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桐野夏生『メタボラ』

2008-01-31 15:50:36 | ノンジャンル
 年末の朝日新聞の特集記事「2007年 心の残った一冊」の対談で紹介されていた桐野夏生さんの「メラボラ」を読みました。
 記憶喪失の青年が沖縄の森の中をさまよいます。やがて森を抜け出すと全寮制の資格習得学校を脱走して来た照光と出会い、町のコンビニで働くミカのマンションに転がり込みます。照光の家は資産家で父は市会議員。万引きをするなど問題児の照光は家を追い出され、施設に入れられたのでした。やがて2人はミカのマンションを出て、照光にギンジという名前をつけられた記憶喪失の青年は石材屋で働き、照光はイズムという若者のカリスマとなっている中年が経営するボランティアの村に行きますが、客の女に手をつけたことがばれ、リンチに会い、海に飛び込み逃げ出します。
 ギンジは一緒に住まわせてもらっている専務の稚児だと噂され、それが嫌で石材屋を飛び出し、人の紹介で釜田がオーナーの安楽ハウスに泊まり、やがてスタッフになります。そして自分が記憶喪失のことなど本当のことを釜田に告白します。金持ちの香織と結婚することになった釜田は香織の金で政治の世界に飛び込むことになり、そんな釜田に嫌気がさしたスタッフは次々と辞めて行きます。そして釜田がテレビの政治討論会に出た時ギンジも彼の秘書としてテレビに映ったことから、ある日ギンジの本当の身元をしる女性が現れます。彼女は自殺の見守り人で、ネットで知り合った同志が自殺するのを助けることを仕事とし、ギンジがその生き残りであることを教え、そこから彼は記憶を回復します。
 彼の家は普通の家庭でしたが、ある日突然父が母に暴力をふるい出し、母は妹の家に逃げ、残されたギンジこと大学生の香月雄太は自分と妹の学費も払ってくれない父のために、バイトをしまくり、何とか妹は卒業させますが、自分は学費が払えず除籍になります。雄太は夜の清掃業をしますが、父はアル中になり首吊り自殺をし、妹はお金をためカナダに行ってしまいます。将来も見えない雄太は、全寮制で月22万稼げるという柏崎の工場で働く仕事に参加しますが、居住条件は劣悪で、仕事はきつく、月22万というのは嘘だったことが分かります。そして希望を失った雄太は自殺サイトに書き込みをし、集団自殺に参加したのでした。
 一方、照光はホストになりますが、店長の客であり、自分の中学高校時代に好きだったデリヘル嬢に個人的に会っていることがばれ、リンチにあい、半死半生になります。雄太のもとへ照光が会いたいと言っているという知らせが入り、会いますが、彼は死にかけています。店にかぶされた340万円の借金を返さないと一生追いかけ回されると聞いた雄太は、釜田の政治資金を盗み、店に返します。そして海が見たいという照光とフェリーに乗り、冷たくなりつつある照光の手を握りながら、これからどうなるんだろう、と雄太は考えるのでした。

 なんとも暗くて救いのない話です。宮古島の方言でしゃべり、能天気な照光が救いですが、彼も最後には殺されてしまいます。こんな暗い話を読者に読ませたいと思う著者の意図が分かりません。実はこの著者の本を以前に読んでいたのを忘れていたのですが、以前に読んだ本も鬼畜な女性が主人公のひどい話でした。今後は気をつけてこの著者の本は読まないようにしたいと思います。違った意見をお持ちの方は、ぜひお知らせ下さい。お待ちしています。

イングマール・ベルイマン監督『沈黙』

2008-01-30 16:13:32 | ノンジャンル
 スカパーの260チャンネル「洋画★シネフィル・イマジカ」で、イングマール・ベルイマンの監督・脚本の'62年作品「沈黙」を久しぶりに見ました。ベルイマンの映画で商業映画館でまともに見たのはこの映画だけだと思います。
 列車の個室に座る翻訳家の姉(イングリット・チューリン)と妹のアンナとその息子の少年ユーハン。姉は吐血します。少年は廊下に出て、外の風景や他の客を見ます。延々と続く戦車の列。場面は変わって、出発の前日。ホテルの窓から言葉の通じない町の喧噪を見る少年。ベッドに寝ている姉。風呂に入るアンナ。アンナは自分の息子と裸でベッドに横になります。ラジオで気を紛らす姉。タバコを吸う姉は町の雑踏を窓から見、酒を飲み、ボーイに酒の追加を持って来させ、ベッドで自慰にふけります。飛行音で目を覚ました少年は、オモチャのピストルを持ち、シャンデリアを修理している男を撃ちます。話しかけて来たボーイから逃げ、小人に出会い、ボーイに捕まりそうになり、そうしてるうちに小人が大勢いる部屋を見つけ、ピストルで撃つと撃たれたマネをしてくれます。王子の服を着せられ、目の前で出し物を見せてくれましたが、1人の小人が止めさせ、少年を部屋から出します。アンナが部屋から出て行くと、姉は嘆き悲しみます。アンナはバーでウェイターに足にキスされます。少年は伯母の食べ残しを食べ、伯母は少年に冬まで叔父さんの家から学校に行くことを教えてやり、海で遊べると言ってやります。そして少年が絵を描き出すと、時計の音が聞こえます。アンナはバーの2階で小人のショーを見ますが、暗闇でカップルがセックスをしているのを見ることに耐えられず、店を出ます。少年はまたホテルの探検を始め、1人で食事を取る老人を見つけ、老人は少年をあやそうとお菓子をあげ、写真に写っている自分を示します。そこへアンナが帰って来て、少年は抱きつき、老人からもらった写真を絨毯の裏に隠します。アンナは姉にこそこそ嗅ぎ回らないで、と言います。タイプを叩く姉はドアのノックを聞き恐ろしい形相になります。夜、姉は窓から町の喧噪を見ます。ラジオでバッハを聞きながらタバコを吸っていると、アンナが息子を抱き締めています。先に今晩発ってくれと姉がアンナに言いますが、それはできないとアンナは言うと、姉は2人で話がしたいと言います。姉がアンナに昼に何をしていたのかと聞くと、バーでセックスしている男女がいたので、自分も隣の男とした、と言いますが、姉に突っ込まれ、後半の話は嘘だと言います。本当は、バーに戻って男と教会に行き、柱の裏の暗がりでセックスした、と言います。アンナはホテルに男を連れ込み、セックスします。息子は読書に飽き、伯母が苦し気に息をして寝ているのを見ます。窓から外を見ると、戦車がやってきてホテルの前で停まります。息子は目を覚ました伯母のために人形劇をします。戦車はまた動き出して、去って行きます。時計の音がする中で、セックスの終わったアンナは男の顔と体をなぞり、姉なんか死ねばいい、と言います。息子はアンナが男とキスして部屋に入っていったと伯母に言います。アンナは姉に自分の欠点ばかりあげつらうと言います。そこへ姉が訪れ、男とキスするアンナを見ます。アンナは姉が優越感で生きていて、すべてを憎んでいると非難しますが、姉はかわいそうに、と言って去ります。アンナは始めは大笑いしますが、やがて泣き出します。廊下に立つ姉の前を通り過ぎる小人の劇団員たち。アンナが部屋に帰ると、姉が床に倒れていました。アンナと息子は2人で食事を取ります。姉は少年へのメモを書き、寝ていると時計の音がします。医者に、孤独な役回りは嫌だと姉は言い、どんな主義主張でもあの恐ろしい力に負けてしまう、とも言います。そして父の優しさを思い出して泣くと、発作を起こし、父のように窒息死はしたくないと言います。戻って来た少年に、伯母は死なないから大丈夫よ、と声をかけメモを渡すと、アンナは少年と出発します。伯母のメモには、精神など大切な言葉がこの国の言葉で何というかが書かれていました。

 大学時代に見た時は、セックスシーンのリアルさだけが記憶に焼き付きましたが、今見てもそうです。この映画は難解すぎます。セックスに奔放な妹と、保守的な姉の相克を描いているのでしょうが、それ以外の要素が多く、整理が頭の中でつきません。そうした中で、アンナの乳首がアップになるところと、撮影監督のニヴェン・ニクヴィストの捕えた太陽の光、闇の中に浮き上がる顔などが印象に残りました。映画自体の判断は皆さんにお任せします。

イングマール・ベルイマン監督『鏡の中にある如く』

2008-01-29 15:59:44 | ノンジャンル
 スカパーの260チャンネル「洋画★シネフィル・イマジカ」で、イングマール・ベルイマン監督・脚本の'61年作品「鏡の中にある如く」を見ました。
 世界中を飛び回る小説家の父(グンナール・ビョルンストランド)は、娘のカーリンとその弟で17才のミーヌスと娘婿のマッティン(マックス・フォン・シドー)と久しぶりに会い、島で休暇を楽しみます。マッティンは父に、カーリンが1ヶ月前に精神病院を退院した際に、再発するかもしれないと言われた事を話します。ミーヌスは父と腹を割って話ができないと、カーリンに悩みを打ち明けます。子供たちは食卓の席でも父が家にいない時間が多すぎると不満を漏らします。険悪になった雰囲気を打破するため、父はスイスで買ったプレゼントを3人に渡しますが、サイズが合わず、家族のことをあまりに知らない自分に腹を立てて父は1人になって泣きます。3人は父を喜ばそうと、シェークスピア劇を演じます。翌朝、海鳥の鳴き声に不安な表情を見せるカーリンは、一人で起きだし、奇妙な仕種をした後、まだ起きて原稿を直していた父の部屋に行き、ソファに寝かされます。そこへミーヌスが窓から、マッティンの網が引かれるのを待ってると父に言います。父が出て行った後、カーリンは父の日記を読み、自分の病気が不治かもしれないことに父がショックを受けながらも、娘が壊れていく様子を記録したい、と書いてあるのを発見してしまいます。カーリンは、父の日記に自分が不治の病だと書いてあったとマッティンに訴え泣きますが、マッティンは再発するかもしれないと言っただけで、誤解だと言います。日記にはもっと書いてありましたが、自分からは言えないとカーリンは言います。父とマッティンはボートで吊りに出かけ、島には姉弟だけが残されます。姉は妄想の話をしだし、神が部屋に入って来ると言います。また、マーティンの言葉は自分の心に届かないので、マーティンを捨てて仲間を取るとも言います。弟は姉が見てるのは夢で現実ではないと言います。そして2人の間で今話したことは、父とマッティンには言わないように、と姉は弟に言います。父はマッティンに日記に書いたことを告白し、マッティンに責められます。逆に父はマッティンに、娘の死を願ったことがあるだろうと言い、マッティンはそんなことは決してないが、自分は彼女に対して無力だと言います。姉は雨が来ると言って、難破船に逃げ込み、ミーヌスは動けなくなった彼女を発見します。ミーヌスは祈り、姉と肉体関係を結んでしまいます。父とマッティンは帰って来るとすぐ、カーリンのもとに走ります。カーリンは父に入院はいいが治療は嫌だと言い、先程ミーヌスに力づくで犯されたとも言い、悩むのに疲れたと言います。父は自分も現実から懸命に自分を守って来たと言います。カーリンは入院することになり、マッティンは付き添って島を離れることになります。ヘリコプターの音で幻覚を見たカーリンは暴れだし、鎮静剤を射たれます。ヘリコプターでカーリンとマッティンは去り、残されたミーヌスは泣きます。そして姉と寝たことは現実を見失ってしたことで、これから何にすがって生きて行けばいいか分からないと父に言うと、父は愛の存在を確信していると言います。ミーナスは初めて腹を割って父と話せたと感激するのでした。

 ベルイマンの映画はこの頃から難解になり、精神的なものになり、神の存在について延々と対話が続くような映画が増えて行きます。ということは、この頃から私はベルイマンの映画に苦手になっていくということです。登場人物が意味の分からない行動に出たり、話していることが難解で、それを理解するのに疲れたり。この映画でもそうしたことが言えると思います。最初の設定は面白いのですが、残念です。映像的には、1人1人の表情をアップでじっくり見せる(それも悩んでいる表情が圧倒的に多い)のが特徴です。私はこんな感想を持ちましたが、まだ見ていない方はご自分で判断されたらいかがでしょうか?

クリント・イーストウッド監督『父親たちの星条旗』

2008-01-28 16:00:42 | ノンジャンル
 遅ればせながらWOWOWで、クリント・イーストウッド監督の'06年作品「父親たちの星条旗」を見ました。
 硫黄島の戦争の悪夢に未だにうなされる老人。父は息子に写真の戦争への効果は大きいと話し、大平洋戦争では硫黄島に星条旗を立てようとする兵士たちの写真がそうだったと語ります。戦時下の硫黄島。腹が裂けた兵士。襲いかかる日本兵。1944年12月タワラ基地では登山と上陸の訓練が行われ、硫黄島を攻略する作戦が発表されます。島の全てを見下ろせるすり鉢山が目標です。兵士たちは硫黄島へ向かって出発します。1人船から落ちますが、船団の隊形が崩れるので、船を停めて助けることができません。そして硫黄島への艦砲射撃が始まります。1人の兵士が日本兵が捕虜を虐殺している写真を見せ、降伏するとこうなると言います。硫黄島への上陸が行われ、日本側からの発砲がないので無防備で前進する米兵に、トーチカに隠れていた日本軍の一斉射撃が始まり、米兵が次々に倒れていきます。トーチカを一つずつ攻略していく米兵。1945年4月エニウエトク環礁の飛行場では、旗を掲げた1人が負傷兵と替わって帰国します。旗を掲げた6人のうち3人は戦死していました。帰国した生き残りの3人はスタジアムでの盛大な歓迎を受けます。そして毎日歓迎のイベントが延々と続き、国債購買キャンペーンに利用され、3人は茶番だと思います。再び戦時下の硫黄島。延々と死体が並べられ、負傷兵が運ばれています。機関銃の弾の雨の中、負傷者を助けようとする衛生兵。敵を何回も銃剣で刺す米兵。すり鉢山に先発隊が出発し、頂上で星条旗を掲げます。全軍から拍手と歓声が上がります。が、上司の命令でもっと大きい旗が立てられ、そこが写真に写されます。抵抗がほとんど止んだ後、音のするトーチカに入ると、手榴弾で自決した無惨な日本兵の死体が散乱しています。国内で国債キャンペーンが終わると、3人は別れ別れになり、1人はテキサスからアリゾナまで歩き、戦友の父に会い、死んだ息子さんが本当は旗をたてていた1人だと伝えます。彼らが最後に会ったのは戦没者追悼記念日。その後、インディアンだった1人はアル中で死に、そのうちの1人の父は戦死した兵士の母に、戦死した息子さんが旗を捧げていたのだ、と嘘をつきます。父は生前、戦争のことは語りませんでした。明らかになったのは死後のことで、父は家族のために一生を捧げてくれました。そして父たちは何よりも仲間のために戦争を戦ったのでした。
 
 姉妹作「硫黄島からの手紙」に比べて、戦闘シーンが圧倒的に少なく、硫黄島攻略がいかに困難でいかに無惨なものだったのかはあまり伝わって来ませんでした。それよりも星条旗を硫黄島のすり鉢山に立てた兵士たちの生き残りの3人が国内でいかに国債キャンペーンに利用され、またそのために事実がいかにねじ曲げられたかの描写に多くのフィルムが割かれていて、少しがっかりしました。時制の移動が多く、過去から急に現在になったり、そこからまた違う過去になったりと、理解するのが大変でした。それでも船団が出発してから上陸するまでの描写は圧倒的で迫撃砲の砲弾が飛び交う音のすごさに驚かされました。ラストのタイトルロールで実際の硫黄島での戦争の写真が写されていましたが、この写真を忠実に再現するような硫黄島の戦闘を全編を使って描いた映画が見てみたいと思いました。しかし、何と言ってもクリント・イーストウッド作品です。見ない手はありません。

イングマール・ベルイマン監督『悪魔の眼』

2008-01-27 16:07:21 | ノンジャンル
 昨夜のNHK・BS2で放送された「コンバット」に臆病であるいことを疑われる兵士の役で、何とジョン・カサヴェテスがゲスト出演していました。こうしたことが時々あるのが「コンバット」の魅力です。

 さて、スカパーの260チャンネル「洋画★シネフィル・イマジカ」で、イングマール・ベルイマン監督・脚本の'60年作品「悪魔の眼」を見ました。
 男(グンナール・ビョルンストランド)が現れ、地獄について解説します。地獄は逆三角形。一番下の層は軽罪の者たちの刑場。上に行くにつれて重い罪の者が増え、地上に近いところは最悪のクズの溜まり場です。その頂点に君臨するのが悪魔です。さて、喜劇が始まります。悪魔の眼にものもらいができます。毒殺が得意なロシュフコー伯爵と性的倒錯であるマコパッツァ侯爵が呼ばれ、悪魔のものもらいの原因は地上に20才で処女の美しい娘がいることだと言い、結婚するまで処女だと天使は喜び、彼女に続こうとする娘が出る恐れもあると言います。悪魔は、1800人の修道女を犯したフランチェスコ、数千人の子を残したフェルゼンシュタイン伯らでも叶わない誘惑の達人ドン・ファンを地上に送ることにします。ドン・ファンは地獄でも多くの愛人を手玉に取ってしましたが、悪魔の提案を受け入れます。ドン・ファンは北欧の女の落とし方を教わり、従者パブロとともに地上に現れ、監視役も地獄からやってきます。まず牧師の車を故障させ、直したお礼に車に乗せてもらいます。牧師の招きで家に入り、ドンファンは妻のレナータと問題の娘(ビビ・アンデルセン)を紹介されます。パブロは妻を誘惑しますが、なかなか乗って来ません。娘は結婚に備えて内装工事をしながら結婚相手のヨーナスの話をドン・ファンにします。彼らはキスしますが、娘はキスした男の37番目だと言い、ドン・ファンをがっかりさせます。話は徐々にドン・ファンのペースになってきますが、そこへヨーナスが来てしまいます。冒頭の男がまた出て来て、ここから第2幕と言います。夕食の場で婚約者たちは口ゲンカを始め、仲直りしないままヨーナスは帰ってしまいます。ドン・ファンは自分の生涯のエピソードを語ります。夜、ドン・ファンの家に石像が訪ねて来て、握手すると炎が体に伝わり、胸を足が踏みにじり、ドン・ファンの体は溶けて地獄に落ちた、という話でした。妻は泣き出し、自室に向かいます。牧師の寝室を妻が訪れて話をしますが、やはり自分を理解してもらえない、と言い、不貞を働くことをほのめかします。妻の部屋にパブロが忍び込み、また誘惑し、ついに妻と寝ます。監視役は牧師に妻の不貞を伝え、妻の部屋の鍵を渡します。牧師は監視役の提案に従い、酒を飲もうと言い、酒の入っている棚に監視役を閉じ込めます。ここで、また冒頭の男が現れ、第3幕に移ることを告げます。娘の部屋にドン・ファンは忍び込み、娘は好きにしていいと言いますが、ヨーナスを愛しているので、傷付くのはあなたの方だと言います。牧師は妻の不貞の現場を目撃し、妻に話しかけて、これからうまくやって行こうと話します。ドン・ファンは娘を愛してしまい、結局純潔を汚すことができませんでした。悪魔は天国に負けたことを認め、怒り心頭です。悪魔はドン・ファンと2人きりで話し、ドン・ファンへの罰として、地獄耳の男が娘の初体験をしている様子をドン・ファンに聞かします。娘が嘘を言った瞬間に、悪魔のものもらいが消え、悪魔はドン・ファンを眠らせ、地上の楽園と愛の夢を見せろと命じます。また冒頭の男が現れ、喜劇の終わりを告げ、最後に偉大な真の愛を物語るシーン、つまり新婚初夜の幸福に満ちた若い2人の姿を見せます。

 公開当時、女性蔑視だとして批判され、ベルイマン本人も大嫌いな作品とのことですが、とても面白く見させてもらいました。ビビ・アンデルセンがかわいいし、彼女に振り回されるドン・ファンの様子が笑いを誘います。ストーリー自体、とても面白いと思いますし、劇の進行役も面白さに彩りを添えています。どこが女性蔑視で、どうしてベルイマンがこの作品が嫌いなのか、理解しかねます。私なら文句無しにオススメできますが、皆さんはどうでしょうか?