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奥田英朗『我が家のヒミツ』その11

2016-11-30 05:17:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 出馬すると決めた里美は、翌日から毎日家を空けるようになった。サルビアの会の事務所内に選挙対策本部が作られ、マニフェスト作りに追われている様子なのである。告示まで一月ないのだから、準備も大変なのだろう。ホームページには現職議員が写真入りで掲載されていて、ホステスみたいな派手な女や、学生と見紛うほどの若い男もいた。なるほど国政とちがってかなり緩そうである。19歳の双子の子供たちは母の立候補に乗り気だった。「もしおかあさんが市議になったら、忙しくて毎晩ご飯を作るなんてことも出来なくなるぞ」「いいよ、別に。どうせ平日はほとんど家で食べないし。困るのはおとうさんだけだって」
 康夫の執筆量はかなり落ちている。康夫自身、作家稼業に少し倦怠感を覚えていた。本が以前ほど売れなくなったのだ。これはという自信作でも売れないので、今さらながら世間の儚さを思い知った。そして夫と入れ替わるように、妻が世に出ようとしているのだから、これも天の配剤なのかもしれない。里美は連日、市内のあちこちで会合を開いていた。
 その夜は編集者と打ち合わせを兼ねた会食があり、康夫は銀座に出かけた。「もう一度、犯罪小説にチャレンジしてみたいんだけどね」編集者の松原の表情が一瞬曇った。康夫は三年ほど前、これまでのユーモア小説路線からの脱却を図るべく、犯罪小説を修英社から上梓(じょうし)していた。「大塚さん、〈井端さん一家〉シリーズはもう書かないんですか?」「もう書けないんだよね。アイデアが浮かばないし」新人だった頃を除けば、小説の内容に編集者が注文を付けることはなかった。もしかしたら、今夜が作家人生の変わり目なのかもしれない。康夫はバーの喧噪の中で、老人になったような気分を味わっていた。
 翌日、今度は編集長から電話がかかってきた。松原の報告を受けての念押しだった。「井端さん一家シリーズをお書きになる気がないそうで、とても残念です。秋からの連載の件なんですが……。ご存知と思いますが、うちの雑誌じゃなくてウェッブマガジンで連載するのはいかがかなあと……。ご存知だと思いますが、うちの文芸局で運営しているサイトで、エッセイや連載小説も掲載してるんですけどね」「うん、いいよ。締め切りがない方がじっくり書けるし。また前回みたいに長くなりそうだし」電話を切った康夫は深々とため息をついた。
 夕方になって里美からメールがあった。今夜は遅くなりそうなので、申し訳ないけど晩御飯は出前をとってくださいという内容だった。康夫は寿司を食べに行ったあと、家には誰もいないので、居間のオーディオ機器を結構な音量で鳴らし、昔のロックを聞いた。酒の勢いもあって長男の恵介にメールを打った。〈おまえ、おかあさんが市議選に立候補するのは知ってるか?〉5分ほどして返信があった。〈知ってるけど、何かあった?〉〈知ってるならいい〉それでメールのやりとりは終わった。
 次回作は書下ろしと決めたら、締め切りがなくなり、なんとなく緊張感まで失せた。里美には今起きていることを話さなかった。ただ確定申告の結果を見ているので、亭主の収入がずいぶん減っていることだけはわかっているだろう。
 昼近くになって玄関チャイムが鳴った。誰だろうと思って出ると、町内の山田だった。子供たちが小さい頃は何かと親切にしてくれた老人である。「この前の懇談会で、奥さんの公約は聞いたけど、そのあと町内のシニア会で話し合ったところ、こっちにも条件があって、地域バスの巡回路を公園横まで持って来てくれること、それから町内の用水路に蓋をしてくれること、この二点を確実にやってくれるなら考えてもいいって、そういう結論になったから、わたしが代表して伝えに来たんだけどね。隣の弥生町から出てる現職の市議は……渡辺さんって人だけど、二つともやるって約束してくれてるのね。だから大塚さんの奥さんは、それプラス何かを打ち出さないと、正直なところシニア会の票は得られないかなって……。近所だから応援したい気持ちは山々なのよ。だからできればもうひとつ……」「はあ、わかりました」なるほど、これがドブ板選挙というやつか。康夫は妻の顔を思い浮かべ、少し切なくなった。(また明日へ続きます……)

奥田英朗『我が家のヒミツ』その10

2016-11-29 05:39:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 その夜、午後9時過ぎに帰宅して、父に石田部長からの手紙を渡すと、父は最初訝しげに封筒を見つめていたが、すぐに内容を察したのか、「ずいぶん情に厚い人なんだな」と言い、その場では開封せず、自分の寝室へと持って行った。残された亨と遥は話した。「こういうときって人間がわかるよね。一人だけ気遣ってくれる後輩がいて、聞いたら子供の頃に弟を事故で亡くしてて、残された家族の哀しみがわかるって言ってた。うちら、おかあさんが死んで、いろいろ学んだね」「ああ、そうだな」「ねえ、おとうさんは? 寝室に入ったきり出て来ないけど、もう寝たのかな。おにいちゃん、立ってるついでに見て来てよ」「わかったよ」居間に戻った亨は遥に言った。「おとうさんが泣いてる。手紙を読んで泣いたんじゃないの」「どういう手紙なの?」「知らない。おれは読んでないから」原因が石田部長の手紙なら、悲嘆に暮れているわけではないだろう。きっと慰められたのだ。
 翌朝、亨がダイニングで朝食を食べていると、父が寝室から起きてきて、封筒をテーブルに置いた。「石田さんに渡してくれ。おとうさんからのお礼の手紙だ」父はなにやら晴れやかな顔をしていた。そしてその日、亨は出社すると真っ先に石田部長のところに行った。「おはようございます。これ、うちの父からのお礼の手紙です。石田部長の手紙には何が書いてあったんですか」「それは内緒。ぼくの経験談だよ。妻を亡くしていろいろあったからね」「とにかく元気が出たみたいで、今朝はトーストを2枚食べてました」「そうか、そりゃよかった」亨はデスクに戻った。石田部長は父からの手紙を読んでいるらしかった。そのとき、石田部長が不意に顔を歪(ゆが)めた。そして立ち上がると、手紙を持ったまま、左手で鼻を押さえ、部屋の外へと早足で出て行った。亨はなんだかおかしくなった。大人はいいいなとも思った。みんな、支え合って生きている。母はこの様子を、天国で笑って見ているにちがいない。そう思ったら、亨も鼻の奥がつんときた。
「妊婦と隣人」
 隣に新しく引っ越してきた夫婦が謎めいていて、妊娠中の葉子(ようこ)は気になって仕方がなくなった。外出するのを見たことがない。確かにいることは、壁にコップをつけて聞こえる音からして間違いない。夫は「お腹の中にいる子供が出す音じゃないの?」と相手にしてくれない。そしてある日、隣人は公安警察によって逮捕された。その夜、夫の夜食には、さっと茹でたニラと長芋と明太子を和えて御飯に載せ、キノコのすまし汁と一緒に出してあげた。「うまい、うまい」目を細めて食べている。そのときおなかの赤ちゃんがコツンと蹴った。生まれる前から、もう気心が知れた母と子の気分だった。
「妻と選挙」
 妻が市議会議員選挙に立候補すると言い出した。妻は以前から、地元・はるな市の福祉センターにボランティア登録していて、紹介されたNPO法人で高齢者への新聞の読み聞かせの活動を行って来たが、高齢者が置かれた淋しくて厳しい現状を見るにつけ、これは市政がなんとかするべきだろうと思い始め、自らひと肌脱ぐ決意をするに至ったようなのである。大塚康夫(やすお)は50歳の小説家で、自宅で仕事をしていた。妻の里美(さとみ)は、かつてはパートで働いていたが、ここ十年ほどは専業主婦で、その反動からか、あるいは夫と少しでも別の時間が欲しいからか、意識的に外に用事を作りたがるところがあった。過去にもロハスに凝ったり、マラソンにはまったりと、いろいろな前歴がある。サルビアの会というのが、里美が参加しているNPO法人で、メンバー全員が主婦だった。一度ホームページをのぞいたことがあったが、30代から50代までの、普通の女たちのボランティアサークルといった印象だった。「そんなに本格的なわけ?」里美から話を聞いた康夫は、妻がいつの間にか結構な人脈を築いていたことに驚いた。「ほら、安田さんの旦那さんが弁護士だって、前に話したでしょう。その旦那さんが顔の広い人で、いろいろ働きかけてくれてるの。安田さんは、自分は参謀役が向いてるって。そして安田さんが言うには、わたしは若過ぎず、老けてもいず、候補にはちょうどいい年齢なんだって。……それから、これはわたしが言ったんじゃないよ。安田さんをはじめ理事の人たちが言うには、大塚さんは美人だから選挙に有利だって」「はは」「笑うと思った」「いや、ただ当選したら大変だろうなあって思ったりして……」「そうかもしれないけど、やってみたいの。あ、そうだ。お金のことなら心配いらないからね。供託金の30万円も含めて80万円以内で済ませる。サルビアの会が半分カンパしてくれるっていうから、あとはわたしが自分の貯金をくずして充てる。ただお願いが一点だけ。プロフィールに、〈夫はN木賞作家の大塚康夫〉という一文だけ入れさせて。みんな、そうしろって言うの。たぶん、それだけで世間的な信用度が上がるってことなんだろうと思うけど。お願い、絶対に迷惑はかけないから」「それくらいいいけど」(また明日へ続きます……) 

奥田英朗『我が家のヒミツ』その9

2016-11-28 05:34:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 週明け、亨は思い切って杉田さんの職場に電話をしてみた。「若林さん、会社では普通に働いてるんだよ。どちらかというと、落ち込んでる姿を見せまいとしてる感じかな。でも、まあ、ふと見れば窓の外をぼうっと眺めてるようなときもあるし……。そうかあ、家では泣いてるんだ」
 福井に残業を言いつかり、仕事をしていると、同期の女子社員が通りかかった。「同期のみんなが裏の居酒屋に集まってるんだけど、これから一緒に行かない?」と言う。同期の仲間たちは、〈一同〉として香典を包んでくれていた。お礼を言わないと、という思いはあるのだが。福井は1時間だけなら行っていいと言ってくれた。酒の席の同僚たちの無邪気さにいろいろ考えさせられた。この中に、亨が抱える悲しみを想像できる人間はいない。「おい、若林、クリスマスパーティーは女の子を集めて派手にやるからな。出席しろよ」「わかった」笑ってうなずき、一人で店を出る。彼らの明るさが励みになるのも事実だった。
 父は傍目(はため)にも痩せ細ってきたように見えるらしく、隣のおばさんが「これ食べて」と、肉じゃがやらニシンの甘露煮やらを持ってきた。父は亨に言った。「杉田君の奥さんが毎日おれの分の弁当を作って、杉田君に持たせてるんだよ。若林さん、栄養とらなきゃだめですよって、まるで家でろくなもの食ってないような言い方するから、おまえが何か吹き込んだんじゃないかと思ってな」亨は石田部長に相談してみることにした。「君のおとうさん、一度病院で点滴を打ってもらったらどうだ。それに睡眠はどうなんだ。今日から気をつけて見るようにしなさい。もし眠れない夜が続いているようなら、病院に行って薬を処方してもらった方がいい。実はぼくも妻を亡くしてしばらくは、夜は眠れないわ、メシは喉を通らないわで相当体が参った。しかし会社にそんなプライベートなことを持ち込むわけにはいかないから、無理をして頑張っていたら、ある朝突然起きられなくなった。何かと言うと、鬱病の症状だ。この歳になって伴侶を失うというのは、自分の人生の半分を失うのと一緒なんだよ」
 その夜遅く、帰宅する電車の車内で近所の小林君を見かけた。高校生になって以降はほとんど口を利いていなかったが、通夜に参列してくれたことから、なんとなく彼の存在が頭の中にあり、これも縁だろうと思い、声をかけることにした。「通夜に来てくれてありがとう」「近所だもん。当たり前だよ」「おれ、あのあと今更のように思ったんだけどさ、そういえば小林君もおとうさんを亡くしてるんだなって……。こっちは中学生だったから、よその家の不幸がまったく想像出来なくて、近所で幼馴染みなのに葬儀も行かなかったし、励ましの言葉もかけなかったし--------」「みんなそんなものだって。おれだって親父が死んでなければ、亨君のおばさんの死も身近には感じなかったと思う。おれが親父を亡くして最初に学んだのは、世の中には温度差があるってことかな。遺族はいつまで経っても悲しいのに、周りは3日もすると普通に生活をしていて、普通に笑ってる。だから遺族は次にその温度差にも苦しめられる」「いや、その通りだ」亨は心の中で手を打った。同じ悲しみを持つ人がいてくれる。それだけで人は癒される。
 翌朝、家族3人で朝食をとっているとき、石田部長のアドバイスに従い、父に病院でのカウンセリングを勧めた。「実はうちの部長、石田さんっていうんだけど、おとうさんと同い年で、去年奥さんを癌で亡くしてるんだよね。それで自分が苦しんだ経験があって、君のおとうさんもきっと苦しんでるはずだから、早いうちにカウンセリングを受けた方がいいって勧められて、それで言ってるんだけどね。おとうさんも自分を責めてるの?」「うん? それは……」父はその質問に答えず、席を立った。
 会社でまず石田部長のところに行き、父からのお礼の言葉を伝えた。「くれぐれも遠慮しないように。おとうさん、会社の中で相談相手を見つけるより、外の人間のほうがいいと思うんだ。社内だとどうしても弱音は吐きたくないだろうし、その点ぼくは利害がないから」石田部長は、父からの反応があったことがうれしいのか、かなり機嫌をよくしていた。そして、その日の昼休み、石田部長に呼ばれてデスクまで行くと、「これを君のおとうさんに渡してくれ」と封筒を渡された。「君のおとうさんに、手紙を書いた。出過ぎた真似かもしれないが、ぼくは経験者だ。必ず役に立てると思う」(また明日へ続きます……)

奥田英朗『我が家のヒミツ』その8

2016-11-27 04:03:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 帰宅したアンナはふと父の両肩に手を置いた。「揉んであげる。クリスマスプレゼント」自然に出来た。父の肩を揉むなんて、小学生のとき以来だ。「お、うれしいなあ」父は表情を崩したが、どこか照れた感じがあった。さあ、なんて言おう。留学、やめたわ。実の父親とは、しばらく会わないことにする。心配かけてごめん--------。喉につっかえて出て来なかった。「お正月さあ、マルキューの福袋セールに並びたいから、おとうさん、車で連れてってくれない」「なんだ。そういうことか」父が笑っている。しばらく父の肩揉みを続けた。3分も続けたら言葉がいらなくなった。父がしあわせそうなのが、手に取るようにわかった。
「手紙に乗せて」
 母が53歳で死んだので、若林亨(とおる)は実家に戻ることにした。社会人2年生の亨は就職を機に家を出て、ワンルームマンションを借り、気ままな一人暮らしを楽しんでいたのだが、大学生の妹・遥(はるか)が、「おとうさんと二人きりはいや」と言いだし、それは自分だっていやに決まっているので、気乗りはしなかったが妹のことを思い、戻ったのである。母の死因は脳梗塞だった。平日に家で倒れ、夕方帰宅した妹が発見し、救急車で病院に運び込まれた。すぐに手術したが、意識が戻らないまま、息を引き取った。あまりに突然のことで亨はただ呆然とするばかりだった。あれから半月が過ぎたが、今でも信じられなくて、毎日台所から母の声が聞こえてきそうな気がする。
 三人になった若林家の朝は、それぞれがバラバラに朝食をとることから始まる。この日、亨が一階に降りて行くと父の姿がなかった。家の中を探したが見つからず、亨はなにやら心配になって来た。先日も夜中に父の姿が見えなくなり、妹と捜したら庭の物置で何か荷物を漁(あさ)っていた。何をしているのかと聞くと、本を探していると父は答えたが、床には、遥が小さい頃、母が作ったぬいぐるみが数個並べられていた。亨と遥は、何も言えなくなって引き下がった。父の目は赤く、今さっきまで泣いていたことがありありとわかったのだ。「わたし、家の周りを見てくる」遥が行きかけたとき、玄関のドアが開く音がした。「コンビニに行くついでに、堤防まで散歩してきた。今日は二人とも遅いのか」「たぶん」と亨が答える。亨は広告代理店勤務で、残業は毎日のことだ。「わたしもバイトで遅い」遥は駅前の学習塾で事務のアルバイトをしていた。「おとうさんは?」会話の成り行きで亨が聞くと、父は「うん? 定時に帰るけど」と軽く答えた。これまでいちばん忙しかったのは父で、中堅ゼネコンの管理職の父が平日に家で夕食をとることはほとんどなかった。それが、母が死んでからは毎晩7時過ぎには帰宅するようになった。会社が気を遣っているのは明らかで、妻が死んだことで、当分は仕事を減らすよう配慮があったものと思われた。母が死んで、残された家族にとって夕食がこれほど難事業になるとは思わなかった。まるで船頭を失った船である。
 会社では毎日仕事に追われた。亨が勤める広告代理店は伝統的に体育会系で、若手は厳しくしごかれるのが常だった。ただ、母が死んでからは、扱いが少しやさしくなった。しかし、三年先輩の福井だけは、亨が特別扱いされることが気に食わない様子で、部長や課長のいないところで、余計に厳しく当たったりした。福井は、母が集中治療室に入っていたときでも夜中に亨を電話で呼び出し、仕事を言い付けた。亨の印象では、総じて若い社員ほど、同僚の母親が死んだことに無頓着だった。対して中高年のおじさんたちは、みな一様に同情の色が濃かった。
 この日は、クライアントの見本市出展の手伝いに駆り出された。現場を仕切るのは福井で、亨はAD役として雑用全般に奔走した。そこへ石田部長が現れた。部長は亨に話かけた。「いや、ぼくもね、去年妻を亡くしているんだよ。あれは辛いもんだ。おとうさんも当分は仕事など手につかんよ。ちゃんと頭が働かないんだよ。それから君も当分は早く帰宅するように。仕事も大事だが家族に優先するものはない。君の年齢ではピンと来ないだろうけどね。なるべくおとうさんのそばにいてあげなさい。課長にも言っておくから」その日は最後のゴミ出しまで言い付けられ、家に帰ったのは午前零時過ぎだった。
 父は相変わらず元気がなかった。そして、どうやらあまり食事をとっていないらしい。父の会社での様子を聞いてみようと、遥とも相談して、父の昔の部下で、社宅時代にずいぶん遊んでもらった記憶がある杉田さんに頼むことにした。遥は言った。「こんなこと言ったらなんだけど、おとうさんが憔悴(しょうすい)してるから、まだ助かってるところがあるかな。おとうさんが気丈だったら、逆にわたしが苦しむかもしれないってこと。残された家族三人の哀しみが十だとしたら、そのうちの七ぐらいを今おとうさんが引き受けてくれてるのよ。だからおにいちゃんとわたしは残りの三で済んでる」「おまえ、頭いいな。就職、うまく行くよ」「でも当分は気をつけて見てないと。わたし、やっぱり朝ご飯作るわ」「じゃあ、後片付けはおれがやる」二人はうなずき合った。(また明日へ続きます……)

奥田英朗『我が家のヒミツ』その7

2016-11-26 07:32:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 むしゃくしゃするので、その足でパパの稽古場に行くことにした。メールしたら、〈見学ならいつでもいいよ〉と返事をくれたのだ。打ち合わせが終わると、近くの洒落たカフェに連れて行ってくれた。アンナは離婚の理由を尋ねた。「離婚の理由かあ……。お互い若かったからね。我を張ることもあったし。でもいちばんの原因はパパの留学かな。アンナが生まれてすぐの頃、当時の文部省の支援でイギリスに国費留学出来ることになってね。パパ、どうしても本場で演劇の勉強をしたかったから、それでおかあさんとアンナを日本に残して、一人で二年間留学しちゃったわけ。まったく自分勝手だよね。おかあさんに見限られたのは当然だと思う。でも大学生になったら、アンナも留学するといいよ。世界が実感出来るしね」「わたしは来年したいの。カナダかオーストラリア。でもお金がかかるから行けそうにない」アンナはここでうつむいた。心の中でパパの言葉を期待しながら。けれどパパは、一拍置いてから「じゃあ、しょうがないね」と言った。あてがはずれてがっかりしたが、自分からはやはり言えなかった。でも意思は伝えたのだから、次はもっと話しやすい。
 家に帰ったのはすっかり日が暮れてからだった。母が「寄り道するならメールをちょうだい」と小言を言う。「パパのところ」アンナが答えると、また母の表情が曇った。「パパ、イギリスに留学してたんだってね。しかも国費で」「白川さんが言ったの?」「うん。いろいろ若い頃の話をしてくれた」「アンナ、まさか留学費用を出して欲しいとか、そういうことは言ってないよね」「言っちゃいけない?」「言ったの?」「まだ言ってないけど。ねえ、わたし、パパの家で暮らしちゃだめかな」「アンナ、本気で言ってるわけ?」「本気だけど」「わかりました。おとうさんと相談します。前にも言ったけど、アンナは16歳になったのだから大人扱いします。その代わり、行ったり来たりなんて、都合のいいことは許しません。あなたももう一度考えてください」母は突き放したような口調で言った。
 翌日部活に行くと、まずは若菜と仲直りをした。その後、若菜は言った。「あのさあ、蒸し返すようだけど、アンナがパパの養女になるとか、留学費用を出してもらうとか、やっぱ考え直した方がいいよ。ゆうべ、わたしもおとうさんにアンナの話をしたのよ。そしたら、育ての親にマジで同情して……。友だちならちゃんと諭(さと)しなさいって言うの。わたし、おとうさんの話を聞いてたら、確かにそうだなあって思って……。だってこれまでアンナを育てたの、今のおとうさんじゃない。そこにセレブなパパが現れたからって、乗り換えられたら、マジで悲しいよ」彩也香が珍しく真面目な口調で言った。「うちのおとうさんが言うには、男は甲斐性を比べられたら、立場がないんだって。アンナのおとうさんは、カッコよさでもお金でもステイタスでもパパにはかなわなくて、そのうえアンナとは血がつながってないわけじゃん。もしアンナがパパになびいたら、引き止めようがないっていうか、黙って見てるしかないわけじゃん。それは悲しいよ。わたしさあ、アンナのおとうさん、好きだよ。やさしいし、真面目だし」「わたしも好き。台風の日、学校まで車で迎えに来てくれて、わたしたちまで家に送ってくれたじゃない。うちのおとうさんなら絶対にしないよ」言われてみれば思い当たる節はあった。うちの父はよその父親より家族思いだ。「とにかく、ゆっくり考えること」若菜がアンナの肩に手を置いて言った。「どっちかを選べなんて酷だけど、二股はよくないよ。それからもうひとつ、うちのおとうさんが言ってたこと。もしもアンナのパパが、生みの恩より育ての恩ということがわかってる人間だったら、アンナのおとうさんを差し置いて留学費用は出さないだろうって。それから、わたし思ったんだけど、アンナのおかあさんとパパの離婚話より、おかあさんとおとうさんの結婚話の方が絶対に面白いと思うよ。だって子供がいる女の人を好きになってプロポーズしたんでしょ。きっと周囲の反対にもあったはずだし、それでも結婚したっていうのは大恋愛じゃない。アンナのおとうさん、情熱家なんだって」「わたし、とりあえず留学は考え直すわ」アンナが言った。二人が慰めてくれる。ここで「考え直す」から「取りやめる」に気持ちが進んだ。「わたし、パパともしばらく会うのやめるわ。実の父親がどんなんかわかって、一応気も晴れたしね」「そうとなったら、おとうさんに言って安心させてあげなよ」「うん、同感」「わかった」アンナの中で、波立っていた気持ちが急速に鎮まった。(また明日へ続きます……)