兵庫の丹波立杭焼(たんば たてくい)は、瀬戸、常滑、信楽、備前、越前とともに、日本六古窯の
一つに数えられている焼き物です。丹波は丹波笹山藩の城下町で、白壁の武家屋敷と、妻入型の
商家が古い町割に沿って軒を接している町です。
1) 市野茂良(いちの しげよし) : 1942年(昭和17) ~ 2011年(平成23)
① 経歴
1942年 兵庫県丹波立杭の窯元、丹窓窯(たんそうがま)の家に生まれます。
父は陶芸家の市野丹窓(たんそう)氏です。
1967年 兵庫県美術展に入賞します。
1969年 英国セント・アイブスの陶芸家、バーナードリーチ氏の招きにより渡英します。
4年間研修を重ねながら各地の美術展に出品し。仏国ヴィルノックスに築窯します。
1973年 帰国し、丹波古陶館にて帰国展を開催します。
1974年 セントラルギャラリーにて個展を開催。
1988年 篠山王地山焼陶器所に登り窯を築く。 英国スコットランドにて個展を開催。
1996年 阪急うめだ本店(大阪)にて、20回記念個展を開催。
2002年 「神戸市美術展」の審査委員になります。
2008年 バーナード・リーチ工房オープン記念展(英国)に出品します。
過去に同工房に在籍したことのある陶芸家(ジョン・ リーチ、ジョン・ベディング、
ジェイソン・ウェイソン、トレバー・コーサー、ニック・ハリスン、 濱田晋作、市野氏7名)の
作品展です。
② 丹波立杭焼(丹波焼、立杭焼)
) 兵庫県多紀郡今田町を中心とした窯場の焼き物で、開窯は鎌倉時代初期(又は、平安
末期)の十二世紀末と言われています。
茶褐色の素地に、ビードロ状の自然灰釉が肩に掛かった重厚な作品が多いです。
・ 古窯跡からは、三筋壷や甕(かめ)、瓶子、鉢などが出土し、常滑などの東海地方の窯の
影響を受けた事が解かります。
) 主に生活用品の器が焼かれ、初期には壺や甕、擂鉢(すりばち)などを作っていました。
中世には轆轤を用ず、紐作りの手法で形を整え、窖窯で焼成し釉を用いず、焼き締め
(器)て作られています。尚、窖窯時代には小野原焼と呼ばれていた様です。
) 江戸時代に入り、登窯が用いられ、大量生産品で堅牢な擂鉢が作られ、17~18世紀
にかけ、中部や関東以北に急速に普及します。
登窯時代に、「丹波焼」或いは「立杭焼」と呼ばれる様になります。
・ 登窯は大甕を焼く為に、規模が大きな共同窯で、「鉄砲窯」や「蛇窯」と呼ばれる細長い
竹割り式で、長さが60mの窯もあった様です。
) 江戸期の寛永年間(1624~44)の一時期、小掘遠州好みの茶器も焼かれ、茶人の間
では遠州丹波と呼ばれています。
茶碗、茶入、水指などの施釉された茶器の分野で、数多くの銘器を生み出しています。
③ 市野茂良の陶芸
) 大学を卒業後の1965年、バーナード リーチ氏の招きで、単身で英国に渡り、リーチ氏の
窯で4年間修業を続けます。
滞在中は、ヨーロッパ各地の美術展に出展しながら、フランス・ヴィルノックスに窯を築き、
作陶の指導などをしています。
) 帰国後、父親の丹窓窯を引き継ぎ、大阪、東京やヨーロッパで個展を開き、独自の
丹波焼を発表します。彼の作る作品は、食器 、茶器、 菓子器 、花器などが主ですが、
大きなモニュメントも制作しています。重厚感のある壷や皿など、民藝調の作品もあります。
) 特に古丹波の技法を用いながら、斬新な作風の作品を発表しています。
その為、兵庫教育大学講師を務めながら、丹波篠山藩御用窯の復活に力を貸し、
王地山陶器所の登窯を築きます。
) 丹波焼きの技法
丹波焼きの装飾方法として、型押、釘彫、イッチン(筒書き。スポイト掛け)、鉄絵、白泥絵、
貼付文、墨流しなどがあります。
市野氏は、立杭焼の技術と文化・歴史の伝承に力を入れている作家です。
・ イッチン(筒書き)は、市野氏が得意とする技術です。
素地と異なる泥状の色土を竹筒に入れ、細い口から絞り出して、文様を盛り上げて描く
方法です。
現在、今田町上立杭、下立杭、釜屋地区の窯元は約60軒あり、今田以外にも丹波立杭焼を名乗る
窯元が多数存在しています。