川上未映子さんの20‘18年作品『ウィステリアと三人の女たち』を読みました。4つの短編からなる本です。
『彼女と彼女の記憶について』
記憶に、もしもかたちというものがあったとしたら、箱、っていうのはひとつ、あるかもしれないなとは思う。(中略)箱はいつも自分じゃないところに存在していて、ある日とつぜん知らない誰かから不意に手渡されるようにしてやってくる。
ふつうに考えれば、顔も覚えていない、もちろん会いたい人なんてひとりもいない、どこをどう探したって共通の話題があるとも思えない、田舎町で開かれる同窓会なんてものにどうして出てみようなんていう気になったのかは、自分でもよくわからない。(中略)だから、(中略)同窓会の知らせが三月の初めに事務所に届いても、出席の返信は出さなかった。なんにも連絡せずに当日とつぜんに行くのが、なんというか、効果的というような気がしたからだった。わたしはその日のために、ちょっとまえから目をつけていてずいぶん迷っていたバレンシアガの黒のジャケットを買って、バッグはサンローラン、それでジーンズにマノロのヒールをあわせてっていうコーデを頭のなかで何度も思い浮かべてチェックした。時計もピアスもなしで、首には小さなダイヤのついたゴールドの華奢なネックレスだけ。ぜんぶで五十万ちょっとくらい。値段はともかく、こっちのパーティーなんかにはさすがにカジュアルすぎる組みあわせだけど、でも田舎の集まりにはもちろんじゅうぶんすぎるぐらいで、それはいろんな意味で悪くなかった。(中略)有名人って全然違うよねって話になって━━(中略)━━差っていうか、違いっていうか、そういうものを? とにかくそのことでわたしたちがそのときそこに居合わせる唯一の意味が生まれるっていうか、まあそういうことを期待して━━わたしは(中略)その町に出かけていったんだった。
会場は人気のないホテルの宴会場みたいなところで、何もかもがひどかった。(中略)当のフロアには受付用の長机があって、そこにゆるく巻いた髪を無造作にアップしてところどころにパールのついたピンを留めた━━(中略)女の子がふたりいた。(中略)わたしは、来られるかどうかわからなかったから返信できていなかったんですけど、ともうすごく感じのいい声でにっこり笑って話しかけた。かつては同級生だったはずのそのふたりの顔をみたところで、わたしにはもちろん思い出せない。(中略)会場に入ると、蛍光灯とほとんど変わらない色の照明の下にまるいテーブルがぼんぼんと置かれてあって、はしっこにはいくつかの料理を乗せた台とか長テーブルがあって、反対側には椅子がいくつか並べられていた。わたしはうつ向き加減でそちらへ歩いていって、それからいちばんはしっこの椅子に座った。(中略)何となく目に入ってくるそれぞれの顔を眺めていると、知ってる、と思える顔がひとつ、またひとつと増えていった。(中略)集まったのは七十人。(中略)しばらくすると、べつべつにかたまっていた男女がなんとなく交ざりだして、おしゃべりの音や食器がぶつかる音なんかがだんだん大きくなって会場は一気に騒がしくなった。(中略)わたしも飲み物が置いてあるコーナーまで歩いていってウーロン茶を手にとった。それからまた椅子にもどって黙ってそれを飲んでいると、(中略)女の子が笑いながら小走りでやってきて、ひさしぶりーと言いながら勢いよく隣に座った。(中略)「まさか来るなんて思ってなかったから、びっくりしたあ」(中略)「やっぱり全然ちがうもんなあ! こう、入ってきたときの感じとか、オーラっていうのかな。見えたもんなあ。も、全然ちがうよお」(中略)その気になればたぶんいつまでだって続けられそうなやりとりをしていると、ひとりまたひとりと手にグラスをもった女の子たちが近づいてきて、わたしのまわりにはちょっとした輪ができはじめていた。(中略)これももちろんわかりきっていたことだったけどわたしはここに何をしに来たんだったっけ、と、ふとそんなことを思った。そして思わず笑ってしまった。それは、ここにやって来るまえに、もしも、あの━━自分にとってはもう過去ですらないような場所の誰でもない人たちの集まりに出かけて行ったとしたら、きっとその場所でわたしはこんな気持ちになるんだろうなって想像していたとおりの気持ちで自分が今いることがあまりにも想像どおりだったからで、そして何よりも、意思とか気分とかそういったものを越えて、ありふれた物ごとが規則正しく、ありふれた道順を辿ってありふれた着地をむかえるその単純さに、どこか感心すらしていたからだった。(明日へ続きます……)
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
『彼女と彼女の記憶について』
記憶に、もしもかたちというものがあったとしたら、箱、っていうのはひとつ、あるかもしれないなとは思う。(中略)箱はいつも自分じゃないところに存在していて、ある日とつぜん知らない誰かから不意に手渡されるようにしてやってくる。
ふつうに考えれば、顔も覚えていない、もちろん会いたい人なんてひとりもいない、どこをどう探したって共通の話題があるとも思えない、田舎町で開かれる同窓会なんてものにどうして出てみようなんていう気になったのかは、自分でもよくわからない。(中略)だから、(中略)同窓会の知らせが三月の初めに事務所に届いても、出席の返信は出さなかった。なんにも連絡せずに当日とつぜんに行くのが、なんというか、効果的というような気がしたからだった。わたしはその日のために、ちょっとまえから目をつけていてずいぶん迷っていたバレンシアガの黒のジャケットを買って、バッグはサンローラン、それでジーンズにマノロのヒールをあわせてっていうコーデを頭のなかで何度も思い浮かべてチェックした。時計もピアスもなしで、首には小さなダイヤのついたゴールドの華奢なネックレスだけ。ぜんぶで五十万ちょっとくらい。値段はともかく、こっちのパーティーなんかにはさすがにカジュアルすぎる組みあわせだけど、でも田舎の集まりにはもちろんじゅうぶんすぎるぐらいで、それはいろんな意味で悪くなかった。(中略)有名人って全然違うよねって話になって━━(中略)━━差っていうか、違いっていうか、そういうものを? とにかくそのことでわたしたちがそのときそこに居合わせる唯一の意味が生まれるっていうか、まあそういうことを期待して━━わたしは(中略)その町に出かけていったんだった。
会場は人気のないホテルの宴会場みたいなところで、何もかもがひどかった。(中略)当のフロアには受付用の長机があって、そこにゆるく巻いた髪を無造作にアップしてところどころにパールのついたピンを留めた━━(中略)女の子がふたりいた。(中略)わたしは、来られるかどうかわからなかったから返信できていなかったんですけど、ともうすごく感じのいい声でにっこり笑って話しかけた。かつては同級生だったはずのそのふたりの顔をみたところで、わたしにはもちろん思い出せない。(中略)会場に入ると、蛍光灯とほとんど変わらない色の照明の下にまるいテーブルがぼんぼんと置かれてあって、はしっこにはいくつかの料理を乗せた台とか長テーブルがあって、反対側には椅子がいくつか並べられていた。わたしはうつ向き加減でそちらへ歩いていって、それからいちばんはしっこの椅子に座った。(中略)何となく目に入ってくるそれぞれの顔を眺めていると、知ってる、と思える顔がひとつ、またひとつと増えていった。(中略)集まったのは七十人。(中略)しばらくすると、べつべつにかたまっていた男女がなんとなく交ざりだして、おしゃべりの音や食器がぶつかる音なんかがだんだん大きくなって会場は一気に騒がしくなった。(中略)わたしも飲み物が置いてあるコーナーまで歩いていってウーロン茶を手にとった。それからまた椅子にもどって黙ってそれを飲んでいると、(中略)女の子が笑いながら小走りでやってきて、ひさしぶりーと言いながら勢いよく隣に座った。(中略)「まさか来るなんて思ってなかったから、びっくりしたあ」(中略)「やっぱり全然ちがうもんなあ! こう、入ってきたときの感じとか、オーラっていうのかな。見えたもんなあ。も、全然ちがうよお」(中略)その気になればたぶんいつまでだって続けられそうなやりとりをしていると、ひとりまたひとりと手にグラスをもった女の子たちが近づいてきて、わたしのまわりにはちょっとした輪ができはじめていた。(中略)これももちろんわかりきっていたことだったけどわたしはここに何をしに来たんだったっけ、と、ふとそんなことを思った。そして思わず笑ってしまった。それは、ここにやって来るまえに、もしも、あの━━自分にとってはもう過去ですらないような場所の誰でもない人たちの集まりに出かけて行ったとしたら、きっとその場所でわたしはこんな気持ちになるんだろうなって想像していたとおりの気持ちで自分が今いることがあまりにも想像どおりだったからで、そして何よりも、意思とか気分とかそういったものを越えて、ありふれた物ごとが規則正しく、ありふれた道順を辿ってありふれた着地をむかえるその単純さに、どこか感心すらしていたからだった。(明日へ続きます……)
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)