gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

イジー・トルンカ監督『天使ガブリエルと鵞鳥夫人』

2010-05-31 19:07:00 | ノンジャンル
 山田宏一さんが本『教養主義!』の中で映画史ベスト50の中に選んでいた、イジー・トルンカ監督の'64年作品『天使ガブリエルと鵞鳥夫人』をビデオで見ました。チェコで作られた人形アニメーションの短編です。
 赤い幕が上がると、ボロをまとった無気味な男が天井から射す光に照らされ、両手を広げて立ち上がります。教会の会衆の見守る中、男は高みから聖絵に向かって指揮を始めると、絵の天使たちが楽し気に動きだしますが、それに怒った男が骨でできた笛を吹き出すと、今度は苦悶の表情を浮かべる人間の絵たちが墜落し始め、割れ目へと吸い込まれていきます。力つきた男の手から落ちた笛は、犬がくわえて隠してしまいます。男が高みから降りて来て奥の部屋へ引き下がると、懺悔室の前に女性が列を成しますが、その様子を隠れ見ていた男は、胸の大きく開いた服を着ていた女性の前に出て行くと、女性の両胸を指差して呪いの声を上げ、彼女らを去らせます。それに替わって、宝石で身を飾り大きく胸を出した色香漂う婦人が現れると、男は懺悔室に彼女を呼び、盛んに何やら囁きますが、婦人は首を振るばかりです。やがて男が天使の絵を指差すと、彼女は初めて首を縦に振り、目を開けると、その後は男の囁きに応じて盛んに首を縦に振るようになります。夜。屋上で愛を交わす猫たち。婦人は窓際に明かりを灯し、ベッドに寝て待っていると、天使に変装した男が窓から入ってきて、婦人は男のなすがままにベッドへと導かれます。翌日婦人は教会の懺悔室を訪れますが、呼んでも男は現れません。彼女の話を聞いた女たちは男が天使に変装して婦人とベッドを共にしたことに気付き、罠を仕掛けます。その夜、男は酒を飲んで自制しようとしますが、誘惑に勝てず、また変装して婦人の部屋を訪れます。男をベッドに誘う婦人。しかしそれを鍵穴から覗いていた婦人の召使いは待機させていた男たちに仮面を被らせた上で武装させ、婦人の部屋にいる男を襲わせます。窓から逃げ、下の運河に落ちる男。それを船に乗って追う仮面の男たち。男は運河に面した部屋に住んでいる老人に匿われますが、老人は金貨を男から脅し取り、翌日仮面を被ると男を騙して町の広場の真ん中に手錠でつなぎ、ラッパを吹いて町の人々を集めます。人の輪から抜け出した老人が仮面を取ると、中から現れたのは、胸の開いた服を男に注意された女性の顔でした。そして赤い幕が下がり、映画は終わります。
 記号に次ぐ記号で息苦しくなるほどの画面の充実ぶりでしたが、人形の動かし方がドラマティックで独特の不思議な空間を形作っていました。直裁的で過激な表現は、フランスで5月革命が起こった'68年の4年前に作られた作品ということもあり、感慨深いものがありました。一見の価値ありだと思います。オススメです。

内田樹『期間限定の思想 「おじさん」的思考2』

2010-05-30 14:39:00 | ノンジャンル
 内田樹さんの'02年作品『期間限定の思想 「おじさん」的思考2』を読みました。関西地方の情報誌『Meets Regional』に毎号連載された文章や、著者のサイトに掲載された文章などを集めた本です。
 なるほどと思ったことは、家族の構成員数が減るほど、家族は解体しやすくなるということ、「ほんとうに成長した女」とは「どこまでいっても人間は他者の支えなしには生きられないこと」を学び知った女であるという指摘、「自立者」というのは堅牢な基盤の上に立っているもののことなどではなく、自分がつかまっているネットワークのうちに、自分の「いるべき場所」を見つけだすことのできる人間だということ、またシステムの中で生きる正しいマナーとは、その「動く座標系」に即して自分の位置を決めるということ、女性を支えてくれる男とは「変化した後の女性」を「変化する前の女性」よりも常に好きだと言ってくれる男性であるという指摘、人間は本来的にモノをくるくる動かすのが好きだという指摘、私たちはたいてい原因と結果を取り違えるという指摘、私たちは無秩序に耐えられない心性を本来的に持っているということ、「君を理解したい」という言葉は女性を優しい気持ちにさせる決め言葉だが、「君を理解した」という言葉は女性を侮辱する言葉であるという指摘、近代ヨーロッパの金利生活者は、16世紀から20世紀初頭までほとんど貨幣価値が変わらなかったので先祖の残した財産の金利で何代にもわたって徒食できたのだという事実、職がないのは自分の責任だと思う人は自力で窮状を脱出する方法を考え、公的支援に頼らないという事実、地べたに座る若者たちは、日常常に監視されているため、地べたに座ることによって一時的にこちらからは見ることができるが、あちらからは直視されない者となることを無意識のうちに選択しているという指摘、人間がその存在をかけて欲望するのは「他者と物語を共有すること」であるという指摘、「物語られた想像的な苦痛」は本人にとって、やがてそのリアリティを失ってしまうという指摘、「今がよければいい」という考え方は未来を消して過去に導き、やがて「『原初の清浄』が『異物の侵入』によって汚され、それによって『本来私に所属するはずであった様々なリソース(資源)が異物によって奪われた‥‥それを『奪回せよ』」という物語へと導かれ、ネオナチなどにつながっていくという指摘、泣きたり、わめいたり、怒鳴ったり、総じて「自分の弱さを担保にして」発言する人間は相手にされなくなる危険を多く持ち、したがって発言しようとする度に場が静まり、皆の注意を引くといった存在になることが望まれるという指摘、マンガといった時、そこには諸星大二郎の『西遊妖猿伝』や岡崎京子、大友克洋も含まれていることを想起し、「幼稚」といったイメージと離れる必要があるという指摘、ユニークであろうとする欲望には、必ずそれを標的とする憎悪が存在するという指摘、一人の人間の中に様々な人格が存在し、それの使い分けをしていくことが可能性が開けるという指摘、壊れやすく守り抜かねばならないものを抱えていると、人は非常に攻撃的になるという指摘などでした。また、 内田さんの本は読んでいて何か縁を感じさせる部分が多々あって、例えば開巻早々デュルケームの『自殺論』に言及されているのですが、私が大学に入ったばかりの頃にこの本についての折原先生の講義を受けていて、今だに印象に残っていることや、幼い頃から多数派に組みしない性格があったことなど、他人とは思えないエピソード満載でした。
 言葉使いが堅く、断定的な物言いに違和感を感じたりもしましたが、気持ちよく読めました。人生に迷っている方には特にオススメのエッセイです。

トッド・ブラウニング監督『フリークス』

2010-05-29 11:04:00 | ノンジャンル
 トッド・ブラウニング監督の'32年作品『フリークス』をDVDで再見しました。
 サーカスのブランコ乗りのクレオは、白木みのる体型のハンスを誘惑し、ハンスと同じ体型で彼の婚約者フリーダを心配させます。やがてクレオは、猛獣使いのビーナスに出ていかれた筋肉男ヘラクレスの恋人となり、遺産があると聞いたハンスを騙して結婚します。「結婚の祝宴」の字幕。クレオはハンスのワインに毒を入れ、仲間の結婚にはしゃぐフリークス(奇形人間)たちの回し飲みする酒が回ってくると、仲間にするなと言って激怒し、フリークスたちを追い出して、残ったヘラクレスとともにハンスを笑い者にして遊びます。毒が回って倒れたハンスを看病するふりして毒を与えるクレオと、それに気付き毒を飲むふりをするハンス。そして彼らの様子を覗き見るフリークスたち。そして復讐の手はずが整った夜。雷雨の中、ハンスの小屋に帰ってきたクレオに証拠をつきつけ、クレオを取り巻くフリークスたち。彼らのことを知り過ぎたとしてビーナスを襲うヘラクレスと、彼女を救おうとする彼女の恋人のフロゾが格闘になりますが、ヘラクレスはフリークスらによって殺されます。そしてフリークスたちによって新たなフリークスとなったクレオは、正気を失って、見物客から恐怖の悲鳴を浴びるのでした。
 小人症の男性、下半身がなく両手で歩く男性、小頭症の女性たち、右半身男・左半身女の人間(これは作り物だと思います)、姉がどもりの男と結婚していて、妹が別の男と婚約するシャム双生児の若い女性、出産するヒゲ女、両腕のない若い女性。ありとあらゆる奇形の人々を見ることができます。ラスト、クレオの悪事を覗く暗い彼らのまなざし、傷ついたヘラクレスを追い詰める、泥の上を体を引きずるフリークスたちなど、忘れがたいイメージに溢れていました。奇形の人々に興味のある方以外にもオススメです。

樋口毅宏『さらば雑司ヶ谷』

2010-05-28 15:18:00 | ノンジャンル
 朝日新聞で紹介されていた、樋口毅浩さんの'09年作品『さらば雑司ヶ谷』を読みました。
 雑司ヶ谷にある宗教法人「泰幸会」の教祖・泰は政財界に隠然たる力を持っています。泰を祖母に持つ太郎は、幼馴染みの京介の不良グループに属していましたが、彼に敵対する芳一が中国に売り飛ばした少女を探すため、京介の頼みで中国へ飛びます。そこで知り合った中国マフィアのボス・閣鉄心に性具とされた太郎は体も心もボロボロされた後、日本への帰国を許されますが、既に京介は芳一に殺されていました。太郎は泰に雑司ヶ谷に降ったゲリラ豪雨の原因を探るよう命じられますが、それは娘を売り飛ばされた黄和平が降らせたものでした。太郎は芳一の手下に襲われて足に銃弾を浴び、入院したところを閣鉄心を急襲され、そこにまた芳一の部隊が襲いかかりますが、何とか脱出に成功し、最後、雑司ヶ谷霊園に皆をおびき出し、黄和平にゲリラ豪雨を降らせて、閣と芳一を倒して、雑司ヶ谷を去るのでした。
 他にも幼馴染みで芳一の私生児を産む雅子や、雅子と京介と太郎をモデルとした小説を書く男、泰の元夫で未だに泰の執事として働く山下などなど、面白いキャラクターにあふれています。が、如何せんピカレスク・ロマンの範疇に収まってしまっていて、あとがきにも書かれてあるように、様々な作品のデクパージュになっているのですが、その影響を受けている作品がどれも(意識的なのか)二流のものばかりなので、今一つインパクトに欠けました。手軽に読めるエンターテイメント小説としてはオススメです。

ロイ・ワード・ベイカー監督『残酷な記念日』

2010-05-27 20:10:00 | ノンジャンル
 山田宏一さんが本『教養主義!』の中で映画史上ベスト50の中に挙げていた、ロイ・ワード・ベイカー監督の'67年のイギリス映画『残酷な記念日』をDVDで見ました。
 未亡人の母(ベティ・デイヴィス)が運営する安売り分譲住宅建設の現場で働く3人兄弟のヘンリー、テリーとトム。母の結婚記念日の日にトムの婚約者のシャーリーがやって来ます。彼女はトムの子を妊娠していて、結婚する前にトムの母に会いに来たのでした。が、母は皮肉屋で息子たちに対して異常に嫉妬深く、そのせいなのかヘンリーは40才前後ながらまだ独身でしかも女性下着フェチ、テリーの妻カレンとは犬猿の仲でカレン夫婦は6人の子供を連れて母の元を離れカナダに移住する計画を進めています。そんな中、両親の結婚記念日を祝う儀式が屋敷で始まりますが、真っ赤なドレスとアイパッチをして現れた母は、カレンからカナダ行きの話を聞くと、様々な手を使ってそれを妨害しようとし、テリーを手許に置いておくため、心臓の悪いカレンを次々に妊娠させようとして、妊娠させるごとに1000ポンドもの金をテリーに渡していたことが明らかになります。また絶対にトムと結婚するというカレンに母は、カレンがコンプレックスを持っている耳の醜さをずばり指摘して結婚など無理だと言い放ちます。片目であることを罵倒したカレンに対し、母は彼女の片目はテリーが幼い頃に過って彼女の目に撃った銃が原因であることを明らかにし、テリーがそのことへの罪悪感から母へ服従を続けていることが分かります。それからも母による妨害工作が次々と行われますが、最後にはテリーとカレン、トムとシャーリーは母を捨てて家を出て行く決心をします。母はテリーの財産没収とカナダ移住阻止のための訴訟手続きを起こし、トムに金を送って懐柔することを決めるのでした。
 色彩の豊かさが目を惹きましたが、画面構成はまさに現在のテレビドラマのように退屈なもので、舞台劇の映画化であることがすぐに分かるほど、登場人物たちにリアリティがありませんでした。ベティ・デイヴィスの目を剥く怪演ぶりと、シャーリー役の可愛い女優さんが見どころかもしれません。舞台劇が好きな方にはオススメかも。