わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

現代の陶芸238(柴山 勝)

2012-11-14 22:09:05 | 現代陶芸と工芸家達

自然界の小さな動物や植物をモチーフにし、細密な描写に絵付けした作品は、その独特の雰囲気を

持ち、世に発表している作家に北海道に在住する柴山勝氏がいます。

1) 柴山勝(しばやま まさる) : 1944年(昭和19年) ~

  ① 経歴 (詳しくは公表されていません)

    1944年 東京の下町に生まれます。

    1967年 九谷焼窯元(石川県加賀市)のニ代と三代 須田菁華氏に陶芸を学びます。

    1969~74年 絵、陶芸、古美術を学びます。

    1972年 お茶の水美術学院でデッサンを学びます。

    1975年 北海道伊達市に窯を築きます。

    1980年 札幌丸井今井百貨店で個展を開催します。

    1983年 同店で個展を開催し、以後毎年開催します。

    1987年 東京渋谷の黒田陶苑にて個展を開催し、以後毎年開催します。

    ・ 個展: 東京銀座松屋(1987、89年)。東京新宿小田急(1989年)。 新宿伊勢丹

      (1991年)など多数。

   ② 柴山勝氏の陶芸。

    ) 柴山氏が師事した九谷の菁華窯では、中国明末の万暦、天拝啓期(1573~1627年)の

      染付けや赤絵、古伊万里や古九谷の他、安南の写しを手がける窯元です。

      尚、現在は四代目が継承しています。

    ) 1975年に移り住んだ、北海道伊達市は室蘭の噴火湾に面し、緑溢れる牧歌的な明るい

       自然に囲まれた土地です。目の前に広がる海や山には沢山の題材があり、これらを写生し

       自ら作った半磁器の作品に、絵付けをしています。

       「海、田、川、牧場、菜園、林、野原、山、これらが私の器の原点です。」と述べています。

    ) 海: 海辺の植物のハマハタザオ、コウボウシバ、ハマナス、ハマナスの実、浜ヒルガオ、

        ハマエンドウが描かれた長方鉢と、徳利と酒のみの器。

        浜はいそがしいの図の台皿(地引網を引く図)。蟹や海老、イカ、シャケ、平目などの

        魚や、イソギンチャクやヤドカリなどが絵付けされた、方形の小皿やイシダイの小皿など

        その他、湯のみ、蓋物などの食器類を作っています。

     ・ 田: 田のあぜ道の一年の図小皿。田のあぜ道の四季とまわりの草花の図の器。

         「稲わら手と米俵」と題するめし茶碗など。

     ・ 牧: 「牧場の図」と題する長方鉢や、とっくりとさけのみとふり出し(徳利と酒呑と振り出し)

          秋の牧場の図などには、野草や樹木と共に、牛が描かれています。

     ・ 流: 清流魚(ヤマメ、イワナ、アマゴ、ニジマス、スワマスなど)の小皿や箸置。

         サクラマスになるために海へいくものと、川の上流へ行くヤマメの図の鉢。

         輝く水面の図 ヤマメとニジマスの四方台皿。朝焼け夕焼けの草むらの図鉢。

         川へ行く途中や川辺で見かけた草花の図(カタクリ、福寿草、エゾリンドウ、ツユクサ、

         スズムシ)の小皿。川辺の草花づくし 水面の図長方鉢。

     ・ 菜園: 家庭菜園の図の鉢と小皿とゆのみ。うり型鉢 虫の安心の図。作物の図の皿。

     ・ 林: 水引草の咲く林内できのことる図の器。子供と虫とりにいったがさきにとられているの

        図の器。

    ・ 湖沼: 北海道のニセコ連峰には、高層湿原が有り、湿原植物が次々と花を咲かせ、いつ

        来ても楽しい所だそうです。

        木道のある湿原と湿原の草花の図の鉢。洞爺湖の図。

    ・ 山: 私の登った輝く山々の図。高山植物の図の小皿。高山植物づくし 平鉢。

   ) 柴田氏の作る作品は、主に日常使う食器類です。

    a) 半磁器土で轆轤挽き、タタラで貼り合わせ、型を使用などの技法で作られ、淡い呉須や

       鬼板などの鉄で下絵が施され、透明感のある薄い水色の釉が掛かっています。  

       更に、赤絵の上絵が施されている作品もあります。

    b) 絵柄は柴田氏の身の回りにある、自然や動植物が主になっています。

       柴田氏は常に、スケッチブックを携帯し、暇を惜しまずスケッチしています。その為細かい

       所も写実的に描かれいます。

    c) 作品の題名からも解かる様に、その絵がどんな場面で誕生し、どの様な事に関心が向いた

      たかを知る事ができます。更に、平仮名が多く長い題名は、小さな子供でも読め、より平易に

      鑑賞する事ができます。

    d) この様な柴田氏の作品は、牧歌的な雰囲気を漂わせ、見る人の心を和ませています。

      その為、熱狂的なフアンがいる事も納得されます。

    e) 近年、白化粧土を使った「樹木や葉のシリーズ」や、色絵の「路傍の草花シリーズ」を発表

       しています。

次回(小川幸彦氏)に続きます。

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現代の陶芸237(市野茂良)

2012-11-13 20:55:57 | 現代陶芸と工芸家達

兵庫の丹波立杭焼(たんば たてくい)は、瀬戸、常滑、信楽、備前、越前とともに、日本六古窯の

一つに数えられている焼き物です。丹波は丹波笹山藩の城下町で、白壁の武家屋敷と、妻入型の

商家が古い町割に沿って軒を接している町です。

1) 市野茂良(いちの しげよし) : 1942年(昭和17) ~ 2011年(平成23)

  ① 経歴

    1942年 兵庫県丹波立杭の窯元、丹窓窯(たんそうがま)の家に生まれます。

           父は陶芸家の市野丹窓(たんそう)氏です。

    1967年 兵庫県美術展に入賞します。

    1969年 英国セント・アイブスの陶芸家、バーナードリーチ氏の招きにより渡英します。

       4年間研修を重ねながら各地の美術展に出品し。仏国ヴィルノックスに築窯します。

    1973年 帰国し、丹波古陶館にて帰国展を開催します。

    1974年 セントラルギャラリーにて個展を開催。

    1988年 篠山王地山焼陶器所に登り窯を築く。 英国スコットランドにて個展を開催。

    1996年 阪急うめだ本店(大阪)にて、20回記念個展を開催。

    2002年 「神戸市美術展」の審査委員になります。

    2008年 バーナード・リーチ工房オープン記念展(英国)に出品します。

       過去に同工房に在籍したことのある陶芸家(ジョン・ リーチ、ジョン・ベディング、

       ジェイソン・ウェイソン、トレバー・コーサー、ニック・ハリスン、 濱田晋作、市野氏7名)の

       作品展です。

   ② 丹波立杭焼(丹波焼、立杭焼)

    ) 兵庫県多紀郡今田町を中心とした窯場の焼き物で、開窯は鎌倉時代初期(又は、平安

       末期)の十二世紀末と言われています。

       茶褐色の素地に、ビードロ状の自然灰釉が肩に掛かった重厚な作品が多いです。

     ・ 古窯跡からは、三筋壷や甕(かめ)、瓶子、鉢などが出土し、常滑などの東海地方の窯の

       影響を受けた事が解かります。

    ) 主に生活用品の器が焼かれ、初期には壺や甕、擂鉢(すりばち)などを作っていました。       

       中世には轆轤を用ず、紐作りの手法で形を整え、窖窯で焼成し釉を用いず、焼き締め

       (器)て作られています。尚、窖窯時代には小野原焼と呼ばれていた様です。

    ) 江戸時代に入り、登窯が用いられ、大量生産品で堅牢な擂鉢が作られ、17~18世紀  

       にかけ、中部や関東以北に急速に普及します。      

       登窯時代に、「丹波焼」或いは「立杭焼」と呼ばれる様になります。

      ・ 登窯は大甕を焼く為に、規模が大きな共同窯で、「鉄砲窯」や「蛇窯」と呼ばれる細長い

        竹割り式で、長さが60mの窯もあった様です。

    ) 江戸期の寛永年間(1624~44)の一時期、小掘遠州好みの茶器も焼かれ、茶人の間

       では遠州丹波と呼ばれています。

       茶碗、茶入、水指などの施釉された茶器の分野で、数多くの銘器を生み出しています。

   ③ 市野茂良の陶芸

    ) 大学を卒業後の1965年、バーナード リーチ氏の招きで、単身で英国に渡り、リーチ氏の

       窯で4年間修業を続けます。

       滞在中は、ヨーロッパ各地の美術展に出展しながら、フランス・ヴィルノックスに窯を築き、

       作陶の指導などをしています。

    ) 帰国後、父親の丹窓窯を引き継ぎ、大阪、東京やヨーロッパで個展を開き、独自の

       丹波焼を発表します。彼の作る作品は、食器 、茶器、 菓子器 、花器などが主ですが、

       大きなモニュメントも制作しています。重厚感のある壷や皿など、民藝調の作品もあります。

    ) 特に古丹波の技法を用いながら、斬新な作風の作品を発表しています。

      その為、兵庫教育大学講師を務めながら、丹波篠山藩御用窯の復活に力を貸し、

      王地山陶器所の登窯を築きます。

    ) 丹波焼きの技法

       丹波焼きの装飾方法として、型押、釘彫、イッチン(筒書き。スポイト掛け)、鉄絵、白泥絵、

       貼付文、墨流しなどがあります。

       市野氏は、立杭焼の技術と文化・歴史の伝承に力を入れている作家です。

      ・ イッチン(筒書き)は、市野氏が得意とする技術です。

        素地と異なる泥状の色土を竹筒に入れ、細い口から絞り出して、文様を盛り上げて描く

        方法です。

現在、今田町上立杭、下立杭、釜屋地区の窯元は約60軒あり、今田以外にも丹波立杭焼を名乗る

窯元が多数存在しています。

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現代の陶芸236(三輪龍作2)

2012-11-11 21:44:31 | 現代陶芸と工芸家達

  ② 三輪龍作氏の陶芸

   ) 初期の作品は、「エロスと死」が混在する青春期の「不安の感情」を、自己告白的に形象化

       しているものと言われています。

    c) 「紳士の為に」(1969年)の作品。

      この作品は、丸い頭と細長い体(又は首か?)が垂直に立っています。

     赤、青、黄、白の丸い頭(顔)には、目や鼻が無く、真っ赤な大きな唇や、縦に開かれた女性器

     が顔の真ん中に表現されています。但し、側面にはしっかり耳が取り付けられています。

     この作品は、彼の頭の中は常に女性の事がいっぱいである事を、告白している様にも見え

     ます。 耳は女性の声(嬌声)を聞く為に、大切な要素として表現されています。

     発表された1969年は、龍作氏が29歳頃となります。健康で健全な青年ならば、誰でも考えて

     いる事で、彼が特別変態でもなく、ごく普通の紳士である事を、自ら告白した作品と成って

     います。  大きさ: 85.5 x 47 cm。 艶のある釉が掛けられています。

   d) 「M氏夫妻」の作品: 死を扱った作品に見えます。(1978年)

     金彩を施した、二個の頭部の像で、顔面が腐敗し鼻は大きな穴となり、口周辺の肉も落ち

     骨が露出している作品です。なぜかメガネを掛けています。

   e) 「女帝」、「古代の人」の作品(1979年): 「エロスと死」との思考が深められていく作品です

    ・ 「女帝」は、金彩が施された四角い陶板を三段重ねた作品で、女帝が座る敷物を表現して

      います。その中央に上を向いた女性器が一つ口を開いて置かれています。

     上下の陶板には、連続模様が施され、中段の陶板には雲形の様な文様が彫り込まれて

     います。 いずれも、女帝を権威付ける為の文様と成っています。

      大きさ: 180 x 250 cm 。

   ・ 「古代の人 王墓。 古代の人 王妃墓」の作品: 

     黄金の骨と成った王と王妃を表現し、胸の部分には、割れた四角い墓碑の陶板が置かれて

     います。両腕の骨と、大腿骨、更には何故か腐敗しない男性器(王妃には女性器)が添え

     られています。王の左腕には、錆びて折れた剣が、王妃の両腕には花が添えられ、頭部

     周辺には、櫛と銅鏡が置かれています。

     王の墓碑銘には、「R.MIWA 1940 ~ 2940 」と有り、王妃の墓碑銘には、「T.MIWA

     1945 ~ 2940」の文字(即ち千年生きた事になります。)と、英文で綴られた文字が彫り込

     まれています。

     この作品は王は龍作氏を、王妃は彼の妻を表し、千年の愛を誓ったものかも知れません。

    大きさ: 180 x 380 cm。(金彩、一部コンクリート製)

   f) 個展の「白嶺展」:(1984年、日本橋三越本店)では、「白嶺」と題するシリーズの作品を発表

     します。この作品は、ヒマラヤやアルプスと思われる急峻な白嶺に対峙する、弱い人間の

     存在の思いを表現していると言われています。

   g) 個展の「三輪龍作 天・地・人 展」:(1986年、京王百貨店(東京)、高島屋(京都)

      この頃より、仏教(宗教)的模索が始まります。その結果は1988~1994年の東京などの

      以下の個展で「卑弥呼」シリーズとして結集します。  

       「三輪龍作 卑弥呼」、「三輪龍作 卑弥呼山展」、「三輪龍作 卑弥呼の書展」、「三輪龍作

     続・卑弥呼の書展」、「卑弥呼(ひみこ)シリーズ展」。

    ・ 「卑弥呼山」と題する作品は、槍の穂先の様に聳(そび)え立つ、数個の屏風ふうのブロック

      から成り、その表面は不定形の亀甲模様に金彩が施されている作品です。

      「卑弥呼山」: 205 x 218 x 90 cm。

    ・ 「卑弥呼の書」: 書物が鳥の様に、大きく翼を広げて羽ばたく様に見えます。

      ここでも、その中央に、女性器の穴が開けられています。

      大きさ: 47 x 51 x 40 cm。

     他の「卑弥呼の書」では、数枚のページが重なり、表面のノページには、文字と見られる見知

     らぬ文様が書き連ねています。

     大きな断片に壊れ、その中央には、女性器がしっかり彫られています。

      大きさ: 195 x 650 x 300 cm と巨大です。(黒陶)

 

  龍作氏は、2003年に十二代、三輪休雪を襲名しましたので、これからは、一段と伝統ある萩焼への

道を進む義務が生じるかも知れません。

但し、従来の萩焼とは一味違った作品になると思わ、期待もされています。

次回(市野茂良氏)に続きます。

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現代の陶芸235(三輪龍作1)

2012-11-10 21:34:39 | 現代陶芸と工芸家達

伝統ある山口県の萩焼の窯元に生まれ、十二代 三輪休雪を襲名した三輪龍作氏には、萩焼の

伝統である茶道具や食器を作る使命と、オブジェの作者としての二つの顔があります。

特に、龍作氏はエロチシズム溢れるオブジェの焼き物で著名な方です。

1) 三輪龍作(みわ りゅうさく): 1940年(昭和15) ~

  ① 経歴

      1940年 山口県萩市に十一代三輪休雪(人間国宝)の長男として生まれます。

   1959年 画家を志望し、絵画を始めます。ムンクや谷崎潤一郎、太宰治の文学に惹かれます。

   1966年 東京芸術大学 大学院陶芸科を卒業し、 処女作「ハイヒール」を作ります。

   1970年 「現代の陶芸ーヨーロッパと日本展」に出品: 京都国立近代美術館

   1973年 「日本陶芸展」(毎日新聞社主催)に入選。

   1974年 「日本国際美術展」に出品:東京都美術館。 萩市上野に窯を築きます。

   1977年 イタリア「ファエンツァ国際陶芸展」にて受賞。

   1979年  「第8回現代日本彫刻展」(宇部市野外彫刻美術館)に「古代の人」を出品。    

          国際陶芸アカデミー会員になります。

   1981年 「世界の現代陶芸展」に出品: 九州陶磁文化館

   1982年 「現代の陶芸ー伝統と前衛展」に出品:サントリー美術館

   1983年 「今日の日本陶芸展」:米国・ワシントン、英国・ロンドン

         「全日本伝統工芸選抜展」:毎日新聞社主催

   1988年 「サントリー美術館大賞展」に出品。

   1989年 日本陶磁協会賞を受賞。

   1991年  「国際現代陶芸展」:滋賀県立陶芸の森陶芸館

   1994年 「国際現代陶芸展」:愛知県陶磁資料館

   2001年 「世界現代陶磁展」:世界陶磁器エキスポ、2001韓国

   2002年 「現代陶芸の100年」:岐阜県現代陶芸美術館

   2003年 「現代陶芸の華」に出品:茨城県陶芸美術館。

         「十二代 三輪休雪襲名記念」の個展を開催します。

  ② 三輪氏の陶芸

   ) 三輪氏のオブジェの作品の特徴は、女性の唇や女性器を表すエロチシズムある造形と

     深い繋がりがある事です。即ち、丸い頭の中央に真っ赤な唇のみを持つ像や、大股を広げた

     女性の下半身像などで、見る方にも強い刺激を与える作品群が多いです。

   ) この様な作品を作る動機は、萩市より勉学の為、東京に出て来た学生時代に、銀座で

     遭遇した出来事が切っ掛けになります。

     三輪氏が銀座を歩いていた時、白い外車が横切ったそうです。その際、唇の口紅を押さえた

     ほのかな「キスマーク」の付いた、ピンクのテッシュペーパーが足元に落ち、彼の方に向いて

     いたそうです。当時はピンクのてテッシュを見た事も無く、更にキ「スマーク」は、開き加減の

     女陰を見てしまった卑猥(ひわい)な感覚に囚われ、その場に立ち竦んだとの事です。

     (エッセイ集『僕と炎と唇と』より:1985年求龍堂)。

     それ以来、「女性的なるもの」、「エロス的なるもの」を深く意識する様になります。

   ) 彼は単に「エロスチシズムを賛歌する」作家ではなく、エロスと死は表裏一体のものと捕らえ

      エロスの一方(裏側)に死の不安を感じとります。

   ) 初期の作品は、「エロスと死」が混在する青春期の「不安の感情」を、自己告白的に形象化

       しているものと言われています。

    a) 処女作の「ハイヒール」は、その後も「愛の為に」と題し1980年に多数発表しています。

       靴の先端が長い「ドリルの刃」の様に、渦を巻いて先細りに成っています。

       作品には全体に金彩が施されています。 

       サイズは(h x w x d): 19.5 x 32.4 x 9.4 cm

    b) 初期の個展には、「三輪龍作の優雅な欲望展」、「三輪龍作の愛液展」などの刺激的な

       題名が付けられています。  

      1969年の「LOVE」と題する作品は、細長い徳利状の白い容器から、ドロドロした赤い

      液体が流れ出しています。容器は原色の白の他、赤、黄色、黒があり、液体も赤、白、茶色と

      多彩です。サイズ: 90 x 84 x 103 cm など。

     ・ この作品は男性の性器(男根)から、生命の根源である精液が止め処も無く流れ出して

      いる様にも見えます。更に、 見方によっては、容器の白は白人(コーカソイド)を、黄色は

      黄色人種(モンゴロイド)を、黒は黒人(ニグトイド)を表しているとも見えます。

     ・ 題名の「LAVE」(愛)は、誰に対しての「愛」を意味するのでしょうか、男女間の「愛」や

      「人類愛」に限らず、「全ての生物の生命への愛」を意味するとも見る事ができます。

    c) 「紳士の為に」(1969年)の作品。

以下次回(三輪龍作2)に続きます。    

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現代の陶芸234(金田鹿男)

2012-11-09 22:11:31 | 現代陶芸と工芸家達

一生を貫く仕事として、李朝の技法を研究している、茨城県取手市在住の作家に、金田鹿男氏が

います。特に「小紋象嵌」の作品に注目が集まっています。

1) 金田鹿男(かねだ しかお) : 1938年(昭和13) ~

  ① 経歴

   1938年 茨城県取手市の浄土宗広経寺(ぐぎょうじ)の次男として生まれます。

   1954年 茨城県笠間の松井康成氏(人間国宝)に師事し、陶芸の研修を受けます。

   1967年 取手市の生家の寺に窯を築き独立します。

   1974年 第1回伝統工芸武蔵野展に入選します。(以後第8回まで出品)

   1975年 第15回伝統工芸新作展に入選します。(以後第16,18~21回まで出品)

         弘経寺にて第1回「鹿窯会作陶展」(ろくようかい)を開催します。

   1976年 第23回日本伝統工芸展に入選。(以後第24,27,28,30,34回に出品)

          弘経寺にて「金田鹿男作陶展」を開催します。 

          「第2回日本工芸会受賞作家展」(銀座黒田陶苑)に出品します

   1977年 第1回「金田鹿男象嵌小紋作陶展」(銀座黒田陶苑)を開催します。

   1981年 日本工芸会の正会員に成ります。

  ・ 作品の発表の場は、主に個展が中心になります。

    主な個展: 生家の弘経寺、黒田陶苑(銀座・渋谷)、新岐阜百貨店、横浜高島屋、新宿伊勢丹

    など多数。

  ② 金田氏の陶芸

   ) 東京電機大学高等学校を卒業後、英語学校に通いますが、陶芸に興味を持ち、松井康成

     氏に師事します。松井氏は、茨城県笠間の浄土宗月宗寺第23世住職でもあり、金田氏の

     生家も浄土宗のお寺であった事も、弟子入と関係していると思われます。

   ) 松井氏は「練上手(ねりあげて)」の技法で著名ですが、金田氏は松井氏と同じ道を歩まず

     独自の技法を用いる様になります。

      注: 「練上手」とは、二色以上の色土を積み上げ、繋ぎ合わせて所定の文様を表出する

         技法です。一般には轆轤を使わず「手捻り」で行います。

      金田氏は、李朝(李氏朝鮮)の焼き物に惹かれ、「象嵌」や「粉引」などを仕事の中心に

      据えて、活動しています。

   ) 「象嵌」は金田氏の得意な技法です。

       多彩な印花文や削りで、連続文様を作品の表面に多数作り、表面を凹ませます。

       素地とは異なる色土を凹みに埋め込み、乾燥後に鉋(カンナ)等を使って、表面の余分の

       土を削り、凹み部分に模様を表す技法です。

      a) 皿や壷、花生などに、細かく連続した印を捺し、色土を数度に分けて化粧掛けします。

         一度に厚く塗ると、化粧土が剥がれ易いです。

      b) 素地と象嵌部分の色の対比が見所ですので、色の差にメリハリがある色土を選ぶ

         必要があります。黒や褐色の素地に、白土で象嵌した作品が多い様です。

         尚、この技法は手間隙が掛かり、根気のいる割りには、中々上手には行きません。

         凹みの深さが浅いと、削り作業で文様が消えてしまいます。

        ・ 象嵌壺「小紋三島手合子」: 日本伝統工芸展 (1987年出品)

        ・ 小紋象嵌壺(30.5×30 cm) : 現代日本の陶芸家と作品(1996年)

        ・ 有刻彩陶象嵌皿: 茨城工芸会創立70周年記念作品

     ) 「三島(みしま)」、「刷毛目」、「粉引(こひき)」の技法。

       a) 「三島」は印花文を施した作品に、刷毛で化粧土(色土)を薄く塗り、印花文に色土が

          適度に入り込む事により、文様を引き立てる技法です。

       b) 「刷毛目」は印を捺さずに、化粧土を刷毛で塗り、刷毛の通った痕を愛でる技法です。

          意図的に「ムラ」に塗るのが特徴です。

       c) 「粉引」は化粧土を釉の様に、漬け掛け(浸し掛け)や流し掛けする事により、色土を

          厚めに塗る方法です。

     ) 土は愛知(瀬戸)、岐阜(志野)、三重県(伊賀)などから取り寄せているそうです。

        窯は倒焔式のガス窯で、還元焼成しているとの事です。

次回(三輪龍作氏)に続きます。

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現代の陶芸233(吉田明)

2012-11-08 21:58:22 | 現代陶芸と工芸家達

「七輪陶芸」や「紙窯(かみがま)」などを考案し、手軽に楽しめる陶芸を提案している人に、新潟県

十日町に在住する吉田明氏がいます。

1)  吉田明(よしだ あきら): 1946年(昭和23) ~ 2008年(平成20)

 ① 経歴

  1946年、東京都青梅市に、三代続く陶芸家の家に生まれます。

  1962年 14歳の時、中学の授業で体験した焼き物が昂じて、独学で窯を作ります。

  1965年 愛知県立陶磁器試験場に練習生として入所し、轆轤の基礎を江崎一生氏に学びます。

  1972年 東京都八王子市 美山町御屋敷に窖窯を築き独立します。地元の土を採取し始めます。

  1973年 佐賀県有田町の対山窯で、陶器の制作指導をしながら磁器を学びます。

    同年 唐津、伊万里の古窯跡を発掘調査をしています。

  1974年 八王子で第一回個展を開き、八王子の土を使い三島、粉引、焼締めの作品を展示。

  1981年 本格的に茶陶に取り組み、新宿柿傳ギャラリーで第一回茶陶展を開催します。

  1994年 東京都青梅市 沢井に青梅窯を開き、奥多摩で陶芸活動を始めます。

  1997年 青梅市柚子木町に「やきものショップ陶」を開きます。

  1998年 東京都西多摩郡日の出町大久野に、「日の出窯」を築きます。

  1999年 日の出工房に朝鮮式竹割窯を築きます。            

  2001年 縄文土器、黒陶、須恵器に新境地を開きます。

  2004年 アメリカ・ニューヨークにて茶陶展を開催。

  2005年 新潟県十日町に移住します。

  2006年 「大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレ2006」で、十日町芋川地区、清津川

     河川敷にガラスと陶の作品 「エターナル」を展示します。

     同時に越後妻有(つまり)の粘土層を発見し、「妻有焼」としてスタートします。 

  2007年 イギリスで、第11回国際陶芸祭に参加し、ミニ窯を紹介します。 

  2008年 妻有焼陶芸センターがオープン。 12月5日心筋梗塞にて死去。 

 ② 吉田氏の陶芸 

  ) 若い頃は、愛知県や九州有田などの各地で、修行をし経験を積みます。

     我が国の陶芸の原点である韓国へ毎年出掛け、古窯跡を踏査し、朝鮮古陶の調査研究を

     長年に渡り行っています。そこでは主に三島、粉引、刷毛目の技法を研究しています。 

  ) 東京都八王子市 美山町に「御屋敷窯」、東京都青梅市に「青梅窯」、東京都西多摩郡

     日の出町に「日の出窯」。新潟県十日町など各地に窖窯や、朝鮮式竹割窯を築いています。

  ) 東京都青梅市から新潟県十日町へ移り住んだのは、2006年の夏に、「大地の芸術祭-

     越後妻有アートトリエンナーレ2006」に参加した際、同市内で良質な土と出合ったのが縁で

     工房を十日町に移します。

     又、国宝の「火焔型土器」が、新潟県の妻有り(つまり)地域(現、十日町市津南町)で出土

     している事も原因になっています。即ち、「火焔土器」は約4500年前に制作されたと推定され、

     それ以来途絶えた焼き物を、地域振興の新しい窯場とし、「妻有焼」と命名した焼き物を作り

     ます。2008年10月に、旧野中小学校舎を利用した「妻有焼陶芸センター」を、 オープン

     させまが、その直後に吉田氏は逝去します。

  ) 七輪陶芸、ミニ窯について。

   a) 七輪(しちりん)とは、持ち運びの出来る調理器具の一種で、鍋や釜を載せて煮炊きする

     石製(天然珪藻土岩)の道具です。燃料は一般に炭(木炭)を使用します。

     七輪の下部にある空気孔から、風を強制的に送り込む事により、1200℃程度の高温に

     する事もできます。

   b) 七輪陶芸では、その日の内に、成形、乾燥、素焼き、本焼きの全てを行う事が可能です。

     但し、小さな七輪ですので、ぐい呑みや箸置程度の小物に限られます。

   ・ 一般に成形した作品を乾燥させるには、1週間程度掛ます。しかし、成形品を灰の中に入れて

     置くと、灰が水分を吸収し、直ぐに乾燥するそうです。乾燥するに従い白っぽくなります。

     尚、温かい灰では乾燥が早まります。

   ・ 素焼きは熱い灰の中に埋め込む事で可能です。約2時間程度で完了するそうです。

   ・ 本焼きは、作品の周りをおき(木炭の燃えカス)や灰で覆い、更に周囲に木炭を置いて着火し、

     徐々に温度を上げていきます。(急に昇温すると割れが起こり易いです。)

     木炭が真っ赤になってから、風を送り込み温度をあげます。木炭が赤くなってから1時間

     程焼き続けると、ほぼ焼き上がりです。七輪の中から引き出して、自然冷却か、水冷します。

    ・ 施釉する場合には、七輪内に直に置くか、簡単な容器や匣鉢(さや) に入れて焼成します。

    ・ 灰は燃料店などで1kg、1000円程度で購入できるとの事です。

   c)  ミニ窯とは、「ミニサイズの陶芸用薪窯」の事です。

     陶芸用道具土を使い、薪窯を作ります。一般には耐火レンガを積み上げて作ります。

   ・ 燃料は主に木炭を使いますが、窯の構造は、 窖窯・登り窯・昇焔式・倒焔式 など、自由に作る

    事ができます。

   d) 詳しい事を知りたい方は、以下の吉田明の著書を参照して下さい。

    ・ 「やきものをつくる-すべてができる七輪陶芸」(二葉社)を出版(1999年)。

    ・ 「やきものをつくる-ミニ窯」(二葉社)を出版(2000年)

    ・ 「決定版-七輪陶芸入門」(主婦の友社)を出版。(2002年)

    ・ 「やきものをつくる-ギョ!紙窯」(二葉社)を出版。(2002年)

    ・ 「縄文-室内陶芸」(二葉社)を出版。(2003年)

    ・ 「十分陶芸」(二葉社)を出版。(2006年)

    ・ 「やきものの絵本」(農山漁村文化協会)を出版。(2008年) 

  その他、ネット上でも「七輪陶芸」等についての記述を見つける事が出来ますので、

  参考にして下さい。

次回(金田鹿男氏)に続きます。

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現代の陶芸232(入江光人司)

2012-11-06 22:31:26 | 現代陶芸と工芸家達

備前焼で主に宝瓶(ほうひん)を作っている数少ない作家が、入江光人司です。

 注: 宝瓶とは、お茶を淹れる急須の一種で、取っ手が無く、片手で器の両端を持って、茶を注ぐ

    茶器です。

1) 入江光人司(いりえ みとし): 1939年(昭和14) ~

  ① 経歴

   1939年 岡山市で、備前焼の細工師である、故入江兼次氏の長男として生まれます。

    父の元で、陶芸の修行を重ねます。

   1971年 父のもとより独立し、窯を築きます。

   1983年 「白備前」の再現に成功します。

   1996年 「真珠備前」を完成させます。

  ② 入江氏の陶芸。

   ) 入江氏の作品作りの特徴として、轆轤を使わず手捻りで作る事です。

      轆轤挽きは、水を使いますので土の持ち味が活かされず、土の土味を活かすには手捻りが

      向いているそうです。

   ) 作品は、本体と蓋と注ぎ口を別々に作り、組み立てる事になります。

       蓋には、「龍」、「獅子」、「蟹」、「瓢箪」、「石榴」などの細工物が載っています。

   ) 本体は一塊の土を捻り上げて形作ります。一般に円形が多いですが、四角形の器にする

      事もあります。肉厚が一定になる様に土を伸ばしながら形を作ります。

     ・ 肉厚が薄過ぎると、お湯の熱が器の外側に伝わり、宝瓶が持てなくなりますし、厚過ぎると

       作品が重くなって使い難いです。

      直径は出来上がりで11cm程度が持ち易く、本体の高さも6~8cm程度が良いそうです。

   ) 本体には、蓋受けを作り、次に茶葉が出ない様に茶漉し穴を複数個開けます。

      更に、タタラで作った注ぎ口を、茶漉し穴の前に貼り付けます。注ぎ口は水切りが良く、

      完成時にバランスの良い事が大切です。

      使用時に片手の数本の指で持ちますが、指が滑らない様にする為、紐状の滑り止めを、

      注ぎ口と直角方向に、左右に付ける場合もあります。

   ) 蓋は本体と同じ肉厚にしないと、焼成時に作品が歪みます。蓋には得意な細工物の動物や

      植物を載せ、蓋の摘みにします。

   ) 重要な事は、器と蓋の合わせ目に隙間を設けず、スッポリ嵌る事です。

      備前の土は収縮率も大きく、耐火度も低い為、変形し易く、隙間が有ると歪みが発生し、

      どの位置でも蓋が合う事が出来なくなります。(1箇所のみしか合わない)

      更に、隙間に釉(自然釉)が流れ込み、蓋が取れなくなる場合もあります。

    ) 作品は登窯で焼成し、良く焼き締まった地肌に、桟切りと黄色や焦げのゴマが掛かり、

       良い雰囲気の作品となっています。

       更に、使い込むと、より一層変化が現れると言われています。

  ③ 白備前について

   ) 1710年藩命請けた陶工木村長十郎 は肥前に赴き白釉を研究し、鉄分の少ない備前土で

       制作した作品に藁白釉を掛け、翌年の秋、冬2度、白備前を焼いたと伝えられています。

   ) 江戸時代の白備前は藁釉をかけて焼いていましたが、明治の・大正時代には釉をかけず、

     白土を焼き締めました。作品は白備前布袋人形徳利など、細工物が多い様です。

   ) 1715年には色絵備前(彩色備前・お庭焼)が初めて造られます。

      これは備前の細工人が素焼きの細工ものを作り、藩お抱えの狩野派の絵師が色付けした

      ものです。これらは全て藩統制下の御用達品が多く、稀少品として作品の真価以上に

      法外な値段がつく様ですが、所詮は備前焼本質から外れた物で、時の流れ共に消え

      去ってゆきます。

    ) 近年、土を研究し、白色やピンク色(真珠備前)に焼成させる独自の備前焼を、完成させて

       います。

      現在では、入江氏以外でも、木村玉舟氏さんらが、白備前の細工物の作品を作っています。 

   ④ 入江氏の作品

     宝瓶: 備前窯変手造宝瓶「龍」「蟹」「瓢箪」: 径 11、高 9 cm

     湯冷(ゆざまし):径 8.7x10.5、高 4.5 cm。 径 9 x10.5、高 4.5 cm。

     煎茶々碗: 径 4.4、高 5.7 cm 径 4.2、高 5.5 cm。        

  備前焼に限らず、宝瓶を作る人は少なくなっています。それだけ需要が無いのかも知れません。

  入江氏は「どなたに使用して頂いても、又長年使っても、飽きが来なくて喜んで貰える作品を作り

  たい」と述べています。

次回(吉田明氏)に続きます。

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現代の陶芸231(好本宗峯)

2012-11-05 22:27:06 | 現代陶芸と工芸家達

縄文土器、弥生土器と1万年以上続いた我が国の焼き物も、古墳時代(3世紀半ば~6世紀末)に

渡来した陶工達により、熱を閉じ込め高温に焼成できる窯と、轆轤挽きの技法がもたらされ、土器に

代わり、薄作りで強度ある作品が作られる様に成ります。

その結果、奈良時代には美濃や備前で、無釉(又は自然釉)の須恵器が作られる様になります。

しかし、平安時代に尾張の猿投(さなげ)で、灰釉陶器が量産される様になると、須恵器も自然と

衰退して行きます。千年余り途絶えていた須恵器の魅力を再発見し、須恵器の再現を試みている

備前の陶芸家が、好本宗峯氏です。

1) 好本宗峯 (よしもと しゅうほう): 1938年(昭和13) ~

   ① 経歴

   1938年 岡山県伊部市に生まれます。

   1965年 故藤田佳郎に師事します。

   1972年 半地下式穴窯を築きます。

   1975年~日本伝統工芸展、中国国際陶芸展、日本陶芸展に入選を繰り返します。

   1981年 日本工芸会正会員に認定されます。須恵器穴窯築窯

   1984年 「日本伝統工芸会中国支部展」で金重陶陽賞を受賞します。

   1990年 岡山日日新聞文化賞を受賞。「第16回備芸会展」で県教育長賞を受賞。

   1992年 須恵器窖窯四号を築く。

   1997年 松江藩主松平不味公考案による菅田庵へ備前鬼桶水指を献上。

   1998年 「焼き締め陶芸」展に入選

   2002年 須恵器窖窯五号を築く。

    個展: 西武百貨店池袋店、天満屋倉敷店、大和百貨店新潟店、黒田陶苑渋谷店など。

  ② 須恵器について。

   ) 須恵器は突然消滅した訳ではなく、平安末期には備前伊部付近で、更に鎌倉時代の佐山

     でも、灰青色の須恵器が制作され、鎌倉中期以降は黒灰色となり、更に南北朝には 酸化

     焼成での茶褐色の甕(かめ)や壷、擂鉢(すりばち)などが焼成され、現在の備前焼へと発展

     して行きます。

     ・ 須恵器の色によって、時代区分や、制作場所が特定できるそうです。

   ) 岡山県邑久町一帯には、須恵器の窯跡が70ヶ所以上あり、窯の数も200個以上確認

      されています。尚、備前の隣には須恵の地名があるそうです。

   ) 備前の須恵器は他の産地に比べ、肌理が細かく、色白の為朝廷への貢物として珍重されて

       いた様です。

   ) 一般に、現在の備前焼きは、酸化焼成しますが、須恵器は強還元焼成で青灰色になります    

  ③ 好本宗峯氏の陶芸 

   ) 独立してから10年間は、一般的な備前焼を焼いています。

   ) その後、須恵器の緑色の自然釉の美しさに魅せられ、須恵器の制作と焼成の再現を

      目指します。

   ) 土は伊部の土を使いますが、鉄分の多い土は、備前焼に使用し、白っぽく鉄分の少ない

      土は須恵器に使っています。

      制作は手回し轆轤を使う紐作りですが、場合によっては蹴り轆轤を使っています。

   ) 1972年 古代に須恵器が焼かれた佐山に、全長6mの窖窯(あながま)を築きます。

       現在: 登窯1基、 窖窯5基、角窯1基を所有しているとの事です。

   ) 作品としては、須恵擂鉢、片口向付、備前須恵徳利、須恵ぐい呑、須恵水指などの作品が

       あります。 自然灰釉が厚く掛り、強還元焼成で透明感溢れる作品に仕上げています。

       尚、好本氏は、須恵器以外にも、一般に言われる備前焼も、制作しています。

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現代の陶芸230(若尾誠)

2012-11-04 21:41:28 | 現代陶芸と工芸家達

岐阜県多治見市で、青瓷(せいじ又はあおし)を追求する作家が若尾誠氏です。

   注: 「青瓷」とは、素地が磁器土の物を「青磁」、 陶土の物を「青瓷」と呼び区別しています。 

     北宋汝窯、南宋官窯、南宋龍泉窯の青瓷と様々有りますが、究極の青瓷と言われるのが、

     皇帝の為に作られ南宋官窯青瓷、修内司、郊檀下の官窯と言われています。

1) 若尾誠(わかお まこと): 1959年(昭和34) ~  

  ① 経歴

    1959年 岐阜県多治見市に生まれます。          

    
1980年 多治見市陶磁器意匠研究所を修了後、若尾利貞氏に師事します。

    1984年 「朝日陶芸展」と「日本伝統工芸展」に初入選。 台北故宮博物院へ視察を行います

    1993年 「美濃陶芸展」で奨励賞を受賞。

    1994年 大阪なんば・高島屋で個展を開催。

    1996年 「淡交ビエンナーレ」で入選します。
 
    1998年 東京銀座・黒田陶苑で個展を開催。

    2000年 「粉青瓷磁輪花組鉢」が、岐阜県陶磁資料館に永年保存作品として収蔵されます。

      同年 日本工芸会の正会員として認定されます。

    2008年 松坂屋本店にて個展「~青への憧憬~」

    2009年 「東海伝統工芸展」で 日本工芸会賞を受賞。

    2010年 銀座黒田陶苑にて個展 台湾 ギャラリー造居にてグループ展

    2011年 「日本伝統工芸展」出品作品の「粉青瓷輪花大皿」が、宮内庁お買い上。

    2012年 「若尾誠・青瓷展」を大丸札幌店で開催します。

   ・ 銀座黒田陶苑、名古屋松坂屋本店、大阪なんば高島屋、岐阜高島屋、札幌・大丸などで個展を
 
     多数開催しています。

  ② 若尾誠氏の陶芸

   ) わが国では青瓷(青磁)の取り組みは、1950年代の岡部嶺男氏(当ブログ現代の

      陶芸199を参照)によって、中国で粉青と呼ばれる青瓷釉を再現し、「嶺男青瓷」と呼ば

      れる独自の青瓷の世界を切開きます。

   ) 若尾氏は、身近で「嶺男青瓷」を見た事で、青瓷の研究制作に取り組まれる切っ掛けに

      なります。中国の南宋官窯、龍泉窯の視察や、台湾故宮博物院視察などで研究を重ね、

      独自の粉青瓷を完成させます。   

   ) 青瓷の特徴として以下の事が上げられます。
 
      a) 素地は赤土を使っています。
 
        赤土には、鉄分が含まれていて、磁土より色の深みや柔らかさ、優雅なライン出易く      
 
        なります。但し、赤土は磁土と違い、耐火度が低く作品が歪み易くなります。   
 
        更に、不純物を多く含む赤土は、様々な金属やガスが焼成中あるいは釉薬の上に
 
        噴出し、ピンホール、釉はげ、釉めくれ等の問題が発生し易いです。
 
       ・ それ故、陶土は磁土よりも数段、技術的困難が大きいと言われています。
 
     b) 素地は極端に薄く作ります。
 
        轆轤挽きされた作品は、薄く作り薄く削られます。薄く作る事で更に作品は熱で歪み易く
 
        なります。
 
     c) 釉はかなりの厚く掛けてあります。素地よりも釉の方が厚い位です。
 
        但し、素地が薄い事は、一度に必要の厚みに釉は付着しませんので、重ね掛けを
 
        する必要があります。
 
     d) 釉が厚く掛ると、釉が流れ易くなり、更に、作品表面に必ず「貫入」が入ります。
 
        この「貫入」も作品の見所となります。但し、釉と素地との収縮差によるバランスが
 
        崩れると、「貫入割れ」により、素地は割れてしま事も稀ではありません。
 
   ) 粉青(ふんせい)とは、不透明な薄い青色を言います。釉の中に含まれる微量鉄分が
 
       還元されて発色しますが、素地に含まれる鉄分(赤土)も発色を助けます。

       厚い釉は、釉中に細かな気泡を発生し、色に深みと潤いを与えます。

   ) 窯変米色瓷: 2008年の松坂屋本店「~青への憧憬~」展で初めて窯変米色瓷を

      発表します。青瓷を酸化焼成する事により、薄茶色(土色)に発色させた作品です。

次回(好本宗峯氏)に続きます。

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現代陶芸 229 (若尾利貞)

2012-11-02 21:00:01 | 現代陶芸と工芸家達
現代の美濃(多治見)を代表する作家の一人に、若尾利貞氏がいます。

特に鼠志野(ねずみしの)の第一人者と目され、個展を中心に活躍しています。

近頃ではこれ以外に、本格的な志野の作品も作っている作家です。

1) 若尾利貞(わかお としさだ) : 1933年(昭和8) ~

  ① 経歴

   1933年 岐阜県多治見市に生まれます。

   1949年 中学を卒業後、製陶工場に勤めながら、独学で陶芸技術を学び、志野を研究します。

   1960年 「中部美術展」に入選し、ニュークラフト賞を受賞します。

   1961年 「岐阜県総合デザイン展」で受賞します。

   1963年 「朝日陶芸展」で初入選を果たします。

   1965 年 「日本伝統工芸展」に初入選。

   1968 年 初の個展を開催 。

   1970年 日本工芸会正会員

   1971年 「日本陶芸展」に入選し、海外選抜展に出品します。

   1972年 美濃新人賞を受賞します。

   1973年 「中国国際陶芸展」に入選。

   1976年 スウェーデン・ストックホルムにて個展を開催。

    英国アルバートミュージアム、ストックホルム美術館、国立近代美術館に永久保存。

   1986年 加藤幸兵衛賞を受賞しましす。

    作品がロンドン・アルバートミュージアムに買い上げとなります。

   1988年 日本陶磁協会賞を受賞。

   1989年 作品がロンドン・アルバートミュージアムに買い上げられます。

   1990年 岐阜新聞大賞を受賞しました。

   1995年 多治見市無形文化財(志野)技術保持者に指定されます。

   2003年 岐阜県重要無形文化財保持者に認定されます。

   2004年 東京国立近代美術館に、作品が買い上げられます。

   2010年 「日本陶磁協会賞 受賞作家展」(テーマ:おもてなしの器)に出品。(東京・

    和光ホールにて)

   発表の場は主に個展を中心に活躍しています。 高島屋、松坂屋など、東京、名古屋、京都、

   大阪、岡山、金沢、博多など各地で個展を多数開催しています。

 ② 若尾利貞氏の陶芸。

 ⅰ) 鼠志野は鉄分の多い鬼板などを化粧掛けし、志野釉を掛けて焼成し、鼠色に発色させるか

    化粧掛けした部分を掻き落とし、素地を露出させ素地の色と鼠色とを対比させて、模様を

    表現する方法です。

    若尾氏の技法も、ほぼこれと同じ事なのですが、そこには、今までに無いやり方が随所に

    現れています。以下その違いを述べます。

  ⅱ) 一つの作品内に、濃淡が付いた鼠色があります。その色数は3~4種類あり、整然と

    区画して使われています。

    従来の鼠志野では、鼠色の濃淡は有っても、一つの作品内では、ほぼ同じ濃度の鼠色に

    成っているのが一般的です。

  ⅲ) 布目(蚊帳目など)を部分的に使用して、効果を挙げています。

    濃い鼠色(むしろ黒に近い)の部分のみに、布目を付けている様に見えます。

  ⅳ) 素地の白と、鼠色の他に、緋色(火色)に発色させ、一段と変化に富んだ作品成って

    います。この緋色は意図的に出したものか、偶然発色したのかは、定かではありません。

    即ち、素地の一部に緋色が出易い土を化粧掛けしたものか、或いは、釉が薄く掛かると

    赤く発色する事を利用し、あえて、部分的に釉を薄く掛けたものか、又は、鬼板(鉄分)など

    の化粧土を掻き落とす際に、綺麗に掻き落とさずに鉄分を一部残し、赤く発色させたものか

    などの方法が考えられます。

  ⅴ) 具体的文様が多く取り上げられ、大胆に表現されています。

    大きな半月も多く取上げられている文様です。葛飾北斎の有名な富嶽三十六景の「神奈川沖

    波裏」を模した文様や、富士山、魚、紫陽花、波文、竹、柳など自然物も題材にしています。

  ⅵ) 従来鼠志野は、皿や鉢などの食器に使われる事が多いです。

    若尾氏は俎板(まないた)皿の様な作品や、轆轤による丸皿にも施していますが、その他に

    茶碗や水指、花器、変形皿などにも施しています。

 ③ 若尾氏の作品。

   ⅰ) 皿類: 大きさは、h x w x d cm

    a) 鼠志野柳文俎皿: 8 x 29 x 64.5 

    b) 鼠志野竹雪俎皿: 8.5 x 28.5 x 64.5 

    c) 鼠志野春月文皿: 3 x 29 .5x 30

    d) 鼠志野富嶽金彩魚群山皿: 4.5 x 28.4 x 30

    e) 鼠志野春秋文大皿: 7 x 50.5 x 50.5  

  ⅱ) 鼠志野紅葉茶碗。 鼠志野富嶽月茶碗。 鼠志野富嶽波茶碗。鼠志野富嶽あやめ茶碗。

  ⅲ) 鼠志野日月湖上花器: 36 x 10 x 34.5。 富嶽雷光花器など。

   ⅳ) 鼠志野富嶽時雨水指: 20 x 18.6 x 19 

     鼠志野富嶽波濤陶筥: 14 x 23.8 x 19.5 などの作品があります。

 以下次回(若尾誠氏)に続きます
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