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前原氏の人生、および今回の衆院選について

2017-09-30 00:28:00 | ノンジャンル
 9月29日の東京新聞のコラムで、佐藤優さんが前原元民進党代表の人生に触れる文章を書いていましたので、ここに全文を引用させていただきたいと思います。
「民進党の前原誠司代表が経済・社会政策を変容させていく過程を筆者は間近で見ていた。前原氏は慶応大学の井手英策教授が中心となり二年間行われた少人数の勉強会に筆者も参加し、その結果は三人の共著『分断社会ニッポン』(朝日新書、2016年)で公表されている。
 ところで、安倍晋三首相は25日の記者会見で、〈19年10月に予定通り消費税率を10%に引き上げた上で、増収分の使い道を変え、約2兆円を国の借金返済から幼児教育無償化『子育て世代への投資拡充』に振り向けると説明した〉(26日日本紙朝刊)。
 何人かの新聞記者と週刊誌記者から電話がかかってきて『あれは前原さんの政策のパクりじゃないか』と筆者の意見を求められた。これに対して筆者はこんな答えをしている。『パクリか偶然の一致かは、僕にもよくわからない。前原さんは中学生の時、お父さんが自殺し、母子家庭で経済的には苦労した。高校大学も奨学金を得て、大学時代はバイト代のいい早朝の魚市場で働いた。井手氏と出会い、意見交換を重ねる中で、前原氏は現下日本社会では自分と同じ境遇の子どもがまともな教育を受けるのは不可能だと認識するようになった。それが今回の政策転換につながった。前原さんの政策には彼の人生が反映されている。血の通った政策だ』。」

 うちの母は前原さんのファンで、京都出身という点でも惹かれているようですが、こんなに苦労して勉学してきた人だとは私も知りませんでした。菅直人さんが新人議員の時、選挙資金を集めるため、古新聞を回収する仕事をスタッフとともにしていたという有名な話がありますが、二世議員の多い自民党の議員に比べて、野党は草の根運動から志を持って政治家になった人が多いように思います。私の選挙区の民進党議員だった後藤祐一さんは国会に於いて一番多く質問、および法案提出・修正案を行なっていることで有名ですが、彼も公立の厚木高校を出た後、国立の東京大学法学部に入学し、卒業後は通商産業省に入省し、スタンフォード大学アジアパシフィックリサーチセンター客員研究員、カナダ政府外務国際貿易省交換職員を経て、経産相改革派官僚としての仕事をし、その後、一回の落選を経て、国会議員になったという経歴の持ち主で、やはり志があって政治家になった人で、私は彼の隠れファンです。
 二世議員の多い自民党と、志をもって政治家を目指した人が多い野党の人々、どちらかを選べと言われれば、私は文句なしに後者を選びます。
また、希望の党が「寛容な保守政党」と銘打って、「安保法制に反対した人は公認しない」と小池百合子さんは言っていますが、ならば安保法制を白紙撤回させたい人々は社民連、共産党、そしてもしかしたら自由党、それに有志が作る第三の勢力、「寛容なリベラル政党」を立ち上げて、そこで闘えば、多人数区や比例区で一定の票を確保することができると思います。自民・公明勢力、希望の党勢力、リベラル勢力の3すくみとして選挙を戦えば、おそらく自民・公明勢力は惨敗し、希望の党勢力が第一党、リベラル勢力もそれなりの当選者を出し、第二党、もしくは第三党になれると思います。リベラル勢力を作るため、まず民進党の中でもリベラルだった人たち、そして社民連と共産党、自由党が選挙協力の協議に入ってくれること、つまり小沢さんがこれまで言ってきた“オリーブの木”構想の実現を切に願う今日この頃です。

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芥川龍之介『侏儒の言葉』その3

2017-09-29 06:31:00 | ノンジャンル
 日本のマスコミは衆議院選挙の話題で盛り上がっていますが、国外に目を移すと、クルド族の独立宣言が最大の注目点だと私は思います。一つの民族が一つの国家を作ることができるという“民族自決権”という考えが広まったのは、第一次世界大戦後のことでしたが、もう一度この“知恵”に戻って考えるべき時に来ているのではないでしょうか。

さて、また昨日の続きです。
・「理想的兵卒はいやしくも上官の命令に絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に責任を負わぬことである。すなわち、理想的兵卒はまず無責任を好まなければならぬ」
・「軍事教育というものは畢竟(ひっきょう)ただ軍事用語の知識を与えるばかりである。その他の知識や訓練は何も特に軍事教育を待った後に得られるものではない。現に海陸軍の学校さえ、機械学、物理学、応用化学、語学等はもちろん、剣道、柔道、水泳等にもそれぞれ専門家をやとっているではないか? しかもさらに考えて見れば、軍事用語も学術用語と違い、大部分は通俗的用語である。すると軍事教育というものは事実上ないものと言わなければならぬ。事実上ないものの利害得失はもちろん問題にならぬはずである。
・「われわれ日本人の二千年来君に忠に親に孝だったと思うのは猿田彦命(さるたひこのみこと)もコスメティックをつけていたと思うのと同じことである。もうそろそろありのままの歴史的事実に徹して見ようではないか?」
・「恋愛の徴候の一つは彼女は過去に何人の男を愛したか、あるいはどういう男を愛したかを考え、その架空の何人かに漠然とした嫉妬を感ずることである」
・「われわれを恋愛から救うものは理性よりもむしろ多忙である。恋愛もまた完全に行なわれるためには何よりも時間を持たなければならぬ。ウェルテル、ロミオ、トリスタン------古来の恋人を考えて見ても、彼らは皆閑人(ひまじん)ばかりである。
・「男子は由来恋愛よりも仕事を尊重するものである」
・「たれも自由を求めぬものはない。が、それは外見だけである。実はたれも肚(はら)の底では少しも自由を求めていない。その証拠には人命を奪うことに少しも躊躇しない無頼漢でさえ、金甌無欠の国家のために某某(ぼうぼう)を殺したと言っているではないか? しかし自由とはわれわれの行為になんの拘束もないことであり、すなわち神だの道徳だのあるいはまた社会的習慣だのと連帯責任を負うことを潔しとしないものである」
・「ほんとうらしい小説とは単に事件の発展に偶然性の少ないばかりではない。おそらくは人生におけるよりも偶然性の少ない小説である」
・「文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ」
・「女は情熱に駆られると、不思議にも少女らしい顔をするものである。もっともその情熱なるものはパラソルに対する情熱でもさしつかえない」
・「文を作るに欠くべからざるものは何よりも創作的情熱である。そのまた創作的情熱を燃え立たせるのに欠くべからざるものは何よりもある程度の健康である。スウェエデン体操式、菜食主義者、複方ジアスタアゼ等を軽んずるのは文を作らんとするものの志ではない」
・「文を作らんとするものはいかなる都会人であるにしても、その魂の奥底には野蛮人を一人持っていかなければならぬ」
・「最も貧しい処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである」
・「最も困難な芸術は自由に人生を送るはずである。もっとも『自由に』という意味は必ずしも厚顔にという意味ではない」
・「ビュルコフのトルストイ伝を読めば、トルストイの『わが懺悔』や『わが宗教』のうそだったことは明らかである。しかしこのうそを話しつづけたトルストイの心ほどいたましいものはない。彼のうそは余人の真実よりもはるかに紅血(こうけつ)をしたたらしている」
・「われわれに武器を執らしめるものはいつも敵に対する恐怖である。しかもしばしば実在しない架空の敵に対する恐怖である」
・「われわれの生活に欠くべからざる思想はあるいは『いろは』短歌に尽きているかもしれない」
・「遺伝、境遇、偶然、……われわれの運命をつかさどるものは畢竟(ひっきょう)この三者である。自ら喜ぶものは喜んでもよい。しかし他を云々(うんぬん)するのは僭越である」
・「他をあざけるものは同時にまた他にあざけられることを恐れるものである」
・「人間的な、あまりに人間的なものはたいていは確かに動物的である」
「われわれ人間の特色は神の決して犯さない過失を犯すということである」

 大正12年から昭和2年にかけて、芥川が最晩年の頃に書いたものだそうですが、少しも古びたところがなく、勉強になる鋭い指摘もいくつかありました。公共図書館に行くと、「大活字本シリーズ」というのが置いてあると思うので、それで読むと楽に読めるかもしれません。

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芥川龍之介『侏儒の言葉』その2

2017-09-28 05:12:00 | ノンジャンル
 衆議院は今日解散され、ついに民進党が希望の党への合流を決め、共産党と社民党を除く全野党が結束して選挙に臨むということになってきました。おそらく社民党も合流するはずで、あとは共産党がどの程度是々非々の格好で希望の党との選挙協力をしていくかが、選挙後の結果を占うカギになりそうです。朝日新聞が26、27日に全国緊急世論調査を実地した結果、比例投票先は自民32%、希望の党13%、民進党8%。公明党6%、共産党4%、維新3%、その他の党4%、わからない・答えないが29%を占め、無党派層では自民13%、希望の党17%、民進党6%、公明・共産・維新がそれぞれ4%、その他の党7%、わからない・答えないが45%を示していました。希望の党、民進党、共産党、維新の党、その他の政党、無党派層でも同じ割合で票が割れた場合、自民36%、野党連合44%、公明党7%となり、一人区では野党連合が全勝する可能性が大となります。おそらく今後民進党は共産党とも組む議員たちと、共産党とは組みたくない議員たちに分かれ、選挙戦を戦うことになるでしょう。いずれにしても自民党の一党独裁は崩れ、政権交代を迎えるのは必至の状況です。いよいよ本当の意味での「希望」が見えてきたように思いました。

 さて、昨日の続きです。
・「完全なるユウトピアの生れない所以は大体下の通りである。------人間性そのものを変えないとすれば、完全なるユウトピアの生まれるはずはない。人間性そのものを変えるとすれば、完全なるユウトピアと思ったものも忽ちまた不完全に感ぜられてしまう」
・「危険思想とは常識を実行に移そうとする思想である」
・「奴隷廃止ということはただ奴隷たる自意識を廃止するということである。我我の社会は奴隷なしには一日も安全を保し難いらしい。現にあのプラトオンの共和国さえ、奴隷の存在を予想しているのは必ずしも偶然ではないのである」
・「悲劇はみずから羞ずる所業を敢てしなければならぬことである。この故に万人に共通する悲劇は排泄作用を行うことである」
・「人生を幸福にするためには、日常の瑣事を愛さなければならぬ。雲の光り、竹の戦(そよ)ぎ、群雀の声、行人の顔------あらゆる日常の瑣事の中に無王の甘露味をかんじなければならぬ」
・「我我は処女を妻とするためにどの位妻の選択に滑稽なる失敗を重ねて来たか。もうそろそろ処女崇拝には背中を向けても好い時分である」
・「或(ある)女学生はわたしの友人にこういう事を尋ねたそうである。
『一体接吻する時には目をつぶっているものなのでしょうか? それともあいてるものなのでしょうか?』
 あらゆる女学校の教課の中に恋愛にかんする礼法のないのはわたしはこの女学生と共に甚だ遺憾に思っている」
・「フロオベルのわたしに教えたものは美しい退屈もあるということである」
・「ポオはスフィンクスを作る前に解剖学を研究した。ポオの後代を震駭(しんがい)した秘密はこの研究に潜んでいる」
・「われわれはしたいことのできるものではない。ただできることをするものである。これはわれわれ個人ばかりではない。われわれの社会も同じことである。おそらくは神も希望どおりにこの世界を造ることはできなかったであろう」
・「わたしの愛する作品は、------文芸上の作品は畢竟(畢竟)作家の人間を感じることのできる作品である。人間を------頭脳と心臓と官能とを一人前にそなえた人間を。しかし不幸にもたいていの作家はどれか一つを欠いた片輪(かたわ)である。(もっとも時には偉大なる片輪に敬服することもないわけではない)」
・「最も幸福な芸術家は晩年に名声を得る芸術家である。国木田独歩もそれを思えば、必ずしも不幸な芸術家ではない」
・「女は常に好人物を夫に持ちたがるものではない。しかし男は好人物を常に友だちに持ちたがるものである」
・「好人物は何よりも先に天上の神に似たものである。第一に歓喜を語るのにもよい。第二に不平を訴えるのによい。第三に----いてもいないでもよい」
・「『その罪を憎んでその人を憎まず』とは必ずしも行なうに難いことではない。たいていの子はたいていの親にちゃんとこの格言を実行している」
・「天才の悲劇は『小ぢんまりした、居心のいい名声』を与えられることである」
・「わたしの最も驚いたのはレニンのあまりにあたりまえの英雄だったことである」
・「わたしは不幸にも知っている。時にはうそによるほかは語られぬ真実もあることを」
・「忍従はロマンティックな卑屈である」
・「成すことは必ずしも困難ではない。が、欲することは常に困難である。少なくとも成すに足ることを欲するのは」
・「彼らの大小を知らんとするものは彼らの成したことにより、彼らの成さんとしたことを見なければならぬ」(また明日へ続きます……)

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芥川龍之介『侏儒の言葉』その1

2017-09-27 07:32:00 | ノンジャンル
 ’23年1月から’27年9月にかけて月刊誌『文藝春秋』に掲載された、芥川龍之介の『侏儒の言葉』を読みました。朝日新聞で紹介されていた、芥川流のアフォリズム集です。
 気に入った文章をいくつか引用させていただくと、
・「道徳は便宜の異名である。『左側通行』と似たものである。」
・「道徳の与えたる恩恵は時間と労力との節約である。道徳の与える損害は完全なる良心の麻痺である」
・「妄(みだり)に道徳に反するものは経済の念に乏しいものである。妄に道徳に屈するものは臆病ものか怠けものである。」
・「我我を支配する道徳は資本主義に毒された封建時代の道徳である。我々は殆ど損害の外に、何の恩恵にも浴していない。」
・「強者は道徳を蹂躙(じゅうりん)するであろう。弱者はまた道徳に愛撫されるだろう。道徳の迫害を受けるものは常に強弱の中間者である。」
・「道徳は常に古着である」
・「良心は我々の口髭のように年齢と共に生ずるものではない。我々は良心を得るためにも若干の訓練を要するものである。」
・「一国民の九割強は一生良心を持たぬものである。」
・「我我の悲劇は年少のため、あるいは訓練の足りないため、まだ良心を捉え得ぬ前に、破廉恥漢の非難を受けることである。
 我々の喜劇は年少のため、あるいは訓練の足りないため、破廉恥漢の非難を受けた後に、やっと良心を捉えることである。」
・「良心は厳粛なる趣味である。」
・「良心は道徳を造るかも知れぬ。しかし道徳は未だかつて、良心の良の字も造ったことはない。」
・「良心もあらゆる趣味のように、病的なる愛好者を持っている。そういう愛好者は十中八九、聡明なる貴族か富豪かである。」
・「わたしは古い酒を愛するように、古い快楽説を愛するものである。我我の行為を決するものは善でもなければ悪でもない。ただ我々の好悪である。あるいは、我々の快不快である。そうとしかわたしには考えられない」
・「どうか一粒の米すらないほど、貧乏にして下さいますな。どうかまた熊掌にさえ飽き足りるほど、富裕にもして下さいますな。
 どうか採桑の農婦すら嫌うようにして下さいますな。どうかまた後宮の麗人さえ愛するようにもして下さいますな。
 どうか菽麦すら弁ぜぬほど、愚昧にして下さいますな。どうかまた雲気さえ察するほど、聡明にもして下さいますな。
 とりわけどうか勇ましい英雄にして下さいますな。わたしは現に時とすると、攀(よ)じ難い峰の頂を窮め、越え難い海の浪を渡り------いわば不可能を可能にする夢を見ることがございます。そういう夢を見ている時ほど、空恐ろしいことはございません。わたしは竜と闘うように、この夢と闘うのに苦しんで居ります。どうか英雄とならぬように------英雄の志を起こさぬように力のないわたしをお守りくださいまし。
 わたしはこの春酒に酔い、この金縷(きんる)の歌を誦(じゅ)し、この好日を喜んでいれば不足のない侏儒でございます」
・「軍人は小児に近いものである。英雄らしい身振を喜んだり、いわゆる光栄を好んだりするのは今更ここにいう必要はない。機械的訓練を貴んだり、動物的勇気を重んじたりするのも小学校にのみ見得る現象である。殺戮をなにとも思わぬなどは一層小児と選ぶところはない。殊に小児と似ているのは喇叭(らっぱ)や軍歌に鼓舞されれば、何のために戦うかも問わず、欣然と敵に当ることである。
 この故に軍人の誇りとするものは必ず小児の玩具に似ている。緋縅(ひどおし)の鎧や鍬形の兜は成人の趣味にかなった者ではない。勲章も------わたしには実際不思議である。なぜ軍人は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩かれるのであろう?」
・「正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。正義も理屈をつけさえすれば、的にも味方にも買われるものである。古来『正義の敵』という名は砲弾のように投げかわされた。しかし修辞につりこまれなければ、どちらがほんとうの『正義の敵』だか、めったに判然したためしはない」
・「人生は常に複雑である。複雑なる人生を簡単にするものは暴力より外にあるはずはない。この故に往往石器時代の脳髄しか持たぬ文明人は論争より殺人を愛するのである。
 しかしまた権力も畢竟はパテントを得た暴力である。我我人間を支配するためにも、暴力は常に必要なのかも知れない。あるいはまた必要ではないのかも知れない。」
・「完全に幸福になり得るのは白地にのみ与えられた特権である。如何なる楽天主義者にもせよ、笑顔に終始することの出来るものではない。いや、もし真に楽天主義なるものの存在を許し得るとすれば、それはただ如何に幸福に絶望するかということのみである。」(明日へ続きます……)

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マーティン・スコセッシ監督『アビエイター』その14

2017-09-26 07:03:00 | ノンジャンル
 安倍首相はついに28日の衆議院解散を表明しました。一方で小池都知事は新党「希望の党」を立ち上がました。小沢さんの「オリーブの木」構想も着々と進んでいて、民進党との選挙協力が進む気配です。後は「希望の党」と「民進党」と「自由党」と「社民連」の選挙協力に「共産党」がいかに選挙協力をさせてもらえるかです。民進党の前原代表は共産党を毛嫌いしているので、共産党が選挙協力を求めているのにもかかわらず、その気はあまりありそうではありません。是非野党が一致団結して、自民党の一党独裁にストップをかけてほしいものです。
 それにしても「加計・森友問題」逃れが見え見えの今回の解散。衆議院選挙には660億円もの税金が使われます。自民党は衆議院の解散が首相の専権事項だと主張しているようですが、ヨーロッパ各国などは首相による解散権を厳しく取り締まっていると聞きました。前回の選挙から3年経っているとはいえ、ちゃんと4年の任期を果たしてから選挙に臨んでほしいものです。「仕事人内閣」と言っておきながら、何の仕事もせぬままに解散するというのも、「首相ファースト解散」と揶揄されても仕方がないと思います。昨日の「報道ステーション」に生出演していた安倍首相と小池都知事でしたが、説得力という点では、圧倒的に小池都知事の方がありました。今回の衆議院選挙で自民党が惨敗することを切に望みます。
 また、吉報もありました。自民党のタカ派最右翼の高村正彦副総裁が引退を表明。長男が後継候補の見通しとのことです。いくら息子さんでも高村氏よりタカ派というのも考えずらく、敵が一人減ったといえるでしょう。

 さて、また昨日の続きです。
 「この技術こそ未来への道です。以上です」ハワード、記者たちに「素晴らしい光景をご覧いただいて光栄です。ちょっと失礼」。エヴァの許に駆け寄り「パリに行こう」「今から?」「TWAのヨーロッパ就航は僕が操縦桿を握る」「買い物の街ね」「何でも買ってやる」「ディナーはどう?」「仕方ない。デートを?」「付き合うわ」「すぐ戻る。どこにも行くな」。オーディに「聞いてくれ。ジェット機のニュースだ」「カネがかかる」「開発を始めろ」「ちょっとあっちへ。民間機にジェット技術を?」「僕の部下か?」「みんなそうですよ」「ロッキードのボブに知恵を借りる」「分かった。今すぐ?」「もちろん今すぐだ。未来への道だからな」「今ボブはNYだ。向かうは7時半だな」「滞在先を調べろ」「電話を? 直接会いますか?」「明日こっちで。未来への道だ。未来への道だ」「ハワード?」「未来への道だ」「歩こう。手をかせ」。ハワード、ジャックとオーディに両側を支えられて歩く。「未来への道だ。未来への道だ。未来への道だ」。トイレにハワードを押し込むと「医者を呼んでくる。誰にも見せるな」。ハワード、鏡に向かい、「用心しないと」。幼い自分が母に「大きくなったら一番速い飛行機に乗るんだ。すごい映画も作る。世界一の金持ちになる。未来への道だ。未来への道だ。未来への道だ。未来への道だ」。

 演技指導もカット割りも編集も完璧な映画で、長々とあらすじを書いていても、少しも苦になりませんでした。スコセッシの作品では一番の傑作なのではないでしょうか?3時間近くある映画でしたが、あっと言う間に見ることのできた作品でした。

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