わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

窯の種類と歴史 5 (割竹式窯、 蛇窯)

2010-10-21 22:01:20 | 陶芸四方山話 (民藝、盆栽鉢、その他)
窯の分類には、幾つかの、方法が有りますが、焔(炎)の移動方向によって、分ける方法が有ります。

熱を帯びた焔(空気)は、軽く成る為、下から上に移動します。この移動の仕方によって、窯の熱効率が、

大きく変化します。その為、この焔をコントロールする方法が、色々考え出されます。

 ① 横焔式窯: 前回お話した、「窖窯」がこの方法です。

   即ち、焚口で発生した焔は、燃成室に入り、作品を暖めますが、焔は、斜面の窯床と、ほぼ平行に

   進み、煙突や、煙出し部から、外に排出される、構造の窯です。

 ② 昇焔(直焔)式窯: 作品を焼く燃成室が、焚口の真上に有り、焔が真っ直ぐ上昇し、最上部の

   煙突から、排出される、構造の窯です。我が国では、余り使われていません。

 ③ 倒焔式窯: 焚口で発生した焔が、側壁と火盾の間を通り、天井に達した後、作品を暖めながら、

   下降して、窯床の穴に吸い込まれ、煙道から煙突に、抜ける構造の窯です。

   「登窯」や、「現代の窯」は、ほとんどが、この構造の窯です。

4) 割竹式窯と 蛇窯 (初期の登窯)

   登窯は、10世紀頃に、中国の福建省の徳化窯(とっかかま)が、起源とされています。

   丘陵地帯の、斜面に築かれた、連房階段式の窯です。宋の時代に、一段と発展します。

   それ故、登窯を英語で、東洋の窯(orienntal kiln)と、言います。

  ・ 但し、この窯の技術は、桃山時代に、唐津に伝わりますが、これが我が国の、「登窯」の元祖には、

    成りませんでした。

  ・ 我が国では、熱を有効利用する為、窯の構造は、「窖窯」から、「割竹式窯」へ、更に「蛇窯」を

    経て、「登窯」へと発展したと、言われています。

    次いで、工業化へ移行する、「連続トンネル窯」へと、進歩してきました。

 ①  割竹式窯(わりたけしきかま)

  ) 半地下式の、筒抜けの窖窯に、竹を割って伏せた様(蒲鉾状)な、仕切りが、天井にあります。

     「窖窯」では、熱を帯びた空気は、天井近くを通り、煙出し部から、排出します。

     その為、窯床近くは、焼き不足に成ってしまいます。そこで、天井を這う熱気を、下に下げる

     様に、天井を丸くすると供に、要所要所に、「くびれ」を入れ、壁状の仕切りを、設けました。

     この形が、外から見ると、割り竹を並べた様に、見えました。

 ②  蛇窯(じゃがま、又は、へびかま)

   丹波で割竹式窯が、発展した物で、兵庫県の立杭の、蛇窯は、登窯としては、最も素朴な形です。

  ) 蛇が山肌に、這っている様に、見える為、この名前が有ります。

     人がやっと入れる程度の、高さの低い窯です。窯詰めには、苦労した事と、思われます。

  ) 間仕切りはなく、窯の片側に、出入り口が設けられ、天井側面に、一列に薪を投入する穴が、

     開けられています。煙出し部には、沢山の穴が開けられ、この穴を、粘土で詰めて、開閉し

     火の引き加減を、調整します。

   ) 「窖窯」に比べて、焼成時間が短く成ります。

     背が低い為、天井を伝わって、流れる熱が、少なく成る為と、側面から、薪が投入できる為です。

   ) 30~40mと、長く築かれ、間仕切りや、煙突は有りません。

     その為、多くの製品を、焼成する事が出来る事から、大量生産が可能となります。

以下次回に続きます。

 割竹式窯 蛇窯
  
コメント
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