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稲生平太郎+高橋洋『映画の生体解剖 恐怖と恍惚のシネマガイド』

2016-09-30 11:23:00 | ノンジャンル
 ‘14年に刊行された、稲生平太郎さんと高橋洋君の対談集『映画の生体解剖 恐怖と恍惚のシネマガイド』を読みました。
 この本の中で紹介されている映画で見たいと思ったものは、『第三独房・地獄の待合室』(59)、『電子頭脳』(74)、『悪魔の赤ちゃん』(73)、『私はゾンビと歩いた!』(43)、『狂恋』(35)、『知られぬ人』(27)、『肉の蝋人形』(35)、『ドクターX』(32)、『メトロポリス』(26)、『ギロチンの二人』(64)、『悪魔の祭壇/血塗られた処女』(75)、『蠅男の呪い』(65)、『蛇の穴』(48)、『不意打ち』(64)、『顔のない悪魔』(58)、『妖怪巨大女』(58)、『怪奇! 呪いの生体実験』(66)、『ドウエル教授の首』(83)、『プロメテウス』(2012)、『成吉思汗(ジンギスカン)の仮面』(32)、『The Lost City(失われた都市)』(35)、『惑星アドベンチャー/スペース・モンスター襲来!』(53)、『来たるべき世界』(36)、『迷路』(53)、『Strangler of the Swamp(沼地の絞殺魔)』(46)、『脱出』(72)、『ビッグ・コンボ』(55)、『血だらけの惨劇』(64)、『ふるえて眠れ』(64)、『たたり』(63)、『恐怖省』(44)、『聖し血の夜』(74)、『Fear in the Night(夜の恐怖)』(47)、『らせん階段』(45)、『ジイコブズ・ラダー』(90)、『魔の家』(32)、『戦慄の殺人屋敷』(63)、『The Bat(コウモリ)』(26)、『The Bat Whispers(コウモリのささやき)』(30)、『俺たちフィギュアスケーター』(2007)、『X-メン』(2000)、『ハネムーン・キラーズ』(69)、『悪魔の人形』(36)、『フランケンシュタインの花嫁』(35)、『マニアック』(34)、『ディレンジド』(74)、『血を吸うカメラ』(60)、『惨殺!』(63)、『ツイステッド・ナープ 密室の恐怖実験』(68)、『エンドレスナイト』(71)、『サディスト』(62)、『戦後猟奇犯罪史』(76)、『悪魔のいけにえ』(74)、『悪魔の沼』(77)、『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(56)、『セコンド』(66)、『未知への飛行』(64)、『駆逐艦ベッドフォード作戦』(65)、『太陽の爪あと』(67)、『双頭の殺人鬼』(59)、『第七の犠牲者』(43)、『悪魔のシスター』(73)、『第三の犯罪』(61)、『Devil Doll(デビル・ドール)』(64)、『女の香り』(68)、『甘い抱擁』(68)、『下女』(60)、『ロボット・モンスター』(53)、『火星人地球大襲撃』(67)、『トロール・ハンター』(2010)、『Mesa of Lost Women(絶壁の死美人)』(53)、『美しき生首の禍』(62)、『クリーピング・テラー』(64)、『ドニー・ダーコ』(2001)、『クロスボー作戦』(65)、『囚われの女』(68)、『地獄』(64)、『L’Enfer d’Henri-Georges Clouzot』(2009)でした。
また、この本で紹介されている本で読んでみたいと思ったのは、いけうち誠一『小ちゃくなあれ』(『呪いのかつら』所収)(227中後)、稲生平太郎『何かが空を飛んでいる』&『聖別された肉体』&『アクアリウムの夜』&『アムネジア』、そして泉鏡花の『尼ヶ紅』と『懸香(かけごう)』でした。
また、本文の中で書き残しておきたかった文は、「多くの人が『昔の映画は古い映画』だと思っていて、どうやら世界的にそうなんですね。映画は消費されていくものだから、十年ぐらいで忘れられて当たり前。昔の映画を振り返って批評対象にしようなんていう傾向がある一定の勢力を持ったのは、どうやらフランスと日本だけらしい」、「映画製作が召喚の儀式であるとしたら、監督は、儀式を司る司祭だということになる。司祭は儀式に必要不可欠な人で儀式の中心ではあるけれども、主体ではない。そこがポイントだと思う。主体は“降りてくるもの”。ということは、降りてくるかどうかが問題なのであって、司祭自身を問題にしてもしょうがないということですよね」、「ドイツサイレント期の巨匠のフリードリッヒ・W・ムルナウなんかは、撮影隊全員が白衣を着てたんですよね(笑)。あれは映画は科学だってことなんだけど」、「70年代くらいに同時録音ができるようになって、オンタイムで、『ここで流れている時間も撮れる』みたいな錯覚が起きた」、「夢の中に時間がない感覚と映画の中に時間がない感覚はすごく近い感じがする」、「今、映画の世界では、いわゆる制作委員会制度が普及して、十人の出資者がいたら十人全員が納得する企画じゃないとなかなか通らないという状況になっています。結果的にどこに向かってるかわからない大作が増えちゃってる」というようなものがありました。
いずれにしても、一冊の本を読んで、これだけの映画を見たくなるというのは尋常なことではないと思いました。それほど挑発的な本だったと思います。

斎藤美奈子さんのコラム・その6

2016-09-29 12:46:00 | ノンジャンル
 恒例となった、水曜日の東京新聞に掲載されている、斎藤美奈子さんのコラム「本音のコラム」の第6弾。
まず、9月7日に掲載された「3氏の差は何?」と題されたコラム。
 「民主党あらため民進党って、いまいちよくわからない政党ですよね。期待していいんだか悪いんだか、信用できるんだかできないんだか。
 党『今度こそちゃんとするから投票して』、有権者『本当だろうな』というやりとりを1998年の結党以来ずっとくり返している気がする。
 その民進党が代表選をするそうだ。岡田克也代表の仏頂面を見るたびに暗~い気持ちになったのは事実だし、参院選で負けた以上、交代自体はいい。が、蓮舫氏、前原誠司氏、玉木雄一郎氏、三候補の政策を聞くと、やっぱり不安が残る。
 三氏とも経済政策を優先するといってはいるけど、相変わらずの緊縮財政路線っぽいし、三氏そろって消費増税はOK。自民党の改憲草案には反対するも広義の改憲はOK。さらに野党共闘はリセット。『自民党とどこが違うの?』『民進党の右旋回?』と感じる人も多いように思う。
 旧民主党がもっとも輝いていたのは2009年の政権交代直前だろう。それがなぜ信頼を失ったのか。政権運営の失敗もだけれど、菅直人首相が公約になかった消費増税を掲げたこと、次の野田佳彦首相が自公に擦り寄って『税と社会保障の一体改革』に走ったことが大きかったんじゃないのか。安倍政権との大胆な差異を打ち出さないと存在価値はますます薄れるぞ。」
 さらに、9月14日に掲載された「盛り土の問題」と題されたコラム。
「この数日間で急激に広がった言葉といえば、それはもう『盛り土』だろう。『もりつち』じゃなく『もりど』と読むのかというのも含めて。
盛り土をしたから土壌汚染対策は万全だといっていたのに、共産党都議団の調査で、建物の下には盛り土がなく、謎の空間があいていたとわかった豊洲市場。市場関係者も都民もびっくりだ。
それで、急に思い出したことがある。そういえば、ちょっと前にも『盛り土』をめぐるニュースがなかったっけ?
調べてみたら、6月30日の話でした。環境省が、福島第一原発事故後の除染で出た福島県内の汚染土を『盛り土』として再利用する方針を決定したという報道。放射性セシウム濃度の基準値を設定し、土砂やアスファルトで遮蔽することを条件に、道路や鉄道の盛り土にする方針という。
安全制を確保するために盛り土をする必要がある土地と、安全性を確保するために取り除いた大量の土の行き先を盛り土に求めた土地。
時期の問題から考えても、豊洲の土と福島の土の間にはもちろん何の関係もない。ただ、いずれは除染で出た土を再利用するケースが出るとなると、場合によっては『その盛り土は安全か』という心配もしなくちゃいけなくなるのだろうか。そんなバカなとは思うけど、お役所はそんなバカなこともやっちゃう所みたいだし。」
 さらに、9月21日に掲載された「新潟県の異変」と題されたコラム。
「29日に告示される新潟県知事選(投開票は10月16日)が困った事態になっている。
 現職の泉田裕彦知事が8月末に不出馬を表明。対抗馬が出なければ、自公の推薦に加え、県内の市町会や町村会も推す前長岡市長の森民夫氏が(無投票に近い形で)当選するのは確実というl
 4期目を目指していた泉田知事が出馬をやめた背景には、日本海横断航路計画の中古船購入問題をめぐる知事と新潟日報との見解の相違があるらしい。知事が柏崎刈羽原発の再稼働を拒んできたことから、ちまたには新潟日報悪玉説も流れている。が、もうそんなことをいっている段階ではない。再稼働を阻止できる候補者を野党が立てればいいのよね。
 実際、市民グループと共産、社民、生活の野党三党は、野党統一候補として民進党衆院5区総支部長の米山隆一氏を提案していた。ところが民進党新潟県連がこれを蹴って『自主投票』を決定。米山氏も『組織の決定に従う』として出馬を断念したとか。
 参院選前の7月3~5日に新潟日報が行った世論調査では、柏崎刈羽原発の再稼働に51.5%が『反対』で、『賛成』の27.0%を大きく上回った。そんな県民の民意はどうするのか。ここは蓮舫代表率いる民進党本部の出番でしょう。米山さんを推そうよ。民進党の起死回生にはそれしかないよ。」

 今回もとても勉強になりました。

ロバート・ゼメキス監督『フォレスト・ガンプ 一期一会』その2

2016-09-28 07:10:00 | ノンジャンル
 さて、昨日の続きです。
 高校でもジェニーは親友で、今度は車で僕は追いかけられ、たまたま走り込んだところがアメフトの試合場で、そこで僕の足の速さが認められ、僕はアメフトの一流選手となった。高校には初めての黒人生徒が入学し、僕は機動隊を導入しても黒人生徒を守ると述べるウォレス知事とともにテレビに映った。ジェニーは女子高に入学し、僕らは別れた。
 雨の中、ジェニーにプレゼントを渡そうと夜遅くまで待っていた僕は、カーセックスに及ぼうとする彼女の相手を追い出してしまい、ずぶ濡れだった僕はジェニーの寮に入れられ、オッパイを触らせてもらった。
 僕はアメフトの全米代表チームにも入り、ケネディ大統領とも写真を撮ってもらい、5年後に卒業すると、陸軍に入隊し、ババと親友となり、海老採り船を持つというババの夢を聞いた。優秀な兵士となった僕は、ジェニーからは「エ下手な勇気を出さず、何かあったらとにかく走って」と言われた。
 ベトナムで上官となったダン中尉は「足は清潔にしろ」と言い、ゲリラを探すための任務に就いた。僕は毎日ジェニー宛てに手紙を書いた。銃撃戦で傷ついた仲間や「自分の隊を置いていけない」というダン中尉を次々に安全な場所に運び出した僕はババの死に目に会う。
 病院の隣のベッドになったダン中尉は両足を失っていて、戦場で死ぬ自分の夢をお前に壊されたと僕は怒られた。僕は尻にケガを負っていたことで名誉勲章をもらい、リハビリ中に卓球を始めた。帰国後ワシントンで反戦集会に紛れ込むと、演説を任され、そこでフラワーチルドレンとなっていたジェニーに再会する。ジェニーは反戦学生委員会長と同棲していた。僕は勲章をジェニーにあげて、別れる。
 僕は卓球の特別奉仕隊としてベトナムを巡り、全米代表チームとして、100年ぶりとなる中国訪問をし、ジョン・レノンと一緒のテレビ出演も果たす。そこでうらぶれた生活を送るダン中尉と再会し、海老採り船を買う夢を語る。
 卓球チームはホワイトハウスに招かれ、ニクソンに会うが、ウォーターゲート事件でニクソンはまもなく失脚する。僕は除隊して故郷に帰る。
 留守の最中、様々な人が家を訪れ、自社のラケットを使ってくればと2万5千ドルの小切手を置いていった者もいて、僕はババの家族を訪ね、ババの夢だった海老採り船を買うが、海老はまったく採れず、それは船に名前を付けていないからだと他の猟師に言われた僕は迷わずに“ジェニー号”と名付ける。一方、ジェニーの方はヤクに手を出し、自殺未遂をする。僕の許にはダン中尉が現れ、2人で漁をするがなかなか海老を採ることが出来ない。ある日、ハリケーンに襲われ、その時海にいた僕の船だけが助かり、それ以来大漁に恵まれるようになり、ババ=ガンプ社は船を12隻に増やす。
 僕の話を疑う中年男性は去り、残った中年女性に僕とダンが表紙になっている雑誌を見せる僕。
 フォード大統領の暗殺未遂を報じるテレビの許で、ママはガンになる。
 ダンはアップルというフルーツ会社に投資し、余った財産は教会に寄付する。僕は市から好きな芝刈りの仕事をもらい、常にジェニーのことを思っていた。そこへジェニーが戻って来る。ジェニーは眠り続け、起きたジェニーに僕はこれまであったことをしゃべり続けた。ジェニーは実家に石を投げる。
 2人の暮らしが始まり、僕はプロポーズする。ジェニーは「愛が何か知ってるの?」と聞くが、僕は「知ってる」と答える。ジェニーは僕のベッドに入ってきて、家を出る。
僕はジェニーが贈ってくれた靴で走り始め、何回もアメリカ大陸を横断し、マスコミにも取り上げられ、一緒に走る人々も出て来る。3年を過ぎて僕は走るのを止め、故郷に帰る。レーガン大統領の暗殺未遂が報じられている。ジェニーから手紙が届いて、そこへ行くためにバスを待っていると言うと、中年女性は手紙に書いてある場所はここから徒歩で行けると言ってくれる。
フォレストはそこを訪ねると、ジェニーと抱き合い、ジェニーは許してと言う。ジェニーの友人に連れて来られた男の子は名前をフォレストと言い、それは父と同じ名前なのだと言う。父のフォレストは知能のことを心配するが、ジェニーは息子はクラスで一番の成績だと言い、自分は病気でまもなく死ぬのだと言う。
結婚式を挙げる2人。そこに義足を履いたダンがフィアンセとともに現れる。やがてジェニーは亡くなり、彼女の実家はブルドーザーで壊される。フォレストは育児に熱心になり、ジェニーの墓に息子からの手紙を手向ける。この世は運命か、もしくはさまよっているのか、それは多分両方だと自問するフォレスト。ほしいものがあればいつでも言ってほしいとジェニーに言い墓を離れたフォレストは、スクールバスで息子を送り出すと、足許にあった羽毛がふわりと浮き上がり、それはやがて画面を覆い、映画は終わる。

ナレーションを多用し、目立った画面は羽毛のシーンぐらいでしたが、演出が身に染みた映画ではありました。

ロバート・ゼメキス監督『フォレスト・ガンプ 一期一会』その1

2016-09-27 09:47:00 | ノンジャンル
 朝日新聞で紹介されていた、小泉義之さんの’15年作品『ドゥルーズの哲学 生命・自然・未来のために』を読みました。
 冒頭の部分「はじめに」から引用させていただくと、「ジル・ドゥルーズ(1925年---1995年)は、最高の哲学者、最高の哲学史研究者だった。そして現代思想に最も影響を与えた思想家だった。まさに二十世紀後半はドゥルーズの時代であった。
 ドゥルーズに触発された書物を列挙してみる。蓮實重彦『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』、浅田彰『構造と力』、中沢新一『チベットのモーツァルト』、宇野邦一『意味の果てへの旅』、丹生谷貴志『ドゥルーズ・映画・フーコー』、澤野雅樹『記憶と反復』である。これら斬新な書物を触発する力が、ドゥルーズ哲学には潜在している。ところが、時代の空気が悪すぎて、ドゥルーズ魂は消失しかけている。本書は、この状況に対して、ドゥルーズ哲学の別の力を対抗させる。
 二十世紀は、二つの核の時代、原子核と細胞核の時代であった。
 原子核に潜在する力を解き放った核兵器は、世界観と人間観を深く規定していた。核兵器は、政治権力の象徴であり、大量虐殺の象徴であった。権力のイメージ、死のイメージ、終末のイメージを養ったのは核兵器だった。依然として、核兵器による殺害の可能性は残っているが、今後は、核兵器が世界観や人間観を規定することはないだろう。
 細胞核に潜在する力は、まさに解き放たれつつある。細胞核には、生物を生かして死なせる力が潜在し、生物を進化させて絶滅させる力が潜在する。そんな力が解き放たれつつあるのだ。今後は、細胞核によって規定される新しい世界観と新しい人間観を立ち上げる必要がある。
 ドゥルーズの『差異と反復』(1968年)は、分子生物学が誕生して間もない頃に、自然科学が解き放つ潜在的な力を認識して、新しい数理哲学、新しい自然哲学、新しい生命哲学を先駆的に提示した書物である。ドゥルーズの一連の著作、スピノザ研究、ニーチェ研究、フーコー論、絵画論、映画論は、新しい哲学から新しい倫理を引き出した書物である。
 ドゥルーズは『記号と事件』で、自分の全著作は「生命論」であり、敷石の合間に通路を穿って、生命に出口を示す作品であると語っていたし、「自然と人工の差異がぼやけてきた時代」にあって、新たに「自然哲学」を書きたいと語っていた。
 未来の哲学を、ドゥルーズとともに立ち上げることにしよう。」
 目次も書き写させていただくと、「第一章 変異と進化」「第二章 普遍数学」「第三章 自然の哲学」「第四章 ツリーとリゾーム」「第五章 生命の哲学」「第六章 批判と臨床 スピノザ」「第七章 生存の肯定 ニーチェ」「第八章 人間の終焉 フーコー」「第九章 未来の素描 フランシス・ベーコン」「第十章 出来事と運命 シネマ」という魅力的なものだったのですが、実際に読んでみると、まったく理解できませんでした。残念この上ない結果でした。

さて、ロバート・ゼメキス監督の’94年作品『フォレスト・ガンプ 一期一会』をWOWOWシネマで見ました。
 舞い上がる羽毛をバックにオープニングタイトル。バスの停留所のベンチに座る上下白いスーツを着る男(トム・ハンクス)の足元にそれが落ちると、男はそれを拾い、本に挟んで鞄の中に入れる。男は隣に座る若い黒人の女性に「自分はフォレスト・ガンプです」と自己紹介し、最初の靴を与えられた時、母(サリー・フィールド)からは好きなところへ行くように言われたと自分のことを語りだす。
 南北戦争の時、祖父は英雄で、KKKに属していた。母は「バカなことはするな」と言い、脚装具を僕に与え、皆と同じだと語った。
 小学校入学の際、知能指数が75しかなく、80に達していないので、養護学校を母は勧められたが、母は普通学校に進むことを頑として主張した。実際には離婚していた父は、休暇中だと言い、絵本をよく読んでくれた。
 家には様々な人が行き交い、ギターを持って現れた若者は僕に躍らせ、それがその僕の踊りをまねた後のプレスリーだった。
 初めてのスクールバスで、唯一席を譲ってくれたのは、ジェニーで、彼女とはいつも一緒に行動するようになった。彼女は父と二人暮らしだったが、家を嫌っていた。僕の母は「奇跡は毎日起こる」と言っていた。
 僕はジェニーと一緒にいた時、石を投げられ、ジェニーに走って逃げるように言われ、自転車で追いかける3人組から走って逃げたが、そのうちに脚装具が外れ、すごいスピードで走ることができるようになり、それ以後、移動の際に必ず走るようになった。
 父から体を撫で回されていたジェニーが学校を休み、彼女は祖母の家に預かってもらうことになり、僕の家の隣に住むようになった。(明日へ続きます……)


三崎亜記『私』

2016-09-26 07:44:00 | ノンジャンル
 ‘12年に刊行された『短篇ベストコレクション 現代の小説2012』に収録された、三崎亜記さんの作品『私』を読みました。
 昨日、市内の未納者あてに督促状を発送した。そろそろ問い合わせの電話がかかって来るはずだ。午後一番の市民対応は、電話ではなく、来庁した若い女性だった。彼女がバッグから取り出したのは、昨日発送したばかりの督促状だった。「どうも、私宛ではないような気がするのですが……」「失礼ですが、何か身分証明書をお持ちでしたら、確認させていただいてよろしいでしょうか?」女性はバッグから免許証と保険証とパスポートを取り出した。住所も名前も一致していた。「大変申し訳ないのですが、私には、ご住所やお名前に、間違いを発見することができないのですが……」「はい、間違いはありません」彼女は、私が「当惑」するなどとは考えてもいないかのように、何らかの「対応」を待つそぶりだ。「少々お待ちいただけますか。調べてみますので」私は彼女を待たせて自席に戻り、情報管理課の内線電話で確認する。「ああ、ちょっと確認してほしいんだけど、住民番号KO-137965のデータなんだけど、最近何か変更を加えたりした記録があるかい?」「入力内容の変更は無いよ。ただ、先週データ更新をした際に、間違って二重登録した市民データが二百件ほどあってね。エラーになったから、手作業でデータの一方を消去したんだ。KO-137965も、その対象だったんだよ」「わかった、ありがとう」私は電話を切って、カウンターに戻り、心配顔で待っていた女性に、事情を説明した。「つまり、二つあった私のデータの、一つを消したということですね」「……ええ、そうなります」「消されたのは、私のデータなのです」「確かに、あなたの情報は消去されました。ですがそれは、二つ存在したまったく同じ情報のうちの一つなのです。どちらが消されても、残った情報はあなた自身のものですよ」「経験していない人には、わからないでしょうね」督促状に印字された名前に、彼女は敵意のこもった視線を落とす。危険な兆候だ。「字面が一緒というだけで、ここに記されているのは『私』の名前ではないんです……」「わかりました。それでは、どういった解決策が取れるかを、一緒に考えてみましょう」「その、消してしまったデータというのが、本当の私の名前なんです。お願いします。消去したデータの方を復元してもらえますか」「なるほど、おっしゃる通りです。それでは、少々お待ちいただけますか」私は再び自席へ取って返し、情報管理課に内線電話をかけた。「何度もすまない。さっきの件だけど、二重になって削除したデータの方も、作業履歴の中にはまだ蓄積されてるはずだよな?」「ああ」「すまないが、そちらのデータを復元して、今のデータを削除してもらえないだろうか」「え? ……ああ、まあ、いいけどな。よし、こちらの住民データは置き換えたぞ。そちらの個別システムの情報を更新しろ。それでデータは置き換わるから」「ああ、ありがとう」私は電話を切り、「お待たせして申し訳ありません」と女性に断りながら、個別システムの住民データを更新した。画面上には、先程までとは置き換えられた……、だが、内容的には何ら変わりはない、彼女の督促データが表示された。「こちらでいかがでしょうか」「ああ! 確かに私の名前です!」彼女が立ち去ってから、私はフロアの片隅のシュレッダーに向かった。それにしても住民データと個人が、これほど密接に結びついているとは、思ってもみなかった。考えてみれば、私が「私」であるということを証明できるのは、こうして役所にデータがあるからこそだ。もしかしたら、それらすべてのデータが無くなってしまったら、「私」という存在そのものも消えてしまうのではないだろうか?
 当初の業務予定の通りに午後の業務を終えた私は、五時半に庁舎を出て、帰り途に図書館に立ち寄った。貸出は一人十冊までだ。まだ読み切れていない本が家に三冊あるので、七冊までなら借りることができる。二十分ほど見てまわり、五冊の本を手に、カウンターに向かった。「既に六冊借りられていますので、本日は四冊までしか貸し出すことはできません」「一週間前に、三冊しか借りていないはずですが」「それでは、二重になっているようですね」「ああ、貸出データが二重になっているんですね。それでは、そのデータを正して、貸出ができるようにしてもらえますか」「いえ、二重になっているのは、データではなく、あなた自身です」……。

 いつもの三崎作品同様、不思議な味わいのある作品でした。なお、上記以降のあらすじに関しましては、私のサイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)の「Favorite Novels」の「三崎亜記」のところにアップしておきましたので、興味のある方は是非ご覧ください。