ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

瞑想→幸福感→満足感→差別→原発

2011年12月02日 | ひとりごと
三週間ぶりの、気功の瞑想クラスに行ってきた。
このクラスで教えてもらう瞑想はお気に入りで、ハンサムな声に導かれながらの1時間、意識は様々なイメージの世界を漂う。

今回の時差ボケは今までにない新しいパターン。
ゲリラボケなのである。
眠くなってくるタイミングもばらばら。その濃度もまちまち。
今日までは、それでも午前中は大丈夫だった。
今朝も、とりあえず、過去三日間とあまり変わりがなかったので、なにも気にすることなくクラスに向かった。

ところが……教師のミリアムの家に行く道中、運転している自分がなんとなく自分でないような気がしてきて、
慌ててルームミラーで自分の顔を見てみたり、ハンドルを握る手をじっと睨んだりした。
通い慣れた道のはずが、見た事も無い通りに見えたり、車線を変えるのにタイミングを外したり、
彼女の家に着いた頃には、脳ミソがガーゼですっぽり包まれているような感じになっていた。

瞑想の前に、クラスに参加している皆で近況を語り合い、それから15分間の立ち瞑想をしてから、椅子に座り、1時間の瞑想に入るのだけど、
目を閉じるとえらいこっちゃ!それまで辛うじて起きている脳が、すぐに睡眠モードに入ってしまうのだった。
そして……、
1時間の瞑想に入った途端、とんでもない不快感に襲われてしまった。
タートルネックが窮屈(実はユルユルの普段は全くオッケーなもの)、ブラが窮屈(これまた普段は全然オッケー)、パンツも太ももも、とにかく洋服のあらゆる所がなんか間違ってる感じ。
かくしてわたしは、目を閉じたまんま、椅子の上でひとり、身悶えしているただの変なおばさんになってしまった。

瞑想の後は、道教の教えを1ページずつ皆で学ぶ。
それぞれが持ち寄る本はてんでバラバラ。
なので、英訳の仕方や解釈が微妙に違う。
教えを詩的な英文に替えてあるので、普通の英文でも大変なわたしには、解釈に一苦労することになる。
今日はマジでボケていたので、まるで意味不明だったのだけど、それが皆にもわかったのか、そのページに書かれてあることをもとにして、もっとくだけた井戸端会議的な話になった。

幸せと満足をどの点で感じるのか。
米国は、物質社会の権化のような国。少しでも豊かにと、人々は必死になってお金を稼ぎ、そのお金で新しい物を買う。
だけどそれは、豊かなんだろうか。
物さえあふれてなければ、資源にも限りがあるという事実を小さい頃からきちんと学んでいれば、人はもっとゆっくりと生きようとするのではないか。
必要最低限の物、必要最低限の資源、必要最低限の労働、
世界がゆったりすると、車で通り過ぎていた道を駆け足で、早足で、そしてゆっくりと歩いた時のように、世界が細やかに見えてくる。
今まで全く見えてなかったことが見えてくる。
見えたことに対して、考えたり思い出したりする時間もある。
一度作られてしまった世界をグイッと変えることはとても困難だけど、自分を変えることはできる。
もちろん簡単ではない。
世界を変えることに簡単なものはひとつとしてない。
けれども、まずは自分をよく思ってあげて、認めてあげて、褒めてあげて、しっかりと抱きしめてあげたら、
あちこちにイボのように固まっている『◯◯しなければならない気持ち』や、『◯◯してはならない気持ち』が溶け出して、心が柔らかくなる、
自分が好きになるのはそういう時で、自分に満足すると自分にも優しくなれる。
自分に優しくなれると、人にも優しくなれる。
人は自分と違い、気に入ること、気に入らないことが目につくのだけれど、
優しい気持ちは、気に入らないことの裏側に隠れている、その人特有の事情や歴史に気持ちを馳せることができる。
そうすると、その人の気に入らない部分に傷つけられたりしても尚、その人そのものを認め、受け入れたり、または、いい意味ですっかり無視できたりする。

アメリカは人種のルツボで、今や移民の方が多くなってきた。
移民は、それぞれ、多かれ少なかれ差別を受けてきたのだが、この先何十年後には、白人が差別を受ける時代が来るだろう。
差別をする人が差別をしたくなる理由は星の数ほどあるけれど、負の感情(怒り、悲しみ、恨み、絶望など)が心に深く巣食っていると、ほんの小さなきっかけで差別は生まれる。
差別には、加害者も被害者も無く、する人もされる人も、いつ何時その立場をひっくり返すことになるかわからない。

差別というと、アメリカでは黒人がまず頭に浮かぶ。
彼らは、自分達の意志や思いなど完全に無視されて、強制的に連れてこられ、辿り着いた先では奴隷にされた。
人間としての扱われず、長い長い間、心身ともに、激しい差別を受け続けてきた。
今の人は、そういう歴史を学んだ後も、知った顔で、そういう過去はあったのは事実だけれど、もう終わったんだから、忘れよう、前を向こうと、励ましのつもりで言ったりする。
けれどもそれは間違いで、そのような愚行は忘れられる類いの物事ではなく、前を向いたとしても、どうしても心のどこかに鎖でつながれている真実なのだ。
ものすごく理不尽なことで、自分の人生を無茶苦茶にされたり奪われたりした者の気持ちなど、実際に同じ目に遭った人でないと想像もできない。
まうみの国にも今、わたし達には到底理解できないほどの、辛く苦しい気持ちを抱えて生きている人が何万人もいる。
その気持ちを孤立させてしまわないよう、元気が残っている人達で協力し合い、支えてあげなければならない。
決して、忘れようとか、前を向いていくしかない、などと言ってはいけない。

 
国の成り立ちが全く違うし、伝統や歴史だってまるで異質のものを持つ日本。
原発の重大事故という、一大危機を抱えたまま9ヶ月近くも経ってしまった日本。
昨日やっと、小出氏の論文がニューヨーク・タイムズに掲載された。
当の日本はというと、特に関西は、まるであの事故がハリウッド映画であったかのような、上映が終わったら過去のもの、みたいな風にも思えるほどの普通さで、毎日が過ぎている。
日本がいつか、世界からの差別を受けるようなことにならないよう、
原発が既にある土地も無い土地も一緒になって、事故の被害を受けた土地の人達の支えになりながら、国から原発という物を消滅させる努力をして欲しい。
原発は、豊かな暮らしというニンジンの裏側に、こっそり隠れていた。
満ち足りた電化生活というキャッチフレーズのシールの裏側には、核兵器製造所と書かれてあった。

いろんないらないものがいっぱいある。
けれどもまず、今は原発。
日本から、核物質を追い出そう。
他のことはまたその後で。
日本より哀れなブッシツ大国アメリカに、かっこよくお手本を見せてくれ!
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする