ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

原発狂国の三大政策「情報を隠すこと」「事故を小さく見せること」「様々な基準値を上げること」

2012年08月15日 | 日本とわたし
ふくしま集団疎開裁判の弁護団のひとりでいらっしゃる、柳原敏夫氏が書かれた論文を紹介します。

「6.24」一周年の思い――なぜ、ふくしまで集団疎開が実現しないのか(7.19一部追加)

弁護団 柳原敏夫

目  次
1、はじめに--二度目の3.11(人災)
2、福島原発事故の未来は原発事故の過去にある
3、三大政策の1つ「情報を隠すこと」の核心が子どもの被ばく情報だった
4、三大政策の1つ「様々な基準値を上げること」の動機が子どもの疎開を阻止するためだった
5、なぜキエフで子どもたちの集団疎開が実現したにもかかわらず、日本では実現しないのか
6、認識をまちがえた善意の献身が最悪の事態をもたらす――事故直後の犠牲者の殆んどが事故の認識をまちがえた善意の献身者たちで、落命は避けられた人災だった
7、「最も悪いのは放射能を怖がる精神的ストレス」論の起源はベトナム・シンドローム
8、原子力ムラの御用学者の起源は「水爆の父」と呼ばれたエドワード・テラー
9、原発事故は形を変えた核戦争であり、放射線と戦争の原理原則が貫徹される
10、事故5年後に制定された住民避難基準はチェルノブイリの憲法9条である
11、もし住民避難基準がもっと早く事故直後に制定されていれば98万人余の犠牲は避けられた
12、もし戦争終結がもっと早ければ、ヒロシマ・ナガサキの悲劇はなかった
13、おわりに--泣くのなら、今思い切り泣く、5年、10年後には泣かない


1、はじめに--二度目の3.11(人災)

憲法は子どもたちに、「教育を受ける権利」を保障しています(26条)。
そこには、「安全な環境で教育を受ける権利」も含まれています。
つまり、ふくしまの子どもたちは、「放射能の危険のない安全な環境で教育を受ける権利」が憲法上保障されています。
これを否定できる者は、誰もいないでしょう。

他方で、人権の基本原理によれば、最高の価値とされる人権を制約できるものは、唯一、最高の価値である人権しかありません。
つまり、人権が制限されるのは、「他者の人権との衝突」の場合しかありません。
しかし、福島原発事故に遭った子どもたちには、彼らの人権(安全な環境で教育を受ける権利)と衝突する他者の人権などありません。
衝突するのは、基本的に、お金の問題だけです。
「人権(命)対お金」の衝突なのだから、人権に軍配が上げるが当然です。
ましてや、国はかつて(1959年)、原発導入にあたって、原発事故による被害額を、国家予算の2.2倍(現在の国家予算なら200兆円)と試算済みです。
(報告書「大型原子炉の事故の理論的可能性及ぴ公衆損害に関する試算」
元々、それだけの損害額を覚悟して、原発の導入を推進したのです。
金銭的にも、福島県の子どもたちの避難を、不可能だという言い訳は通用しません。


念のために言えば、福島第一原発は、子どもたちが遊んで壊したのではありません。
また、彼らが自分の意思で、原発を誘致したわけでもなければ、誘致を容認してきたわけでもありません。
子どもたちは、福島原発事故に対して何ひとつ、非難も責任もガマンも、負わされることのない存在なのです。

さらに、この疎開裁判は、既に発生した巨大原発事故の、今ここで、命が危険に晒されている子どもたちを救済するという、現在進行中の緊急避難の裁判です。
未来の事故の、未然防止のために、原発を差止めるといった裁判とは、レベルがぜんぜんちがいます。

ですから、裁判所が門前払いさえしなければ、天地がひっくり返らない限り、この裁判は負ける筈がない、
子どもたちの被ばくの危険性を、否定できるはずがない、そう確信していました。
そして裁判所は、門前払いをしませんでした。
にもかかわらず、昨年12月16日の、野田総理の「冷温停止宣言」とほぼ同時刻に合わせて、子どもたちの申立ては却下されました。
天と地がひっくり返ったのです。
私にとって、3.11の事故にも劣らない位の事故であり、衝撃でした。


社会が、道徳的に健全であるかどうかをはかる基準として、社会の最も弱い立場の人たちのことを、社会がどう取り扱うかという基準に勝るものはなく、
許し難い行為の犠牲者となっている子どもたち以上に、傷つきやすい存在、大切な存在はありません。

こう言ったのは、チョムスキーです。
この真理は、チョムスキーでなくても、世の支配者でも理解していることです。
だから、軍国主義の末期の時代ですら、子どもたちの集団疎開が実行されたのです。
それがなぜ、今の時代に実行できないのか。
それには、それなりの訳がある筈です。
爾来、「天と地がひっくり返った」のはなぜか、それは何を意味するのか。
ひっくり返った天と地を、元通りに戻すにはどうしたらよいのか。
そのことを考え続けてきました。
以下は、それについて、現在進行形の覚書です。


2、福島原発事故の未来は原発事故の過去にある

 
なぜ、過去の歴史を学ぶのか、これについて、柄谷行人は、こう述べています。

小説の未来は、小説の過去にある、と後藤明生が書いている。
小説が何処へ行くかを問うには、それがどこから来たかを問うべきである。
これは、ほかの領域にもあてはまる。
われわれがどこへ行くのかを問うには、どこから来たかを問うべきである。
資本主義の未来は、資本主義の起源にある。
(批評空間93年NO.9編集後記)

これを、被ばくの歴史に当てはめるとこうなります。

福島原発事故で、われわれがどこへ行くのかを問うには、それがどこから来たかを問うべきである。
福島原発事故の未来は、原発事故の過去にある。
福島原発事故の未来は、過去最大の原発事故、つまりチェルノブイリ事故にある。


ただし、柄谷行人は、その際、それらの過去を、「普通に問えると思ってはならない。注意深くあらねばならない」と警告します。
様々な理由により、それは用意周到に歪められ、隠され、ねつ造されているからです。
例えば、9.11のテロの意味を、その過去から正しく学ぶためには、それらのねつ造を見破るチョムスキーの慧眼が必要でした。

この意味で、今中哲二さん、小出裕章さん、ベラルーシの研究者M.V.マリコ氏らが取り組んだ、
「チェルノブイリによる放射能災害--国際共同研究報告書」(1998年)は、事故による影響を科学的に分析した、我々市民にとっての宝物です。

それに対し、事故による影響を、政治的・社会的に分析した文献として、
中川保雄(中川恵一氏ではありません)さんの遺作、「放射線被曝の歴史」(1991年)と、
七沢潔さんの「原発事故を問う--チェルノブイリからもんじゅへ」(1996年岩波新書)を、推薦します。

中川保雄さんは、科学技術史専攻の研究者で、3.11まで、放射能に全く無知だった私が、この本で初めて、被ばくについて、信頼して学ぶに値する文献に出会えた、と思えました(そこから、アリス・スチュアート、スターングラス、ロザリー・バーテル、ゴフマンの存在も初めて知りました。

七沢潔さんは、昨年5月に放送され、大きな反響を呼んだ、「ネットワークでつくる放射能汚染地図」の番組制作に関わったジャーナリストです。

疎開裁判の申立から、1年が経った先ごろ、七沢さんの「原発事故を問う」を読んだとき、
これは、10年前の、過去のチェルノブイリ事故のことを語っているのではなくて、15年後の、ふくしまの未来のことを語っているのではないかと錯覚したほどでした。
それくらい、ここには福島原発事故の経過と、そっくりそのままのことが述べられていたからです。
なぜこれほどまでに、2つの事故は同じ経過をたどるのか――
根本的には、世界の原子力ムラの構造は、世界共通であり、従って、事故をめぐる経過も、必然的に同一となるからです。
しかし、それだけではなく、日本政府くらい、チェルノブイリ事故から学び尽くした連中は(今中さん、小出さんら一部を除いて)ほかにいないのではないか。
だから、3.11以降の日本政府も、三大政策[2]を曲がりなりにも着々と実行できた。
だとしたら、我々市民も、この老獪にして厚顔無恥の、日本政府と同じ位、チェルノブイリ事故から、徹底して学ぶ必要がある。

以下は、遅まきながら、七沢さんの「原発事故を問う」を読んで、チェルノブイリ事故から学ぼうとした備忘録です。


3、三大政策の1つ、「情報を隠すこと」の核心が、子どもの被ばく情報だった

事故から4ヶ月経った、1986年8月25日から5日間、ウィーンで、チェルノブイリ事故をめぐる、IAEAの国際検討会議が開かれ、ソ連も参加しました。
というのは、ソ連と欧米の西側諸国とは、チェルノブイリ事故により、放射能汚染が世界中に広がり、
そのため、各国で、原子力エネルギーに対する市民の反感が強まってくることを、非常に警戒し、
それに対抗することで利害が一致し、共同歩調を取ることにしたのです。
ちょうど、戦国時代に、諸国の大名同士が、各地の民衆による市民革命(一向一揆)に対抗するために、支配者同士の連携・共同歩調を取るようなものです。

七沢さんの「原発事故を問う」によれば、この国際会議に提出する、ソ連の報告書作成にあたって、2つの重要な情報が削られました。
ひとつは、事故の原因である、制御棒の構造上の問題について。
もうひとつは、事故による被害のうち、子どもたちの被ばくに関するデータ
です(136頁末行~)。
この2つが、事故の原因と結果についての、最も重要な情報だったからです。
なぜなら、それらは、もし真実を明らかにされれば、他への影響が甚大であり、「事故を小さく見せる」ために必要不可欠の、核心的な情報だったからです。
「子どもたちの被ばく」を隠すことが、事故対策の最重要課題であること、
この訓えが福島でも反復されたことは、ミスター100ミリシーベルトたちの大活躍ぶりで、お馴染みの通りです。


4、三大政策の1つ「様々な基準値を上げること」の動機は、子どもの疎開を阻止するためだった

七沢さんの「原発事故を問う」によれば、事故から3週間も経たない1986年5月14日、ソ連保健省は、被ばく線量の基準を、いきなり引き上げました。

(1)、一般人につき、年間0.5レム(=5ミリシーベルト)を100倍引き上げ、50レム(=500ミリシーベルト)
(2)、14歳以下の子どもと妊産婦につき年間10レム(=100ミリシーベルト)

それは、ウクライナ共和国政府が、ソ連政府に意向を無視して、5月9日、キエフの子どもと、母親52万人余りの学童疎開を決定したからで、
これに対する、一種の報復措置として、学童疎開が始まる前日に、ソ連保健省はウクライナ政府宛てに、次の通り、
被ばく線量の基準値の100倍アップの、「きわめつけの通達」を送りつけた
のです。

ソ連保健省は、住民の放射線許容線量について、次のような新しい基準を採用した。
14歳以下の子どもと妊産婦の場合、年間10レム、一般人の場合は、50レムまで許される。
それ以下の場合、住民の疎開など、特別の措置は取らない。
(71頁終わりから3行目)

事実、この恫喝のような通知のあと、ウクライナ共和国でも、ウクライナ以外の地域でも、
キエフの真似をして、子どもたちの集団疎開が実施された話は、聞いたことがありません。
キエフに続く「子どもたちの集団疎開を阻止する」という、ソ連政府の基準値引き上げの目的は達成されたのです。
この訓えが、福島でも反復されたことは、学童疎開の動きが起きる前に先制攻撃として、
昨年4月19日、文科省から、基準値の20倍アップの通知が出された通りです。


5、なぜキエフで、子どもたちの集団疎開が実現したにもかかわらず、日本では実現しないのか

キエフの52万人余りの子どもと、母親の学童疎開が実現したことを知ったとき、
なぜ、人権もろくに保障されない全体主義国家の、しかも崩壊直前のソ連で実現できて、日本で実現できないのか、不思議でなりませんでした。
ウクライナ政府には、よっぽど勇気と覇気があったのに対し、日本政府や福島県関係者は、腑抜けだからできないのか。
しかし、七沢さんの「原発事故を問う」を読むと、ソ連も日本もたいして変わらないことが分かります。
もしキエフが、福島市や郡山市だったら、ソ連でも学童疎開は実現しなかったにちがいない。
或いは、もしチェルノブイリから120キロ離れたキエフが、福島第一原発から220キロ離れた東京のような場所にあったら、やはり学童疎開は実現しなかったにちがいない。
なぜなら、キエフは、福島市や郡山市などとはちがって、特別な場所だからです。
これについて、事故直後、モスクワからキエフに呼ばれた、放射線医学の権威であるレオニード・イリイン博士が、次のように証言しています。

私は、ウクライナの首脳と話していて、彼らがキエフのことばかり心配していることが気にかかりました。
キエフよりも、その周辺の農村地域の汚染が、よっぽどひどかったですから、そちらのの住民保護を、まず考えなくてはいけないのに、と思いました。
(68頁4行目)

しかし、キエフ以外の街では、集団疎開は、その後一度も実施されなかった。
その理由は、首都キエフには、ウクライナの政財界の子弟たちが、多数住んでいたからで、
ウクライナの首脳たちにとっては、彼等のことが心配でたまらず、その救済が最優先課題だったからです。
そして、それさえ果せば、それ以外の人たちのことは、はっきり言ってどうでもよかったのです。

状況は、日本も変わりません。
福島市や郡山市と福島第一原発の距離は、千代田区から成田や三浦半島になります。
もし、成田や三浦半島のような場所で、福島原発事故が発生したら、首都東京でも、とっくに子どもたちの集団疎開が実現したでしょう。
東京には、皇室をはじめとして、政財界の子弟たちが多数住んでいます。
日本の首脳は、彼等のことばかり心配し、その救済が最優先課題だからです。
しかし、福島市や郡山市には、政財界の子弟たちは殆んどいません。
だから、首長の子弟たちが自己責任で避難して、それで一件落着としたのです。


6、認識をまちがえた善意の献身が、最悪の事態をもたらす――事故直後の犠牲者の殆んどが、事故の認識をまちがえた善意の献身者たちで、落命は避けられた人災だった

原発事故が最も恐ろしいのは、事故の「現実が見えない」ことです。
私たちは、ふだん、何気なく「現実を見ている」積りになっていますが、
それはあくまでも、自分でかけていることさえ意識しない「色メガネ」を通して、現実を自分流に理解しているだけのことです。
しかし、私たちの「色メガネ」では、放射能をとらえることはできません。
その意味で、「放射能は見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒です」(アーネスト・スターングラス博士の青森市講演(2006年3月))。
にもかかわらず、放射能事故の「現実が見える」と思った人たちは、そのために命を落としたのです。

この「現実が見えない」ことを、七沢潔さんのインタビューを受けた、チェルノブイリ原発の事故当時の運転員ポリス・ストリャルチュウクは、次のように語りました。

できれば思い出したくない記憶です。
それは、全くひどい夢を見ているようでした。
目の前で起こっていることが、現実の出来事とは信じられなかったのです。
(19頁8行目)

彼が、「ひどい夢を見ているよう」だったと語り、「目の前で起こっていることが、現実の出来事とは信じられなかった」と語るのは、
一見、普通の火災事故のように見えた、「目の前の出来事」に立ち会った人たちがその後、バタバタと命を落としていったからです。
彼らはなぜ、死ななければならなかったのか。
その死は避けられなかったのか。
もしそうなら、これを、前代未聞の悪夢と呼ぶのは無理もありません。

しかし、彼等の殆んどが、落命しなくてもよかった。
彼らが命を落としたのは、ひとえに、放射能事故の認識をまちがえたためであることが、
七沢さんの、「原発事故を問う」に明らかにされています。
 
事故当日、チェルノブイリ原発4号炉は、まもなく定期点検修理のために停止されるところで、
その際、タービン発電機の改良の成果を、確認するための実験が、行われる予定でした。
以下は、このとき制御室にいた、17名の職員です(副技師長ジャトロフが描いたスケッチ。「原発事故を問う」第1章扉図より)。



制御室の最前列の中央には、ユニット主任運転員(任務は冷却水・その循環ポンプの操作)のポリス・ストリャルチュウク、
その左手には、原子炉主任運転員(任務は原子炉の反応と出力の操作)のレオニード・トプトゥーノフ、
右手には、タービン主任運転員(任務はタービンの操作)のイーゴリ・キルシンバウム、
これらの後列の中央には、4号炉原子炉ユニットシフト長のアレクランドル・アキーモフが座り、
後部右手の配電盤の前には、チェルノブイリ原発の副技師長のアナトリー・ジャトロフが、実験の推移を見守った。
このとき、ユニット主任運転員のストリャルチュウクと、タービン主任運転員のキルシンバウムは、28歳、
原子炉主任運転員トプトゥーノフは、24歳。
真夜中の午前1時23分4秒、実験開始。
実験の目的は、地震などで、外部からの電源が遮断され、電源喪失した時、
タービンの慣性だけで発電し、給水ポンプを動かして、原子炉を守ることができるかどうかを確認するための、電源テスト--まさに、東日本大震災のような、大地震に備えての対策でした。
36秒後の午前1時23分40秒、実験終了。
予定通り、制御棒を一斉に挿入する、緊急停止ボタン(AZ-5ボタン)が押された。
ほどなく、原子炉は、無事に停止する筈でした。
しかし、ここから原子炉の暴走が始まりました。
ストリャルチュウクの証言は、以下の通りです。

停止スイッチが回されて、1~2秒たってからでした。
突然、大きな衝撃音が聞こえました。
はっと思いましたが、制御盤の前にいるほかの人が、驚いた顔をしているのに気がつき、
「きっと発電機の音だよ。こういうフラットな衝撃は心配ない」と声を出しました。
(21頁12行目)

しかし、現実は、彼の見通しを裏切りました。

けれども、嫌な予感がして、部屋から逃げ出そうと歩き出しました。
その時に2回目の、今度は、非常に大きな力を持った爆発が起こりました。
天井や壁が剥げて、かけらが落ち、部屋中、ほこりで霧がかかったようになりました。
(21頁14行目)

けれども、途方に暮れたのは、若い運転員たちだけではなかった。
かつて、原子力潜水艦の原子炉の技術者として、何度も事故に立ち会った、ベテラン技術者の副技師長ジャトロフもまた、このとき、「キツネにつつまれたような時間が続いたという」。(22頁10行目)

ジャトロフの証言。

私は最初、発電機のところで何か起こったのではないかと、あるいは、制御保護系のタンクが爆発したのでは、と思いました。
そしてしばらくして、原子炉の制御状況を示す表示器を見て、目が丸くなるほど驚きました。
制御棒は、炉の半分まで降り、まんなかで止まったままで、核分裂の反応性は上がっていたからです。
私は、すぐうしろで見学していた2人の見習作業員に、原子炉の真上の中央ホールに行き、
そこにいる作業員に、手動で、制御棒を原子炉に入れることを、伝えるよう指示しました。
(22頁11行目)

しかし、ジャトロフはこの指示のあと、自分の認識が間違っていたことに気がつきます。
制御棒が、サーボモーターにつながったまま動かないのであれば、手動でも動かない、と。
2人の見習作業員を呼び返そうとしましたが、2人の姿はありませんでした。
この2人は、原子炉の破壊された中央ホール(以下の図参照)に入り、「放射線に身を貫かれて、後日死亡」しました。



しかし、ジャトロフ(のみならずスタッフ全員)はこのあと、またしても、認識の間違いをおかします。
原子炉そのもの(炉心)が破壊されているとは、夢にも思わなかったからです。

タービン主任運転員キルシンバウムの証言。

こんなこと(原子炉そのものの破壊)は、教科書にも運転マニュアルにも、どこにも書いてなかったのです。
だからそれまでは、原子炉が崩れるなんてことはありえない、としか思っていなかったのです。
(26頁14行目)

その結果、最優先の対策を、次のように考えてしまいました。
冷却水が流失した以上、炉心に注水しなければ、メルトダウン(炉心溶融)という大事故につながってしまう。
それだけは避けなければならない、と。
そこで、非常用ポンプのスイッチを入れ、炉心を水で満たそうとしましたが、 非常用ポンプは1台も作動しません。
そこで、ポンプが動かない原因を調べるため、2人の作業員を、タービン室へ派遣、
さらに2人を、非常用冷却装置のバルブを手動で開けるため、中央ホール付近に送り込みました。
しかし、水を供給して守るべき炉心は、爆発により粉々に吹き飛び、もはや存在していなかったのです。

にもかかわらず、認識をあやまったシフト長のアキーモフ、原子炉主任運転員トプトゥーノフは、
当日の朝5時の、シフト交代後も4号炉に残り、作業員として、原子炉に注水するために、冷却装置のバルブを開けに出かけ、大量に被ばくし、
24歳の若者のトプトゥーノフは、「髪の毛は抜け、放射能汚染水につかった足からは、骨が見えるまで皮と肉がはがれ落ちる」(112頁)ほどでしたが、
2週間後、KGBや検察スタッフから、チェルノブイリ事故を引き起こした主犯格級の人物として、情け容赦ない尋問の中、あいついで亡くなりました。

中央ホールの周辺では、煙が充満し、火災が始まり、にもかかわらず、防毒マスクはなく、備え付けの放射線測定器は振り切れて、測定不能の状態でした。
放射線測定の担当者は、このときの最大値を、毎時3.6レントゲン(1R=8.7mGy,1Gy=1 Svとすれば毎時約31mSv)と推計しましたが、
しかし現実には、その1万倍近い毎時3万レントゲン(毎時約260シーベルト。そこに数分滞在すれば必ず死に至る)の放射線量でした。
シフト長のアキーモフ、原子炉主任運転員トプトゥーノフが、落命したのは当然でした。
のみならず、この放射線の犠牲となったのが、事故後30分後に駆けつけ、防護服もないまま、朝方まで消火活動に励んだ消防隊員でした。

こうした、原子炉の爆発事故の直後に命を落とした人たちの殆どは、
炉心が吹き飛び、大量の放射性物質が放出された事故の現状を、正しく認識できなかったために、
なおかつ、事故を最小限に食い止めるために身を投げ出すという、高い倫理的責任感を貫いために招いた人災です。
もし彼らが、事故の現状を正しく認識できていれば、命を落とすまでのことはなかった。

ただし、チェルノブイリ原発の事故の現状を、正しく認識できなかったのは、副技師長ジャトロフたちの落ち度ではありません。
チェルノブイリ原発を管轄する省庁(電化電力省)が、ソ連の原発を管轄する、もう1つの奇々怪々の省庁(中規模機械製作省)から、
1975年に発生し、最近まで隠蔽されていた、レニングラード原発事故から学んだ教訓(原子炉の構造上の欠陥)を知らされていなかったからです(その詳細は「原発事故を問う」100~107頁)。

その上、「ウソをウソで塗り固める」という言葉の通り、事故発生の責任は、「運転員による規則違反の数々のたぐいまれな組み合わせ」(1986年8月IAEAに提出されたソ連政府の事故報告書)とされ、
すべて、原子炉主任運転員トプトゥーノフをはじめとする、運転員らの運転のせいにされました。
しかし、真実は
「実験が終わるまでは何も起こらなかった。AZ-5(緊急停止ボタン)を回してから出力が上がり爆発した」(シフト長アキーモフ。113頁14行目)
「AZ-5ボタンを押すまで何も異常を示すものはなく、平穏そのものであった。
出力増などの警報が出たのは、ボタンを押して3秒後のことである」
(副技師長ジャトロフ)

ソ連報告書指摘の、運転員の規則違反の1つ目、「制御棒が『反応度操作余裕』が基準値以下で運転」に対しては、
「 反応度操作余裕が低下していたことも、それでもって、運転員が非難され理由にならない。
なぜなら、それを直接示す計器はなかったから」
(副技師長ジャトロフ)

ソ連報告書指摘の、運転員の規則違反の2つ目、「予定以下の低出力で実験(電源テスト)をおこなった」に対しては、
「低出力での運転は禁止されていたというが、その規則は、事故後に作られたものである」(副技師長ジャトロフ)

なおかつ、運転員は、事故発生に関する肝心な情報を、前もって何ひとつ知らされなかったのです。
事故の責任を問われた副技師長ジャトロフは、自分たちが置かれた状態をこう表現しました。

火薬庫の上に、知らずに寝泊りすることにひとしい。(107頁)

原子炉の、構造上の欠陥を隠し通そうとしたことが、ソ連国家の、構造上の欠陥そのものでした。
それは、チェルノブイリ事故を発生させ、途方もない惨禍を人々にもたらし、それから5年後、ソ連崩壊・解体を発生させました。
チェルノブイリ事故から、学び尽くした日本政府も、当然そのことを熟知しています。


7、「最も悪いのは、放射能を怖がる精神的ストレス」論の起源は、ベトナム・シンドローム

(1)、国際連帯の茶番劇【第1幕】(1986年8月ウィーン)

1986年8月、事故後4ヶ月足らずのウィーンで、チェルノブイリ事故をめぐる、IAEAの国際検討会議が開かれ、ソ連も参加しました。
これは、ソ連と欧米の西側諸国が、チェルノブイリ事故により、放射能汚染が世界中に広がり、
各国で、原子力エネルギーに対する、市民の反感が強まってくることを警戒し、それに対抗することで利害が一致し、
「原子力推進体制を守る」という、共通の利益のために、共同歩調を取ったもので、国際連帯の茶番劇【第1幕】でした。
なぜなら、報告に立ったソ連代表団長レガソフ(事故から2年目の1988年4月26日自殺)は、
事故の原因である、原子炉の制御棒の構造上の問題と、事故の最大の被害者である「子どもたちの被ばくデータ」を隠蔽した上で(136頁末行~)、
事故の原因は36秒もかかった実験だとし、

運転員たちは、早く実験を完了させることを焦るあまり、実験の準備、実行にあたって指示に従わず、
実験計画書そのものを無視し、原子炉を取り扱う、細心の注意を払わなかった。
(129頁13行目)

などという、「運転員たちが犯した、危険極まりない規則違反」であると指摘し、
他方、事故による被害については、子どもたちの被ばくデータを隠した上で,

一連の対策によって、住民の被ばく線量を、許容限度内におさめることが可能になった。(130頁1行目)

と、政府の緊急対応の成果を、自慢気に披露したのに対し、
IAEAの西側諸国は、このウソ八百のレガソフの、率直な報告を好意的に受け入れ、ソ連事故報告書を、全面的に了承したからです。
副技師長ジャトロフは、こう証言しました。

事故の原因は、原子炉の構造的な欠陥であり、その責任は、それを知りながら対策を講じなかった人々にある。
1986年のソ連報告書は、偽りだらけであり、そうした報告をなぜ、IAEAが鵜呑みにできたのか理解できない。



(2)、国際連帯の茶番劇【第2幕】(1991年5月ウィーン)

今年3月来日した、ベラルーシの研究者M.V.マリコ氏は、郡山市での講演のあと、次のような話をしてくれました。

自分たちは、チュルノブイリ事故による放射能汚染地図を作成したのに、
当時その地図を知っているのは、(政府高官以外は)わずかに、自分たちの研究所のスタッフ数人だけでした。


しかし、3年後の1989年春、この汚染地図が、初めて新聞紙上に公表され、大きな反響を呼びます。
例えば、それまで、原発から150キロ以上離れたゴメリ州(当時、白ロシア共和国。現在のベラルーシ)に住む人々は、
ゴメリ州に、原発周辺に匹敵する汚染地域が、存在することを知ったからです(今中哲二さんの解説を参照)。
その頃には、これまで全世界に隠していた「子どもたちの被ばくデータ」について、
子どもたちの間に、甲状腺障害など、現実の健康被害があらわれ始めていました。

しかし、ソ連政府は、
「生涯70年間で、35レム(350mSv)までの被ばくは許容される」「汚染地域の住民は避難しなくても十分安全である」という、
イリイン・ソ連医学アカデミー副総裁の見解に基づいて、何も手を打とうとしませんでした。

その結果、住民の、ソ連政府、ソ連の放射能専門家に対する不信は、手がつけられないほどに加速しました。
困り果てたソ連政府が、そこで思いついた打開策は、事故直後に大成功を収めた、IAEAとの国際連帯の茶番劇の再演でした。
ソ連市民が、自国の専門家はもう信用できないと言うのであれば、最後の切り札として、国際的な権威に登場してもらい、ソ連市民を黙らせる、というやり方でした。
1990年、ソ連政府の要請を受けたIAEAが、白羽の矢を立てたのが、核戦争遂行のための研究機関『ABCC』の日本側代表、
ABCCを引き継いだ、放影研の元理事長を歴任し、秘蔵っ子ミスター100ミリシーベルトを育て、今年2月に亡くなった重松逸造氏です。

重松氏を委員長とした国際諮問委員会のもとに、各国から200人の専門家を集め、国際チェルノブイリプロジェクトを開始し、
1991年5月、ウィーンで、プロジェクトの報告会が開かれました。
その結論は、次のようなものでした。

汚染地帯の住民のあいだに、チェルノブイリ事故による、放射線による影響は認められない。
ソ連政府の出したデータは、おおむね正しく、とられてきた汚染対策も妥当である。
むしろ、「放射能恐怖症」による、精神的ストレスの方が問題である。
ソ連政府が取る、「1平方km当り40キュリー以上の汚染地帯」という避難基準ですら、厳しすぎる。
(238頁末行)

この2度目の茶番は、公正なる調査結果を期待した、チェルノブイリ地元市民と地元政府の、失望と不信を買うという成果しかあげることができず、
国際的な権威でソ連市民を黙らせようという、当初の思惑は崩れ、事態は、正反対の方向に進んでいきました。
ソ連最高会議は、とうとう、それまでの1平行km当り40キュリー以上という避難基準を、15キュリー以上と改め、
15キュリー以上の汚染地域住民、約27万人全員の、避難を決議したのです。

七沢氏のコメント。
政府は、それまで必死に避けようとしていた、大量の住民避難にかかる高額な財政支出を、この時ついに、負担することになった。(239頁9行目)

しかし、瀕死のソ連はその夏、アル中の党官僚たちによるクーデターと、その失敗を経て、
12月、住民避難の決議を実行しないまま、崩壊・解体します。


(3)、「放射能恐怖症」による、精神的ストレスの起源
原発事故後の健康被害の原因として、放射能よりも、「『放射能恐怖症』による精神的ストレス」の影響のほうが大きい、という議論があります。
思わず、「いまどき、何バカなことを言っているのか」と笑って済ませたくなるのですが、そうはいきません。
なぜなら、これは、疎開裁判で、チェルノブイリ事故との比較検討を、最重要な論点として主張している原告に対する、被告郡山市の、反論の柱の1つになっているからです(平成24年4月17日答弁書14頁(エ))。

そもそも、なぜ、こんな精神論が、今なお堂々と幅を利かせているのだろうか。
それは、現実に、チェルノブイリでも福島でも、うつ病などの、精神的被害の発生が深刻だからです。
しかし、その原因は、マスコミに登場する殆どの学者や政治家が、「直ちに影響はない」「逃げなくても心配ない」と安全を宣伝しながら、
他方で、自ら、または自分たちの家族を、チェルノブイリや福島に引越して、復興に取り組むような素振りは全く見せず、
その口先だけの偽善者ぶりに、誰のことも信用できなくなるという状況に、精神的にすっかり参ってしまうからです。

しかし、「『放射能恐怖症』による精神的ストレス」論を説く人たちは、
それは、御用学者や政治家が悪いのではなく、放射能を怖がる皆さんひとりひとりの、心の持ち方が悪いのだと説きます。
そこから導かれる解決策は、
「放射能を怖がる精神を、怖がらないように悔い改めること。
なぜなら、心の持ち方が健康被害の主要な原因であり、これさえ克服すれば健康被害はなくなる」、これに尽きます。

ところで、この精神論は、チェルノブイリが最初ではありません。
1960年代から、ベトナム戦争に対し、
「市民の中で、軍事力という暴力の行使を、否定する病的な拒絶反応」が生じたこと」を、ベトナム戦争後遺症(ベトナム・シンドローム)と名づけ、
国家の側では、この慢性病を追い払い、打ち負かすための、数々の努力が傾けられてきました。
「軍事行動の価値」を重視するという考え方を、市民の頭に叩き込む必要がありました。
さもないと、なぜ、世界のあちこちへ行っては、人を拷問し、殺害し、絨毯爆撃などをする必要があるのか、理解できなくなるからです。


8以下、未完成。

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日本の被ばくの苦しみを、何度、研究室の電卓やパソコンで弄ばれたら気がつくのか?

2012年08月14日 | 日本とわたし
ぺんぎんさんとおっしゃる方のブログ『ぺんぎんの台所から』から、記事を紹介させていただきます。

その1【8.6ヒロシマー広島・平和の夕べー 近藤紘子さんとABCC】 8月13日

本当に盛りだくさんのイベントだった。
小出さんのお話の後に、ドイツ『緑の党』の方がスピーチをされた。
「ドイツも日本と同じように、原子力ムラが、メディアや経済、政治を牛耳っていたけれど、
市民の力でそれを変えることができたのだから、日本だってきっと出来る!」という力強いお話しだったが……、
そんな風に言われて、明日にでも世の中が変わる!なんて思えない。
ドイツは原爆落とされなかったじゃないさ、と、ちょっと冷めた頭で聞いていた。

ドイツ人のゴツいオバちゃんの後に演台に立ったのは、最前列のわたしからは、演台の影に隠れて顔が半分くらいしか見えない、小柄な女性だった。
わたしは正直、被爆者の体験談なんかあまり聞きたくない。
戦争はいけない、核兵器はけしからん、というのは当たり前のことだもの。

まるで、落合恵子さんのような語り口。
この方は、生後8ヶ月で被爆なさったのだから、原爆の日の話はされない。
子供の時に、髪を梳いてくれて、優しくしてくれたお姉さん(自宅の教会に出入りしていた被爆者)たちの畏敬、原爆を落としたパイロットへの恨み。

わたしは、被爆者にABCC(現放射線影響研究所)が何をしたのかということを、
小出さんの講演では、「治療は一切せずに調査だけした」と語られ、
肥田瞬太郎さんの映画『核の傷』で語られ、
福島菊次郎さんの写真、『郷地秀夫さんのお話』では、被爆死した者の80%を解剖して、サンプルを取ったという話を聞き知っているだけで、
実際に、ABCCでの検査に通っていた、という話を聞いたのは初めてだった。

近藤さんは、あの日のことを忘れようとしていた。
ABCCからは、毎年呼び出しがある。
特に、子供のデータが欲しかったらしい。
ABCCに行くと、着ているものを全部脱いで、ふんどしのような下着に、木綿のガウンのようなものに着替えさせられる。
名前を呼ばれて、元気良く返事をすると、「こっちへ来い」と呼ばれる。
そこは、講堂のような大きな部屋で、人がたくさん集まっているのは分かる。
だが、ステージの上にいる近藤さんには、強いライトに照らされていて、観客の様子はわからない。
が、各国の言葉が聞こえるので、世界中の“お医者様”が集まっておられるのだろう、と思った。
舞台の真ん中に立って、服を脱げと命令される。
彼女の後ろには、10センチ方眼のボードがあり、その前に立たされる。
膨らみかけた胸を隠すことも出来ず、涙を落とす。

「あの日、広島にいただけなのに、どうしてわたしは、こんな目にあわなければいけないの?」

それほど長い時間じゃなかったかもしれない、とおっしゃる。
だけど、この経験から、彼女は広島を逃げ出すことになる。
高校は東京に、大学はアメリカに。

彼女のデータは、30センチほどの厚さがあったらしい。
チェルノブイリ事故の後に、そのデータが、かの地で治療に活かされた、と語っておられた。

ICRP(国際放射線防護委員会)は、原発推進側が作った組織だと言われているが、日本政府も、ICRPの勧告に従って、一般公衆の被爆限度は年間1ミリシーベルト、と決めている(た?)。
緩いと言われるICRPの基準は、どこから得られたデータかというと、
ABCCが、広島や長崎の被爆者を、一切の治療もせずに毎年呼び出して、放射線を当てたり、何だりと検査だけし、
被爆死した人の80%を、解剖して得られたデータだ。

だって他に、こんなに分かり易く放射線に当たった人が、大量にいるところなんかないんだもの。
世界で初めて落ちたウラニウム型の原爆は、広島で、世界で一番最初に落ちたプルトニウム型の原爆が、長崎なんだから。

こんな風に、少女の心に深い傷を残し、死者を冒涜して得られたデータ、一般公衆の被爆限度量というのは、
なんとしても死守しなければいけないんじゃないか?
福島で、「子供も含めて20ミリまで何の問題もないですよ」と言いながら、癌の病院を建てるだのなんだの、オカシな話じゃないか?
広島のABCCに、モルモットにされた人たちは、どうして声をあげなかったんだろう?

チェルノブイリの時に、本当に、近藤さんの資料は活かされたんだろうか?と、疑問に思う。
だって、チェルノブイリに、国連の代表として、重松だかなんだかという人が広島から出掛けて行って、
「放射線の影響はみられない」とかなんとか、報告したというではないか。(注1)
実際に調べて、問題提起をしているのは、市民グループだったんじゃなかろうか?

福島の20ミリというのは、除染したとしても、これ以上下げるのは無理だから、20にしておこう、ということらしいと何かで読んだ。
田中俊一の発言かなにかだったと思う。
正直でよろしい。
だけど、20ミリというのは、放射線業務従事者の限度量だろう。
子供はそもそも、無理じゃないか。(注2)

1年間1ミリシーベルトを守れ!と言われると、政府は困るらしい。(注3)
なぜなら、大量に移住させなければいけないから。
ならば、移住させればいいじゃないか、補償すればいいじゃないか。
東日本を諦めるのが嫌なのと、人を再びモルモットにするのとは、話が違うと思う。
考えてみてほしい。
一般公衆の被爆限度量、年間1ミリシーベルトという数字が、どうやって得られたものか。
広島と長崎の、たくさんの被爆者の苦しみ、悲しみ、恥辱という、犠牲の上に得られたもので、
研究室の電卓で、はじき出されたものじゃないってこと。

近藤さん、貴重なお話、ありがとうございました。



以下(↓)のふたつの記事は、以上(↑)の記事の中に書かれている『核の傷』『郷地秀夫さんのお話』です。
『核の傷』 5月21日

夫が、今日しか時間がないというので、『核の傷』という映画を観に行ってきた。

肥田先生の講演はustで見てるし、岩上安身さんのインタビューも2本聞いているし、ご著書も読んでいるので、大体の話は知っていると思っていた。

大きく違うのは、ABCCが、広島長崎の人たちに何をやったか、記録映像付きで説明される。
この監督は、フランス人なのだけど、よくこれだけの映像を探してきたものだ。
被爆後の、ガレキの広島市。
ガレキの中から、金目のものを探して拾う原爆浮浪児。
バケツに入れられた、胎児のホルマリン漬け。
被爆者の身体から取り出された、ホルマリン漬けの瓶。
一切の治療をせずに、経過だけ調べて、死者の遺体は切り刻み、全て標本にし、
はじめのうちは、遺体の腹の中にワラクズなどを詰めて、遺族に返していたけれど、それもだんだんと返さなくなり、焼いたんだか埋めたんだか。
ABCC研究が、被曝治療の、いったい何に活かされたのか?
権威に騙されちゃいけない。

映画の後に、アップリンク製作の、肥田さんの講演のオマケがついている。
被曝はもう、仕方がない。
身体に入った放射能は、取り出すことは不可能だから、病気が出ないように気をつけなければいけない、とおっしゃる。
その過程で出て来る“ブラブラ病”は仕方がないと。

で、病気にならない生き方というのは、
・早寝早起き
・三食決まった時間に腹八分目に食べる
・30回噛む
・朝ちゃんとトイレに行く(トイレに座ると、スポンと出るような人は、ちゃんとした生活をしていることになる)
・身体を動かす

つまり、普通の健康法だ。
福島事故がなくても、大気中核実験やらチェルノブイリやらで、核の傷から逃れられる人はいない。

放射能は、身体を老化させるのだという。
肥田さんも、40歳になる前に腰痛になって、「ああ、放射能の影響が出てきた」と思ったらしい。
骨が老化すると、腰や膝が痛くなるという。

老化なら、ナチュラルハイジーンにはお馴染みの相手だ。
放射能だと考えずに、ナチュラルハイジーンと適度な体操をセットでやって、気をつけてわざわざ汚染されたものを食べなければ、かなり防ぐことができるのだと思った。

わたしは、癌で死ぬのはまあ、仕方がないように思っている。
癌は、脳梗塞のように、生きたまま思考や身体の自由を奪わないで、期限付きの自由を与えてくれる病気なので、優しい病気だと思う。

それでも、肥田さんは、ご自分の患者を、癌死から守っている。
きちんと生活しなさい、という指導をして、患者さんを守っておられる。

きちんと生きればいいということだ、と、この映画は、肥田さんは、教えてくれる。

それにしても、原爆被爆者がどんな目にあってきたのか……知らなければ、また同じ目に合います。
機会があれば、是非ご覧になってください。

映画『核の傷』





『放射能汚染と医療』@神戸 5月13日 郷地秀夫さん編

神戸でのフォーラムの続きです。

小出さんの発表に続いて、広島出身で、長年兵庫県で、広島・長崎の、原爆被爆者の治療に当たっておられる、郷地さんのお話です。

兵庫県には、約4700人の、原爆被爆者がお住まいなのだそうです。
ICRPの、放射線被曝の基準はすべて、広島・長崎の、原爆被爆者のデーターから作られているのだそうです。
つまり、平たく言えば、広島と長崎の人の、人柱の上に、今の一般人年間1ミリシーベルト、
放射線業務従事者年間20ミリシーベルト、という基準が決められたってことですね。

そうやって考えたら、1ミリシーベルトの基準は、どんなことがあっても、死守しなければいけないラインのように思えてきますが、
とんでもない事態になっている、ということです。

そういえば、広島でも、
「10ミリくらいはいいんだ。少々浴びた方が健康にいい」などと、放射能の研究者などが口走っているというウワサを耳にしますが、
よくそんなことが言えるものです。

話がそれてしまいました。




郷地先生は、「小出さんの話とは違う」と、最初におっしゃいます。
小出さんは、原子炉から、被曝の問題を見ている。
郷地先生は、原爆被爆の立場から、今回の原発事故を見ているので、ちょっと見方が違うとおっしゃっていた。
なるほど。

さて、ICRPが論拠としている、広島長崎の被爆者のデータが、どうやって集められたか、
それは先日記事にした、『核の傷』でも詳しく語られるけれど、郷地先生は、すごいデータを教えて下さった。

ABCCは、被爆者の遺体を集めて解剖していたのだけれど、その割合がすごい。

「家で死んだものの80%、病院死の100%を解剖した」

つまり、解剖されずに済んだのは、たったの20%だったってことだ。
家族は喜んで、「研究のため」と、ABCCに遺体を渡したのだろうか?
そんなことはない。
あるものは、葬儀の費用にも事欠いていただろうし、あるものは脅されて、遺体を差し出したのだろう。
わたしは広島に住んでいるけれど、こんな話はだれからも聞いたことがない。
わずかに、映画や、菊次郎さんの著作から、窺い知るだけである。


写らなかった戦後 ヒロシマの嘘 写らなかった戦後 ヒロシマの嘘
(2003/07)
福島 菊次郎


さて、郷地先生の話は、内部被曝と外部被曝の違いなどについて語られるけれども、
この講演の数日前に、新しい研究成果が発表されて、それについての話が主なものとなった。

それは、米国放射線影響学会の公式月刊学術誌 Radiation Research誌の第14報、ex-skfさんのサイトで要約されています。

放射線の癌死への影響に、しきい値はないんじゃないかな?
でも、よくわかんないけど、直線グラフを書けなくもないんだよね。という曖昧な感じだったのが、
やっぱり直線グラフになったから、しきい値はないってことですよ、ということが、発表された報告だったのです。
だから、郷地先生は、大変ホットに、この問題について語って下さいました。

そして、被曝による癌の影響ですが、長い長い時間がかかります。
今、被爆後67年ですが、癌死は、これから本格的に増えて行くのだといいます。
うーん……、ということは、今67歳の人は、乳児の時に被曝してるわけで、それより若い人は、胎児の被曝か、被曝2世になるわけで、
67歳以上の人も、これから癌で死んでゆくのだろうけれど、それは被ばくと関係があるかどうかよくわからないけれど、
被ばくしてない人に比べたら、優位に癌死が多い、ということになるんだろう。
でも、広島・長崎の人でなくても、癌になるのは予定してるんじゃなかろうか?
それは、原発事故もあるし、大気中核実験もあるし、原発の運転もあるので、だれしもが核の傷を受けているわけだから。
それでも尚、癌死が多いとすれば、やはり大変なことなのだと思う。

そういう郷地先生は、「福島は福島!他とは比較できない」と強くおっしゃる。
広島はピカーっときたけれど、絶対量も少なかったし、キノコ雲で成層圏に吹き上げられたものが多かった。
チェルノブイリとも違う。(格納容器がなかったからか?)
東海村の臨界事故ともちがう

これから何が起こるのか、全力で見守って行かねばならない、と。

なんかお話しが大変に内容が濃く、また重かったので、上手にまとめられませんでした。

以上、転載終わり。

以下↓の(注)は、わたしが個人的に付け加えました。

*注1
1991年5月:国際チェルノブイリプロジェクト報告会
放射能汚染対策を求める運動に、手を焼いたソ連政府が、IAEAに対し、「調査と勧告」を求めた。
重松逸造委員長のもと、国際チェルノブイリプロジェクトが、1年間の調査を行い、「汚染に伴う健康影響は認められない」とされた。
ベラルーシやウクライナの、専門家の抗議は、無視された。

*注2
東京大学アイソトープ総合センター長の児玉龍彦教授は、すでに、2010年に刊行された、金子勝氏との共著(『新興衰退国ニッポン』講談社、2010年)で、
他の国では、100万人の子供に1人しか発症しないはずの小児甲状腺ガンに、4000人以上の子供が次から次へと罹患しているにもかかわらず、
世界から集まった研究者は、「この地域での甲状腺ガンの発生と、チェルノブイリの事故の関係を示す証拠はない」としか議論ができなかった」(p.8)と述べていた。

*注3
首相官邸は『チェルノブイリ事故と福島原発事故の比較』を公表

1. 原発内で被ばくした方
*チェルノブイリでは、134名の急性放射線傷害が確認され、3週間以内に28名が亡くなっている。
 その後、現在までに、19名が亡くなっているが、放射線被ばくとの関係は認められない。
*福島では、原発作業者に、急性放射線傷害はゼロ、あるいは、足の皮膚障害が1名。

2. 事故後、清掃作業に従事した方
*チェルノブイリでは、24万人の被ばく線量は平均100ミリシーベルトで、健康に影響はなかった。
*福島では、この部分はまだ該当者なし。

3. 周辺住民
チェルノブイリでは、高線量汚染地の27万人は、50ミリシーベルト以上、
 低線量汚染地の500万人は、10~20ミリシーベルトの被ばく線量と計算されているが、健康には影響は認められない。
 例外は、小児の甲状腺がんで、汚染された牛乳を無制限に飲用した子供の中で、6000人が手術を受け、現在までに、15名が亡くなっている。
 福島の牛乳に関しては、暫定基準300(乳児は100)ベクレル/キログラムを守り、それを超える牛乳は流通していないので、問題ない

福島の周辺住民の現在の被ばく線量は、20ミリシーベルト以下になっているので、放射線の影響は起こらない。

一般論として、IAEAは、
「レベル7の放射能漏出があると、広範囲で確率的影響(発がん)のリスクが高まり、確定的影響(身体的障害)も起こり得る」としているが、
各論を具体的に検証してみると、上記の通りで、福島とチェルノブイリの差異は明らかである。
http://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka_g3.html
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goo ブログ事務局さまへ 大至急お願いします!

2012年08月13日 | ひとりごと
goo-blogの事務局さん、記事を書いても反映されません。
前回の記事は半分、後半部分が、どうしても載せられません。

それからテンプレートも変なままです。

直してくださ~い!!
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細野豪志のお詫びのお手紙は、がれき処理応援ボタンを押させる罠やった?

2012年08月13日 | 日本とわたし
これがお詫びの手紙。


ほんでもって、それをシラケた気分で読んでたら、こんなツィートが入ってきた。

細野の「お手紙」に罠か?
「ご意見ご要望をお寄せください」とあるが、



ソースコードは『みんなの力でがれき処理を応援いただける方は、下記の必須事項を記入して、応援します!ボタンを押してください』と記述。



その後、環境省がこっそり変更していたらしい……。

最低やな。
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「心を込めれば放射能が消えるのならどれほど良いことでしょう」by ex-skfさん

2012年08月13日 | 日本とわたし
ex-skfさんのブログより、ふたつの記事を紹介させていただきます。

【記録】放射線影響研究所論文 
『原爆被爆者の死亡率に関する研究、第14報、1950-2003、がんおよび非がん疾患の概要』-被曝リスクに閾(しきい)値はなかった


米国放射線影響学会の公式月刊学術誌『Radiation Research誌』に、今年の3月に掲載された、
放射線影響研究所の研究員による英語論文の日本語要旨が、放射線影響研究所のサイトに出ています。

今までも、閾(しきい)値はない、という仮定で、放射線防護は国際的になされてきましたが、
特に原子力推進の立場の研究者、専門家は現在でも、
「安全に偏りすぎている、実際は閾値はあり、それ以下では、有意な差は認められない」という立場を崩していません。
研究者、専門家によって、その閾値は20ミリシーベルトであったり、山下教授のように100ミリシーベルトであったり、200ミリシーベルトであったり、
高いところでは、オクスフォードのウェード・アリソン教授の年間1シーベルトでも安全、というのもあります。

しかし、今回の報告論文で、よりによって、悪名高きABCCの後身である放射線影響研究所が、
「総固形がん死亡の過剰相対リスクは、被曝放射線量に対して、全線量域で直線の線量反応関係を示し、
閾値は認められず、リスクが有意となる最低線量域は0-0.20Gy であった」、と発表。
つまり、閾値なし、ということが仮定ではなく、疫学上証明された
ことになります。
リスクが有意(statistically significant、統計上有意ということ)となる最低線量域は、ゼロから0.20グレイ、
シーベルトにすると、ゼロから200ミリシーベルト、ということになります。


放射線影響研究所論文日本語要旨:
Radiation Research* 掲載論文
「原爆被爆者の死亡率に関する研究、第14 報、1950-2003、がんおよび非がん疾患の概要」

【今回の調査で明らかになったこと】

1950年に追跡を開始した寿命調査(LSS)集団を、2003 年まで追跡して、死亡および死因に対する原爆放射線の影響を、DS02線量体系を用いて明らかにした。
総固形がん死亡の過剰相対リスクは、被曝放射線量に対して、全線量域で直線の線量反応関係を示し、閾値は認められず、
リスクが有意となる最低線量域は、0-0.20Gyであった。
30歳で1Gy被曝して、70歳になった時の総固形がん死亡リスクは、被曝していない場合に比べて42%増加し、
また、被爆時年齢が10歳若くなると、29%増加した。

がんの部位別には胃、肺、肝、結腸、乳房、胆嚢、食道、膀胱、卵巣で有意なリスクの増加が見られたが、直腸、膵、子宮、前立腺、腎(実質)では有意なリスク増加は見られなかった。がん以外の疾患では、循環器疾患、呼吸器疾患、消化器疾患でのリスクが増加したが、放射線との因果関係については更なる検討を要する。


【解説】

1) 本報告は、2003年のLSS第13報より、追跡期間が6年間延長された。
DS02に基づく個人線量を使用して、死因別の放射線リスクを総括的に解析した、初めての報告である。
解析対象としたのは、寿命調査集団約12万人のうち、直接被爆者で個人線量の推定されている86,611人である。
追跡期間中に50,620人(58%)が死亡し、そのうち総固形がん死亡は、10,929 人であった。

2) 30歳被曝、70歳時の過剰相対リスクは、0.42/Gy(95%信頼区間: 0.32,0.53)、過剰絶対リスクは、1万人年当たり26.4人/Gy であった。

*過剰相対リスクとは、相対リスク(被曝していない場合に比べて、被曝している場合のリスクが何倍になっているかを表す)から1を差し引いた数値に等しく、被曝による相対的なリスクの増加分を表す。
*過剰絶対リスクとは、ここでは、被曝した場合の死亡率から、被曝していない場合の死亡率を差し引いた数値で、被曝による絶対的なリスクの増加分を表す。

3) 放射線被曝に関連して増加したと思われるがんは、2Gy以上の被曝では、総固形がん死亡の約半数以上、0.5-1Gyでは約1/4、0.1-0.2Gyでは約1/20と推定された。

4) 過剰相対リスクに関する線量反応関係は、全線量域では直線であったが、2Gy未満に限ると、凹型の曲線が最もよく適合した。
これは、0.5Gy付近のリスク推定値が、直線モデルより低いためであった。

放射線影響研究所は、広島・長崎の原爆被爆者を、60年以上にわたり調査してきた。
その研究成果は、国連原子放射線影響科学委員会(UNSCEAR)の放射線リスク評価や、
国際放射線防護委員会(ICRP)の放射線防護基準に関する勧告の、主要な科学的根拠とされている。

Radiation Research誌は、米国放射線影響学会の公式月刊学術誌であり、
物理学、化学、生物学、および医学の領域における放射線影響、および関連する課題の原著、および総説を掲載している。(2010年のインパクト・ファクター:2.578)


なお、この件については、中部大学の武田教授が、ブログポストを書かれています。

私のブログにも、時折コメントをくださるめぐさんは、厚労省に電話をしたそうで、
その顛末をブログポストに書かれています。電話部分の追記を転載:

(追記5月1日20時)厚労省に電話した。
「放影研は、厚労省と外務省所管だが、今回の報告で、低線量被ばくでも、被ばく量に応じた発がんリスクなどの健康被害が生じたと、疫学的に証明された、と理解している。
これまで国は、ICRP準拠で、「疫学的証明はないものの、放射線防護上はあるものと仮定して、防護基準を定めている」と理解していた。
今回の報告は、これまでの国の立場を覆すものだが、厚労省として報道発表の予定はあるか。
事実関係の理解としては、今申し上げた内容で正しいか」聞いた。
担当官は「事実の認識としてそれでよい。放影研が発表しているので厚労省としては発表の予定はない」との回答であった。

さすが日本政府というか……。

以上転載終わり。
さて、↓これは、先日書いたモモに関連する記事です。8月4日に掲載されたものです。

今年の福島のモモの安全確認はどのように行われているのか?

事故からもうすぐ17ヶ月。
ここ3ヶ月ほど、特にこの1ヶ月は、関西電力の大飯原発の再稼動反対、
再稼動してしまってからも、再稼動反対の「シングル・イシュー」とかいうことで(英語で表記すると“Single issue”)、
東京の首相官邸近辺、関電の本社で、毎金曜日に行われているデモに焦点、関心が集まっているように見受けられます。
ここ数日のツイッターを駆け巡る「はやり(流行)」は、これに加えて、「カリフォルニアの漁業禁止」(デマです)、
「ロンドン五輪開会式で、日本選手団が退場させられた」という「ニュース」。

そんな中でも、フォローさせていただいている方々から流れてくるツイートを見るたび、
「シングル・イシュー」デモよりも、遠いカリフォルニアのマグロよりも、
こっちに関心を持ち続けることの方が肝心なのではないか、と思うことの多いトピックが、二つあります。
一つは、下火になったとはいえ、広域がれき処理、もう一つは、食品の放射能汚染。
このポストでは、後者について、今日目に留まったニュースを、ご紹介したいと思います。

なぜ目に留まったかといえば、ちょうど去年の8月、モモのシーズンに、福島県の中学生が、修学旅行先の横浜で、モモを配って、風評被害に抗議していたニュースを思い出したからです。

遠く(カリフォルニア)のマグロより近く(福島)のモモ、と言ってはなんですが、
英語で言えば“First things first”、何はさておき日本の食品が第一、ということで、まずは2012年8月4日のNHKニュースから:

福島の桃 安全を確認して出荷

福島特産の桃の出荷が3日から本格的に始まり、今年はすべての農家を対象に、放射性物質の検査を行い、安全を確認したうえで出荷しています。

桃の生産量が、全国の市町村で2番目に多い福島市にある選果場には、収穫されたばかりの桃が、次々と運び込まれています。

担当者は、桃を1つずつ手に取って、傷がないか確認したあと、専用の機械で糖度や熟し具合などを測って、丁寧に箱詰めしていきました。
福島市の農協によりますと、主力品種の「あかつき」は、春先の天候不順で小ぶりになったものの、味は濃く、甘みが強いということです。

また、今年は、放射性物質の測定器を46台用意して、すべての農家を対象に、桃を測定器にかけて、放射性物質の有無を検査しています。

2日までに、2000を超える検体を調べた結果、いずれも安全性に問題がないことが確認されたということです。

JA新ふくしまの斎藤隆営農部長は、「すべての農家のすべての品目を検査して、安全性が確認された桃だけが出荷されているので、安心して召し上がってください」と話していました。


すべての農家対象とは言っても、全量検査であるはずもなく、検体が2000ということは、サンプル調査なのでしょう。
NHKニュースには「安全性に問題がない」とありますが、
それは単に「セシウムがキロ100ベクレルを超えていない」という以外の意味はなく、実際にどのような数字が出ていたのか、全く分かりません。

そこで、直接の情報を探して、福島県のサイトを検索したら、出ていました。ここです↓
「ふくしまの恵み安全対策協議会 放射性物質検査情報」

サイトの情報によると、
検査期間 2012年06月20日~2012年08月02日
現在までの検体数  5,354点
NaIシンチレーションサーベイメータによる、協議会による簡易検査で、
検査の結果放射性セシウムが50ベクレル/kgを上回った場合は、福島県がゲルマニウム半導体検出器による検査を実施

福島県全域、全期間の検査結果:
セシウムキロ当たり25ベクレル以下:5297点(99%)
25ベクレル~50ベクレル:57点(1パーセント)
50ベクレル以上:なし


個別の市を見てみると、伊達市と桑折町で、25~50ベクレルが検出された割合が1パーセントを超えています。
伊達市は3パーセント(1532点中39点)、桑折町は2パーセント(730点中12点)です。

シンチの計測で、50ベクレルを超える検体がなかったため、ゲルマニウム半導体検出器の検査は行われていないものと思われます。

シンチでの測定時間が、どれくらいだったのかについて、「検査方法」のリンクをクリックしてPDFファイルを見てみましたが、一切情報はありません。
結構、ちいさな容器に詰めての検査のようです。


私は、この測定時間が気になります。
というのも、つくば市による測定で、NaIシンチを使った市の測定の時間が短かったために基準超えを検出しきれていなかった、という情報があったからです。
(茨城市民放射能測定プロジェクト;自家用大麦)

ともあれ、この自主検査のお墨付きですべて「安全」、出荷OKになって、全国に出荷されています。
「福島の生産者が、心を込めて育てた桃です」とのアピールは、去年と同じですね。

心を込めれば放射能が消えるのならどれほど良いことでしょう。


ちなみに、キロ当たり25ベクレルというのは、去年南カリフォルニア沖で捕獲されたクロマグロのキロ当たりセシウム量(10ベクレル)の2倍以上です。


”First things first”。
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野田総理、気は確かか?

2012年08月12日 | 日本とわたし
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こんなとんでもない悪人が知事やったやなんて、どんだけ不運やったん福島!

2012年08月12日 | 日本とわたし
「健康被害ない」と広報を 爆発直後、福島県が東電に要請か

福島第1原発3号機で、昨年3月14日に起きた水素爆発の直後、
福島県が東京電力に、「健康被害の心配はない」とする文言を、報道発表資料に記載するよう要請していたことが8日、
東電が、報道関係者に公開している、社内テレビ会議の録画映像で分かった。
 
映像によると、昨年3月14日午後1時20分ごろ、東電広報班が、同社福島事務所からの依頼として、
「3号機の爆発に関するプレス(報道発表)文に、福島県知事から『いま北西の風が吹いており、観測された放射線量から健康に被害が出る心配はない』という文言を入れたい、入れてほしいという話があった」
と、東電本店非常災害対策室に連絡した。
 
対策室は、健康被害に言及することに難色を示し、
「(放射性物質が風に)揺られて戻ってくることもある。
拡散作用で薄くなっているとは思うが(健康被害の心配はないと)言い切るのはリスキー(危険)だ」と指摘。
「(首相)官邸に、県知事からこういう意見が出てます、と言ってほしい」と回答して結局、報道発表資料に記載されなかった。
 
3号機の水素爆発は14日、午前11時ごろ発生。
文部科学省所管の、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の拡散予測データでは、
14日は、午前中から、太平洋方向への西風が吹いていたが、同日深夜に風向きが南に変わり、
翌15日昼すぎには、西や北西など、内陸方向に吹いていた。
 
県原子力安全対策課は、
「当時の状況や経緯は分からないが、根拠にした線量は、東電の測定データだと推測される。
一般的に、東電の報道発表の表現について助言したり、感想を述べたりすることはある」と話している。

【河北新聞社 2012年8月9日】


ジェトロ、福島県産桃輸出で商談支援

ジェトロは、東日本大震災後初の福島県産桃の輸出を目指し、
7日から10日まで、タイの百貨店・スーパー、外食チェーンなどのバイヤーを招き、
福島県の農業協同組合や農園との商談を支援する。
現地の桃農園のほか、放射能検査機関の視察も行う。
商談が成立すれば、震災後輸出が止まっている福島県農産物輸出、再開第一号となる。
福島県の農産物は、震災以降、台湾の輸入規制で輸出が止まっている。
福島県とジェトロは、放射性物質の検査報告書を添付することで、食品の輸出が可能なタイに照準を絞り、
農産物輸入会社や、大手小売業者の4社を招へいする。


【2012年8月3日 日刊工業新聞社】



どっちも古い記事やけどね、
けど、こんなことサラッと報道してるだけでええのかと思う。
これって、犯罪とちゃうの?
どっちの行為も。

そんな、勝手に、自分らの都合で、最も重要視されなあかんデータを隠しただけやなく、健康被害が無いやなんてでたらめを公言してくれって頼む知事って、いったい人としてどうなん?
そのことで、どんだけの市民が被ばくして、そのためにどんだけの苦しみを負うのか……、
それより以前の問題として、あんなめちゃくちゃな事故が起こって、それが核爆発で、人をまず逃がさなあかんと考える常識がすっぽり欠落してる。

そんなとんでもない悪人が知事やなんて、どんだけ不運やったん福島!
人災どころの話ちゃうやんか。
大量の人間を傷つけた犯罪やんか。

そんな男が大丈夫やって太鼓判押したからって、どうやって信じよっちゅうねん。
無理やろ。
風評被害の発端は、こういう悪人の存在やねん。
必死で、除染に取り組んで、なんとかして自分とこの農業を再開させたい思てる農家のみなさんにとっての、一番の敵はこいつらやねん。
こいつらが、世間で、知らん顔して今まで通りの仕事してる間は、絶対に物事が正しい方向に進んでいかへん。

タイに悪さすんな!
どんだけ親身になって助けてくれたと思てるねん!
照準を絞られたタイ、狙われてしもたんやで。
相手は、絆やの、助け合いやの、上っ面だけの言葉でごまかして、自分とこの市民でも平気で被ばくさせる連中やで。
そのことだけは忘れたらあかんで。

もうほんま、悪党ども、バチ当たれ。
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みなさんは歴史の正しい側に立っている

2012年08月11日 | 日本とわたし
国連のアンゲラ・ケイン国連軍縮問題担当上級代表による、原水爆禁止2012年世界大会の閉会総会・広島においての、藩基文国連事務総長のメッセージを代読。

同時に、
・もっとも恐るべき大量破壊兵器をなくす闘いにおいて、藩基文事務総長と国連は、市民のパートナーであること。
・核の脅威をなくす方法はただ一つ。核兵器を禁止し、完全になくすことであること。
・現在、世界には、核兵器を永続させることに既得権を持つネットワークが根強く存在しているということ。
・人類に利する、共通の大義を抱えた運動をしている市民に、世界が連帯しているということ。

なども訴えた。

藩基文国連事務総長からのメッセージ

世界大会にご参加のみなさんに、ごあいさつをする機会をいただき、光栄です。
この素晴らしい大会を見事に組織された高草木博さん(世界大会実行委員会運営委員会代表)と、同僚のみなさんに感謝します。

今朝、世界の注目は、広島の平和記念式典に集まりました。
それは、67年前の原爆で亡くなられた方々を追悼し、被爆者と遺族の方々へ敬意を表する機会です。

しかし、あの式典もこの世界大会も、過去の問題だけに目を向けているわけではありません。
世界の人々は、今日、核軍縮を求め、核兵器の無い未来を望んでいます。

ご存知のように、これは希望だけで達成できるものではありません。
国際社会の広範な個人やグループの、大変な努力と協力、また、国家グループ間の緊密な協力も必要です。
そして国連において、中心的な課題とされなければなりません。

軍縮の達成という課題を、平和組織だけで担うことはできません。
幸い、平和組織には、実際の、そして潜在的な味方がいます。
そもそも社会で、核兵器の影響を受けない人などいるでしょうか?
年齢、収入、職業、性別、国籍とは無関係に、誰でも核兵器廃絶から利益を得るのです。

私は、みなさんが多くの成果をあげてこられたことに、敬意を表するものです。
みなさんの刊行物や会議は、人々を教育してきました。
署名運動は、市民一人ひとりを、軍縮プロセスに参加させてきました。
青年たちにも働きかけ、世界中で軍縮を優先課題としてきました。

みなさんに感謝します。
これからもがんばって活動を続けてください。
私は、核兵器廃絶という、崇高な目標を達成する運動で、みなさんのパートナーであることを光栄に思います。
核兵器廃絶は、私たちの集団的安全と幸福を、大きく前進させるでしょう。

8月6日、広島
国連事務総長
藩基文



わたしは思う。
連帯してくれてるのはありがたい。
意味も大きい。
けど、国連でないとできんような、例えば、核の権化アメリカに、もっともっとものを言うべきちゃうかと思う。
国にものを言えるのは国連ちゃうのか。
わたしら市民は、市民の間でコツコツと運動を続けるしかないけど、
国連は、たとえばアメリカに、よその国の核兵器をどうのこうの言う前に、おまえの国がまず廃絶するべきやろ、とか、
そういう、一番の元凶になってる国に対して、その国がどんだけ力を持ってようが、無視しようが、世界に訴えかけて、
地球規模の世論を集めることができる、数少ない機関のひとつとちゃうん?

WHOにしたかて、おっきな権力にすっかり巻き込まれてしもて、何が健康で何が人権なんか……、
建前とモットーは立派やけど、本気で仕事してんのかって思うようなことばっかやし。

国際◯◯やの国連やの、世界に名だたる機関なら、それらしいおっきな仕事をして欲しい。
とにかく、アメリカを正して欲しい。
言うこと聞こうが聞くまいが、厳然とした態度をとって欲しい。
核廃絶をしたいなら、まずはアメリカが先頭に立ってするべきやと。
アメリカがひとつほかしたら他の保有国もひとつほかす。
またひとつほかしたら、それに倣てほかす。
どこよりもぎょうさん持ってるアメリカは、延々とほかし続けなあかんやろけど、それを最後の最後まで監視するのが国際機関なんちゃうん?
言いなりになっててどうすんの?
手下になっててどうすんの?
わたしらはもちろん、これからも運動を続けていくよ。
そやし、のんきなこと言うてんと、わたしらと共にはもちろんのこと、正しい側に両足踏ん張って立って見せてよ!
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野田内閣不信任決議案採決(8/9/12)において、 賛成した・反対した・棄権した議員の名前一覧

2012年08月09日 | 日本とわたし
野田佳彦内閣不信任決議案採決(2012年8月9日、衆院本会議)において、
賛成をした議員・反対をした議員・棄権をした議員の名前一覧
(敬称略)

【賛成議員】
民主 ○小泉俊明   茨城3 
民主 ○小林興起   東京都(比) 

自民 ○河井克行   中国(比) 
自民 ○小泉進次郎  神奈川11 
自民 ○塩崎恭久   愛媛1 
自民 ○柴山昌彦   北関東(比) 
自民 ○菅義偉    神奈川2 
自民 ○中川秀直   中国(比) 
自民 ○松浪健太   近畿(比) 

生活 ○相原史乃   南関東(比) 
生活 ○青木愛    東京12 
生活 ○東祥三    東京15 
生活 ○石井章    北関東(比) 
生活 ○石田三示   南関東(比) 
生活 ○石原洋三郎  福島1 
生活 ○内山晃    千葉7 
生活 ○小沢一郎   岩手4 
生活 ○大谷啓    大阪15 
生活 ○大山昌宏   東海(比) 
生活 ○太田和美   福島2 
生活 ○岡島一正   千葉3 
生活 ○岡本英子   神奈川3 
生活 ○加藤学    長野5 
生活 ○笠原多見子  東海(比) 
生活 ○金子健一   南関東(比) 
生活 ○川島智太郎  東京都(比) 
生活 ○木村たけつか 東京14 
生活 ○菊池長右ェ門 東北(比) 
生活 ○京野公子   秋田3 
生活 ○熊谷貞俊   近畿(比) 
生活 ○黒田雄    千葉2 
生活 ○小林正枝   東海(比) 
生活 ○小宮山泰子  埼玉7 
生活 ○古賀敬章   福岡4 
生活 ○斎藤やすのり 宮城2 
生活 ○瑞慶覧長敏  沖縄4 
生活 ○菅川洋    中国(比) 
生活 ○鈴木克昌   愛知14 
生活 ○高松和夫   東北(比) 
生活 ○玉城デニー  沖縄3 
生活 ○中後淳    南関東(比) 
生活 ○豊田潤多郎  近畿(比)
生活 ○中野渡詔子  東北(比) 
生活 ○萩原仁    大阪2 
生活 ○畑浩治    岩手2 
生活 ○樋高剛    神奈川18 
生活 ○福嶋健一郎  熊本2 
生活 ○牧義夫    愛知4 
生活 ○松崎哲久   埼玉10 
生活 ○三宅雪子   北関東(比)
生活 ○三輪信昭   東海(比) 
生活 ○村上史好   大阪6 
生活 ○山岡賢次   栃木4 
生活 ○横山北斗   青森1 
生活 ○渡辺浩一郎  東京都(比) 
生活 ○渡辺義彦   近畿(比) 

共産 ○赤嶺政賢   九州(比) 
共産 ○笠井亮    東京都(比)
共産 ○穀田恵二   近畿(比) 
共産 ○佐々木憲昭  東海(比) 
共産 ○志位和夫   南関東(比) 
共産 ○塩川鉄也   北関東(比) 
共産 ○高橋千鶴子  東北(比) 
共産 ○宮本岳志   近畿(比) 
共産 ○吉井英勝   近畿(比)

社民 ○阿部知子   南関東(比) 
社民 ○重野安正   大分2 
社民 ○照屋寛徳   沖縄2 
社民 ○中島隆利   九州(比) 
社民 ○服部良一   近畿(比)
社民 ○吉泉秀男   東北(比) 

みんな○浅尾慶一郎  南関東(比) 
みんな○江田憲司   神奈川8 
みんな○柿澤未途   東京都(比) 
みんな○山内康一   北関東(比) 
みんな○渡辺喜美   栃木3 

改会 ○木内孝胤   東京9 
改会 ○中島政希   北関東(比) 
改会 ○中津川博郷  東京都(比) 
改会 ○横粂勝仁   南関東(比) 

大地 ○松木けんこう 北海道12 

無  ○亀井静香   広島6 
無  ○佐藤ゆうこ  愛知1 
無  ○田中康夫   兵庫8 
無  ○平智之    京都1 
無  ○鳩山邦夫   福岡6 


【反対議員=×】
民主 ×安住淳    宮城5
民主 ×阿久津幸彦  東京24 
民主 ×阿知波吉信  岐阜5 
民主 ×赤松広隆   愛知5 
民主 ×網屋信介   九州(比) 
民主 ×荒井聰    北海道3 
民主 ×五十嵐文彦  埼玉9 
民主 ×井戸まさえ  兵庫1 
民主 ×池田元久   神奈川6 
民主 ×石井登志郎  兵庫7 
民主 ×石毛えい子  東京都(比) 
民主 ×石関貴史   群馬2 
民主 ×石田勝之   埼玉2 
民主 ×石津政雄   茨城2 
民主 ×石森久嗣   栃木1 
民主 ×石山敬貴   宮城4 
民主 ×泉健太    京都3 
民主 ×磯谷香代子  東海(比) 
民主 ×市村浩一郎  兵庫6 
民主 ×糸川正晃   北陸信越(比) 
民主 ×稲富修二   福岡2 
民主 ×稲見哲男   大阪5 
民主 ×今井雅人   東海(比) 
民主 ×打越あかし  九州(比) 
民主 ×生方幸夫   千葉6 
民主 ×江端貴子   東京10 
民主 ×枝野幸男   埼玉5 
民主 ×小川淳也   香川1 
民主 ×小沢鋭仁   山梨1 
民主 ×小野塚勝俊  埼玉8 
民主 ×小原舞    近畿(比) 
民主 ×緒方林太郎  福岡9 
民主 ×大泉ひろこ  茨城6 
民主 ×大串博志   佐賀2 
民主 ×大島敦    埼玉6 
民主 ×大谷信盛   大阪9 
民主 ×大西健介   愛知13 
民主 ×大西孝典   近畿(比) 
民主 ×大畠章宏   茨城5 
民主 ×逢坂誠二   北海道8 
民主 ×岡田克也   三重3 
民主 ×岡田康裕   兵庫10 
民主 ×岡本充功   愛知9 
民主 ×奥田建    石川1
民主 ×奥野総一郎  千葉9 
民主 ×奥村展三   滋賀4 
民主 ×加藤公一   東京20
民主 ×鹿野道彦   山形1 
民主 ×海江田万里  東京1
民主 ×柿沼正明   群馬3
民主 ×梶原康弘   兵庫5 
民主 ×勝又恒一郎  南関東(比) 
民主 ×金森正    東海(比) 
民主 ×神山洋介   神奈川17 
民主 ×川口浩    北関東(比) 
民主 ×川口博    秋田2 
民主 ×川越孝洋   九州(比) 
民主 ×川端達夫   滋賀1 
民主 ×川村秀三郎  宮崎1 
民主 ×菅直人    東京18 
民主 ×吉良州司   大分1 
民主 ×城井崇    福岡10 
民主 ×黄川田徹   岩手3 
民主 ×菊田真紀子  新潟4 
民主 ×岸本周平   和歌山1 
民主 ×北神圭朗   京都4 
民主 ×工藤仁美   北海道(比) 
民主 ×櫛渕万里   東京23 
民主 ×楠田大蔵   福岡5 
民主 ×沓掛哲男   北陸信越(比) 
民主 ×熊田篤嗣   大阪1 
民主 ×黒岩宇洋   新潟3 
民主 ×桑原功    北関東(比) 
民主 ×玄葉光一郎  福島3 
民主 ×小平忠正   北海道10 
民主 ×小宮山洋子  東京6 
民主 ×小室寿明   中国(比) 
民主 ×小山展弘   静岡3 
民主 ×古賀一成   九州(比) 
民主 ×後藤斎    山梨3 
民主 ×後藤祐一   神奈川16 
民主 ×郡和子    宮城1 
民主 ×近藤和也   石川3 
民主 ×近藤昭一   愛知3 
民主 ×近藤洋介   山形2 
民主 ×佐々木隆博  北海道6 
民主 ×斉木武志   東海(比) 
民主 ×斉藤進    静岡8 
民主 ×齋藤勁    南関東(比) 
民主 ×坂口岳洋   山梨2 
民主 ×阪口直人   和歌山2 
民主 ×笹木竜三   北陸信越(比) 
民主 ×階猛     岩手1 
民主 ×篠原孝    長野1 
民主 ×柴橋正直   岐阜1 
民主 ×下条みつ   長野2 
民主 ×城島光力   神奈川10 
民主 ×白石洋一   愛媛3 
民主 ×神風英男   埼玉4 
民主 ×首藤信彦   神奈川7 
民主 ×末松義規   東京19 
民主 ×仙谷由人   徳島1 
民主 ×園田康博   岐阜3 
民主 ×空本誠喜   広島4 
民主 ×田島一成   滋賀2 
民主 ×田嶋要    千葉1 
民主 ×田名部匡代  東北(比) 
民主 ×田中けいしゅう神奈川5 
民主 ×田中眞紀子  新潟5 
民主 ×田中美絵子  北陸信越(比) 
民主 ×田村謙治   静岡4 
民主 ×高井崇志   中国(比) 
民主 ×高井美穂   徳島2 
民主 ×高木義明   長崎1 
民主 ×高野守    北関東(比) 
民主 ×高橋昭一   兵庫4 
民主 ×高橋英行   四国(比) 
民主 ×高山智司   埼玉15 
民主 ×滝実     奈良2 
民主 ×竹田光明   東京都(比) 
民主 ×武正公一   埼玉1 
民主 ×橘秀徳    神奈川13 
民主 ×玉木朝子   北関東(比) 
民主 ×玉木雄一郎  香川2 
民主 ×玉置公良   近畿(比) 
民主 ×樽床伸二   大阪12 
民主 ×津川祥吾   静岡2 
民主 ×津島恭一   東北(比) 
民主 ×津村啓介   岡山2 
民主 ×辻元清美   大阪10 
民主 ×筒井信隆   新潟6 
民主 ×手塚仁雄   東京5 
民主 ×寺田学    秋田1 
民主 ×道休誠一郎  九州(比) 
民主 ×富岡芳忠   北関東(比) 
民主 ×中井洽    三重1 
民主 ×中川正春   三重2 
民主 ×中塚一宏   神奈川12 
民主 ×中根康浩   愛知12 
民主 ×中野寛成   大阪8 
民主 ×中野譲    埼玉14 
民主 ×中林美恵子  神奈川1 
民主 ×中屋大介   九州(比) 
民主 ×中山義活   東京2 
民主 ×仲野博子   北海道(比) 
民主 ×永江孝子   四国(比) 
民主 ×長尾敬    大阪14 
民主 ×長島昭久   東京21 
民主 ×長島一由   神奈川4 
民主 ×長妻昭    東京7 
民主 ×長安豊    大阪19 
民主 ×仁木博文   四国(比) 
民主 ×西村智奈美  新潟1 
民主 ×野木実    北関東(比) 
民主 ×野田国義   九州(比) 
民主 ×野田佳彦   千葉4 
民主 ×橋本清仁   宮城3 
民主 ×橋本博明   広島3 
民主 ×橋本勉    東海(比) 
民主 ×鉢呂吉雄   北海道4 
民主 ×初鹿明博   東京16
民主 ×花咲宏基   中国(比) 
民主 ×浜本宏    近畿(比) 
民主 ×早川久美子  東京都(比) 
民主 ×原口一博   佐賀1 
民主 ×伴野豊    愛知8 
民主 ×樋口俊一   近畿(比) 
民主 ×平岡秀夫   山口2 
民主 ×平野博文   大阪11 
民主 ×福島伸享   茨城1 
民主 ×福田昭夫   栃木2 
民主 ×福田衣里子  長崎2 
民主 ×藤井裕久   南関東(比) 
民主 ×藤田一枝   福岡3 
民主 ×藤田大助   東海(比) 
民主 ×藤田憲彦   東京4 
民主 ×藤村修    大阪7 
民主 ×古川元久   愛知2 
民主 ×古本伸一郎  愛知11 
民主 ×細川律夫   埼玉3
民主 ×細野豪志   静岡5 
民主 ×本多平直   埼玉12 
民主 ×馬淵澄夫   奈良1 
民主 ×前原誠司   京都2 
民主 ×牧野聖修   静岡1 
民主 ×松岡広隆   近畿(比) 
民主 ×松崎公昭   千葉8 
民主 ×松野頼久   熊本1 
民主 ×松原仁    東京3 
民主 ×松宮勲    北陸信越(比) 
民主 ×松本大輔   広島2 
民主 ×松本剛明   兵庫11 
民主 ×松本龍    福岡1 
民主 ×三浦のぼる  中国(比) 
民主 ×三日月大造  滋賀3 
民主 ×三谷光男   広島5 
民主 ×三村和也   南関東(比) 
民主 ×三井辨雄   北海道2 
民主 ×水野智彦   南関東(比) 
民主 ×皆吉稲生   九州(比) 
民主 ×宮崎岳志   群馬1 
民主 ×宮島大典   長崎4 
民主 ×向山好一   兵庫2 
民主 ×村井宗明   富山1 
民主 ×村越祐民   千葉5 
民主 ×室井秀子   近畿(比) 
民主 ×本村賢太郎  神奈川14 
民主 ×森岡洋一郎  埼玉13
民主 ×森本和義   愛知15 
民主 ×森本哲生   三重4 
民主 ×森山浩行   大阪16 
民主 ×矢崎公二   長野4 
民主 ×谷田川元   千葉10 
民主 ×柳田和己   北関東(比) 
民主 ×山尾志桜里  愛知7 
民主 ×山岡達丸   北海道(比) 
民主 ×山口和之   東北(比) 
民主 ×山口壯    兵庫12 
民主 ×山崎摩耶   北海道(比) 
民主 ×山崎誠    南関東(比) 
民主 ×山田正彦   長崎3 
民主 ×山田良司   東海(比) 
民主 ×山井和則   京都6 
民主 ×山花郁夫   東京22 
民主 ×山本剛正   九州(比) 
民主 ×湯原俊二   中国(比) 
民主 ×柚木道義   岡山4 
民主 ×横光克彦   大分3 
民主 ×吉川政重   奈良3 
民主 ×吉田泉    福島5 
民主 ×吉田おさむ  大阪4 
民主 ×吉田公一   東京都(比) 
民主 ×吉田統彦   東海(比) 
民主 ×笠浩史    神奈川9 
民主 ×和嶋未希   東北(比) 
民主 ×和田隆志   広島7 
民主 ×若井康彦   千葉13 
民主 ×若泉征三   北陸信越(比) 
民主 ×鷲尾英一郎  新潟2 
民主 ×渡辺周    静岡6 
民主 ×渡部恒三   福島4 

国民 ×下地幹郎   沖縄1 
国民 ×中島正純   大阪3 
国民 ×平山泰朗   東京13 
国民 ×松下忠洋   鹿児島3 

無  ×土肥隆一   兵庫3 


【棄権議員=△】
民主 △川内博史   鹿児島1 
民主 △杉本かずみ  愛知10 
民主 △辻惠     大阪17 
民主 △中川治    大阪18 
民主 △羽田孜    長野3 
民主 △鳩山由紀夫  北海道9 

自民 △あべ俊子   中国(比) 
自民 △安倍晋三   山口4 
自民 △逢沢一郎   岡山1 
自民 △赤澤亮正   鳥取2 
自民 △秋葉賢也   東北(比) 
自民 △麻生太郎   福岡8 
自民 △甘利明    南関東(比) 
自民 △井上信治   東京25 
自民 △伊東良孝   北海道7 
自民 △伊吹文明   近畿(比) 
自民 △石田真敏   近畿(比) 
自民 △石破茂    鳥取1 
自民 △石原伸晃   東京8 
自民 △稲田朋美   福井1 
自民 △今津寛    北海道(比) 
自民 △今村雅弘   九州(比) 
自民 △岩屋毅    九州(比) 
自民 △江渡聡徳   青森2 
自民 △江藤拓    宮崎2 
自民 △遠藤利明   東北(比) 
自民 △小里泰弘   鹿児島4 
自民 △小野寺五典  宮城6 
自民 △小渕優子   群馬5 
自民 △大島理森   青森3 
自民 △大野功統   香川3 
自民 △加藤勝信   岡山5 
自民 △加藤紘一   山形3 
自民 △梶山弘志   茨城4 
自民 △金子一義   岐阜4 
自民 △金子恭之   熊本5 
自民 △金田勝年   東北(比) 
自民 △鴨下一郎   東京都(比) 
自民 △川崎二郎   東海(比) 
自民 △河村建夫   山口3 
自民 △木村太郎   青森4 
自民 △城内実    静岡7 
自民 △岸田文雄   広島1 
自民 △北村茂男   北陸信越(比) 
自民 △北村誠吾   九州(比) 
自民 △小池百合子  東京都(比) 
自民 △小泉龍司   埼玉11 
自民 △古賀誠    福岡7 
自民 △後藤田正純  徳島3 
自民 △河野太郎   神奈川15 
自民 △高村正彦   山口1 
自民 △近藤三津枝  近畿(比) 
自民 △佐田玄一郎  北関東(比) 
自民 △佐藤勉    北関東(比) 
自民 △齋藤健    南関東(比) 
自民 △坂本哲志   熊本3 
自民 △塩谷立    東海(比) 
自民 △下村博文   東京11 
自民 △新藤義孝   北関東(比) 
自民 △菅原一秀   東京都(比) 
自民 △田中和徳   南関東(比) 
自民 △田野瀬良太郎 奈良4 
自民 △田村憲久   東海(比) 
自民 △平将明    東京都(比) 
自民 △高市早苗   近畿(比) 
自民 △高木毅    福井3 
自民 △竹下亘    島根2 
自民 △竹本直一   近畿(比) 
自民 △武田良太   福岡11 
自民 △武部勤    北海道(比) 
自民 △橘慶一郎   富山3 
自民 △棚橋泰文   岐阜2 
自民 △谷公一    近畿(比) 
自民 △谷垣禎一   京都5 
自民 △谷川弥一   九州(比) 
自民 △谷畑孝    近畿(比) 
自民 △徳田毅    鹿児島2 
自民 △中谷元    高知2 
自民 △中村喜四郎  茨城7 
自民 △永岡桂子   北関東(比) 
自民 △長島忠美   北陸信越(比) 
自民 △長勢甚遠   北陸信越(比) 
自民 △二階俊博   和歌山3 
自民 △丹羽秀樹   愛知6 
自民 △西野あきら  大阪13 
自民 △西村康稔   兵庫9 
自民 △額賀福志郎  北関東(比) 
自民 △野田聖子   東海(比) 
自民 △野田毅    九州(比) 
自民 △馳浩     北陸信越(比) 
自民 △浜田靖一   千葉12 
自民 △林幹雄    南関東(比) 
自民 △平井たくや  四国(比) 
自民 △平沢勝栄   東京17 
自民 △福井照    高知1 
自民 △福田康夫   群馬4 
自民 △古川禎久   宮崎3 
自民 △古屋圭司   東海(比) 
自民 △保利耕輔   佐賀3 
自民 △細田博之   島根1 
自民 △町村信孝   北海道5 
自民 △松野博一   南関東(比) 
自民 △松本純    南関東(比) 
自民 △三ッ矢憲生  三重5 
自民 △宮腰光寛   富山2 
自民 △村上誠一郎  愛媛2 
自民 △村田吉隆   中国(比) 
自民 △望月義夫   東海(比) 
自民 △茂木敏充   栃木5 
自民 △森英介    千葉11 
自民 △森喜朗    石川2 
自民 △森山裕    鹿児島5 
自民 △柳本卓治   近畿(比) 
自民 △山口俊一   四国(比) 
自民 △山本公一   愛媛4 
自民 △山本幸三   九州(比) 
自民 △山本拓    福井2 
自民 △山本有二   高知3 
自民 △吉野正芳   東北(比) 

公明 △赤松正雄   近畿(比) 
公明 △井上義久   東北(比) 
公明 △池坊保子   近畿(比) 
公明 △石井啓一   北関東(比) 
公明 △石田祝稔   四国(比) 
公明 △稲津久    北海道(比) 
公明 △漆原良夫   北陸信越(比) 
公明 △江田康幸   九州(比) 
公明 △遠藤乙彦   北関東(比) 
公明 △大口善徳   東海(比) 
公明 △佐藤茂樹   近畿(比) 
公明 △斉藤鉄夫   中国(比) 
公明 △坂口力    東海(比) 
公明 △高木美智代  東京都(比) 
公明 △高木陽介   東京都(比) 
公明 △竹内譲    近畿(比)
公明 △遠山清彦   九州(比) 
公明 △富田茂之   南関東(比)
公明 △西博義    近畿(比) 
公明 △東順治    九州(比) 
公明 △古屋範子   南関東(比) 

大地 △浅野貴博   北海道(比) 
大地 △石川知裕   北海道11 

日本 △園田博之   熊本4 
日本 △平沼赳夫   岡山3 

無  △衛藤征士郎  九州(比) 
無  △与謝野馨   東京都(比) 

(※横路孝弘議長は含まない)

○=賛成  86
×=反対  246
△=棄権  146
投票総数 332

(会派略称=会派名)
民主=民主党・無所属クラブ
自民=自由民主党・無所属の会
生活=国民の生活が第一・きづな
公明=公明党
共産=日本共産党
社民=社会民主党・市民連合
みんな=みんなの党
国民=国民新党・無所属会
改会=改革無所属の会
大地=新党大地・真民主
日本=たちあがれ日本
無=無所属

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政党別、地域別、消費税増税に賛成をした議員リスト

2012年08月09日 | 日本とわたし
政党別、地域別の、消費税増税に賛成をした議員名を書いておきます。

↓下記のリンクから引用
選挙で使える消費税賛成議員リスト(主に民主党)(随時更新中)
http://ow.ly/bUgQQ

【国民新党】 
■鹿児島 小選・03区 松下忠洋
■沖縄  小選・01区 下地幹郎


【たちあがれ日本】 
■岡山  小選・03区 平沼赳夫
■熊本  小選・04区 園田博之


【無所属】 
■茨城  小選・07区 中村喜四郎
■埼玉  小選・11区 小泉龍司
■静岡  小選・07区 城内実
■大阪  小選・03区 中島正純
■兵庫  小選・03区 土肥隆一


【公明党】あれ?公明党は全員比例区ですか……?!
■北海道 比例 稲津久
■東北  比例 井上義久
■北関東 比例 石井啓一
 北関東 比例 遠藤乙彦
■南関東 比例 富田茂之
 南関東 比例 古屋範子
■東京  比例 高木陽介
 東京  比例 高木美智代
■北信越 比例 漆原良夫
■東海  比例 坂口力
 東海  比例 大口善徳
■近畿  比例 池坊保子
 近畿  比例 西博義
 近畿  比例 佐藤茂樹
 近畿  比例 竹内譲
 近畿  比例 赤松正雄
■中国  比例 斉藤鉄夫
 四国  比例 石田祝稔
■九州  比例 東順治
 九州  比例 江田康幸
 九州  比例 遠山清彦


【自由民主党】
■北海道 小選・05区 町村信孝
 北海道 小選・07区 伊東良孝
 北海道 比例・06区 今津寛
 北海道 比例・12区 武部勤
■青森  小選・02区 江渡聡徳
 青森  小選・03区 大島理森
 青森  小選・04区 木村太郎
■宮城  小選・06区 小野寺五典
■山形  小選・03区 加藤紘一
 山形  比例・01区 遠藤利明
■秋田  比例・02区 金田勝年
■福島  比例・03区 吉野正芳
■東北  比例    秋葉賢也
■茨城  小選・04区 梶山弘志
 茨城  比例・02区 額賀福志郎
 茨城  比例・07区 永岡桂子
■栃木  小選・05区 茂木敏充
 栃木  比例・04区 佐藤勉
■群馬  小選・04区 福田康夫
 群馬  小選・05区 小渕優子
■埼玉  比例・02区 新藤義孝
 埼玉  比例・08区 柴山昌彦
■北関東 比例    佐田玄一郎
■千葉  小選・11区 森英介
 千葉  小選・12区 浜田靖一
 千葉  比例・03区 松野博一
 千葉  比例・07区 齋藤健
 千葉  比例・10区 林幹雄
■神奈川 小選・02区 菅義偉
 神奈川 小選・11区 小泉進次郎
 神奈川 小選・15区 河野太郎
 神奈川 比例・01区 松本純 
 神奈川 比例・10区 田中和徳
 神奈川 比例・13区 甘利明
■東京  小選・08区 石原伸晃
 東京  小選・11区 下村博文
 東京  小選・17区 平沢勝栄
 東京  小選・25区 井上信治
 東京  比例・04区 平将明
 東京  比例・09区 菅原一秀
 東京  比例・10区 小池百合子
 東京  比例・13区 鴨下一郎
■富山  小選・02区 宮腰光寛
 富山  小選・03区 橘慶一郎
 富山  比例・01区 長勢甚遠
■石川  小選・02区 森喜朗
 石川  比例・01区 馳浩
 石川  比例・03区 北村茂男
■福井  小選・01区 稲田朋美
 福井  小選・02区 山本拓
 福井  小選・03区 高木毅
■北信越 比例    長島忠美
■岐阜  小選・02区 棚橋泰文
 岐阜  小選・04区 金子一義 
 岐阜  比例・01区 野田聖子
 岐阜  比例・05区 古屋圭司
■愛知  小選・06区 丹羽秀樹
■三重  小選・05区 三ツ矢憲生
 三重  比例・01区 川崎二郎
 三重  比例・04区 田村憲久
■静岡  比例・04区 望月義夫
 静岡  比例・08区 塩谷立
■京都  小選・05区 谷垣禎一
 京都  比例・01区 伊吹文明
■大阪  小選・13区 西野陽
 大阪  比例・10区 松浪健太
 大阪  比例・14区 谷畑孝
 大阪  比例・15区 竹本直一
■兵庫  小選・09区 西村康稔
 兵庫  比例・05区 谷公一
■奈良  小選・04区 田野瀬良太郎
 奈良  比例・02区 高市早苗
■和歌山 小選・03区 二階俊博
 和歌山 比例・02区 石田真敏
■近畿  比例    近藤三津枝
 近畿  比例    柳本卓治
■鳥取  小選・01区 石破茂
 鳥取  小選・02区 赤澤亮正
■島根  小選・01区 細田博之
 島根  小選・02区 竹下亘
■岡山  小選・01区 逢澤一郎
 岡山  小選・05区 加藤勝信
 岡山  比例・03区 阿部俊子
■広島  小選・01区 岸田文雄
■山口  小選・01区 高村正彦
 山口  小選・03区 河村建夫
 山口  小選・04区 安倍晋三
■中国  比例    村田吉隆
 中国  比例    河井克行
■徳島  小選・03区 後藤田正純
 徳島  比例・02区 山口俊一
■香川  小選・03区 大野功統
 香川  比例・01区 平井卓也
■愛媛  小選・01区 塩崎恭久
 愛媛  小選・02区 村上誠一郎
 愛媛  小選・04区 山本公一
■高知  小選・01区 福井照
 高知  小選・02区 中谷元
 高知  小選・03区 山本有二
■福岡  小選・07区 古賀誠
 福岡  小選・08区 麻生太郎
 福岡  小選・11区 武田良太
■佐賀  小選・03区 保利耕輔 
 佐賀  比例・02区 今村雅弘
■熊本  小選・03区 坂本哲志
 熊本  小選・05区 金子恭之
■宮崎  小選・02区 江藤拓
 宮崎  小選・03区 古川禎久
■鹿児島 小選・02区 徳田毅
 鹿児島 小選・04区 小里泰弘
 鹿児島 小選・05区 森山裕
■長崎  比例・04区 北村誠吾
 長崎  比例・03区 谷川弥一
■大分  比例・02区 衛藤征士郎
 大分  比例・03区 岩屋毅
■九州  比例    野田毅
 九州  比例    山本幸三
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