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クリント・イーストウッド監督『運び屋』その1

2020-05-31 07:17:00 | ノンジャンル
 クリント・イーストウッド監督・共同製作の2018年作品『運び屋』をWOWOWシネマで観ました。

 花畑。“イリノイ州 ピオリア 2005年”の字幕。温室で植物の世話をするアール(クリント・イーストウッド)。
 “2005年 デイリー品評会”。ヘレンに挨拶し、久々に会うティム・ケネディと軽口をたたくアール。自分の花のコーナーに行くと、バーゲン並みの大盛況となる。
 「金賞はアール・ストーンのサニーサイド花農場。まさにマジェスティックです」。拍手喝采を浴びるアール。
 「お父さんは来るんでしょ」とウエディング姿の娘。「期待しないで」とアールの妻のメアリー。(中略)
 “12年後 2017年”の字幕。“サニーサイド花農場、差し押さえ”の紙。「ネットで潰された」とアール。
 「おじいちゃん、来たのね」と孫のジニー。「フィアンセのマイクを紹介するわ」。メアリー「娘の結婚式に現われなかった人が」「お前たちを養うために週60時間も運転してたんだ。50州のうち41州を走った」。親戚の冷たい目に追い立てられるアール。「じいさん、俺はリコ。花嫁付添人の友人だ。今まで車の運転をしてきて反則切符を一回も切られたことがないとか。いい仕事があるよ」。
 “テキサス州 エルパソ”の字幕。室内で武装してタトゥーを腕などに施している若者たち。「荷物の受け渡しはメールでいいな」「えーと」「じゃあ電話だけにしよう。ホテルにトラックを停めろ。キーはグローブボックスに。一時間後に戻れ。あんたの金とキーがグローブボックスにある。見張りをつける。荷物の中身は見るな。もちろんタレコミもな」。
 FBI本部。「ベイツ捜査官、シカゴでも活躍してくれ。トレビノ捜査官を助手につける」
 “1回目”の字幕。“イリノイ州へようこそ”の看板。
 路上でたむろする若者たちをシャッター音が捉える。ベイツ「悪党だらけだな」。
 ホテルの前で車を降りるアール。
 アールが車に戻ると、グローブボックスの中に封筒が入っていて、中には大金が入っている。
 「よくやった。仕事をしたけりゃいつでも連絡を」「いや、一度きりの約束だ」「気が変わったらでいいから」。
 FBIシカゴ支局。「麻薬取締局(DEA)の協力者になれ」とルイス・ロカにベイツ。「既に捜査令状は取っ手あり、ガサ入れをする」。
(中略)
 アール「メアリー、踊ろう。好きな曲だろう」「デイリリーに取られる時間と労力を家族にも分けてほしいわ」。
 “差し押さえ。不法侵入を禁ずる”と書かれている看板を見るアール。
 若者たちのアジトに黒い新車のトラックで現れるアール。「前のはぶっ壊れた」。若者「今回も贈り物がある。今回の仕事だ」と携帯電話をアールに渡す。アールが「前のがある」と携帯電話を手にすると、若者はそれをバキっと折って捨てる。「これからは仕事が済んだら携帯は捨てろ。今回も場所は前と同じホテルだ。
“2回目”の字幕。荒地を貫く道路を突っ走るトラック。“ニューメキシコ州ホワイトサンズ国定記念物”の看板。
(中略)
 休憩するアール。エンジンがかからないで困ってる若者に「1980年製ショベルヘッド。俺も昔乗ったもんだ。おかしいのはリレーだな」。若者たち「俺たちはバイク乗りだ。ダイクス(ビアン)なんだぞ」とすごむ。
 ホテルの前に停車するアール。
 FBIシカゴ支局。ベイツ、ルイスに「協力するか。俺はフィリピン人だ。42万5000ドル分のドラッグと無許可の銃3丁がお前の家にあった。詐欺と脱税の資金洗浄の罪もある。終身刑をいくつも受けるとなると、お前のネイルときれいな肌でムショでは苦労して、誰かの“妻”になるだろうな」「組織にも狙われる」「仕事を続けて電話しろ」「分かった」。
 土地管理局。「滞納金を払えば物件は戻る。延滞金と経費も必要だ。現金をお持ちかな?」「了解です」とアールは札束を背広の内ポケットから出す。
“差し押さえ”の板を抜くアール。
“退役軍人クラブ”の看板。アール「何事だ? 火事か?」「厨房でな。ケガ人はいない。保険会社がふざけやがって。数年再開できないかも」「ここには1958年から来てる。退役軍人たちはどうすればいい? 日曜のポルカ・パーティも“肉のクジ引き”もなし? そのうち退役軍人会もなくなっちまう」「誰かが2万5000ドル出すなら別だが」。
 大量の荷。若者「注意するんだぞ」。
“3回目”の字幕。アール、荷物が大量のコカインなのを見て「ヤバい。こいつはヤバい」と言うと、背後から「どうしました?」と警官が近づいてくる。“警察犬部隊”とペイントされた車。犬が盛んに吠え出し、アールの車に近づいてくるので、アールは咄嗟に痛み止めクリームの匂いを犬にかがせ、犬を撃退する。
“24時間 配管工事”とペイントされた車の中。ベイツ、ルイスに「証人保護のため、お前の価値を証明しろ」。

(明日へ続きます……)

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斎藤美奈子さんのコラム・その59&前川喜平さんのコラム・その20

2020-05-30 05:51:00 | ノンジャンル
 恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず5月20日に掲載された「TD五つの効用」と題された、斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「検察庁法改正案の今国会成立が見送られ、翌十九日の東京新聞朝刊はやや興奮気味だった。一面で「うねる民意 首相追い込む」。社説は「反対世論が追い込んだ」。社会面の見出しも「『#抗議します』届いた」。
 ネットの世論が強行採決を食い止めた。著名人の力以上にこれは連携プレーの賜(たまもの)だった。ツイッターデモ(TD)の効用とは何だろうか。

① 野党に力を与える。少数の野党にとって民衆は頼みの綱。SNS上で追い風が吹けば、国会での追及にも力が入る。いわば援護射撃である。

② メディアに勇気を与える。政府に不都合な内容でもニュースバリューがあれば日頃はヘタレなメディアも堂々と報道できる。NHKすらこの件を無視できなかった。

③ 与党内良識派にプレッシャーがかかる。泉田裕彦氏、石破茂氏、中谷元氏ら、強行採決や法案に批判的な議員の声も聞こえてきた。安倍一強も一枚岩ではない証拠。

④ 当事者を奮い立たせる。この場合の当事者は法曹人だ。元検事総長を含む検察のOB、元特捜検事有志の意見書のほか全国に五十二ある弁護士会中五十一の弁護士会が反対声明を出し、それがまた①②③につながった。

⑤ 御用言論人の欺瞞(ぎまん)があぶり出される。政権を擁護してれば安泰という神話は崩れつつある。
明日のために、一昨日の体験を忘れないでいよう。」


 また、5月27日に掲載された「記者と官僚」と題された斎藤さんのコラム。
「緊急事態宣言下の賭けマージャンが発覚し、黒川弘務・前東京高検検事長が辞任した。この件でもうひとつウンザリさせられたのが、政治家や官僚と記者との馴(な)れ合いのような関係である。
 「週刊文春」によると参加したのは産経新聞の記者二人と朝日新聞の元記者。記事には「黒川氏がすごくやりたがっているから、仕方ないんだ」という産経記者のボヤキが紹介されている。
 それで思い出したのが二年前の四月、テレビ朝日の女性記者へのセクハラ発言を「週刊新潮」で報じられて辞任した、財務省の福田淳一・前事務次官である。「胸触っていい」などのセクハラ発言を福田氏がした場所も夜の飲食店だった。
 「記者が取材対象に食い込むために、会食をしたり、ゴルフをしたりするのは昔も今もよくある話だ」と「文春」も書いている。記者にとって私的な交流は必須の営業努力なのだろう。でもさ、それって男社会の悪(あ)しき習慣よね。情報が欲しければ食い込め、と記者に強要する文化は馴れ合いも生めばセクハラの温床にもなる。メディアはしかし、みな同じ文化を共有しているため、あまり鋭く切り込めない。
 くだんの記事は「このあいだ韓国に行って女を買ったんだけどさ」という黒川氏の雑談も拾っている。そういう人、そしてそういう文化なのである。容認する気にはなれない。」


 そして、5月24日に掲載された「逃げる安倍首相」と題された前川さんのコラム。
「十八日に突如検察庁法改正案の今国会成立断念を表明した安倍首相。ツイッターデモの爆発と支持率の急落を見て、逃げるに如(し)かずと判断したのだろう。二十二日には国家公務員の定年を引き上げる国家公務員法改正案もろとも廃案にする意向を示した。追及の火種を完全消去するつもりだ。
「産湯とともに赤子を流す」とはこのことだ。
 二十二日本紙によれば、黒川前検事長の辞職を皮切りに、黒川氏の定年延長の責任を法務・検察当局に押しつける雰囲気が強まっているという。安倍首相は「法務省、検察庁において請議が出され、最終的に内閣として決定した」という言い方をしはじめた。自分は事後的に了承しただけだと印象づけたいのだろうが、検察庁法違反の定年延長を検察庁が提案するはずがない。法務省が手続きとしての閣議請議(閣議への付議を求めること)をしたのは事実だが、その請議は官邸から指示されたのだろう。
 訓告が軽いという批判に、安倍首相は「検事総長が行った」と答えたが、これも責任逃れの口上だ。「懲戒処分をしなかった責任」は処分権限を持つ内閣にあるのだ。
 森雅子法相は首相に進退伺を提出したが、強く慰留されたという。安倍首相にとって、森大臣は当面の防火壁なのだろう。防火壁が燃え尽きるまでに、別の逃げ道を考えるのだろうか。」

 今回のコラムは3つとも、とくに読み応えのあるものでした。特に最初の斎藤さんのコラムはコピペして、デスクトップに張り付けておこうと思います。皆さんはいかがお考えでしょうか?

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『手塚マンガでエコロジー入門』(マンガ+エッセイ 手塚治虫)その4

2020-05-29 05:52:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

「原人イシの物語」(『週刊少年サンデー』1975年10月20日)。
 イシは、作中でも 紹介されているように、1911年にカリフォルニア州で発見され、カリフォルニア大学の人類学者アルフレッド・クローバーとトーマス・ウォータマンらによって研究されました。「イシ」は「インディアン」のヤヒ族の言葉で「人」を意味し、彼のほんとうの名前はわかりません。現代社会から隔絶して原始的な生活を送っていたヤヒ族の最後の生き残りであるイシの半生は、のちにアルフレッド・クローバーの妻シオドーラ・クローバーが、夫の死後に彼の残した記録をもとに『イシ━北米最後の野生インディアン』と少年少女向けに『イシ━二つの世界に生きたインディアンの物語』として本にまとめられました。この本は二冊とも翻訳されて岩波書店から刊行されています。
 イシの物語は、アメリカ大陸に上陸してきた白人たちによる先住民虐殺の悲惨な歴史と共に、現代文明から隔絶し自然と共生しながら生きてきた男の半生から、現代人が失ってしまった強靭な身体能力と鋭い感覚や豊かな感性に気付かされます。

 この本に収められたマンガとエッセイのそれぞれは、宇宙的な視点から地球と人間のいとなみを俯瞰(ふかん)し、自然環境と命の大切さを様々に物語化し文章化した、地球と環境を考えるきっかけとなる作品ばかりです。ここには手塚治虫の地球哲学がしっかりと埋めこまれているといえるでしょう。これらのマンガとエッセイを素材にして、多様な視点からの切り口で、エコロジーについて考えていただけたらと思います。

 次に、手塚さんのエッセイから、いくつかの文章を抜粋させていただこうと思います。

・林の向こうに真っ赤に大きく揺らめきながら沈んでいく夕日や、風のざわめき、青い空に高く流れる白い雲━━そんな自然にふれたとき、たとえ幼くても、ぼくはいつもやさしい気持ちになっている自分を感じていました。大人になったいまだって、それは同じ。きっとみんなそうだろうと思います。

・連載している『ルードウィヒ・B』では、幼い日のベートーヴェンが、いつか耳の聴こえなくなることを予感し、世の中の自然と生き物の音や鳴き声のすばらしさを記憶にとどめようとするシーンを描きました。その時、彼は、ほとんど“神”を感じるほどの感動を、体中を耳にして受けとめているのです。

・四十六億年というとてつもないはるかな時間が、ぼくらの地球の年齢です。しかし、地球上に最初の人類が誕生してからは三百万年しかまだ経っていない。
 つまり、人間なんて、地球の歴史上では新参者(しんざんもの)もいいところということです。それがどういうわけか、いまやわが物顔で、“万物(ばんぶつ)の霊長(れいちょう)”と自賛(じさん)しつつ、欲望のおもむくままに自然を破壊し、動物たちを殺戮(さつりく)しつづけています。

・これからの人類にとって、ほんとうに大切なもの、必要なものは何なのか、じっくり考えてみなければならないギリギリの地点に来てしまっています。

・恐竜は一億数千万年もこの地球上で繁栄した王者だったにもかかわらず、なぜか六千五百年前に絶滅してしまった。
 人類など地球上に現れてから、まだ三百万年でしかないのに、はやくも人類自身ばかりか、地球上の全生命体滅亡か存続かの鍵(かぎ)を握ってる。

・幼いころから生命の大切さ、生物をいたわる心を持つための教育が徹底すれば、子どもをめぐる現在のような悲惨な事態は解消していくだろうと信じます。
 今、ここから始めればいいのです。ただ、繰り返しますが、そのためには“豊かな自然”が残されていなければならない。
 自然というものは人の心を癒(い)やす不思議な力を宿していて、自然こそ、子どもにとっては最高の教師だとぼくは思います。

・ところで、西洋(せいよう)や中国、インドの都市は必ず城壁があって、中の都市空間と周辺の空間とはまったく異質のものだという観念、これは日本にはないと思います。
 中国にも自然は残っています。けれども、その残り方が荒々しい。放っとけ、といったような感じで。だから、中国もこのままどんどん、開発、経済の高度成長を進めていけば、自然は滅びてしまいそうです。
 上海(しゃんはい)周辺、蘇州(そしゅう)などもどんどん木が伐り倒されていますが、問題にはなっていないようです。

・ところで、日本人は匂いに敏感で鼻がよくきくのだそうです。日本人の自然環境に対する情感、感触には、匂いがかなり含まれているのではないでしょうか。
 花々はもちろんのこと、ぼくなどは蝶の匂いというのが、ものすごく好きなのです。かいだこと、ありますか。何と表現したらいいのでしょうか、なんともいえない生き物のいい匂いなのです。

 1日で読んでしまえるほど、面白くて示唆に富んだ本でした!!

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『手塚マンガでエコロジー入門』(マンガ+エッセイ 手塚治虫)その3

2020-05-28 04:49:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

 「ブラック・ジャック ディンゴ」(『週刊少年チャンピオン』1976年5月17日号)。
 この作品では、人間が連れ込んだイヌが野生化する一方で、農薬散布によって変異を起こしたサナダムシの一種が凶暴化し、ディンゴの体内を媒介して、この虫の出す毒素によって人間をショック死させてしまうのです。オーストラリア中の生き物を殺したと作中人物に語らせ、「その人間がつれこんだ犬が野生化して、こんどは人間に死をふりまいているとは、なんという皮肉でしょう」といいます。そして最後のコマで、セスナ機から農薬を散布するのを見ながら、ブラック・ジャックが「人間もバカだ━━それに気づいても、まだやってる」とつぶやくのが印象的です。(中略)

「三つ目がとおる ナゾの浮遊物」(『週刊少年マガジン』1977年1月9日号)
 「三つ目がとおる」の主人公の写楽は、弱虫で泣き虫のいじめられっ子です。目が三つあって、額にある第三の目はふだん絆創膏で隠してありますが、これを取って三つめの目が開くと不思議な超能力を発揮するのです。この作品では、三つ目人たちが生み出した廃棄物を太平洋の深海に沈め、それが謎の浮遊物となって近海にあらわれます。
 日本の高度経済成長は人々の生活様式を変え大量消費・大量廃棄へと変化し、廃棄物の増大とともにゴミの問題が深刻になります。東京都では江東区の夢の島に都内のごみを埋め立てますが、ここでのごみの処理をめぐって、1970年代には東京都内各区の住民の利害が対立して「ゴミ戦争」といわれた諍(いさか)いさえもが起こるのです。三つ目人たちが廃棄したゴミは、そんな時代背景から発想されたゴミ公害に対する問題提起といえます。
 三つ目人たちの文明は、現在の人間と同じように廃棄物を大量に生み出し、それを人工皮革の袋に詰め込んで海へ投棄したと作中で語られています。人工皮革ならぬプラスチック製品による海洋汚染が、いまや世界的な問題とされていて、2018年6月にカナダで開かれたG7サミットで「海洋プラスチック憲章」が発表されましたが、日本はアメリカとともに署名しませんでした。「ナゾの浮遊物」は、まさに今日的な海洋プラスチック汚染の象徴のようにも読み取れます。

「ブラック・ジャック 絵が死んでいる!」(『週刊少年チャンピオン』1975年8月18日号)は、核実験による被ばくの悲劇を描きます。1954年、日本のマグロ漁船の第五福竜丸が、ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験により被爆し、これがきっかけになって原水爆禁止運動が起こります。その後もアメリカは南太平洋で1960年代まで100個以上もの核実験を繰り返します。
 フランスもまた、南太平洋のムルロア環礁などで、66年から74年までに46回の核実験を行い、後にそれが原因で現地住民に甲状腺がんや骨髄性急性白血病が増えていることが報告されました。(中略)
 ゴ・ギャンがブラック・ジャックのところへ治療を頼みに来たとき「先生が前に放射線障害の患者を三人もなおした」といい、シリーズの中で、すでに被ばくを描いた作品がほかにも三作あると作中人物の口を通してほのめかしています。なかでも、「やり直しの家」(1976年)は、広島の原爆で被ばくした大工が、いのちの限りを尽くして家を建てる職人的な執念のすさまじさを描き、ゴ・ギャンの芸術的執念に重なって見えます。いまにして思えば、医師の制止を押し切って、亡くなる直前までマンガを描き続けた手塚治虫の執念を予兆しているようにも読み取れるのです。

「鉄腕アトム ミドロが沼の巻」(『少年』1956年8月号~11月号)
 前世紀、人間のような世界にはびこっていたトカゲが、ある科学者が発明したタイムマシーンで地球に密航し、現代の世界で増殖して、毒液をかけて人間を思いのままに操るという、SF的な作品です。ここでは科学技術の進歩が、逆に人類を破壊に導くというアナロジーを、高度な知性を持ったトカゲに象徴させ、人類もいずれは亡びる運命にあるとトカゲに予言させています。トカゲの毒を浴びた牛たちの大群を止めるために、アトムが「ドライミルク」と書かれた工場の煙突を壊して運ぶ場面があります。1955年8月に、岡山県が森永ドライミルクにヒ素が混入したと発表し、113人の死者と1万人以上の被害者を出した森永ヒ素ミルク事件を想起させます。科学技術の暴走と共に、食の安全や食品添加物の危険性に対する警告のようにも読み取れます。それはエッセイ「アトムの哀しみ」の、技術革新や先端技術が自然や人間性を置き忘れて暴走すれば、人類滅亡の引き金になりかねないとの警告とも重なります。だからこそ「地球の声に耳を傾けるべきだ」と、手塚は力説するのです。

(また明日へ続きます……)

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『手塚マンガでエコロジー入門』(マンガ+エッセイ 手塚治虫)その2

2020-05-27 06:02:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。

「モンモン山が泣いてるよ」(1979年『少年ジャンプ』一月号)の主人公の小学四年生の少年シゲルは、手塚治虫の少年時代を彷彿とさせます。キャラクターが手塚そのものですし、作品末のエッセイでも、“いじめられっこ”だったと自ら述べています。子どもの頃、毎晩お母さんが色々なお話をしてくれ、家の裏にあった林が風に吹かれて大きな音を立てていると、お母さんが「あれは山がモーンモーンと泣いているんだよ」と寝かしつけてくれたことが「モンモン山」のネーミングにつながります。つまり、この作品は、戦時下の少年時代の追憶と、お母さんから聞いたと思われる紋紋山の神社にまつわる白蛇伝説とを発想源にして、戦争に伴う自然破壊と、戦後の宅地造成のために山野が切り崩されていくことの不当性を、「山が泣いている」という自然からの悲痛な声として次世代に伝えているのです。
 1969年に40歳を迎えた手塚は、それまでの半生を描いた自伝的なエッセイ集『ぼくはマンガ家』を毎日新聞社から刊行します。これをきっかけにしたように、翌年には「がちゃぽい一代記」、71年には昆虫採集で通った裏山で脱走兵に遭遇する「ゼフィルス」、73年には戦時下の餓鬼大将との交流を描いた「ゴッドファーザーの息子」、74年には大阪大空襲体験を描いた「紙の砦」を発表するなど、半自伝的な作品をぽつぽつと執筆しはじめます。この作品もそれらにつながる少年体験に重ねて、人の命を奪い自然環境を破壊する戦争の暴力性と、開発による自然破壊を印象的に物語化しています。

「ブラック・ジャック 老人と木」(『週刊少年チャンピオン』1976年5月31日号)。(中略)
 手塚治虫は、大阪大学附属医学専門部を卒業した後、附属病院でインターンを勤め、その間「アトム大使」とそれに続く「鉄腕アトム」を月刊誌『少年』に毎号連載しながら、1952年7月、医師の国家試験に合格しています。つまり、「ブラック・ジャック」は、医師の免許を持っている著者が描いた、無免許にもかかわらず天才的な外科手術の腕を持ち、その驚異的なメスさばきで、つぎつぎと不可能を可能にしていく、それまでになかった異色の医学マンガなのです。無免許で高額な治療費を取るので日本医師連盟から告発されて投獄されたこともある、黒いマントにつつまれた全身傷だらけのブラック・ジャックが誕生するいきさつは、この本に収めたマンガ「友よいずこ」で明かされています。その悲しい過去のため、人一倍生命の尊さを知る人物を主人公にしたこのシリーズは、「いのち」をテーマにしているだけにエコロジーに関わる作品がたくさん描かれています。
 この「老人と木」は、関東大震災で家族をみんな亡くした時、いのちを救ってくれた「ケヤキ太郎」と名付けた大木が、排気ガスや大気汚染で枯れかかり、それが伐採されるのを命がけで阻止しようという老人の物語です。樹齢100年を超えると思われる古木と心を通わせる老人の姿は、作品末のエッセイ「地球は死にかかっている」というメッセージに重なる、現代人への警告のようにも読み取れます。(中略)

 「ブラック・ジャック 友よいずこ」(『週刊少年チャンピオン』1975年11月24日号)は、瀕死のクロオ少年(後のブラック・ジャック)に、移植するための皮膚を提供してくれた混血児タカシくんのその後を探し求める話です。転々と居場所を変えているタカシから、ブラック・ジャック宛に手紙が来て、「きみは医者になって人間を治しているんだね」「ぼくが治そうというのは━━地球だよ」と記されていて、地球環境を守るための自然保護運動グループと共に世界中を駆け巡っていることがわかります。そして、アフリカに原子力基地を造る計画に強く反対し、その抗議行動のさなかに暗殺されてしまうのです。環境問題は、経済はもちろん、政治とも深くかかわっていることを、手塚は鋭く示唆しています。
 アメリカのスリーマイル島で原発事故が起きるのは1979年3月。それがきっかけになってアメリカでの反原発運動が盛んになり、日本でも原発の危険性が周知されるようになります。作中の、アフリカに建設予定の原子力基地がどのようなものかはわかりませんが、スリーマイル島事故の四年近く前に、自然保護団体のメンバーが原子力基地に反対して暗殺されるという設定は、世界的に原発推進で暴利をむさぼる原発マフィアの存在を予知しているかのようで不気味です。そして、核こそが、地球環境破壊の最大の敵であることを暗示しているようです。「地球は生きてるんだ……その地球を治す医師が必要なんだ……さようなら」というタカシの手紙の最後の一行が、読者への強烈なメッセージとなって伝わってきます。

(また明日へ続きます……)

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