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斎藤美奈子さんのコラム・その42&前川喜平さんのコラム・その4

2019-06-26 18:38:00 | ノンジャンル
 恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず6月19日に掲載された「据え膳の問題」と題された斎藤さんのコラム。その全文を転載させていただくと、
「「長野漱石会」が声をかけてくれ、先週末、長野に行ってきた。話のお題は『三四郎』。東京帝大に入るために九州から上京した青年・小川三四郎の青春譚(たん)である。
 『三四郎』の冒頭には衝撃的な逸話が配されている。東京へ向かう汽車で出会った女性と名古屋の宿で同衾(どうきん)するハメになった三四郎。何事もなく朝を迎えた三四郎に女は辛辣(しんらつ)な一言を浴びせる。「あなたはよっぽど度胸のない方ですね」。ここは女に手を出さなかった三四郎のふがいなさを笑うエピソードとして読まれてきた。「据え膳食わぬは男の恥」的な。
 据え膳というけれど、仮に三四郎が女に手を出したらどうなったか。彼女は騒ぎ、三四郎は下手すりゃ姦通(かんつう)罪か強姦(ごうかん)罪に問われかねない。
 『三四郎』は明治末期の「新人類」を描いた作品である。今日の言葉でいえば草食男子。たしかに情けない青年ではあるのだが、この一件に関しては何もしなかった三四郎が断然正しい。
 そんなこんなで『三四郎』はセクハラやレイプについて考える教材にもなると思った次第。「同宿を断らなかった」「あっちが誘ってきた」などはレイプ犯がよく口にする弁明だけど、それをOKのサインと解釈するのは男性のご都合主義な妄想ですから。もしかしてこれは漱石がしかけたドッキリだったのか。興味のある方はぜひ読み直しを。」

 また6月26日に掲載された「やればできる」と題された斎藤さんのコラム。
「24日、川崎市がヘイトスピーチに対する刑事罰を盛り込んだ「差別のない人権尊重のまちづくり条例(仮称)」の素案を市議会に提示した。刑事罰が入った条例が成立すれば全国初。
 同じ24日には、茨城県の大井川和彦知事が同性カップルなどに証明書類を発行する「パートナーシップ宣誓制度」を7月1日から導入すると発表した。こちらも都道府県単位では全国初。
 どちらも市民団体や当事者が粘り強く訴えを続けてきた案件であり、大きな前進といえる。
 一方、東京都議会では19日、選択的夫婦別姓制度の法制化を国に求める意見書の請願が採択された。今年だけでもすでに十を超える地方議会で同様の意見書が可決されているそうだ。
 国がダメなら自治体から攻める。そうだ、その手で行こうよ! と思ったのだが、反面、茨城県の制度も東京都の請願も自民党は反対。愛媛県の今治市議会では、夫婦別姓制度の審議を求める意見書が、市議会教育厚生委員会の段階で不採択になった。賛成したのは共産党の女性議員一人。残りは全員無所属の男性議員。誰が足をひっぱっているかがはっきりわかる事例である。
 それでも川崎市や茨城県ほか一歩前に進んだ自治体の例は貴重である。合言葉は「やればできる」。ウチの県は保守的だから、とは思わないことかな。」

そして6月23日に掲載された「TALIS2018」と題された前川さんのコラム。
「教師の仕事ぶりについて経済協力開発機構(OECD)が行う国際調査TALIS。2018年の調査結果が出た。前回の13年調査で明らかになった日本の課題は、改善されるどころか深刻化している。
 突出しているのは仕事時間の長さだ。日本の中学教師の1週間の平均仕事時間は56.0時間。参加国平均より17.7時間も多く、前回調査より2.1時間増えた。特に他国より長いのは、課外活動7.5時間(参加国平均1.9時間)、事務業務5.6時間(同2.7時間)など。一方、職能開発活動の時間はたったの0.6時間(同2.0時間)。本来しなくてよい仕事に忙殺され、教師にとって不可欠な学びの時間が削られているのだ。
 授業の仕方に関する教師の自己認識では、「生徒の批判的思考を促す」指導ができているという教師が24.5%(同82.2%)、「批判的に考える必要がある課題を与える」が12.6%(同61.0%)、「明らかな解決法が存在しない課題を提示する」が16.1%(同37.5%)と極めて低い数字が並ぶ。これは単に授業の仕方だけでなく、教師自身の生き方を反映しているのではないか。教師自身が、物事を批判的に考え、自ら解決法を見つけようとしていないのではないか。そこが一番心配だ。」

 どの文章も勉強になりました。

島尾敏雄『離脱』その3

2019-06-24 13:35:00 | ノンジャンル
 八日めの朝、眠りからときはなたれ、昼のなかにはいるのをおそれながらそっと目をあけると、じっとぼくを見ている妻のかわいた目にぶつかった。(中略)こどもたちも目をさまし、父と母がすぐそばに寝ているのがうれしいのか、しさいぶって伸一など、両ひじを立ててあごを支えるかっこうできいていたが、「おかあさん、ぼうやも、ゆめをみちゃった」と言う。「ほう、ぼうや、もう夢をみるのかねえ。どんな夢だったい」とぼくは救われたように妻の気分をそちらに向けようとこころみる。
「玉のお墓がうごきだしたんだよ。そうしたらね。玉が生きかえっちゃった」
と伸一はいきをはずませて、じぶんのみた夢を親たちに報告したが、それは夢のはなしとしてはいっそう悪い。玉は妻が寂寥をまぎらすために飼ったねこだが、先ごろ死んで、庭のすみにうめた。玉のことを言えば、かわいがったそのねこのことばかりでなく、それに重なってそのころの夫の姿態がぶつぶつふきあがってくるのだ。(中略)
 きのうの日の昼すぎ、ぼくは映画を見たくなったから妻にそう言った「すこうししんぱいだ。やめようか」ときめかねていると、「だいじょうぶよ、おとうさん。見ておいでなさい。またなにか仕事のやくにたつかも分らないでしょ」と言われて、踏切をこえた向うの映画館に行った。(中略)外に出ると、すっかり日が暮れていた。(中略)不安がのどもとまでふきあげ、下駄の音をきしらせてぼくは家まで走り帰った。(中略)
「ごめんなさい。おそくなっちゃった。すんで外に出たら、もうくらくなっているので、びっくりして走ってきた」といきをきらせて言っても、妻はだまっている。その暗い顔つきは家じゅうを凍りつかせる。(中略)

 その事実をどう説明することもできないが、朝方の妻の夢見にはひとつの予兆のにおいがあった。おそれている「こと」はひとつせず確実にやって来る。(中略)
 なぜか、なにげなく垣根の外に目をやるときについ配達人の制服や帽子を見てしまうが、ぼくに見られた配達人が門に近よって行ったあとで、郵便受に、ことん、と音がする。するとその音をマキがききのがさないのがふしぎだ。(中略)「あなた、きたわよ」という妻のたかぶりをむりにおさえた声だ。ぼくはいきなり汗をびっしょりかく。「いっしょに読む約束よ」そう言って妻が封をきる。さいしょ読んでだまってぼくによこす。見なれた字が目にはいる。(中略)妻はそれをもって便所にはいった。
 そのときこどもはふたりとも手紙をとり出してから便所にはいるまでの母親のようすをじっとだまって追っていた。便所にはいったとき、マヤはおびえるように顔をしかめて、「マヤ、ミタクナイ」とぽつんとひとりごとを言い、伸一は母親がでてくると、「べんじょに、おてまぎをすてたの?」ときいた。「紙よ」と妻が返事をする。
「てまぎの紙?」ともういちど伸一はきく。
「ただの紙」妻がそうにげると、
「うそつけ」
 伸一ははきだすようにそう言った。でもそのときは妻にはなんの変化もなかった。(中略)それはひとまず安心だが、伸一のなげつけるように言ったことばは気にかかる。

 たとえ家の中がどんなにかたまらなくてもこのままでは餓死してしまうほかない。朝夕がことのほか冷えこみ、もう、はっきりと夏が過ぎ去ったことが分った。(中略)マヤがじぶんだけで人形あそびをしながらひとりごとを言う。オトウシャンハバカダカラ、オウチガイヤクナッテ、ヨショノオウチニイッチャッタノ。ぼくたちはきっかけのある度に、坐りこんではなしこむ。(中略)それは結婚いらいのことなのだ。そういう姿勢にも少しずつなれて行くのか。でも妻の暗い顔つきはいっこうに消えそうでないのが気にかかる。(中略)妻の方に寄り添おうとすると過去の体臭がたちのぼってきて気持が分離してしまう。妻の方もときにうかがうように仕事部屋にやってきてつきさす目でにらみつけ「あなたがねえ」などと言ってぼくの顔をまじまじと眺めたりする。(中略)別なときにはばたばたと走りこんできたかと思うと、いきなり、「すきだ、すきだ、すきだ」と目に涙をためて言い、「すみません、すみません、ゆるしてください。こんなすがたをみせて、はずかしい」と言う。(中略)「オトウシャン、ワルモノジャナイネ」とマヤが言って、思わずふたりで笑い出してしまったことがあった。だから少しずつはよいほうに向ってかたまって行くのだろうと思っていた。じぶんではつい一寸先も分りはしない。
(了)

 文句なしの傑作で、あっと言う間に読めてしまいました。雑誌として売られたものはもう手に入らないようですが、アマゾンで「群像短篇名作選 1946~1969(講談社文芸文庫)」(定価税込み2484円)を買えば読めると思います。

島尾敏雄『離脱』その2

2019-06-23 10:36:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。

「どうしても分からないの。あなたというひとが、どうしてそんなことをしていたのでしょう」
 妻の問いただしがそこのところにもどってくると、その論理に引きこまれないようにおびえたぼくは、じぶんの論理で妻をなっとくさせることには望を絶った。(中略)
「でもあたしはもとのあたしではありません。お炊事も、それからあなたやこどもの世話もしますが、ただ機械的にだけです。いちどくつがえった水は、二度ともとのお盆にかえりませんのよ。(中略)ほんとうに心から改心するのなら、あたし、もうしばらく考えさせてもらいます。そのかわり、今までの女との関係をつづけないこと、自殺は絶対にしないこと、こどもの養育に責任をもつこと、それが誓えるかしら?」
 誓わないことなどと思っていたじぶんの考えをここで又一つ捨てて、ぼくは「ちかいます」と言った。(中略)

 やはり疲れが出て、じぶんのしごと部屋のベッドでついうとうととした。(中略)目ざめてぎくっとし、家の中の気配に気をくばると、妻もこどもも居そうにない。しまった、と思い、がばっとからだをおこすと、ちょうどやぶれ垣根のすきまから妻がこどもふたりの手をひいて家の中にはいってくるすがたが見え、をかぶるように安堵した。(中略)
「だいじょうぶ」とその笑顔を消さずに仕事部屋にはいってくると、妻は「おとうさん」と、こどもにならって使っていたよびかけにもどり、「あたしおねがいがあるの。今までの万年筆と下着をみんな捨ててくださいね。見てるのがいやだから。そのかわり、はいっ」と新しい万年筆をぼくに渡す。(中略)
 夕食のあと、近くのラジウム湯に行くためにぼくはひとりで家を出たが、家の外の空気が、すっかりちがってしまったようで、からだが羽毛のように軽く、ふわっと浮きあがってしまいそうだ。(中略)

 「ひとつだけギモンがあるの。きいてもいいかしら」妻は遠慮がちに言うが、そのときすでに彼女のすがたは鴉の黒いつばさを装っている。(中略)「あなた……に行ったことがあるの?」「……」「だれと行ったの」「……」「だれと行ったのよ」「……」「かくさなくてもいいじゃない。ちゃんと分かっているんだから」「分かっているならいいじゃないですか」「いいえ、あなたの口からはっきりききたいの。あたしには、なんにも包みかくしはしないって誓ったでしょ。あった通り、すっかりそのまま言ってちょうだい。そこだけでなしに、あなたいったい何回旅行をしたの。どことどこに行ったの。どこに泊まったの。なにを食べて、どんな本をよんだの。映画をみたでしょ。なんの映画? どこで、何回、どんなふうに、うれしかった、どうだったの?」ぼくはそれに答えて行く。努力して正確に、つつみかくさず。しかしすべての過去を、ではなく、そんなことは不可能なことだとじぶんに言いわけをしながら、でもそっと通り過ぎてみて、妻の反応がないと大胆にかくそうとし、あいまいなことをあいまいに言うと、妻はそれを責め、すこしちがうのだがはっきり罪の中に書きこみなどして、ぼくのからだはふるえはじめる。(中略)「うそつき」と妻は審き、ぼくはあせって、不在証明を呈出するたびに、うその深さが深くなる。(中略)とうとう「インキ壺が投げられてからこちらのことにして下さい。そのときからのぼくを見て下さい」と絶叫してしまう。(中略)ちぢみあがって思わず立ち上ると、妻は台所の板の間に坐り、「あたしに水をぶっかけてちょうだい」と言う。又夜がやってきて、台所のせまい板のまは、ながしと茶だんすにかこまれ、透ガラスの部分に覆われた小はばの破れカーテンのすきまからあふれてはいってくる夜の大気の色にみたされようとしている。そこは妻の常習の徹夜の場所だから、どんな素材もスクラムをくんで妻の弁護に立とうとしている具合だ。(中略)せきたてられたぼくは従卒のようにバケツに水をみたし、妻の頭からぶっかける。「もっと、もっと」と妻は言い、少しもさからわずにその行為をつづけると、妻の歯の根が合わなくなり、がちがちふるえだして、「あたしのあたまをほんきでぶって」と言う。(中略)ぼくはこぶしをかため、ほんきになって打つと、ぼこっとにぶい肉の音がして、軍隊で下級者をなぐった手が重なる。二つ三つそれをくりかえすと、手はしびれ、妻は「あわわわわ」と女の子が長い水あびから唇をむらさき色にしてあがってくるときそっくりのよくとくのない顔付をして、「もういいわ、風邪をひくといけないから、あたし着がえる」と言う。あたりいったいは水たまりが流れた血のように見えた。(中略)

(また明日へ続きます……)

島尾敏雄『離脱』その1

2019-06-22 12:23:00 | ノンジャンル
 文芸月刊誌『群像』創刊70周年記念号「群像短篇名作選」に載っていた、島尾敏雄さんの1960年作品『離脱』を読みました。いくつかの場面を作品から抜粋すると……

 ぼくたちはその晩からかやをつるのをやめた。どうしてか蚊がいなくなった。妻もぼくも三晩眠っていない。(中略)
 その日、昼さがりに外泊から帰ってきたら、くさって倒れそうになっているけんにんじ垣の木戸にはかぎがかかっていた。胸がさわぎ、となりの金子の木戸からそっと自分の家のせまい庭にまわって、玄関や廊下をゆさぶってみたがかぎははずれそうにない。仕事部屋にあてた四畳半のガラス窓は、となりとの境の棒くいをたてただけの垣のすぐそばで、金子や青木の方からまるみえだが、ガラスの破れ目に目をあてて中を見ると、机の上にインキ壺がひっくりかえったままになっている。はっといきがつまり裏の台所にまわった。(中略)そのへんにありあわせた瓦のかけらで台所のガラス窓を一枚たたき割ると、じぶんのかっこうが犯罪者のそれと重なり、足の底からふるえがのぼってきた。ながしには食器がなげ出され、遂にその日が来たのだと思うと、からだもこころも宙吊りにされたようで、玄関につづく二畳のまから六畳を通って仕事部屋につっ立ったぼくの目に写ったのは、なまなましい事件の現場とかわらない。机と畳と壁に血のりのようにあびせかけられたインキ。その中にきたなく捨てられている僕の日記帳。(中略)そして妻の前に据えられ、ぼくにどこまでつづくか分らぬ尋問のあけくれがはじまった。

 「いったい、どういうのかしら」と妻は、くりかえし責めたててきた同じ問いかけのところにもどってきては、そう言う。「あなたの気持はどこにあるのかしら。どうなさるおつもり? あたしはあなたには不必要なんでしょ。だってそうじゃないの。十年間もがまんをしつづけてきたのですから、ばくはつしちゃったの。もうからだがもちません。見てごらんなさいこんなにがいこつのようにやせてしまって。あたしは生きていませんよ。(中略)」「おまえ、ほんとにどうしても死ぬつもり?」
「おまえ、などと言ってもらいたくない。だれかとまちがえないでください」
「そんなら名前でよびますか」
「あなたはどこまで恥知らずなのでしょう。あたしの名前が平気でよべるの、あなたさま、と言いなさい」
「あなたさま、どうしても死ぬつもりか」
「死にますとも。そうすればあなたには都合がいいでしょ。すぐその女のところへ行きなさい。(中略)」
「とにかく死なないでほしい」
「あなた、口だけでそんなことを言ってもね、あたしが死なないでもいいような保証ができる? 今までのあたしとはちがいますよ。お金がかかるわよ。あなたのような三文文士にあたしが養いきれるかしら」
「努力します」(中略)

 問答は昼もなく夜もなくつづき、妻は家事にとりかかることを思い出さない。(中略)尋問がとぎれると、こどもらの空腹が気になり、六つの伸一におかねを渡して、ごはんのかわりになるようなおまえとマヤの食べたいものを買っておいでと使いに出すと、笛のついたあめや焼麦の駄菓子など買ってくる。これじゃごはんにならないねえ伸一と言いながらちゃぶ台に座らせるが、いつのまにか棒あめをくわえくわえ外に行ってしまう。(中略)
「あなた軍隊ではそんなことばかり覚えてきたの」と妻は言うが、それは軍隊で、でなくて軍隊の前からだ。学生のころの或る日から、きたないことばかり考えはじめた。だがぼくはみたされたことはない。そこに傾く姿勢がリアリストにみせかけることができると思いこんでいた。妻の服従をすこしも疑わず、妻はぼくの皮膚の一部だとこじつけて思い、自分の弱さと暗い部分を彼女にしわよせして、それに気づかずにいた。(中略)
 夜がくると、こどもらは昼間着せられたもののまま、ふとんをかぶせられた。頬のあたりにおびえをのこして伸一もマヤも親たちのそれまでにはなかった異様な対峙を横目に見て、でもすぐ眠りにおちてしまう。それはいくらかぼくをなぐさめる。(中略)
「ほら、かわいそうでしょう。そのこどもたち。でもあたしはもうこどものせわはしませんよ。どうぞあなたがしてください」
 と言っていたかと思うと、いきなり立ちあがり、台所の板のまに坐りこんで動かない。妻からはなれてはいけないと思い、くっついて行っていっしょに坐っていると底の方から冷えてくる。からだに悪いと言っても耳をかさない。(中略)
 妻は「ちょっとおつかいに行ってきますからね」と言って玄関を出て行った。ぼくはうっかりそのまま出してしまった。(中略)そして切符売場の窓口にのぞきこむように何か話している妻のすがたが見えると、冷えた身うちにいきなり熱い血が逆流してくる。

(明日へ続きます……)

斎藤美奈子さんのコラム・その41&前川喜平さんのコラム・その3

2019-06-21 09:15:00 | ノンジャンル
 恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず6月12日に掲載された「靴の自由」と題された斎藤さんのコラム。その全文を転載させていただくと、
「靴は女性の解放ととも深~いかかわりがある。
 思い出していただきたい。シンデレラがお妃(きさき)になれたのはガラスの靴が入る小さな足の持ち主だったからだ。アンデルセンの『赤い靴』では大好きな赤い靴で教会に行き、舞踏会にも出た娘が死ぬまで踊ってろとの呪いをかけられる。
 靴によって女の将来は選択され、靴によって女の行動は規制される。だからこそ『長くつ下のピッピ』が履く大きな靴には意味があった。それは自由の象徴なのだ。
 『職場でハイヒール・パンプスの強制をなくしたい』というオンライン署名が厚生労働省に提出された。靴と苦痛をかけた#KuTooというハッシュタグがつき、集まった署名は一万八千筆。国会の答弁に立った根本匠厚労相は、強制は望ましくないとしながらも『社会通念に照らして業務上、必要かつ相当な範囲かと』とも答えている。で、結局強制はパワハラになるの、ならないの? どうもはっきりしない。とはいえ厚労省の意向によらず、これは各職場で早急に是正すべき案件だろう。
 ちなみに働く女性を描いたテレビドラマは増えたものの、今も『仕事がデキる女』はほぼ例外なくハイヒールで街やオフィスを闊歩(かっぽ)している。こういう表現も『社会通念』に影響していない? 発想が古いのよね。シンデレラの時代じゃないんだから。」

 また6月9日に掲載された「芦部信喜先生」と題された前川さんのコラム。
「先月の憲法記念日、長野県駒ケ岳市で開かれた集いに招かれ、憲法と教育について講演した。駒ヶ根市は憲法学者芦部信喜の生地。学生時代に講義を聴いた先生だ。米国憲法判例の研究を踏まえ緻密に構成された芦部憲法学には、「これぞ学問」という思いを抱いた。
 ゼミ生ではなかったが、先生の論文集『現代人権論』、もしっかり読んだ。文部省から英国へ留学したときは、先生に推薦状をお願いした。だから、憲法記念日に先生の故郷で憲法の話ができたことは、この上ない光栄だった。
 駒ケ岳でお目にかかった信濃毎日新聞の編集員・渡辺秀樹氏が、ご自身の連載記事『芦部信喜。平和への憲法学』のコピーをくださった。大変な力作だ。
 先生に影響を与えた小中学校の恩師のこと、学徒出陣の軍隊経験、先生が関わったもろもろの憲法裁判など、その足跡を実に丁寧に追っている。先生の『二重の基準』論(精神的自由権と経済的自由権とでは異なる違憲審査基準が必要という理論)を紹介した回には、拙著も引用してくれた。
 今は第四部『国家と宗教』の連載が始まっている。新天皇の即位や憲法改正の動きと相まって、政教分離原則が破られ国家神道が復活しかねない今日、渡辺氏の随筆への期待が膨らむ。思わず県外購読を申し込んでしまった。」

 そして6月16日に掲載された「映画『新聞記者』」と題された前川さんのコラム。
「6月28日に全国で公開される映画『新聞記者』。原案は東京新聞社会部記者望月衣塑子さんの同名の本。現政権に真っ向挑戦する映画だ。
 筋書きの中心は、国家戦略特区で首相の友人の企業が運営する国立民営大学を新設しようとする動き。加計学園問題によく似た設定だ。そこには深い闇が隠されている。その計画文書が、ある日匿名で「東京新聞」にファックスされてくる。事件を追い始める女性記者を、韓国人女優シム・ウンギョンが演じている。社内の場面は実際に東京新聞で撮影したそうだ。
 映画の中には、現政権下で実際に起きた事件を想起させる逸話も盛り込まれている。女性野党議員との関係をスキャンダル化され、某大手新聞に載せられる文科省の局長(なぜか僕に似ている)。女性ジャーナリストによる性被害の告発を、野党と結託したハニートラップ事件に仕立て上げようとする陰謀など。
 組織と良心とのはざまで苦しみ追いつめられ、ついに自殺する官僚の姿は、森友学園問題で自ら命を絶った財務省職員を思い出させる。
 様々(さまざま)な陰謀を操っているのは、内閣情報調査室、内調だ。内調の一員でありながら事件を追う女性記者に協力する若手官僚は松坂桃李が演じる。よくぞこの役を引き受けたものだと感服する。
 劇中座談会には僕もちょっとだけ出ている。」

 今回も有益な情報を得られて、感謝、感謝です。