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アキ・カウリスマキ監督『白い花びら』

2013-03-31 09:38:00 | ノンジャンル
 アキ・カウリスマキ監督・脚本・編集・製作の'99年作品『白い花びら』をDVDで見ました。
 夫のユハと妻のマルヤはバイクに2人で乗って野菜を運び、それを市場で完売すると、抱き合って踊ります。“2人は子供のように幸せでした”の字幕。酒場で飲み、家で食事する2人。羊に餌をやるマルヤ。仲良く並んで横向きで寝る2人。
 そこへ酒を飲みながらオープンカーを運転する老人シェメイッカが現れ、彼の車はエンストします。トラクターでやって来たユハに車を修理してもらっている間に、茶を沸かすマルヤを誘惑するシュメイッカ。ユハは部品が届く明日まで車は動かないとシュメイッカに言います。夜、マルヤを誉めるシュメイッカは自分が未婚であると言うと、ユハは孤児の頃からマルヤを育て、豪農の娘と結婚することもできたが、やはりマルヤとの結婚を選んだと言いました。マルヤへの誘惑を続けるシュメイッカ。巨大なレンチを抱いて寝るユハを見て、床に寝るマルヤ。翌日シュメイッカはそのうちに迎えに来ると言い、こんな田舎では老け込むだけだとマルヤに言って去ります。考え込むマルヤ。
 “数週間後”の字幕。化粧に熱心なマルヤはレンジでチンした食事をユハに出すと、また化粧に戻り、ネイルをいじり、タバコをふかし、雑誌を読みふけります。それを睨むユハは、ラジオから流れるロックンロールも気に入りません。マルヤはユハの布団をソファーに運び、寝室の鍵をかけてしまいます。
 晴れた空とたわわになった小麦。シュメイッカは酒をユハに、スカーフをマルヤに贈り物として持って来ると、3人でクラブへ出かけます。マルヤはシュメイッカと踊り、ユハは酔いつぶれます。帰宅すると、ユハは服のまま寝てしまい、マルヤは自分を探さないでという置き手紙をしてシュメイッカと出ていきます。滝の見える川辺で結ばれる2人。
 ユハは目覚め、置き手紙を読み、頭を抱えます。一方、夜の町をドライブするシュメイッカはマルヤを高級クラブに連れていき、マルヤは起きると高級ホテルでルームサービスを受け、そこで待つようにというシュメイッカの伝言を渡されます。結婚指輪を外すマルヤ。ユハはマルヤがさらわれたと警察に手紙を見せに行きますが、本人の意思で出ていったのだから警察の出る幕ではないと受け付けてもらえません。マルヤは迎えの男に屋敷に連れていかれると、そこではタバコをふかしながらカードにふける女たちがいて、シュメイッカの姉が部屋に案内してくれます。先程の3人の女がやって来てマルヤのことを罵倒すると、やがて屋敷には大勢の男と女がやって来て、シュメイッカは彼らにマルヤを紹介してやると言いますが、マルヤは怖いのでいいと言います。気が立って酒場で仲間とケンカするユハ。
 翌日マルヤはシュメイッカに服を買ってもらい、シュメイッカの姉が歌う高級クラブに連れていかれます。隣に座った男がキスしようとしたため、その男をマルヤが平手打ちすると、お前を特別扱いする気はないと言ってシュメイッカはマルヤを平手打ちします。シュメイッカの姉に自室へ運ばれるマルヤ。マルヤはユハとの結婚式を回想し、翌日床を掃除し終わると、荷物をカバンにまとめて列車に乗ろうとしますが、その場で失神し、目覚めると医者から妊娠していることを告げられます。“秋”の字幕と1人で暮らすユハ。“冬”の字幕と赤ん坊を抱くマルヤの姿。雪解けになると、ユハは斧の刃を研ぎ、リュックに入れて背広を来て家を出ます。犬を知人に預け、バスに乗るユハ、それを追って来る犬。彼はマルヤの元を訪ね、赤ん坊がいることを確認すると、斧でシュメイッカに迫ります。シュメイッカは拳銃をユハに2発当てますが、結局冷凍庫に追い込まれ、ユハに殺されます。マルカは赤ん坊を抱いて家を去り、通勤客の波の中へ吸い込まれ、ユハはゴミの山の上に倒れるのでした。

 音楽と効果音以外は字幕で台詞を示すというサイレント映画で、ストーリーが単純なこともあって楽しめました。

 →Nature LIfe(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

アキ・カウリスマキ監督『浮雲』

2013-03-30 08:45:00 | ノンジャンル
 アキ・カウリスマキ監督・製作・脚本・編集の'96年作品『浮雲』をDVDで見ました。
 昔ながらのレストラン“ドゥブロヴニク”の給仕長をしているイロナは、シェフのラユネンがまた酒をラッパ飲みして包丁をかざして暴れるのを収め、ケガをしたポーターのメラルティンを病院に行かせます。路面電車の運転手をしている夫のラウリと一緒に車で帰宅すると、ラウリは新しいテレビをイロナに見せて喜ばせますが、イロナは本棚とソファのローンがまだ残っていると不安げです。
 翌日ラウリは会社のリストラを決めるカードを引いてしまい、1ヶ月後の最後の勤務日になって妻に告白します。あくまで強気なラウリでしたが、次の日就職活動から帰ると床に倒れ込みます。
 数日後“ドゥブロヴニク”に3人の男が現れ、女性支配人に会うと、支配人はイロナに、銀行の経営者が変わり急にローンの完済を求められ、同時にチェーン店から来た買収話に乗らざるを得なくなったと言います。夫と店を始めて38年経ち、常連客も老齢化してしまったと嘆く支配人。店の最後の夜、満員の客は楽団のワルツで踊り、支配人はそれを見つめます。車で去る支配人を送り出したイロナは、スタッフと別れの乾杯をした後、既に改装が始まった店を通って制服を持ち帰ります。
 レストラン関係は40%が失業していると聞かされ、実際に行く先々で断られるイロナ。ラウリはある日、花とカツを持ち帰って、ロシアへの観光バスの運転手の職が見つかったと喜びますが、翌日健康診断で右耳に異常が発見され、職はおろか免許書まで取り消されたと言って、また床に倒れ込みます。
 イロナは街角でメラルティンに会い、若い客のひどいマナーでクローク係をお払い箱になったと聞かされ、酒も奢らされます。帰宅して吐くイロナを介抱するラウリ。イロナは雇用サービス会社で500マルクも払い皿洗いの仕事を紹介してもらいますが、行った先では皿洗い機を注文していたのだと言われ、料理もするなら雇ってやると言われます。コックとフロアを客に気付かれないように1人でこなすイロナ。客として来たラユネンは酒浸りの生活を送っていると言って去ります。酒屋への払いも残さず売り上げを持ち去るオーナー。
 6週間後、オーナーが慌ててやって来て、何も話すなと言ってイロナから去ると、税務署の監査がやってきます。彼女の納税金額を証明できる帳簿がないと言う監査員。ラウリはオーナーの元を訪れ、妻の給料の未払分をすぐに払えと言いますが、逆にチクリ屋と罵られ、半殺しの目に会います。仕事がみつかって遠くへ来てるとイロナに電話するラウリ。
 ラウリは顔もやっと見られるようになり、花を持って帰ると、自宅にイロナの姿はなく、映画館のモギリをやっている妹から、イロナは自分のところにいるが、ラウリのことを許さないと言っていると聞かされます。帰ろうと言うラウリに、決して許さないが妹から電話があって既に荷造りはしてあると言うイロナ。ラウリのボロボロの靴を直そうと、靴の修理屋に就職したメラルティンの元を訪れたイロナは、彼から銀行の金を借りて一緒に店を始めようと言われます。計画を立てて銀行に向かうも相手にされない2人。
 ある日、イロナが美容学校へ行くと、そこで元支配人に再会し、2人で飲んでいるうちに元支配人は自分がスポンサーになると言ってくれます。昔の仲間を集めるイロナ。見事に改装し開店当日を迎えますが、昼時になっても客は現れません。元支配人が現れ、皆で待っていると昼時が終わる直前にやっと1人の客が現れ、またその相客も現れます。トラックが停まり、ドライバーたちが店に向かうと、中はもう満員で、今夜の予約を30人頼みたいという電話も入ります。店の外に出て煙草を吸うイロナが空を見上げると、ラウリも現れて一緒に空を見上げ、陽気な歌が流れ、“マッティ・ペロンパーに捧ぐ”という字幕とともに映画は終わります。

 やはり台詞が極端に少なく、どうしようもない不幸の続いた後の最後のハッピーエンドは『真夜中の虹』と同じでしたが、静かな中、ドラマティックな音楽がふと流れたり、顔のクロースアップが多用されたりしているところが印象に残りました。

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アキ・カウリスマキ監督『レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会う』

2013-03-29 06:56:00 | ノンジャンル
 アキ・カウリスマキ監督・脚本・編集・製作の'94年作品『レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会う』をDVDで見ました。
 “世界最悪のロック・バンドが成功を求め、故郷シベリアからアメリカへ旅立って5年。たどり着いたメキシコで独裁者のマネージャー、ウラジミールは砂漠の中へと行方をくらました。最初の1年こそ、バンドはトップ10入りし、結婚式や葬式にはひっぱりだこで、テレビ出演も決まるほどの成功を収めた。だが、その時テキーラの魔手が忍び寄った。わずか数カ月で、この魔の酒はメンバーの命を次々と奪い、生き残った者を犯罪に巻き込んだ。彼らは荒野へ逃れ、コンサート活動を続けたが、観客は時折通るヘビやサソリのみであった”の字幕。NYのホテルからの出演依頼があり、行こうと決めるメンバー。メキシコ国境の検問所を強引に突破しますが、パトカーの追跡に会い、荒野へ逃れます。“5日後コニーアイランドに迷い込む”の字幕。モーテルに入るメンバー。“仕事は大成功”の字幕。フラメンコを演奏しますが、客は無反応です。楽屋にウラジミールが現れますが、自分は皆を故郷へ戻すためモーゼとして再生したと言います。“6時間後”の字幕。明日ヨーロッパへ船で旅立ち、自分とは海上で合流し、その後、人目を避けてフランスを北上すると言うウラジミールは、なぜ一緒に出発しないのかと問われ、自分は土産を探さねばならないからと言います。夜の遊園地で遊ぶメンバー。メンバーがボートで旅立つのを見送ったウラジミールは、夜に自由の女神の鼻を盗みます。ヨーロッパの機内にはCIAの男が乗り、翼にはウラジミールがしがみついていて、メンバーと合流する時間になると翼から縄をつたって降りていきます。岩場に打ち上げられたメンバーを迎えに来る故郷の若者たち。彼らは赤いバスで出発します。“フランス ブルゴーニュ地方ブレスト”の字幕。ロシア民謡をアップテンポで演奏しますが、客は無反応で、その場で行われていたビンゴ大会でメンバーが最初に上がります。子供に金をたからせ、教会で集金するウラジミール。“アミアン”の字幕。1人で瞑想と祈りをするとバスを出たウラジミールは食事をしますが、他のメンバーも窓からバスを脱出し、食事します。CIAの男はプロデューサーのラサールと名乗り、ウラジミールにこの店で1週間演奏してくれと前金を渡します。ラサールはバスを調べ、鼻を自分の車に移そうとしますが、気付いたイゴールにやっつけられます。猿ぐつわされ、拳銃も奪われるラサール。ウラジミールはプールサイドでくつろぐメンバーにすぐ出発すると告げます。“ドイツ フランクフルト”の字幕。自由の女神の鼻の盗難で指名手配されていたウラジミールは寄った店に通報され、イゴール以外は皆逮捕されます。イゴールが鉄格子を斬り、すぐに脱出するメンバー。バスを使って1人で鼻を運んでいたラサールは、追い付いたメンバーに再び捕まり、追放されます。ラサールは拳銃自殺を試みますが、雷鳴が鳴り、思いとどまります。“ライプチヒ”の字幕。レーニン役のメンバーと聖書の言葉で対決するウラジミール。ラテン風の聖歌を歌う女性と伴奏するメンバー。なぜ故郷に帰ることになったかを、ウラジミールはレーニン役の男を使って、聖書の内容をレーニン風に説明させます。“ドレスデン”の字幕。静かな曲を歌うメンバー。ウラジミールはメキシコ部を探しに行くと、彼らは路上で腹が減ったと言う歌を自棄気味に歌っていました。すぐ車に戻れと言うウラジミール。“チェコでの休日”の字幕。洗濯をするメンバーや写真の現像をするイゴール。そこへラサールは長い口ひげをしてウラジミールの前に現れ、自分は予言者エリヤになったと言って、ウラジミールと箴言を言い合い、その結果、彼らに同行することを許されます。工場を見学するメンバー。岩を削岩機で削って水が出て喜ぶメンバー。その後、ポーランドでは重病のメンバーを助けるため、ラサールは歌うようにウラジミールに命じられ、見事にロックンロールを歌い、客から拍手をもらいます。彼らは無事シベリアの故郷に帰りつき、家族との再会を喜んで野外パーティをしますが、が、ラストの野外パーティでは、ラサールは1人『いとしのクレメンタイン』を歌いながらうらぶれて終わります。

 『レニングラード・カウボーイズ』の前作のヨーロッパ版といった趣きで、これもほとんどおふざけで作った映画といった印象でした。

 →Nature LIfe(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

矢島新『日本の素朴絵』

2013-03-28 08:44:00 | ノンジャンル
 アキ・カウリスマキ監督・製作・共同脚本・編集の'94年作品『愛しのタチアナ』をDVDで見ました。ロッカーを気取る2人の男性が車の旅先で2人の女性に会い、1人はロシアへ、1人はエストニアへ送りますが、1人の男性はエストニアの女性の元に留まり、1人は部屋に閉じ込めていた母親の元に戻るという幻想的な終わり方をする映画でした。

 さて、宮田珠己さんが著書『はるか南の海のかなたに愉快な本の大陸がある』の中で紹介していた、矢島新さんの'12年作品『日本の素朴絵』を読みました。
 宮田さんの文章をそのまま引用させていただくと(ちなみに括弧の中は私の文章です)、「(前略)最初に見開きで登場する絵にまず収穫がある。室町時代後期に描かれた『かるかや』という絵本の中の絵だが、阿弥陀や菩薩が来迎する場面。かなりテキトー。仏らはみな背中に一輪挿しのように花を背負い、頭から花がにょろにょろ生えている仏もある。ヘタウマではなく、ヘタヘタ寸前の絵だが、ユーモラスな味わいがある。
 『伊勢参詣曼荼羅』『玉垂宮縁起』といった大画面の絵に描かれた太鼓橋が、得体の知れない不思議な形になっているのも可笑しい。(前者は橋を横から見た図を90度回転させて描いたもののように見え、後者は橋の入り口と出口の端が水平方向になっていてそこから橋の内側と外側が半円を描いたように描かれていて、橋自体が地面に対してこちらに向かって斜めに架かっているように見える。)建物をそれらしく描くことに昔の日本人は苦慮したようで、『洛中洛外図屏風』の二条城は、かなり面白いことになって、もうガタガタである。(ヨーロッパ近代のだまし絵のようなもので、ある階に沿って目線を動かしていくと、違う階に出てしまうといった感じ。)
 『かみ代物語絵巻』の釣竿を持つ山幸彦が、人間としてありえないポーズとか(手の関節が通常の反対に向いている)、『築島物語絵巻』の建物が、壁がないのに窓があって意味不明とか(空中に窓が浮いている)、義梵という禅僧の描いた子供の絵が、どう見てもヒヨコにしか見えないとか(これは一筆書きでヒヨコを正面から描いたもののように見える)。
 つまりこの本の真骨頂は、いわゆる素朴な絵というより、むしろ本気で描いたのにうまくいかなかった絵、はっきり言えばヘタクソ、失敗作のほうにある。著者も、その点は意識的だったようで、?狙った素朴美でなく、無作為が生み出した素朴美?という言葉を用いて、そうした作品を評価している。
 私は絵巻や参詣曼荼羅を見るのが好きで、博物館や美術館ではいつもそのコーナーで長居するのだが、歴史的関心、学術的な興味で見ているものではもちろんなく、どこかに変な絵が紛れ込んでいないかというまさにその1点、?無作為が生み出した素朴美?を発見してツッコミたいがために見ている。
 そんな私に言わせれば、この本の狙いはまさにストライク。ただ、残念なことにいわゆる素朴な絵まで取り込んでしまっているところに、限界も感じる。日本の古い絵のなかには、私の見た限りでも、もっともっとヘタすぎて面白くなっているものがいくつもあったので、極端に拙い絵を厳選して収集すれば、日本美術研究史上類を見ない、画期的かつ異端な本になったんじゃないかと思う。著者の矢島さんには、今後さらなる腰砕け方面への飛躍を期待したい。
 ちなみにこの本のなかには、絵だけではなく工芸品や石仏も取り上げられていて、石仏は、まさにそのような意味で私も興味を持っていた。つまり仏を彫ったつもりなのに造作がヘタすぎたり、マヌケだったりして正体不明の何者かになってしまっている石仏が、日本には多くあるように思うのだ。そういう無理のある石仏を巡る旅をしてみたいという思いが、これを読んでますます強まったので、その点感謝したい。(後略)」

 その他にも、箱から煙が半円形を描いて布のように翁に届いている『浦島絵巻』とか、千切った腕や足を食べている化け物たちを描いている付喪神絵巻』とか、奇想天外かつゆるキャラ的なもの満載でした。

 →Nature LIfe(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

アキ・カウリスマキ監督『ラヴィ・ド・ボエーム』

2013-03-27 09:05:00 | ノンジャンル
 アキ・カウリスマキ監督・脚本・製作の'92年作品『ラヴィ・ド・ボエーム』をDVDで見ました。
 出版社の社長から長過ぎると自分の書いた戯曲を返されたマルセルは、カフェのボーイが読んでみたいと言うので、21幕劇の戯曲の原稿を渡します。翌朝起きると、自室に「立ち退き命令」の紙が貼ってあり、彼は窓からタイプを出すと、玄関で大家を迎えます。未払いの3ヶ月分の部屋代を払ってすぐ出ていくように言われたマルセルは、銀行に行って金を下ろしてくると言いますが、大家はユゴーを見張りにつけます。銀行でユゴーのことを怪しい男だと警備員に告発して、彼から逃れるマルセル。大家は次の入居者を迎えますが、そこへ国防大臣からの手紙が届けられます。やっと年金が下りるようになったと思った大家でしたが、それは1年間家具と部屋を預けるというマルセルからの手紙でした。食堂でアルバニア人で画家のロドルフォと知り合い、芸術談義に花が咲いたマルセルは、彼を自室に招きますが、そこには次の入居者で作曲家のショナールがいました。仲良くなる3人。絵の具代に事欠いたロドルフォは知り合いに借金を申し込みますが、すべて断られます。借金のカタに知人から受け取った指輪を、6人の子供が待ってると嘘をつき高額で質に入れるロドルフォ。クラブで気に入った女性ができたロドルフォは、自分の代わりにショナールを女性のところへ行かせますが、ショナールは先に女性とキスします。呆然とするロドルフォ。彼は自室に帰ると、ドアの前に若い女性ミミが寝ていて、田舎から知人を頼ってきたが留守だと言われます。知人は3年の刑を受け刑務所にいるので、今晩は自分の部屋に寝ろと言うロドルフォは、自分は手が早く、ミミは美人だからと言って、飼い犬を連れて部屋を出ていきます。花とともに翌朝帰ると、自分で宿を探しますというミミのお礼の手紙がありました。ロドルフォが自画像を描いていると、マルセルが現れ、新たに創刊するモード紙の編集の仕事を得るために新聞王のガソーと面接することになったと言いますが、彼の黒い上着はロドルフォが既に着ていて汚れていました。そこへ砂糖工場主のブランシュロン(ジャン=ピエール・レオー)が現れ、ロドルフォに自画像を描いてもらいたいと言ってきます。部屋にいたショナールとロドルフォは普段着の方がいいと言って、ブランシュロンの上着をマルセルに渡し、ロドルフォがブランシュロンの絵を描いている間に、マルセルはその上着を来て面接に行き、戯曲とボードレールの生涯の連載を載せるという企画を認められ、編集の前渡し金として約1万5千フランを受け取ります。広告を任されたショナールは車を買うことをマルセルに認めさせます。やがてタバコ屋で働くミミと再会したロドルフォは、ブランシュロンに絵を届けて代金をもらいます。上着を買ってミミとデートし、一緒に暮らそうと言うロドルフォでしたが、電車で財布をすられ、ミミと食事した後、無銭飲食の嫌疑をかけられ、警察に通報されます。ビザが3年前に切れて、労働許可証もないことが判明したロドルフォは、また密入国したら6ヶ月の実刑だと脅かされ、翌日にアルバニアへ送還されます。マルセルに犬と絵を預かっておいてほしいと言うロドルフォ。“春”の字幕。ハシゴを持ってマルセルの前に現れたショナールは、名家の娘と恋に落ち、ハシゴで柵を乗り越えなければならない“ロミオとジュリエット”になったと言います。やがて車のトランクに隠れて密入国してくるロドルフォ。彼はミミと再会し、2人は一緒に暮らすようになります。するとまたブランシュロンが現れ、コレクターになることにしたと言い、ロドルフォの売れない絵を買っていきます。ミミ、それにマルセルと彼が雇っているミュゼット、ショナールらと買物やピクニックに行くロドルフォ。しかし、マルセルはガソーに契約破棄を言い渡され、2日後までに返金しろと言われます。ショナールは新曲を皆に聞かせたいと言いますが、あまりに突飛な曲に皆唖然とします。マルセルと別れて地元の地主と結婚するとミミに明かすミュゼット。ミミは貧乏な生活から一旦はロドルフォの元を去りますが、やはりそばにいたいと戻ってきます。不治の病にかかるミミ。ロドルフォはすべての絵をブランスロンに売り、働き、マルセルも本をすべて売り、ミミの入院費と治療費に当てますが、春になり、ミミに花を摘んで来てと言われたロドルフォが戻ると、ミミは既に死んでいました。1人で犬と去るロドルフォの姿に日本語の『雪の降る町を』が流れ、“ヨルマ・カウリスマキに捧ぐ”の字幕とともに映画は終わります。
 カウリスマキ監督の最初のフランス語の映画で、淡い白黒の画質が印象的な映画でした。

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