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酒見賢一『後宮小説』

2009-08-31 15:48:00 | ノンジャンル
 総選挙は事前の予想通り民主党の圧勝でした。オバマがアメリカに現れた年に日本にも変革が訪れるのでしょうか?

 さて、「顰蹙文学カフェ」の中で高橋源一郎さんが圧倒的な傑作だと言っていた、酒見賢一さんの'89年作品「後宮小説」を読みました。
 1607年に王が腹上死したと歴史書に書かれている、という書き出しで始まる小説ですが、2ページ目には次のような段落がありました。「この宦官が屈折したインテリだったとする。もっとも宦官は大なり小なり屈折しているのが当然であるが、この場合教養があったことが重要なのである。人為的に非男性となったことに付きまとう劣等感と、帝王の最側近であるというプライド、さらに権勢欲、自己顕示欲など性欲以外の欲望が複雑に天秤に掛けられてゆく。帝王の死のどさくさに宮廷勢力を拡大しようなどという大望を抱く度胸のない、比較的欲の寡(すくな)い宦官がもしかしたら自分の名前で後世にまで伝わるのではないかなどと考えたりする。彼はそのささやかな歴史的野望のために日記を付けていたりする。そんな習慣がなかったとしても、今日からとりあえず文章を作成する事にする。」‥‥。
 ここまで読んで先を読む気をなくしました。文体が受け付けないというのが最大の理由ですが、後の方を流し読みして、今回もやはり歴史小説の壁に突き当たったことを再認識しました。長々とした状況説明についていけません。世の中には歴史小説が大好きという人もいるのですから、これはもう嗜好というしかないでしょう。ということで、歴史小説が好きな方にはオススメです。

リドリー・スコット監督『エイリアン ディレクターズ・カット』

2009-08-30 15:05:00 | ノンジャンル
 今日は午前11時前に総選挙の投票に行ってきましたが、駐車場は満車で投票所の入り口には列ができていました。今までこんな光景に出会ったことはありません。投票率が楽しみです。また、朝日新聞の朝刊には一票の格差現状維持の判決を出した最高裁判官に対する罷免投票を国民審査で行うよう呼び掛ける広告が掲載されていました。こうした動きは国民運動として今後一緒に盛り上げていきたいと思う所存です。

 さて、WOWOWで、リドリー・スコット監督の'03年作品「エイリアン ディレクターズ・カット」を見ました。
 宇宙貨物船で地球に帰還途中に乗組員たちが目覚めると、船は正体不明の信号をキャッチして航路を変更しています。小惑星に着陸し、風が咆哮する中、3人が探索に出かけると、異星人の宇宙船を発見し、その中にあった、信号を送っていた異星人の化石の腹には何かが飛び出した痕があります。ケイン(ジョン・ハート)は卵らしきものから飛び出した生き物が顔に貼り付き意識を失います。リプリー(シガニー・ウィーヴァー)は異生物と一緒にケインを宇宙船に入れることを拒みますが、科学担当のアッシュが勝手に入れてしまいます。アッシュらが生物をケインから引き剥がそうとしますが、生物の体液は猛烈な酸なので手が出せません。すると気付かぬうちに生物は顔から剥がれて死に、しばらくしてケインは意識を回復させたので快気祝をしていると、ケインは突然苦しみだし、腹から深海魚のような化け物が飛び出します。それを追ううちに、巨大化した異生物によって乗組員が一人また一人と殺されていき、乗組員を犠牲にしても異生物の標本を持ち帰る密命をアッシュが会社から受けていること、そして彼がロボットであることが判明します。とうとう一人残されたリプリーは救命艇で脱出し本船を爆破しますが、異生物は救命艇にまで乗り込んでいました。リプリーはハッチを全開して空気とともに異生物を船外へ放出し、救命艇にしがみつく異生物をロケットを噴出させて宇宙空間に捨て去るのでした。
 もう古典ともなっている宇宙恐怖映画ですが、久しぶりに見てジェリー・ゴールドスミスの音楽が素晴らしいことに気付きました。大学生の時に文芸座で見た時の衝撃が今だに思い出されますが、今見ても映画は少しも古びていないと思います。ディレクターズ・カットでは、リプリーが本船の爆破装置のスイッチを押した後、船長らが生き餌となって捕らえられて「殺してくれ」と懇願しているところに行き当たり、彼らを焼き殺してあげるシーンが加えられていましたが、このシーンはなかった方が映画の流れが止まらなくてよかったように思いました。とにかく何度見ても楽しめる映画です。オススメです。

ポール・オースター編『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』

2009-08-29 16:08:00 | ノンジャンル
 ポール・オースター編集の'01年作品「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」を読みました。オースターがラジオ局「NPR」にレギュラー出演して毎回ショートストーリーを読んでほしいと依頼された時、オースターの妻の助言で聴取者から事実の話を募集し、4000以上集まった話のすべてをオースターが読んで選び出した179の話が収められています。
 「動物」「物」「家族」「スラプスティック」「見知らぬ隣人」「戦争」「愛」「死」「夢」「瞑想」の章に分かれていて、偶然の一致、残酷な話、明らかな作り話、不思議な話、笑えないジョーク、様々な経験や単なるエッセイなどが集められています。面白いと思ったのは、自殺現場の処理を終わった後、体が死臭で臭うことを自殺者の娘から罵倒された犯行現場清掃業者の話、物をすぐに無くす癖を持ち、新たに買った帽子を無くしてコートだけを着て父の前でファッションショーをしていると、道に落ちていた帽子を拾っていた父に平手打ちされた女性の話、余りにも貧乏で家族間のプレゼントを買う金もなかった時、弟が密かに家族の物を盗み、それをプレゼントとしてクリスマスの時に披露した話、「プリースト判事」を思わせる、20世紀前半ののどかな田舎の屋外パーティの様子を語った話などです。
 運命的な偶然の一致といった話が多く、不思議な体験の話も多かったのは、アメリカが宗教大国だからでしょうか? スタッズ・ターケル並みの質を期待していたので、少しガッカリしました。(正直に言うと、中盤以降は飛ばし読みしました。)所詮素人の作品ということなのでしょうか? ちょっと物足りないO・ヘンリーの短編を読みたい方にはオススメです。

ジャック・ベッケル監督『エドワールとキャロリーヌ』

2009-08-28 21:33:00 | ノンジャンル
 ジャック・ベッケル監督の'51年作品「エドワールとキャロリーヌ」をビデオで再見しました。
 無名のピアニスト・エドワール(ダニエル・ジェラン)とその妻キャロリーヌ(アンヌ・ヴェルノン)は、叔父が名士たちを集めてエドワールのために開いてくれた夜会のための準備におおわらわです。辞書がきちんと本棚に戻してないことを注意したエドワールが花を買いに行こうとすると、キャロリーヌは何度もキスした後背中を蹴飛ばします。エドワールが出て行った後、キャロリーヌはドレスを試着して鏡に全身を写すため、辞書を踏み台にします。エドワールが戻ってきた後、キャロリーヌはファッション雑誌の中に鋏でドレスを切る最新ファッションを見つけて狂喜し踊りだし、エドワールは気違いの女と結婚しちゃったと冗談を言います。そのうちエドワールはチョッキがないことに気付き、二人で探しますが見つかりません。兵役の休暇中の甥にピアノを聞かせてほしいという大家にエドワールが演奏している間に、キャロリーヌは叔父に電話し、いとこのアランにチョッキを貸してもらえることになります。アランを毛嫌いしているエドワールは抵抗しますが、キャロリーヌがチョッキは汚かったので捨てたと言うと諦め、いとこの所へ向かいます。キャロリーヌはその間にドレスに鋏を入れ足元が見えるように前を短くしてしまいますが、帰ってきたエドワールはそれを見て怒り狂い、罵声を上げたキャロリーヌを平手打ちしてしまいます。彼女は激昂して離婚すると言い出し泣き伏せってしまったので、エドワールは一人で夜会に出かけます。二人が夜会になかなか現れないので、アランが電話すると、それに出たキャロリーヌは罵声を浴びせて離婚すると一方的に言って電話を切ります。夜会に現れたエドワールと入れ替わりにアランはキャロリーヌの元へ急ぎ、荷造りしていた彼女に迫ると、彼女は彼を避けるために夜会に出かけることにします。夜会でエドワールは自分に親切にしてくれた女性(エリナ・ラブールデッド)に尋ねると、その女性は愛する夫に平手打ちされたらやはり離婚すると答え、エドワールは女性はそういうものなのだと納得します。演奏が始まり、柱時計が途中で鳴り始めたのにもめげずに1曲弾き終わりますが、妻のことが心配だと言ってそのまま帰ろうとします。叔父は引き止めますが、主賓の女性が妻思いのエドワールを擁護する演説を始め、客一人一人に紹介してから彼を帰そうとすると、そこへキャロリーヌがアランと現れます。主賓の女性がいたたまれなくなって帰り、キャロリーヌはエドワールと二人きりになると新ためて離婚を切り出しますが、エドワールはあっさり同意します。彼の演奏を買っていたアメリカ人の客に促されて再度演奏を始めますが、ワインの飲み過ぎか途中でつかえてしまい、彼はそのまま退席します。叔父はキャロリーヌにやはり彼はダメな奴だと言うと、キャロリーヌはうなだれ、皆が楽しそうに踊っている中、彼女はその場を去ります。エドワールが家に帰るとアメリカ人から電話でコンサートを開こうと言われ、喜んでいるところにキャロリーヌが帰ってきます。もう遅くなったので今晩だけ同じ部屋で過ごしてほしいという彼女に、彼は最後の夜に思い出を作ろうと迫り、彼女は逃げ回りますが、そこへまたアメリカ人から電話があり、明日早速会おうと言われると、その電話の内容を聞きたがるキャロリーヌにエドワールは話は後でと言い、二人は熱い口づけを交わすのでした。
 前回見た時は日本語の字幕スーパーがなかったので、今回の感動は格別でした。特にラストシーンのアンヌ・ヴェルノンのまなざしは映画史に残る素晴らしさでしょう。思わず涙ぐんでしまいました。「シェルブールの雨傘」の母親を演じたアンヌ・ヴェルノンと、「ブローニュの森の貴婦人たち」に主演したエリナ・ラブールデッドが共演した作品としても記憶に残るものだと思います。映画好きの方には文句無しにオススメです。

舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる。』

2009-08-27 15:53:00 | ノンジャンル
 山田詠美さんと高橋源一郎さんが「顰蹙文学カフェ」の中で言及していた、舞城王太郎さんの'04年作品「好き好き大好き超愛してる。」を読みました。2編の中編とイラストが収められています。
 「好き好き大好き超愛してる。」は、増殖する虫に体を蝕まれている恋人と、その虫を発光させるようにした天井を歩く少女の話、癌で死んだ恋人に最後まで付き添った話、夢と現実の間を行き来する話、人間を石や草に変えてしまう神と戦う、イヴと呼ばれる少女たちと、それを操るアダムと呼ばれる青年たちの話からなっています。「ドリルホール・イン・マイ・ブレイン」は、母の浮気相手にドライバーを頭に突き刺されて穴が開いた時から、過去の記憶の中に自分と別の人格の、地球を救うために様々な敵と戦う少年が現れますが、その少年はユニコーンの角を持つ彼女に角を自分の穴に入れてもらって快感を得ていて、やがて快感を得ることに夢中になり地球を救うことなどどうでもよくなってしまうという話です。
 詠美さんらが対談で言っていた、文学賞の審査員に反発を与える擬音語、擬態語というのは、例えばギャボーンとか、すへすへ(すべすべの代わりに)とか、ニニョウム(マンションのチャイム音)とか、ズンモリズンモリ(砂を歩く音)など、それほど気になるものではなく、出現頻度も短編に数回程度で目立つものではありませんでした。それよりも全編独白というスタイルの方がひどく特徴的で、偏執狂的な書き方も好みの分かれるところかもしれません。私は「ドリル~」では、自慰について延々と書いている部分で辟易して、それから先を飛ばし読みしてしまいました。独白スタイルの小説が好きな方にはオススメです。