わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

現代の陶芸231(好本宗峯)

2012-11-05 22:27:06 | 現代陶芸と工芸家達

縄文土器、弥生土器と1万年以上続いた我が国の焼き物も、古墳時代(3世紀半ば~6世紀末)に

渡来した陶工達により、熱を閉じ込め高温に焼成できる窯と、轆轤挽きの技法がもたらされ、土器に

代わり、薄作りで強度ある作品が作られる様に成ります。

その結果、奈良時代には美濃や備前で、無釉(又は自然釉)の須恵器が作られる様になります。

しかし、平安時代に尾張の猿投(さなげ)で、灰釉陶器が量産される様になると、須恵器も自然と

衰退して行きます。千年余り途絶えていた須恵器の魅力を再発見し、須恵器の再現を試みている

備前の陶芸家が、好本宗峯氏です。

1) 好本宗峯 (よしもと しゅうほう): 1938年(昭和13) ~

   ① 経歴

   1938年 岡山県伊部市に生まれます。

   1965年 故藤田佳郎に師事します。

   1972年 半地下式穴窯を築きます。

   1975年~日本伝統工芸展、中国国際陶芸展、日本陶芸展に入選を繰り返します。

   1981年 日本工芸会正会員に認定されます。須恵器穴窯築窯

   1984年 「日本伝統工芸会中国支部展」で金重陶陽賞を受賞します。

   1990年 岡山日日新聞文化賞を受賞。「第16回備芸会展」で県教育長賞を受賞。

   1992年 須恵器窖窯四号を築く。

   1997年 松江藩主松平不味公考案による菅田庵へ備前鬼桶水指を献上。

   1998年 「焼き締め陶芸」展に入選

   2002年 須恵器窖窯五号を築く。

    個展: 西武百貨店池袋店、天満屋倉敷店、大和百貨店新潟店、黒田陶苑渋谷店など。

  ② 須恵器について。

   ) 須恵器は突然消滅した訳ではなく、平安末期には備前伊部付近で、更に鎌倉時代の佐山

     でも、灰青色の須恵器が制作され、鎌倉中期以降は黒灰色となり、更に南北朝には 酸化

     焼成での茶褐色の甕(かめ)や壷、擂鉢(すりばち)などが焼成され、現在の備前焼へと発展

     して行きます。

     ・ 須恵器の色によって、時代区分や、制作場所が特定できるそうです。

   ) 岡山県邑久町一帯には、須恵器の窯跡が70ヶ所以上あり、窯の数も200個以上確認

      されています。尚、備前の隣には須恵の地名があるそうです。

   ) 備前の須恵器は他の産地に比べ、肌理が細かく、色白の為朝廷への貢物として珍重されて

       いた様です。

   ) 一般に、現在の備前焼きは、酸化焼成しますが、須恵器は強還元焼成で青灰色になります    

  ③ 好本宗峯氏の陶芸 

   ) 独立してから10年間は、一般的な備前焼を焼いています。

   ) その後、須恵器の緑色の自然釉の美しさに魅せられ、須恵器の制作と焼成の再現を

      目指します。

   ) 土は伊部の土を使いますが、鉄分の多い土は、備前焼に使用し、白っぽく鉄分の少ない

      土は須恵器に使っています。

      制作は手回し轆轤を使う紐作りですが、場合によっては蹴り轆轤を使っています。

   ) 1972年 古代に須恵器が焼かれた佐山に、全長6mの窖窯(あながま)を築きます。

       現在: 登窯1基、 窖窯5基、角窯1基を所有しているとの事です。

   ) 作品としては、須恵擂鉢、片口向付、備前須恵徳利、須恵ぐい呑、須恵水指などの作品が

       あります。 自然灰釉が厚く掛り、強還元焼成で透明感溢れる作品に仕上げています。

       尚、好本氏は、須恵器以外にも、一般に言われる備前焼も、制作しています。

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