また昨日の続きです。
これまでも、この先も、ああ、困難だらけ。でも、どうってことない。受難は、私の得意科目。逆らうことなく、粛々と受け止め、運命のなすがままに身をまかせて行けば、必ずや神のお導きがあるに決まっているのだ。彼は言った。「みこちゃんは、可哀相な子だね」私の奥深い部分で沈黙を守っていたものがぴくりと動いた。「実は、ぼくも可哀相なんだ」え? と思い、動きを止めて彼を見る。「二人一緒に可哀相な者同士にならないか。そして、お互いの存在に同情し合おう」はあ、と思わず曖昧に頷いてしまった私であった。体内で息を吹き返しかけた攻撃的な生き物が、拍子抜けしたように、再び眠りに落ちて行く。「可哀相は魔法の言葉だよ」え? ごめんちゃいじゃなかったの?「言ってみてよ。ぼくに。可哀そうって」私は口を開きかけるが、矜持が邪魔をして声にならない。改宗の危機か。あんなにも長かった苦役と信心の果てに? まさか、そんな、かわいそうなこと。
『生鮮てるてる坊主』
その夫婦と私は親しかった。夫である勝見孝一と妻の虹子とも友人だった。けれども、二人をひと組としてまとめて友人夫婦と呼ぶのは少し違うような気がした。何故なら、私は、虹子よりも孝一の方に強い親近感を覚えていたし、深い友情を感じていたから。問題は、虹子が友情だけでつながっている男女関係を理解していなかったことだった。それにしても虹子と来たら、どうしていつも自分を痛々しく見せる言動ばかり取るのだろう。他人の言葉を軽く流すということを知らない。他愛ないことでも毛を逆立てる敏感な動物のようだ。ある日、孝一から自分が出張で家を空ける週末、虹子の様子を見て欲しいと言われた。虹子はぽつりと呟いた。「あたしも子供とか欲しいかもなあ」「……あたしだってって、どういう意味? まさか孝一が誰かと?」「誰かって、奈美ちゃんじゃない? 奈美ちゃんとうちの孝ちゃん、あたしと会うずっと前から仲むつまじく二人の子供を育てて来たんでしょ? 何人も何人も作って、たっぷりと愛情をかけて大きくして、それでも足りずに交尾をくり返して、また産んで、幸せな育児のくり返し……」「虹ちゃんが私と孝一をそんなふうにたとえるのは間違ってるよ。私たちに恋愛感情なんかはなからないんだし」本当は、私たちの育んだ「友情」は恋愛などよりも、はるかに性質の悪いものではなかったか。私たちにとっては香水であるものも、他の人間、たとえば虹子にとっての毒薬となるもの。「二人共、あたしを見くびってるけど、あたしだって、大人のおもちゃくらい知ってるんだもーん。孝ちゃん、奈美ちゃんと楽しむためにあたしと結婚したのね……」その瞬間、私は、虹子の頬を打っていた。虹子は泣き止もうとしなかった。「みんな雨のせいなの。あたしが変になっちゃったのはいつもいつも雨のせいなの。雨、止むように、あたし、てるてる坊主作るから」「てるてる坊主、ずっと作ってなさいよ」もう、会うことはないかもしれない、と私は思った。その晩、私は、孝一に虹子のことを報告しなくてはならなかった。孝一は、予定を繰り上げて、東京に戻った。そして、その足で私の部屋に直行した。開けられたドアの前で相手の姿を目にした瞬間に、私たちは、すべきことを同時に悟った。そして素直にそれに従って、寝た。最初で最後になるであろうと察しが付いたので、この際だからと思い切り楽しんだ。「何年かに一ぺんはこうしたら良かったんかもしれない」「そう思えるなら、もうしなくても良いのかもなあ」同意した。虹子とは、あれ以来、疎遠になって行った。そうこうしている内に、彼女が妊娠したと孝一から聞いた。「今は、落ち着いてさ、すごく満たされている感じ。以前の困ったちゃんな言動はまるでなくなったよ」虹子が出産して二ヶ月ほど経った頃だろうか、私は久し振りに勝見家を訪れた。「ね、虹ちゃん、早く赤ちゃん見せて」「うん。こっちへ。でも、その子、あたしの子じゃないのよ」「は? どういうこと?」「ほら、托卵って、奈美ちゃん、聞いたことあるでしょ? カッコウなんかの鳥が、他の鳥の巣に産卵して、その卵を孵化するまで温めさせること。うちの子、それだったのよ。あーあ、早く雨、止まないかしら。ほら、あそこ。新しく、うんと生き生きしたのも下げてみたんだけど」そう虹子が指差した縁側の上のカーテンレールには、いくつものてるてる坊主がぶら下がっていた。(また明日へ続きます……)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
これまでも、この先も、ああ、困難だらけ。でも、どうってことない。受難は、私の得意科目。逆らうことなく、粛々と受け止め、運命のなすがままに身をまかせて行けば、必ずや神のお導きがあるに決まっているのだ。彼は言った。「みこちゃんは、可哀相な子だね」私の奥深い部分で沈黙を守っていたものがぴくりと動いた。「実は、ぼくも可哀相なんだ」え? と思い、動きを止めて彼を見る。「二人一緒に可哀相な者同士にならないか。そして、お互いの存在に同情し合おう」はあ、と思わず曖昧に頷いてしまった私であった。体内で息を吹き返しかけた攻撃的な生き物が、拍子抜けしたように、再び眠りに落ちて行く。「可哀相は魔法の言葉だよ」え? ごめんちゃいじゃなかったの?「言ってみてよ。ぼくに。可哀そうって」私は口を開きかけるが、矜持が邪魔をして声にならない。改宗の危機か。あんなにも長かった苦役と信心の果てに? まさか、そんな、かわいそうなこと。
『生鮮てるてる坊主』
その夫婦と私は親しかった。夫である勝見孝一と妻の虹子とも友人だった。けれども、二人をひと組としてまとめて友人夫婦と呼ぶのは少し違うような気がした。何故なら、私は、虹子よりも孝一の方に強い親近感を覚えていたし、深い友情を感じていたから。問題は、虹子が友情だけでつながっている男女関係を理解していなかったことだった。それにしても虹子と来たら、どうしていつも自分を痛々しく見せる言動ばかり取るのだろう。他人の言葉を軽く流すということを知らない。他愛ないことでも毛を逆立てる敏感な動物のようだ。ある日、孝一から自分が出張で家を空ける週末、虹子の様子を見て欲しいと言われた。虹子はぽつりと呟いた。「あたしも子供とか欲しいかもなあ」「……あたしだってって、どういう意味? まさか孝一が誰かと?」「誰かって、奈美ちゃんじゃない? 奈美ちゃんとうちの孝ちゃん、あたしと会うずっと前から仲むつまじく二人の子供を育てて来たんでしょ? 何人も何人も作って、たっぷりと愛情をかけて大きくして、それでも足りずに交尾をくり返して、また産んで、幸せな育児のくり返し……」「虹ちゃんが私と孝一をそんなふうにたとえるのは間違ってるよ。私たちに恋愛感情なんかはなからないんだし」本当は、私たちの育んだ「友情」は恋愛などよりも、はるかに性質の悪いものではなかったか。私たちにとっては香水であるものも、他の人間、たとえば虹子にとっての毒薬となるもの。「二人共、あたしを見くびってるけど、あたしだって、大人のおもちゃくらい知ってるんだもーん。孝ちゃん、奈美ちゃんと楽しむためにあたしと結婚したのね……」その瞬間、私は、虹子の頬を打っていた。虹子は泣き止もうとしなかった。「みんな雨のせいなの。あたしが変になっちゃったのはいつもいつも雨のせいなの。雨、止むように、あたし、てるてる坊主作るから」「てるてる坊主、ずっと作ってなさいよ」もう、会うことはないかもしれない、と私は思った。その晩、私は、孝一に虹子のことを報告しなくてはならなかった。孝一は、予定を繰り上げて、東京に戻った。そして、その足で私の部屋に直行した。開けられたドアの前で相手の姿を目にした瞬間に、私たちは、すべきことを同時に悟った。そして素直にそれに従って、寝た。最初で最後になるであろうと察しが付いたので、この際だからと思い切り楽しんだ。「何年かに一ぺんはこうしたら良かったんかもしれない」「そう思えるなら、もうしなくても良いのかもなあ」同意した。虹子とは、あれ以来、疎遠になって行った。そうこうしている内に、彼女が妊娠したと孝一から聞いた。「今は、落ち着いてさ、すごく満たされている感じ。以前の困ったちゃんな言動はまるでなくなったよ」虹子が出産して二ヶ月ほど経った頃だろうか、私は久し振りに勝見家を訪れた。「ね、虹ちゃん、早く赤ちゃん見せて」「うん。こっちへ。でも、その子、あたしの子じゃないのよ」「は? どういうこと?」「ほら、托卵って、奈美ちゃん、聞いたことあるでしょ? カッコウなんかの鳥が、他の鳥の巣に産卵して、その卵を孵化するまで温めさせること。うちの子、それだったのよ。あーあ、早く雨、止まないかしら。ほら、あそこ。新しく、うんと生き生きしたのも下げてみたんだけど」そう虹子が指差した縁側の上のカーテンレールには、いくつものてるてる坊主がぶら下がっていた。(また明日へ続きます……)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)