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本多猪四郎監督『モスラ対ゴジラ』

2021-04-30 08:09:00 | ノンジャンル
 本多猪四郎監督、円谷英二特技監督、伊福部昭音楽の1964年作品『モスラ対ゴジラ』をDVDで観ました。ウィキペディアのストーリーに加筆修正をさせていただくと、

 巨大台風8号が日本を通過した翌日、毎朝新聞の記者である酒井(宝田明)と助手の純子(星由里子)は、高潮の被害を受けた倉田浜干拓地で虹色に光る肉片のような物体を見つける。一方、静之浦の海岸には巨大な卵が漂着する。ハッピー興行社の熊山は漁民から卵を買い取り、静之浦の海岸に孵化施設を兼ねたレジャーランド「静之浦ハッピーセンター」の建設を始める。
 三浦博士(小泉博)と酒井らは巨大な卵を調査するが、彼らの目の前に小美人(ザ・ピーナッツ)が現れる。小美人によると、巨大な卵はインファント島に唯一残っていたモスラの卵で、卵を失った島の人々は悲しんでいるという。酒井たちは卵をインファント島へ返還するよう抗議活動を始めるが、熊山はそれに応じないどころか、小美人まで捕え、見世物として儲けようと企む。実は大興行師・虎畑二郎(佐原健二)が熊山の後ろ盾となっており、抗議活動は虎畑の妨害にあって頓挫する。落胆した小美人は、インファント島に帰ってしまう。
 そんな折、酒井と純子は三浦に呼び出され、放射能洗浄を受ける。倉田浜で見つけた物体から、放射能が検出されたのだ。酒井たちは調査のために倉田浜干拓地へ赴くが、その眼前でゴジラが出現し、四日市のコンビナート地帯と名古屋市を蹂躙する。酒井たちはインファント島に飛び、原住民たちにモスラの力を借りたいと懇願するが、「悪魔の火」と呼ぶ核実験によって島を荒らされ、モスラの卵の返還をも拒まれた原住民たちと小美人は島外の人間に対して強烈な不信の念を抱いていた。しかし、酒井たちの必死の訴えを聞き入れた成虫のモスラは、寿命が近づく身を押して日本へ飛び立つ。
 ゴジラは、金銭トラブルから熊山を射殺してしまった虎畑が滞在するホテルを破壊し、虎畑もその際に逃げ遅れて落命する。ゴジラがモスラの卵がある静之浦に迫ったところへモスラが飛来し、寿命と引き換えの武器である毒鱗粉を用いた戦いを繰り広げるが、ゴジラへの決定的なダメージとはならず、モスラは最後の力で卵をかばうように着地し、絶命してしまう。
 モスラに勝利したゴジラに対し、自衛隊は3000万ボルトに達する放電作戦で挑む。ゴジラは凄まじい電圧にもがき苦しむが、装置は限界を超えた放電を強行したために故障してしまったうえ、ゴジラの反撃によって特車隊(戦車など)も壊滅させられる。無敵となったゴジラが小学校の教師と生徒たちが残された岩島に迫り、小美人が祈りの歌を歌う中、モスラの卵が孵化し始める。
 孵化した双子の幼虫モスラは岩島に向かい、ゴジラに糸を吹き付けて動きを封じ、撃退する。まもなく、無事に教師と生徒たちを救出した酒井たちは、インファント島に帰っていく幼虫たちと小美人を見送りながら、人間不信のない社会を作ることを決意するのだった。

 このゴジラ映画も楽しく観させていただきました。東宝のゴジラ映画や特撮映画は、ほとんどが本多猪四郎監督と円谷英二特撮監、伊福部昭音楽というトライアングルがうまく機能して秀作が多く撮影されてきたんだなあ、と改めて感じました。ですが、特に最近、伊福部昭さんへ注目が集まってきている中で、円谷英二さんはウルトラマンの時代からお茶の間の、ある種のヒーローとして有名になられた方である一方、この頃の東宝の特撮映画監督の第一人者であった本田猪四郎さんに対する評価の高まりは、今一つであると思います。
 本多猪四郎という固有名詞は映画好きならば決して忘れることなく、今後も貪欲に本多猪四郎監督作品を観ていくべきだと感じました。

 →サイト「Nature Life」(表紙が重いので、最初に開く際には表示されるまで少し時間がかかるかもしれません(^^;))(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

ヴィンセント・ミネリ監督『バンド・ワゴン』その2

2021-04-29 03:53:00 | ノンジャンル
 最近、NHK・BSでたまに放映されている「駅ピアノ」「空港ピアノ」に、はまっています。おもにヨーロッパの駅や空港に、ピアノを誰でも弾いていいように設置し、複数のマイクロカメラをつかって、ピアノを弾きに来る人の様子を流している25分ほどの番組ですが、小さい子からプロのアーティストまで、暗譜した曲を見事に弾きこなす姿を見て、そのレベルの高さに驚きました。音楽は趣味でしている方が圧倒的に多く、やはりポーランドのショパンの影響が大だな、と思いました、

 さて、昨日の続きです。

「舞台「バンド・ワゴン」はコネチカット州ニューヘイヴンで初日を迎えた。リハーサルの段階からご難続きで、その結果、舞台の出来も散々なものになり、ジェフリーの前衛的な演出と脚本の変更に唖然とした観客たちが次々と席を立つ事態となった。初日の舞台の後のパーティーにトニーは向かうが、パーティー会場には誰もいなかった。ホテルに戻ると、脇役をやった若者たちがパーティーを開いていて、トニーはそちらに参加し、ガブリエルも、レスター夫妻も加わりにやってきた。(ここでオスカー・レヴァントのピアノで、アステアが「ビールの歌」を歌い始める。)
 出資者たちが次々と手を引き、舞台の続行が危ぶまれる事態に陥った。それでもトニーはガブリエルやレスター夫妻と共に共演たちの“愚痴パーティー”に顔を出し、楽しいひと時を過ごしながらもこのままで終わらせてなるものかという決意が沸いてくる。
 トニーはジェフリーに、脚本の内容を本来のコメディミュージカルに立ち返らせ、新曲を増やし、地方巡業を続ければ必ず上手く行くと提案する。資金は自分の所有する絵画を売って確保するというトニーにジェフリーも賛同し、「舞台にボスは一人でいい。ボスは君(トニー)だ。そしてできれば僕も一人の役者として参加したい」と願い出る。ポールはガブリエルを連れて舞台を降りることを決意したが、ガブリエルはショーを続けたいと一座に残る決意をし、ポールは一人ニューヨークに戻っていった。
 原点に立ち返ったトニーらは次々と新曲を披露し、フィラデルフィア(「空に新しい太陽が」の歌)、ボストン(「トニーとジェフリーがタキシードを着てステッキを持って踊る」、ワシントン(「ルイジアナ・ヘイライド」の歌」)、ボルチモア(「豚の三つ子」の歌)と地方巡業を続けていった。そしてガブリエルへの想いを募らせていたトニーはレスターにその気持ちを伝え、レスターはガブリエルも同じ気持ちだとトニーに伝え、焦らずにブロードウェイ凱旋公演まで様子を見るように助言した。一方のガブリエルもポールと別れ、ポールは別の女性と結婚した。
 いよいよトニーの一座はブロードウェイ初演を迎えようとしていた。劇場入りしたトニーはガブリエルと出くわし、なかなか彼女への気持ちに自信を持つことのできないトニーは「この舞台がヒットしたら、ロングランでずっと僕と一緒にいなくちゃならない。うんざりしないかい?」と問いかけるが彼女は何も答えようとしなかった。
 舞台のプログラム。「ガール・ハント 殺人ミステリー・イン・ジャズ」というトニーが探偵を演じ、独白とダンスでドラマが進んでいく。トニーやガブリエルたちは見事なパフォーマンスで観客たちを魅了、初日は大成功のうちに幕を閉じた。それでもトニーの心は中々晴れず、また打ち上げパーティーも「古臭い習慣だ」とのハルの意向で開かれないことになった。それでも気を取り直したトニーは一人だけでも成功を祝おうと(「一人でも出かけよう」の歌)、楽屋を出たところ、ステージ上ではガブリエル、レスター夫妻、ジェフリー、共演者やスタッフたちが勢揃いしてトニーを待ち構えていた。
 仲間たちに出迎えられたトニーは、ガブリエルから「あなたと一緒にずっとずっとロングランを続けてゆくわ」と愛を伝えられる。互いの愛を確かめ合うトニーとガブリエルを見て、レスター夫妻とジェフリーは「本当のショーは人をうっとりさせる、そして帰り道で気づくんだ、これこそがエンターテイメントだと」と感じ、最後はトニーとガブリエル、レスターとリリー、ジェフリーの5人で「ザッツ・エンターテインメント」を歌って映画は幕を閉じる。」

 「ザッツ・エンターテイメント」が最初に歌われるシーンの振り付けは、とにかく楽しくて見ていてゾクゾクしました。ハリウッドのミュージカル映画の代表作の一つであることは間違いないと思います。

ヴィンセント・ミネリ監督『バンド・ワゴン』その1

2021-04-28 05:22:00 | ノンジャンル
 ヴィンセント・ミネリ監督の1953年作品『バンド・ワゴン』をNHK・BSプレミアムで観ました。
 サイト「映画ウォッチ」のあらすじに加筆・修正させていただくと、
「1950年代のアメリカ。トップハットに燕尾服というスタイルで一世を風靡したかつてのミュージカル界のスターで名ダンサーのトニー・ハンター(フレッド・アステア)は、今や時代の流れに取り残されてすっかり落ちぶれ、ロサンゼルスで半分引退したかのような暮らしを送っていた。映画スターのお宝オークションでも、トニーが映画に出演した時に被っていたハットと手にしていたステッキは、5ドル、1ドル、50セント、といくら値を落としても落札されない。
 ある日、トニーはお忍びで列車に乗ってニューヨークに向かった。到着した駅には新聞記者たちが待ち構えていたが、彼らのお目当てはトニーと一緒の列車に乗っていたエヴァ・ガードナー(本人)だった。(ここで「自分は落ち目になった」という曲が最初に歌われる。)
 トニーを出迎えてくれたのは、ブロードウェイ時代からの親友で舞台作家兼ソングライターのレスター・マートン(オスカー・レヴァント)とその妻リリー(ナネット・ファブレイ)だった。レスターは出来上がったばかりの脚本をトニー主演で舞台化しようと考えており、あまり気乗りのしないトニーに舞台の演出を手掛けるジェフリー・コードヴァ(ジャック・ブキャナン)に会うことを勧める。トニーはすっかり様変りした街の様子を気にしながらもブロードウェイを歩き(ここで2曲目の「靴磨き」が歌い、踊られる)、ジェフリーが演出と主演を兼任する古典劇「オイディプス王」を舞台の袖から見守る。
 終演後、トニーはレスター夫妻と共にジェフリーに対面した。ジェフリーはレスター夫妻の脚本を「それはまさに現代の“ファウスト”だ」と絶賛、悪役としての出演を快諾するとともにコメディタッチの脚本を深刻な心理劇に書きなおすよう夫妻に指示する。
 トニーはコメディでないなら自分はお呼びでないと断ろうとするが、ジェフリーは「古い栄光にしがみつくな。この舞台で新しいトニー・ハンター像を打ち立てるんだ。ビル・シェイクスピアの台詞のリズムも、ビル・ロビンソンのタップのリズムも、同じように人を楽しませる。それがエンターテイメントだ」とトニーを口説き倒す。(ここでジェフリーが歌い始める『ザッツ・エンターテイメント』が3曲目として歌い、踊られる。おそらくここのダンスがこの映画の白眉だと思われます。)
 ジェフリーは早速、主演女優にバレエダンサーのガブリエル・“ギャビー”・ジェラード(シド・チャリシー)を抜擢、ガブリエルの恋人で新進の振付師ポール・バード(ジェームズ・ミッチェル)に舞台の振付を依頼、出資者の確保に乗り出す。
 トニーはレスター夫妻と共にガブリエルのバレエを見、その素晴らしさを認めるとともに、ジェフリーのマネージャーのハル(ロバート・ギスト)の手引きでガブリエルに会うことにする。しかし、トニーは一見自分より背が高く見えるガブリエルとの共演に気後れし、ガブリエルもまたかつてのスターであるトニーに嫌われているのではないかと思い込み、互いに会うことをためらう。
 それでもトニーはガブリエルの身長が実際に自分よりも低いことを確認するが、二人は些細なことから口論となってしまい、ショーのリハーサルが始まってもトニーとガブリエルは反目し合ったままだった。(この間、練習風景が見事なカッティングで描かれていきます。)
 3週間経って遂に我慢の限界に達したトニーはオーバーな演技を絶えず求めるジェフリーの演技指導にも不満を漏らし、劇場を後にする。自宅に戻り、物を投げつけ、踏みつけて荒れるトニー。ガブリエルはジェフリーやポールに促されてトニーの元に謝罪に向かい、トニーは苛立つものの、ガブリエルは自分が三流ダンサーだと思われていると思って精神的に参っていたと涙ながらに打ち明ける。
 トニーも彼女と話し合わなかったのが悪いと自分の態度を反省し、ここでようやく打ち解け合ったトニーとガブリエルは「僕ら二人はバレエとミュージカル、二つの別な世界からやってきた。でも一緒にできると思うよ」と意気投合、夜のセントラルパークで踊り始め(二人でシンクロする無言のダンス。ここの振り付けも見事。アステアは白いスーツ、シド・チャリシーも白いドレス姿)、二人なら一緒にやれることを確信し合う。

(明日へ続きます……)

クリント・イーストウッド監督『パーフェクト・ワールド』

2021-04-27 02:48:00 | ノンジャンル
 昨日WOWOWで放映した「第93回アカデミー賞授賞式」を観ました。外国語映画賞を受賞したデンマークの監督は、映画の撮影を始めて4日後に、車の脇見運転で娘を失い、その娘のためにこの映画を撮ったと言って、声を詰まらせていました。また助演男優賞を受賞した黒人男性は、「この世界を変えていくには、一人一人やるべきことがあるはずだ」と主張していましたし、メイクアップ賞を受賞した黒人女性は「教育を受ける権利を失っていても夢をあきらめなかった祖先に感謝する。これからは、この舞台に白人以外の人が普通に立つようになるはず」と述べ、実際に既に今年からそうなっていました。
 また第一次世界大戦後のスペイン風邪の流行に対し、メアリー・ピックフォードとジーン・ハーショルトが映画人・テレビ人たちを病気から守り生活を成り立たせるための基金、MTPFを設立したという事実も紹介され、その基金は認知症になった人に安住の地を与え、年金をもらえなかった同性愛者にも生活の援助をするなどして今年で創設100周年を迎え、今年のジーン・ハーショルト友愛賞も贈られていました。
 監督賞に選ばれた中国系の女性は、「人間は生まれながらにして善である」と述べていました。
 追悼のコーナーでは、マックス・フォン・シドー、クロリス・リーチマン、ダイアナ・リグ、ミッシェル・ピコリ、そしてエンニオ・モリコーネの名前がきちんと押さえられていました。

 さて、クリント・イーストウッド監督の1993年作品『パーフェクト・ワールド』をNHK・BSプレミアムで観ました。
 ウィキペディアの「あらすじ」に加筆修正させていただくと、
「1963年秋のアメリカ合衆国テキサス州。刑務所から脱獄したテリーとブッチ(ケヴィン・コスナー)は、逃走途中に民家へ押し入り、8歳の少年フィリップを人質に逃亡する。しかし、ブッチはフィリップに危害を加えようとしたテリーを射殺し、二人で逃避行を続ける。自らの父がかつて一度だけ寄越したアラスカ州からの絵ハガキを大事に携行していたブッチは、フィリップを連れてアラスカ(パーフェクト ワールド)を目指す。一方、事件を指揮することになった警察署長ガーネット(クリント・イーストウッド)は、州知事の命令で派遣された犯罪心理学者のサリーと共にブッチを追跡する。
 途中で車を乗り換えたブッチは洋服店に立ち寄り、フィリップのために新しい服を買うが、そこで警戒中のパトカーに発見されてしまう。ブッチは車でパトカーを大破させて逃亡しようとし、フィリップは『出てこいキャスパー』の変装衣装を手に躊躇いながらも彼と共に逃亡する道を選ぶ。厳格なエホバの証人の信者である母親の影響でハロウィンなどのイベントに参加できなかったフィリップは、ブッチに父親に対するような感情が芽生えていく。同じ頃、ブッチの追跡に失敗したガーネットは応援が到着するまでの間サリーと語り合い、保安官時代にブッチを車泥棒の罪で4年間少年院送りにした理由を聞かれる。ガーネットは、「ブッチの父親が暴力を振るう危険な男であり、少年院にいる方が彼にとって安全だったのだ」と説明する。
 畑の中で野宿していたブッチとフィリップは、近隣の農家マックに見付かり、彼の家で一晩過ごすことになる。マックの妻、そして孫と打ち解けたブッチとフィリップは、ラジオで正体を知ったマックに対して「騒がなければ黙って出て行く」と告げる。ブッチは朝になり約束通り家を出ようとするが、マックが孫に暴力を振るう姿を見て激怒し、彼を殴りつけて銃で脅し「孫に”愛している”と言え」と迫る。ブッチはマック一家を縛り上げ、マックに危害を加えようとするが、それを止めようとしたフィリップに銃で撃たれ負傷する。ブッチは銃を捨てて飛び出したフィリップを追いかけ、野原の中で彼に追い付く。そこにガーネット率いるテキサス警察とFBIが到着し、周囲を取り囲む。
 ガーネットはフィリップを解放するように言い、それに対してブッチは「母親がフィリップをハロウィンに行かせる」という条件で彼を解放しようとする。現場に到着したフィリップの母親は要求を受け入れ、ブッチはフィリップを解放する。ブッチはその場から逃げようとするが、彼が射殺されることを危惧したフィリップは、二人で警察に投降しようとする。それを見たガーネットは丸腰でブッチの元に向かい、ブッチは別れの品として父親からもらった絵ハガキをフィリップに渡そうとする。しかし、その仕草を「銃を取り出そうとしている」と判断したFBI捜査官が発砲し、ブッチは射殺される。激怒したガーネットとサリーはFBI捜査官を殴りつけ、フィリップは母親に連れられてヘリコプターに乗り込み、ブッチの遺体を悲しげに眺めていたのだった。」

 すぐれたロードムービーであり、ケヴィン・コスナーとフィリップ役の子供の交流が温かく描かれていました。

斎藤美奈子さんのコラム・その81&前川喜平さんのコラム・その42

2021-04-26 07:39:00 | ノンジャンル
 恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず4月21日に掲載された「台湾有事前夜」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「今回の日米共同声明は相当ヤバイ代物だ。
 まず〈日本は同盟及び地域の安全保障を一層強化するために自らの防衛力を強化することを決意した〉と宣言し、その上で〈日米両国は、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調する〉という。
 端的にいってこれは米国の対中戦争に日本は積極的に参戦しますと表明しているに等しい。2015年に成立した集団的自衛権の一部行使を含む安保法がいよいよ実効性を持つってことだ。
 えっ「平和と安定」と謳(うた)ってる? いやいやいや、米国がいう「平和と安定」が武力行使も辞さないという意味であることは、湾岸戦争やイラク戦争で実証済みじゃないの。それに日本は「防衛力を強化」して乗っかろうというのである。要は中国に対する威嚇。こんなの憲法違反でしょ。
 自衛隊は奄美大島や宮古島に続き、石垣島にもミサイル部隊配備を計画中だ。台湾有事ともなれば日本は米国の求めで自衛隊を派遣せざるを得なくなるだろうし、最前線の沖縄が戦闘に巻き込まれる可能性も高い。
 中国の不法な海洋権益行使や新疆ウイグル自治区での人権侵害は言語道断だとしても、ゆえに米中戦争に日本が加担していいという理由にはならない。1978年に締結された日中平和友好条約を事実上破棄するような共同声明。その凶暴さを首相はわかっているのだろうか。」

 また、4月18日に掲載された「なぜ部活動を止めるのか」と題された前川さんのコラム。
「部活動の休止で新型コロナの感染拡大が止められるとは到底思えない。
 大阪の学校は3月25日から4月7日まで春休みだった。大阪の感染者は休み中も休み明けも増え続けた。学校を休みにしても、感染拡大を止める効果はないということだ。いわんや部活動だけ休止しても、その効果はほぼゼロだろう。
 大阪では修学旅行や遠足でも延期か中止にするという。なぜ子どもにばかり我慢を強いるのか。プロスポーツは観客を集めている。スポーツジムは営業を続けている。子どもに厳しく大人に甘いのはどういうわけだ。
 吉村知事は「子どもを感染から守る」と言う。ならばまず大人の活動を抑制して、大人が家庭や学校にウイルスを持ち込まないようにするべきだ。正当な補償のある休業要請で大人の集まる機会を減らすとか、学校の教職員に定期的なPCR検査を実施するとか、部活動を禁じる前にやるべきことがあるだろう。
 学校を使って「やってる」感を出すのは、昨年の一斉休校と同じ構図だ。子どもは補償を求めないから、一円も使わずに「やってる」感が出せる。子どもなら選挙にも響かない。だから政治家には都合がいい。
 感染拡大は続き、「やってる感」はあっという間に消えるだろう。あとに残るのは部活動を禁じられた子どもたちの悔しい思いだけだ。」

 そして4月25日に掲載された「変異株は出ていなかった?」と題された前川さんのコラム。
「二十五日から三度目の緊急事態宣言の発令を発表した菅義偉首相。前回の宣言解除を発表した三月十八日の会見では「再び緊急事態宣言を出すことがないように対策をしっかりやるのが私の責務だ」と言っていた。
 二十三日の衆院厚労委員会で立憲民主党の山井和則議員からその点を問われた菅首相は「大変申し訳ない」と陳謝しつつ「大阪、兵庫の変異株というのは当時は出ていなかった」と弁明した。
 耳を疑うほどの信じがたい発言だ。神戸市では一月下旬から変異株の検査を実施していた。三月十日の衆院厚労委員会では尾身茂新型コロナ分科会長が「早晩、変異株が主流になる」と答弁していた。三月十七日には厚労省が、二十六都道府県で399人から変異株が検出されたと報告。兵庫県が94人で最多。大阪府は72人で二番目に多かった。
 新型コロナウイルス対策が、いま菅首相が取り組むべき最重要課題であることは明らかだ。国民の命を守るために何をなすべきか、日々考えていなければおかしい。その菅首相が、前回の宣言解除の時点で変異株は出ていなかったと発言した。これを単なる言い間違いや事実誤認で済ませてはいけない。首相としての基本的な姿勢が問われる問題だ。日々国民の命を守ろうと考えていたなら、絶対に出てくるはずのない言葉だからだ。」。

 どの文章も一読に値する、素晴らしいものばかりでした。