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ピーター・イエーツ監督『ブリット』

2023-04-26 03:05:38 | 日記


 ピーター・イエーツ監督、ラロ・シフリン音楽の1968年作品『ブリット』をDVDで再見しました。
 サイト「映画ウォッチ」の「ネタバレあらすじ」に一部加筆修正させていただくと、
「舞台はサンフランシスコ。シカゴのシンジケートの金、200万ドルを持ち逃げした男ジョニー・ロス。命を狙われていたロスは上院議員チャルマース(ロバート・ヴォーン)に裁判の証人になることを条件に身の安全を確保してもらっていた。チャルマースからサンフランシスコ警察宛にロスの警護を依頼され、担当に付くことになったのが主人公ブリット刑事(スティーヴ・マックィーン)だった。同僚の刑事に警護を任し、ブリットが非番だった晩、二人の殺し屋がロスを匿っていたホテルを襲う。
 そこで同僚とロスは重傷を負い、同僚の「ロスが自らドアのチェーンを開け不審者を部屋に入れた」という証言から何か裏があると感じ取ったブリットはロスが心肺停止したのを隠し、警護していることを装い殺し屋を逮捕することを決心する。そこで生きていると思われているロスを追う殺し屋からブリットは命を狙われるはめになる。
 サンフランシスコの市街地を舞台に激しいカーチェイスを繰り広げ、ブリットから逃れようとした殺し屋は、逃走に失敗し、車は炎上し、2人の殺し屋は火傷で男女の区別もつかなくなる。ブリットは、改めてチャルマースの行動を不審に思い彼の真意を調べ始める。ロスの奥さんらしき人物の殺害現場から押収されたトランクより新品の洋服、多額の小切手が見つかる。そこで押収された日用品にはレニックという刺繍が‥押収した遺品より、ブリットは自分がロスだと思い護衛していた人物こそレニックであり、レニック夫妻の代わりにトランクから消えていた旅券を使い、本物のロスはローマへ逃げようとしていることを悟る。
 真実は、チャルマースが裁判を確実にするため、偽物のロス、つまりレニックをブリットに護衛させ、本物のロスから目をそむけるようにしていたのだった。すべてを理解したブリットはレニックの遺品を元にロスが乗るであろう飛行機を割り出すが、本物のロスは夜の空港でロンドン行きの飛行機に乗り換え、そこに行き着いたブリットと夜の滑走路で追跡劇を行う。空港のロビーの群衆の中に身をひそめるロス。しかし行き場を失ったロスをブリットは群衆ひしめく飛行場のロビーで仕留めたのだった。
 ラスト。朝早く自宅に戻ったブリットは、妻が裸でベッドにすたすやと寝ているのを確かめると、鏡で自分の顔を見つめ、カメラは最後にブリットの拳銃を捉え、映画は終わる。」

 なんといってもラロ・シフリンの音楽が素晴らしく、『スパイ大作戦』や『ダーティーハリー』の音楽も彼のものであることを初めて知りました。ジャクリーン・・ビセットの美しさ(1973年に彼女はトリュフォーの『アメリカの夜』に出演しているので、この頃はまだ国際的な大スターになる前の、初々しさと成熟した女性の魅力を兼ね備えていた存在だったのだと思います)、そしてもちろんスティーヴ・マックイーンのタフさの魅力も最大限に発揮されていました。伝説的になったカーチェイスと、夜の滑走路における追跡劇は、この映画の後、何度も他の監督にマネされることになるのですが、ラロ・シフリンの素晴らしさに比べると、ピーター・イエーツの演出の“甘さ”が随所に出ていて、あと20分か30分短ければ、よりよい映画になったのではと思いました。ちなみにロバード・デュバルも重要な役(マックイーンに有力な情報を提供するタクシーの運転手役)で出ていたことを書き記しておきます。あとついでついでに書いておくと、YouTubeでラロ・シフリンをググっていたら、「ラロ・シフリン/ジャズ・ミーツ・ザ・シンフォニー(1994)」という素晴らしい曲を見つけてしまいました。

大島渚監督『飼育』

2023-04-25 02:24:55 | 日記
 大島渚監督の1961年作品『飼育』を国立映画アーカイブで再見しました。

 サイト「映画ウォッチ」の「ネタバレあらすじ」の一部に加筆修正させていただくと、
「時は太平洋戦争末期。信州の山道を大勢の人たちが歩いていきます。その集団に一人の黒人が混じっていました。脚に獣用の罠が刺さったままで、血を流した痛々しい姿です。
 彼はアメリカ軍の爆撃機の乗組員で、機が被弾したためにパラシュートで山の中へ降下したのでした。ところが罠にかかってしまい、動けなくなったところを近隣の村人に発見され、村まで運ばれることになったのです。
 村ではアメリカの兵士を敵視し、ろくに脚のケガの治療もせずに納屋に放り込みます。
 さっそく村役場に使いが出されて対応を相談しますが、人手の足りない役場では兵士を捕虜にしておく余裕などなく、村の人間たちにその世話を押し付けます。
 村では、本家と呼ばれる地主の鷹野一正(三國連太郎)が封建時代の領主のように大きな権勢を振るっており、彼は分家の塚田伝松(山茶花究)の一家にその世話を命じます。
 日頃から本家へ対して恨みを持っている塚田は、今回の件も「本家が憲兵隊に褒められるためにやったことだ」と考えて不満をたぎらせます。
 やがて黒人兵士の存在に影響されたかのように、村では色々な問題が発生します。世話役の一人・小久保余一の息子の次郎が出兵前夜に行方不明になったり、東京から疎開していた石井弘子が一正に襲われそうになったり、徐々に不穏な空気が充満してくるのです。
 黒人兵士は徐々に村の子供たちと仲良くなり、脚も子供たちの世話で癒やされます。時々は納屋から出され、田んぼで子供たちと遊んだりして、このまま捕虜として安穏な生活が続くかと思われました。
 しかし、保次郎が石井弘子の娘である百合子と肉体関係を持ったことを知り、保次郎の弟の八郎がそのことで百合子を責めます。
 このことが大騒ぎとなり、結局百合子は崖から落ちて死んでしまうのです。これをきっかけに本家と分家の言い争いが勃発。怒りの矛先は他所者である黒人に向かい、全員がその処刑を願います。
 一正もこうなったら自分の地位を守るためにその願いを聞き届けるほかありません。自らナタを振るい、子供を人質に抵抗していた黒人を惨殺します。その死体を大勢で埋めているところに終戦の知らせが――。
 責任を問われるのを恐れ、村人たちは全員が殺人については口をつぐむことにするのでした。」

 暗く沈む白黒画面が印象的な映画でした。

山田火砂子監督『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』

2023-04-24 01:55:12 | 日記
 先日は町田まで行き、日本女性最高齢監督の山田火砂子さんの2022,年作品『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』を見てきました。

 パンフレットの「物語」に一部加筆修正させていただく
「1831年、洗濯のたらいも男女で分けるなど。男尊女卑の社会の中、現在の熊本県に矢嶋楫子(常盤貴子)は産まれました。
25歳の時に結婚した武士の夫は酒乱で、抱いている女の赤ん坊に向けて小刀を投げるなど、家族への度重なる乱暴に身の危険を感じた楫子は、末の子を連れて家出し、離縁状を叩きつけます。これは女性の方から離婚を申し渡す、日本では初めてのケースとなりました。
 離縁後、上京して小学校の教員になった楫子は、ミセス・ツル―というアメリカ人の先生から、女学校の校長先生の仕事をすすめられ、現在もある女子学院の院長となります。
 趣味でキセルを吸う楫子に対し、部下の教師たちは反発しますが、ミセス・ツル―は楫子の味方をしてくれます。校則も全廃し、聖書に向かい合って行動するようにと生徒たちに語った楫子は、校則を破る生徒を失くすことに成功します。
 一夫一婦制(当時は愛人の存在が世間では認められていた)、婦人参政権、禁酒、廃娼運動など、多くの活動に関わり、90歳のときにはアメリカでっ世界平和を強く訴えました。
 天保時代に生まれ、明治大正という、女性が一人の人間として尊重されることのなかった時代に、女子教育に力を注ぎ、女性解放運動に生涯を捧げた矢嶋楫子の生涯を描いた映画でした。」

 女子学院は現在、私立中学ではトップクラスの学校になっていて、
偏差値が70以上の生徒しか受からない難関学校になっています。私はkの映画を見るまで、女子学院の成り立ちや、矢嶋楫子さんの存在について、全く知りませんでした。監督が舞台挨拶で語ってらっしゃいましたが、男尊女卑の世界は現在も残っていて、共働きの家庭でも家事・育児はすべて妻がするという家庭が多く存在しています。歳をとってデイなどに通い、面白おかしく老後を過ごしている場合じゃないとも監督はおっしゃっていました。憲法が保障する男女の平等の実現のためにも、現在私たちが改善していかねばならない課題がまだ多く残っているのです。
 フランスのようにシングルマザーの方たちが安心して子育てをできる環境作りが急務となってきているのと同時に、夫婦別姓制度もいち早く
実現させ、本当の意味での男女平等を我々は獲得していかねばなりません。その先頭となって活躍されているのは、山田火砂子監督なのだと痛感しました
 この映画は現在、全国各地で上映されている最中で、今後の上映予定に関しましては、現代ぷろだくしょん(03-5332-3991)まで問い合わせてほしいと思います。少し遠い場所からでも、観る価値は十分ある映画だと思います。是非映画を上映する会場に足をお運びになって、ご覧いただきたいと思います。

 ちなみに監督がプロデューサーされた作品と自ら監督されたのは「白い町ヒロシマ」「死線を越えて」「裸の大将放浪記」「はだしのゲン」「はだしのゲン 涙の爆発」「はだしのゲン ヒロシマのたたかい」「燃える上海」「キムの十字架」「ユッコの贈りもの」「茗荷村見聞記」「春男の翔んだ空」「真昼の暗黒」「蟹工船」「村八分」「母 小林多喜二の母の物語」「石井のおとうさん ありがとう」「大地の詩 留岡幸助物語」「明日の希望」「望郷の鐘 満蒙開拓団の落日」「筆子その愛 天使のピアノ」「エンジェルがとんだ日」「メイキング・オブ・一粒の麦」があり、すべてDVD化されています。どの作品も観る価値は十分あると思うので、資金的な余裕がある方は全作品を観ることをおススメします。

朝日新聞取材班『自壊する官邸 「一強」の落とし穴』その4

2023-04-23 02:34:48 | 日記
 また昨日の続きです。

・政府関係者によれば、谷内に抗議された安倍は「僕もどうかなと思ったんだけどね」と語ったという。谷内は麻生や菅にも訴えたが、「(書き換えは)黙認された」(政府関係者)。親書の詳しい内容はいまも明かされていない。
だが、今井は後に月刊誌「文藝春秋」のインタビューで「(原案には)一帯一路について、あまりにも後ろ向きな内容しか書かれていませんでした。だから、こんな恥ずかしい親書を二階幹事長に持たせるわけにはいかないと、相当修正を加えた」と認め、「『一帯一路についても可能であれば協力関係を築いていきたい』という文言をいれました」と告白している。

・軍事・経済で台頭する中国にどう臨むのか━━。日本の外交指針に、その戦略は欠かせない。政府内の調整も不十分なまま、対中「協力」へとかじを切った安倍外交。その継承を掲げながらも、菅首相は4月の日米首脳会議で「中国の行動について懸念を共有」し、「競争」へと軸足を戻しつつまるように見える。その動向を中国も注視している。

・中国と国境を接し、対中牽制の「日米豪印」の枠組み構築に必ずしも積極的でないインドに、「足並みをそろえるよう強く促すこと」(政府関係者)が、当時の安倍の意図だった。

・安倍は首相就任翌日、自らの外交戦略を「安全保障ダイヤモンド構想」と名付け、国際NPO団体のホームページに英字論文を発表。南シナ海を「北京の湖になりつつある」とし、尖閣諸島周辺での中国の動向に強い懸念を示し、日本単独の「点」ではなく、日米豪印が連携する、ひし形の「面」で対中牽制を構築する必要があると説いた。

・日米豪印の連携はその後、4カ国を意味する「クアッド(Quad)」と呼ばれ、16年に安倍がアフリカで打ち出した「自由で開かれたインド太平洋」戦略につながった。

・谷内は「中国封じ込め」を意図していたわけではない。健全な隣国関係を築くため、中国に力による威圧をやめさせ、法の支配など国際社会のルールを守らせることで、日中の対話の「土台」を作りたいと考えていた、と周辺は語る。

・「親書書き換え」を境に今井は、谷内ら「外交・安保」派と首相官邸で対立を深めていく。

・今井は、周囲に「日米同盟が最重要だが、すべて対米追従で、他の選択肢を考えない姿勢は問題だ。日本企業の中国進出を考えれば、一帯一路が持つ連結性は魅力的だ」と語っていた。

・安倍外交を間近で見てきた元政府高官はこんな解説をする。「官邸の政策決定には、『表階段』のほか、側近用で首相に直結する『裏階段』がある。太陽系に例えれば、谷内がいくら大きな木星でも、地球に近い金星には勝てない。外交でも『宮中政治』が行われた」

・18年のカナダでの主要7カ国首脳会議(G7サミット)で、貿易に関する宣言文書をめぐって、「米国第一」を掲げるトランプと、自由貿易を主張する独首相のメルケルが対立すると、「安倍首相が仲裁に入って、存在感を見せた」(政府関係者)
 トランプ政権が環太平洋経済連携協定(TPP)から離脱を決めても、日本が関係国との協議を主導し、米国抜きのTPPを結実させた。

・外務省出身者はこう語る。
「外交には時間軸を読み、目標を定めて、交渉材料を複合的に組み合わせて戦略を練ることが要求される。安倍外交はそうした戦略があやふやで、だからこそ側近の官邸官僚に左右された」

 なかなか面白い本でした。

朝日新聞取材班『自壊する官邸 「一強」の落とし穴』その3

2023-04-23 02:31:38 | 日記
 また昨日の続きです。

・2019年4月の参院決算委員会では、厚生労働省の毎月勤労統計をめぐる野党議員との論戦で、安倍は「論破」という言葉を使った。広辞苑によると「議論して他人の説を破ること。言い負かすこと」だ。国会の議事録を調べてみると、「論破」を口にした戦後の歴代首相は安倍ただ一人しかいない。

・野党による政権批判に対し、安倍は民主党政権時代と比較し、自らの政策を誇示することが多かった。政権奪回したて5年以上経った後でも、「悪夢のような民主党政権」というフレーズを繰り返している。

・2016年秋の臨時国会は異例の幕開けとなった。
 首相・安倍晋三の所信表明演説の途中、自民党の若手議員たちが一斉に立ちあがって拍手を始めたのだ。
「今この瞬間も海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が任務に当たっている。今、この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」
 安倍の呼びかけに合わせたスタンディングオベーションが起こった。安倍も檀上から拍手を送った。この間、約10秒。(中略)しかし、拍手は自然発生ではなかった。官房副長官の萩生田(はぎうだ)光一が党の国会対策委員会幹部に「海保や自衛隊を取り上げるから、温かみを持って演説をもり立ててほしい」と事前に依頼。国対のメンバーが、「演説の途中、本会議場の前に陣取る若手議員に演説文の具体的なくだりを指さしながら「ここで立って拍手してほしい」と伝えていた。

・安倍はたびたび予算委員会での質疑中、ヤジに反応し、審議を止めるよう委員長を促した。だが、安倍自身もヤジを繰り返している。
「早く質問しろよ」
「ウソつきと言うなら、証拠出してよ」
「意味のない質問だよ」
 野党議員の質疑中の安倍の不規則発言は、議事録に残る衆院だけでも首相を務めた7年8カ月で154回。そのうち委員長に話しかけたと思われるものや質問の確認などを除いた明らかなヤジは112回に上る。

・安倍政権にとって「友か敵か」は大きな意味を持った。安倍に不利な発言をした前川に政権が厳しくあたった一方、安倍を守るように動いた官僚は「処遇された」と指摘される。
その典型は、森友学園への国有地売却問題で野党と対峙(たいじ)した佐川宣寿だった。

・例えば、内閣情報調査室(内調)の職員は、国政選挙となると、自らが担当する都道府県の選挙区に分かれ、選挙情報を集めた。その際、自民党総裁として安倍が行う街頭演説に盛り込む「ご当地ネタ」も集めて回った。(中略)
 内調職員はこう嘆いた。
「私は公務員。自民党職員でもないし、安倍事務所のスタッフでもない」

・朝日新聞は昨年(20年)、17年衆院選と18年の総裁選に向けて内調スタッフが調査した内容や出張記録を情報公開請求した。結果はいずれも、文書があるかないかの存否すら明らかにしなかった。理由について内調はこう回答した。
「対象文書の存否を明らかにした場合、具体的な情報収集活動の実態が明らかになり、将来の効果的な情報収集活動に重大な支障を及ぼすおそれがあり、ひいては我が国の安全が害されるおそれがある」

・日本の戦後政治は、自民、社会両党が中心だった55年体制と言われる時代が長く続いた。経済成長の果実の分配が政治の主課題で、表で対立する両党は、裏では良好な関係を築き、支持層への果実を分け合う調整を行った。しかし成長の時代が終わると、与野党のなれ合いが国を停滞させているとされ、政権交代可能な緊張感のある政治が求められた。
 行き着いたのが衆院の小選挙区で、それを巧みに利用した先駆者は小泉純一郎だった。小泉は、意見が違う相手を交渉し、妥協点を見いだす従来の調整型ではなく、異論を押し切ってでも自らの「信念」を通そうとする決断型だった。それは、郵政民営化の反対者に「刺客」を送った05年の郵政選挙でピークを迎え、自民党は歴史的大勝を果たした。
 官房長官、幹事長として小泉をそばで見ていた安倍は、決断型の首相として小泉よりその濃度を増し、自らの決断に異を唱える「敵」に攻撃を加えた。

・第2次政権で成立した特定秘密保護法、集団的自衛権の行使を認める安全保障体制、共謀罪法は、いずれも国家権力を強めるものだ。

・中国の一帯一路に対抗すべく、谷内らが「自由で開かれたインド太平洋」戦略を練り上げ、安倍は16年8月のアフリカ訪問で、この新戦略を日本外交の方針として世界に発信していた。

(また明日へ続きます……)


 また昨日の続きです。

・2019年4月の参院決算委員会では、厚生労働省の毎月勤労統計をめぐる野党議員との論戦で、安倍は「論破」という言葉を使った。広辞苑によると「議論して他人の説を破ること。言い負かすこと」だ。国会の議事録を調べてみると、「論破」を口にした戦後の歴代首相は安倍ただ一人しかいない。

・野党による政権批判に対し、安倍は民主党政権時代と比較し、自らの政策を誇示することが多かった。政権奪回したて5年以上経った後でも、「悪夢のような民主党政権」というフレーズを繰り返している。

・2016年秋の臨時国会は異例の幕開けとなった。
 首相・安倍晋三の所信表明演説の途中、自民党の若手議員たちが一斉に立ちあがって拍手を始めたのだ。
「今この瞬間も海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が任務に当たっている。今、この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」
 安倍の呼びかけに合わせたスタンディングオベーションが起こった。安倍も檀上から拍手を送った。この間、約10秒。(中略)しかし、拍手は自然発生ではなかった。官房副長官の萩生田(はぎうだ)光一が党の国会対策委員会幹部に「海保や自衛隊を取り上げるから、温かみを持って演説をもり立ててほしい」と事前に依頼。国対のメンバーが、「演説の途中、本会議場の前に陣取る若手議員に演説文の具体的なくだりを指さしながら「ここで立って拍手してほしい」と伝えていた。

・安倍はたびたび予算委員会での質疑中、ヤジに反応し、審議を止めるよう委員長を促した。だが、安倍自身もヤジを繰り返している。
「早く質問しろよ」
「ウソつきと言うなら、証拠出してよ」
「意味のない質問だよ」
 野党議員の質疑中の安倍の不規則発言は、議事録に残る衆院だけでも首相を務めた7年8カ月で154回。そのうち委員長に話しかけたと思われるものや質問の確認などを除いた明らかなヤジは112回に上る。

・安倍政権にとって「友か敵か」は大きな意味を持った。安倍に不利な発言をした前川に政権が厳しくあたった一方、安倍を守るように動いた官僚は「処遇された」と指摘される。
その典型は、森友学園への国有地売却問題で野党と対峙(たいじ)した佐川宣寿だった。

・例えば、内閣情報調査室(内調)の職員は、国政選挙となると、自らが担当する都道府県の選挙区に分かれ、選挙情報を集めた。その際、自民党総裁として安倍が行う街頭演説に盛り込む「ご当地ネタ」も集めて回った。(中略)
 内調職員はこう嘆いた。
「私は公務員。自民党職員でもないし、安倍事務所のスタッフでもない」

・朝日新聞は昨年(20年)、17年衆院選と18年の総裁選に向けて内調スタッフが調査した内容や出張記録を情報公開請求した。結果はいずれも、文書があるかないかの存否すら明らかにしなかった。理由について内調はこう回答した。
「対象文書の存否を明らかにした場合、具体的な情報収集活動の実態が明らかになり、将来の効果的な情報収集活動に重大な支障を及ぼすおそれがあり、ひいては我が国の安全が害されるおそれがある」

・日本の戦後政治は、自民、社会両党が中心だった55年体制と言われる時代が長く続いた。経済成長の果実の分配が政治の主課題で、表で対立する両党は、裏では良好な関係を築き、支持層への果実を分け合う調整を行った。しかし成長の時代が終わると、与野党のなれ合いが国を停滞させているとされ、政権交代可能な緊張感のある政治が求められた。
 行き着いたのが衆院の小選挙区で、それを巧みに利用した先駆者は小泉純一郎だった。小泉は、意見が違う相手を交渉し、妥協点を見いだす従来の調整型ではなく、異論を押し切ってでも自らの「信念」を通そうとする決断型だった。それは、郵政民営化の反対者に「刺客」を送った05年の郵政選挙でピークを迎え、自民党は歴史的大勝を果たした。
 官房長官、幹事長として小泉をそばで見ていた安倍は、決断型の首相として小泉よりその濃度を増し、自らの決断に異を唱える「敵」に攻撃を加えた。

・第2次政権で成立した特定秘密保護法、集団的自衛権の行使を認める安全保障体制、共謀罪法は、いずれも国家権力を強めるものだ。

・中国の一帯一路に対抗すべく、谷内らが「自由で開かれたインド太平洋」戦略を練り上げ、安倍は16年8月のアフリカ訪問で、この新戦略を日本外交の方針として世界に発信していた。

(また明日へ続きます……)