しかし、震災時に原子炉が定期点検で停止していた原発で、再稼動されたものは一つもありません。
今後はこのラインを守るように努力しましょう!

運転再開には、立地県の承認が必要らしいですが、立地県知事のほとんどは、慎重な姿勢を示しています。(北海道の高橋知事はあやしい)


ですから、エネルギーシフトパレードや、反原発デモンストレーションなどのアクションや、自治体・首長への働きかけのなかで、

運転再開の阻止ということに力を入れてゆくというのはどうでしょうか?
再起動お断りを強く押し出してゆくのです。

そうすれば、鍵を握る知事にとって、再起動のハードルはどんどん高くなってゆく。

一番動き出しそうな原発に、世論を集中させて、これをくい止める。

地元や近いところの停止原発の再稼働を許さない。

みなさんの取り組みの中で、ご検討いただければと思って、提案させていただきます。



なんか、原発って、危険な上にはた迷惑なだけで、大して働いてへん上に維持費に滅茶苦茶なお金がかかるもんやねんな。
これ、止めた後も延々と、これまたお金を湯水のように使て冷やし続けていかなあかんのやろ?
なんちゅうもんを、ここまでぎょうさん建てさせてしもたんやろか……。
反対した人も大勢おらはったんやろなあ。
今も、自分の人生投げ捨てて、毎日反対せなあかん人もいはる。
そうせんと、狡賢う、すぐにあの手この手で工事を進めるからや。
ほんま、どうしようもないやっちゃで、原発村の連中は。
セコいわ汚いわずうずうしいわ。
三重県と和歌山県には、原発が建ってへん。
きっと頑張らはった人がいはるんやろなあ。
自治体もきっと、そういう人達を無視しはらへんかったんやろなあ。
詳しい事情は知らんけど、誘致を狙うあいつらがどんだけイヤラしいことするかを知った今では、阻止できた土地に住む人を尊敬するし、心の底からお礼を言いたい。

今や日本は、日本人は、地震がいつか来ることわかっててあんなもん建てて、万が一のことちゃんと考えてのうて、まともな対処も解決もできんまま、
海やら空気やらを滅茶苦茶汚しといて、それをまた隠したりウソついたりした挙げ句に、少なめの数字を後出しで公表して、大した汚染では無いと思われる、とかってシラッとした顔で言える、
とんでもなく厚かましゅうて無反省な、国際犯罪者の仲間入りをしてしもた。
被害者ちゃうで、加害者やで。
これからの世代の子らはいつか、何十年か後に、地球にこんな酷い汚染を広げてからに言うて、いろんな所で責められるかもしれん。
そんなこと言われても、その子らこそが被害者で、えらい思いして生きてるかもしれんけど……。
ボーッと生きてたわたしら大人のせいで、そんな辛い思いをさせなあかんねんから、
ほならわたしらは、せめて日本の原発の息の根を止めてしまうことぐらいせなあかんのとちゃうん?
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曼荼羅

2011年12月06日 | 友達とわたし


肺ガンに脳腫瘍を併発し、年を越せるか越せないか定かではない友人を見舞った。
旦那の、鍼灸師学校時代の同級生の旦那さん。
先月の感謝祭の日に、69才の誕生日を祝った。

わたし達が以前住んでいた家のすぐ近くにある大きな総合病院に、彼は最後の入院をしていた。
まともな医療保険が買えなかった時代に、目の前にあるそこに行けなくて、うらめしい思いで眺めていた病院だ。
彼は、ホスピスに移動する。
その前に、一ヶ月ほど前に、家で転んだ際に折った大腿骨の、手術後のリハビリもしなければならない。
けれども彼はもう、「もう充分だ」と言い出した。
彼はそれまで、次々に襲いかかってくる癌に負けまいと、ずっと闘争心丸出しで頑張ってきた。
その彼が、ここ数日、「もういいよ。もう充分だ」と何度も言うようになった。

ベッドの上の彼は、ガン治療の患者特有のムーンフェイスで、可愛く見えさえした。
けれども、パンパンに腫れた彼の両腕には、紫色の斑点がたくさん浮かび、指は常に細かく震えていた。
痰が絡んで辛そうだった。
体のあちこちに、チューブが刺さっていた。

彼は曼荼羅を描く芸術家だった。
タイルで、絵の具で、木で、紙で、ありとあらゆる物を使って見事な曼荼羅の作品を生み出していった。
一度だけ、彼の作品展に出かけ、そこで一番安価に手に入る一枚の絵を買った。
細かい線が無数に入った二匹のカエルが、愛の曼荼羅をじっと見上げている。
彼の他の作品からは、少し路線が違うものだったけれど、その外れ具合も気に入った。
彼は、その絵に合う額を見つけ、そこに入れて渡してくれた。


彼は、大勢の子供達に、楽しく絵を書くことを教える天才だった。
そういう学校を経営し、自ら長い間教えていた。
その合間を縫って、コツコツと作品を手がけていった。
でも、まだまだこれから、やりたいこと、やろうとしていたことがたくさんあったと思う。
だからはじめのうちは、とにかく病気に打ち勝とうと、いろんなことを試したり、挑戦したりしていた。
けれども、ガンという病気は、いくら医療が発達している今日とはいえ、やっぱり手強い相手だし、戦う間に人は大変な思いをする。
だいたい、戦う、なんて一言で言える部類のものではないのだ。
いや、毎日どころか、毎時でもない。
次から次へとやってくる、嫌がらせのような痛みや苦しさは、経験した本人にしかわからない。

ガンという病名を聞くと、死という言葉がすぐに思い浮かぶ。
昔ほど、そのふたつの言葉は強く結びついてはいないけれど、やはり今でも、ガンという病名を告げられると、人はショックを受ける。
自分はいつ死んでもいいんだ、などと口癖のように言っていた人でも、ガンの宣告を受けた途端にオロオロと狼狽えたりする。

わたしはこれまでに、事故や後遺症や奇妙な病気で何回か、死を宣告されたり、間近に感じたり、実際に呼吸停止に陥ったりした。
死にたくないとどれだけ思っても、死は、時には突然に、時にはじわじわと、否応無しにやってきて、では行きましょうと腕を強く掴む。

掴まれた時、苦笑いするのか、穏やかに微笑むのか、泣きわめいて抵抗するのか、イヤだと叫んで懇願するのか、
それは、その瞬間までどう生きたかにかかっている。
死をどこまで意識して、死をどこまで大切にして、今のこの時間を生きてるか、それにかかっている。
死をなめたらあかん。
ガンをなめたらあかん。
戦うっていう言葉を簡単に考えたらあかん。
そういうこと。

そんなことを思いながら、やっぱりわたしは、日本の子供達のことを考える。
日本の大人達のことも。
69才の彼が今、死んでいこうとしている。
その彼に、子供達、若者、さまざまな年令の大人達の顔を重ねて考える。
これから数年先、ものすごい人数の日本人が、辛い毎日を送ることになる。
その辛さは、その人達が想像しているような辛さではない。
想像なんてできない、一分たりとも経験したくないような、大変な辛さなのに……、
そして、そんなことを経験しなくても済むよう、逃げることを選択できるのに……、

命が尽きかけている彼の、病院から配給されたガウンからはだけて見える胸が、苦し気に上下するのを見ながら、わたしはずっとそんなことを考えていた。
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