gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

鈴木則文監督『徳川セックス禁止令 色情大名』

2011-09-30 08:41:00 | ノンジャンル
 鈴木則文監督・共同脚本の'72年作品『徳川セックス禁止令 色情大名』をスカパーの東映チャンネルで見ました。
 徳川11代将軍家斉は精力絶倫で子を多くなし、娘の嫁入り先に苦慮した家老たちは、34番目の子・清姫(杉本美樹)を九州の辛島藩・定輝(名和宏)に嫁入りさせます。極端な女嫌いで織田信長を信奉している定輝は家老の勘兵衛(殿山泰司)からセックス指南を受けますが、コトに及ぶと草深くて入り口が分からなかったという始末。勘兵衛は殿のモノが入り口に差しかかった時に太鼓を鳴らして知らせ、その後は太鼓を一打ちする度にモノを出し入れするように言います。無事コトが済み、血のついた千代紙をお契り改めと称して確認する家来たち。勘兵衛は和合安泰と申し出ますが、清姫は丸太のようなモノを味気なく扱う定輝に対して憤慨し、以後床を共にすることを拒否すると宣言します。勘兵衛は博多屋(渡辺文雄)に定輝を三日三晩預けることにすると、博多屋は南蛮渡来の媚薬を処方して外人女性3人をあてがい、最終日にはフランス人形と称してサンドラ(サンドラ・ジュリアン)に性のもてなしをさせます。城に帰った定輝はさっそくフェラチオを清姫に強要しますが拒否され、側女の美代とできてしまいます。美代から下々の者も普段から男女の営みをしていることを知った定輝は、サンドラを城に迎えた後、城下を視察し、実際に男女の営みが頻繁に行われているのを見て、以後男女の営みを禁止するという命令を出します。男根に封印をされる民衆。サンドラからトルコ直伝のマッサージを受ける定輝は信長の命日も無視するようになり、清姫の側女である藤波(三原葉子)はサンドラが清姫の不幸の全ての原因であるとして、彼女を折檻し監禁します。定輝の一の家来の森田はサンドラを逃がしますが、宣教師である父が処刑された浜辺に現れたサンドラは博多屋に捕えられ、下男たちに犯されます。2ヶ月の禁令で鼻血を出し始める家来たち。禁令を犯し、男根を切り取られる民衆。藤波は江戸へ密書を送ろうとしますが、勘兵衛の息子・源一郎(山城新伍)に阻止され、自らも犯され、性の虜となります。清姫は源一郎の妻によってセックスを題材にした浪曲に誘い出され、女のイク様子に興味を示します。藤波は森田の婚約者である梢に張形を使わせてもだえますが、それを盗み見た清姫は改めてセックス指南を受けます。森田と梢は禁令の理不尽さを訴えるために故意に禁令を犯すと、定輝は梢に切腹を、そして森田にその介錯を命じます。やがて民衆による禁令反対の一揆が起こり、勘兵衛は豚を女性の代わりにするなど、様々な案を練ります。清姫はサンドラから男女の営みの極意は相手を気遣う心だと聞くと、サンドラとキスし、サンドラの歌をバックに全裸の二人のイメージショットが流れます。女の裸体にキリストの絵を映写させ、それをサンドラに見せる博多屋。抵抗するサンドラを犯そうとした博多屋はサンドラに十字架で目を突かれ、女たちに溺死させられます。崖から身を投げようとしていたサンドラは森田に助けられ、殿を助けるために抱かせてくれと頼みますが、コトが終わると、自分は初めて自分のために女性を抱いたと言い、現れた定輝の前で切腹します。サンドラが浜辺に逆さに磔にされたと知らされた定輝は、彼女を救うためにそこへ駆けつけますが、彼女の頭は既に海中に没していました。誰がしたのかと問う定輝に、殿が定めた法が一人歩きし始めていると答える家来。定輝が禁令を解くと、民衆は喜び、やがて路上から人影が消え、よがり声がこだまします。定輝と清姫も初めて和合することができますが、定輝は腹上死し、ナレーションはその年は例年の8倍の子供が生まれ、世にことは無しと語り、性は何事の干渉も受けるべからずという字幕がサンドラ処刑の画面上に出て、映画は終わります。
 マキノ監督の任侠映画の常連の役者さんたちを柱に据え、京唄子、鳳啓助、大泉滉らのコメディリリーフも豊富に使っている贅沢な映画でしたが、それ以外でも、清順監督のような様式的な色使いや画面構成が見られたり、若い女性の切腹シーンやサンドラの処刑シーンなど常軌を逸した残酷なシーンもあるなど、見どころ満載でした。鈴木監督の代表作の一つだと思います。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

渡辺京二『逝きし世の面影』

2011-09-29 06:36:00 | ノンジャンル
 朝日新聞の江戸特集で紹介されていた、渡辺京二さんの'98年作品『逝きし世の面影』を読みました。明治期の近代化で失われた江戸時代の生活文化を、その時代に日本を訪れた異邦人観察者の証言によって再現しようとした試みです。
 彼らの証言によれば、江戸時代の庶民は、見知らぬ人に対しても微笑みをもって挨拶し、家族とお茶を飲むように戸口ごとに引きとめる招待や花を贈るなどの愛想のよさを示し、またむきだしだが不快でない好奇心、自分で楽しんだり、人を楽しませようとする愉快な意思を持っていました。また、食べたいだけは食べ、着物にも困らず、家屋は清潔で、日当たりもよく気持ちがよかったともいいます。そうした豊かな生活は、平地から段丘に至るまで作物で覆われた景観、整備された灌漑施設と入念な施肥、土地の深耕と除草によって可能となるものでした。年貢に関しても、100年から150年前の査定を基礎としたもので、その後の農業生産性の向上により、農民側に余剰作物が蓄積されている状態でした。農業人口の増加は、商工業の急速な成長によって、増加分が村内のあるいは都市の他の雇用に吸収されたために、生活を圧迫することにはなりませんでした。しかし彼らの生活は簡素であり、そうした気風は気楽な暮らしを実現していました。 自然のもたらす恵みは地域すべての人々に開かれていて、生活自体も開放的で、近隣に強い親和と連帯が存在し、平等の精神にもあふれていました。礼儀正しさが重んじられ、人生の辛いことどもを環境が許すかぎり、受け入れやすく品のよいものたらしめようとする広汎な合意が形成されてもいました。
 通りは特有の衣装と道具によって差異化された様々な職業の人であふれ、棲み分けるニッチの多様豊富という点で際立っていました。多くの店には毎日の暮らしに欠かせない手工業品があふれ、その創意工夫と技巧と機知にあふれた工芸品の数々が、当時の西欧社会にジャポニズムの熱狂を呼び起こしました。
 労働は歌を生み、旅も時間にしばられず、職人の業は優れ、民衆の生活に権力が介入することは稀で、自治が確立していました。
 公の場で裸体でいることは普通のことであり、混浴が行われ、行水で女性が裸体を他人に見せることも一般的なことでした。春画や春本が横行し、女性も普通に見て楽しんでいましたが、性的結合は男女相互の情愛を生むものとして自然に受け入れられていました。買春もうしろ暗いものではなく、精進落としという点で宗教ともつながりのあるものでした。
 未婚の女性の魅力は多くの異邦人観察者によって報告され、女性一般は、建て前では男に隷従するものとされていましたが、現実には意外に自由で、男性に対しても平等かつ自主的だったようでした。
 子どもは大人から大事にされ、道にあふれて遊び、叱られることなく、赤ん坊も決して泣き叫ばなかったといいますが、礼儀はきちんと親から教えられ、幼い頃から大人と同席していました。子どものおもちゃは豊富で、大人もそれを楽しんだりしていました。
 美しい風景にも恵まれ、鳥も多く、花にあふれ、民衆は四季の風物を楽しんだといいます。道には犬や猫や鶏があふれ、人間を特別に崇高視せず、命あるものをすべて慈しむ風潮が広がっていました。
 
 このように、工業化による近代化、それに応じた労働の単純化以前の世界は、時間に追われることのない豊かな生活が息づいていて、これは日本にとどまることなく、ヨーロッパの中世などでも見られたことだということでした。競争社会で青息吐息である私たちに、多くのことを示唆してくれる本だと思います。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

スティーヴン・スピルバーグ監督『激突!』その2

2011-09-28 08:47:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 踏切で列車の通過を待っていると、突然衝撃を受けたマンは、背後からタンク車が列車に向かって自分の車を押しているのに気付き、必死に抵抗し、列車が通過し終わった瞬間に踏切を通過して路肩に乗り上げると、タンク車をそれを横目に見て去っていきます。
 やがてまたノロノロ運転するタンク車に追いついたマンは、途中でガラガラヘビのケージが林立するガソリンスタンドに寄ると、タンク車は少し先に止まり、マンを待ち伏せします。電話ボックスに入り、警察に連絡しようとすると、タンク車は突っ込んできて電話ボックスを蹴散らし、その後も何度もマンを轢き殺そうとします。ガラガラヘビを殺されて嘆く、ガソリンスタンドの女主人。
 逃げるマンは途中で道を外れ、タンク車をやり過ごし、一休みする間に眠ってしまいます。ホーンの音で驚き目覚めたマンは、それが車のそばを通過する列車のものだと気付いて笑い出します。
 本線に戻って進むと、タンク車は道の脇で止まって待ち伏せしていました。他の車には反応せず、マンが発進しようとすると道を塞ぐタンク車。マンがUターンして再びタンク車に向かい合うと、タンク車もバックして道を開けます。徒歩でタンク車に向かうと、逃げ出すタンク車。やってきた老夫婦の車をマンは停め、警察に連絡してほしいと掛け合っていると、タンク車はバックで迫ってきて、恐れをなした老夫婦は逃げ出します。
 また距離を取って止まったタンク車を見て、腹を決めたマンは、先に行けと合図するタンク車に応じて急発進し、アクセルを踏み込みます。上り坂では負けないと独白するマン。途中で停車していたパトカーにマンは自分の車を横づけしようとしますが、タンク車がスピードを緩めようとしないのを見て、そのまま通過します。急な上り坂にさしかかり、タンク車の姿が見えなくなりますが、ラジエタホースがいかれて車はスピードダウンし、白煙を吐き出します。あせるマン。何とか上り坂の頂上を越えますが、今度は急な下り坂となり、ギアをニュートラルに入れたマンの車はみるみる高速度となり、カーブで何度も壁にこすります。急カーブで壁に激突してエンストしますが、迫りくるタンク車を前にして何とかエンジンがかかり、逃げ出すマン。崖の行き止まりに至り、そこからUターンして戻り、タンク車と向き合う形となったマンは、アクセルにカバンを詰めて車をタンク車に正面衝突させ、自分は直前に車から飛び降ります。タンク車にぶつかったマンの車は火を吹き、その炎で視界を塞がれたタンク車の運転手は崖に気付かずに直進し、気付いた時には既に遅く、ホーンを鳴らしながら崖を落ちていきます。崖下に落ちたタンク車を見て、小躍りするマン。やがてタンク車が全ての動きを止めたのを確認すると、マンは笑い出しますが、やがてそれは苦渋の表情となり、座り込むと、夕陽を浴びて、崖の下に石を投げ始めるのでした。

 エピソードの配置や画面構成が非常によく練られていて、見ごたえのある映画でした。特にミラーの使い方に学ぶところが多かったような気がします。スピルバーグ映画の原点がこの映画というのも面白いなと思いました。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

スティーヴン・スピルバーグ監督『激突!』その1

2011-09-27 08:39:00 | ノンジャンル
 スティーヴン・スピルバーグ監督の'71年作品『激突!』をWOWOWで再見しました。
 車がバックして住宅街のガレージを出て、町から郊外へと向かう様子が、車のフロントガラスの内側から見た視線でオーバーラップの連続により描かれていきます。カーラジオから流れる番組の音。タイトル。草原を行く幹線道路を疾走する赤いセダン。バックミラーに運転する男(デニス・ウィーヴァー)の顔。やがて直立するパイプから排煙をまき散らし、ノロノロと進む旧式のタンク車の後ろにつき、排煙にむせる男はタンク車を抜きます。タンク車はすぐ抜き返し、また速度を落とします。再度抜くと、警笛のホーンを鳴らすタンク車。
 馬鹿馬鹿しいラジオ番組に笑いながら、男が車をガソリンスタンドに入れると、タンク車も斜め前に止まり、ドライバーの腕だけが見えます。タンク車から降り、ジーンズにウエスタンブーツの下半身だけが見えるドライバー。やがてドライバーはホーンを鳴らして、従業員を呼び始めます。セダンの男はスタンドの電話でデイヴ・マンと名乗ってコレクトコールをかけ、昨晩のことを妻に詫びますが、妻は今晩は早く帰ってくるようにマンに言います。
 スタンドを出発してしばらくすると、バックミラーにタンク車が迫って来るのが見えます。マンは速度を上げて引き離そうとしますが、タンク車はついてきます。マンが追い越せとサインを送ると、タンク車は追い越してまた速度を下げ、追い越し車線が現れると蛇行してマンに抜かせまいとします。憤慨したマンはクラクションを鳴らして抗議すると、タンク車は追い越せのサインをしますが、それに応じてマンが追い抜こうとすると、対向車が現れ、衝突しそうになります。仕事の約束に間に合わないと愚痴るマン。路肩を通り、まんまとタンク車を抜いたマンは狂喜し、タンク車は視界から消えます。
 ラジオでウエスタンを聞くマン。やがて轟音を上げて加速するタンク車の車輪のアップが画面に現れます。みるみる近づいてくるタンク車。それに気付き、速度を上げるマン。ホーンを鳴らして迫るタンク車。速度を上げ過ぎて蛇行し始めるマンの車。やがて速度は時速80マイル(128km)となり、タンク車はホーンを鳴らしながら追突してきます。きしむタイヤ音。恐怖で何度も振り返るマン。不安を駆り立てる音楽。繰り返し追突しているうちに、速度は100マイル(160km)近くとなり、マンは急ブレーキをかけると、車はドライブインの駐車場の柵に横ざまにぶつかって止まります。事情を聞きに来るドライブインの老主人。
 マンはトイレで顔を洗い、気を取り直しますが、外にタンク車が止まっているのに気付きます。カウンターに背を向けて座っている客たちの中に、タンク車の運転手を探すマン。テーブルに座る一人がそれと確信したマンは、その男に話しかけますが、やがてケンカとなり、男は怒って出ていきますが、別のトラックに乗って出ていきました。直後に走り出すタンク車をマンは走って追いかけますが、やがてあきらめます。
 マンはドライブインを出発しますが、すぐにエンストを起こしたスクールバスに出会います。バスの運転手はタンク車に気付かなかったと言い、スクールバスをマンの車で押してくれと頼みますが、押しているうちにバンパーが引っかかり、取れなくなってしまいます。進路上のトンネルに現れたタンク車はヘッドライトを点灯させ、それを見たマンは危険を感じて、子供たちにバスへ入るように言いますが、彼らは言うことを聞きません。タンク車が近づいてきたのを見て、マンは自分の車のボンネットの上でジャンプして、何とかバンパーを外し、タンク車と入れ違いで車を発進させます。Uターンしてバスを押すタンク車を見て、走り去るマン。(明日に続きます‥‥)

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

川上未映子『発光地帯』

2011-09-26 06:38:00 | ノンジャンル
 川上未映子さんの'11年作品『発光地帯』を読みました。読売新聞ウェブサイト「ヨリモ」に'09年3月2
日から'10年2月15日の間に連載されたエッセイに加筆修正を施し、書下ろしを加えて作られた本です。
 週刊誌の連載エッセイといったように、特定の読者を想定されたものではなく、一つのエッセイの字数制限もなく書かれたもののようでしたが、そうすると読者へのサービス精神は著しく低下するようでもあり、前著『夏の入り口、模様の出口』に比べると、かなり「暗い」印象を持ちました。
 しかし一方で、未映子さんは自由に文章を書くと、それは自然と「詩」になっていく傾向があるようでもあり、例えばあとがきの最後の文章、「みんなにとってそれが何回目なのかはわからないけれど、いまは冬です。一度きりの何かが一度きりの何かにたいして過ぎ去ろうとしている一度きりの最大の最中、でもいつだって、初めての気がしないのはなぜだろうって、そしてまたいつの日か、ちゃんともどって来ることができるようなそんな気がしてしまうのはなぜだろうってそんなことを、いつも思って。」などにそれを強く感じました。
 その他にも、子どものころ母親に連れていかれた教会で、神さまの証拠を見せてほしいと著者がいうと、「風は見えますか?」「見せません」「何によって風が吹いているのがわかりますか?」「木が揺れたり、音がしたりするからです」「それとおなじことが起こっていませんか?」「わかりません」「つまり、目には見えない、けれどもそこにあるとわかること。それが神さまの証拠です」という会話がなされた話とか、「14歳のときに曲線を走るバスから顔を出して、町は白くて、ああもうぜんぶのことに感想を持つのをやめればいいのだつまり生きる生きられる生きてゆくための方法はたったそれだけなのだと気づいたときに、これはとんでもない発見だと思って思って安心して、そのまま殴られるように眠ったことを思いだす。なんて静かなんだろう、なんて静かなんだろうと、眠りながら思って。」という文章とか、「(力がみなぎっている時と、そうでない時があって)そういうことって、生きていればよくあることで、いつだってそこに思い至る原因があれば納得することもできるしその原因を取り除こうとしてつぎの行動を思うこともできるけど、こういうのって、理由がないから、じっとしているよりほかない。」という文章とか、「中原中也賞の授賞式には愉しむつもりで出かけたんですが、式が始まると、胸がつまり、作品のことや詩や創作のことをスピーチしようと考えていた内容が散り散りになってしまい、考えていたことはひとつも話せなかった(ほとんど考えていなかったけれど)、そのかわりに涙がぽろぽろと汗のように出た。『ユリイカ』に寄稿したときのこと、詩集を一冊つくって、この世界に存在させることを思うと興奮して夜も眠れなかったこと、たくさんたくさん詩を書いたこと、真夏に青土社の薄暗いひんやりした階段をあがって、うなだれ、詩を読んでもらいに行ったことなどを思いだした。」という文章とか、「なにかを乗り越えようとして生きている人を思えばぐっと胸が熱くなる。がんばればぜんぶのことが報われる、なんてことは言えないけれど、かんがれなんてもう言ってはいけない世間になってるらしいけれど、それでもがんばれがんばれ、見てるから、がんばれがんばれって思ってしまう。」という文章とか、それはもう、いい「話」がたくさんあり、また、「柴田元幸さんの家に数名が集まり、談話、そしてお茶を飲んだ」という「縁」を感じる文章もあって、また未映子さんとの距離が縮まったような錯覚に陥らせてくれる、そんな素晴らしい本でした。
 ここに引用させてもらった文章を読まれて、少しでも興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、是非とも本を直接手に取ってお読みいただきたいと思います。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/