わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

窯の種類と歴史 4 (大窯)

2010-10-20 22:49:18 | 陶芸四方山話 (民藝、盆栽鉢、その他)
3) 大窯 (おおがま)    

 ①  室町中期より、戦国、安土桃山時代に成ると、美濃や備前で、半地下式の大窯が、作られます。

 ②  窯は、ほとんどの場合、山の尾根近くや、崖際に作られています。

    これは、風通しの良い場所で、風が焚き口に入り、燃焼を助ける様な位置に、窯を築きました。

    自然の力を、利用したものです。それ故、その土地に適した、窯の設計に成っています。

 ③  地下式の窖窯が、改良され、単室の半地上式の窯の、大窯に成ります。

    窯が大きくなると、天井を支える、支柱が必要に成ります。この支柱は、分焔柱にもなりました。

     即ち、焔が直線的に、流れる為、窯の両端は、焼け不足になります、支柱があると、そこで焔が、

     分流され、窯の中に、均一に流れるように、成ります。

     この支柱を、何処に置くかによって、又、支柱の形状を、工夫する事により、焔を任意の位置に、

     コントロールする事ができます。

     ・ 大窯以前にも、焔が均一に成る様に、「窯詰め」を工夫しのは、当然あり得る事です。

 ④  備前の大窯は、国指定史跡、南大窯跡があります。

    室町末~江戸初期から中期に掛けて、東大窯、中央窯、西大窯と、三基の窯が、築かれました。

  ) 最大の東窯は、全長54m、幅約5m、高さ約1.8mに達し、国内でも、最大規模の窯です。

  ) 中央窯は、全長30m、幅約2.3m、(やや小型となりまが、一番古く、築かれました。)

  ) 西窯は、全長30m、幅2.8m。

  三基とも、床面を若干掘り下げた上に、天井を架けて、トンネル状にした、窖窯の構造で、

  天井を支える為、土柱が設けられていました。

 ⑤ この窯では、一回の焼成に、薪が15000~16000貫(約56~60トン)必要で、製品も、

   3万4~5千個を、34~35日かけて、焼いていました。

   窯が大きくなれば、焼成日数も増え、暖めと冷やす時間が、長くなります。

 ⑥ この穴窯で焼かれた製品は、壷、瓶、擂鉢(すりばち)などの、日常雑器類が主でしたが、

   大形の作品も、見られます。

   その他に茶器、花器も、焼かれ、特に桃山時代の製品は、美術的に高く、評価されています。

 ⑦ この窯は、陶工達の共同窯で、数人の窯元の下に、寄り合って、座を組織して、年に数度、

   窯を焚きました。

 ⑧ 美濃の大窯は、瀬戸窯で約30基、美濃窯で約70基が、確認されています。

   (備前の大窯に比べ、規模は小さいです。)

   従来の窖窯が、丘陵部に築いたのに対して、集落近くに、構築される様になります。

 ⑨ 瀬戸、美濃型大窯の特徴は、焼成室(作品を置く所)に、3~4本の天井を支える、柱を設けた

   地上式で、焼成室手前に、火炎室が設置された、燃焼効率の高い窯です。

   (火炎室は、燃焼室の奥に、作られた室で、焔が壁に当たり、上昇焔と成って、次の焼成室に、

    流れ込む様な、働きをします。)

 ⑩ この窯で「志野」「黄瀬戸」「瀬戸黒」など、茶の湯で使う、焼き物が作られました。

   可児市では、久々利の大平(おおひら)や、大萱(おおがや)にありました。

以下次回に続きます。

 大窯
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