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アルフレッド・ヒッチコック監督『間違えられた男』

2022-07-31 07:09:20 | 日記
 アルフレッド・ヒッチコック監督、ロバート・バークス撮影、バーナード・ハーマン音楽の1956年作品『間違えられた男』をNHK・BSプレミアムで再見しました。
 サイト「映画ウォッチ」の「ネタバレあらすじ」に加筆修正させていただくと、
「逆光の中に現れたヒッチコック。「私はアルフレッド・ヒッチコック。今まで多くのサスペンス映画をお送りしてきた。だが今回は少し違う。異は事実にあり。これは実際にあった物語である。私が今までに作ったどの恐怖映画より異なる事があるのだ」。
「1953年1月14日早朝。この日をクリストファー・マニファー・バレストレロは決して忘れることはない」の字幕。高級ナイトクラブの楽団でベースを弾くマニー(ヘンリー・フォンダ)は、借金返済に追われながらも妻ローズ(ヴェラ・マイルズ)と幼い息子2人の家族4人で幸せに暮らしていた。ある日、マニーはローズの歯の治療費300ドルを工面するため、加入している保険を担保に融資を受けようと保険会社を訪れる。ところが窓口で対応にあたった女性社員がマニーの顔を見るなり、かつて2度も押し入った強盗が再びやってきた、と上司に報告して警察に通報、マニーはわけがわからないまま警察に連行されてしまう。
 取調べの場で強盗の容疑がかけられていることを知ったマニーはひたすら身の潔白を主張するが、目撃証言や借金があること、さらには犯人が残したメモと筆跡を比べた際に犯人と同じ綴り間違いをしたことから逮捕、拘留されてしまう。翌日、裁判所の冒頭手続きを経て刑務所へ送られるが、マニーの姉夫婦が保釈金7500ドルを肩代わりしたおかげでとりあえず家に帰ることができた。夫の無実を信じるローズは弁護士オコーナー(アンソニー・クエイル)に弁護を依頼、事件当日のアリバイを確認すると、強盗があった2日のうちの1日は郊外に旅行へ出かけていて、同じ宿の宿泊客3人とカードをしていたことを思い出す。その3人のうち2人の身元が判明したため、アリバイ証言の協力を得ようと訪れるが、2人とも既に死亡していた。無実を証明できる手立てを失ったことで絶望したローズは次第に精神に異常をきたし、ついには施設に入所する。
 裁判が始まり、不利な状況が続く中でマニーの精神状態も限界に達しようとしていた。そんなおり、食料品店に押し入った強盗が逮捕される。取調べによってその男が保険会社の強盗犯であることが判明、マニーがその男と酷似していたための冤罪であることが明らかとなった。自由の身となったマニーはローズの元を訪れて事件の解決を告げるが、心に受けた傷は深く、以前の明るい笑顔を見ることはできなかった。それでも一家は長い時間をかけて、かつての穏やかな生活をとりもどしていく。最後に「2年後、ローズは全快して退院し、現在一家はマイアミで幸せに暮らしている。悪夢は終わった。だが事実は起ったのだ」の字幕をもって映画は終わる」。

 1ショットとして無駄のない、素晴らしい映画でした。また私が大好きなヴェラ・マイルズの代表作でもありました。

アルフレッド・ヒッチコック監督『知りすぎていた男』

2022-07-30 08:54:16 | 日記
 アルフレッド・ヒッチコック監督、ロバート・バークス撮影、バーナード・ハーマン音楽の1956年作品『知りすぎていた男』をNHK・BSプレミアムで再見しました。
 サイト「映画ウォッチ」の「あらすじネタバレ」を一部加筆修正させていただくと、
「舞台はフランス領のモロッコ。アメリカ人医師ベン・マッケンナ(ジェームズ・スチュアート)は、元ミュージカルスターの妻ジョー・マッケンナ(ドリス・デイ)と息子ハンク・マッケンナとともに旅行中でした。一家はバスの中でルイ・ベルナールというフランス人と知り合います。夫妻はベルナールと夕食の約束をしますが、質問の多いベルナールにジョーは不信感を抱きます。
 その夜、ホテルの部屋ではジョーとハンクが「ケ・セラ・セラ」を歌いながら支度を整えていました。ベンはベルナールと会話を楽しんでいます。そのとき、夫妻の部屋を見知らぬ男が訪ねて来ました。部屋を間違えたと去っていく男を見て、ベルナールも突然部屋を出ていきます。夫妻は入店したアラビア料理店で、イギリス人のドレイトン夫妻と親しくなります。そこへ女性を連れたベルナールが来店。マッケンナ夫妻は不快に思い、ベルナールへの不信感を強くします。
 翌日、マッケンナ一家はドレイトン夫妻と市場を観光します。そんな彼らの前に突然背中を刺された瀕死の男が現れました。その男はなんとアラブ人に変装したベルナール。彼はロンドンで政治家が暗殺されると呟き、「アンブローズ・チャペル」という謎の言葉をベンに託して死亡します。マッケンナ夫妻はハンクをルーシー・ドレイトンに任せ警察の事情聴取を受けることに。そこでベルナールの正体はスパイだと聞かされます。事情聴取の最中、ベンに電話がかかってきます。電話口の男は、ベルナールの言葉を他言すればハンクに危険が及ぶと脅します。ベンは同行していたエドワード・ドレイトンに、先にホテルに帰って様子を見るよう頼みます。その後マッケンナ夫妻も遅れてホテルに戻りますが、ハンクの姿はありません。ハンクは人質としてドレイトン夫妻に誘拐されてしまったのです。ドレイトン夫妻こそ、ベルナールが探っていた暗殺計画の関係者だったのです。マッケンナ夫妻はハンクを取り戻すためロンドンへ向かいます。
 舞台をロンドンに移し、夫妻はハンク奪還のため動きはじめます。暗殺の情報を話すよう警察に迫られますが、ハンクの安全を第一に考え口を噤みます。最初ベンはアンブローズ・チャペルという名前の男に会いに行きますが、散々な目に遭い、一方、ジョーは「アンブローズ・チャペル」が建物の名前だと気づき、ベンとともにアンブローズ教会に乗り込みます。ドレイトンは教会で暗殺計画を練っていました。ドレイトンは暗殺者を雇い、アルバート・ホールで行われる演奏会の最中にシンバルの音が響くときにターゲットを殺害するよう指示します。ハンクは別室に捕らえられていました。ジョーは警察を呼びますが警察は頼りにならず、一人立ち向かったベンも返り討ちに遭い気絶してしまいます。再び連れ去られるハンク。ジョーは入国直後に話した警官に会うため、彼が要人警護をしているアルバート・ホールへ向かいます。
 アルバート・ホールに到着したジョーの前に、モロッコのホテルで部屋を訪ねて来た男が現れます。この男こそドレイトンに雇われた殺し屋でした。やがて始まった演奏会。ジョーが見上げるボックス席には殺し屋が、その正面には某国首相の姿がありました。遅れてやって来たベンに首相が暗殺されると説明するジョー。ベンは暗殺を阻止するため2階に駆け上がります。ジョーが恐慌状態で見上げたボックス席から覗いた銃口は、首相を狙っていました。ジョーは思わず悲鳴をあげます。その悲鳴で結果的に弾丸は首相の急所を外れました。暗殺に失敗した男は逃走中に転落死。さらにハンクがドレイトン夫妻と某国大使館にいるという情報が入ります。暗殺計画の黒幕は某国の駐英大使だったのです。そこで夫妻は先ほど助けた首相を頼り大使館に入ります。歌を頼まれたジョーは、高らかに「ケ・セラ・セラ」を歌い上げます。すると合わせるような口笛が大使館に響きました。夫妻はハンクがいることを確信、音を頼りにベンがついにハンクを見つけ出します。しかし殺し屋に見つかり、逃走を助けるよう命じられます。隙をついて殺し屋を階段から突き落とすベン。その騒ぎで集まった人をかいくぐり、ベンはハンクと一緒にジョーのもとへ走ります。親子はようやく再会を果たし、この映画も終わりを告げます。」

 撮影をロバート・バークス、音楽をバーナード・ハーマンが担当するというヒッチコックが一番充実していた頃の映画で、画面のひとつひとつがしっかりと作られていました。

アルフレッド・ヒッチコック監督『私は告白する』

2022-07-29 04:57:03 | 日記
 先日の新聞で映画監督のボブ・ラファエルソンさんの訃報が報じられていました。彼の作品『郵便配達は2度ベルを鳴らす』のハイキーのショット、台所でのセックスシーンはかなり鮮明に覚えています。改めてご冥福をお祈り申し上げます。

 さて、アルフレッド・ヒッチコック監督、ロバート・バークス撮影の1953年作品『私は告白する』をNHK・BSプレミアムで観ました。
 サイト「映画ウォッチ」の「ネタバレあらすじ」に一部加筆修正させていただくと、
「ヨーロッパ的な重厚な町並みを見せるカナダのケベック。その下町で殺人事件が起き、現場を犯人が立ち去ります。やがてまっすぐその男が向かったのがカトリックの教会。男はそこで下男をしているオットー・ケラーでした。教会を預かるローガン神父(モンゴメリー・クリフト)と会ったケラーは、自分が殺人を犯してきたことを告白。被害者は悪徳弁護士のヴィレットで、ケラーは彼のところでも庭師として働いていました。貧しい彼は金を無理矢理盗もうとして、つい抵抗する弁護士を手にかけたのです。ケラーは殺人の告白をしたことを妻にも告げます。妻は神父が警察に知らせることを心配しますが、ケラーはそれは杞憂だと妻を安心させます。カトリックの神父には懺悔について秘匿する義務があり、それを破れば自分も罪を犯す事になるからです。
 警察の捜査が始まり、目撃者の若い女の子2人が見つかります。彼女たちの証言で、現場から立ち去った男は僧衣を着ていたことが分かり、ローガン神父が容疑者と見なされます。しかし、彼はその夜のアリバイを述べることを拒否。というのも、国会議員の妻であるルース(アン・バクスター)という女性に迷惑が及ぶことを恐れたからです。ローガンは僧籍に入る前に彼女と恋人関係にありました。そして犯行の夜に2人が会うことになったのは、偶然、弁護士のヴィレットの事が関わっていたのです。2人の過去の関係についてヴィレットが嗅ぎつけ、それを暴露すると脅迫行為に及んでいたため、その対処について相談するためでした。自分たちが潔白であることを示すためにルースはわざわざ事情の一切を警察に述べましたが、これが仇となります。ヴィレット殺害の動機もあるとしてローガンは逮捕。ケラーのことを告げれば釈放されますが、神父という立場上、それは出来ません。苦悩するローガン。幸い、裁判の結果証拠不十分で無罪となります。
 しかし世間は彼を有罪とみなし、教会を辞めろという圧力も強まります。それを見ていたケラーの妻は真実を告げようとしますが、夫の手によって殺害されます。調査をすすめる警察はようやくケラーを容疑者と見なし、ローガンとともに彼のいるホテルへ。そして自首しろというローガンの説得にも耳を貸さず、ケラーは警官に撃たれてしまうのでした。」

 モンゴメリー・クリフトの苦悩に満ちた表情が印象的な映画でした。

ジョン・フォード監督『アパッチ砦』

2022-07-28 07:13:54 | 日記
 ジョン・フォード監督の1948年作品『アパッチ砦』をNHK・BSプレミアムで再見しました。
 サイト「映画ウォッチ」の「ネタバレあらすじ」に加筆修正させていただくと、
「舞台は南北戦争後のアメリカ、サースデイ中佐(ヘンリー・フォンダ)は人事異動で先住民族との抗争が絶えない前線の砦の指揮官として赴任することになる。中佐は娘フィラデルフィア(シャーリー・テンプル)と共に任務地であるアパッチ砦へと向かう。中継地点でアパッチ砦との連絡が取れないことを知る中佐。しかし偶然、同じ砦に向かうマイケル・オローク少尉(ジョン・エイガー)と出会う。オローク少尉の任官は以前より決まっておりアパッチ砦からの迎えもあった。上官であるサースデイは自身の迎えはないのかと憤慨するが、オロークのお蔭で、その日のうちにサースデイ達はアパッチ砦に到着することが出来た。
 着任後、サースデイは引継ぎ処理に追われる。もともと砦の前任者だったコリングウッド大尉(ジョージ・オブライエン)とは懇意の仲であり引継ぎ自体は問題なく終わった。一方マイケルはアパッチ砦に住む両親と久しぶりの再会を果たした。マイケルの父オローク軍曹(ワード・ボンド)は古参の下士官であり他の下士官とともに砦の要といえる存在だった。
 その翌日、マイケルは砦関係者への挨拶回りでフィラデルフィアと再会する。
 挨拶回りでサースデイのもとを訪れたマイケルは娘のフィラデルフィアに気に入られる。またマイケルのほうも美しいフィラデルフィアに好意を持ったようだった。砦での生活はのどかなものだったが先住民族の脅威を考えれば何一つ怠ることはできなかった。しかしこの地は他の地域と比べてあまり強いとはいえないアパッチ族の領域であり襲撃があると本気で考えているわけではなかった。コリングウッド達前任者はアパッチ族が十分な脅威であることを知っていたが、これまでの戦績からサーズデイに説明しあぐねていた。
 そんな中フィラデルフィアと遠乗りに出かけたマイケルは電信用の電線が破壊されているのを発見し、また修理に出かけたはずの兵の焼死体も見つけ、フィラデルフィアの安全を考慮しすぐに砦へと帰還した。
 電線の破壊と修理係の死亡を報告されたサースデイはマイケルに対し娘を外に連れ出したことを咎めながらも対策を練る。マイケルと他3名に電線修理に向かうよう命令を下すサースデイ。またサースデイ自身は小隊を率いてマイケルの後を少し離れて進んでいく。マイケル達は破壊された現場に到達するが、そこで先住民の待ち伏せに遭う。
 待ち伏せを受けたマイケル達は全速で逃走を開始。しばらくの逃走劇のあと、マイケル達の前に小隊を率いるサースデイが現われ、先住民らへ突撃しその戦いは終わる。
 比較的温厚だった先住民達が何故襲撃してきたのかを探るサースデイは連発銃や酒を先住民に売りつけていたミーチャム(グラント・ウェザース)という男に行き着く。先住民達は政府が派遣した役人ミーチャムのところから連発銃や酒を仕入れていた。ミーチャムを捕えたサースデイは部下のヨーク大尉(ジョン・ウェイン)から先住民側の有力者コチーズと話すことを提案される。ヨーク大尉は通訳を一人連れ先住民の拠点へと馬をとばす。ヨーク大尉が旅に出て数日、マイケルとフィラデルフィアはサースデイに結婚したいことを告げますが父としてそれを一蹴される。
 そんな折、下士官を集めたダンスパーティーが開かれることになります。盛大なパーティーだったが、途中で帰還したヨーク大尉の報告によりお開きとなる。話し合いにより解決する約束をとりつけたヨーク大尉の前でサースデイは連隊全軍を召集、コチーズ一族を強襲すると言い出す。
 連隊を引き連れ出撃したサースデイ中佐でしたが約束の場所には4倍の兵力の先住民族が既に陣を張っていた。サースデイはヨーク大尉に約束通りの交渉を申し込むように命じる。当初、戦争に否定的だったアパッチ族を怒らせたのはアメリカ政府が送り込んだミーチャムだった。ミーチャムを退去させなければ戦争も辞さないと告げるコチーズ族長。しかしサースデイはミーチャムの処遇は政府管轄であり自分ではどうにもならず話し合いでの解決は決裂と判断、アパッチ族が居留地に帰らないならば攻撃すると突っ放す。それゆえヨーク大尉の進言を無視、大尉は後方送りにされます。
 翌日、サースデイは無謀な突撃を敢行、その結果はアパッチ族の勝利で終わったが、マイケルは戦闘前にヨーク大尉の采配で後方部隊へ行っていた為助かった。サースデイ中佐は最期まで指揮を執り続けましたがアパッチ族の突撃により戦死。マイケルはフィラデルフィアと結婚。ヨーク大尉もまた連隊指揮官となったのだった。」

 ヘンリー・フォンダの陰険さが印象的で、これだけ多くの馬を一斉に見ることができる映画としても珍しいと思いました。

斎藤美奈子さんのコラムその120&前川喜平さんのコラムその81

2022-07-27 05:07:52 | 日記
 恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず7月20日に掲載された「取り残される国」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「2022年のジェンダーキャップ指数が発表になった。日本は146カ国中116位。昨年の120位からわずかに順位は上がったものの、これは調査対象国が10カ国減った影響で、平等度を示すスコア(1に近いほど平等)は0.656から0.650に下降。実質的には後退である。
 日本の順位だけに目がいきがちだけれど、このランキングは全体を見たほうが学ぶ点が多い。
 まず、お隣の韓国との比較である。韓国は日本と並ぶ男女不平等国で、依然は日本より下位だった。が、19年に108位に順位を上げ、121位に沈んだ日本を抜き去った。以後徐々に水をあけられ、今年の順位は99位。国会議員の比例名簿を男女半々にするクオータ制(04年から導入)を随時強化するなどの政策が効いたのではないかと考えられる。
 上位国に目をやると、6位のルワンダ、7位のニカラグア、8位のナミビアが目を引く。アフリカや中南米の国々は近年特に政治分野でのジェンダー平等政策ういつに積極的に取り組んでおり、トップ10入りの三国は北欧諸国に続く上位の常連国。スコアは0.8超だ。
 G7で最下位どころか世界全体の潮流に取り残されている日本。先の参院選では立憲・共産両党が候補者・当選者ともに女性が五割を超えたものの、与党は相変わらずである。首相はやる気あるのかな。」

 また、7月24日に掲載された「旧統一教会と政治家の癒着」と題された前川さんのコラム。
「安倍元首相銃撃事件をきっかけに、旧統一教会と政治家の癒着の実態が次々と明るみに出ている。中でも諸官庁トップの文部科学相と旧統一教会との関係は問題だ。
 末松信介文科相は、旧統一教会にメッセージを送ったことやパーティー券を買ってもらったことを認めながら「何らやましいことは一切ない」と開き直った。諸官庁だという自覚が欠如している。即刻辞任すべきだ。
 旧統一教会の名称の「世界基督統一神霊協会」から「世界平和統一家庭連合」への変更の認証申請は、僕が文化庁宗務課長だった1997年以来受理しなかった。
 ところが下村博文氏が文科相だった2015年に突然受理、認証した。このような方針変更は、前例踏襲を常とする官僚だけでは起きない。下村氏は、事前と事後に報告を受けたことは認めたのに、認証は文化部長の判断によるもので、自分は「全く関わっていない」と説明する。そんなことはあり得ない。文化庁は事前に大臣の指示を仰ぎ、支持どおり処理したことを事後に報告したということだ。
 明覚寺や法の華三法行のように、霊感商法が詐欺罪で摘発され、解散を命じられた宗教法人はある。現在も被害者を生んでいる旧統一教会がなぜ摘発されないのか。旧統一教会と癒着した政治家がそれを阻んできたのだとしたら大問題だ。」

 そして、7月27日に掲載された「描かれた宗教2世」と題された斎藤さんのコラム。
「安倍元首相を銃撃した容疑者は母が熱心な世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の信者で、教団に強い恨みを抱いていたと報道されている。
 宗教2世の問題は小説でも描かれてきた。一昨年蘆田愛菜の主演で映画化された今村夏子『星の子』は、両親が「あやしい宗教」にハマった中学生の物語である。
 もっと強烈なのは村上春樹『1Q84』だ。この小説の主人公のひとり青豆は両親が「証人会」という宗教団体に属し、彼女も禁欲的な生活を強いられ、兄とともに会の一員として布教活動に参加させられていた。それがもとでいじめにあい、自らの境遇に耐えられなくなった彼女は十一歳で親と決別している。
 ところで、スポーツインストラクターとして働いている現在の青豆の裏の顔は暗殺者である。彼女は殺害する相手はDVや性暴力の加害者で、過去の体験との間に一見因果関係はない。しかし暴力をもって暴力を制することを選んだ彼女の人格形成に、子どものころのカルト宗教体験が暗い影を落としていることも否めないのだ。
 創作は創作、現実は現実。両者を安易に混同すべきではないだろう。ただ、二作があぶりだすのは、親が信じるカルト宗教に巻きこまれた子どもは児童虐待の被害者に近く、時には成人後も左右するという現実である。その観点で再読をすすめたい。」

 どれも一読に値する文章です。