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ロバート・オルドリッチ『カリフォルニア・ドールズ』その1

2012-11-30 06:29:00 | ノンジャンル
 先日、母が見ていたワイド番組に出演されていた青木理さんが、番組内で、最近『絞首刑』の文庫版を出されたとおっしゃっていたと、母が教えてくれました。ユーチューブでは、単行本出版時の青木さんへのインタビューが見ることができ、それを見た私はすぐに文庫本版の『絞首刑』をアマゾンで注文しました。日本で今でも行われている残虐刑=絞首刑の実態をお知りになりたい方は、是非一読されることをお勧めします。

 さて、ロバート・オルドリッチ監督の'81年作品で、遺作でもある『カリフォルニア・ドールズ』(原題は『‥‥All the Marbles』で、“一等賞”とか“死力を尽くす”などの意)をシアターN渋谷で見ました。
 この作品を紹介するには、私に2時間近くかけて渋谷まで足を伸ばし、この映画を再見する気にならせてくれた、『群像』2012年12月号の、蓮實重彦先生の「映画時評」の文章をそのまま転載させていただきたいと思います。(ちなみに、映画の世界以外では、“アルドリッチ”ではなく“オルドリッチ”の表記の方が標準なのだそうで、私の文章では“オルドリッチ”で統一させていただきます。)
「アクロン・アリーナという名前が夕暮れのネオンに映えていたから、この作品の導入部の舞台となっているのは、どうやらオハイオ州のいかにも地味な地方都市であるらしい。そこでの夜の試合に何とか勝利した女子プロレスのタッグ・チームのカリフォルニア・ドールズが、敵方の2人とともに薄汚れた楽屋で着替えをしている。その直前、殺風景な廊下のフィルムノワールめいた照明を受けとめながら、興行主から契約金を値切られているマネージャーのハリー(ピーター・フォーク)の諦念が描かれているから、この美貌のタッグがわずかなギャラでのその日暮らしの日々の移動を余儀なくされていることが、ほんの数ショットで明らかとなる。
 画面が唐突に楽屋に移ると、やや離れた距離からのキャメラが、鏡の前で思いきり腰をかがめて長い金髪にブラシを入れているモリー(ローレン・ランドン)を構図の右の奥まったところに小さな全身像でとらえる。と、いきなり上半身を起こしてその豊かな髪を背中に振り上げる彼女の背後にキャメラが位置を変え、汚れきった鏡に映るその晴れやかな笑顔をバストショットで浮きあがらせる。それに、長いブルーネットの髪を揺らして笑っている相棒のアイリス(ヴィッキ・フレデリック)のクローズアップが続いて会話が成立するのだが、この間髪を入れぬ「アクションつなぎ」の編集のリズムに、胸を突かれる思いがする。
 活劇とは、フィルムそれ自身が組立てるショットの連鎖にほかならない。前にたらしていた豊かな髪を一息に振り上げる瞬間、その女性ならではの艶やかな身振りを契機として、ロングショットからバストショットへと継起する胸のすくようなアクションの連鎖について、2つのことを指摘しておきたい。1つ目は、乱れた長い髪を思いきり振り上げて背中で整える仕草を、カリフォルニア・ドールズの2人が、いつか、それも晴れがましい舞台で反復してみせるに違いないという確かな予感がその身振りにこめられているということだ。実際、クライマックスでその身振りの艶やかな反復を目にして、誰もが思わず息をのむ。その瞬間を見そびれたら、この映画を語る資格などありはしないと断言しておきたい。
 2つ目は、この古典的な「アクションつなぎ」がアメリカ映画から失われて、「長い」という形容詞では語りえぬほどの時間が過ぎようとしていることを記憶によみがえらせねばなるまい。実際、63歳で撮ったロバート・アルドリッチの遺作『カリフォルニア・ドールズ(初公開時は『ドールス』だった)』(1981)が封切られてから30余年後に、贅沢にもニュープリントで『カリフォルニア・ドールズ』として日本のスクリーンに再公開されるとき、70歳に近いスピルバーグやそれよりやや高齢のスコセッシはいうまでもなく、80歳を超えたイーストウッドでさえ、この鋭利な編集のリズムを見失ったまま活劇を撮っている現実を思い知らされ、愕然とするしかない。アルドリッチがごく自然にやってのけていたこの小気味よい画面処理――小津や成瀬やマキノ雅弘にとっても、それは編集の基本だった――が、アメリカのみならず、世界から姿を消してしまっているからだ。それは、21世紀の「巨匠」たちの怠慢だろうか。それとも、なにがしかの歴史的な必然があるのだろうか。」(明日へ続きます‥‥)

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J・J・エイブラムス監督『SUPER 8/スーパーエイト』その2

2012-11-29 07:20:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 夜にジョーの元を訪れ、お互いの気持ちを確かめ合う2人。母と写ったホームビデオをアリスに見せるジョー。アリスは「あの日、父は酔って工場を休み、代わりに入ったあなたのお母さんが犠牲になった。父は自分が死ねばよかったと思ってる」と言って、泣きます。するとキューブが振動し始め、壁を突き破って飛んでいきます。アリスが帰宅すると、父はジョーに会ってきたことを責めて、出ていけと言い、本当に自転車で出ていったアリスを車で追いますが、駐車車両にぶつかって止まります。その目の前で“貨物”に拉致されるアリス。軍は火炎放射器で町を焼き払う“ウォーキング・ディスタンス作戦”を始めます。映画が台なしになったと怒るチャールズは、実は自分も好きなアリスがジョーと両思いであることにムカつくのだとジョーに告白します。駅舎で撮ったフィルムを試写して“貨物”が映っていることに気付く彼ら。
 町に火事が広がっているとして軍から避難指示が出され、町は封鎖されます。デイナードはアリスが拉致されたことをジョーに知らせ、ジョーら4人の子供はアリスを探しに町に戻ることにします。一方、ジャックは飛行場に侵入し、兵士を1人倒すと、軍の制服に着替えます。学校に侵入したジョーらは、フィルムの山を発見し、「'63年4月8日」と書かれたフィルムに白衣の男たちが宇宙船を見ている映像が収められ、テープに「高度な知能で地底を好む生物は'58年に墜落し、その後宇宙船を修復させようとしたが、ネルクに捕えられて拷問を受け、それで人に憎むようになったことが、生物のテレパシーで分かった」とウッドワードが録音しているのを発見します。ウッドワードは生物を助けるべきだとネルクに進言して、研究所をクビになったとも語っていましたが、そこへネルクらがやって来て、ジョーらは捕えられてしまいます。ジョーから母の形見のペンダントを奪うネルク。町へジョーらを運んだフィルム屋がジョーらが軍に捕えられたことを警察に通報し、軍が火事を起こしていると知ったジャックへも伝えられます。ジョーらを乗せた軍の輸送バスは飛行場へと向かいますが、途中で“貨物”に襲われ、ネエクを含む軍関係者は皆殺され、ジョーらは横転したバスから逃げ出します。武器が勝手に発射され大混乱に陥っている町を通り抜け、母の墓地へ向かう4人。途中でケガした1人とその付き添いとしてチャールズを置いていったジョーとケアリーは、墓地のそばの小屋に侵入すると、そこには巨大な深い穴が開いていました。奥から聞こえて来る“貨物”の声。ケアリーの花火を使って、穴の中で意識を失っていたアリスと保安官と1人の女性を助け出した2人でしたが、逃げ出す途中で保安官と女性は“貨物”の餌食となり、ジョーらも行き止まりで追いつめられます。ジョーは前に進み出て、“貨物”に話しかけ、「皆が悪人じゃない。辛い時もある。でも生きていける」と言うと、一旦はジョーを掴んだ“貨物”は、聞こえてきた音に気を取られて、ジョーを置いて去ります。ジョーらが地上に上がると、穴の奥の真上にあった給水塔の球体に、周辺のあらゆる金属が飛翔してくっついていっていました。デイナードと、彼を許したジャックがやって来て、抱き合う2組の親子。その間に給水塔は宇宙船と化し、ジョーの母のペンダントも引きつけ、ジョーはペンダントの母の姿を最後に見て、ペンダントを放します。宇宙船と一体となるペンダント。その瞬間、給水塔は破裂し、水しぶきが上がる中、宇宙船は空高く飛び立ちます。それを見上げながら手をつなぐジョーとアリス。そしてエンディングタイトルが流れ、それとともに、ジョーらが作ったゾンビ映画“事件”が映写された後、映画の中でジョーらが歌っていたザ・ナックの“マイ・シャローナ”、そして無気味な音楽とともにに映画は終わります。

 前半で保安官と電話業者が襲われるところと、ラストの宇宙船の飛翔は『未知との遭遇』の、そして輸送バスの襲撃は『ジュラシック・パーク』の明らかな良質なパロディであり、“貨物”の造形は『E.T.』の宇宙人を邪悪にした感じのものでした。登場人物のちょっとした表情の変化をとらえた短いショットの挿入がうまく、これだけの内容を1時間52分にまとめあげ、楽しませてくれたエイブラムス監督の手腕は賞賛に値すると思います。また、保安官代理役の役者の顔も、“いい”顔をいていたことを付け加えておきます。

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J・J・エイブラムス監督『SUPER 8/スーパーエイト』その1

2012-11-28 06:32:00 | ノンジャンル
 J・J・エイブラムス監督・脚本・共同製作、スピールバーグ共同製作の'11年作品『SUPER 8/スーパーエイト』をWOWOWシネマで見ました。
 “リリアン鉄鋼 無事故記録784日”となっていた看板が“無事故記録1日”に差し換えられます。事故で母を亡くしたジョーは、父である保安官代理のジャックが支えるから大丈夫だ、と葬式に集まった人々は話しています。ジョーの幼馴染みのチャールズを監督として、ジョーらはゾンビ映画を8ミリで撮っていていることも、彼らの会話から分かります。そこへ現れたデイナードは「ジャック、話が‥‥」とジャックに話しかけますが、怒るジャックに追い出されます。
 「4カ月後」の字幕。夏休みになり、チャールズは映画祭に向けて映画の質を向上させるため、主演の刑事の妻役に、デイナードの娘でかわいいアリスを採用しようと言い出し、今日の深夜、撮影のために彼女の運転する車で駅へ向かうことになります。アリスは自分が無免許運転なので、父が保安官代理であるジョーを車に乗せたがりませんが、特殊効果とメイクを担当するジョーは、父には絶対このことを言わないと誓い、車に乗せてもらいます。駅舎で撮影する刑事役のプレストンとアリス、火薬好きのケアリー、そしてジョーとチャールズ。リハーサルをするアリスに見とれるジョーとチャールズ。そこへ列車がやって来て、それを撮影に取り入れようとしたチャールズの発案で、急遽本番の撮影が行なわれますが、彼らの目の前で列車は前からやって来た車と正面衝突し、脱線して大事故となります。倒れた8ミリカメラはその様子を撮影した後、止まります。大量のルービックキューブのようなものが転がっているのを見つける彼ら。車の中には学校の理科の先生であるウッドワード先生がいて、先生の持っていた地図から、先生が故意に車を列車に衝突させたことが分かると、先生は拳銃を取り出し、「殺されるから、誰にもこのことを言うな。家族も殺されるぞ。すぐに逃げろ」と警告します。そこに現れた軍の特殊部隊を見て、車で逃げ出すジョーら。アリスは拾った1つのルービックキューブ状の立体をジョーに渡します。
 翌朝、列車の転覆現場で軍が調査していると報じるテレビニュースは、ウッドワード先生が居眠り運転をしていたとも報じます。チャールズは取り残した映像があるので、現場に戻ろうと言い出し、ジョーがアリスを説得しに行きます。アリスは一旦は断りますが、そこへ現れた父のディナードが、ジョーに「2度と娘に会うな」と言うと、アリスはやっぱり撮影に付き合うとジョーに言ってくれます。草原でゾンビ役のケアリーが射殺されるシーンを撮影するジョーら。ジョーは遠くに見える転覆した列車が空軍のものであることに気付きます。軍の司令官ネレクはキューブ状の立体を回収しますが、町の住民が不安がっているというジャックには何も教えてくれません。保安官に調査を依頼しても断られるジャック。その保安官が夜のガソリンスタンドで給油していると、犬が吠えだし、急にパトカーのライトが勝手に点灯して、チリチリという音がしたかと思うと、大きな金属が突然飛んできて、スタンドは一瞬停電し、その直後パトカーは破壊され、保安官も消えます。様子を見に外に出ていき、やはり何ものかの餌食になるスタンドの店員。
 車のエンジンだけが持ち去られたり、町の犬が一斉にいなくなったり、原因不明の停電が続いたりという通報がジャックの元に寄せられ、軍の車両の隊列が町を通っていきます。列車事故の現場に残されたタイヤ痕のことを調べる軍。夜、停電の修理をしていた男は、金属をひっくり返すような音を聞いた後、金属箱が飛んできたと思ったら、“貨物”にレッカー車ごと襲われます。住民集会で質問攻めに会うジャック。軍の無線を傍受できることを、ある住民から聞いたジャックは、それを部下に聞かせて、他の部下にも次々と指示を与えていきます。行方不明の犬たちが、ある地点を逃れるようにして、周囲で見つかります。軍の無線で“ウォーキング・ディスタンス作戦”という言葉が交わされているのを傍受するジャックら。ジョーは夜に母の墓地に行くと、近くの小屋に灯りがともっているのを見ます。“リリアン飛行場”の看板。ウッドワードに尋問するネレクは、昔ラボにいてネレクの方針に反対だったウッドワードに列車事故の夜に誰がいたのか尋ねますが、ウッドワードが答えようとしないのを見ると、彼を殺します。(明日へ続きます‥‥)

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県民フォーラム『川の声を聞こうよ 桂川~相模川』

2012-11-27 04:28:00 | ノンジャンル
 先週の土曜日の朝日新聞の夕刊に、米民主党のリベラルの礎を作った人として、ジョージ・マクガバンの追悼記事が載っていました。記事を読み、この固有名詞は覚えておかなければならないなと思った次第です。

 さて、先週の土曜日、桂川・相模川流域協議会&水源環境保全・再生かながわ県民会議が主催する「平成24年度 桂川・相模川流域協議会流域シンポジウム 水源環境保全・再生かながわ県民フォーラム『川の声を聞こうよ 桂川~相模川 ―絶滅危惧種 カワラノギクの保全― ―山梨・神奈川両県が共同して行う水源環境の保全・再生―」という、やたら名前の長いイベントに参加してきました。行なわれたのは、小田急線相模大野駅から歩いて10分の相模女子大キャンパスの大教室です。
 まず、養老孟司さんによる基調講演「生物多様性を考える」。養老さんは無償でこの仕事を引き受けられたそうです。内容は「“生物多様性”という言葉は、アメリカの学者の造語であり、そもそも言葉とは“意識”が作り出したものである。しかし“意識”は科学の対象として、現在まったく議論されていないし、脳の構造と“意識”との間の因果関係もまったく解明されていない。“意識”の働きとは、言葉によって感覚をゲシュタルト化(差別化)することであって(とは養老さんは言ってませんでしたが、同じ意味のことを具体例を出して、おっしゃっていました。養老さんは、“意識”と“言葉”の働きについて書かれた本を読んだことがない、とおっしゃっていましたが、言葉の働きについては、ゲシュタルト心理学とソシュールの言語論で、言葉による“地と図の分離”についての説明がなされています)、素直に感覚に従えば、“意識=感覚”は多様化せざるを得ない。例えば、(『銃・病原菌・鉄』の著者として有名な)ジャレド・ダイヤモンドは、もともとは極楽鳥の分類学者だったが、現地人が全ての極楽鳥を既に言葉で区別していることを発見した。これは、感覚に素直に従えば、言語も多様化せざるを得ない典型的な例である。自然はすべてつながっているのであって、それを分けているのは、言葉でしかない。実際、人間も自然の一部なのであり、個人をその他のものと切り離して考えるようになったのは、つい最近のことである。そのいい例としては、近現代においても、主語がある言語は全世界で7つしかなく、以前、例えばラテン語などは、主語はなかった」とのことでした。(他にも、いろいろ面白い話をされていましたが、ここでは省きます。)
 次に、相模湖の上流の川・桂川と相模湖の下流の川・相模川、それぞれの川の河原に自生していたカワラノグクを再生させる試みについての報告が、“カワラノギクを守る会”“NPO法人 愛・ふるさと”“相模川湘南地域評議会”の3団体からあり、そのまとめ役として、“さがみはら地域協議会”からボランティアへの参加が呼びかけられました。
 そして最後に、桂川・相模川の流域である山梨・神奈川両県の行政レベルでの取り組みが発表された後、会場の参加者に配られたアンケート用紙の質問に即した意見が、4人のパネリストの方たちから述べられ、会場の参加者の意見も2、3発表されて、イベントは終わりました。
 このイベントに参加して私が初めて知ったことは、カワラノギクは幾年かに一度の洪水で、他の植物が一掃され、土壌が肥沃化されることが、生育に必要であること、神奈川で利用されている水のほとんどは、山梨から流れてきている富士山の伏流水であること、したがって神奈川は水量には恵まれているが、水質には問題があること(人間が出す排水のうち、浄化施設で除けるのは有機物だけであり、窒素化合物やリンなどは、そのまま流れてしまうこと)、したがって、水質を向上させるには、行政に任せるのではなく、市民1人1人がライススタイルという段階で考える必要があること、行政レベルでは、山梨県と神奈川県が既に協定を結び、今年度から特別税を住民から徴集し、荒廃した民有林(間伐がされなくなってしまった人工林)を針葉樹と広葉樹が入り混じった森林にしたり、長期間放置された民有林を健全な里山林に誘導するなどの具体策が15年計画が実施され始めていて、こうした試みは全国初であること、などなどでした。特にカワラノギクの再生に向けて活動されている方々の熱気が、ハンパなかったことも、最後に付け加えておきたいと思います。

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マルコ・ベロッキオ監督『中国は近い』

2012-11-26 05:26:00 | ノンジャンル
 マルコ・ベロッキオ監督・原案・共同脚本、音楽エンリオ・モリコーネの'67年作品『中国は近い』をWOWOWシネマで見ました。
 二つの木のベンチを向かい合わせに置いた上での情事を済ませたカルロ(パオロ・グラヅィオージ)とジョヴァンナ(ダニエラ・スリーナ)。結婚を迫るジョヴァンナに、「愛で十分。将来は議員になって金持ちになる」と答えるカルロ。
 カミッロ(ピエルイージ・アプラ)に呼ばれた2人の友人は、毛沢東主義のカミッロの話を聞きます。「正しいセックスは膣内射精で、両者の積極的な参加が不可欠である。ブルジョワの娘を強姦することも、階級そのものを蹂躙することには繋がるが、育ちのよい彼女たちに下着を脱がせるには訓練が必要。友人の女友だちで無口で従順な工員の娘・ジュリアーナは尽きることのない絶頂に達し、相手が途中で入れ替わっても気付かないほどなので、最高の練習台になりうる」と語るカミッロと、話に退屈し、犬にボールを転がしてやっては、カミッロに注意される友人の1人。レーニンの肖像のポスターを貼ったドアから出ていくカミッロ。
 35才の大学教授ヴィットリオ(グロッコ・モーリ)は朝、客があると老メイドから聞き、姉のエレナ(エルダ・タットーリ)に客を迎えてくれと言います。男をベッドにまた引きずり込んでいたエレナは、男にすぐ帰るように命じます。ガウン姿のまま、2人の客を迎えるヴィットリオ。出勤してきた秘書のジョヴァンナに「地方選で社会党から立候補して、教育委員になるって話が来たんだが、いいと思わないか?」とヴィットリオは言いますが、ジョヴァンナは固い表情のままです。明日寄宿舎に戻るとヴィットリオに語るカミッロ。姉の相手の男を追い出したヴィットリオはエレナに「弟はまだ17才。いくらマルクスかぶれでも、姉が誰とも知らぬ男と寝てたらショックを受ける。男とはホテルで会え」と言い、2人は口ゲンカを始めます。
 ジョヴァンナは社会党員で会計士のカルロに電話をかけ、「何か聞いてない?」とヴィットリオから聞いた話をしようとしますが、ヴィットリオが現れたので、あわてて電話を切ります。カルロはヴィットリオが今朝会った2人の訪問を受けます。そこへヴィットリオから電話があり、「御党から出馬を要請されましたが、私は実際の政治経験がないので、スタッフか秘書をつけてもらいたい」と言って、30分後にカルロの訪問を受けることになります。一方、カミッロは3人の友人を呼び出し、自分の命令に必ずしたがってくれと言います。ワインセラーで、ジュリアーナと次々と交わるカミッロら‥‥。
 この後、カルロはヴィットリオの選挙参謀となり、選挙戦を戦うことになりますが、そのうちエレナとカルロはできてしまい、それを見たジョヴァンナはヴィットリオに身を任せます。エレナはカルロの子を妊娠してしまい、中絶しようとしますが、カルロは彼女と結婚するために、彼女が中絶しないよう、ジョヴァンナに頼エレナを見張っていてくれと頼みます。ジョヴァンナはその代わりに、カルロに自分を妊娠させてもらい、ヴィットリオの子ができたように見せかけ、彼と結婚できるように仕組んでくれと言います。そんな中、カミッロは社会党本部に爆弾を仕かけて爆発させ、ヴィットリオの演説会でも舞台の下からヴィットリオに猫を投げ付け、それに向けてシェパードを放つなどして、反乱を企てるのでした‥‥。

 フランスの5月革命の前年に撮られたこの映画は、イタリア版『中国女』といった風のカミッロのエピソードで始まりますが、何と言ってもまず、28才でこの映画を撮ってしまったベロッキオの才能に圧倒されました。顔のアップに人物のバストショット、遠景など、素晴らしい構図のショットがはぎれよく編集されていて、多くの台詞が語気が荒い声でなされ、物がよく画面の中で飛ぶことなどからも、「ごつごつ」した男っぽい感じを受けました。犬の使い方も見事で、子供の様子をとらえたシーンはドキュメンタリー映画を見ているようでした。名前からしてカッコいい「ベロッキオ」監督に今後も注目です。なお、詳しいあらすじは、私のサイト( Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/))の「Favorite Movies」の「その他の傑作」のところにアップしておきましたので、興味のある方は是非ご覧ください。

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