3) 大窯 (おおがま)
① 室町中期より、戦国、安土桃山時代に成ると、美濃や備前で、半地下式の大窯が、作られます。
② 窯は、ほとんどの場合、山の尾根近くや、崖際に作られています。
これは、風通しの良い場所で、風が焚き口に入り、燃焼を助ける様な位置に、窯を築きました。
自然の力を、利用したものです。それ故、その土地に適した、窯の設計に成っています。
③ 地下式の窖窯が、改良され、単室の半地上式の窯の、大窯に成ります。
窯が大きくなると、天井を支える、支柱が必要に成ります。この支柱は、分焔柱にもなりました。
即ち、焔が直線的に、流れる為、窯の両端は、焼け不足になります、支柱があると、そこで焔が、
分流され、窯の中に、均一に流れるように、成ります。
この支柱を、何処に置くかによって、又、支柱の形状を、工夫する事により、焔を任意の位置に、
コントロールする事ができます。
・ 大窯以前にも、焔が均一に成る様に、「窯詰め」を工夫しのは、当然あり得る事です。
④ 備前の大窯は、国指定史跡、南大窯跡があります。
室町末~江戸初期から中期に掛けて、東大窯、中央窯、西大窯と、三基の窯が、築かれました。
) 最大の東窯は、全長54m、幅約5m、高さ約1.8mに達し、国内でも、最大規模の窯です。
) 中央窯は、全長30m、幅約2.3m、(やや小型となりまが、一番古く、築かれました。)
) 西窯は、全長30m、幅2.8m。
三基とも、床面を若干掘り下げた上に、天井を架けて、トンネル状にした、窖窯の構造で、
天井を支える為、土柱が設けられていました。
⑤ この窯では、一回の焼成に、薪が15000~16000貫(約56~60トン)必要で、製品も、
3万4~5千個を、34~35日かけて、焼いていました。
窯が大きくなれば、焼成日数も増え、暖めと冷やす時間が、長くなります。
⑥ この穴窯で焼かれた製品は、壷、瓶、擂鉢(すりばち)などの、日常雑器類が主でしたが、
大形の作品も、見られます。
その他に茶器、花器も、焼かれ、特に桃山時代の製品は、美術的に高く、評価されています。
⑦ この窯は、陶工達の共同窯で、数人の窯元の下に、寄り合って、座を組織して、年に数度、
窯を焚きました。
⑧ 美濃の大窯は、瀬戸窯で約30基、美濃窯で約70基が、確認されています。
(備前の大窯に比べ、規模は小さいです。)
従来の窖窯が、丘陵部に築いたのに対して、集落近くに、構築される様になります。
⑨ 瀬戸、美濃型大窯の特徴は、焼成室(作品を置く所)に、3~4本の天井を支える、柱を設けた
地上式で、焼成室手前に、火炎室が設置された、燃焼効率の高い窯です。
(火炎室は、燃焼室の奥に、作られた室で、焔が壁に当たり、上昇焔と成って、次の焼成室に、
流れ込む様な、働きをします。)
⑩ この窯で「志野」「黄瀬戸」「瀬戸黒」など、茶の湯で使う、焼き物が作られました。
可児市では、久々利の大平(おおひら)や、大萱(おおがや)にありました。
以下次回に続きます。
大窯
① 室町中期より、戦国、安土桃山時代に成ると、美濃や備前で、半地下式の大窯が、作られます。
② 窯は、ほとんどの場合、山の尾根近くや、崖際に作られています。
これは、風通しの良い場所で、風が焚き口に入り、燃焼を助ける様な位置に、窯を築きました。
自然の力を、利用したものです。それ故、その土地に適した、窯の設計に成っています。
③ 地下式の窖窯が、改良され、単室の半地上式の窯の、大窯に成ります。
窯が大きくなると、天井を支える、支柱が必要に成ります。この支柱は、分焔柱にもなりました。
即ち、焔が直線的に、流れる為、窯の両端は、焼け不足になります、支柱があると、そこで焔が、
分流され、窯の中に、均一に流れるように、成ります。
この支柱を、何処に置くかによって、又、支柱の形状を、工夫する事により、焔を任意の位置に、
コントロールする事ができます。
・ 大窯以前にも、焔が均一に成る様に、「窯詰め」を工夫しのは、当然あり得る事です。
④ 備前の大窯は、国指定史跡、南大窯跡があります。
室町末~江戸初期から中期に掛けて、東大窯、中央窯、西大窯と、三基の窯が、築かれました。
) 最大の東窯は、全長54m、幅約5m、高さ約1.8mに達し、国内でも、最大規模の窯です。
) 中央窯は、全長30m、幅約2.3m、(やや小型となりまが、一番古く、築かれました。)
) 西窯は、全長30m、幅2.8m。
三基とも、床面を若干掘り下げた上に、天井を架けて、トンネル状にした、窖窯の構造で、
天井を支える為、土柱が設けられていました。
⑤ この窯では、一回の焼成に、薪が15000~16000貫(約56~60トン)必要で、製品も、
3万4~5千個を、34~35日かけて、焼いていました。
窯が大きくなれば、焼成日数も増え、暖めと冷やす時間が、長くなります。
⑥ この穴窯で焼かれた製品は、壷、瓶、擂鉢(すりばち)などの、日常雑器類が主でしたが、
大形の作品も、見られます。
その他に茶器、花器も、焼かれ、特に桃山時代の製品は、美術的に高く、評価されています。
⑦ この窯は、陶工達の共同窯で、数人の窯元の下に、寄り合って、座を組織して、年に数度、
窯を焚きました。
⑧ 美濃の大窯は、瀬戸窯で約30基、美濃窯で約70基が、確認されています。
(備前の大窯に比べ、規模は小さいです。)
従来の窖窯が、丘陵部に築いたのに対して、集落近くに、構築される様になります。
⑨ 瀬戸、美濃型大窯の特徴は、焼成室(作品を置く所)に、3~4本の天井を支える、柱を設けた
地上式で、焼成室手前に、火炎室が設置された、燃焼効率の高い窯です。
(火炎室は、燃焼室の奥に、作られた室で、焔が壁に当たり、上昇焔と成って、次の焼成室に、
流れ込む様な、働きをします。)
⑩ この窯で「志野」「黄瀬戸」「瀬戸黒」など、茶の湯で使う、焼き物が作られました。
可児市では、久々利の大平(おおひら)や、大萱(おおがや)にありました。
以下次回に続きます。
大窯