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斎藤美奈子さんのコラムその115&前川喜平さんのコラムその76

2022-05-30 17:14:00 | ノンジャンル
 恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず5月18日に掲載された「光州とコザ」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「五月18日は、先週の本欄でもちらっとふれた光州事件(韓国では「5・18民主化運動」と呼ばれる)の日である。
 1979年に朴大統領が暗殺された後、全斗煥が軍を掌握。民主化を求める学生や市民の運動が拡大する中、80年のこの日、全羅南道の光州市で学生のデモ隊に戒厳軍が発砲。市民が加わって両者の衝突は十日間続き、死者・行方不明者は二百人以上、負傷者は千数百人とされる。
 権力の圧政に対して市民が蜂起し、市街戦に発展する。権力と市民、どちらの側に立つかで、こうした事件の評価は大きく変わる。韓国でも光州事件は内乱騒擾(そうじょう)扱いだったが、87年の民主化で韓国政府は評価を変えざるを得なくなり、現在は、民主主義を象徴し、犠牲者を追悼する記念日になっている。
 戦後の日本で市民が蜂起した事件といえば、思い出すのは復帰前の70年12月、沖縄県コザ市(現沖縄市)で起きたコザ騒動(コザ暴動)だ。米兵の車が住民をはねたのを発端に数千人の群衆が米軍関係の車を次々に焼き払った。一人の死者も出ず一晩で収束したとはいえ、民衆の怒りが爆発した点では、光州と重なるところがある。
 15日は沖縄返還五十年の日で、沖縄関連の報道があふれたが、コザ騒動は今も暴動扱いだ。沖縄が今なお日本政府と米国の圧政下にある証拠に思える。」

 また、5月22日に掲載された「神宮外苑はみんなのもの」と題された前川さんのコラム。
「神宮外苑にはいろいろな思い出がある。秋になると銀杏並木(いちょうなみき)の黄葉が見たくなる。名前だけ知っていた「なんじゃもんじゃの木」が絵画館の前にあると聞き、確かめに行ったこともある。
 秩父宮ラグビー場では高校ラグビー都大会の開会式で入場行進をした。超弱小チームだったから試合をする機会はめぐってこなかったが、大学時代にはテニスコートを抽選で予約し、サークルの練習でよく利用した。利用料は安かった。コート脇で四つ葉のクローバーを見つけたことをなぜか覚えている。
六大学野球もよく見に行った。大空に向かって応援歌や学生歌を歌うのは心地良かった。「情熱かけて友よ、友よ、その火絶やすな、自由の火を」。好きだった歌詞だ。
 神宮外苑にはたくさんの人のたくさんの思い出が詰まっている。しかし現在の再開発計画では、何百本もの樹木が伐採され、警官を損ねる高層ビルが建ち、市民に開かれた軟式野球上、テニスコート、フットサルコートなどが潰(つぶ)されて会員制テニスクラブなどに生まれ変わるのだという。
 神宮外苑は都市公園ではない。その地権者は大半が宗教法人明治神宮だ。しかし全国からの寄付や勤労奉仕でつくられた経緯から見ても、極めて公共性の高い空間だ。安易に商業化してほしくない。市民の参加で計画を見直すべきである。」

 そして5月25日に掲載された「2年前の今日」と題された斎藤さんのコラム。
「ちょうど二年前、2020年5月25日は四月に発出された最初の緊急事態宣言が、全国で解除になった日だった。
 当時の安倍首相は会見で「(わが国は)わずか1カ月半で今回の流行をほぼ収束させることができました。まさに、日本モデルの力を示したと思います」と胸を張った。
 実際には、収束どころかコロナをめぐるドタバタ劇はここからが本番だったのだけれど。
 二年たったいま、コロナウイルスは文芸の境にも進出し、物語にコロナ禍を取り込んだ小説はもう珍しくない。エッセーも同様である。
 綿矢りさ『あのころなにしてた?』は20年1月から12月までの日記で、当時の気分がまざまざと思い出される。
 〈(そういえば重大な事態が起きてたんだっけ……あ、コロナか)と思い出してから一日が始まる〉。常時つけるようになってみると〈マスクはハンカチよりもむしろ下着に近い〉。深刻視と楽観視がくるくる入れ替わる状況は〈洗濯機のなかで洗浄モードと脱水モードが延々とくり返されるなかで、ちょっとずつ生地のすり減っていく洗濯物みたいな気持ち〉。
 23日、都内でも飲食店などへの規制が1年半ぶりに解除された。だが元の日常が即戻るとも思えない。二年前の今日だって私たちは半信半疑だった。すり減った洗濯物がシャキッとする日は来る?」。

 どれも一読の値のある文章だと思いました。

斎藤美奈子さんのコラムその114&前川喜平さんのコラムその75

2022-05-27 13:23:00 | ノンジャンル
 恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず5月8日に掲載された「子どもの貧困対策の貧困」と題された前川さんのコラムを全文転載させていただくと、
「五月六日の本紙が子どもに関わるいくつかの数字を報じていた。
 駄菓子の定番「うまい棒」が一本十円から十二円に値上がりした。子どもにとっては大打撃だ。
 ひとり親のうち25%が「二月の月収が減収した」と答えた。学校・保育園の休校・休園で休職や時短勤務を余儀なくされたことが原因だ。調査に応じたひとり親の平均月収は十三万円だった。
 貧困は子どもの学力に影響する。「授業が分からない」という子どもの割合は貧困層で三倍以上だった。
 政府が2019年11月に定めた子どもの貧困対策大綱は、子どもの貧困の指標として子どもの貧困率13.9%やひとり親世帯の貧困率50.8%などの数字を示したが、肝心の改善目標値を掲げなかった。コロナ禍でこれらの数字は悪化しているだろう。
 これらの数字は、政府与党がその気になれば一挙に改善できる。児童手当、児童扶養手当、就学援助、高校生等奨学金給付金などを、国の予算を投じて抜本的に改善すればいいのだ。改善できるのに改善目標を示さないのは、政府与党に改善する気がないからだ。
 同日の本紙は、子どものための新たな省庁と法律に「期待する」と答えた子どもが46.1%という数字も紹介していた。政府と与党がこの期待に本気で応えるとは全く思えない。」

 また、5月11日に掲載された「火中の栗」と題された斎藤さんのコラム。
「世界に目をやれば、負の歴史を描いた映画はけっして珍しくない。
 『アウシュヴィッツ・レポート』『ホロコーストの罪人』『復讐(ふくしゅう)者たち』など、ここ数年もホロコースト関連の映画が次々製作されている。
 お隣の韓国も同様で、1980年五月の光州事件(民主化を求める学生や市民のデマを戒厳軍が暴圧。二百人超の死者・行方不明者が出た民主化闘争)を描いた『光州5・18』や『タクシー運転手 約束は海を越えて』は高い評価を受け多くの観客を動員した。
 それなのに日本では過去の過ちと向き合った映画がきわめて少ない。
 本紙の報道でご存じの方もいるだろう。その空白地帯に森達也のチームが一歩踏み込もうとしている。劇映画を撮るという。題材は1923年の関東大震災後に起きた朝鮮人虐殺、それも今まで知られていなかった福田村事件(香川県から来た日本人の行商人一行がデマを真に受けた自警団に千葉県旧福田村で殺害された事件)である。
 森達也(高校の同期生なので呼び捨てにしちゃうが)は火中の栗を拾いたがる人である。が、いかんせん今の日本でこうした映画に出資する会社は容易には見つからず、クラウドファンディングで製作資金を募っている。私も火中の栗をと思う方はぜひ支援を。成功したら日本の映画界にもきっと風穴が開くはずだ。」

 そして、5月15日に掲載された「修学支援で差別をするな」と題された前川さんのコラム。
「十日、教育未来創造会議が高等教育の修学支援制度の拡充を提言した。現在の制度が低所得世帯の子どもの進学率を高めたのは確かだ。住民税非課税世帯の子どもの高等教育進学率は、2018年度の40.4%から21年度の54.2%へと伸びた。制度の拡充自体には僕も大賛成だ。しかし今回の提言の具体的な内容を見ると、とてもじゃないが賛成できる代物ではない。
 現在支援の対象になっていない中間層に拡大するのはいい。しかしその拡大は、理工農系学生や多子世帯を対象に行うのだという。人文社会科学系の学生や第一子の学生は対象外ということだ。これはあからさまな差別だ。憲法14条の「法の下の平等」にも26条の「教育の機会均等」にも反している。
 岸田首相は「人への投資を通じた成長と分配の好循環を教育においても実現する」と述べたが、修学支援を経済成長や人口増のための直接的な政策手段とする発想に根本的な欠陥がある。
 修学支援はあくまでも学習権の保障を目的として行うべきものだ。所得要件と成績要件以外で差別してはいけない。現行制度にも既に「機関要件」による進学先の選別や朝鮮大学校の排除などの差別があるが、今回の提言はさらに差別を拡大するものだ。排除される学生は怒りの声を上げるべきである。」

 どれも一読に値する文章だと思いました。

大島渚監督『ユンボギの日記』

2022-05-09 07:42:00 | ノンジャンル
 大島渚監督・製作・脚本・写真の1965年作品『ユンボギの日記』をDVDで観ました。
 サイト「Wikipedia」のストーリーに加筆修正させていただくと、
「小学校4年生のユンボギは、母が父との不仲で家を出てしまい、父は病気のため仕事ができず、妹2人と弟1人の面倒を見ながら物乞い同然の生活を送っている。ユンボギは、いつも母が帰って来てほしいと願いながら、日記を綴る。貧しさに苦しみながらも担任の先生や同級生の同情に感謝し、非行に走らず、懸命に生きている。ある日、妹のスンナが貧しさに耐えかねて家出してしまい、ユンボギは更に孤独を感じ、いつか母とスンナを探しに行きたいと望む。」
 韓国では過去3度映画化されている。」
「日本では1965年に大島渚により映画化された。ただし、これは作品の内容をそのまま映画化したのではなく、大島がテレビドキュメンタリーの仕事で訪韓した際に撮影した写真に本作の朗読を付加した、24分の短編作品である。編集を担当した浦岡敬一(1930 - 2008)は本作について生前、「編集によって、静止画でも映画になりうることを実証することができた。ユンボギが生きて見えたら私の勝ちだと思った。様々なモンタージュ理論を深めて行くきっかけとなった作品である」とコメントしている[4]。また、大島は本作の「スチル写真をフィルムで撮影して映画にする」という手法を、2年後の『忍者武芸帳』でも使用した。」

 少年の語りと、少年のことを語る大人(おそらく佐藤慶)のナレーションと、効果音が音として流れ、上記のように画面は写真の連鎖で構成されていました。

大島渚監督『悦楽』

2022-05-08 07:55:00 | ノンジャンル
 大島渚監督・脚本の1965年作品『悦楽』をDVDで観ました。
 サイト「映画ウォッチ」の「ネタバレあらすじ」に加筆修正させていただくと、
「家庭教師をやっている大学生の脇坂篤(中村賀津雄)は生徒である稲葉匠子(加賀まりこ)に片思いしていました。ある日、その両親から相談事を持ちかけられます。実は匠子は小学生の時にレイプされたことがあり、その犯人が改めてその事実を公にすると脅迫してきたというのです。
 相談というのは口止め料を男に手渡しに行ってくれないか、というものでした。脇坂は承諾して列車内でレイプ犯と会いましたが、怒りに駆られてつい男を殺してしまいます。
 その後、ある男が突然脇坂の安アパートの部屋を訪ねてきました。彼は中央官庁の事務官で、名前は速水利彦(小沢昭一)。偶然脇坂の殺人の様子を目撃していました。
 警察に突き出されると思った脇坂は恐慌をきたしますが、速水が訪ねてきたのはそんな理由ではありません。驚いたことに彼は3千万円の札束が詰まったトランクを脇坂に預けます。それは横領した公金でした。
 速水は逮捕された時のことを考え、その金を隠す計画を立てていたのですが、犯行を目撃した事で脇坂を利用しようと思ったのです。つまり彼の殺人を黙っている代わりに、金庫番を勤めさせようというのでした。脇坂としては否応もありません。そして速水の予想通りに彼は逮捕されて刑務所に入りました。
 それから4年が経ち、後1年で速水が出所するという時になって匠子が結婚します。自分が彼女と結ばれると思ってはいなかったものの、脇坂にとってはショックでした。
 それが絶望感に変わり、彼は預かったカネを全部使い尽くそうという気持になります。使い道は”女”でした。彼はバーなどに足を運び、匠子に似た女を見つけてはカネをチラつかせ、同棲を持ちかけます。
 最初の女(野川由美子)は派手な性格で一緒にいても楽しい存在でしたが、結局は亭主がいて、しかもヤクザの愛人でした。
 2番目の女(八木昌子)は対照的に従順なタイプ。しかし彼女にも借金苦にあえぐ亭主がいて、また別れる羽目になります。
 次の同棲相手(樋口年子)は打って変わって女医で、処女。そして彼女とは次の相手と関係が出来たために、せっかく籍まで入れたのに別れることになりました。その相手はマリ(清水宏子)という知恵遅れの女性で売春婦でした。
 彼女には地回りの男がついていましたが、カネで話をつけて一緒に暮らします。ところが驚いたことにその男は刑務所で速水と知合いになり、3千万円の話を聞いていました。しかも速水は肺炎で死んだというのです。
 脇坂が事情を打ち明け、もうカネは使い切ったというと、男は腹を立てて拳銃を向けてきますが、マリによって助けられます。そして脇坂が久しぶりに1年前の安アパートに戻ると匠子が訪ねてきました。話によると夫の会社が倒産しそうで、カネを貸してほしいというのでした。脇坂の羽振りの良さを噂で聞いてのことでした。しかしこれまでの事情をすべて話すと、彼女は無言で去っていきます。
 翌朝、脇坂がぼんやりしながら高架下を歩いていると、刑事が逮捕のためにやってきました。罪名は殺人罪です。刑事の話で自分を告発したのが匠子だと知り、脇坂は絶望するのでした。

 この映画でも多くのワンシーンワンカットが見られました。

大島渚監督『天草四郎時貞』

2022-05-07 07:55:00 | ノンジャンル
 大島渚監督・共同脚本の1962年作品『天草四郎時貞』をDVDで観ました。
 サイト「映画ウォッチ」の「ネタバレあらすじ」に加筆修正させていただくと、
「寛永14(1637)年、九州島原天草ではキリシタンの農民が耐え難い苦しみに喘いでいました。ただでさえ大名の圧政が強いところへキリスト教への弾圧が重なったのです。今日も名主の与三右衛門(花沢徳衛)のところへ役人たちがやってきました。そして年貢のカタと称して若い身重の女房を拉致してしまいます。
 役人が去ったあと、キリスト教の祈りをつぶやく農民たち。救世主として皆の尊敬を集める天草四郎(大川橋蔵)の元へ名主一行が赴き、その対応を相談します。やがて、キリシタンとして捕まった農民たちが、ミノを無理矢理着させられ、それに火を点けられるという残酷な刑罰「みのおどり」で次々と処刑の憂き目に。その様子を四郎たちは物陰から見つめます。そして絵師である右衛門作(三國連太郎)はその農民たちを描くように命令されるのです。さらに日夜、代官(千秋実)の屋敷ではキリシタンへの拷問が続き、もう農民たちの我慢は限界に達しました。代官屋敷の裏庭に武装した農民たちが押し寄せ、初めて手下たちを殺します。そこへ謎の浪人(戸浦六宏)も参加。彼は以前、代官に仕官を望んで会いに行ったものの、けんもほろろに断られたことを恨みに思っていたのです。さらに浪人と農民たちは正面から代官屋敷を襲い、代官を滅多刺しにします。
 いよいよ大規模な叛乱をおこす時が来たのです。天草四郎も今は農民たちが占拠した代官屋敷にやってきます。そして浪人と話し合い、彼に補佐してもらいながら反乱軍を指揮することを決心。代官屋敷に火を点け、意気軒昂たる一同はそのまま島原城に向かいます。
 戦いを始める農民たちと侍たち。城壁からは火縄銃による攻撃があり、さすがに城は容易には落ちません。しかし、数を頼んだ農民たちは休みながらも断続的に攻撃を繰り返し、優位に立ちます。焦った城側では城壁に十字架を建て、捕まえたキリシタンたち、すなわち天草四郎の母、妹らを火あぶりに。これによって怯えた農民たちに対立が生じ、天草四郎のリーダーとしての資質に疑問を投げかける意見も出てきます。それを煽り立てようとする謎の浪人に腹を立てた四郎は彼を斬って捨てます。さらに戦いは続くのですが、結局叛乱は失敗。「四郎以下6万人を超える農民たちは処刑されるのでした」という字幕で映画は終わります。」

 シルエットを効果的に使った画面が美しく、固定、パン、横移動によるワンシーンワンカットの見事な例も多く見られました。また時々アップになる、突き刺さるような農民の目つきも印象に残りました。