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ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

敵は敵国ではありません。敵は戦争を始めさせる人々です。今度は私たちが憲法を守る番。声を上げよう!

2014年07月17日 | 日本とわたし
せんそうは
すべての「愛」を
こわす。




http://www.9jo-ishikawa.net/img/goods/2014_leaflet1.pdf

「戦争」という言葉は
遠くにありますか? 近くにありますか?
今、戦争を不安に思うのは、おかしいですか?

戦争は「よーいドン!」で始まるものではありません。
いつの間にか始まり、巻き込まれるものです。
過去の人々の証言が、それを教えてくれています。

そして現在はどうなのか。
今の政府は、どう動いているのか。

これほどの国民の悲劇に寄り添わず、
原発に固執するのはなぜなのか?
これほどの国民の反対意見を聞き入れず、
秘密保護法を取り決めたのはなぜなのか?

これほど平和を尊く訴えている、
日本国憲法を変えるというのはなぜなのか?



目をこらし、耳をすまして、
その出来事のうしろに隠されているものに、
気がつかなければなりません。

戦争は始まってしまえば、
それは「負け」です。
戦争で得をするほんの少しの人々に、
私たちみんなで負けるのです。

敵を見まちがえてはいけません。
敵は敵国ではありません。
敵は戦争を始めさせる人々です。

私やあなたや、
私たちの愛する子や孫が、
「殺して」はなりません。
「殺されて」はなりません。

戦争が終わって70年。
今日までこられたのは、
憲法に護られてきたからです。

さあ今度は、
私たちが憲法をまもる番です。
みんなで立ち上がり、
声をあげよう。



憲法前文
世界中の人々は
平和の中で生きる
権利がある

憲法9
永遠に
戦争はしない
軍隊は持たない

憲法12
自由と権利は
私たちの努力により
守らねばならない

憲法13
人はみな
幸せを求める
権利がある

憲法25
人はみな
人間らしく生きる
権利がある



今、声をあげよう。
日本国憲法の「愛」を失う前に。


◆九条の会・石川ネット ◆石川県憲法を守る会 ◆石川憲法会議


上記のポスター、リーフレットについては、石川ネット事務局まで問い合わせてください。
↓↓↓
http://www.9jo-ishikawa.net/index.html#newleaflet


そのリーフレットを使って、こんなすてきなブックカバーを作った方がいらっしゃいます。
こういうアピールの仕方もいいですね♪





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逃げられないのなら、せめて止めよう原発を!

2014年07月16日 | 日本とわたし
原発事故!そのときあなたは逃げられる?川内原発編
2014-06-12

こんにちは。核/エネルギー担当の鈴木かずえです。

避難集合場所は津波危険区域



再稼働審査が進む川内原発(鹿児島県)の、避難計画の実地検証を行いました。

そうしたら、住民のみなさんが、バスで避難するときの集合場所が、津波ハザードマップの中(上記の地図で赤く表示されている部分)でした。

他の多くの自治体と同じく、薩摩川内市でも、原発事故時には、基本的に、自家用車を使って避難することになっています。
自家用車が使えない人は、バスで避難することになっており、自治会の細かな単位で、バスに乗る集合場所が決められています。



薩摩川内市の滄浪地区の、倉浦自治会の集合場所は、「倉浦バス停前」。
ここは、原発から5キロ
野ざらしのバス停を、集合場所にするべきではありません。
しかも、河口沿いで、水面からが4メートルほどしかなかったのです。

これでは、津波や川の水があふれたときには、集合できません。
薩摩川内市が作成した津波ハザードマップの上に、集合場所をマッピングしてみると、
いくつかの集合場所が、危険区域と一致していました

10キロ圏の可愛地区でもそうでした



集合場所に指定されている亀山小学校は、海抜4.2メートル。
「津波注意! 高台はこちら」のサインが。



津波のときには「高台へ」。
原発事故では「川沿いへ」。

これでは、複合災害のときに、どっちへ行ったらいいかわかりません

東電福島原発事故は津波・地震との複合災害。
ここでも教訓が生かされていません


いちばんの心配は、家族がバラバラになること

薩摩川内市在住のHさんをお尋ねしたのは、午後3時。
もし平日であれば、Hさんはおうちに、上のお子さんは鹿児島市の、下のお子さんは薩摩川内市内の学校に、そして子どもたちのお父さんは会社に、とバラバラです。

子どもを引き取りに行けない場合は、学校から避難所に連れて行ってくれるというけれど、ちゃんと合流できるかどうかが心配」と、Hさんは言います。

自宅→学校→鹿児島市の避難所と、合計75キロを車で走ってみました。



途中、山の中には、がけ崩れが心配される斜面もありました。




避難計画は住民参加が必須

また、5キロ~20キロ圏の、計10名の方にお話しをお伺いすると…。

• 「車で逃げると聞いたが、どこへ逃げるか知らない」

• 「子供を迎えに行き、県外へ避難する」

• 「小学生の子供と親の、避難場所が異なる」

• 「高齢のため、避難せずに自宅にとどまる」

• 「消防団員なので避難誘導に当たると思うが、自身の被ばくを防ぐ方法や誘導手順について、行政からの指示・支援はない」



避難計画には、実際に避難することになる住民のニーズや、予想される行動形態が反映されていないことがわかりました。
避難計画は、原発の再稼働する・しないにかかわらず、そこに核燃料がある限り、必要です。
住民参加のもと、大幅に改善する必要があります


自治体に聞いてみよう



あなたの街の避難計画をぜひ、読んでみてください。

そして、疑問に思った点は、どんどん自治体に聞いてみてください。

アメリカでは、原子力規制委員会が避難計画に責任を持ち、検討し、不十分な場合には、原子炉を停止させる権限を持ちます

日本では、各原発の避難計画を審査する国の機関はありません

グリーンピース・ジャパンは、原子力規制委員会に、避難計画を審査するよう求めていますが、
誰も審査しないなら、住民みずから審査するしかありません。

今、原発立地各地で、避難計画が、市民によって検証されています。
これから、原発地元での「避難計画説明会」が開かれていきます。
でも、いきなりその場で質問をしたり、意見を言ったりするのは、ちょっと大変ですよね。
日頃から、自治体の「原子力防災計画」を、読んでみることをお勧めします。
そして、わからない点はどんどん、自治体の担当の方に聞いてみるといいと思います。
もし、市民の側で学習会をされるなら、講師をご紹介することもできますので、お気軽に、グリーンピースの鈴木までご相談ください。

********************************************************************

関連資料
プレスリリース「グリーンピース、川内原発の避難計画に関する実地調査を独自に実施―原発避難計画は津波ハザードマップと整合性なし、複合災害考慮せず」

鹿児島県知事あて要請書「住民を守れる避難計画なしで川内原発の再稼働を許可しないことを求める要請書」

報道用資料:川内原発の住民避難について、住民と共に行った独自の実地調査

川内原発30キロ圏および鹿児島市の住民500人に対する原発再稼働と避難に関する意識調査


* 今回の避難計画実地調査は、行政による避難訓練の住民監視行動に、長年参加し、
川内原発の、防災計画の課題点を指摘している、末田一秀氏(原子力災害市民研究会 会員)の協力のもと、実施しました。
末田さん、そして、参加してくださった地元のHさん、Mさん、聞き取りに協力してくださった薩摩川内のみなさま、ありがとうございました。



↑以上、転載おわり

そして、この記事が出た1ヵ月後の16日、九州電力川内原発の1号機と2号機が、再稼働の前提となる審査に事実上合格したことについて質問された、原子力規制委員長の田中氏は、こんなふうに答えたそうです。

「基準の適合性を審査した。安全だということは申し上げない」
「一定程度安全性は高まったことは評価するが、これはゴールではない。九電はますます努力する必要がある」

審査は、必ずしも原発の安全性を担保したものではない、と言いたいらしいのです。

いやもう、審査っていう言葉の意味が、あの人たちにはわかっているのでしょうか。
というか、なんで上記のような、避難もろくにできないままでいるのに、合格してるんでしょうか。
ここまでいい加減だと、なにがなんでも不合格にして、即廃炉にさせないと、地面が揺れるたびに寿命が縮まる思いをしなければなりません。

ということで、以下は、原発を止めるための、どなたにもできる運動のご紹介です。

↓以下、転載はじめ

パブコメ出そう、川内原発とまるほど
2014-07-17

こんにちは。核/エネルギー担当の鈴木かずえです。



今、日本全国の原発はすべて止まっています。
このまま止め続けておくために、この夏、あなたにできることがあります。

川内原発の再稼働適合審査書案へのパブリックコメントを出すことです。

締切は8月15日。国の原子力規制委員会が募集しています

募集するのは「科学的・技術的なご意見」とありますが、ひるむことなく、ふつうに意見を出しましょう

*******************************************************************************

パブコメの出し方 3通り


政府のウェブのフォームから こちらから、下の方にある「意見提出フォーム へ」ボタンをクリックして、フォームにご記入ください。2000文字まで、となっていますが何通でも出せますので、2000文字を超える場合は、何回かに分けて提出してください。


FAXで 「意見提出用紙」に記入、または、この用紙の要領でワープロ書きなどしたものを 03-5114-2179 (原子力規制庁)へFAXしてください


郵送で 「意見提出用紙」に記入、または、この用紙の要領でワープロ書きなどしたものを、下記へ送ってください。〒106-8450 東京都港区六本木1-9-9 六本木ファーストビル 原子力規制庁 原子力規制部 安全規制管理官(PWR担当)付 パブリックコメント担当者宛て

【締切】 2014年8月15日(金)(郵送は15日必着、FAX、ウェブフォームは日付が変わる夜中の12時より前に出してください)

「審査書案」は「意見提出用紙」"target="_blank">こちらのサイトの「関連情報」からダウンロードできます。

*********************************************************************

さて、なんて書こう?



審査書案は423ページ
地震や津波の想定や、事故対策についての審査結果が書かれています。
ご一読をお勧めしますが、

「火山の専門家の意見を聞くべきじゃないの?」

「大飯原発差し止め判決は参考にしたのかしら」

「避難計画は審査しないなんておかしい」

.....など、
テレビのニュースや新聞/インターネット記事などを読んで、ふだん考えていたことなどを書けばいいと思います。

グリーンピースは以下の4つを書こうと思っています。

1)パブコメは公開し、検討し、考慮して
パブコメの目的は、国民の権利利益の保護です(総務省運営WEBサイトより)。
そのためには、公開し、検討し、考慮すべきです。

2)「科学的・技術的なご意見」募集に異議あり
こんなことで、市民が委縮したら困ります。
広く、一般市民が参加しやすい呼びかけにすべきです。

3)地震、火山の問題は未解決
地元住民が要望した断層調査は行われておらず、火山については専門家の意見を聞いていません。

4)避難計画に責任を
地方自治体に丸投げされた避難計画は、住民の命を守れるものではありませんでした。
お年寄り、寝たきりなどの方の避難計画は、完成していません。


パブコメ出そう、川内原発止まるほど

再稼働には反対だ、と思ったら、この夏はパブコメです。
ぜひ、自分の言葉で書いてくださいね。

*******************************************************************

参考資料

パブコメのあり方


「九州電力株式会社、川内原子力発電所1号炉、及び2号炉の発電用原子炉設置変更許可申請書に関する、審査書案に対する科学的・技術的意見の募集について、結果を公開し、検討し、考慮することを求める要請書」(グリーンピース・ジャパン)(本ブログ末尾参照)

活断層について

立石雅昭教授ブログ


火山問題について

「原発安全審査への疑問 火山リスク過小評価」小山真人静岡大学防災総合センター教授 

避難計画について

「川内原発の避難計画の問題点について」 FoE Japan 満田夏花さん
「原発事故!そのときあなたは逃げられる?」 グリーンピース・ジャパン

その他、参考になるサイト

原子力市民委員会
原子力規制を監視する会
美浜の会 
反原発かごしまネット
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自分をほんとうに大切にできない人は、他人をほんとうに大切にできませんから

2014年07月16日 | ひとりごと
今年の冬は、誰もが思い出すのもイヤだという顔をするぐらいに、とんでもなく寒かった。
雪がたくさん降り積もり、溶けるチャンスもなくどんどん固くなり、それらに埋もれたままの木や地面が、二度と生き返られないのではないかと心配した。



ところがどっこいほいさっさ。イチゴもトマトもニラもネギも、去年の種から芽を出して、当たり前のように実や葉を見せてくれた。



一日に数回、ショーティの名前を呼びたくなる。
声に出して呼ぶ。
めんどくさそうな、ナーという声が返ってこなくて、ああもう、どっこいしょっと抱き上げられないのだと思い知る。



思い出すのはやっぱり、ぶっとい頃のショーティ。



糖尿病と腎不全が悪化してからは、みるみる痩せて、背中が博物館の恐竜の模型みたいになってしまった。
亡くなる前の1週間はいよいよ痩せて、ヘチマのスポンジに猫の着ぐるみを着せているような風で、わたしはその軽さが悲しくてならなかった。



今年の夏は、大雨と雷の毎日。ナメクジだって嫌気が差すほどのベトベトな日が続いている。







数日前、まるでドミノの板みたいに、ほぼ真っ直ぐのまま後ろに倒れた。
倒れた所は山の中の地面で、けれども幸運なことに、打ちつけた後頭部の所に、石も木の枝も落ちていなかったので、強度のむち打ちだけで済んだ。



打った直後は、ただただ混乱していて、そこに強烈な痛みもあって、まともに考えることができなかったのだけど、



かまどがまさんから、
『おどろきました。
太極拳も当然武道なので、体験として攻撃する時も、受ける側は、それなりの受け身なり、力をかわせる体制を取れる者がするべきなのです。
初心者のまうみさんは、多少腰を低め足を引いて踏ん張ったとしても、とても危険な立場になっていた訳です。
指導していた方の技量に、大きな疑問を感じます。
まうみさんは何も悪くない、相手が真剣なら、ふっとんで当たり前の状況です。
次は、これにはどうか参加しないで下さい』

という言葉をいただいて、それからずっと考え込んでいる。



わたしが突き倒されたのは日曜日の朝の最後の講座だったのだけども、同じ指導者の、同じ項目の講座を土曜日にも受けていた。
その講座のタイトルは『関節と関節の間をリラックスさせる』というもので、それはわたしの左手小指、それから右肩の問題に良いのではないかと思った。
はじめの15分間ぐらいはそのことについての話があり、実際にペアを組んだ人と、肩の付け根から指先までを、徐々にストレッチさせていく方法を習った。
ところが、そのあとはなぜか、いきなり太極拳の話になり、どんどん盛り上がっていって、太極拳仲間のような人たちに胸の前で腕を組ませて、彼がそれを突き飛ばしていた。
わたしはその講座が始まる前から、胃の辺りに重くて固い塊が入ったような不快感を感じていて、立っているのもしんどくて、テントの外の椅子に座っていた。
あれれ?いったいこれはなんの講座やったんかいな……などと思いながら、だんだんとシラケてしまった。



だから多分、翌日の、同じ指導者による同じ講座を、受けない方が良かったのだと思う。
けれども、もしかしたらあれは、ちょっと横道にそれただけで、今日はもっと詳しく教えてくれるのかもしれない、などと期待してしまった。



かまどがまさんから指摘してもらい、改めて、彼が参加者を突いている写真を眺めた。
そして思い出した。
そういやあの時も、大きな男の人がみな、後ろに大きくよろけていたこと、けれども、そういう受け身に慣れていた様子だったこと。



あの日曜日の講座で、あの場でいた人たちがそれぞれにペアを組み、そして「はい、始め」と指導者が言うまでの間、
受けをする人への注意も、手を突き出す方の人への注意も、まるで一言も無かった。



わたしはだから、足を揃えて立っていて、相手の男性との距離もとても近かった。
そしてその男性は、力任せに押したので、わたしは言葉通り吹っ飛んで、体勢を変える間もなく地面に倒れてしまった。
気がついた瞬間から、講座を中断させてしまったこと、相手の男性を驚かせてしまったことが申し訳なくて、謝ってばかりいたのだけども、
わたしは周りのことばかりを気にしてクヨクヨするより先に、自分のために自分のことを、しっかりと考えるべきだったのだ。



どうしてこんなことになってしまったのか。
自分の体のどこが一番痛んでいるのか。
どんな事情にせよ、実際にわたしを傷つけた人が、どうしてその場から姿を消してしまっているのか。



こんないい年になっているというのに、いまだに、まず自分を大切に考えられない。
周りの目や事情が気になって、自分の心や体の調子を、ていねいに見つめられない。
このナイーヴさが、だいぶ少なくなってきたと思っていたけれど、まだまだなのだと気がついた。

歩美ちゃんが植えた種や苗が、少しずつ芽を出してきた。



雨が降り続いて、だから水撒きの手間が省けるのだけれど、根腐れはしませんように……などと身勝手なお願いを、お天道様にしている。
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「電気の代わりはあるけど琵琶湖の代わりはない。そして命の代わりも」滋賀県新知事・三日月氏

2014年07月14日 | 日本とわたし
無所属新人の元民主党衆院議員三日月大造氏が、無所属2新人を破り、初当選されたんですね。
その無所属2新人の中のひとりは、自民、公明両党推薦の、元経済産業省官僚小鑓隆史氏やったんですね。
そして投票率は、50%を、わずかとはいえ、上回ったんですね。

八百長は、50%を超えると、しにくくなるのかな。

だったら、最低でも50%以上の、有権者のせめて半数の大人たちが投票したら、とりあえずはまともな、世論が反映された結果が出るのかな。

いずれにせよ、自民党の好き放題の悪行に辟易している大人が、滋賀県には他の県よりたくさんおられるのだと、
そしてその思いを投票という行為で示す、主権者としての義務をきちんと果たした方が、ふたりにひとりはおられたのだと、
元滋賀県の住民としては、とても嬉しいニュースとなりました。

ありがとう滋賀県民さん!
他の県のみなさんも、滋賀県に続いて欲しい!
特に、次に選挙を控えている長野県、香川県、福島県、新潟市、愛媛県、福岡市、沖縄県、和歌山県の主権者のみなさん、ぜひぜひ滋賀県に続いて欲しい!

長野県知事選(8月)
香川県知事選(9月)
福島県知事選(11月)
新潟市長選(11月)
愛媛県知事選(11月)
福岡市長選(12月)
沖縄県知事選(12月)
和歌山県知事選(12月)

心からそう願います。

「電気の代わりはあるけど琵琶湖の代わりはない。そして命の代わりも」
と、三日月氏はおっしゃったそうです。

卒原発&集団的自衛権反対をはっきりと打ち出した上での当選。
自民党の名の通った議員が、100名近く滋賀県に送り込まれ、おなじみの経済活性化&インフラ整備などをエサにしたバラマキ戦略を展開しました。
それでも負けた。勝てなかった。
民意を投票という形で示した滋賀県の有権者のみなさんに、権力やカネが勝てなかった。

日本を地方から変える。
そのはじめの一歩!
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『正常化』を“偽装”する政府に不信感⇒川内村の避難指示解除見送り⇒なんとお粗末で安易な『正常化』

2014年07月14日 | 日本とわたし
福島県川内村、26日の避難解除見送り 住民の反対相次ぎ、再検討へ 
「正常化」を”偽装”する政府に不信感(各紙)

2014年7月14日

各紙の報道によると、
政府は13日、東京電力福島第一原発事故後に避難指示解除準備区域としている川内村の避難指示解除を当初、26日としていたが、
住民の間に不安が強いことから、26日の解除を見送ることにした。

13日、川内村と郡山市内で開いた住民向け説明会で、住民からは、
村の生活環境の整備が不十分である、放射能汚線量が高い地域があるなど、不安意見が、相次いで出された。



村内の懇談会には約60人、郡山市には約20人が参加した。
政府は説明会で、区域内の放射線量の一定程度の低減を踏まえて、「解除の条件はおおむね整った」と説明、
26日の解除に理解を求めたが、こうした政府の「正常化」強調に対して住民たちは、
実感としての不安と、政府の「帰還促進」姿勢に、不信感を示した形だ。

また住民の間からは、「帰っても仕事がなく、生活が不安定になる」などの不満の声もでた。
放射能除染で表面的な線量を低減できたとしても、「正常化」はそれだけでは実現しない。
普通に暮らすためには、働く場が必要だし、子どもたちが安心して遊び学べる場、家族や友人と語らい、談笑できる環境の回復が必要である。

避難指示解除準備区域の、年間被ばく線量20ミリシーベルト以下を一時的に確保するだけでは、生活の復興につながらないことを、住民たちは肌感覚で感じているといえる。
霞ヶ関、永田町で報告されてくるデータだけをみて判断しているようでは、住民との差は埋まらないだろう。

遠藤雄幸村長は、懇談会最後のあいさつで、解除に向けた村の検証委員会が、28日にも中間答申をする予定とした上で、
「検証委の答申を踏まえて、解除時期を判断したい。26日の解除は政府に再考してもらい、もう一度協議する時間が必要と感じた」と述べた。
復興庁の熊谷敬統括官も、解除しない方針を示した。
区域内では、4月26日から3カ月間、帰還のための準備宿泊(長期宿泊)が行われており、
25日で期限が切れるため、期間を延長した上で解除時期を再協議する
見通し。

以上、転載おわり


この、帰還のための準備宿泊というのが行われる、というニュースを聞いた時からずっと、
いったいどこの誰が、どういう確証でもって、この避難指示解除というものを行い、帰還のための準備などといって、3ヵ月もの長期宿泊を提案したのか。
ということについて考えていました。

報道によると、
長泥地区では、故郷の景観を守ろうと、年に数回、住民らが集まって、桜並木や道路の手入れを行っているのだそうです。
生業、そして何世代もかけて受け継がれてきた農地や集落。
それらをすべて、一瞬にして奪い取られてしまった住民の方々の気持ち。
過疎の農村で、13年だけとはいうものの、嫁として暮らしたことがあります。
強いつながり、しがらみ、良くも悪くも深い絆が、小さな村には存在しています。

どうやったら、あの事故の直前まで、活き活きと生きていた地域を継続し得るのか。
国や県は、地域内で決めろと言う。
だから自分たちでやっていくしかない。
そんなふうに思い詰めている年配の方々。

国は、原発事故の直後は、『積算線量』(将来どれだけ被ばくするかの目安)を知ることが重要だ、と言っていました。
なので、この帰還解除を言い出した時、政府が発表した被爆線量は積算などではなく、帰還後たった1年の被爆線量だけです。

避難指示を解除すると、解除後1年で、賠償が打ち切られます。
原発事故の処理費用を抑える為には、強引にでも、避難指示を解除する必要があるのですね。


「道路の復旧も終わっていない」
「自宅前の道路の放射線量が下っていない」
「(商店や病院などがある)他町村が帰還できなければ、インフラが戻ったとは言えない」
「除染土の仮置き場が撤去されていない」

懇談会では、市民の方々からの、そんな苦情や指摘が相次いだそうです。

政府の出した避難指示解除は、なんとお粗末で安易なものだったか……。
そんなことをする政府を、いったい誰が信じられるのか……。

年間被ばく線量20ミリシーベルト以下を一時的に確保するだけでは、生活の復興につながらない

そういうことを我が事のように捉え、考えることができるまともな人が、決議の権利を持てないまま、月日だけがどんどん過ぎていってしまう……。
こんな現状にどうやったら終止符が打てるのか。
そのことを考えています。

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13th Annual Master Jou Tai Chi Festival

2014年07月14日 | 世界とわたし
気功瞑想の先生ミリアムとクラスメイトのマリアン、そしてわたしの3人で、ニュージャージー州の最北にある町で行われるワークショップに行ってきた。

早起きが超~苦手のわたしだけども、ほんでもって、なんだかイヤ~な疲れがどんどん増してきた感じがする週末だったけれども、
さらにさらに、もしショーティが生きてくれてたら、キャンセルする気まんまんだった行事だったけれども、
ずいぶん前から計画していたことだし、泊まるモーテルの予約もしてくれてあったし、なにより大好きな友だちと一緒に行くのだからと、
うじゃうじゃ考えてる自分の背中をエイッと押して、5時に目覚ましをセットして寝た。
でも、興奮してるのか、ほとんどちゃんと眠れぬままに朝になり、シャワーを浴び、車の中で食べる朝食用に、3人分の梅干しおにぎりを作った。

まずはマリアンの住むアパートに到着(写真は、彼女のアパートのお向かえにある教会。数年前の夏に、バイトで演奏した)。


彼女の荷物といったら……コーヒーメーカーにミントの葉っぱ一束、クッキー各種にスイカ、山奥に1週間キャンプしに行くような勢いである……。
次にミリアムを拾って、ひたすら北に向かう。

会場は、森の中の一軒家。


レジスター待ち。


太極拳、気功、そして瞑想の世界。






こんな素晴らしい自然を目の前にして、この檻は気の毒過ぎる……と思ったけれど……。


大好きな友だち、ミリアム&マリアン♡


再び、太極拳、気功、そして瞑想の世界の数々。






ここのテントの中では、講師たちが書いた本やCD、DVDやTシャツ、その他もろもろの関係グッズが売られていた。


チャイニーズ・ヨガ(すご~くおもしろかった)のJianye先生。


どうやって自分で自分の整体をするか、を教えてくれたJohn先生。


太極拳パフォーマンス。










関節をリラックスさせるクラス。


5分でできる、簡単自己治癒力を向上させるマッサージを教えてくれたSiobhan先生。


この丘を下りていった所に、めちゃくちゃきれいな川が流れてた。


マスター・ジョーの遺影が飾られている一角。
まだまだ長生きするはずだった彼は、スーパーから出てきたところでトラックに轢かれて亡くなったらしい。


このセミナーの講師はみな、マスター・ジョーのお弟子さん。

その中でもとりわけ彼女の講座は、どれもこれもとても分かりやすくて興味深かった。


足裏のマッサージの説明中。








ここが食堂。1700年代に建てられた家。




ちょいとベンチに寝そべる。


お泊まりのモーテルに行く途中の信号待ちに、突如現れた消防車。
サイレンとクラクションの合間に、若者の歓声が聞こえる。
なにかで優勝したお祝いだね。子どもたちがニコニコ笑いながら、トロフィーを高く掲げている。


モーテルまで、迷いに迷った。
一緒のモーテルに泊まる、ミリアムの水曜日のクラスの生徒ジョーは、あまりに迷い過ぎている我々の後を付いて来るのに嫌気が差して、
「これからはボクが先導するから付いてきて」と行って先を走ったけれどもやっぱり迷い……、
結局は、丘の上にあるモーテルから、グルグルと同じ所を走っている我々を見下ろしていた従業員さんの誘導に従って、無事到着……やれやれ……。

その夜の目的だったお月見。
直前に、真っ黒な分厚い雲に覆われたかと思うと大雨が降り、そのあとみるみる雲が散っていって……。


プッシュハンズの講座で、見知らぬ人とペアになり、ただただその人の目を見つめるという練習をした時の混乱と居心地の悪さを話すと、
そこからどんどん話が広がっていき、アメリカ人のマリアン(両親はアイルランドからの移民)、イスラエル人のミリアム、黒人のジョー、そして日本人のわたしの、
それぞれの国のこと、世界のこと、そして自分自身のことなど、満月の光の中に、いろんな言葉が飛び交った。
そして突如、マリアンが、椅子ごと倒れた!
ちょっとだけ傾斜があった所に彼女は座っていたのだけれども、彼女が持っていたマグカップが、コロコロと丘を転げていったのを見た直後、
ケラケラと笑う彼女の声が聞こえて、よく見ると彼女は、芝生の上で仰向けになったまま笑っていたのだった。
それを見た我々も、助け起こしに行きながらも、ゲラゲラを大笑い。
もちろん彼女は、体の左側を、椅子の腕とアスファルトでしこたま打ったわけで、笑い事ではないのだけれども、
彼女があまりにも楽しそうに笑うので、我々もそれにつられて大笑いした。
ミリアムがボソッと、
「実は、今日のクラスの途中で、サンドラも椅子ごと倒れたのよ。二度あることは三度ある、ってなことにならなければよいのだけれど……」
と、ちょっと不吉なことを言った。

翌朝も早起き。
近くのダイナーで朝食を食べる。
この建物もめっちゃアンティーク。


店は、バイクのライダーたちで混み合っていた。近くで祭りが行われているらしい。

ブルース&ビリー先生による、太極拳と気功の合体講座。


ボブ先生の、プッシュハンズの初心者向け講座。




そして、関節を広げる講座を教えるスティーブ先生が、なにやら漢字を書き始めた。




この後、一大事が起こった。

どういう経路でその動きをすることになったか、それがどうも思い出せないのだけど、
近くに居る人とペアを組み、向かえ合わせに立ち、ひとりは胸の辺りでクロスし、あとのひとりがそのクロスした腕の部分を押す、という練習をすることになった。
ほとんどの人が、もともとの友だちとペアになり、わたしはひとり残っていた、赤いTシャツを着た男性とペアを組んだ。
わたしが胸の辺りで腕をクロスし、真向かえに立ったその男性が、わたしの腕を押すことになった。
彼はほとんどうつむいていて、何も話さなかったけれど、押す直前にわたしを見つめ、「Are you ready?」と一言聞いた。
「I'm ready」とわたしが言った瞬間、彼は両手を突き出してわたしを押したのだけども、その力があまりに強かったので、わたしは腕を前で組んだまま吹っ飛んでしまった。
そしてそのまま、地面に倒れ、背中と後頭部を強く打った。

ゴツンという鈍い音がして、少しの間何も見えなくなった。
気がつくとわたしは地面の上に仰向けに寝ていて、おでこの辺りが滅茶苦茶に痛み、前歯の付け根がビンビンと痺れて話せなかった。
しばらくまともに答えられなかったので、医者と看護士がやってきて、眼球や首の辺りをチェックしてくれた。
30分ほど寝たままでいて、その間に、さまざまな資格を持つ人が、あれこれと世話を焼いてくれた。
恥ずかしいやら申し訳ないやら……。
あんなふうに、まるで木偶の坊みたいに、手を胸の前で組んだまま立っているべきではなかった。
クラスを台無しにしてしまった……などなど、後悔ばかりが頭に浮かんできた。
だんだんと、寝た状態から上半身だけ起き上がった状態、そこから椅子に座り、そして立つまでに、充分に時間をとってくれた。

最後まで付き添ってくれた、催眠療法や気功治療のドクター、ジョナサン先生の手が、背中を温めてくれていた時、突然泣きたくなってしまった。
「我慢してはだめ」という彼の声を聞いた途端、おいおいと泣き始めた自分に戸惑ったけれども、ここはもう泣きたいだけ泣こうと思い直した。
押した彼だってびっくりしただろう。
だから、わたしはもう大丈夫だと言いに行きたかったけれども、
事態を知ったミリアムが、彼があの後その場から逃げ去ってしまったこと、落ち着いてからも、一度もわたしの様子を確かめに来ないことに怒って、
「誰?どこに居るの?わたしが一発パンチをお見舞いしてやる!」と言ったので、とりあえず誰が彼なのか言わないでおくことにした。

会場のスタッフは皆、とても親切で、いろんな講師の人たちも、それぞれにできる簡単な治療を施してくれた。
痛みや凝りをやわらげるクリームやオイルもくれた。
昼食を、一番に、取らせてくれた。
いっぺんに、どちらかというとあまり格好よくない事情で、すっかり有名になってしまった。

最後の講義(痛みをやわらげるための太極拳と気功)も、とりあえずゆっくりと、座ったまんまで受けた。 


帰りの車は、わたしが運転をした。
車中、ミリアムの親友の旦那さんが、12才の娘と一緒に旅行中に、突如、脳梗塞で亡くなってしまったという話を聞いた。
さらに、ミリアムの家族や親族がたくさん暮らしている、ガザのことも話した。
避難できた家族もいる。
仕事を放り出したら、家族を食べさせていけないからと、今だに、ガザにある会社に通勤している家族もいる。
ただの爆弾ならまだいいけれども、攻撃してくるミサイルを追撃するミサイルが空中で爆破した時の爆音は、耐えられないほどうるさい。
そんな話を淡々とするミリアム。
イスラエルが抱えた問題や苦難は、あまりにも複雑で、一言では説明できない。
それを、報道機関は、知った顔をして、善悪、白黒、勝手に口々にしゃべっている。
際限のない愚か者による、際限のない愚行。
もうどうにもならないという絶望と、それでも希望を捨てずに生きることへの渇望が、彼女の心の中で渦巻いている。


家に戻ってから、旦那に事情を話し、治療をしてもらった。
どんどんと悪化しそうだった首の付け根のつっぱりや痛み、それから頭痛が、ずいぶん軽減した。
フェスティバルのスタッフも、旦那が鍼灸師であることを告げると、心からホッとしたような顔をした。
ありがたやありがたや。

とまあ、かなり痛いハプニングに遭ったけれども、そしてそれは、わたしだけではなくて、サンドラもマリアンも遭ってしまったのだけれど、
朝から夕方まで、森の緑に包まれて、いろんな体験をさせてもらった。
ミリアムの水曜日のクラスの、サンドラとデラ、そしてジョーの3人はみな、数年~10年前に脳梗塞を患い、リハビリをしながら暮らしている。
サンドラの症状は、3人の中でも一番重く、言葉が少し不自由で、杖がないと歩けないし、体が常に揺れている。
わたしはどの講義よりも、その3人から、とても大切なことを学んだような気がする。

また来年も行こう。
そして、同じような動作の練習があった際には、少々強く押されても大丈夫なように、ちゃんと後ろ足を踏ん張るように気をつけよう。
まだまだ学ぶことはたくさんあるのだ。
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誕生日初体験『平成中村屋・怪談乳房榎』

2014年07月14日 | 家族とわたし
7月10日は、旦那の誕生日だった。
ついに40代最後、50代へリーチをかける年になった。
といっても、別になにがどうこうというわけでもない。
わたしが、まるで特別な感慨を持たなかったのと同様に。

こちらでは、大人も子どもも一様に、誕生日を盛大に祝う。
電話がたくさんかかってきたり、レストランでは従業員のみなさんによる、オリジナルでハッピーなお祝いがあったり、
プレゼントがあちらこちらから送られてきたり手渡されたり、それは年令に関係なく起こる。

朝起きた時から寝る直前まで、誕生日であることが嬉しいように。


息子たちはそれぞれに、父親との会話の中からヒントを得た物をネットで注文し、それを送ってくる。
それって、普段からそういう思いやりがなければ見つけられないことだから、余計に嬉しかったりする。
そしてまなっちゃんは、『平成中村屋』の公演のチケットを、旦那とわたしにプレゼントしてくれた。
きゃ~!!
旦那は歌舞伎が初めて。わたしはこの『平成中村屋』の前回の公演が初めてで、だからこれが二回目。

チケットをバッグに入れて、いざ出発。
リンカーンセンターのすぐ側にあるレストランで、軽く腹ごしらえ。


時間が30分弱しか無いけれど、小腹を満たしたい我々に、めっちゃ協力してくれたウェイトレスさん。
窓が取り払われた店内に、爽やか~な風が流れ込んでくる。


よっしゃ、あと5分強で開演。間に合った!と意気込んでセンターに向かったが……。


前回は、このお店を一通り見学してから、すぐ後ろの建物に入っていった覚えがあるのだけれども……。




どうも様子がおかしい……。


「ちょっと、チケット見せて」と旦那。
ゴソゴソとカバンの中から取り出して見せたら……。
「JAZZ AT LINCOLN CENTERって書いてあるやん!?」
うげげっ!!

焦りまくってコロンバス・サークルにあるJass at Lincoln Centerまで走り、とりあえず開演2分前に到着。


席は3階で、しかも翻訳器無しでは訳が分かるまいということで、それを獲得するのにさらに時間がかかり……、
焦りまくりながらも、とりあえず幕が開く前に着席。ふぅ~。


演目は『怪談 乳房榎』。
中村勘三郎さんが生前、3度目のNY公演はコレでいこう、とおっしゃっていたものだそうな。
それを息子の勘九郎さんが引き継ぎ、見事なひとり三役を見せてくれた。

もちろん撮影禁止なのだけども、最上段の我々の席には見張りの人がおらず、それをよいことにパチリ。
ニューヨーク公演に合わせて、英語の達者な役者がふたり、面白おかしく会場を沸かせる。
これは、次の幕では、あなた方は多分水浸しになるのでと、客に簡易レインコートを渡して着させているところ。


これがこの演目のクライマックス、角筈十二社大滝の場。


ここで、勘九郎さんが演じる3人が、すべて出てくるのだけども、
殺す殺されるで格闘をする正助と三次、その様子を見る、すでに殺された重信と、
その3人をひとりで演じる勘九郎さんの、いったいどこでどうやって入れ替わっているのかがさっぱりわからない、
というか、入れ替わることなど不可能で、まるで信じられないというような変身ぶりに、頭の中が?マークだらけ……。
しかも、キャラクターがまるで違うので、姿形が変わったら良い、というわけでもない。
本人はもちろんのこと、それを支えているスタッフのみなさんの心意気と奮闘ぶりが、ひしひしと伝わってくる舞台だった。

↓これは勘三郎さんのもの。


カーテンコール。
極悪人浪江役の中村獅童さんと勘九郎さん、そして重信の美しい妻お関役の中村七之助さんが真ん中に。


ロビーには、会場側の計らいで、勘三郎さんの遺影が掲げられていた。


翻訳器の返還にめっちゃ時間がかかった。


実はこの翻訳器、もしもの場合を考えてわたしも借りてみた。

今回は、役者さんたちの言葉が分かりやすくて、話もシンプルだったので、翻訳など必要が無かったのだけども、
訳する男性の声が大き過ぎて、結局役者さんたちの声色や表情、歌舞伎独特の雰囲気などが聞き取れず、これはちょっといかがなものか、と思った。

なにはともあれ、歌舞伎のことをろくに知らないわたしだけども、この『怪談乳房榎』は超~お勧めです!

Jazz Centerならではの雰囲気。




会場に来ていたまなっちゃんと一緒に、電車で家に戻る。
夏になると現れる、駅名物の巨大扇風機。


すっかり遅くなった。
玄関ドアのむこうに、こんな遅くまでわたしを放っといて……とばかりに、ちょっと拗ねてるショーティがいない。
お墓に、「ただいま」と声をかけた。
ショーティがいない、はじめての誕生日。
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ほたる

2014年07月10日 | ひとりごと
毎日少しずつ、長年連れ添った猫が居なくなったことに、気持ちが慣れてきました。

猫がにっこり笑った顔かたちの、白と藍色のお茶碗は、棺の中に入れたので、ただこの、ぽっかりと穴が空いた台だけが残りました。
新しい水が自動的に足される水入れといっしょに、物置に仕舞おうと思っています。


食欲が失せた彼女に、もうこうなったら、少々体に悪くても、好物だったものを食べさせてやろうと、無駄になることを承知で買ったカリカリ餌。
糖尿や腎不全に苦しむ猫用の、高価な餌と合わせると、とてもたくさん残ってしまいました。
町の動物シェルターに、引き取ってもらえるかどうか、尋ねようと思っています。


彼女が忌み嫌っていた、インシュリンの注射。
いつの間にかこんなにも、使用後の注射器がたまっていました。
これが最後の、注射針切除なんだと思うと、とても寂しくなりました。


昨晩遅くに、一匹の蛍が、部屋の中を飛んでいました。
ピカピカと、きれいな光を発して、窓際に座っているわたしの頭の周りを、行ったり来たり。
ふと、窓のむこうを見ると、ショーティのお墓の上にも、蛍が飛んでいました。
ショーティが、蛍に頼んで、わたしに話しかけてくれているのだなと、あたたかな気持ちになりました。

泣きたいだけ泣いて、1週間近く経ち、あれほど悲しさ一色だった気持ちの波が、ずいぶん穏やかになってきました。
彼女はいっしょにいる。
日に日に強く感じています。

昨日、6才の生徒イーラちゃんが、恥ずかしそうに、カードを手渡してくれました。


『まうみの悲しみが、少しでも早く、癒されますように』

久しぶりに、涙をポロポロ流して泣きました。
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こんな時だからこそ、“戦場カメラマン”石川文洋さんや、“詩人”宮尾節子さんに会いにいこう!

2014年07月10日 | 日本とわたし
『石川文洋を旅する』という映画を、上地っこさんから教えていただきました。
わたしはこの、石川氏の存在を、詳しく知りませんでした。
今、社会の有り様と、それに深く関わっている自分を、日々見つめ直す毎日が続いている中で、
彼のような人生を歩んでこられた人を旅することは、とても意義があることだと思います。
彼を旅する。
それは、ベトナム、沖縄、そして彼の生い立ちと青春を、彼とともに見つめるということ。
今なお、全く過去になり得ていない、米国の属国としての日本の姿を体現し続けている沖縄を、目をそらさずに見つめるということ。

少し前に、ツィッターで紹介した、宮地さんの詩とともに、紹介させてもらいます。



沖縄、ベトナム、そして沖縄ーー。
青年は、いかにして、戦場カメラマン“石川文洋”となったのか?




■東京都 
ポレポレ東中野
03-3371-0088

6/21(土)~7/18(金)…13:00,18:30
【熱烈反響につき再上映決定!!】
8/9(土)~15(金)…12:30,14:40,16:50
8/16(土)~終了日未定…15:20
◉7/12(土)13:00上映後…「ゆんたく高江」メンバーによる沖縄最新レポート
◉7/13(日)13:00の回上映後…太田昌国さん(評論家)によるトーク


■神奈川県
横浜シネマ・ジャック&ベティ
045-243-9800

8月公開予定


■愛知県
名古屋シネマテーク
052-733-3959

7月19日(土)より
◉7/19(土)10:40,14:30の各回上映後…大宮浩一監督による初日舞台挨拶


■長野県
松本シネマセレクト
0263-98-4928

8月2日(土)のみ10:00~、13:00~
◉12:00より石川文洋さんによる講演会(10:00、13:00の回鑑賞の方いずれも参加できます)


■長野県
長野ロキシー
026-232-3016

8月9日(土)より


■大阪府
第七藝術劇場
06-6302-2073

7月26日(土)より
◉7/26(土)12:30の回上映後…大宮浩一監督による初日舞台挨拶


■兵庫県
神戸アートビレッジセンター
078-512-5500

8月16日(土)より


■福岡県
中洲大洋映画劇場
092-291-4058

6月28日(土)より上映中!!


■沖縄県
桜坂劇場
098-860-9555

6月21日(土)より上映中!!

沖縄市民小劇場あしびなー
098-860-9555

7月18日(金)、7月19日(土)のみ

↑以上、映画紹介の引用おわり


↓以下の詩『明日戦争がはじまる』は、詩人の宮尾節子さんの作品です。
先日この詩と出会い、すぐにツィッターで紹介しました。
上地っこさんが、この詩のことを話してくださったので、またちょっと、宮尾さんの様子を覗きにいってみると、
彼女は、今月の2日に、集団的自衛権などというものが、横暴なやり口で閣議決定された翌日に、
この作品の著作権放棄の宣言をされていました。

その心意気を、わたしたちは受け取り、広げていかなければならないと思います。

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はじめの一歩

2014年07月09日 | 日本とわたし
『ヘイトスピーチ』『在特会』
これらの単語がよく目に入るようになったのも、ここ数年のことで、最初は訳が分からないままでいました。
アメリカの東海岸地域は、人種のるつぼです。
住んでいる通りひとつとっても、エチオピア、インド、ヨーロッパの国々からの家族が暮らしています。
生徒たちも、アジア、ヨーロッパ、アフリカなどから移民してきた家族なので、夏になると郷里に戻り、少し長めの休みを過ごします。

これまでにも、何の気無しに言ったことが、差別につながるから注意するようにと、諭されたことがありました。
アメリカは、ポリティカリーコレクトか否かということに、神経質になり過ぎているのではないか、と反感を持ったこともありましたが、
長く暮らしていくうちに、それは神経質か否か、などという類いのものではなくて、少数者たちのアイデンティティを護るための、当たり前の行為なのだと感じ始めています。
そしてそれは、同じく、極めつけの少数者のひとりであるわたし自身が、日常の中に存在するほんの些細な差別に、驚くほど深く傷ついたり、恐れを抱いたりしていることを、改めて見直すことにつながりました。

わたしの父は、わたしたち子どもの前で平然と、エッタなどという言葉を使い、差別的な考えを口にしていました。
昭和のど真ん中の頃です。
大阪の中学校に在籍していた時、と呼ばれる地域の住人だった男の子と付き合うことを宣言したら、
頬を思いっきり張られたりしたこともありました。
「おまえは、世の中のことをなんにもわかってへんのや」と、そう父は怒鳴っていましたが、
そんな世の中なら、わからんでけっこう!と、心の中で怒鳴り返していたことを覚えています。
けれども他のことに関しては、気の優しい、だからよく人に騙されるような気質の父でもありましたし、困っている人を見ると、放っておけない正義感も持っている人でした。


「北朝鮮のスパイ養成機関、朝鮮学校を日本から叩き出せ」
「ろくでなしの朝鮮学校を日本から叩き出せ。なめとったらあかんぞ。叩き出せ」
「日本から出て行け。何が子供じゃ、こんなもん、お前、スパイの子供やないか」
「約束というものは人間同士がするものなんですよ。人間と朝鮮人では約束は成立しません」

これらの言葉は、以下の新聞にも書かれていますが、在特会が朝鮮学校近くで街宣中に、大音量で連呼したものです。
このような思想や、それを元に言葉の暴力を加える行為を支持する人が、推定にせよ、1万5千人あまりも存在することに、とても驚いています。




在特会 賠償と街宣禁止
大阪高裁「民族教育は重要」

ヘイトスピーチ 二審も『差別』


「ヘイトスピーチ」(増悪表現)と呼ばれる、人種差別的な街宣活動で、授業を妨害されたとして、
朝鮮学校を運営する京都朝鮮学園が、『在日特権を許さない市民の会』(在特会)などに、損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決で、
大阪高裁は8日、約1200万円の賠償と、学校周辺での街宣禁止を命じた一審京都地裁判決を支持し、在特会側の控訴を棄却した

高裁の森宏司裁判長は、
「朝鮮学園には、在日朝鮮人の民族教育を行う利益がある」と認定。
在特会の活動について、
「人種差別に当たり、法の保護に値しない」と述べた。
原告側によると、マイノリティ(少数派)が、民族の言葉で教育を受ける、民族教育の重要性について、積極的に評価した初の判決という。
一審は言及していなかった。

森裁判長は、
「在日朝鮮人を嫌悪、軽視する発言は、差別意識を世間に訴える意図で、公益目的はない。
民族教育事業の運営に重大な支障をきたし、社会的評価を低下させた」
と指摘。
映像を、インターネット上に公開したことに触れ、
「今後も被害が拡散、再生産される可能性がある」とした。

判決によると、在特会のメンバーら8人は、2009年~2010年、当時京都市南区にあった朝鮮学校近くで、3度にわたり、拡声器を用い、大音量で、
「朝鮮人を保健所で処分しろ」「スパイの子ども」などと連呼し、その様子を撮影した動画を、ネットで公開した

一審判決は、日本も加盟する人種差別撤廃条約を根拠に、
「差別に当たる。平穏な授業を困難にし、学校の名誉を損なった」と判断。
在特会の街宣を、人種差別とした初めての判決だった。

控訴審で在特会側は、
「国籍による区別を主張するもので、集会・表現の自由だ」と主張し、賠償額も高すぎると訴えた
学園側は、
「街宣の悪質さや被害に基づく、妥当な額だ」と、一審判断を維持するよう求めていた。

在特会は、在日コリアンの特別永住資格などを『特権』とみなし、排斥を掲げる団体で、
ホームページによると、会員は、約14500人。
街宣では4人が、威力業務妨害罪などで、有罪が確定した。


◆ヘイトスピーチ

人種、民族、宗教上の少数者に対し、敵対意識を持ち、憎しみをあおつ差別的な表現。
『増悪表現』『差別扇動』などと訳される。
2009年ごろから、在日コリアンが多く住む、東京・新大久保や大阪・鶴橋で、
保守をうたう団体が、「殺せ」「たたき出せ」などと叫びながらデモを繰り返した。
『カウンター』と呼ばれる反差別団体との、乱闘事件も起きている。
人権差別撤廃条約は各国に、ヘイトスピーチの法規制を求めているが、日本にはない



◆ヘイトスピーチ訴訟の経過

2009年
12月4日
在特会メンバーらが、京都市南区の朝鮮学校近くで街宣

2010年
1月14日
学校付近で2度目の街宣
3月24日
京都地裁が、学校周辺での街宣を禁じる仮処分決定
3月28日
学校付近で3度目の街宣
6月28日
学校側が、街宣禁止と損害賠償を求め、京都地裁に提訴

2011年
4月21日
京都地裁が4人に、有罪判決

2013年
10月7日
京都地裁が在特会に、街宣禁止と賠償を命令
10月19日
在特会側が控訴

2014年
3月25日
大阪高裁で控訴審第一回口頭弁論があり、即日結審
7月8日
高裁が、在特会側の控訴を棄却
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