わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

国宝の焼き物 (茶碗7)

2010-10-02 22:57:27 | 国宝の焼き物
我が国で作られた、国宝の茶碗は、2碗のみですが、その内の一つが、諏訪の「サンリツ服部美術館」

所蔵の、白楽茶碗(銘不二山)です。

本阿弥光悦の、楽焼、白片身変(しろかたみかわり)茶碗で、作者が、特定されいる国宝の茶碗は、

光悦の「不二山」のみです。

楽焼き本家の、楽茶碗では無く、脇楽である、光悦の作品が、国宝となっているのも、不思議な

感じがします。

1) 楽焼 白片身変茶碗

    高 8.5cm、 口径 11.6cm 高台径 5.4cm。

    江戸時代初期 (17世紀) 本阿弥光悦作

 ① 独特で角造りの、「半筒形」、楽茶碗です。

 ② 焼成中の偶然(窯変と言う)から、白い釉薬が、下半分で黒く炭化し、片身変(かたみがわり)と、

   成っています。

   外側のみでなく、内側も、上下で白黒別の色に、成っています。

   白黒の対比(コントラスト)が、はっきりしています。  

 ③ 箆(へら)使いも鋭く、竪(たて)横に、箆目が付いた、格調の高い茶腕です。

   高台脇から、高台にかけて、厳しく力強い削り痕に、光悦ならではの、風格が見られます。

   (手捻りの、楽焼きですので、当然、箆などを使い、内外を削り、形を整える、作業があります。)

 ④ 「不二山」の銘は、雪を頂く富士山を、連想したのと、窯変して、片身変が出来でき、それが、

   二つと出来ぬ(不二)茶碗である、「天下に二つと無い」と言う事から、光悦自らが、命名した

   物です。(内箱蓋表に、「不二山 大虚菴(印)」と、本阿弥光悦自身が、書付けています。)

 ⑤ 別銘(俗銘)、振袖茶碗とも、呼ばれているます。

   光悦の娘が、嫁ぐ際、振袖に包んで、持参したと、伝えられています。

 ⑥ 伝来は、天保頃に、比喜多権兵衛が所持し、後に、姫路酒井雅楽頭忠学の蔵となり、同家に永く

   伝来しました。 


2) 本阿弥光悦とは、

 ① 安土桃山時代から、江戸初期の、書家、画家、工芸家で、京都の人で琳派に、属しました。

   (1558-1637年)。刀剣の鑑定、研磨を本業としたが、書画・漆芸・製陶にも優れていました。

 ② 光悦が、作陶に携わるようになったのは、晩年の事だと、言われています。

   1615年、57才の時に、徳川家康から、京都洛北の、鷹が峯の一角を、拝領します。

   そこに、一族や友人、配下の職人と共に移住し、後に「光悦村」と呼ばれる、集団を作ります。

   79歳で没するまでの、光悦村時代に、彼は数多くの、茶碗を生み出しています。

    (尚、有名な茶碗として、重要文化財の、楽茶碗、「雨雲」があります。)

 ③ 楽焼の、手ほどきは、楽家2代常慶と3代道入に受け、樂家から陶土を、分けて貰ったり、釉薬の

   調合法を習った、という光悦の、書簡が残されています。

 ④ 樂家に教えを受ける中、楽家の樂焼と、異なる方向を目指し、オリジナルな茶碗を生み出したます。


以上で、国宝の茶碗の話を終わります。

次回に続きます。

 国宝 楽茶碗 不二山

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