縄文土器、弥生土器と1万年以上続いた我が国の焼き物も、古墳時代(3世紀半ば~6世紀末)に
渡来した陶工達により、熱を閉じ込め高温に焼成できる窯と、轆轤挽きの技法がもたらされ、土器に
代わり、薄作りで強度ある作品が作られる様に成ります。
その結果、奈良時代には美濃や備前で、無釉(又は自然釉)の須恵器が作られる様になります。
しかし、平安時代に尾張の猿投(さなげ)で、灰釉陶器が量産される様になると、須恵器も自然と
衰退して行きます。千年余り途絶えていた須恵器の魅力を再発見し、須恵器の再現を試みている
備前の陶芸家が、好本宗峯氏です。
1) 好本宗峯 (よしもと しゅうほう): 1938年(昭和13) ~
① 経歴
1938年 岡山県伊部市に生まれます。
1965年 故藤田佳郎に師事します。
1972年 半地下式穴窯を築きます。
1975年~日本伝統工芸展、中国国際陶芸展、日本陶芸展に入選を繰り返します。
1981年 日本工芸会正会員に認定されます。須恵器穴窯築窯
1984年 「日本伝統工芸会中国支部展」で金重陶陽賞を受賞します。
1990年 岡山日日新聞文化賞を受賞。「第16回備芸会展」で県教育長賞を受賞。
1992年 須恵器窖窯四号を築く。
1997年 松江藩主松平不味公考案による菅田庵へ備前鬼桶水指を献上。
1998年 「焼き締め陶芸」展に入選
2002年 須恵器窖窯五号を築く。
個展: 西武百貨店池袋店、天満屋倉敷店、大和百貨店新潟店、黒田陶苑渋谷店など。
② 須恵器について。
) 須恵器は突然消滅した訳ではなく、平安末期には備前伊部付近で、更に鎌倉時代の佐山
でも、灰青色の須恵器が制作され、鎌倉中期以降は黒灰色となり、更に南北朝には 酸化
焼成での茶褐色の甕(かめ)や壷、擂鉢(すりばち)などが焼成され、現在の備前焼へと発展
して行きます。
・ 須恵器の色によって、時代区分や、制作場所が特定できるそうです。
) 岡山県邑久町一帯には、須恵器の窯跡が70ヶ所以上あり、窯の数も200個以上確認
されています。尚、備前の隣には須恵の地名があるそうです。
) 備前の須恵器は他の産地に比べ、肌理が細かく、色白の為朝廷への貢物として珍重されて
いた様です。
) 一般に、現在の備前焼きは、酸化焼成しますが、須恵器は強還元焼成で青灰色になります
③ 好本宗峯氏の陶芸
) 独立してから10年間は、一般的な備前焼を焼いています。
) その後、須恵器の緑色の自然釉の美しさに魅せられ、須恵器の制作と焼成の再現を
目指します。
) 土は伊部の土を使いますが、鉄分の多い土は、備前焼に使用し、白っぽく鉄分の少ない
土は須恵器に使っています。
制作は手回し轆轤を使う紐作りですが、場合によっては蹴り轆轤を使っています。
) 1972年 古代に須恵器が焼かれた佐山に、全長6mの窖窯(あながま)を築きます。
現在: 登窯1基、 窖窯5基、角窯1基を所有しているとの事です。
) 作品としては、須恵擂鉢、片口向付、備前須恵徳利、須恵ぐい呑、須恵水指などの作品が
あります。 自然灰釉が厚く掛り、強還元焼成で透明感溢れる作品に仕上げています。
尚、好本氏は、須恵器以外にも、一般に言われる備前焼も、制作しています。