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デイヴィッド・クロネンバーグ監督『イグジステンズ』

2008-11-30 15:31:42 | ノンジャンル
 デイヴィッド・クロネンバーグ監督・脚本の'99年作品「イグジステンズ」をWOWOWで見ました。
 おどろおどろしい音楽が響く中でタイトルロール。「eXisTenZ」は、脳内に仮想現実を作り出す新しいゲームで、その試作発表会の進行役を、若い女性で有名なゲームデザイナーのアレグラ・ゲラーが務めています。観客の12名とアレグラが壇上でゲームのダウンロードを始めますが、1人の若者が「ゲラーに死を!アンテナ社に死を!」と叫び、アレグラと警備員を撃ち、スタッフの1人であるテッドがアレグラを連れて逃げます。テッドがアレグラから弾を取り出すと、それは人の歯で、犯人の銃も人骨からできていました。最新式のゲーム機である生きた端末バイオ・ポッドと接続できるように、アレグラはテッドの脊髄に穴を開け、ゲームポートを取り付けますが、不良品のポートを取り付けたため、アレグラの作ったイグジステンズのオリジナル版が、テッドの体内に吸収されてしまいます。二人はアレグラの知り合いの初老の男キムの山小屋に匿ってもらい、テッドの体の中からイグジステンズのオリジナル版を取り戻すため、二人でゲームの仮想現実の世界へ入っていきます。二人は新たな人格を得て、性欲に取りつかれ、テッドがアレグラの体をまさぐっている時、いきなり、突然変異したカエルやトカゲなどを解体する工場にトランスポートします。仕事が終わり、二人が食堂で食事をしていると、双頭のトカゲの活き造りというスペシャル料理が供され、テッドは無意識のうちにかぶりつきます。そして残った骨から、アレグラを撃った銃が作られていき、テッドは殺人衝動にかられ、料理包丁で襲ってきたウエイターを射殺します。新しく現れたガイドのネイダーは、システマティック社へ二人を誘いますが、仮想世界で最初に訪れたゲーム売り場に戻った二人は、そこにいた男からネイダーが2重スパイで、現実世界の破壊を企んでいることを教えられます。現実に戻ると、アレグラは膿んだゲームポッドに自分を繋いでしまい、体調が急変したので、テッドが腸状のコードを切ると、出血が止まらなくなり、ポッドに火をつけると、それが現実ではなく仮想世界での出来事であることが分かり、本当の現実世界に戻ります。そこへゲームキャラクターの兵士が現れ、アレグラのポッドを破壊し、現実主義の勝利を叫び、アレグラを殺そうとしますが、キムに助けられます。キムはアレグラのポッドの中にあったイグジステンズはコピーしてあるから大丈夫だと言い、システマティック社へ誘いますが、アレグラはキムを射殺し、キムもゲームキャラクターだったのだとテッドに告げます。テッドは自分もゲームキャラだと告白すると、アレグラは前から知っていたと言い、テッドの腹を爆弾で吹っ飛ばしたところで、冒頭の壇上の13人のシーンに戻ります。12人はそれぞれゲームの感想を述べ、主役を務めたアレグラとテッドを賞賛します。アンテナ社の者が新作「トランスセンデンズ」の制作に関わった人々のコメントを求め、発表会は終わります。ゲームデザイナーは、ゲームの冒頭でゲーム制作者が殺されそうになる展開に不安を感じたとアンテナ社の女性に述べ、12名の中にゲームを敵視する人がいたんじゃないかと言うと、そこへテッドとアレグラが現れて、二人を射殺し、観客が今見ているのは仮想現実なのか現実世界なのか分からなくなったところで、映画は終わります。
 明らかに自作「ビデオドローム」を意識した作りで、内臓がやたらに出てきたり、小動物を殺す場面が多く出てきたり、悪趣味にもほどがある映画です。「ビデオドローム」で頭が吹っ飛ぶ男の役をした役者が、キムを演じていました。構成は見事で、特に最後の入れ子式の展開など、誰にでもできるものではないでしょう。内臓のぐちゃぐちゃした感じが好きな方にはオススメです。

CD『天地総子大全~フーコのコマソン・パラダイス』

2008-11-29 18:24:58 | ノンジャンル
 ソニーCDクラブで「天地総子大全~フーコのコマソン・パラダイス」を買って、聞きました。全部で33曲、コマーシャル・ソングを中心に、ラジオ番組主題歌、テレビ番組主題歌、舞台の劇中歌など、天地総子さんが歌う歌が収められています。
 天地総子さんはNHKのテレビ番組「連想ゲーム」で7年間女性キャプテンを務めるなど、テレビでの露出が多い方でした。歌声も明るくて美しく、高度経済成長時代の日本を象徴する声だったのだと思います。写真を見て、またNHKのライブラリーに行って、当時の天地さんを見てみたいと思いました。
 収録曲で懐かしかったのは、「全国こども電話相談室テーマソング」「アート引越しセンター」「パンシロンの歌」「日石灯油『日石灯油だもんネ』」「サクマのチャオ」(「チャオ、チャオっとなめっチャオ!」)「でん六まめ」「ライオネス・コーヒー・キャンディ」「お笑いオンステージの歌」などです。
 天地総子さんは今でも舞台で活躍されているとのこと。今の歌声も機会があれば聞きたいものです。

マキノ雅弘監督『すっ飛び駕』

2008-11-28 15:38:50 | ノンジャンル
 WOWOWで、マキノ雅弘監督の'52年作品「すっ飛び駕(かご)」を見ました。山中貞雄監督の'36年作品「河内山宗俊」のリメイクです。
 銭湯に女がやってくると、男湯で浪花節を歌っている中年の坊主・河内山宗俊(大河内傳次郎)は、武士に追われている若い浪人・金子市之丞を、銭湯の主人に頼んで、女湯に匿ってもらいます。女は宗俊に惚れている、吉原の森田屋の女将・お春でした。宗俊は、森田屋の妹・みちとせを吉原から救い出す算段をし、宗俊の知り合いでもある直次郎(河津清三郎)にみちとせがぞっこんであるのが障害だと言います。直次郎は市之丞を追う武士たちから協力を請われ、話に乗り、また、悪行の分け前を寄越せという盲目の按摩を川へ突き落とし、博打の寺銭で大金を儲け、檀家の嫁をたらしこんでいる坊主を脅して金を巻き上げる計画を宗俊に持ちかけると、宗俊はいくら自分たちが悪人でも、人としてやっていいことと悪いことがあると、直次郎の頭をぶち、追い返します。先日助けてもらった挨拶をしに来た市之丞は、幕府から富士川堤防改修を命じられていた棚倉藩で不正が発覚し、それを幕府に知らせようとした市之丞の父が、不正を働いた家老の大村一派に殺され、不正の犯人に仕立て上げられたことを、宗俊に説明します。宗俊は森田屋に市之丞を匿ってもらい、直次郎はみちとせから市之丞のことを聞き出します。そして市之丞は駕篭で移動中に大村一派に襲われ、宗俊が助けますが、市之丞は付き人を皆殺しにされてしまいます。お春は酔って宗俊に言い寄りますが、自分がいつ死ぬか分からないと思っている宗俊が相手にしないので、お春は泣きます。森田屋は自分とみちとせの母が市之丞の父の召使いであったことを知り、改めてみちとせのことを宗俊に頼みます。宗俊はみちとせを吉原から救い出すてはずを整え、森田屋はみちとせが逃げ出す機会を作るために吉原に火をつけ、罪を背負って自首します。宗俊は川で溺れていた直次郎を助け、その恩を売って、みちとせと別れさせ、自分のお伴をさせて、大僧正に化けて江戸幕府の屋敷を訪れ、人払いをした後に自分の本当の身分を明らかにした上で、棚倉藩の大村一派の不正を告げ、市之丞たちを救うのでした。そして帰ると、大村一派に通じていた直次郎に斬り掛かり、自分が大僧正に化けたことに加担したことでお前も獄門だと脅して、路銀をやって江戸を去らせます。そして市之丞とみちとせを一緒にさせようとしますが、市之丞が女郎と一緒になることは立場上できないと言ったことに怒り、声を荒わげて市之丞を打ち据え、家から追い出すのでした。宗俊はお春のことを思っていたことをお春に告げ、みちとせには直次郎と無理矢理別れさせたことを詫び、家を囲む御用提灯の中にひとりで出て行くのでした。
 江戸城で宗俊をニセ者と見破る侍が、「百万両の壷」で殿様を演じた役者であるように、山中貞雄監督へのオマージュにあふれています。流麗なカメラワーク、見事なカットつなぎ、素晴らしい構図、機微に通じた俳優たちの演技(特に女性のため息は一つ一つが色っぽい!)、どれをとっても映画そのものとも言える素晴らしさです。マキノ監督の隠れた傑作でしょう。文句無しにオススメです。

ジェフリー・ディーヴァー『スリーピング・ドール』

2008-11-27 15:22:28 | ノンジャンル
 昨日、箱根の駒ヶ岳ロープウェイに乗って来ました。紅葉を目当てに行ったのですが、駒ヶ岳自体には紅葉はなく、小田原から駒ヶ岳に到る県道732号沿いに、きれいな紅葉が見られました。ただ、狭い道なので、一時停車して写真撮影できるところとできないところがあります。ご注意を。

 さて、ジェフリー・ディーヴァーの最新刊「スリーピング・ドール」を読みました。
 カルト集団の指導者で、一家4人を惨殺した容疑で終身刑に服しているダニエル・ペルが、新たな殺人容疑で尋問を受けるため、厳重な警備の刑務所から留置所に移送されてきますが、尋問が終わった後、謎の火災に紛れて2名の看守を殺し、脱走します。尋問のスペシャリストであるキャサリン・ダンスが責任者となりペルの探索が行なわれていきますが、刑務所の看守への尋問から、ペルが刑務所のパソコンを無断で使っていたことが分かり、メールの交信記録と、謎の言葉の検索記録が見つかります。そしてダンスは、ペルが逮捕された時に彼をリーダーとするカルト集団のメンバーだった3人の女性を集めて、聴取を行ない、また、一家惨殺事件で唯一の生き残りである末娘にも聴取を行なおうとします。そしてそこから出て来た思いもよらぬ真実とは‥‥。
 リンカーン・ライム・シリーズではありませんが、これまたどんでん返しに次ぐどんでん返しで、息をもつかせない面白さです。ダンスとペルの双方が互い違いに主人公になって話が展開していくのですが、それでも不意をつかれてしまう巧妙さです。ディーヴァーのすごいところは、普通のペースで進んでいたストーリーが、突然スピードアップして転がり始める瞬間があるところで、それは、優れたアメリカB級映画と共通するところです。かなりの長編ですが、一気に読んでしまいました。文句無しにオススメです。なお、ストーリーの詳細は「Favorite Novels」の「ジェフリー・ディーヴァー」のところにアップしておきましたので、興味のある方は是非ご覧ください。

オリヴァー・ストーン監督『コマンダンテ』(カストロに関するドキュメンタリー)

2008-11-26 15:27:31 | ノンジャンル
 WOWOWで、オリヴァー・ストーン監督の'03年作品「コマンダンテ」を見ました。キューバのフィデル・カストロ議長へのインタビューとドキュメンタリー・フィルムから構成された映画です。
 革命当時のニュースフィルムが流れ、「2002年2月 カストロに取材を敢行。インタビューは30時間にも及んだが、彼は内容の削除を一切求めなかった。」の字幕。スペイン語のタイトルロール。「フィデル・カストロは、バティスタ政権打倒を目指し、反乱軍を率いる。軍、警察、労働組合は政権を支持。だが、警察の腐敗に対する米国メディアの報道は、政権の先行きに影を落とす。反乱軍は16ヶ月の間、シエラ・マオストラで抵抗を続け、物資不足にも関わらず、密林で武器を製造。彼らは通信手段や補給路を断ち、暗殺や破壊工作を展開した。オリエンテ地方に侵攻し、カストロは伝説と化す。職業軍人たちに挑んだ理想家は語った、『私は負けても次があるが、バティスタにはない』と。そして続けた。『独裁政権は終わりを告げた。この上ない喜びだ。しかし、やるべきことはたくさん残っている。我らの政治哲学は、代表制民主主義および計画経済で社会主義を実現することだ』 キューバ革命は小さな革命だったが、今も継続中だ。小さな島でも、そこで起きた革命は偉大なものだった」というナレーション。「革命が失敗していたら、今も公園の木箱の上で革命を呼びかけている?」というストーン監督の問いに、カストロは「いや、死んでいた」と答えます。
 現在のキューバの様子の映像。「新政権が公約をすべて達成した際には、このヒゲを剃る」と語る若きカストロ。カストロにインタビューする前のスタッフとカストロの様子。演説では言葉の調和とリズムを大切にすると語るカストロ。「行政に費やす時間は少なく、仲間と話し合う時間を多くとるようにしている。ヒゲを剃らないのは、時間が惜しいからだ」と語るカストロ。「いいニュースは冷静に聞く。悪いニュースはもう慣れっこだ。母の死、チェ・ゲバラの死を知らされた時は、本当に辛かった。アメリカに亡命した男が、自分の息子の引き渡しを求めてきた時も、男の涙を見て、それに応じる決断をした」とカストロは話し、両親への思いを語ります。そして次のようにも述べます。「運命は信じない。息をひきとる瞬間にも、革命はまだ終わってないと思うだろう」「ヘミングウェイは賞賛すべき人物だ。官邸を敵に包囲されれば、チリのアジェンデ大統領のように最後まで戦う。死ねば、すべて終わりだと確信している」「今まで人が自分をどう見ているか気にしたことはない。歴史は相対的なものだ。名声や人気などには何の価値もない。すべてはいずれ消え去るものなのだ」カストロにキスされて、飛び上がらんばかりに喜ぶ若い女性。「早く新しい秩序に到達すべきだ。それが遅れれば、人類は消滅の危機に陥る。自然にも限りがある。それを浪費し続けて、自然を破壊することは許されない」「モノカルチャーは権力、そして独占はメディアから生じる」と語るカストロ。資源を動機をしてアンゴラの独立をつぶしにかかる帝国主義者たちから、アンゴラを守るために、兵士を送る正当性を訴える、当時のカストロの姿。「88年南アフリカ軍 アンゴラ撤退」の字幕。
 芸術作品を見て回り、賞賛するカストロ。映画を見る暇はないが、ビデオで「タイタニック」や「グラディエーター」を見たと語り、若い頃はソフィア・ローレンやブリジット・バルドー、男優ではチャップリンが好きで、どの作品ももう一度見たいと言います。カンティンフラスは新鮮で、ドバルデューの映画も何本か見ているとも語ります。
 '59年に150万人の人々が演説に感動して「フィデル! フィデル!」と連呼した時のことについて尋ねられると、人々の支持には満足感を覚えるが、少年の引き渡しの事件の後のこの数年は、自分を支持してくれる市民運動が活発となり、革命時の比ではないと答えます。また、自分のことを批判しすぎる傾向があり、もっとよくできたのではと自分を責めることが多いとも語りますが、革命時の悲惨な状況から現在の状態まで国民生活を改善できたのは、革命のおかげだと述べます。本とビデオをプレゼントするストーン監督と、ジョークを言いながら受け取るカストロ。カストロの乗るベンツに手を振る人々。ケネディが暗殺時にオープンカーに乗り低速で走っていたことへの感想を求められると、カストロは、オズワルドの単独犯人説はありえないとし、陰謀の可能性が高いと述べます。学校を訪れて車からカストロが降りると、人々が歓声で迎えます。海外から学びに来ている生徒たちも含めて、すべての生徒は学費が無料です。革命前に認められていなかった中絶も合法になり、教養ある女性が増えたと語ります。ゴルバチョフを英雄と認め、彼の意図は正しかったし、彼がキューバへの援助を停止したのは、アメリカの圧力によるものだったと語ります。歴代のソ連の指導者の中で一番気が気が合ったのはフルシチョフで、とても抜け目のない農民であり、キューバに共感して援助を始めてくれたと言います。
 カストロを残忍な独裁者扱いする当時のアメリカのニュース映画。ゲリラ活動中、戦闘があまりに辛かったので離脱する者はいたが、カストロを批判する者はいなかったと言い、ゲリラ兵は皆独立戦争に身を捧げていたと語ります。農地改革のことを話すだけで、カストロを共産主義者呼ばわりしたニクソン。アメリカに砂糖の割り当てを取り上げられたので、ソ連と同盟することに決めたというカストロは、その時のソ連の経済的援助に感謝しますが、政治的な押し付けは一切なかったと断言します。ソ連に軍事援助を要請したのは、アメリカの侵攻が迫っていたからで、その後の2ヶ月の間、キューバ危機が起こりましたが、それはケネディに経験がなく、前政権の政策をそのまま踏襲してしまったからだと語ります。また、アメリカの侵攻に対する核兵器での報復を口にしたこともなく、ソ連兵の反撃があるだろうと述べただけで、それをソ連の使者が誤訳してフルシチョフに伝えたことも、キューバ危機の原因の一つになったと述べます。恐れていたのは、アメリカにより核兵器が破壊され、国が放射能で汚染されることでした。当時のアメリカへの要求は3つ。グアンタナモ基地の返還、封鎖の解除、そして海賊的な攻撃の中止でした。その後、カストロは、友人や盟友の考えがいかに移ろいやすいかを知ります。度重なるCIAの干渉、ベトナムへキューバが軍事顧問団を送ったというデマ、拷問など一度も行なわなかったこと、なぜなら価値観を持たない自分が、他人を批判することなどできないからだと、カストロは語ります。
 どこへ行っても握手責めに会うカストロ。傑出した独裁者を擁護し、エビータ・ペロンと比べられることは嫌ではないと言い、自分は自分の考えで働き、任務を遂行してきたとし、自分が自分の独裁者であり、国民の奴隷だと自己規定します。希望したどこでも撮影が許され、監視者もなかっただろうと、ストーン監督に語るカストロ。生きがいを問われ、自分が成し遂げたことに満足していて、新しい思考が進むたび、大きな喜びを感じ、革命の成果にも安堵していると語ります。そして、生きがいとは、物の価値を知り、知識を得、人生で何かを成すことだとも述べます。女性関係について問われると、それは述べる義務はないと言いながらも、ストーン監督の質問に応じるカストロ。党から選挙には候補者を一切出さず、地域の代表が選挙によって選ばれるキューバの民主主義システム、そして同性愛者や黒人への差別の解消について述べられますが、真の機会均等はまだ実現されていないと認めます。ボリビアに向かったチェ・ゲバラのことを語るカストロ。そして生まれ変わっても、同じような人生を送りたいと言い、エンディングタイトルが流れ出し、その合間でカストロは、ストーン監督やスタッフたちと抱擁しあいます。

 長々と書きましたが、それはこれが非常に重要な映画であるからです。歴史の読み違えと真実の声、数々の格言、そうしたものが、稀代の革命家であるフィデル・カストロの口から語られます。オリヴァー・ストーン監督はこれまでも現代の政治を抉る映画をいくつも撮ってきましたが、今回の映画が最高傑作なのではないでしょうか?
 指導者が先ず目指すべきは平等であり、そしてその後に目指すべきは物質的生活の向上、精神的生活の向上であり、そこでは物質的に何の獲得を目指すのか、精神的に何の獲得を目指すのかという、価値観の問題がでてきます。したがって、現在の生活を打破する「革命」を起こすには、新しい価値観の共有ができていることが前提となり、その獲得のために戦うことが必要となるのだと語るカストロは、圧倒的に正しいと思われます。そのために私たちは命をかけて戦う価値があり、そこには「生きがい」が生じてきたりもするのでしょう。
 私たちはフィデル・カストロ、そしてチェ・ゲバラ、ひいてはチリで散ったアジェンデ大統領らからまだまだ学ぶことが沢山ありそうです。もう一度彼らの言葉を聞いてみる時が来ているのかもしれません。